「衛子夫」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
m cewbot: ウィキ文法修正 1: Template contains useless word template |
||
49行目: | 49行目: | ||
*『{{仮リンク|賢后 衛子夫|zh|衛子夫 (電視劇)}}』(2014年、中国、演:[[王珞丹|ワン・ルオダン]]) |
*『{{仮リンク|賢后 衛子夫|zh|衛子夫 (電視劇)}}』(2014年、中国、演:[[王珞丹|ワン・ルオダン]]) |
||
{{ |
{{前漢の皇后}} |
||
{{DEFAULTSORT:えい しふ}} |
{{DEFAULTSORT:えい しふ}} |
2019年10月29日 (火) 00:13時点における版
衛皇后 | |
---|---|
前漢の皇后 | |
在位 | 紀元前128年 - 紀元前91年 |
全名 | 衛子夫(字) |
別称 | 思皇后 |
死去 |
紀元前91年 |
配偶者 | 武帝 |
子女 |
富利公主 陽石公主 諸邑公主 劉拠 |
母親 | 衛媼 |
兄弟 | 衛青 |
姉妹 | 衛君孺、衛少児 |
衛 子夫(えい しふ、? - 紀元前91年)は、前漢の武帝の皇后。子夫は字。諱は不明。母親は婢であった衛媼(えいおん)。息子に劉拠(戻太子)、姉に衛君孺[1]、妹に衛少児(霍去病の母)、弟に大将軍となった衛青がいる。衛青の父親が下級官吏の鄭季(ていき)とされており、衛子夫の父親も鄭季とする説がある。
略歴
元は武帝の姉である平陽公主家の歌妓であったが、平陽公主に引き立てられ、武帝の後宮に入る。最初に寵愛されることはなく。後宮を離れた際には武帝に目を留められ寵愛を受け、夫人に封じられた。武帝の長男である拠を産んだ後、紀元前128年に夫人から皇后に昇格する。また、三女をもうけた。
しかしその後武帝の寵愛は王夫人・李夫人・尹婕妤・趙婕妤に移って自らの地位が危うくなる。巫蠱の禍で罪に問われ、自殺を強いられた上、皇后の位を廃された。
のち、曾孫である宣帝によって皇后の位を回復され、思皇后の諡号を贈られた。これは中国史上、皇后が自身の謚号を持つ最初の例となった。
脚注
- ^ 「皇帝たちの中国」岡田英弘 著 ISBN 4-562-03148-4
登場作品
- テレビドラマ