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「キタノダイオー」の版間の差分

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'''キタノダイオー'''([[1965年]] - 不明)は[[日本]]の[[サラブレッド系種]](サラ系)の[[競走馬]]、[[種牡馬]]である。[[ケシバオー]]らと同期にあたる。血統は父ダイド、母は[[朝日杯フューチュリティステークス|朝日杯3歳ステークス]]の優勝馬[[キタノヒカリ]]、母の父は顕彰馬[[トサミドリ]]である。[[競走馬の血統|半姉]]に[[1963年]]の[[優駿牝馬|優駿牝馬(オークス)]]優勝馬アイテイオー(父ハロウェー)がいる
'''キタノダイオー'''(欧字名:{{Lang|en|Kitano Daio}}、[[1965年]][[4月6日]] - 不明)は[[日本]]の[[サラブレッド系種]](サラ系)の[[競走馬]]、[[種牡馬]]<ref name="jbis">{{Cite web|title=キダイ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000014837/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-06-22}}</ref>


競走馬として7戦7勝、1967年の[[函館3歳ステークス]]、[[北海道3歳ステークス]]を制した。11連勝の[[クリフジ]]、10連勝の[[トキノミノル]]に続く無敗の重賞優勝馬である<ref name=":0">『優駿』1988年4月号 39頁</ref>。
調教師は[[久保田金造]]、馬主は田中清司、[[主戦騎手]]は当時若手であった[[郷原洋行]]であった。


[[競走馬の血統|半姉]]に[[1963年]]の[[優駿牝馬|優駿牝馬(オークス)]]優勝馬[[アイテイオー]](父ハロウェー)がいる。
※<!-- 2000年生まれの同名馬もいるが -->本項では1965年産馬について説明する。また、[[馬齢]]は当時の表記(旧表記)に統一する。


== 歴 ==
== 歴 ==
3歳(旧表記)の早い時期にデビューすると、[[新馬]]戦を圧勝、続く[[函館2歳ステークス|函館3歳ステークス]]も新馬戦と同様の圧勝を収める。3戦目の[[札幌2歳ステークス|北海道3歳ステークス]]も圧勝し、一躍[[東京優駿|ダービー]]候補となる。当時郷原は「今まで騎乗した馬で最高の馬である」とキタノダイオーを高く評価した<ref>[[日本中央競馬会]]「[[優駿]]」1988年2月号より。</ref>。


=== デビューまで ===
しかしその後故障し、タケシバオー、[[アサカオー]]、[[マーチス]]、[[タニノハローモア]]等が活躍した[[クラシック (競馬)|クラシック]]路線は完全に棒に振ってしまった。
1926年にオーストラリアから日本に輸入された牝馬バウアーストックは、血統書の不備により、明確に[[サラブレッド]]と認められることなく[[サラブレッド系種]](サラ系)に分類された<ref name=":1">『優駿』1988年4月号 42頁</ref>。そこからサラブレッドの種牡馬である[[トウルヌソル]]を配合して生まれた牝馬、バウアーヌソルは繁殖牝馬としてアシガラヤマ<ref group="注釈">1950年の[[中山大障害]]など11勝。</ref>、[[キタノオー]]、[[キタノオーザ]]、[[キタノヒカリ]]などを生産した<ref name=":1" />。


牝馬のキタノヒカリは、1956年の[[朝日杯3歳ステークス]]を制するなど12戦3勝で繁殖牝馬となった<ref>{{Cite web|title=キタノヒカリ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000003379/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-06-22}}</ref>。ハロウェーが配合された2番仔の牝馬は、[[アイテイオー]]と名付けられ1963年の[[優駿牝馬]](オークス)を制した<ref>{{Cite web|title=アイテイオー|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000007960/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-06-22}}</ref>。その弟として、アイルランドから日本に輸入された種牡馬ダイハードを配合。1965年4月6日、[[北海道]][[新冠町]]のキタノ牧場で栗毛の牡馬(後のキタノダイオー)が誕生した<ref name=":1" />。
2年近い休養の後デビューの地函館で復帰すると、条件戦を3連勝し、再び休養を挟んだ6歳2月、東京での条件戦も勝利したが、これが最後の出走となり、重賞への復帰は叶わず7戦7勝の成績を残して引退した。


当時の規定では、サラ系はサラブレッドの種牡馬を8代にわたって交配することで、サラ系からサラブレッドへの昇格が認められていた<ref name=":1" />。しかしキタノダイオーは、サラ系から8代以内のため、サラ系に分類されて競走馬としてデビューした<ref name=":1" />。
[[1971年]]から種牡馬入りし、産駒がすべてサラ系になるというハンデを背負っていたものの、底を見せないまま競走生活を終えたことや、初年度産駒のハードラークが中央競馬の重賞を制したこともありなかなかの人気を集め、国内産種牡馬不遇の時代のおけるサラ系種牡馬としては健闘と言える結果であった。母の父としても[[京都4歳特別]]2着のテルノシンゲキを出したが、現存している子孫は少ない。


== 主な産駒 ==
=== 競走馬時代 ===
[[中山競馬場]]に厩舎を構える[[久保田金造]]調教師に預けられ、1967年7月23日、[[函館競馬場]]の新馬戦(芝1000メートル)で[[伊藤竹男]]が騎乗してデビュー。第3コーナーから先頭に立つと、後続に8馬身差を広げて優勝<ref name=":0" />。走破タイム59.6秒は、[[キーストン]]<ref group="注釈">翌1965年の[[東京優駿]](日本ダービー)勝ち馬である。</ref>が1964年に樹立したレコードを0.2秒上回った<ref name=":0" />。続く8月6日の[[函館3歳ステークス]]に出走し、好位から直線コースで抜け出すと、そこから後方に9馬身離して優勝<ref name=":0" />。1分10秒9で走破し、エービーシー<ref>{{Cite web|title=エービーシー|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000010745/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-06-22}}</ref>が1965年に樹立したレコードを2.1秒上回った<ref name=":0" />。騎乗した伊藤は「スタートはケタ違いで、過去の3歳馬の域を超えているよ<ref name=":0" />」と評した。

[[札幌競馬場]]に移り9月17日の[[北海道3歳ステークス]]に参戦、[[郷原洋行]]に乗り替わった。2連勝の独走ぶりからキタノダイオーの確勝ムードが高まり、5頭立てのレースとなった<ref name=":0" />。雨が降り、馬場状態が悪い中のスタートでは出遅れてしまい、後方から進んだ。最初の第3コーナーで、加速して先行馬をかわして逃げ馬に取り付いていた。最終コーナーで先頭に立つと後方に3馬身半離して入線し、3連勝とした<ref name=":0" />。直線ではムチが入れられることなく、楽勝だった<ref name=":2">『優駿』1988年4月号 40頁</ref>。郷原は直線で追ったなら2秒速く入線することができたと振り返った<ref name=":2" />。久保田も「最高傑作になる可能性を秘めていますね<ref name=":2" />」と評していた。

3連勝に「[[トキノミノル]]の再来<ref name=":0" />」「来年のダービー馬<ref name=":0" />」という声も上がった。しかし、10月15日の朝、中山競馬場での調教中に左前脚の[[種子骨]]を骨折。診療所での診断の結果前1年休養を強いられ、[[クラシック (競馬)|クラシック]]参戦不能となってしまった<ref name=":0" />。

3戦3勝で北海道でしか出走経験がなかったが、1967年末の中央競馬会フリーハンデ<ref group="注釈">中央競馬会所属のハンデキャッパーが作成した。</ref>では「57」が与えられ、[[朝日杯3歳ステークス]]優勝の[[タケシバオー]]、[[阪神3歳ステークス]]優勝の[[マーチス]]の「55」を大きく上回る評価であった<ref name=":3">『優駿』1988年4月号 41頁</ref>。


骨折を克服して2年後の1969年8月2日、函館競馬場の条件戦で復帰。若手の[[蛯名久]]に乗り替わって出走し、逃げて後方に6馬身離して勝利<ref name=":3" />。同じ函館の恵山特別でも5馬身逃げ切り、札幌競馬場の道新杯ではトップハンデを担ったが、アタマ差で勝ち、復帰後の北海道で再び3連勝、通算6連勝を果たした<ref name=":3" />。この結果に、陣営は[[天皇賞]]と[[有馬記念]]出走を強く希望していたが、左前脚の骨膜炎を発症し再び休養に入った<ref name=":3" />。

6歳となった1970年2月7日に再び復帰。初めて本州、[[東京競馬場]]の競走である銀嶺ステークス(700万円以下)に出走。1番人気に支持され、第3コーナーで先頭に立ち、後方に1馬身4分の3離して勝利し、無敗の7連勝を果たした<ref name=":3" />。しかし直後に[[骨膜炎]]が再発、「無敗」を強く意識する久保田はこの状態では勝利を積み重ねることができないと考えて、競走馬を引退した<ref name=":3" />。

=== 種牡馬時代 ===
[[1971年]]から生まれ故郷のキタノ牧場で[[種牡馬]]となった<ref name=":4">『優駿』1988年4月号 43頁</ref>。サラ系種牡馬のため、産駒がすべてサラ系になるというハンデに加え、輸入種牡馬を重視し、[[内国産馬|内国産種牡馬]]を軽視する生産者が多い傾向にあった。しかし、7戦7勝と大レースに参戦していないという未知の魅力を買われて人気を集め、ピークの1980年には74頭の繁殖牝馬と交配した<ref name=":4" />。1987年、種付けを行った繁殖牝馬10頭がいずれも受胎しなかったため、種牡馬を引退した<ref name=":1" />。同年秋には、左後ろ脚の[[フレグモーネ]]を発症し、患部が大きく腫れた。1988年4月1日発行の月刊誌『[[優駿]]』では、1988年1月時点で24歳のキタノダイオーが生存していることが確認することができる<ref name=":4" />。

== 馬名 ==
1965年生産の本馬のほかに「キタノダイオー」という馬は、2021年6月22日時点で2頭存在する<ref>{{Cite web|title=検索結果|馬情報検索|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/navi_search/?sid=horse&keyword=%2583L%2583%255E%2583m%2583_%2583C%2583I%2581%255B&x=0&y=0|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-06-22}}</ref>。2000年生産の二代目は、父[[エアダブリン]]、母父[[ラッキーソブリン]]という鹿毛の牡馬であり、金沢競馬場で22戦未勝利に終わっている<ref>{{Cite web|title=キタノダイオー|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000705888/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-06-22}}</ref>。また2012年生産の三代目は、父[[ブラックタイド]]、母父[[シンボリクリスエス]]という鹿毛の牡馬であり、[[ホッカイドウ競馬]]と[[岩手競馬]]で走り9戦未勝利に終わっている<ref>{{Cite web|title=キタノダイオー|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001155678/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-06-22}}</ref>。

== 競走成績 ==
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref>{{Cite web|title=キタノダイオーの競走成績 {{!}} 競走馬データ|url=https://db.netkeiba.com/horse/000a00b6df/|website=netkeiba.com|accessdate=2021-06-22|language=ja}}</ref>、JBISサーチ<ref>{{Cite web|title=競走成績:年度別累計成績/主な成績|キタノダイオー|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000014837/record/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-06-22}}</ref>の情報に基づく。
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== 種牡馬成績 ==

=== 主な産駒 ===
*ハードラーク([[愛知杯]]、[[福島大賞典]]2着、[[カブトヤマ記念]]3着)
*ハードラーク([[愛知杯]]、[[福島大賞典]]2着、[[カブトヤマ記念]]3着)
*サンケイダイヤ([[東京障害特別]](秋))
*サンケイダイヤ([[東京障害特別]](秋))
*ラッキーオーシャン(シクラメン賞、[[シンザン記念]]2着、[[京都新聞杯]]3着)
*ラッキーオーシャン(シクラメン賞、[[シンザン記念]]2着、[[京都新聞杯]]3着)
*キリセオリー([[クイーンステークス]]2着)
*キリセオリー([[クイーンステークス]]2着)
*トヨクラダイオー(北海道三冠([[北斗盃]]、[[王冠賞]]、[[北海優駿]])、[[栄冠賞]]、[[道営記念]]2着)
*トヨクラダイオー(北海道三冠[[北斗盃]]、[[王冠賞]]、[[北海優駿]]、[[栄冠賞]]、[[道営記念]]2着)


== 血統表 ==
== 血統表 ==
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== 関連項目 ==
* [[無敗馬一覧]]


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist}}
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== 関連項目 ==
== 参考文献 ==

* [[無敗馬一覧]]
* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
** 1988年4月号
*** 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 26】雑草の無敗馬 キタノダイオー」


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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2021年6月22日 (火) 13:55時点における版

キタノダイオー
品種 サラブレッド系種[1]
性別 [1]
毛色 栗毛[1]
生誕 1965年4月6日[1]
死没 不明(1988年1月以降)
ダイハード[1]
キタノヒカリ[1]
母の父 トサミドリ[1]
生国 日本の旗 日本北海道新冠町[1]
生産者 キタノ牧場[1]
馬主 田中清司[1]
調教師 久保田金造中山[2]
競走成績
生涯成績 7戦7勝[1]
獲得賞金 2080万0000円[1]
勝ち鞍
オープン 北海道3歳ステークス 1967年
オープン 函館3歳ステークス 1967年
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キタノダイオー(欧字名:Kitano Daio1965年4月6日 - 不明)は日本サラブレッド系種(サラ系)の競走馬種牡馬[1]

競走馬として7戦7勝、1967年の函館3歳ステークス北海道3歳ステークスを制した。11連勝のクリフジ、10連勝のトキノミノルに続く無敗の重賞優勝馬である[3]

半姉1963年優駿牝馬(オークス)優勝馬アイテイオー(父ハロウェー)がいる。

経歴

デビューまで

1926年にオーストラリアから日本に輸入された牝馬バウアーストックは、血統書の不備により、明確にサラブレッドと認められることなくサラブレッド系種(サラ系)に分類された[4]。そこからサラブレッドの種牡馬であるトウルヌソルを配合して生まれた牝馬、バウアーヌソルは繁殖牝馬としてアシガラヤマ[注釈 1]キタノオーキタノオーザキタノヒカリなどを生産した[4]

牝馬のキタノヒカリは、1956年の朝日杯3歳ステークスを制するなど12戦3勝で繁殖牝馬となった[5]。ハロウェーが配合された2番仔の牝馬は、アイテイオーと名付けられ1963年の優駿牝馬(オークス)を制した[6]。その弟として、アイルランドから日本に輸入された種牡馬ダイハードを配合。1965年4月6日、北海道新冠町のキタノ牧場で栗毛の牡馬(後のキタノダイオー)が誕生した[4]

当時の規定では、サラ系はサラブレッドの種牡馬を8代にわたって交配することで、サラ系からサラブレッドへの昇格が認められていた[4]。しかしキタノダイオーは、サラ系から8代以内のため、サラ系に分類されて競走馬としてデビューした[4]

競走馬時代

中山競馬場に厩舎を構える久保田金造調教師に預けられ、1967年7月23日、函館競馬場の新馬戦(芝1000メートル)で伊藤竹男が騎乗してデビュー。第3コーナーから先頭に立つと、後続に8馬身差を広げて優勝[3]。走破タイム59.6秒は、キーストン[注釈 2]が1964年に樹立したレコードを0.2秒上回った[3]。続く8月6日の函館3歳ステークスに出走し、好位から直線コースで抜け出すと、そこから後方に9馬身離して優勝[3]。1分10秒9で走破し、エービーシー[7]が1965年に樹立したレコードを2.1秒上回った[3]。騎乗した伊藤は「スタートはケタ違いで、過去の3歳馬の域を超えているよ[3]」と評した。

札幌競馬場に移り9月17日の北海道3歳ステークスに参戦、郷原洋行に乗り替わった。2連勝の独走ぶりからキタノダイオーの確勝ムードが高まり、5頭立てのレースとなった[3]。雨が降り、馬場状態が悪い中のスタートでは出遅れてしまい、後方から進んだ。最初の第3コーナーで、加速して先行馬をかわして逃げ馬に取り付いていた。最終コーナーで先頭に立つと後方に3馬身半離して入線し、3連勝とした[3]。直線ではムチが入れられることなく、楽勝だった[8]。郷原は直線で追ったなら2秒速く入線することができたと振り返った[8]。久保田も「最高傑作になる可能性を秘めていますね[8]」と評していた。

3連勝に「トキノミノルの再来[3]」「来年のダービー馬[3]」という声も上がった。しかし、10月15日の朝、中山競馬場での調教中に左前脚の種子骨を骨折。診療所での診断の結果前1年休養を強いられ、クラシック参戦不能となってしまった[3]

3戦3勝で北海道でしか出走経験がなかったが、1967年末の中央競馬会フリーハンデ[注釈 3]では「57」が与えられ、朝日杯3歳ステークス優勝のタケシバオー阪神3歳ステークス優勝のマーチスの「55」を大きく上回る評価であった[9]


骨折を克服して2年後の1969年8月2日、函館競馬場の条件戦で復帰。若手の蛯名久に乗り替わって出走し、逃げて後方に6馬身離して勝利[9]。同じ函館の恵山特別でも5馬身逃げ切り、札幌競馬場の道新杯ではトップハンデを担ったが、アタマ差で勝ち、復帰後の北海道で再び3連勝、通算6連勝を果たした[9]。この結果に、陣営は天皇賞有馬記念出走を強く希望していたが、左前脚の骨膜炎を発症し再び休養に入った[9]

6歳となった1970年2月7日に再び復帰。初めて本州、東京競馬場の競走である銀嶺ステークス(700万円以下)に出走。1番人気に支持され、第3コーナーで先頭に立ち、後方に1馬身4分の3離して勝利し、無敗の7連勝を果たした[9]。しかし直後に骨膜炎が再発、「無敗」を強く意識する久保田はこの状態では勝利を積み重ねることができないと考えて、競走馬を引退した[9]

種牡馬時代

1971年から生まれ故郷のキタノ牧場で種牡馬となった[10]。サラ系種牡馬のため、産駒がすべてサラ系になるというハンデに加え、輸入種牡馬を重視し、内国産種牡馬を軽視する生産者が多い傾向にあった。しかし、7戦7勝と大レースに参戦していないという未知の魅力を買われて人気を集め、ピークの1980年には74頭の繁殖牝馬と交配した[10]。1987年、種付けを行った繁殖牝馬10頭がいずれも受胎しなかったため、種牡馬を引退した[4]。同年秋には、左後ろ脚のフレグモーネを発症し、患部が大きく腫れた。1988年4月1日発行の月刊誌『優駿』では、1988年1月時点で24歳のキタノダイオーが生存していることが確認することができる[10]

馬名

1965年生産の本馬のほかに「キタノダイオー」という馬は、2021年6月22日時点で2頭存在する[11]。2000年生産の二代目は、父エアダブリン、母父ラッキーソブリンという鹿毛の牡馬であり、金沢競馬場で22戦未勝利に終わっている[12]。また2012年生産の三代目は、父ブラックタイド、母父シンボリクリスエスという鹿毛の牡馬であり、ホッカイドウ競馬岩手競馬で走り9戦未勝利に終わっている[13]

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[14]、JBISサーチ[15]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離

(馬場)

オッズ

(人気)

着順 タイム 騎手 斤量

[kg]

1着馬(2着馬)
1967.07.23 函館 3歳新馬 芝1000m(良) 7 4 4 002.1(1人) 01着 0-59.4 0伊藤竹男 53 (エゾノスガタ)
0000.08.06 函館 函館3歳S 芝1200m(良) 6 3 3 002.0(1人) 01着 1:10.9 0伊藤竹男 53 (コマカブト)
0000.09.17 札幌 北海道3歳S ダ1200m(不) 5 5 5 001.3(1人) 01着 1:11.7 0郷原洋行 51 (ダイヨンハマイサミ)
1969.08.02 函館 4歳上300下 芝1800m(良) 5 2 2 001.3(1人) 01着 1:53.6 0蛯名久 55 (ジョウトウヒカリ)
0000.08.17 函館 恵山特別 3下 芝1700m(良) 3 1 1 001.3(1人) 01着 1:49.5 0蛯名久 57 (スズプリンス)
0000.08.31 札幌 道新盃 6下 ダ1800m(重) 7 6 6 002.2(1人) 01着 1:51.6 0蛯名久 57 (ランドエース)
1970.02.07 東京 銀嶺S 7下 ダ1700m(良) 9 5 5 002.4(1人) 01着 1:44.4 0蛯名久 55 (ユウサブ)

種牡馬成績

主な産駒

血統表

キタノダイオー血統ネヴァーセイダイ系 / Swynford5×5=6.25%) (血統表の出典)

*ダイハード
Die Hard
1957 栃栗毛
父の父
Never Say Die
1951 栗毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Singing Grass War Admiral
Boreale
父の母
Mixed Blessing
1946 栗毛
Brumeux Teddy
La Brume
Pot-Pourri Rose Prince
Sweet Lavender

キタノヒカリ
1954 栗毛 (サラ系)
トサミドリ
1946 鹿毛
*プリメロ
Primero
Blandford
Athasi
*フリッパンシー
Flippancy
Flamboyant
Slip
母の母
バウアーヌソル
1938 鹿毛 (サラ系)
*トウルヌソル
Tournesol
Gainsborough
Soliste
*バウアーストック
Baverstock
Baverstock
Frivolity F-No.8-e


関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 1950年の中山大障害など11勝。
  2. ^ 翌1965年の東京優駿(日本ダービー)勝ち馬である。
  3. ^ 中央競馬会所属のハンデキャッパーが作成した。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m キタノダイオー|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年6月22日閲覧。
  2. ^ 優駿』1988年4月号 38頁
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『優駿』1988年4月号 39頁
  4. ^ a b c d e f 『優駿』1988年4月号 42頁
  5. ^ キタノヒカリ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年6月22日閲覧。
  6. ^ アイテイオー|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年6月22日閲覧。
  7. ^ エービーシー|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年6月22日閲覧。
  8. ^ a b c 『優駿』1988年4月号 40頁
  9. ^ a b c d e f 『優駿』1988年4月号 41頁
  10. ^ a b c 『優駿』1988年4月号 43頁
  11. ^ 検索結果|馬情報検索|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年6月22日閲覧。
  12. ^ キタノダイオー|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年6月22日閲覧。
  13. ^ キタノダイオー|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年6月22日閲覧。
  14. ^ キタノダイオーの競走成績 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2021年6月22日閲覧。
  15. ^ 競走成績:年度別累計成績/主な成績|キタノダイオー|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年6月22日閲覧。

参考文献

  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1988年4月号
      • 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 26】雑草の無敗馬 キタノダイオー」

外部リンク