コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「司馬令姫」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m cewbot: ウィキ文法修正 1: Template contains useless word template
42行目: 42行目:
<references />
<references />


{{Template:北周の皇后}}
{{北周の皇后}}


{{DEFAULTSORT:しは れいき}}
{{DEFAULTSORT:しは れいき}}

2019年10月29日 (火) 00:20時点における版

司馬令姫
北周の皇后
在位 579年7月 - 580年9月

配偶者 静帝
  司隸刺史李丹
父親 司馬消難
テンプレートを表示

司馬 令姫(しば れいき、生没年不詳)は、北周静帝皇后本貫河内郡温県

経歴

司馬消難の娘として生まれた[1]

579年7月、正陽宮に入って皇后に立てられた。580年9月、司馬消難がに亡命したため、楊堅の発議により、令姫は皇后位を廃され庶人に落とされた。後にの司隸刺史李丹の妻となった。貞観年間には、なお生存していた。

伝記資料

  • 周書』巻9 列伝第1 皇后
  • 北史』巻14 列伝第2 后妃下

脚注

  1. ^ 司馬消難の本妻は北斉の公主(文宣帝の庶出妹)。正史で令姫の母に関して記載はない。