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「ドウカンヤシマ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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{{馬齢旧}}{{競走馬
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|名 = ドウカンヤシマ
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'''ドウカンヤシマ'''は[[日本]]の[[競走馬]]である。6年度連続[[重賞]]勝利という[[日本中央競]] (JRA) 記録を保持している
'''ドウカンヤシマ'''(欧字名:{{Lang|en|Dokan Yashima}}、[[1980年]][[3月24日]] - ?)[[日本]]の[[競走馬]][[種牡馬]]<ref name="jbis" />

'''6年連続[[重賞]]勝利'''という[[日本中央競馬会]]最多記録を樹立し、「'''忘れたころにやってくる'''<ref name="優駿-1992-3-64">『優駿』1992年3月号 64頁</ref>」「'''年に一度のドウカンヤシマ<ref name="優駿-1992-3-64" />'''」と形容された。また1984年の金杯(東)、1987年の金杯(西)を優勝しており、史上初めて'''金杯東西制覇'''を果たした。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[馬齢]]は旧表記で統一する。


=== デビューまで ===
関東の3歳王者決定戦・[[朝日杯フューチュリティステークス|朝日杯3歳ステークス]]を迎えるまでは4戦3勝、[[投票券 (公営競技)#単勝式|単勝]]はすべて1番[[人気]]という好素質馬だったが、朝日杯で惨敗を喫して以降は一転して凡走を繰り返すようになる。4歳以降は38戦して1番人気に推されたことは一度もなく、年間に挙げる勝利はひとつだけ、しかも凡走を続けている最中にその一走だけ突如として奮起するというありさまで、「'''年に一度のドウカンヤシマ'''」と呼ばれた。


ドウカンミキは、1969年に[[茨城県]][[稲敷郡]][[江戸崎町]]の栗山博牧場で生産された牝馬で、父は[[パーソロン]]であった。新井操が所有して競走馬としてデビューし、6戦1勝の成績を残した<ref>{{Cite web|title=ドウカンミキ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000030957/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-01}}</ref>。引退後は、[[仔分け]]方式で繁殖牝馬となった<ref name="優駿-1992-3-61">『優駿』1992年3月号 61頁</ref>。初仔は、[[北海道]][[幕別町]]で生産しているが、それ以降は、北海道[[新冠町]]に移動している<ref>{{Cite web|title=繁殖牝馬情報:牝系情報|ドウカンミキ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000030957/broodmare/info/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-01}}</ref>。
4歳時には、[[函館記念]]で51[[キログラム]]の軽[[負担重量|ハンデ]]と[[馬場状態#不良馬場|不良馬場]]を利して11番人気で優勝、5歳初頭には、[[中央競馬]]の[[グレード制]]導入後最初の重賞として行われた[[中山金杯|日刊スポーツ賞金杯]]に5番人気で優勝。途中に転厩した関係で[[美浦トレーニングセンター|関東馬]]から[[栗東トレーニングセンター|関西馬]]に変わったものの、年に重賞1勝というペースをきっちり守ったまま8歳まで走り続け、1987年初頭の[[京都金杯|スポーツニッポン賞金杯]]制覇をもって、[[スピードシンボリ]]が保持した5年連続を凌ぐ、6年連続重賞勝利という中央競馬記録を樹立。同時に東西の金杯で優勝という空前の珍記録も達成した。2011年現在、中央競馬におけるこの記録の保持馬はドウカンヤシマのみであり、記録は破られていない<ref>ただし、[[ダートグレード競走]]を含めると[[ヴァーミリアン]]が2004年から2010年にかけて7年連続勝利を記録している。</ref>。


1979年の種付けにて、新井は小柄なドウカンミキを補うような体の大きな[[種牡馬]]を求め、相手に[[タケシバオー]]を選択<ref name="優駿-1992-3-62">『優駿』1992年3月号 62頁</ref>。1980年[[3月24日]]、新冠町の細川農場で鹿毛の牡の仔、ドウカンミキの6番仔(後のドウカンヤシマ)が誕生した<ref name="優駿-1992-3-61" />。仔は、小柄だったが、張りのある動きであった。尻の両側に[[旋毛|つむじ]]を持つ馬で、素直な気性であった<ref name="優駿-1992-3-62" />。農場の細川功一は「(前略)当歳時から幅があり、ひょっとしたらという感じがありました。<ref name="優駿-1992-3-62" />」と農場時代を振り返っている。
希代の穴馬として名を馳せ、競馬ライターの[[市丸博司]]は「重馬場専用というわけでもなく、軽ハンデでしか来ないわけでもなく、全く馬券の買いようがない」と評している。生産者の細川功一も同様に「買ってもなかなか当たらない、買わなきゃ絶対当たらない。まるで宝くじみたいな馬」と語っている。


新井は、[[太田道灌]]の末裔で、道灌から数えて16代目であった。太田道灌にちなみ「'''ドウカン'''」の[[冠名]]を使用しており、仔には、冠名に「ヤシマ」を組み合わせた「'''ドウカンヤシマ'''」という競走馬名が与えられた。[[美浦トレーニングセンター]]の[[田中朋次郎]]厩舎に入厩する<ref name="優駿-1992-3-62" />。
競走馬引退に際しては1988年1月11日、[[京都競馬場]]で[[引退#競馬|引退式]]が執り行われ、その後は[[種牡馬]]となった。種牡馬としてはサラブレッド大賞典([[荒尾競馬場|荒尾]])を制し、ダートグレード競走になる前の[[川崎記念]]で3着となったキンコーバトラなどを送り出した。1995年に種牡馬廃用となっている。


== 馬齢別競走成績 ==
=== 競走馬時代 ===

*3歳-5戦3勝([[京王杯2歳ステークス|京成杯3歳ステークス(当時)]]-9頭立て1番人気)
==== 2-3歳(1982-83年) ====
*4歳-11戦1勝(函館記念-13頭立て11番人気)
1982年9月4日、[[函館競馬場]]の[[新馬|新馬戦]](芝1000メートル)に1番人気の支持でデビュー。直線で抜け出し、後方に7馬身差をつけて初勝利となった<ref name="優駿-1992-3-62" />。[[条件戦]]も制して連勝とし、[[府中3歳ステークス]]では1番人気に推されながら4着と初めて敗戦した<ref name="優駿-1992-3-62" />。
*5歳-7戦1勝(日刊スポーツ賞金杯-16頭立て5番人気)

*6歳-6戦1勝([[東京新聞杯]]-15頭立て10番人気)
11月7日、[[京成杯3歳ステークス]]では[[重賞]]優勝馬を抑えて1番人気に支持された。ハイペースの展開の中、好位に位置。直線で抜け出そうとするも、好位または後方から追い上げてきた3頭と横並びとなった。特に、内から伸びたデアリングパワーとは馬体を併せて決勝線を通過した。写真判定の結果、ドウカンヤシマの先着が認められ重賞初勝利となった<ref name="優駿-1992-3-62" />。騎乗した[[郷原洋行]]は「あの位置なら、直線もっと伸びなきゃいけない。勝ったけど納得しないよ<ref name="優駿-1992-3-62" />」と回顧している。それから[[朝日杯3歳ステークス]]に臨み、11着に敗れた。
*7歳-12戦1勝([[朝日チャレンジカップ]]-7頭立て3番人気)

*8歳-3戦1勝(スポーツニッポン賞金杯-15頭立て6番人気)
1983年、2月13日の[[共同通信杯4歳ステークス]]で始動するも、13着敗退<ref name="優駿-1992-3-63">『優駿』1992年3月号 63頁</ref>。その後は、[[中央競馬クラシック三冠|クラシック]]路線を歩む予定であったが、[[スプリングステークス]]の[[発馬機]]で暴れて[[鼻出血]]を発症し、[[出馬投票#出走取消|競走除外]]<ref name="優駿-1992-3-63" />。[[出場停止|出走停止処分]]を受け、[[皐月賞]]、[[東京優駿]](日本ダービー)への出走は叶わなかった<ref name="優駿-1992-3-63" />。

出走停止明け3連敗の後、8月21日の[[函館記念]]に[[大塚栄三郎]]が騎乗し、[[負担重量]]51キログラムで出走。皐月賞優勝の[[ハワイアンイメージ]]、[[桜花賞]]優勝の[[ブロケード]]、[[リーゼングロス]]ら相手に逃げ、一時2番手に6馬身差をつけるなど独走した。直線に入っても先頭を保ち、追い上げてくる後方勢に2馬身半差をつけて先頭で入線、重賞2勝目を挙げた<ref name="優駿-1992-3-63" />。13頭立て11番人気の支持を受けており、[[単勝式]]2060円、[[枠番連勝]]5770円の高配当を記録した<ref name="優駿-1992-3-63" />。秋は、[[セントライト記念]]、[[京都新聞杯]]と連続3着を記録し、[[菊花賞]]ではクラシック出走を果たしたが、悪い癖が出ていつもの力を発揮できず、17着に敗れた。年末には、オープン競走に出走するも10着に敗退した<ref name="優駿-1992-3-63" />。

==== 4-6歳(1984-86年) ====
1984年初めの[[金杯(東)]]で始動、菊花賞で見られた悪癖矯正を大塚と[[厩務員]]の下川原で取り組み、5番人気で出走した<ref name="優駿-1992-3-63" />。好位に位置し、直線で先行勢をかわすと、独走態勢となり、後方に3馬身差をつけて重賞3勝目となった。大塚は第3コーナーの時点で勝利を確信していた<ref name="優駿-1992-3-63" />。以後6戦したが、[[京王杯スプリングカップ]]2着が目立つほどで勝利を挙げることができなかった<ref name="優駿-1992-3-63" />。

1985年も金杯(東)で始動、連覇を狙ったものの14着となり、4戦続けて二桁着順に敗退した。続いて[[東京新聞杯]]({{GIII}})に、15頭中10番人気の支持で出走、負担重量はメンバー中最も大きかった。2番手に位置し、直線で内側から抜け出した。後方から迫った[[ダスゲニー]]を半馬身振り切り重賞4勝目となった<ref name="優駿-1992-3-63" />。大塚は「(前略)でも正直いってまさか勝てるとはねえ<ref name="優駿-1992-3-63" />」と述懐している。1969年にタケシバオーも制していることから、東京新聞杯父仔制覇を達成した<ref name="優駿-1992-3-63" />。単勝式は4050円、枠番連勝式は8350円の高配当となった<ref name="優駿-1992-3-63" />。その後、[[中山記念]]2着と好走するなど4戦したが、いずれも勝利することはできなかった。

1986年も同様に金杯(東)で始動したが8着敗退。以降春は4回出走するも[[安田記念]]4着が最高であった<ref name="優駿-1992-3-63" />。田中は苦戦する[[平地競走]]に見切りをつけようと、[[障害競走]]の練習を開始するほどであった<ref name="優駿-1992-3-64" />。夏は函館競馬場に身を置き、巴賞4着、函館記念3着となるなど、好走した<ref name="優駿-1992-3-64" />。その後は、勝利目指して比較的メンバーの揃わない関西に移籍し、[[栗東トレーニングセンター]]の[[鹿戸明]]厩舎に転厩した<ref name="優駿-1992-3-64" />。

転厩初戦、9月14日の[[朝日チャレンジカップ]]({{GIII}})に出走。逃げて後方から追い上げる[[ライフタテヤマ]]をクビ差退け、重賞5勝目を挙げた。美浦所属の大塚から、乗り替わった栗東所属の[[清水英次]]は、「(前略)なんとか粘り切ったが凄い馬だね<ref name="優駿-1992-3-64" />」と振り返っている。その後は関東の[[天皇賞(秋)]]や、[[福島競馬場]]の[[福島記念]]に出走したが、いずれも勝利することはできなかった<ref name="優駿-1992-3-64" />。

==== 7歳(1987年) ====
1987年は、[[金杯(西)|金杯'''(西)''']]({{GIII}})で始動、負担重量はメンバー中最も大きい58.5キログラムであり、6番人気であった。スタートから逃げて平均ペースを刻み、直線で後方からの追い上げなく、1馬身4分の1差で逃げ切り重賞6勝目となった<ref name="優駿-1992-3-64" />。3歳時の京成杯3歳ステークスから6年連続重賞勝利となり、それまで[[スピードシンボリ]]が保持していた5年連続重賞勝利を上回る史上最長記録となった<ref name="優駿-1992-3-64" />。さらに、東西の金杯を両方勝利したことも史上初であった<ref name="優駿-1992-3-64" />。清水は「展開に恵まれたね。距離もぴったりだし、いい感じで逃げた時は馬自身も気持ちよさそうだ。勝つべくして勝った感じです<ref name="優駿-1992-3-64" />」と述懐している。その後は、球節の状態が好ましくないことから放牧に出された<ref name="優駿-1992-3-64" />。復帰は秋となり、[[マイルチャンピオンシップ]]、[[愛知杯]]と連戦したが、馬体重の減少していたこともあり、どちらも二桁着順に敗れた<ref name="優駿-1992-3-64" />。

馬体重を戻して、7年連続重賞勝利記録に挑戦させる計画もあったが、[[種牡馬]]としての期待もあったことから競走馬を引退<ref name="優駿-1992-3-64" />。1988年1月11日の[[京都競馬場]]にて、金杯(西)優勝時のゼッケン「9」を着用の上、清水が騎乗し[[引退#競馬|引退式]]が行われた<ref>『優駿』1988年2月号 89頁</ref>。

=== 種牡馬時代 ===
1988年1月、北海道新冠町高江の新冠町畜産センターで[[種牡馬]]となった<ref name="優駿-1992-3-64" />。

== 競走成績 ==
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref>{{Cite web|title=ドウカンヤシマの競走成績|url=https://db.netkeiba.com/horse/1980103534/|website=netkeiba.com|accessdate=2021-08-01|language=ja}}</ref>およびJBISサーチ<ref>{{Cite web|title=競走成績:ドウカンヤシマ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000127036/record/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-07-31}}</ref>の情報に基づく。
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 90%; text-align: center; white-space: nowrap;"
!競走日
! nowrap="" |競馬場
!競走名
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!距離(馬場)
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!馬
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(人気)
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[kg]
!1着馬(2着馬)
|-
|[[1982年|1982]].{{0}}[[9月4日|9.{{0}}4]]
|[[函館競馬場|函館]]
|[[新馬|3歳新馬]]
|
|芝1000m(良)
|8
|5
|5
|{{00}}4.4{{0}}(1人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|{{0|-}}{{0}}59.7
|
|{{0}}[[郷原洋行]]
|53
|(ダイナアグリー)
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[9月25日|9.25]]
|函館
|コスモス賞
|4下
|芝1200m(良)
|9
|2
|2
|{{00}}4.3{{0}}(1人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:10.9
|
|{{0}}郷原洋行
|53
|(サンヤングシチー)
|-
|{{0|0000.}}[[10月23日|10.23]]
|[[東京競馬場|東京]]
|[[府中3歳ステークス|府中3歳S]]
|
|芝1400m(良)
|8
|7
|7
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|{{0}}4着
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|
|{{0}}郷原洋行
|54
|デアリングパワー
|-
|{{0|0000.}}[[11月7日|11.{{0}}7]]
|東京
|[[京成杯3歳ステークス|京成杯3歳S]]
|
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|9
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|4
|{{00}}5.5{{0}}(1人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:26.3
|
|{{0}}郷原洋行
|54
|(デアリングパワー)
|-
|{{0|0000.}}[[12月12日|12.12]]
|[[中山競馬場|中山]]
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|
|芝1600m(良)
|15
|4
|7
|{{0}}10.5{{0}}(3人)
|11着
|1:37.1
|
|{{0}}郷原洋行
|54
|ニシノスキー
|-
|[[1983年|1983]].{{0}}[[2月13日|2.13]]
|東京
|[[共同通信杯4歳ステークス|共同通信杯4歳S]]
|
|芝1800m(良)
|14
|7
|12
|{{0}}27.3{{0}}(9人)
|13着
|1:52.1
|
|{{0}}郷原洋行
|56
|[[ミスターシービー]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月6日|3.{{0}}6]]
|中山
|[[弥生賞]]
|
|芝1800m(良)
|14
|7
|12
|{{0}}86.7(11人)
|{{0}}4着
|1:50.6
|
|{{0}}[[大塚栄三郎]]
|55
|ミスターシービー
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月27日|3.27]]
|中山
|[[スプリングステークス|スプリングS]]
|
|芝1800m(不)
|15
|2
|2
| colspan="3" |[[出馬投票#出走取消|競走除外]]
|
|{{0}}大塚栄三郎
|56
|タケノヒエン
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月28日|5.28]]
|東京
|[[NZT|NZT4歳S]]
|{{GIII}}
|芝1600m(良)
|15
|8
|15
|{{0}}16.3{{0}}(7人)
|{{0}}5着
|1:38.1
|
|{{0}}大塚栄三郎
|56
|アップセッター
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[7月3日|7.{{0}}3]]
|[[札幌競馬場|札幌]]
|[[札幌記念]]
|
|ダ2000m(良)
|16
|5
|10
|{{0}}49.7(10人)
|12着
|2:09.0
|
|{{0}}大塚栄三郎
|51
|オーバーレインボー
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[7月24日|7.24]]
|札幌
|短距離S
|
|ダ1200m(良)
|12
|6
|7
|{{0}}22.1{{0}}(6人)
|11着
|1:14.0
|
|{{0}}大塚栄三郎
|53
|[[ハワイアンイメージ]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[8月21日|8.21]]
|函館
|[[函館記念]]
|
|芝2000m(不)
|13
|2
|2
|{{0}}27.8(11人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|2:04.5
|
|{{0}}大塚栄三郎
|51
|([[ブロケード]])
|-
|{{0|0000.}}[[10月2日|10.{{0}}2]]
|中山
|[[セントライト記念]]
|
|芝2200m(良)
|12
|2
|2
|{{00}}8.9{{0}}(5人)
|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}}
|2:14.8
|
|{{0}}大塚栄三郎
|56
|メジロハイネ
|-
|{{0|0000.}}[[10月23日|10.23]]
|[[京都競馬場|京都]]
|[[京都新聞杯]]
|
|芝2000m(良)
|16
|7
|13
|{{0}}25.2{{0}}(5人)
|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}}
|2:03.2
|
|{{0}}大塚栄三郎
|57
|[[カツラギエース]]
|-
|{{0|0000.}}[[11月13日|11.13]]
|京都
|'''[[菊花賞]]'''
|
|芝3000m(良)
|21
|5
|12
|{{0}}26.8{{0}}(8人)
|17着
|3:11.6
|
|{{0}}大塚栄三郎
|57
|ミスターシービー
|-
|{{0|0000.}}[[12月24日|12.24]]
|中山
|4歳上オープン
|
|芝1600m(良)
|14
|8
|13
|{{0}}14.7{{0}}(7人)
|10着
|1:35.1
|
|{{0}}大塚栄三郎
|56
|ロバリアアモン
|-
|[[1984年|1984]].{{0}}[[1月5日|1.{{0}}5]]
|中山
|[[金杯(東)]]
|
|芝2000m(良)
|16
|8
|16
|{{0}}13.3{{0}}(5人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|2:01.8
|
|{{0}}大塚栄三郎
|53
|(スピーデイタイガー)
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月19日|2.19]]
|東京
|[[目黒記念]]
|
|芝2500m(稍)
|10
|1
|1
|{{00}}9.3{{0}}(4人)
|{{0}}7着
|2:38.7
|
|{{0}}大塚栄三郎
|55
|ダイセキテイ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月11日|3.11]]
|中山
|[[中山記念]]
|
|芝1800m(良)
|11
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|4
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|1:50.4
|
|{{0}}大塚栄三郎
|56
|テュデナムキング
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月22日|4.22]]
|東京
|[[京王杯スプリングカップ|京王杯スプリングC]]
|
|芝1400m(良)
|22
|3
|6
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|1:23.9
|
|{{0}}大塚栄三郎
|56
|[[ハッピープログレス]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月13日|5.13]]
|東京
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|
|芝1600m(良)
|22
|6
|16
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|
|{{0}}大塚栄三郎
|57
|ハッピープログレス
|-
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|[[阪神競馬場|阪神]]
|[[宝塚記念]]
|
|芝2200m(良)
|15
|1
|1
|{{0}}34.8{{0}}(8人)
|14着
|2:14.7
|
|{{0}}大塚栄三郎
|56
|カツラギエース
|-
|{{0|0000.}}[[12月2日|12.{{0}}2]]
|中山
|[[ダービー卿チャレンジトロフィー|ダービー卿CT]]
|
|芝1600m(良)
|17
|8
|17
|{{0}}60.6(13人)
|17着
|1:35.9
|
|{{0}}大塚栄三郎
|58
|[[トウショウペガサス]]
|-
|[[1985年|1985]].{{0}}[[1月6日|1.{{0}}6]]
|中山
|金杯(東)
|
|芝2000m(良)
|16
|8
|16
|{{0}}62.6(12人)
|14着
|2:03.5
|
|{{0}}大塚栄三郎
|55
|[[スズパレード]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月3日|2.{{0}}3]]
|東京
|[[東京新聞杯]]
|OP
|芝1600m(良)
|16
|6
|12
|{{0}}54.8(10人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:35.4
|
|{{0}}大塚栄三郎
|58
|([[ダスゲニー]])
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月10日|3.10]]
|中山
|中山記念
|OP
|芝1800m(稍)
|11
|1
|1
|{{0}}13.6{{0}}(5人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|1:47.6
|
|{{0}}大塚栄三郎
|57
|トウショウペガサス
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月21日|4.21]]
|東京
|京王杯スプリングC
|OP
|芝1400m(稍)
|13
|4
|6
|{{00}}9.6{{0}}(2人)
|{{0}}9着
|1:24.7
|
|{{0}}大塚栄三郎
|57
|[[ニホンピロウイナー]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月12日|5.12]]
|東京
|安田記念
|OP
|芝1600m(良)
|17
|3
|6
|{{0}}38.0{{0}}(6人)
|15着
|1:37.2
|
|{{0}}大塚栄三郎
|57
|ニホンピロウイナー
|-
|{{0|0000.}}[[12月21日|12.21]]
|中山
|クリスマスS
|OP
|芝1600m(良)
|15
|2
|3
|{{0}}67.5(12人)
|{{0}}9着
|1:35.8
|
|{{0}}[[柴崎勇]]
|61
|アカネダイモン
|-
|[[1986年|1986]].{{0}}[[1月5日|1.{{0}}5]]
|中山
|金杯(東)
|{{GIII}}
|芝2000m(良)
|13
|7
|10
|{{0}}14.8{{0}}(7人)
|{{0}}8着
|2:02.9
|{{0|-}}1.3
|{{0}}柴崎勇
|56
|[[クシロキング]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[1月26日|1.26]]
|東京
|アレキサンドライトS
|OP
|ダ1400m(良)
|7
|3
|3
|{{0}}21.0{{0}}(7人)
|{{0}}6着
|1:26.2
|{{0|-}}0.8
|{{0}}柴崎勇
|61
|ロバリアアモン
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月30日|3.30]]
|中山
|[[日経賞]]
|{{GII}}
|芝2500m(重)
|12
|6
|7
|{{0}}41.4(10人)
|{{0}}8着
|2:36.7
|{{0|-}}1.5
|{{0}}大塚栄三郎
|57
|チェスナットバレー
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月20日|4.20]]
|東京
|京王杯スプリングC
|{{GII}}
|芝1400m(不)
|12
|4
|4
|{{0}}17.8{{0}}(9人)
|{{0}}8着
|1:25.7
|{{0|-}}2.0
|{{0}}大塚栄三郎
|57
|[[トーアファルコン]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月11日|5.11]]
|東京
|安田記念
|{{GI}}
|芝1600m(良)
|11
|5
|5
|{{0}}48.0{{0}}(9人)
|{{0}}4着
|1:36.7
|{{0|-}}1.2
|{{0}}大塚栄三郎
|57
|[[ギャロップダイナ]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[8月3日|8.{{0}}3]]
|函館
|巴賞
|OP
|芝1800m(良)
|5
|3
|3
|{{00}}8.1{{0}}(3人)
|{{0}}4着
|1:47.1
|{{0|-}}0.7
|{{0}}大塚栄三郎
|59
|[[ウインザーノット (競走馬)|ウインザーノット]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[8月17日|8.17]]
|函館
|[[函館記念]]
|{{GIII}}
|芝2000m(良)
|11
|7
|8
|{{0}}12.6{{0}}(6人)
|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}}
|1:59.2
|{{0|-}}0.6
|{{0}}大塚栄三郎
|56
|[[ニッポーテイオー]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[9月14日|9.14]]
|阪神
|[[朝日チャレンジカップ|朝日チャレンジC]]
|{{GIII}}
|芝2000m(良)
|7
|3
|3
|{{00}}5.6{{0}}(3人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:59.7
|{{0|-}}0.0
|{{0}}[[清水英次]]
|58
|([[ライフタテヤマ]])
|-
|{{0|0000.}}[[10月5日|10.{{0}}5]]
|京都
|[[京都大賞典]]
|{{GII}}
|芝2400m(良)
|7
|3
|3
|{{00}}5.7{{0}}(3人)
|{{0}}5着
|2:27.5
|{{0|-}}0.6
|{{0}}清水英次
|57
|[[スズカコバン]]
|-
|{{0|0000.}}[[10月26日|10.26]]
|東京
|'''[[天皇賞(秋)]]'''
|{{GI}}
|芝2000m(良)
|16
|6
|12
|{{0}}49.6(13人)
|{{0}}8着
|1:59.7
|{{0|-}}1.4
|{{0}}清水英次
|58
|[[サクラユタカオー]]
|-
|{{0|0000.}}[[11月16日|11.16]]
|[[福島競馬場|福島]]
|[[福島記念]]
|{{GIII}}
|芝2000m(稍)
|14
|3
|4
|{{00}}4.6{{0}}(3人)
|{{0}}5着
|2:03.3
|{{0|-}}0.4
|{{0}}[[坂井千明]]
|59
|[[ランニングフリー]]
|-
|{{0|0000.}}[[12月20日|12.20]]
|阪神
|[[セントウルステークス|セントウルS]]
|OP
|芝2200m(重)
|11
|5
|6
|{{00}}7.7{{0}}(5人)
|{{0}}7着
|2:16.6
|{{0|-}}1.0
|{{0}}清水英次
|60
|[[スピードヒーロー]]
|-
|[[1987年|1987]].{{0}}[[1月5日|1.{{0}}5]]
|京都
|[[金杯(西)]]
|{{GIII}}
|芝2000m(稍)
|15
|5
|9
|{{0}}12.9{{0}}(6人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|2:03.2
| -0.2
|{{0}}清水英次
|58.5
|(トウショウレオ)
|-
|{{0|0000.}}[[11月22日|11.22]]
|京都
|[[マイルチャンピオンシップ|マイルチャンピオンS]]
|{{GI}}
|芝1600m(良)
|13
|5
|8
|{{0}}88.2(11人)
|12着
|1:37.8
|{{0|-}}2.9
|{{0}}清水英次
|57
|ニッポーテイオー
|-
|{{0|0000.}}[[12月13日|12.13]]
|[[中京競馬場|中京]]
|[[愛知杯]]
|{{GIII}}
|芝2000m(良)
|15
|5
|9
|{{0}}22.6(10人)
|14着
|2:03.3
|{{0|-}}3.0
|{{0}}清水英次
|59
|ピーターホーラー
|}

* 表中の'''太字強調'''は、[[八大競走]]を表す。

== 評価 ==
新井は「なんといってもドウカンヤシマが一番思い出に残る馬ですよ<ref name="優駿-1992-3-64" />」ととしている。人気薄での重賞制覇が多かったことから、[[市丸博司]]は「重馬場専用というわけでもなく、軽ハンデでしか来ないわけでもなく、全く馬券の買いようがない<ref>『サラブレッド怪物伝説』186-187頁</ref>」。細川は「買ってもなかなか当たらないし、かといって買わなきゃ絶対当たらない。まるで宝クジみたいな馬でしたね{{ママ}}<ref name="優駿-1992-3-61" />」としている。


== 血統表 ==
== 血統表 ==
72行目: 834行目:
|mmmm = 青東 [[ファミリーナンバー|F-No.]][[5号族|5-l]]
|mmmm = 青東 [[ファミリーナンバー|F-No.]][[5号族|5-l]]
|}}
|}}
父タケシバオーも常識から外れたさまざまな記録を持ち、「怪物」と呼ばれた馬だった。母ドウカンミキは1勝馬。[[競走馬の血統#競走馬の血縁関係|半姉]]ドウカンスピンの仔に1986年の[[スプリンターズステークス]](当時GIII)優勝馬ドウカンテスコ。ほか祖母ナイガイスターの半妹キラクハートの子孫に、[[エプソムカップ]]優勝馬サマンサトウショウ、GI競走3勝の[[スイープトウショウ]]などがいる。
[[競走馬の血統#競走馬の血縁関係|半姉]]ドウカンスピンの仔に1986年の[[スプリンターズステークス]](GIII)優勝馬ドウカンテスコ。
ほか祖母ナイガイスターの半妹キラクハートの子孫に、[[エプソムカップ]]優勝馬サマンサトウショウ、GI競走3勝の[[スイープトウショウ]]などがいる。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

=== 注釈 ===
<references group="注釈" />

=== 出典 ===
{{Reflist}}
{{Reflist}}


80行目: 849行目:
*[[市丸博司]]『サラブレッド怪物伝説』 廣済堂文庫 p.186-187「ファンを裏切り続けて6年連続重賞勝利-ドウカンヤシマ」
*[[市丸博司]]『サラブレッド怪物伝説』 廣済堂文庫 p.186-187「ファンを裏切り続けて6年連続重賞勝利-ドウカンヤシマ」
*[[よしだみほ]]『私設現代名馬館』 [[ぶんか社]] p.221-226「勤続6年、毎年重賞勝利を続けた馬-ドウカンヤシマ」
*[[よしだみほ]]『私設現代名馬館』 [[ぶんか社]] p.221-226「勤続6年、毎年重賞勝利を続けた馬-ドウカンヤシマ」
*[[優駿]] 1988年2月号
*[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
**1988年2月号
***「【今月のトピックス】6年連続重賞制覇、"大珍記録"を残し、ドウカンヤシマ引退」
**1992年3月号
***横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 70】一年一度。六年連続重賞制覇 ドウカンヤシマ」


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2021年8月1日 (日) 06:16時点における版

ドウカンヤシマ
欧字表記 Dokan Yashima[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1980年3月24日[1]
死没 ?
タケシバオー[1]
ドウカンミキ[1]
母の父 パーソロン[1]
生国 日本の旗 日本北海道新冠町[1]
生産者 細川農場[1]
馬主 新井操
新井興業(株)[1]
調教師 田中朋次郎[2]美浦北
鹿戸明[1]栗東
厩務員 下川原[3]
競走成績
生涯成績 43戦8勝[1]
獲得賞金 2億5365万800円[1]
勝ち鞍
GIII 金杯(西) 1987年
GIII 朝日チャレンジカップ 1986年
GIII 東京新聞杯 1985年
GIII 金杯(東) 1984年
重賞 函館記念 1983年
重賞 京成杯3歳ステークス 1982年
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ドウカンヤシマ(欧字名:Dokan Yashima1980年3月24日 - ?)は、日本競走馬種牡馬[1]

6年連続重賞勝利という日本中央競馬会最多記録を樹立し、「忘れたころにやってくる[4]」「年に一度のドウカンヤシマ[4]」と形容された。また1984年の金杯(東)、1987年の金杯(西)を優勝しており、史上初めて金杯東西制覇を果たした。

経歴

デビューまで

ドウカンミキは、1969年に茨城県稲敷郡江戸崎町の栗山博牧場で生産された牝馬で、父はパーソロンであった。新井操が所有して競走馬としてデビューし、6戦1勝の成績を残した[5]。引退後は、仔分け方式で繁殖牝馬となった[6]。初仔は、北海道幕別町で生産しているが、それ以降は、北海道新冠町に移動している[7]

1979年の種付けにて、新井は小柄なドウカンミキを補うような体の大きな種牡馬を求め、相手にタケシバオーを選択[2]。1980年3月24日、新冠町の細川農場で鹿毛の牡の仔、ドウカンミキの6番仔(後のドウカンヤシマ)が誕生した[6]。仔は、小柄だったが、張りのある動きであった。尻の両側につむじを持つ馬で、素直な気性であった[2]。農場の細川功一は「(前略)当歳時から幅があり、ひょっとしたらという感じがありました。[2]」と農場時代を振り返っている。

新井は、太田道灌の末裔で、道灌から数えて16代目であった。太田道灌にちなみ「ドウカン」の冠名を使用しており、仔には、冠名に「ヤシマ」を組み合わせた「ドウカンヤシマ」という競走馬名が与えられた。美浦トレーニングセンター田中朋次郎厩舎に入厩する[2]

競走馬時代

2-3歳(1982-83年)

1982年9月4日、函館競馬場新馬戦(芝1000メートル)に1番人気の支持でデビュー。直線で抜け出し、後方に7馬身差をつけて初勝利となった[2]条件戦も制して連勝とし、府中3歳ステークスでは1番人気に推されながら4着と初めて敗戦した[2]

11月7日、京成杯3歳ステークスでは重賞優勝馬を抑えて1番人気に支持された。ハイペースの展開の中、好位に位置。直線で抜け出そうとするも、好位または後方から追い上げてきた3頭と横並びとなった。特に、内から伸びたデアリングパワーとは馬体を併せて決勝線を通過した。写真判定の結果、ドウカンヤシマの先着が認められ重賞初勝利となった[2]。騎乗した郷原洋行は「あの位置なら、直線もっと伸びなきゃいけない。勝ったけど納得しないよ[2]」と回顧している。それから朝日杯3歳ステークスに臨み、11着に敗れた。

1983年、2月13日の共同通信杯4歳ステークスで始動するも、13着敗退[3]。その後は、クラシック路線を歩む予定であったが、スプリングステークス発馬機で暴れて鼻出血を発症し、競走除外[3]出走停止処分を受け、皐月賞東京優駿(日本ダービー)への出走は叶わなかった[3]

出走停止明け3連敗の後、8月21日の函館記念大塚栄三郎が騎乗し、負担重量51キログラムで出走。皐月賞優勝のハワイアンイメージ桜花賞優勝のブロケードリーゼングロスら相手に逃げ、一時2番手に6馬身差をつけるなど独走した。直線に入っても先頭を保ち、追い上げてくる後方勢に2馬身半差をつけて先頭で入線、重賞2勝目を挙げた[3]。13頭立て11番人気の支持を受けており、単勝式2060円、枠番連勝5770円の高配当を記録した[3]。秋は、セントライト記念京都新聞杯と連続3着を記録し、菊花賞ではクラシック出走を果たしたが、悪い癖が出ていつもの力を発揮できず、17着に敗れた。年末には、オープン競走に出走するも10着に敗退した[3]

4-6歳(1984-86年)

1984年初めの金杯(東)で始動、菊花賞で見られた悪癖矯正を大塚と厩務員の下川原で取り組み、5番人気で出走した[3]。好位に位置し、直線で先行勢をかわすと、独走態勢となり、後方に3馬身差をつけて重賞3勝目となった。大塚は第3コーナーの時点で勝利を確信していた[3]。以後6戦したが、京王杯スプリングカップ2着が目立つほどで勝利を挙げることができなかった[3]

1985年も金杯(東)で始動、連覇を狙ったものの14着となり、4戦続けて二桁着順に敗退した。続いて東京新聞杯GIII)に、15頭中10番人気の支持で出走、負担重量はメンバー中最も大きかった。2番手に位置し、直線で内側から抜け出した。後方から迫ったダスゲニーを半馬身振り切り重賞4勝目となった[3]。大塚は「(前略)でも正直いってまさか勝てるとはねえ[3]」と述懐している。1969年にタケシバオーも制していることから、東京新聞杯父仔制覇を達成した[3]。単勝式は4050円、枠番連勝式は8350円の高配当となった[3]。その後、中山記念2着と好走するなど4戦したが、いずれも勝利することはできなかった。

1986年も同様に金杯(東)で始動したが8着敗退。以降春は4回出走するも安田記念4着が最高であった[3]。田中は苦戦する平地競走に見切りをつけようと、障害競走の練習を開始するほどであった[4]。夏は函館競馬場に身を置き、巴賞4着、函館記念3着となるなど、好走した[4]。その後は、勝利目指して比較的メンバーの揃わない関西に移籍し、栗東トレーニングセンター鹿戸明厩舎に転厩した[4]

転厩初戦、9月14日の朝日チャレンジカップGIII)に出走。逃げて後方から追い上げるライフタテヤマをクビ差退け、重賞5勝目を挙げた。美浦所属の大塚から、乗り替わった栗東所属の清水英次は、「(前略)なんとか粘り切ったが凄い馬だね[4]」と振り返っている。その後は関東の天皇賞(秋)や、福島競馬場福島記念に出走したが、いずれも勝利することはできなかった[4]

7歳(1987年)

1987年は、金杯(西)GIII)で始動、負担重量はメンバー中最も大きい58.5キログラムであり、6番人気であった。スタートから逃げて平均ペースを刻み、直線で後方からの追い上げなく、1馬身4分の1差で逃げ切り重賞6勝目となった[4]。3歳時の京成杯3歳ステークスから6年連続重賞勝利となり、それまでスピードシンボリが保持していた5年連続重賞勝利を上回る史上最長記録となった[4]。さらに、東西の金杯を両方勝利したことも史上初であった[4]。清水は「展開に恵まれたね。距離もぴったりだし、いい感じで逃げた時は馬自身も気持ちよさそうだ。勝つべくして勝った感じです[4]」と述懐している。その後は、球節の状態が好ましくないことから放牧に出された[4]。復帰は秋となり、マイルチャンピオンシップ愛知杯と連戦したが、馬体重の減少していたこともあり、どちらも二桁着順に敗れた[4]

馬体重を戻して、7年連続重賞勝利記録に挑戦させる計画もあったが、種牡馬としての期待もあったことから競走馬を引退[4]。1988年1月11日の京都競馬場にて、金杯(西)優勝時のゼッケン「9」を着用の上、清水が騎乗し引退式が行われた[8]

種牡馬時代

1988年1月、北海道新冠町高江の新冠町畜産センターで種牡馬となった[4]

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[9]およびJBISサーチ[10]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)

オッズ

(人気)

着順 タイム 着差 騎手 斤量

[kg]

1着馬(2着馬)
1982.09.04 函館 3歳新馬 芝1000m(良) 8 5 5 004.40(1人) 01着 -059.7 0郷原洋行 53 (ダイナアグリー)
0000.09.25 函館 コスモス賞 4下 芝1200m(良) 9 2 2 004.30(1人) 01着 1:10.9 0郷原洋行 53 (サンヤングシチー)
0000.10.23 東京 府中3歳S 芝1400m(良) 8 7 7 001.60(1人) 04着 1:25.5 0郷原洋行 54 デアリングパワー
0000.11.07 東京 京成杯3歳S 芝1400m(重) 9 4 4 005.50(1人) 01着 1:26.3 0郷原洋行 54 (デアリングパワー)
0000.12.12 中山 朝日杯3歳S 芝1600m(良) 15 4 7 010.50(3人) 11着 1:37.1 0郷原洋行 54 ニシノスキー
1983.02.13 東京 共同通信杯4歳S 芝1800m(良) 14 7 12 027.30(9人) 13着 1:52.1 0郷原洋行 56 ミスターシービー
0000.03.06 中山 弥生賞 芝1800m(良) 14 7 12 086.7(11人) 04着 1:50.6 0大塚栄三郎 55 ミスターシービー
0000.03.27 中山 スプリングS 芝1800m(不) 15 2 2 競走除外 0大塚栄三郎 56 タケノヒエン
0000.05.28 東京 NZT4歳S GIII 芝1600m(良) 15 8 15 016.30(7人) 05着 1:38.1 0大塚栄三郎 56 アップセッター
0000.07.03 札幌 札幌記念 ダ2000m(良) 16 5 10 049.7(10人) 12着 2:09.0 0大塚栄三郎 51 オーバーレインボー
0000.07.24 札幌 短距離S ダ1200m(良) 12 6 7 022.10(6人) 11着 1:14.0 0大塚栄三郎 53 ハワイアンイメージ
0000.08.21 函館 函館記念 芝2000m(不) 13 2 2 027.8(11人) 01着 2:04.5 0大塚栄三郎 51 ブロケード
0000.10.02 中山 セントライト記念 芝2200m(良) 12 2 2 008.90(5人) 03着 2:14.8 0大塚栄三郎 56 メジロハイネ
0000.10.23 京都 京都新聞杯 芝2000m(良) 16 7 13 025.20(5人) 03着 2:03.2 0大塚栄三郎 57 カツラギエース
0000.11.13 京都 菊花賞 芝3000m(良) 21 5 12 026.80(8人) 17着 3:11.6 0大塚栄三郎 57 ミスターシービー
0000.12.24 中山 4歳上オープン 芝1600m(良) 14 8 13 014.70(7人) 10着 1:35.1 0大塚栄三郎 56 ロバリアアモン
1984.01.05 中山 金杯(東) 芝2000m(良) 16 8 16 013.30(5人) 01着 2:01.8 0大塚栄三郎 53 (スピーデイタイガー)
0000.02.19 東京 目黒記念 芝2500m(稍) 10 1 1 009.30(4人) 07着 2:38.7 0大塚栄三郎 55 ダイセキテイ
0000.03.11 中山 中山記念 芝1800m(良) 11 4 4 019.90(6人) 08着 1:50.4 0大塚栄三郎 56 テュデナムキング
0000.04.22 東京 京王杯スプリングC 芝1400m(良) 22 3 6 022.90(6人) 02着 1:23.9 0大塚栄三郎 56 ハッピープログレス
0000.05.13 東京 安田記念 芝1600m(良) 22 6 16 013.30(6人) 10着 1:39.1 0大塚栄三郎 57 ハッピープログレス
0000.06.03 阪神 宝塚記念 芝2200m(良) 15 1 1 034.80(8人) 14着 2:14.7 0大塚栄三郎 56 カツラギエース
0000.12.02 中山 ダービー卿CT 芝1600m(良) 17 8 17 060.6(13人) 17着 1:35.9 0大塚栄三郎 58 トウショウペガサス
1985.01.06 中山 金杯(東) 芝2000m(良) 16 8 16 062.6(12人) 14着 2:03.5 0大塚栄三郎 55 スズパレード
0000.02.03 東京 東京新聞杯 OP 芝1600m(良) 16 6 12 054.8(10人) 01着 1:35.4 0大塚栄三郎 58 ダスゲニー
0000.03.10 中山 中山記念 OP 芝1800m(稍) 11 1 1 013.60(5人) 02着 1:47.6 0大塚栄三郎 57 トウショウペガサス
0000.04.21 東京 京王杯スプリングC OP 芝1400m(稍) 13 4 6 009.60(2人) 09着 1:24.7 0大塚栄三郎 57 ニホンピロウイナー
0000.05.12 東京 安田記念 OP 芝1600m(良) 17 3 6 038.00(6人) 15着 1:37.2 0大塚栄三郎 57 ニホンピロウイナー
0000.12.21 中山 クリスマスS OP 芝1600m(良) 15 2 3 067.5(12人) 09着 1:35.8 0柴崎勇 61 アカネダイモン
1986.01.05 中山 金杯(東) GIII 芝2000m(良) 13 7 10 014.80(7人) 08着 2:02.9 -1.3 0柴崎勇 56 クシロキング
0000.01.26 東京 アレキサンドライトS OP ダ1400m(良) 7 3 3 021.00(7人) 06着 1:26.2 -0.8 0柴崎勇 61 ロバリアアモン
0000.03.30 中山 日経賞 GII 芝2500m(重) 12 6 7 041.4(10人) 08着 2:36.7 -1.5 0大塚栄三郎 57 チェスナットバレー
0000.04.20 東京 京王杯スプリングC GII 芝1400m(不) 12 4 4 017.80(9人) 08着 1:25.7 -2.0 0大塚栄三郎 57 トーアファルコン
0000.05.11 東京 安田記念 GI 芝1600m(良) 11 5 5 048.00(9人) 04着 1:36.7 -1.2 0大塚栄三郎 57 ギャロップダイナ
0000.08.03 函館 巴賞 OP 芝1800m(良) 5 3 3 008.10(3人) 04着 1:47.1 -0.7 0大塚栄三郎 59 ウインザーノット
0000.08.17 函館 函館記念 GIII 芝2000m(良) 11 7 8 012.60(6人) 03着 1:59.2 -0.6 0大塚栄三郎 56 ニッポーテイオー
0000.09.14 阪神 朝日チャレンジC GIII 芝2000m(良) 7 3 3 005.60(3人) 01着 1:59.7 -0.0 0清水英次 58 ライフタテヤマ
0000.10.05 京都 京都大賞典 GII 芝2400m(良) 7 3 3 005.70(3人) 05着 2:27.5 -0.6 0清水英次 57 スズカコバン
0000.10.26 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(良) 16 6 12 049.6(13人) 08着 1:59.7 -1.4 0清水英次 58 サクラユタカオー
0000.11.16 福島 福島記念 GIII 芝2000m(稍) 14 3 4 004.60(3人) 05着 2:03.3 -0.4 0坂井千明 59 ランニングフリー
0000.12.20 阪神 セントウルS OP 芝2200m(重) 11 5 6 007.70(5人) 07着 2:16.6 -1.0 0清水英次 60 スピードヒーロー
1987.01.05 京都 金杯(西) GIII 芝2000m(稍) 15 5 9 012.90(6人) 01着 2:03.2 -0.2 0清水英次 58.5 (トウショウレオ)
0000.11.22 京都 マイルチャンピオンS GI 芝1600m(良) 13 5 8 088.2(11人) 12着 1:37.8 -2.9 0清水英次 57 ニッポーテイオー
0000.12.13 中京 愛知杯 GIII 芝2000m(良) 15 5 9 022.6(10人) 14着 2:03.3 -3.0 0清水英次 59 ピーターホーラー

評価

新井は「なんといってもドウカンヤシマが一番思い出に残る馬ですよ[4]」ととしている。人気薄での重賞制覇が多かったことから、市丸博司は「重馬場専用というわけでもなく、軽ハンデでしか来ないわけでもなく、全く馬券の買いようがない[11]」。細川は「買ってもなかなか当たらないし、かといって買わなきゃ絶対当たらない。まるで宝クジみたいな馬でしたね〔ママ[6]」としている。

血統表

ドウカンヤシマ血統ハイペリオン系 / プリメロ・Avena4×5=9.38% (血統表の出典)

タケシバオー 1965
鹿毛 日本
父の父
*チャイナロック
China Rock 1953
栃栗毛 イギリス
Rockefella Hyperion
Rockfel
May Wong Rustom Pasha
Wezzan
父の母
タカツナミ 1958
黒鹿毛 日本
ヤシママンナ *プリメロ
第参マンナ
*クニビキ Nice Day
Starlet

ドウカンミキ 1969
黒鹿毛 日本
*パーソロン
Partholon 1960
鹿毛 アイルランド
Milesian My Babu
Oatflake
Paleo Pharis
Calonice
母の母
ナイガイスター 1965
黒鹿毛 日本
*ガーサント
Guersant
Bubbles
Montagnana
トミユキ セントライト
青東 F-No.5-l

半姉ドウカンスピンの仔に1986年のスプリンターズステークス(GIII)優勝馬ドウカンテスコ。

ほか祖母ナイガイスターの半妹キラクハートの子孫に、エプソムカップ優勝馬サマンサトウショウ、GI競走3勝のスイープトウショウなどがいる。

脚注

注釈


出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o ドウカンヤシマ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年7月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 『優駿』1992年3月号 62頁
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『優駿』1992年3月号 63頁
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『優駿』1992年3月号 64頁
  5. ^ ドウカンミキ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年8月1日閲覧。
  6. ^ a b c 『優駿』1992年3月号 61頁
  7. ^ 繁殖牝馬情報:牝系情報|ドウカンミキ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年8月1日閲覧。
  8. ^ 『優駿』1988年2月号 89頁
  9. ^ ドウカンヤシマの競走成績”. netkeiba.com. 2021年8月1日閲覧。
  10. ^ 競走成績:ドウカンヤシマ”. www.jbis.or.jp. 2021年7月31日閲覧。
  11. ^ 『サラブレッド怪物伝説』186-187頁

参考文献

  • 市丸博司『サラブレッド怪物伝説』 廣済堂文庫 p.186-187「ファンを裏切り続けて6年連続重賞勝利-ドウカンヤシマ」
  • よしだみほ『私設現代名馬館』 ぶんか社 p.221-226「勤続6年、毎年重賞勝利を続けた馬-ドウカンヤシマ」
  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1988年2月号
      • 「【今月のトピックス】6年連続重賞制覇、"大珍記録"を残し、ドウカンヤシマ引退」
    • 1992年3月号
      • 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 70】一年一度。六年連続重賞制覇 ドウカンヤシマ」

外部リンク