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2006年8月26日 (土) 15:52時点における版
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(グレートブリテン および きたアイルランドれんごうおうこく)、通称イギリスまたは英国(えいこく)は、西ヨーロッパの北海に位置する国。イングランド (England)、 ウェールズ(Wales)、スコットランド (Scotland)、 北アイルランド(Northern Ireland)四つの地域からなる非独立国の集まり。単に連合王国 (United Kingdom UK) ともいう。
- グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国
- The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(英語)
An Rìoghachd Aonaichte na Breatainn Mhòr agus Eirinn mu Thuath(スコットランド・ゲール語)
Teyrnas Gyfunol Prydain Fawr a Gogledd Iwerddon(ウェールズ語)
Ríocht Aontaithe na Breataine Móire agus Tuaisceart na hÉireann(アイルランド語)
An Rywvaneth Unys a Vreten Veur hag Iwerdhon Glédh(コーンウォール語)
Unitit Kinrick o Great Breetain an Northren Ireland(スコットランド語) -
ファイル:Coat of arms of the United Kingdom.png (国旗) (国章) - 国の標語:Dieu et mon droit
(フランス語 : 神と私の権利) - 国歌:女王陛下万歳(God Save the Queen)
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公用語 英語 首都 ロンドン 最大の都市 ロンドン 建国 1801年グレートブリテンおよびアイルランド連合王国設立。1927年にグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国に名称変更。 通貨 UKポンド(GBP) 時間帯 UTC不明 (DST:+1 UTC) ISO 3166-1 不明 ccTLD UK(ISO 3166-1では.GB) 国際電話番号 44
概要
大航海時代を経て、世界屈指の海洋国家として成長。西欧列強のひとつとして世界に植民地を拡大し、公用語である英語は世界標準語としての地位を得て、世界に10億人といわれる英語人口とイギリス連邦諸国を中心にアメリカやカナダ、インドやオーストラリアなど広大な英語圏を形成している。第一次世界大戦以降の勢力均衡中心の時代にあっては名誉あるバランサーを標榜し、自国と自国の交易上、友好関係にある国々、地域、植民地の経済と安全保障の安定化に向けた世界戦略を展開した。国家体制は国王を国家元首とし、議院内閣制に基づく立憲君主制である。
国名
正式名称は、The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(英語: ザ・ユナイテッド・キングダム・オブ・グレート・ブリテン・アンド・ノーザン・アイルランド)。通称は、United Kingdom。略称は、UK。
日本語の表記は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国。かつては、「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」と表記されることが多かったが(日本国との平和条約における日本語正文などを参照)、現在ではあまり見かけなくなった。通称は、イギリスや英国(えいこく)が一般的。他に連合王国やUKとも呼ばれる。漢字による当て字で、英吉利と表記され、英と略される。
幕末における江戸幕府との交渉の際には猊利太尼亜(ぶりたにあ)、諳尼利亜(あんぐりあ)と呼称されていた。その後イングランドを表すオランダ語のEngelsch(エンゲルス)またはポルトガル語のInglês(イングレス)が訛り、「エゲレス」または「イギリス」という読みと「英吉利」という当字が用いられるようになった。
この点を知らずにもしくは無視して「イギリス」「英国」という言葉を用いると、不必要な摩擦を惹起することもある。日本の外務省は一時期「連合王国」という名称を使っていたが一般には定着せず、代わって「英国」を主に使うようになってきている。また在日英国大使館は「英国」を用いている。
「連合王国」の構成は少しややこしい。 「グレートブリテン」はイングランドのほかに、スコットランド、ウェールズを含み、 「ユナイテッド・キングダム」はこれにさらに北アイルランドが加わるのである。
なお、英語話者も"U.K."や"Great Britain"を指して"England"と呼ぶことが(特に口語で)よくあるが、「政治的に正しくない」として公式な場では控えられる傾向にある。連合王国全体を指して"Great Britain"と呼ぶことも、それの本来の意に含まれない北アイルランドのユニオニストから批判されることがあるが、連合王国政府は連合王国全体を指す語として"The United Kingdom"の代わりに"Great Britain"を使うことがある。またスコットランド人やウェールズ人には、民族的アイデンティティを無視した単語として"British"と呼ばれることを嫌う人もいる(もちろん彼らを"English"と呼ぶのはタブーである)。国全体、個々の地域、またそこに暮らす人々をどう呼ぶべきかという問題は、個々人の政治的価値観や歴史観を含むため複雑であり、個々人やマスコミによって様々な見解がある。BBCがスコットランド人やウェールズ人を"British"という単語で表さない原則を表明した直後、Timesは社説でBBCの決定を批判し、その後も"British"という単語をスコットランド人やウェールズ人に対して用いている。
歴史
1066年にウィリアム征服王(William the Conqueror)がイングランドを制圧し、大陸の進んだ封建制を導入し、王国の体制を整えていった。人口、経済力に勝るイングランドがウェールズ、スコットランドを圧倒していった。
1282年にウェールズ地方にもイングランドの州制度がしかれ、1536年には正式に併合した。1707年のスコットランド合併法(1707年連合法)により、イングランドとスコットランドは合併しグレートブリテン王国となった。さらに1801年のアイルランド合併法(1800年連合法)によりグレートブリテン王国はアイルランド王国を併合し、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国となった。1922年に北部6州(北アイルランド;アルスター9州の中の6州)を除く26州が、アイルランド自由国として独立した。1927年に現在の名称であるグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国へと改名した。
イギリスは世界に先駆けて産業革命を達成し、19世紀始めのナポレオン戦争後は七つの海の覇権を握って世界中を侵略し、カナダからオーストラリア、インドや香港に広がる広大な植民地を経営するイギリス帝国を建設した。しかしイギリスの世界覇権は第一次世界大戦までで、その後はアメリカが強大国として抬頭する。
第二次世界大戦直後、労働党のクレメント・アトリー政権が「ゆりかごから墓場まで」をスローガンにいち早く福祉国家を作り上げたが、階級社会の伝統が根強いこともあって経済の停滞を招き、1960年代以降は「イギリス病」とまで呼ばれる不景気に苦しんだ。
1980年代にマーガレット・サッチャー首相が経済再建のために急進的な構造改革(民営化・行政改革・規制緩和)を実施し、大量の失業者を出した。地方経済は不振を極めたが、ロンドンを中心に金融産業などが成長した。1990年代、政権は保守党から労働党のトニー・ブレアに交代し、英国は市場化一辺倒の政策を修正した第三の道路線に進むことになった。このころから英国は久しぶりの好況に沸き、老大国のイメージを払拭すべくクール・ブリタニアと言われるイメージ戦略、文化政策に力が入れられるようになった。
政治
政治体制は立憲君主制をとっているが、一つに成典化された憲法典はなく、いくつかの制定法(議会制定法だけでなく「大憲章(マグナ・カルタ)」のような国王と貴族の契約も含む)、判例および慣習法(憲法的習律と呼ばれる)が憲法を成り立たせている。(詳細はイギリスの憲法を参照)
イギリスの議会は、上院(貴族院)と下院(庶民院)の二院制である。行政の長である首相は、通常下院の第1党党首を国王が任命する(議院内閣制)。現在の首相は労働党のトニー・ブレアである。下院は単純小選挙区制による直接選挙で選ばれるが、上院はその正式名称の通り貴族が議員となっているので直接選挙は無い。従来右派の保守党と左派の労働党による二大政党制と言われて来たが、近年では第三勢力の自由民主党(旧自由党の継承政党)の勢力も拡大している。
1996年に北アイルランドに、1999年にはスコットランドとウェールズに議会が設置され、自治が始まった。
地方行政区分
連合王国の地方行政制度は次の各国・地方によって異なっている。
注:正式にはマン島・チャネル諸島はUKではなく王室保護領である。
地理
イギリスの国土はグレートブリテン島と、アイルランド海をへだてたアイルランド島の北部(北アイルランド)、およびその周辺のいくつかの島からなる。
グレート・ブリテン島は中部から南部を占めるイングランド、西部のウェールズ、北部のスコットランドに大別される。
イングランドの大部分は岩の多い低地からなり、西から東へと順に並べると、北西の山がちな地域(湖沼地帯のカンブリア山脈)、北部(ペニンネスの湿地帯、ピーク・ディストリクトの石灰岩の丘陵地帯。パーベック島、コッツウォルズ、リンカーンシャーの石灰岩質の丘陵地帯)から南イングランドの泥炭質のノース・ダウンズ、サウス・ダウンズ、チルターンにいたる。イングランドを流れる主な河川は、テムズ川、サヴァーン川、トレント川、ウーズ川である。主な都市はロンドン、バーミンガム、ヨーク、ニューカッスル・アポン・タインなど。イングランド南部のドーヴァーには、ユーロトンネルがあり、対岸のフランスと連絡する。イングランドには標高 1000m を超える地点はない。
ウェールズは山がちで、最高峰は標高 1,085m のスノードン山である。本土の北にアングルシー島がある。ウェールズの首都また最大の都市はカーディフで、南ウェールズに位置する。
スコットランドは地理的に多様で、南部および東部は比較的標高が低く、ベン・ネヴィスを含む北部および西部は標高が高い。ベン・ネヴィスはイギリスの最高地点で標高 1343 m である。スコットランドには数多くの半島、湾、ロッホと呼ばれる湖があり、グレートブリテン島最大の淡水湖であるネス湖もスコットランドに位置する。スコットランドの西部また北部の海域には、ヘブリディーズ諸島、オークニー諸島、シェットランド諸島を含む大小さまざまな島が位置する。スコットランドの主要都市は首都エディンバラ、グラスゴー、アバディーンである。
北アイルランドは、アイルランド島の北東部を占め、ほとんどは丘陵地である。主要都市はベルファストとデリーである。
現在イギリスは大小あわせて 1098 ほどの小さい島からなる。ほとんどは自然の島だが、いくつかはクランノグといわれる、過去の時代に石と木を骨組みに作られ、しだいに廃棄物で大きくなっていった人工の島がある。
代表的な都市
経済
18世紀の産業革命以降、近代において世界経済をリードする工業国で、造船や航空機製造などの重工業から金融業やエンターテイメント産業に至るまで、様々な産業が盛んである。しかしながら、19世紀後半からはアメリカ合衆国、ドイツの工業化により世界的優位は失われた。
第二次世界大戦によって国内が荒廃すると国力は衰え始め、各地の植民地をほとんど独立させた1960年代後半には経済力はいっそう衰退した。一方で政権を握った左派の労働党は「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる公共福祉の改善に力を入れ、国家予算を大胆に福祉に投入したため、1970年代には世界有数の福祉国家になった。しかし、景気回復になんら実用的な手立てを打たなかったために、継続的な不況に陥り、企業の倒産やストが相次いだ。その様は英国病とまで呼ばれる始末であった。
しかしながら、1979年に登場したサッチャー政権下で国営企業の民営化や各種規制の緩和が進められ、1980年代後半には海外からの直接投資や証券投資が拡大した。この過程で基幹産業の一つである自動車産業の殆どが外国企業の傘下に下ったが、この事が象徴するような外国からの投資の拡大を、積極的に自国の産業の活性化や雇用の増大に繋げて行き、その後の経済復調のきっかけにして行った(ウィンブルドン効果)。
その後、1997年に登場したブレア政権における経済政策の成功などにより経済は復調し、今や先進諸国では数少ない好景気を享受するようになったが、その反面、貧富の差の拡大や不動産価格の上昇などの問題が噴出してきている。
イギリスの鉱業は産業革命を支えた石炭が著名である。2002年時点においても3193万トンを採掘しているものの、ほぼ同量の石炭を輸入している。北海油田に隣接するため原油の採掘量は1億1000万トンに及び、これは世界シェアの3.2%に達する。最も重要なエネルギー資源は天然ガスであり、世界シェアの4.3%(第4位)を占める。有機鉱物以外では、世界第8位となるカリ塩 (KCl)、同10位となる塩 (Nacl)がある。金属鉱物には恵まれていない。最大の鉛鉱でも1000トンである。
代表的な企業
シティ
首都ロンドンのシティは、地元イギリスをはじめ世界各国の金融機関のオフィスが数多くあり、ヨーロッパの金融取引の中心的存在である。
通貨
EU加盟国であるが、通貨はユーロではなく、UKポンド(GBP)が使用されている。イングランド銀行が連合王国の中央銀行であるが、スコットランドと北アイルランドでは地元の商業銀行も独自の紙幣を発行している。イングランド銀行の紙幣は連合王国内で共通に通用する。また、スコットランドの紙幣もスコットランド外で使用可能だが、北アイルランド紙幣は北アイルランド以外では通用せず、換金も不可能である。紙幣には、エリザベス女王が刷られている。
国民
「イギリス民族」という民族は存在しない。主な民族は朝鮮半島が起源といわれるイングランドを中心に居住するゲルマン民族系のアングロ・サクソン人、ケルト系のスコットランド人、アイルランド人、ウェールズ人だが、旧植民地出身のインド系、アフリカ系、アラブ系や華僑なども多く住む多民族国家である。
事実上の公用語は英語でありもっとも広く使用されているが、ウェールズの一部でウェールズ語、スコットランドの一部でスコットランドのゲール語とスコットランド語が話される。
ウェールズではウェールズ語が第一公用語であり、公文書はウェールズ語と英語とで併記される
イギリスの国籍法では、旧植民地関連の者も含め、自国民を次の六つの区分に分けている。
- GBR:British Citizen - イギリス市民
- 本国人
- GBD:British Dependent Territories Citizen - イギリス - 属領市民
- 植民地出身者
- GBN:British National (Overseas) - イギリス国民(海外) ※BNOとも書く。
- GBO:British Overseas Citizen - イギリス海外市民
- ギリシャ西岸の諸島・インド・パキスタンなどの旧植民地出身者のうち特殊な歴史的経緯のある者
- GBP:British Protected Person - イギリス保護民
- GBS:British Subject - イギリス臣民
- アイルランド(北部以外)・ジブラルタルなどGBDやGBOとは別の経緯のある地域の住民で一定要件に該当する者
いずれの身分に属するかによって、国内での様々な取扱いで差異を生ずることがあるほか、パスポートにその区分が明示されるため、海外渡航の際も相手国により取扱いが異なることがある。(例:日本に入国する場合、GBRとGBNは短期訪問目的なら査証(ビザ)不要となるが、残りの四つは数日の観光訪日であってもビザが必要となる。)
文化
文学
その他、イギリス文学
音楽
- 作曲家
- 指揮者
- 演奏家
- オーケストラ
1960年代から世界をリードするアーティストを生み出している。1980年代以降アメリカ合衆国が優勢だったが、最近は盛り返している。
コメディ
イギリス人はユーモアのセンスが高いと言われている。また、コメディアンの多くは高学歴である。
交通
鉄道
近代鉄道の発祥の地であり国内には鉄道網が張り巡らされているが、1960年代以降は設備の老朽化のために事故が多発し、また、運行の遅延が常習化するなど問題が多発している。ロンドンなどの都市には地下鉄網が整備されている。
ロンドンのウォータールー駅からはヨーロッパ大陸との間を結ぶユーロスターが運行され、パリやブリュッセル、リールなどのヨーロッパ内の主要都市との間を結んでいるほか、同駅は有名なオリエントエクスプレス(「ベニス・シンプロン・オリエント急行(VSOE)」)の基点でもある。
海運
周囲を海に囲まれている上、世界中に植民地を持っていたことから古くからの海運立国であり、P&Oやキュナードなど多くの海運会社がある。また、歴史上有名なタイタニックやクイーン・エリザベス2世、クイーン・メリー2世号などの著名な客船を運航している。
航空
民間航空が古くから発達し、特に国際線の拡張は世界に広がる植民地間をつなぐために重要視されてきた。現在は、英国海外航空の流れを汲むブリティッシュ・エアウェイズやヴァージン・アトランティック航空、bmiやイージージェットなどの航空会社がある。日本との間には、ブリティッシュ・エアウェイズとヴァージンアトランティック航空、日本航空と全日空がロンドンと成田空港、関西国際空港の間に直行便を運航している。
観光スポット
世界遺産
イギリス国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が21件、自然遺産が5件ある。詳細は、イギリスの世界遺産を参照。
国花
スポーツ
- イギリスはサッカー、ラグビー、クリケット、ゴルフが発祥した地であり、国技としても定着している。
- この内団体球技(サッカー、ラグビー、クリケット)は発祥地域の伝統的な配慮から国際競技団体ではイギリス単体ではなく、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド(ラグビーに関してはアイルランドにまとめている)の4地域それぞれの加盟を認めているが、サッカーが公式なプログラムとして行われている近代オリンピックでは単一国家としての出場が大原則であるため、長年出場してない。しかし2012年の開催が内定したロンドン五輪では4協会が一体となった統一イギリス代表としてエントリーすることも検討し始めているという。
- モータースポーツ発祥の地としても知られており、フォーミュラ1で多数のチャンピオンドライバーを生み出している他、マクラーレンやウィリアムズなどの名門レーシングチームの本拠地がある。イベントにも歴史があり、シルバーストンサーキットで行われるF1イギリスグランプリは、世界で初めて行われたGPであり、世界ラリー選手権の一戦として組み込まれているラリー・グレートブリテンも同シリーズの中でもっとも古いイベントの一つである。
- さらに近代競馬発祥の地でもあり、スポーツとしては観客ベースでサッカーに次ぐ2位の人気を誇り、2004年にはサッカーの900万人弱には及ばないものの、ユニオンラグビーの2倍、クリケットの3倍にあたる約600万の観客を集めた。王室開催のロイヤルアスコットレースミーティングや障害のチェルトナム・フェスティバルは20万人以上の観衆を集め、殆ど全てのスポーツがギャンブルの対象となる同国に置いても、売り上げは他のスポーツを大幅に上回っている。また馬術も盛んであり、馬術のバドミントンは3日間で15万人以上の観客動員数がある。