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2019年10月29日 (火) 00:23時点における版
司馬皇后 | |
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南朝宋の皇后 | |
在位 | 422年6月26日 - 424年7月7日 |
別称号 | 海塩公主 |
全名 | 司馬茂英 |
出生 |
太元18年(393年) |
死去 |
元嘉16年(439年) |
配偶者 | 少帝 |
父親 | 恭帝(東晋) |
司馬 茂英(しば ぼうえい、393年 - 439年)は、南朝宋の少帝劉義符の皇后。本貫は河内郡温県。
経歴
東晋の恭帝司馬徳文の娘として生まれ、海塩公主に封じられた。劉義符が公子のとき、茂英は妻に迎えられた。420年(永初元年)、皇太子妃となった。422年(永初3年)、劉義符が即位すると、茂英は皇后に立てられた。424年(元嘉元年)、営陽王妃に降格された。さらに南豊王太妃となった。439年(元嘉16年)、死去した。享年は47。