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「ノート:ジェンダーフリー/過去ログ2」の版間の差分

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:::ディズニースピリットさんが、2006年8月19日 (土) 13:09 (UTC) で問題にしていた論点は「ジェンダーフリーが誤訳・誤用であるか」です。「ジェンダーフリーという用語の普及度」「多義性ゆえの説明の困難さが認められるか」ではなかったはずです。一方的に論点をすりかえて 2006年8月19日 (土) 13:56 (UTC) への反論を装うのはやめてください。
:::ディズニースピリットさんが、2006年8月19日 (土) 13:09 (UTC) で問題にしていた論点は「ジェンダーフリーが誤訳・誤用であるか」です。「ジェンダーフリーという用語の普及度」「多義性ゆえの説明の困難さが認められるか」ではなかったはずです。一方的に論点をすりかえて 2006年8月19日 (土) 13:56 (UTC) への反論を装うのはやめてください。

::::山口氏は『誤読』による『誤用』と表現しておりました。『誤訳』ではありませんでした。お詫びして訂正いたします。山口氏は「ジェンダー」を「社会的文化的性差」と訳すことを『誤訳』だとおっしゃっています。それと混同いたしました。申し訳ありません。--[[利用者:ディズニースピリット|ディズニースピリット]] 2006年8月20日 (日) 01:55 (UTC)


:::以下は、2006年8月19日 (土) 14:40 (UTC) へのコメントです。
:::以下は、2006年8月19日 (土) 14:40 (UTC) へのコメントです。
:::1 「普通に道を歩いている人」が「正確な意味を説明」できるかどうかで普及の度合いを論ずるなら、大抵の概念は普及していないという結論になりそうです。例えば、国家、政府はどう考えても普及している概念ですが、それらの正確な意味を説明できる人が多くないとしたら、その概念は普及していないことになるのでしょうか? そんなわけはないですよね。
:::1 「普通に道を歩いている人」が「正確な意味を説明」できるかどうかで普及の度合いを論ずるなら、大抵の概念は普及していないという結論になりそうです。例えば、国家、政府はどう考えても普及している概念ですが、それらの正確な意味を説明できる人が多くないとしたら、その概念は普及していないことになるのでしょうか? そんなわけはないですよね。

::::広辞苑によると、『普及』とは「広く一般に行きわたること」とあります。--[[利用者:ディズニースピリット|ディズニースピリット]] 2006年8月20日 (日) 01:55 (UTC)

:::2 また、「専門家の間ですら議論がある」ならば、普及していない、学術用語(広辞苑には「学術研究上の専門用語。テクニカル-ターム。術語。」とあります)でない、という考えも不可解です。例えば、良く知られている上に学術用語であることも明らかな民主主義の意義について「専門家の間ですら議論があ」ります。議論がある民主主義は、知られていなかったり、学術用語でなかったりすることになるのでしょうか? また、日本で生み出された学術的理論があり、その中で使われる用語があったとして、それが国際的に知られていなければ、学術用語でないとは言えないでしょう。
:::2 また、「専門家の間ですら議論がある」ならば、普及していない、学術用語(広辞苑には「学術研究上の専門用語。テクニカル-ターム。術語。」とあります)でない、という考えも不可解です。例えば、良く知られている上に学術用語であることも明らかな民主主義の意義について「専門家の間ですら議論があ」ります。議論がある民主主義は、知られていなかったり、学術用語でなかったりすることになるのでしょうか? また、日本で生み出された学術的理論があり、その中で使われる用語があったとして、それが国際的に知られていなければ、学術用語でないとは言えないでしょう。
:::  そもそも、ディズニースピリットさん自身「しかし、説明せよと言われたら、「どの学者の定義で説明すればよいのですか?」と聞かなければなりません。」としています。「学者」とは、学術研究に従事する者を意味します。そうだとすれば、ジェンダーフリーは当然学術用語であることになります。学者の肩書きを持つ者が、学術研究の名に値しない議論しかしていないという評価をすることや、ジェンダーフリーの学術的意義が低いと論ずることは当然可能ですが、学者が論じてしまっているならば、それを批判の対象として引いて論ずる(まともな)学者の俎上にのってしまう以上、ジェンダーフリーは学術用語であるとディズニースピリットさん自らが認めてしまっていることになります。
:::  そもそも、ディズニースピリットさん自身「しかし、説明せよと言われたら、「どの学者の定義で説明すればよいのですか?」と聞かなければなりません。」としています。「学者」とは、学術研究に従事する者を意味します。そうだとすれば、ジェンダーフリーは当然学術用語であることになります。学者の肩書きを持つ者が、学術研究の名に値しない議論しかしていないという評価をすることや、ジェンダーフリーの学術的意義が低いと論ずることは当然可能ですが、学者が論じてしまっているならば、それを批判の対象として引いて論ずる(まともな)学者の俎上にのってしまう以上、ジェンダーフリーは学術用語であるとディズニースピリットさん自らが認めてしまっていることになります。

::::確かに広辞苑には「学術研究用の専門用語」とあります。しかしながら、「学者が論じたら学術用語」ではないと思います。wikiの項目に「[[学術用語]]」の定義がありますので、一度、ご確認いただけないでしょうか?ちなみにフェミニストの上野氏は「学術用語ではない」という見解です。--[[利用者:ディズニースピリット|ディズニースピリット]] 2006年8月20日 (日) 01:55 (UTC)

:::3 それから、自治体が使用しないようわざわざ通達を出していることは、むしろある程度普及していることを示す事実のようにも思えるのですが。少なくとも、そのことから普及していないという結論を論理的に導くことは無理です。政府が使っているかどうかを基準にするのも不可解です。政府が使っていなくても、普及しているという可能性は明らかにありうるからです。ディズニースピリットさんの議論は、結論ありきで根拠をこじつけている感が否めないです。[[利用者:Loxfongmard|Loxfongmard]] 2006年8月19日 (土) 16:19 (UTC)
:::3 それから、自治体が使用しないようわざわざ通達を出していることは、むしろある程度普及していることを示す事実のようにも思えるのですが。少なくとも、そのことから普及していないという結論を論理的に導くことは無理です。政府が使っているかどうかを基準にするのも不可解です。政府が使っていなくても、普及しているという可能性は明らかにありうるからです。ディズニースピリットさんの議論は、結論ありきで根拠をこじつけている感が否めないです。[[利用者:Loxfongmard|Loxfongmard]] 2006年8月19日 (土) 16:19 (UTC)

::::繰り返しになりますが、広辞苑によると、『普及』とは「広く一般に行きわたること」とあります。--[[利用者:ディズニースピリット|ディズニースピリット]] 2006年8月20日 (日) 01:55 (UTC)

「ジェンダーフリーが学術用語とは言えない」という一例を挙げますが、「バックラッシュ!」という著作の中でフェミニストの上野千鶴子氏は「ジェンダーフリーは和製英語だが、ジェンダーは学術用語である」との主旨の発言をしています(379p)。文章の内容から上野氏が「ジェンダーフリー」を学術用語だと認めていないことは明らかです。私も同意見です。定義が定まっていない用語を、あたかも定まっているかのようにTOPで定義してみせるのは、間違った情報を流布することになると考えます。--[[利用者:ディズニースピリット|ディズニースピリット]] 2006年8月20日 (日) 00:33 (UTC)

2006年8月20日 (日) 01:55時点における版



中立的な観点

中立的な観点からみて疑問が多い記述なので、+NPOVしました。 容易に修正できるところは、以下の通り、いくつか修正しました。

■(冒頭の定義)…考え方であり、事実上日本【でしか】使われない用語となっている。

 1 定義と、当該用語に対する否定的位置づけを一文とする記述は中立的ではない。

 2 例:日本語は、もっぱら日本【でしか】使われない/日本語は、もっぱら日本【でのみ】使われている …前者は中立的記述ではない。

 3 和製英語は、当然に日本でしか用いられないことを含意するから、定義に続けて和製英語であると紹介すれば、中立性を保ったまま用語の使用状況を示せる。なぜ現在のようなことさらに恣意的な記載になっているのか、相当に疑問。

 4 そもそも、ジェンダーフリー(gender-free)という英語があり、意味が違うと説明されている。その箇所の説明が正当なら、(ジェンダーフリーが学術用語であり、一般的な用語でない以上、英語圏で知られた意味に従わなければ、間違った用法であるということにはならず、規定の違いは研究者の裁量の違いの問題であることになるため)和製英語とは言えないことになる。

 (以上の点は、あくまで中立的な観点から見て不備がある(1~3)、和製英語というみなしは論理的には成り立たない(4)という指摘です。ジェンダーフリーという用語(法)の妥当性を問題にしているのではありません。)

■社会的文化的性差である【(とされる)】

 (とされる)と()つきの受動態で補足すると、普通の読者は「とされ(た)」上に()内のように疑問を呈することが妥当だという考えに誘導される。

■欧米における「ジェンダー・バイアス・フリー」に相当する。【この表現の方が】性に関する社会的・文化的偏見を除去する姿勢が【より明白である】。

 Wikipediaは特定の立場からする論評の場ではない。

■・(冒頭付近)「社会的文化的性差である(とされる)ジェンダーにとらわれず、個々人それぞれが自分らしく個人としての資質に基づいて果たすべき役割を自己決定出来るようにしようという考え方、運動である」と【推進側は捉える】  ・ジェンダーフリーを批判する一派にカルト宗教が係わっていることで【問題はかえって複雑化】しており、批判側にカルトが係わっていることを【喧伝する】ことで、ジェンダーフリーという【和製思想】を守ろうという言動が【ジェンダフリー保守派】に多く観察される。

 定義に続く立場の紹介の段階で、直ちに「推進側は捉える」という紹介の仕方をすることは、中立性に反する(見解の紹介自体に、反対の立場の存在を連想させるような形式を含めることは見解の紹介の仕方として不適当)。また、【推進側】は、この項目を調べる人、つまり、この項目についてあまりなじみのない人にとって、思想を普及するごく狭い主体を暗示する表現である(自分になじみのないものが、多くの人によって主張されていると連想する人はまずいない)。そこで、無難な【推進側】→賛同派に変更した。対立側が「批判派」となっていることからも妥当な変更である。「推進側」と規定するなら、批判派は【阻止派】とでもすべきだ。【推進派←→阻止派】という対置を踏まえ、改めて修正前の【推進派←→批判派】を見ると、偏った規定であることが明白である。

 【問題はかえって複雑化】【喧伝する(…いいニュアンスでは殆ど使われない)】は、ジェンダーフリー批判派に誘導する書き方になっている。【和製思想】という語には、前後で用いられている【和製英語】などと関連して、思想内容を理由無く矮小化する効果がある。  主語を明示して、【ジェンダーフリー批判派は、ジェンダーフリーを批判する一派にカルト宗教が係わっていることで、問題はかえって複雑化していると考えている。】【ジェンダーフリー批判側にカルトが係わっていることを賛同側に批判されることは、ジェンダーフリー(という和製思想)が守られることに繋がると考えている】と、暗示的でない書き方に直せば、当該記述の意味が次の通りであることがわかる。すなわち、ジェンダーフリー批判派は、(ジェンダーフリーを批判しているのだから、ジェンダーフリー批判派に含められて当然であるはずの)カルトを、批判派から定義レベルで外したい(もっとはっきり言えば、本項目の読者の理解から外したい)。そこで、ジェンダーフリー賛同派が批判派にカルトを含めることを【喧伝】していることにし、外すことが正しいと読者に暗示し誘導しようとしている。

■外部リンクについて、批判的なものを含めるのであれば、読者がそのタイトルだけで印象付けされてしまわないよう、冒頭に「批判的なものを含む」などの断り書きを入れたり、明示的に賛同派・批判派に分けて記述するなどの工夫をすべきです。

あまりにも暗示的な記述が多すぎます。Loxfongmard 2006年8月1日 (火) 13:25 (UTC)

特定の立場の正当性を読者に暗示する目的で付された強調を解除しました。百科事典的な観点からは、強調の使用は、読者のタームの記憶を助けるなどの、中立的な目的に限定されるのが適当です。特定の理解の正当性や重要性を強調するために用いるのは中立的な観点に反します。Loxfongmard 2006年8月1日 (火) 15:46 (UTC)


ジェンダーは「性差」ではなく「性」です。「ジェンダー・イクォリティ」は「差の平等」ではなく「男女平等」です。さらに詳しく書くと「ジェンダー・イクォリティ」は「生得的性(男女)の平等」です。誤用しないように気をつけて下さい。英文上のgenderは普通、生得的男女性を指します。お手元の英英辞典をご参照下さい。

★利用者 59.171.23.76、61.214.214.191 の修正について;
■>米国のフェミニストには、【意味の通じない用語】
 「意味の通じない」という言い方には、強い否定的なニュアンスを暗示する効果があるので、百科事典の解説に用いるのは不適当です。
■>以下のリンクには、ジェンダーフリーに【肯定的な】立場のものが含まれている。
 わざわざ【批判的】→【肯定的】と直された上、肯定的・網羅的な解説ページ([1]ジェンダーフリーとは(成城トランスカレッジ.com))を最下段に移動されましたね。あなたは、左のページを読者に見られたくない・強く否定してかかる読み方をさせたいと思っているようですが、そのような希望を、本文に暗示的記述を含めることによって実現しようとするのはやめてください。そのような記述を行うことは、肯定・否定いずれの立場に立つかに関わらず、まっとうな判断力を備えた人から見れば、ただ見苦しいだけです。
 ある項目の記事の外部リンク先に、ある項目の立場に肯定的なものが含まれるのは、ごく当たり前のことです。当たり前であるにも関わらず、わざわざ「肯定的な立場のものが含まれている」と断った上、否定的な立場のものを上の方にもってきますと、ある項目で紹介された立場に対して【否定的であることが当然】であると読者に暗示することになります(実質的な理由と無関係なく、記述の配置によって読者を特定の立場に誘導しようとすることは不適切です→中立的な観点)。
 暗示的手法を、Wikipediaで多用しようとしても、そういう手法が、指摘され批判されるのは時間の問題です。いざ批判されてしまえば、そのような手法を用いた立場への信頼性を大きく毀損することになるだけです。横行すれば、Wikipediaへの信用も損なわれます。やめてください。Loxfongmard 2006年8月5日 (土) 02:41 (UTC)


根拠を示すことなく「主に」、であるとか「多い」、「~と言われる」といった曖昧かつ主観的な表現を止めましょう。「~だ。~である。」と書ける内容にして下さい。ウィキペディアの「言葉を濁さない」のガイドラインをお読み下さい。59.171.23.76(コメント位置補正・署名付加 Loxfongmard 2006年8月6日 (日) 07:45 (UTC)


★投稿者 59.171.23.76 氏へ
■私によるあなたへの批判は、2006年8月5日 (土) 02:41 (UTC) 「意味の通じない」という言い方には、強い否定的なニュアンスを暗示する効果があるので、百科事典の解説に用いるのは不適当です。」です。これは、根拠を示していない文章ではありませんし、曖昧だったり、主観的な見方に基づいた表現でもありません。あなたが現に行った記述に対する(正しい、ガイドラインに基づいた)批判です。自身への批判を完全に無視して、どこに関係があるのか(特に第三者に)一見してよくわからない仕方でガイドラインを持ち出し、一般論を述べてごまかそうとするのはやめてください。ガイドラインは自己正当化のための道具ではありません。
■また、ウィキペディアの「言葉を濁さない」のガイドラインで批判されているような表現を行ったのは、あなたです。
>2006年8月4日 (金) 16:02の版 (編集) 【59.171.23.76】 (ノート) (中略)
>【主に】日本において「社会的文化的性からの自由」を目指す考え方である。米国のフェミニストには、【意味の通じない用語】である。」(【】は引用者)
(版間での差分:[2]
あなたは、版間での差分:[3]の修正を行ったときに、私の記述を直したと勘違いしたようですが、私はあなたの記述のひどい偏りを、簡単に修正できる範囲でましにしただけです。もともと偏った記述をしたのは、あなたです。
ウィキペディアの「言葉を濁さない」のガイドラインには、
>以下の一文は、明らかに偏った文章です。
>モントリオールは、世界で最も格好いい都市である。
>言葉を濁すことによって、中立的な観点に立っているという思い違いを起こさせることがあります。
>モントリオールは、世界で最も格好いい都市であるとも言われている。
と書かれていますが、上の説明にいう「明らかに偏った」「言葉を濁」した文章を書いたのは、あなたです。「曖昧かつ主観的な表現を止めましょう。」という批判は、ご自身へ向けてください。Loxfongmard 2006年8月6日 (日) 07:45 (UTC)
■2006年8月5日 (土) 17:12 61.214.214.191 から、2006年8月6日 (日) 01:58 59.171.23.76 にかけて、2006年8月1日 (火) 13:25 (UTC) ・2006年8月5日 (土) 02:41 (UTC) で、すでに指摘した、不当な手法による記述がまた行われたようですので、簡単に修正できる範囲で修正しました。
■本文の実質的な内容を特定の立場に偏らせることの不当性、百科事典として正当・常識的な記述とは何か、等の問題に関して、まともな了解を期待するには程遠い状況ですので、そうした点に関しては特に指摘しませんが、特定の立場に読者を誘導するために暗示的手法を用いる、外部リンク先を特定の立場に都合のよい配列にする、等の手法が間違っていることを認め、やめるべきだという了解くらいは、せめて持ってもよさそうなものではないでしょうか。私が指摘した問題は、かなり一般的なことです。あなた方の書き方は、むしろあなた方がなさっている記述内容に対する一般的信用を、大きく落とすことにしかならないですよ。Loxfongmard 2006年8月6日 (日) 08:18 (UTC)


■「関連項目」以下
>*田嶋陽子:ジェンダーフリーに肯定的な発言が目立つ上に、ジェンダーフリーの為なら言論自由の弾圧を肯定する旨の発言をしてる。
>参照TVタックル<ジェンダーフリー特集>その2」の193と194
(版間での差分:[4]
という記述のうち、関連項目の指示(田嶋陽子)以外を削除したことを、明示しておきます。削除した理由は、1 上の引用部は、百科事典に対する一般的な信頼を保つために要求される体裁・形式の一貫性をわざわざ無視している(関連項目の指示を行うはずのところに、なぜか外部リンクを含めている)。そのため、記事の中立性が損なわれている。 2 リンク先の193・194以下を直接確認すれば明らかだが、「言論自由の弾圧」を肯定する旨の発言はされていない。同195・196まで見れば文面上明白である(米田 これはもうファシズムじゃないですか。 田嶋 そんな事無いよ、凄くいいじゃない。)。「言論自由の弾圧を肯定する旨の発言をしてる」と引用した者は、<「米田」側に立った評価>と<田嶋氏の発言>を区別できていない。よって、引用が意味をなしていない。わざわざ説明を行う必要があるほどのこととは思えませんが、念のため補足しておきます。Loxfongmard 2006年8月6日 (日) 09:54 (UTC)


「出典の明記」を付加した理由と、その意義

+unreferenced しました。1 沢山の事例が記されていますが、その殆どに出典の表記がなく、2 そもそも存在や位置づけ(ジェンダーフリーに関わる事例かどうか)に問題のある事例については、否定的立場からの指摘・解釈をそのまま踏襲する手法に終始しているからです。

すでに批判した通り、現在の記事は、中立的な観点からみてかなり問題のある記述です。内容はもちろん、手法・構成・形式のレベルで不適切な記述があまりにも多いです。ですから、ここでの +unreferenced には、現在の記事に出典が追加されていけば、問題は解決されるという意味は全くないことに注意してください。あくまで、「中立性だけが問題で、書かれている事例は真実である」といった理解(誤解)をしないよう読者に注意を促すために付加しました。Loxfongmard 2006年8月19日 (土) 13:56 (UTC)


宗教関係の記述について

宗教関係の記述をまとめました。ジェンダーフリー論争に統一教会の記述は欠かせないことに加え、それが批判派への攻撃にならないよう配慮しました。文章には事前相談願います。統一教会を扱った文章は、裁判リスクも含め、危険です。


関連文献・外部リンクの分類について

中立性の観点から、外部リンク先のサイトの立場の明示を復活させました。理由はすでに説明したとおりです(Loxfongmard 2006年8月5日 (土) 02:41 (UTC) 、Loxfongmard 2006年8月1日 (火) 13:25 (UTC) など)。異なる立場からの解説をそれと断らずに並べることは読者の理解を混乱させるだけですから、やめてください。また、ジェンダーフリーに対する否定的な立場・サイトを本文に含めることは全く問題ありませんが、冒頭・概要の段階から修正しきれないくらいに否定的立場からの主張や疑わしい事実関係の羅列によって埋め尽くした上、外部リンク先の紹介においても、否定的立場→肯定的立場の順で紹介するような露骨に偏った・誘導的な記事を書くこともやめてください(版間での差分:[5])。Wikipediaは特定の立場の優越性を唱導するための場ではありません。

※「修正しきれないくらいに」… 構成・形式ゆえに「修正しきれない」という意味です。例えば、項目名が示す立場の意義を説明する段階に否定的主張を含めてしまっているために、正しく修正するためには全文を書き改めなければならないような状態になっていること等を意味します。Loxfongmard 2006年8月16日 (水) 10:33 (UTC)


☆肯定・否定の順に並べ替えることに賛成します。しかし、「成城トランスカレッジ」という名称は大学と紛らわしいため、正体不肖の個人ブログであることを明示しました。「バックラッシュ!」の寄稿はしている方のようですが、肩書きが不明です。ぜひ並び替えて、肯定リンクが少ないことをアピールしてください。(山口智美氏は個人名だけでしたので、現肩書きを追記してみました)☆

整理して並べ替えて、見やすくしました。よりリンクが充実することを期待します。--ディズニースピリット 2006年8月16日 (水) 12:20 (UTC)
私が行った記述よりも、よくなったと思います。コメントありがとうございます。Loxfongmard 2006年8月16日 (水) 12:23 (UTC)
【肯定的リンク】【否定的(批判的)リンク】【語源についての考察リンク】という表記については、再度修正させてもらいました。前2者は、肯定的・否定的なのはリンクではなく解説なのでちょっと変な感じがしました。また、否定的→批判的 は、批判的という形容は、肯定・否定の立場の別に関わらず、あてはまりうるので、根拠に乏しい変更だと思います。語源についての考察 は、語源=単語の成立の起源であり、やはり元の表記の方が、ある概念の用法の混乱に関する説明であることが適切に示せているのではないかと思いました。Loxfongmard 2006年8月16日 (水) 12:41 (UTC)


「ジェンダー・フリー」をめぐる混乱の根源(山口智美)は、

「昨今のバックラッシュの中で、右翼や保守派は「ジェンダー・フリー」という言葉を攻撃の格好の的にしていることを考えると、この概念をめぐる混乱の影響は看過できない。」
「11月号の三井マリ子論文中で紹介されている、日本会議の機関誌「日本の息吹」や、山口県に本部を置く「日本時事評論」でも、ここ2年ほどの間、「ジェンダー・フリー」への批判記事が急速に増えたのが目につく。そこでは、「ジェンダー・フリー」の様々な「起源」がねつ造されている。」
「例えば、スウェーデンのフェミニストが提唱したという説(総山孝雄「日本の息吹」2001年10月号 pp.12~13)。「ジェンダー・フリー」は「犯罪大国スウェーデンがお手本」であり、「フリーセックスの別称」などとなる。あるいは、マルクス主義起源説。大沢真理がフランスの学者デルフィの論に依拠していることから出てきたようで、これに基づき「過激な文化破壊思想」「共産主義的カルト思想」などと述べられている(八木秀次 「日本時事評論」 2003年5月3日号 p.3)。そして「ジェンダー・フリー」造語説。和製英語であることを強調し、サッチャー政権下のイギリス、ブッシュ政権下のアメリカなどを例に挙げ、男女平等推進の動きは、あたかも「世界的な流れ」のようにいわれているが、まやかしにすぎないとこじつける(新田均「日本の息吹」2003年12月号 pp.20-21) 。」

といった記述から明らかなように、現在の本文や、外部リンク【否定的な立場からの解説】に属するような言説(リンク先の説明では、ジェンダーフリーが、男女混合名簿・社会主義などと結び付けられたりしています)に対して否定的な立場から書かれていますので、【ジェンダーフリーという概念の起源について】という項目を立て、そこに含めました。Loxfongmard 2006年8月16日 (水) 12:23 (UTC)

★投稿者 220.96.163.238 氏へ
2006年8月16日 (水) 11:48 の編集では、根拠無く立場の明示を削除し、否定的立場から紹介する編集をしていましたが、今度(2006年8月16日 (水) 15:42)は、【ジェンダーフリーという概念の起源についての考察】を、根拠無く削除して 「ジェンダー・フリー」をめぐる混乱の根源(山口智美:シカゴ大学東アジア研究センターポストドクトラル研究員)を、肯定的立場に含めましたね。左のリンク先を読めば、肯定的立場からジェンダーフリーを解説した文章ではないことは明らかなのですが、なぜそういう根拠の無い編集をするのでしょうか? そういうことはやめてください。
また、【肯定的立場】【否定的立場】を、【賛成派の立場】【反対派の立場】と変更されましたが、「派」は、立場を指すのですから、あなたの変更は「頭が痛い」とあるのを、「頭痛が痛い」と変更しているようなものであり、意味不明です。否定したい立場による編集の編集を自己目的化するかのようなふるまいはおやめください。Loxfongmard 2006年8月16日 (水) 16:16 (UTC)


○同室着替えについて  あれは何故削除されてしまったんですか?  それと肯定派、否定派とレッテルを貼るようなやり方ですし、曖昧な文章に関しては解釈が難しくなるので、このような分け方をせずに削除し、順番に関してはアイウエオ順にするのはどうでしょうか(関連文献に関しては書名とし、アルファベット表記に関してはカタカナ表記に置き換えて考えるとします。)2006年8月16日 (水) 16:40 スマイル (署名付加:Loxfongmard 2006年8月16日 (水) 17:06 (UTC)

「レッテルを貼るようなやり方」という根拠の無い印象付けこそ、レッテル貼りの最たるものです。ある争点について、肯定的・否定的いずれの立場から議論がなされているかは、1 外部リンク先のタイトルを一瞥したり、外部リンク先のトップページを見るだけで、十分「解釈」できますから、「曖昧な文章に関しては解釈が難しくなる」かどうか問題にする意味はありませんし、2 一般的な読者にとって明らかに有用な情報ですから、 削除する合理性はありません。また、リンク先や書籍の内容と脈絡無くアイウエオ順にすることは、外部リンク先を確かめるために読者が労力をかける余地を残すことで、形式的にリンクを参照されにくくするだけでしょう。そもそも、本文解説中でも同様の表現が多用されているのに、それには全く触れずにリンク先の分類についてだけ削除したがるのは、奇妙な態度です。
また、同室着替えを削除したのは私ではありませんが、削除には理由があります。[6] で紹介されている、文部科学省が行った「ジェンダーフリー教育調査」に関する産経新聞の記事によりますと、「(同室着替えは)施設面の問題によるもので、性差を否定するジェンダーフリー教育に基づくものではない」とされています。Loxfongmard 2006年8月16日 (水) 16:58 (UTC)
私も参考文献は立場で分けたほうが親切だと思います。ジェンダフリーは真理ではなく「運動」ですので、運動側と反作用的立場は分けたほうが理解しやすいと思います。しかし、双方の意見をまんべんなく紹介する本もあるわけで、肯定対否定ではなく、内容により三分割、四分割もありかと思います。分けることでどちらかの立場の参考文献が「多過ぎ・少なすぎ」ということが分かって良いです。別件ですが、山口智美氏は確かにジェンダフリー推進側ですが、日本での「ジェンダーフリー」という用語の使われ方は「誤訳」だと明確に指摘しています。この件に関しては定義部分に含めることが適当であると、私は判断します。下に落とすのは適当ではないと思います。「バックラッシュ!なぜジェンダーフリーは叩かれたのか」においても全体的に「日本での使われ方は誤用」という線でまとまっていたように思います(宮台氏・山口氏・その他)。上野氏の意見は本文のとおりです(用語に否定的)。--ディズニースピリット 2006年8月19日 (土) 13:09 (UTC)
現在の肯定・否定の分類は、本文の記述に即した形で行いました。本文が大幅に改善されれば、数種の分類が必要になることは当然あると思います。しかし、現状では、肯定的立場を含めて紹介する本は、否定的立場から見て、肯定的立場に含められるでしょう。否定的立場の外部リンクを見れば顕著なように、むしろ真意としては、個人主義を否定しているような立場が「否定的立場」だと言えますから、さしあたり、そういう「否定的立場」でない(満遍なく立場を紹介するような)立場は、事実上「肯定的立場」に属するということになってしまうからです。
現在の本文の記述のレベルは、ジェンダーフリー「推進」派と問題意識を共有する(「肯定」する)中で方法論が分かれ、いくつかの微妙な立場に分かれる、というような段階には全く至っていないと思います。現に、山口氏のリンクを、否定的立場を批判しているという私の指摘を見て、肯定的立場に含める編集をした人がいます。
ところで、山口智美氏は、「ジェンダー・フリー」をめぐる混乱の根源 を読む限り、(現在の本文の分類における)肯定的立場と問題意識を共有しているとは言えても、ジェンダーフリー推進(肯定)派とは言いがたいと思いますが(後半参照。単に誤訳だから問題だと指摘しているわけではないようです)、どうでしょうか。
また、「この件に関しては定義部分に含めることが適当である」としていますが、それには賛成できません。言葉の意味づけを内容としていますから、いかにも定義の問題に感じられますが、実際には日本語として普及しているところの「ジェンダーフリー」の意味とは関係のない、概念成立の経緯に関する話題だからです。概念成立の経緯を定義に含めることは、とくべつな理由なしに採る意義のある方法ではありませんし、この記事の場合、すでに指摘したような誘導につながる面が強いし、現にそうなっています。それに、「誤訳」と「誤用」は違います。それを混同する論理ですと、和製英語の使用や、英語圏で知られていると言える用法に反する英語由来の用語の使用は、すべて「誤用」ということになってしまいますが、そのような意味で誤用という言葉を使うことは、到底一般的とは言いがたいのではないでしょうか。「誤用」で一致していたのであれば、そのような批判がなされているという形で、適切な位置に記述すれば足りると思います。「誤訳」ならば、定義の部分で触れるべきだと言うことにならないことははっきりすると思います。用法とは関係のない話だからです。Loxfongmard 2006年8月19日 (土) 13:56 (UTC)
「ジェンダーフリー」という用語は普及しているとは考えておりません。政府も使っておりませんし、東京都に至っては使用しないよう通達を出しているほどです。また、普通に道を歩いている人に正確な意味を説明せよと聞いても答えられないでしょう。そもそも専門家の間ですら議論があるのはご存知のとおりです。恐らく「魅惑のチキルーム」よりも知名度がないのではないでしょうか。もちろん私はこの分野に興味があるから知っているのですが。。しかし、説明せよと言われたら、「どの学者の定義で説明すればよいのですか?」と聞かなければなりません。その意味において、また国際的に通用しない用語であることから、学術用語だとも言えないと考えます。「学術用語」の定義を見れば明らかだと思うのですが。。。--ディズニースピリット 2006年8月19日 (土) 14:40 (UTC) (コメント位置補正:Loxfongmard 2006年8月19日 (土) 16:19 (UTC))
ディズニースピリットさんが、2006年8月19日 (土) 13:09 (UTC) で問題にしていた論点は「ジェンダーフリーが誤訳・誤用であるか」です。「ジェンダーフリーという用語の普及度」「多義性ゆえの説明の困難さが認められるか」ではなかったはずです。一方的に論点をすりかえて 2006年8月19日 (土) 13:56 (UTC) への反論を装うのはやめてください。
山口氏は『誤読』による『誤用』と表現しておりました。『誤訳』ではありませんでした。お詫びして訂正いたします。山口氏は「ジェンダー」を「社会的文化的性差」と訳すことを『誤訳』だとおっしゃっています。それと混同いたしました。申し訳ありません。--ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 01:55 (UTC)
以下は、2006年8月19日 (土) 14:40 (UTC) へのコメントです。
1 「普通に道を歩いている人」が「正確な意味を説明」できるかどうかで普及の度合いを論ずるなら、大抵の概念は普及していないという結論になりそうです。例えば、国家、政府はどう考えても普及している概念ですが、それらの正確な意味を説明できる人が多くないとしたら、その概念は普及していないことになるのでしょうか? そんなわけはないですよね。
広辞苑によると、『普及』とは「広く一般に行きわたること」とあります。--ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 01:55 (UTC)
2 また、「専門家の間ですら議論がある」ならば、普及していない、学術用語(広辞苑には「学術研究上の専門用語。テクニカル-ターム。術語。」とあります)でない、という考えも不可解です。例えば、良く知られている上に学術用語であることも明らかな民主主義の意義について「専門家の間ですら議論があ」ります。議論がある民主主義は、知られていなかったり、学術用語でなかったりすることになるのでしょうか? また、日本で生み出された学術的理論があり、その中で使われる用語があったとして、それが国際的に知られていなければ、学術用語でないとは言えないでしょう。
  そもそも、ディズニースピリットさん自身「しかし、説明せよと言われたら、「どの学者の定義で説明すればよいのですか?」と聞かなければなりません。」としています。「学者」とは、学術研究に従事する者を意味します。そうだとすれば、ジェンダーフリーは当然学術用語であることになります。学者の肩書きを持つ者が、学術研究の名に値しない議論しかしていないという評価をすることや、ジェンダーフリーの学術的意義が低いと論ずることは当然可能ですが、学者が論じてしまっているならば、それを批判の対象として引いて論ずる(まともな)学者の俎上にのってしまう以上、ジェンダーフリーは学術用語であるとディズニースピリットさん自らが認めてしまっていることになります。
確かに広辞苑には「学術研究用の専門用語」とあります。しかしながら、「学者が論じたら学術用語」ではないと思います。wikiの項目に「学術用語」の定義がありますので、一度、ご確認いただけないでしょうか?ちなみにフェミニストの上野氏は「学術用語ではない」という見解です。--ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 01:55 (UTC)
3 それから、自治体が使用しないようわざわざ通達を出していることは、むしろある程度普及していることを示す事実のようにも思えるのですが。少なくとも、そのことから普及していないという結論を論理的に導くことは無理です。政府が使っているかどうかを基準にするのも不可解です。政府が使っていなくても、普及しているという可能性は明らかにありうるからです。ディズニースピリットさんの議論は、結論ありきで根拠をこじつけている感が否めないです。Loxfongmard 2006年8月19日 (土) 16:19 (UTC)
繰り返しになりますが、広辞苑によると、『普及』とは「広く一般に行きわたること」とあります。--ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 01:55 (UTC)

「ジェンダーフリーが学術用語とは言えない」という一例を挙げますが、「バックラッシュ!」という著作の中でフェミニストの上野千鶴子氏は「ジェンダーフリーは和製英語だが、ジェンダーは学術用語である」との主旨の発言をしています(379p)。文章の内容から上野氏が「ジェンダーフリー」を学術用語だと認めていないことは明らかです。私も同意見です。定義が定まっていない用語を、あたかも定まっているかのようにTOPで定義してみせるのは、間違った情報を流布することになると考えます。--ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 00:33 (UTC)