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「5か国防衛取極」の版間の差分

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2019年3月1日 (金) 00:15時点における版

5か国防衛取極の締結国

5か国防衛取極[1](ごかこくぼうえいとりきめ、英:Five Power Defence Arrangements、略称:FPDA)は、1971年に締結されたイギリスオーストラリアニュージーランドシンガポールマレーシア間の軍事同盟。締結国はいずれも英連邦加盟国である。形式的には5か国それぞれが締結した二国間の取極であるため、英語名称は複数形となっている。

背景

1967年にイギリスはスエズ以東から軍事的に撤退することを決めた。しかし、当時はインドネシアの政情が不安定であり、またインドシナ半島では冷戦の「熱戦」化が進行していた。そこで、まだ独自の防衛力が十分ではないシンガポールやマレーシアの安全保障を確保するため、イギリス軍に加えて、オーストラリアやニュージーランドの軍隊が両国の防衛に協力することとなり、仮に両国が第三国からの脅威や攻撃を受けた場合は、他締約国(主にイギリス、オーストラリア、ニュージーランド、すなわちANZUK軍英語版)がその防衛に協力することが取決められた。

そして、イギリス極東軍の空白を埋めるため、シンガポールにおいて兵力7000人のANZUK軍地上部隊が発足した。また、マレーシア・ペナン州にあるバターワース空軍基地は1957年以来、オーストラリア空軍が管理していた。同基地にはマレーシア・シンガポール両国をカバーする統合防空システムが設けられているほか、オーストラリア空軍の戦闘機・爆撃機も配備された。

しかし、両国の発展に伴い、本取決めは徐々に役割を縮小させていった。ANZUK軍の地上部隊については、1974年にオーストラリアが、1976年にイギリスが、1989年には最後まで残っていたニュージーランドも部隊を引き上げた。バターワース空軍基地は1988年6月末をもって完全にマレーシア空軍への移管を完了した。

ただし、現在も同基地にはオーストラリア空軍のP-3C対潜哨戒機が駐留している。また、1991年以来、5か国の国防相は3年ごとに会合を開いている。さらに、1997年の香港返還などを契機に、同取極の役割が見直され、再び合同軍事演習の実施が積極的に行われるようになった。

とくに2010年代後半以降、イギリスはスエズ以東からの軍事的撤退以来のアジア回帰への動きを強めていることから、同取極の一層の役割拡大を目指している[2]

脚注

  1. ^ この取極の日本語表記はまちまちで、防衛省防衛研究所東アジア戦略概観 2010』では「5カ国防衛取り決め」、外務省の「最近のシンガポール情勢と日・シンガポール関係」(2013年)では「五カ国防衛取極」、防衛省 『平成26年版 防衛白書』(2014年)では「5か国防衛取決め」としている。外交上の arrangement(s) の訳語には一般に「取極」を用いるので、本記事ではできるだけ平易な表記として「5か国防衛取極」とする。『平成17年版 防衛白書』(2005年)に用例がある。
  2. ^ 永田伸吾 (2017年10月1日). “5カ国防衛取極(FPDA)とアジア太平洋の海洋安全保障:防衛装備・技術面での日英協力の視点から”. 笹川平和財団海洋政策研究所「海洋安全保障情報特報」. 2018年12月27日閲覧。

外部リンク