「アメリカ大陸の発見」の版間の差分
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[[File:Americas (orthographic projection) blank.svg|thumb|upright|right|アメリカ大陸]] |
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'''アメリカ大陸の発見'''(アメリカたいりくのはっけん)とは、特定の地「[[アメリカ大陸]]」に[[先史時代|先史]]と[[歴史時代|有史]]の上で'''初めて実際に到達したこと'''を指して言う[[歴史学]]等の分野の[[専門用語|用語]]である。ただし、個々の[[文化圏]]によって「到達した事実」の捉え方・意味合いが異なり、したがって、(土地の)発見史というものは関連した文化圏の数だけ存在し得る。 |
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'''アメリカ大陸の発見'''(アメリカたいりくのはっけん)とは、[[アメリカ大陸]]への最初の到達を意味する[[歴史学]][[用語]]である。 |
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== 概 |
== 概要 == |
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[[File:The arrival of Christopher Colombus to America, 1492.jpg|thumb|upright|right|コロンブスの上陸]] |
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未知なる土地(ここでは[[大陸]])の存在を[[概念]]として言い当てていても(通常の言葉ではそれも「[[発見]]」と言うが)実際に到達していなければこれを「(○○の地の)発見」とは呼ばない([[CF#cf|''cf.'']] [[発見#発見するということ]])。その一方で、[[クリストファー・コロンブス]]がそうであるように、到達した地が新天地であると理解していなくとも(到達者が到達[発見]を認識していなくとも)事実として到達していれば、歴史上で「(○○の地を)発見した」と認められている。 |
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[[1492年]][[10月12日]]、[[クリストファー・コロンブス]]が[[ヨーロッパ]]から[[大西洋]]を横断し、アメリカ大陸周辺の島である[[サン・サルバドル島]]に到達した。 |
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コロンブスを契機として、多くの航海者がヨーロッパからアメリカ大陸へと渡り、[[ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化]]が進んだ。 |
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[[ヨーロッパ世界]]にとっては、コロンブスのアメリカ大陸周辺諸島への到達は[[新世界]]の[[発見]]にほかならず、その後のアメリカ大陸の帰趨を決定付ける象徴的な出来事であったことから、長らく「'''アメリカ大陸の発見'''」という言葉で語られてきた。 |
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一方で、コロンブス以前から[[アメリカ州の先住民族]]が定住していたことは動かぬ事実であるから、全人類の中で始めてこの大陸を発見した人物がコロンブスでないことは言うまでもない。 |
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== 個々の文化圏における発見 == |
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先住民族らからは、「アメリカ大陸の発見」は[[ヨーロッパ中心主義]]に基づいた不適切な言葉であるとたびたび批判されてきた。 |
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=== アメリカ州の先住民族 === |
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さらに、先住民族以外にもさまざまな文化圏の人々がコロンブス以前にアメリカ大陸に到達していた可能性が指摘されるようになっている。 |
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[[インディアン|アメリカインディアン]](モンゴロイド人種インディアン)、[[インディオ]]を始めとする[[アメリカ州の先住民族]]は、アメリカ大陸に最初に居住した[[人類]]である可能性が高く、後期[[旧石器時代]] ([[w:Upper Paleolithic|en]]) に属する紀元前12000年頃(''cf.'' [[紀元前11千年紀以前]])、[[ヴュルム氷期]]([[最終氷期]]。[[古気候学#第四紀氷期内の変動|cf.]])に[[ベーリング地峡]]経由で陸路、[[アジア大陸]]からアメリカ大陸へ移動を果たしたと考えられている(別項「[[アラスカの歴史]]」も参照のこと)。彼らの移入によってアメリカ大陸の[[生物相]](特に[[動物相]])は以後、激変することになり、当地の環境全体に対して人類史上で最も大きな影響をもたらした出来事であったことは間違いない。 |
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ここでは、ヨーロッパ世界の人々だけでなく、先住民族および各文化圏の人々によるアメリカ大陸への到達をいずれも「アメリカ大陸の発見」であると定義し、発見の歴史を俯瞰する。 |
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なおアメリカ大陸への先住民の入植は1回ではなく、[[アメリンド大語族|アメリンド]]、[[ディネ|ナデネ]]、[[エスキモー|エスキモー・アレウト]]の3波が存在したと考えられている。また紀元前のある時期に地中海、ヨーロッパ方面から北米東部へ入植があったのではないかとする説もあり<ref>[[バリー・フェル]]はアルゴンキン族を[[モンゴロイド]](モンゴル族)と[[コーカソイド]](ヨーロッパ人)の混血民族としており、西部ほどモンゴロイドの血が濃く、東部ほどコーカソイドの血が濃いという。その理由として紀元前にヨーロッパ方面から北アメリカに入植者があったとしている。アルゴンキアン族は、祖先が海を渡ってやってきたという伝承を持ち、ヨーロッパ地中海と共通する星座の概念を持つという。アルゴンキアン族のなかでも特に東部アルゴンキアン族は[[南ヨーロッパ]]や[[地中海]]の人種に酷似しており、アルゴンキン諸語の特に東部の言語の語彙にはヨーロッパ起源のものが数多くみられるという。</ref> |
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遺伝子もこれを示唆する<ref>アルゴンキン族には[[ハプログループX (mtDNA)]]と[[ハプログループR (Y染色体)]]がある程度の頻度で見られる。ともに[[欧州]]、[[オリエント]]でよくみられるタイプである。</ref>。 |
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== 先住民族による「発見」 == |
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=== ポリネシア人 === |
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=== クローヴィス・ファースト仮説 === |
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[[ポリネシア]]ではコロンブス以前から南米大陸原産の[[サツマイモ]]が栽培されており、[[ポリネシア人]]が南アメリカ大陸から持ち込んだと考えられている。[[クック諸島]]では紀元1000年前後の痕跡がある。現在の学説ではポリネシアには紀元700年頃に持ち込まれたと考えられている。よって、少なくともその当時以降ポリネシア人は南アメリカ大陸と交流が有ったと思われる。 |
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[[File:Amerikanska_folk,_Nordisk_familjebok.jpg|thumb|upright|right|アメリカ州の先住民族]] |
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人類で最初にこの大陸を発見したのは、[[アメリカ州の先住民族]]の祖先のうちの誰かであると考えられている。 |
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しかし、いつどうやって発見したのかは分かっていない。 |
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[[1960年代]]まで通説とされていたのは、約2.1万年前のLGM([[最終氷期]]最盛期)から約1.2万年前の最終氷期終了までの間に、北アメリカ大陸に最初の人類が到達し、これらの人々がアメリカ先住民族の共通の祖先になったとする説('''クローヴィス・ファースト仮説''')である<ref>{{cite news|title=Pause Is Seen in a Continent's Peopling|work=New York Times|url=https://www.nytimes.com/2014/03/13/science/linguistic-study-sheds-new-light-on-peopling-of-north-america.html?ref=science|date=13 Mar 2014}}</ref><ref>{{cite book|ref=harv|last=Pielou|first=E. C. |title=After the Ice Age: The Return of Life to Glaciated North America|url=https://books.google.com/books?id=MO4QFKshlVcC&pg=PP1|year=2008|publisher=University of Chicago Press|isbn=978-0-226-66809-3}}</ref><ref>{{cite book |author=Flannery, T.|year=2001|title= The Eternal Frontier: an ecological history of North America and its peoples|publisher= Grove Press|location=New York|pages= 173?185|isbn= 978-0-8021-3888-0}}</ref>。 |
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=== ノルマン人 === |
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概略すると、次のような説である。 |
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{{main|ノース人によるアメリカ大陸の植民地化}} |
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[[アイスランド]]系[[ノルマン人]]([[ヴァイキング]]の一派)の[[航海|航海者]]・[[レイフ・エリクソン]]とその船団は、[[10世紀]]の末(帰還した[[1000年]]より少し前)にアイスランドおよび[[グリーンランド]]経由で[[海路]]、アメリカ大陸に到達し、歴史時代の人類としては初めて新天地として'''発見'''した。東部海岸沿いに南下して[[ニューファンドランド島]]などに進出し、ここを新天地「[[ヴィンランド]]」と呼んで定住を試みたものの、ほとんど[[世代]]を重ねることも無く[[入植地|入植]]は短期間のうちに頓挫している。 |
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[[File:Beringia - late wisconsin glaciation.png|thumb|upright|right|ベーリング地峡]] |
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=== ノルマン人以外のヨーロッパ人 === |
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{{Quotation| |
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{{main|ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化}} |
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LGMの時期、地球の寒冷化に伴い、海水が氷雪として陸地に積み重なった結果、地球全体で海面が大きく低下した。 |
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ノルマン人以外の[[ヨーロッパ|ヨーロッパ人]]([[日本語]]では俗に「[[西欧|西欧人]]」とも呼ばれるが、正確ではない)は、[[1492年]]、[[クリストファー・コロンブス]]によって初めて'''アメリカ海域'''に到達した。歴史時代においては後世に最も多大な影響を与えた探検事業である。1492年にコロンブスが到達したのは[[サン・サルバドル島]]であり、アメリカ大陸ではない。実際にアメリカ大陸に到達したのは1498年になってからである。 |
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これにより、[[ベーリング海]]の一部が陸地と化し、[[ユーラシア大陸]]北東部の[[シベリア]]と、アメリカ大陸北西部の[[アラスカ]]とを陸続きで繋ぐ[[ベーリング地峡]]が形成された。 |
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このベーリング地峡を通って、[[モンゴロイド]]系の人々がアラスカに到達した。 |
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しかし、当時は現在の[[カナダ]]が厚いローレンタイド[[氷床]]に覆われており、人々は数千年間行く手を阻まれていた。 |
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氷期の終わりが近付いて地球が温暖化し始めた1.4万年前頃から、海面の上昇によってベーリング地峡は水没し、人々は退路を断たれたが、一方でローレンタイド氷床の一部が解けてカナダへ進出するための道(無氷の回廊)が開けた。 |
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無氷の回廊を通って南下した人々は各地に広まり、一部の人々はさらに南下してやがて南アメリカ大陸まで到達した。 |
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こうして、ベーリング地峡から来た人々はアメリカ先住民族の共通の祖先となった。 |
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}} |
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[[File:Clovis Point.jpg|thumb|upright|left|クローヴィスの石器]] |
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[[先コロンブス期|コロンブス以前]]にも、[[6世紀]]前期の[[クロンファートのブレンダン]](事実であればレイフ・エリクソンよりさらに5世紀近く古い)や、[[1170年]]の[[ウェールズ]]王子[[マドック]] ([[w:Madoc|en]]) が到達していたという説もあるが、これらは[[伝説]]に色濃く装飾されて史実が判然としない。 |
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この説を裏付ける最大の根拠とされていたのが、20世紀前半にアメリカ大陸各地で発見された[[クローヴィス文化]]の痕跡である。 |
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クローヴィス文化は、特徴的な形状を持つ石器文化であり、1.3万年前頃にアメリカ大陸北部で現れ、徐々に広まっていった。 |
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当時、この文化はアメリカ大陸の最初の人類の文化とされ、最終氷期後期に北方から人類が流入したことを示す証拠と考えられていた。 |
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=== クローヴィス・ファースト仮説の否定 === |
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11世紀ごろ、[[バスク人]]の漁師たちが[[クジラ]]を追って[[ニューファンドランド]]沖、[[セントローレンス川]]の河口に至った時、[[タラ]]の豊富な漁場を発見した。しかし、その秘密は他国の漁師に漁場を知られないよう保持されていた。16世紀に[[ジャック・カルティエ]]の探検隊がセントローレンス川を発見した時、そこではバスク人の漁船団が漁をしていたという<ref>{{仮リンク|マグロンヌ・トゥーサン=サマ|fr|Maguelonne Toussaint-Samat}} 『世界食物百科』[[玉村豊男]] 翻訳監修、[[原書房]]、1998年、ISBN 4562030534、p.328</ref>。 |
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[[File:Luzia_skull_3D_photogrammetry.jpg|thumb|upright|right|ルジア・ウーマン]] |
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これに対し、[[1970年代]]以降、様々な新証拠が発見され、'''クローヴィス・ファースト仮説は否定'''されている。 |
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[[1974年]]、[[ブラジル]]南東部の[[ベロオリゾンテ]]付近から約1.1万年前の人骨(ルジア・ウーマン)が発見された<ref>{{cite journal|last=Fontugne|first=MIchel|title=New Radiocarbon Ages of Luzia Woman, Lapa Vermelha IV Site, Lagoa Santa, Minas Gerais, Brazil|journal=Proceedings of the 21st International Radiocarbon Conference|year=2013|volume=55|issue=2?3|doi=10.2458/azu_js_rc.55.16253}}</ref>。 |
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[[1975年]]、[[チリ]]南部で発見されたモンテヴェルデの遺跡からは約1.5万年前に人類が定住していた証拠が発見された<ref>{{cite web|title=Monte Verde Archaeological Site|url=https://whc.unesco.org/en/tentativelists/1873/|work=Tentative List of Properties of Outstanding Universal Value|publisher=World Heritage - United Nations Educational, Scientific, and Cultural Organization|accessdate=2020-03-03}}</ref>。 |
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これらの相次ぐ発見は、最終氷期の後期には、すでに南アメリカ大陸に人類が定住していたことを示唆するものであり、ローレンタイド氷床が解けるのを待って人類が南下したとするクローヴィス・ファースト仮説は時系列に重大な疑義が生じた。 |
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[[File:20030924PPedraFurada9.jpg|thumb|upright|right|ペトラ・フラダ]] |
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== 上記以外の他の航海者 == |
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その後も、クローヴィス・ファースト仮説の時系列と矛盾する証拠が次々と見つかり、[[2003年]]には[[ブラジル]][[セラ・ダ・カピバラ国立公園]]にあるペトラ・フラダの遺跡で約4万年前(ただし、年代には異論もある)に人類が火を使用した痕跡が見つかったとの調査結果が発表された<ref>{{Cite journal |doi=10.1016/S0277-3791(03)00205-1 |title=A revised chronology of the lowest occupation layer of Pedra Furada Rock Shelter, Piau??, Brazil: The Pleistocene peopling of the Americas |journal=Quaternary Science Reviews|volume=22|issue=21?22|pages=2303?2310|year=2003|last1=Santos|first1= G.M|last2=Bird|first2=M.I|last3=Parenti|first3=F.|last4=Fifield|first4=L.K|last5=Guidon|first5=N.|last6=Hausladen|first6=P.A|display-authors=3}}</ref>。 |
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[[中国]]は[[明]]代の[[武将]]にして[[朝貢]][[外交]]および[[貿易]]の航海責任者であった[[鄭和]]は、彼が率いる船団の分隊が[[15世紀]]初頭に[[アフリカ大陸]]東岸に到達しており、アメリカ大陸にもコロンブスより70年から80年ほど早く到達していたと主張する者も存在する。 |
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[[21世紀]]以降の先住民族の遺伝子調査では、異なる遺伝子を持つ人々の存在が示唆された<ref>{{cite book |title=Fuegian and Patagonian Genetics and the settling of the Americas |first=George |last=Weber |url=http://www.andaman.org/BOOK/chapter54/text-Fuego/Genetics/text-FuegianGenetics.htm |publisher=Andaman Association |year=2007 |accessdate=2020-03-03 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130505072339/http://www.andaman.org/BOOK/chapter54/text-Fuego/Genetics/text-FuegianGenetics.htm |archivedate=2013-05-05 }}</ref><ref>{{cite journal |vauthors=Garcia-Bour J, Perez-Perez A, Alvarez S, etal |title=Early population differentiation in extinct aborigines from Tierra del Fuego-Patagonia: ancient mtDNA sequences and Y-chromosome STR characterization |journal=Am. J. Phys. Anthropol. |volume=123 |issue=4 |pages=361?70 |date=April 2004 |pmid=15022364 |doi=10.1002/ajpa.10337 }}</ref>。 |
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[[2010年代]]に入ると、クローヴィス・ファースト仮説を支持する学者はほとんどいなくなり、もはやこれが通説でないことが確認された<ref>{{cite book |last1=Waters |first1=Michael |last2=Stafford |first2=Tom |url=http://www.tamupress.com/product/Paleoamerican-Odyssey,7924.aspx |title=Paleoamerican Odyssey |chapter=The First Americans: A Review of the Evidence for the Late-Pleistocene Peopling of the Americas |chapter-url=https://www.researchgate.net/publication/268149509 |publisher=Texas A&M University Press |year=2014|isbn=978-1-62349-192-5 |accessdate=2020-03-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150701014810/http://www.tamupress.com/product/Paleoamerican-Odyssey,7924.aspx |archivedate=1 July 2015 |url-status=live |df=dmy-all }}</ref><ref>{{cite press release |url=http://www.nationalgeographic.com/events/97/monteverde/dallas.html |title=Chilean site verified as earliest habitation of A mericas; findings show Monte Verde dates back 12,500 years |accessdate=2020-03-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131202232355/http://www.nationalgeographic.com/events/97/monteverde/dallas.html |archivedate=2 December 2013 |url-status=dead |df=dmy-all }}</ref><ref>{{cite press release |url=http://www.archaeology.org/issues/145-1409/features/2367-peopling-the-americas-paradigms |title=Destination: The Americas |last=Swaminathan |first=Nikhil |publisher=Archaeology.org |accessdate=2020-03-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150712184854/http://www.archaeology.org/issues/145-1409/features/2367-peopling-the-americas-paradigms |archivedate=12 July 2015 |url-status=live |df=dmy-all }}</ref>。 |
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現在では、クローヴィス以前に人類がこの大陸に到達していたことはまず間違いないと考えられている。 |
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なお、(最初の発見者ではないにしても)クローヴィスの人々が先住民族の重要なルーツの一つであること自体は否定されていない。 |
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=== 最初の「発見者」の謎 === |
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クローヴィス・ファースト仮説が誤りであることは判明したが、最初の人類がいつどうやってアメリカ大陸へ到達したのか、そしてどうやってローレンタイド氷床を越えて南アメリカ大陸へと進出したのかは未だ謎に包まれている。 |
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一部の学者は、ローレンタイド氷床によってカナダが閉ざされるよりも前、すなわちLGM以前(例えば4万年前頃)にすでに最初の人類がアメリカ大陸に到達しており、第二波としてLGM以降にベーリング地峡からクローヴィスの人々が到達したとする説を提唱している<ref>{{cite journal|doi=10.1073/pnas.94.5.1866|title=A single and early migration for the peopling of the Americas supported by mitochondrial DNA sequence data|journal=[[Proceedings of the National Academy of Sciences]]|last1=Bonatto|first1=Sandro L. |last2=Salzano|first2=Francisco M. |last-author-amp=yes |volume=94|issue=5|pages=1866?1871|year=1997|pmc=20009|pmid=9050871|bibcode=1997PNAS...94.1866B}}</ref><ref>{{cite journal|last=Cinq-Mars |first=J.|date=1979 |title=Bluefish Cave 1: A Late Pleistocene Eastern Beringian Cave Deposit in the Northern Yukon |journal=Canadian Journal of Archaeology |issue=3|pages=1?32|jstor=41102194}}</ref><ref>{{cite book |last=Bonnichsen|first=Robson|chapter=Critical arguments for Pleistocene artifacts from the Old Crow basin, Yukon: a preliminary statement |pp=102?118 |volume= |editor=Alan L. Bryan |title=Early Man in America from a Circum-Pacific Perspective |location=Edmonton |publisher=Archaeological Researches International Department of Anthropology, University of Alberta |series=Occasional Papers No. 1 |date=1978 |chapter-url=https://books.google.com/books?id=JY10AAAAMAAJ&pg=PA102}}</ref>。 |
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一方、クローヴィス・ファースト仮説の大枠を継承しつつも一部を修正し、LGM直後の1.9万年前頃からたびたびベーリング地峡を通じた移住があり、クローヴィス文化を持つ人々はそのうちの一つのグループであったとする説もある<ref>{{cite journal|last1=Blaise |first1=B. |last2=Clague |first2=J.J. |last3=Mathewes |first3=R.W. |last-author-amp=yes |year=1990 |title=Time of maximum Late Wisconsin glaciation, west coast of Canada|journal=Quaternary Research|volume=34|issue=3 |pages=282?295|doi=10.1016/0033-5894(90)90041-i|bibcode=1990QuRes..34..282B }}</ref><ref>{{cite magazine|url=http://news.nationalgeographic.com/news/2008/03/080313-first-americans.html|first=Stefan |last=Lovgren |title=Americas Settled 15,000 Years Ago, Study Says|magazine=[[National Geographic]]||date=March 13, 2008}}</ref>。 |
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移動ルートには謎が残るが、海路を使ったとする説が有力である<ref>{{cite journal|last=Fladmark |first=Knute R. |title=Routes: alternate migration corridors for early man in North America |journal=American Antiquity |volume=44|issue=1 |pages=55?69 |doi=10.2307/279189 |year=January 1979|jstor=279189 }}</ref><ref>{{cite journal|date=August 10, 2016 |journal=Nature |doi=10.1038/nature19085 |pmid=27509852 |title=Postglacial viability and colonization in North America's ice-free corridor |bibcode=2016Natur.537...45P |first1=Mikkel W. |last1=Pedersen|first2=Anthony |last2=Ruter|first3=Charles |last3=Schweger|first4=Harvey |last4=Friebe|first5=Richard A. |last5=Staff|first6=Kristian K. |last6=Kjeldsen|first7=Marie L.Z. |last7=Mendoza|first8=Alwynne B. |last8=Beaudoin|first9=Cynthia |last9=Zutter|first10=Nicolaj K. |last10=Larsen |first11=Ben A. |last11=Potter |first12=Rasmus |last12=Nielsen |first13=Rebecca A. |last13=Rainville |first14=Ludovic |last14=Orlando |first15=David J. |last15=Meltzer |first16=Kurt H. |last16=Kjar |first17=Eske |last17=Willerslev |volume=537 |issue=7618 |pages=45?49 |display-authors=3}}</ref><ref>{{cite news |title=Popular theory on how humans populated North America can't be right, study shows: Ice-free corridor through Alberta, B.C. not usable by humans until after Clovis people arrived |first=Emily |last=Chung|url=http://www.cbc.ca/news/technology/ice-free-corridor-north-americans-1.3715397 |work=CBC News |date=August 10, 2016 |accessdate=2020-03-03}}</ref>。 |
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シベリアからアラスカ、そして北アメリカ大陸西部、南アメリカ大陸西部へと太平洋沿岸部を船で移動したとする説のほか、ベーリング地峡からアラスカまで陸路で到達した人々がそこから海路でローレンタイド氷床を迂回したとする説もある。 |
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また、ヨーロッパから大西洋を横断したとする説もあった(ソルトリアン仮説)が、その後の遺伝子調査によって否定的な見解が示されている<ref>{{cite journal |last1=Raff |first1=Jennifer A. |last2=Bolnick |first2=Deborah A. |title=Does Mitochondrial Haplogroup X Indicate Ancient Trans-Atlantic Migration to the Americas? A Critical Re-Evaluation |journal=PaleoAmerica |date=6 November 2015 |volume=1 |issue=4 |pages=297?304 |doi=10.1179/2055556315Z.00000000040}}</ref><ref>{{cite journal |last1=O'Brien |first1=Michael J. |last2=Boulanger |first2=Matthew T. |last3=Collard |first3=Mark |last4=Buchanan |first4=Briggs |last5=Tarle |first5=Lia |last6=Straus |first6=Lawrence G. |last7=Eren |first7=Metin I. |display-authors=1 |title=On thin ice: problems with Stanford and Bradley's proposed Solutrean colonisation of North America |url=https://www.academia.edu/5119515 |journal=Antiquity |date=2 January 2015 |volume=88 |issue=340 |pages=606?613 |doi=10.1017/S0003598X0010122X}}</ref><ref>{{cite journal |last1=Straus |first1=Lawrence Guy |title=Solutrean Settlement of North America? A Review of Reality |journal=American Antiquity |date=20 January 2017 |volume=65 |issue=2 |pages=219?226 |doi=10.2307/2694056|jstor=2694056 }}</ref><ref>{{cite journal |last1=Westley |first1=Kieran |last2=Dix |first2=Justin |title=The Solutrean Atlantic Hypothesis: A View from the Ocean |journal=Journal of the North Atlantic |date=July 2008 |volume=1 |pages=85?98 |doi=10.3721/J080527}}</ref><ref>{{cite book |last=Meltzer |first=David J. |year=2009 |title=First Peoples in the New World |location=Berkeley |publisher=University of California Press |pages=183?208 }}</ref>。 |
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== シベリア・エスキモーによる「発見」 == |
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[[File:Siberian-eskimo-Nabogatova-.PNG|thumb|upright|right|シベリア・エスキモー]] |
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ベーリング地峡が水没し、アメリカ大陸が隔絶されてからは、新たにシベリアからアメリカ大陸へ到達する者はほとんどいなかったと考えられている。 |
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しかし、シベリアとアラスカに住む[[エスキモー]]には、極めて多くの文化的・遺伝的共通点がある。 |
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多くのアメリカ先住民族のルーツが最終氷期にシベリアからベーリング地峡を渡ってきた人だとすれば、両者に一定の類似が見られるのは当然であるが、その類似の程度は1万年以上分断されていたとするには無理があり、最終氷期以降も交流があったはずだと指摘されてきた<ref>{{cite news |title=A Material Case for a Late Bering Strait Crossing Coincident with Pre-Columbian Trans-Pacific Crossings |url=http://www.sino-platonic.org/abstracts/spp039_precolumbian_crossings.html|work=Sino-Platonic Papers|issue= 39 |date=August 1993|author=Jordan Paper|accessdate=2020-03-03 }}</ref>。 |
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[[2015年]]、'''シベリアとアラスカの交流'''を裏付ける物的証拠が初めて発見された。 |
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アラスカ[[スワード半島]]のエスペンベルグ岬の1100年ほど前の遺跡から、[[青銅器]]や[[黒曜石]]などの遺物が見つかったのである。 |
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鑑定の結果、アジアで採掘された金属が使われていることが判明し、シベリアを通じて文化的接触があったことが確認された<ref>{{cite web |title=Evidence of Pre-Columbus Trade Found in Alaska House |url=https://www.livescience.com/50506-artifacts-reveal-pre-columbus-trade.html|author=Owen Jarus|date= April 16, 2015|website=www.livescience.com |accessdate=2020-03-03 }}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.purdue.edu/newsroom/releases/2016/Q2/old-world-metals-were-traded-on-alaska-coast-several-hundred-years-before-contact-with-europeans.html|title=Old World metals were traded on Alaska coast several hundred years before contact with Europeans|publisher=Purdue University|year=2016|accessdate=2020-03-03}}</ref>。 |
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== 赤毛のエイリーク親子による「発見」 == |
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[[File:Eric the Red.png|thumb|upright|left|赤毛のエイリーク]] |
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[[File:Leif Erikson 6c 1968 issue.JPG|thumb|upright|right|レイフ・エリクソン]] |
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[[10世紀]]頃、北ヨーロッパの[[ノース人]]([[ヴァイキング]])[[赤毛のエイリーク]]がアメリカ大陸北東部の島である'''[[グリーンランド]]を発見'''し、その息子である[[レイフ・エリクソン]]がカナダの'''[[ニューファンドランド島]]を発見'''した。 |
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[[グリーンランド人のサガ]]と[[赤毛のエイリークのサガ]]に記載された発見の経緯は、以下のようなものである<ref>{{Cite web|url=http://exploration.marinersmuseum.org/subject/erik-the-red/|title=Erik the Red ? Ages of Exploration|website=exploration.marinersmuseum.org|language=en-US|access-date=2020-03-03}}</ref><ref>{{cite book|title=Eric the Red|work=Encyclopedia of World Biography|year=2004|accessdate=2020-03-03 |url=http://www.encyclopedia.com/doc/1G2-3404702026.html}}</ref>。 |
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{{Quotation| |
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エイリークは、父親の罪により[[ノルウェー]]と[[アイスランド]]を追放された。 |
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この際、グンビョルン・ウールフスソンという人物が漂流したときに西方に巨大な陸地があるのを目撃したと語っていたことを思い出し、この土地を目指すことにした。 |
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船で[[大西洋]]の北部を横断したエイリークは、[[982年]]頃にグリーンランドへの上陸に成功した。 |
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グリーンランドへの航路を確立したエイリークは、アイスランドに帰還すると仲間を募り、グリーンランドへの集団入植を開始した([[ノース人によるアメリカ大陸の植民地化]])。 |
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グリーンランド入植は成功し、エイリークはこの地の主となった。 |
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[[1000年]]頃、エイリークの息子である[[レイフ・エリクソン]]は、グリーンランドとノルウェーを行き来するうち、偶然にもグリーンランドよりも南方のヘッルランド、マルクランド、そして[[ヴィンランド]]を発見した。 |
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彼は仲間を連れてヴィンランドへの入植を試みたが失敗し、グリーンランドへ帰還した。 |
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}} |
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ヴィンランド発見は長らくサガ(伝説)にすぎず、ヴィンランドがどこであるかすら謎とされていた。 |
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しかし、[[1960年]]に[[カナダ]]東部の[[ニューファンドランド島]]でサガの記述と合致するヴァイキングの遺跡[[ランス・オ・メドー]]が発見され、彼らがこの地に到達していた事実が確定した<ref>{{cite web|title=L'Anse aux Meadows|work=L'Anse aux Meadows National Historic Site of Canada|publisher=Parks Canada|year=2018|url=https://www.pc.gc.ca/en/lhn-nhs/nl/meadows|accessdate=2020-03-03|quote=Here [L'Anse aux Meadows] Norse expeditions sailed from Greenland, building a small encampment of timber-and-sod buildings …}}</ref>。 |
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== コロンブスによる「発見」 == |
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=== 発見の経緯 === |
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[[File:Ridolfo Ghirlandaio Columbus.jpg|thumb|upright|right|クリストファー・コロンブス]] |
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先住民族はもちろん赤毛のエイリーク親子らによってアメリカ大陸が発見されていたことは事実としても、[[15世紀]]までヨーロッパの先進諸国の人々にこの大陸の存在は知られていなかった。 |
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彼らにとっての発見は、[[1500年]]前後のできごとであった。 |
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[[イタリア]]出身の[[航海者]]クリストファー・コロンブスは、[[地球球体説]]に基づき、ヨーロッパから東方ではなく西方に進んでもアジア([[インド]])に到達できると考えた(西廻り航路)。 |
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[[スペイン]]の[[カトリック両王]]の支援を受けたコロンブスは、1492年8月3日に3隻の船と約100人の乗組員を引き連れて[[パロス・デ・ラ・フロンテーラ]]から出航。 |
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10月12日、彼らはアメリカ大陸沖の[[カリブ海]]に浮かぶ[[バハマ]]のサン・サルバドル島へと到達した。 |
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その後、コロンブス一行は[[キューバ]]本島と[[イスパニョーラ島]]を発見。 |
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歓迎した先住民族たちから金品を略奪して虐殺したのちに出航し、スペインへと帰国した。 |
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一般に、彼がサン・サルバドル島に上陸した1492年10月12日を'''コロンブスによるアメリカ大陸の発見'''と呼ぶ。 |
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=== 「真の発見者」論争 === |
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[[File:Amerigo Vespucci.jpg|thumb|upright|right|アメリゴ・ヴェスプッチ]] |
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一方、アメリカ大陸の発見者としてその名を讃えられている人物は、必ずしもコロンブスだけではない。 |
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コロンブスは自身が上陸したのはインドだと誤認しており、新大陸を発見したとは認識していなかった<ref>{{cite book | title=North America: the historical geography of a changing continent | author1=Thomas F. McIlwraith | author2=Edward K. Muller | publisher=Rowman & Littlefield | year=2001 | isbn=978-0-7425-0019-8 | url=https://books.google.com/books?id=8NS0OTXRlTMC&pg=PA35 | page=35 | accessdate=2020-03-03}}</ref>。 |
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これに対し、'''アメリカ大陸が新大陸であるという事実を発見'''したのはイタリアの地理学者・天文学者'''[[アメリゴ・ヴェスプッチ]]'''である。 |
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[[1497年]]から[[1502年]]まで3度にわたってスペイン・ポルトガルの船に同乗して大西洋を横断したヴェスプッチは、[[1503年]]頃、調査の結果をまとめた『新世界』を刊行。 |
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この中で、大西洋を横断した先にあるのはアジアではなく、全く異なる新大陸であることを指摘した<ref>{{cite book |last1=Pohl |first1=Frederick J. |title=Amerigo Vespucci: Pilot Major |date=1944 |publisher=Columbia University Press |location=New York |url=https://hdl.handle.net/2027/mdp.39015003944751}}</ref><ref>{{cite book |last1=Morison |first1=Samuel Eliot |title=The European Discovery of America: The Southern Voyages, 1492-1616 |date=1974 |publisher=Oxford University Press |location=New York |pages=276-312}}</ref>。 |
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これにより、当時の先進国にとってアメリカ大陸の存在は既知の事実となり、アメリカ大陸発見の歴史は幕を閉じた。 |
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[[File:Waldseemuller map 2.jpg|thumb|upright|left|ヴァルトゼーミュラーの地図]] |
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通常、「発見」とは未知の事実に気付くことを言うが、未知の大陸であると気付くことなく辿り着いたコロンブスを発見者と呼ぶべきかどうかは、結局のところ「発見」の定義によることになろう。 |
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地理学者の[[マルティン・ヴァルトゼーミュラー]]は、ヴェスプッチこそが新大陸の発見者であると考え、ヴェスプッチの名前「アメリゴ」から取ってこの大陸を「アメリカ」と命名した。 |
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ヴァルトゼーミュラーの地図はヨーロッパ中に普及し、アメリカという名称が定着した。 |
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一方、コロンブスの航海日誌の要約を出版した[[バルトロメ・デ・ラス・カサス]]は、新大陸の発見者はコロンブスであるから、アメリカ大陸と呼ぶのは不適切であると指摘し、この大陸の名称をインディアス大陸(コロンブスが大陸をインドと誤解したことに基づく)としている<ref>''Historia de las Indias'', 1875?76 ed., Madrid: Ginesta [https://books.google.com/books?id=isZ6AAAAMAAJ&pg=PR1#v=onepage&q&f=false vol. 1], [https://books.google.com/books?id=EHAAAAAAYAAJ&pg=PR5-IA1#v=onepage&q&f=false vol.2], [https://books.google.com/books?id=KPA3AQAAIAAJ&pg=PR3#v=onepage&q&f=false vol.3], [https://books.google.com/books?id=Ks96AAAAMAAJ&pg=PR3#v=onepage&q&f=false vol.4] [https://books.google.com/books?id=CdJ6AAAAMAAJ&pg=PR3#v=onepage&q&f=false vol.5]</ref>。 |
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[[File:Viajes_de_colon_en.svg|thumb|upright|right|コロンブスの4度の航海]] |
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また、(ヨーロッパ世界の人々の中で)最初にアメリカ大陸の'''本土'''に上陸したのが誰であるのかもしばしば論争となる。 |
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最初に本土へ上陸した人物としてよく名前が挙げられるのは、コロンブス、ヴェスプッチのほか、[[ジョン・カボット]]である。 |
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* 1492年10月12日、コロンブスはサン・サルバドル島などカリブ海の島々に上陸したが、大陸本土の存在には気付かず、当然本土への上陸もしなかった。 |
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* 1497年6月24日、カボットがカナダ北東部のどこかの土地に上陸した。カボットの上陸地点は不明である。大陸本土の[[ラブラドル半島]]であるとする説もあるが、本土ではなくニューファンドランド島であるとする説が有力である<ref>{{cite web|year=2007|title=The Cabot Dilemma: John Cabot's 1497 Voyage & the Limits of Historiography|publisher=University of Virginia|accessdate=2020-03-03|last=Derek Croxton|quote=|url=http://www.essaysinhistory.com/the-cabot-dilemma-john-cabots-1497-voyage-the-limits-of-historiography/|df=dmy-all}}</ref>。 |
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* 1497年7月頃、ヴェスプッチは最初の航海をし、大陸本土の[[コスタリカ]]に到達したと伝わる。しかし、一部の学者からはヴェスプッチの最初の航海は史実ではない可能性が指摘されている<ref>{{cite web|url=http://www.fordham.edu/halsall/mod/1497vespucci%2Damerica.html|title=Account of alleged 1497 voyage|publisher=Fordham.edu|date=|accessdate=2020-03-03}}</ref>。 |
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* 1498年8月、コロンブスは3回目の航海で南アメリカ大陸本土[[ベネズエラ]][[オリノコ川]]の河口の[[三角州]]を探検した<ref>{{cite book |first1= Christopher |last1= Columbus |editor-last= Major |editor-first= Richard Henry |title=Select Letters of Christopher Columbus: With Other Original Documents, Relating to His Four Voyages to the New World |publisher=The Hakluyt Society |location= London |url=https://archive.org/details/selectlettersch00colugoog |year=1847 |accessdate=2020-03-03}}</ref><ref>{{cite EB1911 |wstitle=Columbus, Christopher |volume=6 |pages=741?746|first=Charles Raymond|last=Beazley}}</ref>。河口の三角州が大陸本土と言えるかどうかは意見が分かれるところだが、これをもって本土上陸とすることがある。 |
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* 1499年、ヴェスプッチは2回目の航海で大陸本土の[[ガイアナ]]に到達した<ref>{{cite book |last1=Vigneras |first1=Louis-Andre |title=The Discovery of South America and the Andalusian Voyages |date=1976 |publisher=University of Chicago Press}}</ref>。最初の航海とは違い、この航海は史実であることが確認されている。 |
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* 1502年8月14日、コロンブスは4度目の航海で[[ホンジュラス]]のプエルトカスティージャに到着し、大陸本土に上陸した。 |
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以上のように、史実が明らかになっていない点があるため、誰が最初に本土に到達したのかは不明である。 |
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=== 「発見」に対する評価 === |
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[[File:Costa Rica 1897 20 Colones (proof).jpg|thumb|upright|right|コロンブスが描かれたコイン]] |
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コロンブスは、一般的にアメリカ大陸の発見者として世界史における偉人の一人として扱われている。 |
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コロンブスがアメリカ大陸を「発見」した日である10月12日は、長らく様々な国で「[[コロンブス・デー]]」という名称で記念日として祝われていた。 |
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コロンブス・デーは、ペルーでは「アメリカ発見の日」、バハマでは「発見の日」、ハワイでは「発見者たちの日」と呼ばれていた。 |
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[[File:IMAGE0022.JPG|thumb|upright|left|破壊されたコロンブスの像]] |
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一方、コロンブスを発見者として讃えることに対しては、先住民族らを中心に批判の声が絶えなかった。 |
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一部の過激な人々は、コロンブス・デーに合わせてコロンブスの銅像に赤いペンキをかけたり、銅像を破壊したり、セレモニーを妨害したりして、抗議活動を行った<ref>{{cite news|publisher=Daily Californian|url=http://www.dailycal.org/article/19890/berkeley_celebrates_indigenous_peoples_day|title=Berkeley Celebrates Indigenous Peoples' Day|author=Katlyn Carter|date=January 10, 2005}}</ref><ref>{{cite news|work=Los Angeles Times|url=https://pqasb.pqarchiver.com/latimes/access/61556036.html?dids=61556036:61556036&FMT=ABS&FMTS=ABS:FT&type=current&date=Jan+11%2C+1992&author=&pub=Los+Angeles+Times+%28pre-1997+Fulltext%29&desc=%60Indigenous+Peoples+Day%27+to+Replace+Columbus+Celebration&pqatl=google|date=January 11, 1992|title='Indigenous Peoples Day' to Replace Columbus Celebration}}</ref><ref>{{cite news|work=Los Angeles Times|url=http://articles.latimes.com/1992-10-12/news/mn-160_1_columbus-day-parade|title=Protesters Stop Mock Landing of Columbus|author=Michael S. Arnold|date=October 12, 1992}}</ref>。 |
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[[File:Christopher Columbus' Soldiers Chop the Hands off of Arawak Indians who Failed to Meet the Mining Quota.jpg|thumb|upright|right|コロンブスによる虐殺]] |
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コロンブスに対する評価が分かれる理由は、大別すると2つある<ref>{{cite web|last1=Weatherford|first1=Jack|title=Examining the Reputation of Christopher Columbus|url=http://www.hartford-hwp.com/Taino/docs/columbus.html|website=hartford-hwp.com|publisher=Baltimore Evening Sun, reprinted by Clergy and Laity Concerned|accessdate=2020-03-03|url-status=live|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161020221801/http://www.hartford-hwp.com/Taino/docs/columbus.html|archivedate=October 20, 2016|df=mdy-all}}</ref><ref>{{cite web|title='Repertorium Columbianum' Makes Landfall|author=UC Newsroom|date=October 6, 2004|url=http://www.universityofcalifornia.edu/news/article/6664|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130116163703/http://www.universityofcalifornia.edu/news/article/6664|archivedate=2013-01-16|accessdate=2020-03-03}}</ref>。 |
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一つは、先住民族が遥かに先に発見していた土地を後から再発見しただけのコロンブスを過度に評価することは、極端なヨーロッパ中心主義であるとの見方があるためである。 |
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もう一つは、コロンブスは先住民族に対する殺戮を繰り返してスペイン政府から逮捕された凶悪犯罪者としての一面を持つためである<ref>{{cite web |title=Columbus Controversy |url=http://www.history.com/topics/exploration/columbus-controversy |publisher= A&E Television Networks |accessdate=2020-03-03}}</ref><ref>{{Cite news |author=Giles Tremlett |title=Lost document reveals Columbus as tyrant of the Caribbean |url=https://www.theguardian.com/world/2006/aug/07/books.spain |work=The Guardian |location=UK |date=7 August 2006 |accessdate=2020-03-03}}</ref>。 |
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[[2015年]]に[[アメリカ合衆国]]の国民を対象にして行われた調査では、アメリカ大陸の発見者に最も相応しい人物としてコロンブスを挙げた人は22%に留まり、38%の人がコロンブス・デーを祝うことに反対した<ref>{{cite news|last1=Edwards-Levy|first1=Ariel|title=Americans Are Split Over Whether Columbus Deserves A Holiday|url=http://www.huffingtonpost.com/entry/columbus-day-poll_us_561c12f2e4b0e66ad4c8daec|newspaper=The Huffington Post|accessdate=2020-03-03|url-status=live|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161007121741/http://www.huffingtonpost.com/entry/columbus-day-poll_us_561c12f2e4b0e66ad4c8daec|archivedate=October 7, 2016|df=mdy-all|date=2015-10-12}}</ref>。 |
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現在では、コロンブス・デーの名称を「先住民族の日」などに変更し、先住民族虐殺の歴史を悼む日としている国も多い。 |
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なお、欧米では、コロンブスによるアメリカ大陸の発見を中心にヨーロッパ各国が世界各地へ進出した時代を「発見の時代 (Age of Discovery)」と呼ぶ。 |
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これに対し、コロンブスによるアメリカ大陸の発見はヨーロッパを中心にした偏ったものの見方であるとして、[[東京大学]]教授の[[増田義郎]]が考案した日本独自の用語が「[[大航海時代]]」である。 |
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== その他の発見説 == |
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=== ポリネシア人アメリカ大陸発見説 === |
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[[File:Chronological dispersal of Austronesian people across the Pacific (per Bellwood in Chambers, 2008).png|thumb|upright|right|ユーラシア大陸からポリネシアへの移住]] |
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太平洋の島々([[ポリネシア]])に住む[[ポリネシア人]]がアメリカ大陸へ到達していたとする説がある。 |
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ポリネシア人が住む最も東の島である[[イースター島]]は、ユーラシア大陸の[[マレーシア]]・[[ジョホール州]]南端から約15400km、オーストラリア大陸の[[オーストラリア]]・[[ビクトリア州]]東端から約9100km、アメリカ大陸の[[チリ]]・[[ビオビオ州]]西端から約3500kmの地点に位置し、地理的に最も近いのはアメリカ大陸である。 |
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ユーラシア大陸からここまで離れた島々へ移り住むほどの優れた航海技術を持っているならば、アメリカ大陸まで到達することも可能だったのではないかという考えからこの説が生まれた。 |
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ポリネシア人がアメリカ大陸を発見していた可能性はあるが、2019年現在、それを示す確たる証拠はない。 |
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[[File:Annouimo.jpg|thumb|upright|right|サツマイモ]] |
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従来、この説の最大の根拠とされていたのは、ポリネシア人が[[サツマイモ]]を栽培していたことである。 |
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サツマイモは南アメリカ原産の作物であるが、[[放射性炭素年代測定]]によってポリネシアの[[クック諸島]]には西暦[[1000年]]頃にはすでにサツマイモが存在したことが分かっている<ref>{{cite book | |
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last1=Tilburg |first1=Van |last2=Anne |first2=Jo |title=Easter Island: Archaeology, Ecology and Culture |publisher=Smithsonian Institution Press |year=1994 }}</ref>。 |
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しかし、その後[[2018年]]にサツマイモの遺伝子調査が行われ、ポリネシアのサツマイモは11万年前に南アメリカのサツマイモから分化した種であることが判明した<ref>{{cite journal |last1=Munoz-Rodriguez |first1=Pablo |title=Reconciling Conflicting Phylogenies in the Origin of Sweet Potato and Dispersal to Polynesia |journal=Current Biology |year=2018 |doi=10.1016/j.cub.2018.03.020, 2018}}</ref>。 |
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ポリネシアに人が住み始めたのは[[紀元前10世紀]]頃とされているので、ポリネシアのサツマイモは人の手によって持ち込まれたのではなく、人が住み始めるよりも前に鳥などによって自然にもたらされたことになる。 |
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[[2007年]]には、南アメリカのチリで発見された[[ニワトリ]]の遺伝子が、ポリネシアの[[アメリカ領サモア]]や[[トンガ]]のニワトリと一致しているとする研究が発表され、ポリネシア人とアメリカ大陸との接触を示す新たな証拠として注目された<ref>{{cite journal |url=http://www.livescience.com/history/070604_polynesian_chicken.html |title= Chicken Bones Suggest Polynesians Found Americas Before Columbus |journal=Live Science |date=June 4, 2007 |accessdate=2020-03-03 |last=Whipps |first=Heather }}</ref><ref>{{cite web|url=http://archive.archaeology.org/0801/topten/chicken.html|title=Top 10 Discoveries of 2007 ? Polynesian Chickens in Chile ? Archaeology Magazine Archive|work=archaeology.org|accessdate=2020-03-03}}</ref>。 |
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しかし、他の研究者からは、現代のニワトリの遺伝子の混入が原因であるとして否定的な見解が繰り返し示されている<ref>{{Cite journal |last1 = Gongora |first1 = J. |last2 = Rawlence |first2 = N. J. |last3 = Mobegi |first3 = V. A. |last4 = Jianlin |first4 = H. | last5 = Alcalde | first5 = J. A. | last6 = Matus | first6 = J. T. | last7 = Hanotte | first7 = O. | last8 = Moran | first8 = C. | last9 = Austin | first9 = J. J. | last10 = Ulm | first10 = S. | last11 = Anderson | first11 = A. J. | last12 = Larson | first12 = G. | last13 = Cooper | first13 = A. | doi = 10.1073/pnas.0801991105 | title = Indo-European and Asian origins for Chilean and Pacific chickens revealed by mtDNA | journal = Proceedings of the National Academy of Sciences | volume = 105 | issue = 30 | pages = 10308?10313 | year = 2008 | pmid = 18663216 | pmc =2492461 | bibcode = 2008PNAS..10510308G}}</ref><ref>{{cite journal|last1=Thomson|first1=Vicki A|first2=Ophelie |last2=Lebrasseur |first3=Jeremy J. |last3=Austin |first4=Terry L. |last4=Hunt |first5=David A. |last5=Burney |first6=Tim |last6=Denham |first7=Nicolas J. |last7=Rawlence |first8=Jamie R. |last8=Wood |first9=Jaime |last9=Gongor |first10=Linus Girdland |last10=Flink |first11=Anna |last11=Linderholm |first12=Keith |last12=Dobney |first13=Greger |last13=Larson |first14=Alan |last14=Cooper |title=Using ancient DNA to study the origins and dispersal of ancestral Polynesian chickens across the Pacific |journal=Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America|date=April 1, 2014 |volume=111 |issue=13 |pages=4826?4831 |doi=10.1073/pnas.1320412111 |pmid=24639505 |pmc=3977275 |bibcode=2014PNAS..111.4826T}}</ref>。 |
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このほか、イースター島の[[モアイ]]は、アメリカの古代文明の影響によって作られたのではないかなど様々な仮説が立てられているが、真相の解明には至っていない。 |
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=== バスク人アメリカ大陸発見説 === |
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[[File:FMIB 39769 Northern Whale Fishery (Zorgdrager, 1720).jpeg|thumb|upright|right|バスク人の捕鯨船]] |
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[[フランス]]やスペインに住む[[バスク人]]は[[14世紀]]からカナダのニューファンドランド島で漁をしていたとする説がある<ref>{{Cite web | url=https://www.abc.es/espana/20150514/abci-balleneros-vascos-estuvieron-america-201505131925.html |title = El mito de que los balleneros vascos estuvieron en América antes que Cristóbal Colón|date =2015-03-13|accessdate=2020-03-03}}</ref><ref>{{cite book |last1=Urzainqui |first1=T.|last2=de Olaizola |first2=J. M. |title=La Navarra Maritima |publisher=Pamiela |year=1998}}</ref>。 |
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16世紀の歴史学者のベルトラン・ダルジャントレによると、バスク人は[[1375年]]頃に[[クジラ]]を追ってニューファンドランド島に辿り着き、そこで[[タラ]]の漁場を発見したが、漁場を独占するために長らくそれを秘密にしていたという。彼らがコロンブス以降16世紀の早い段階からニューファンドランド島で漁を行っていたのは確実である。 |
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しかし、2019年現在、バスク人が漁をしていた証拠が見つかっているのは[[1517年]]以降のもののみである。 |
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=== 中国人アメリカ大陸発見説 === |
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文化的な共通点などを根拠に、[[中国]]人がアメリカ大陸を発見していたとする説がある<ref>{{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20010802024552/http://www.chinese.tcu.edu/www_chinese3_tcu_edu.htm |date=August 2, 2001 }}</ref>。 |
|||
[[イギリス海軍]]少佐の[[ギャヴィン・メンジーズ]]は、[[明]]の[[武将]]で[[朝貢]][[外交]]および[[貿易]]の責任者であった[[鄭和]]が率いる船団が、[[1421年]]にアメリカ大陸を発見していたと主張している<ref>{{cite book |last1=Menzies |first1=Gavin| title=1421: The Year China Discovered the World |publisher=Transworld Publishers |year=2003 }}</ref>。 |
|||
これに対し、多くの専門家は中国から東南アジアやインドを経由して中東に向かう航路であったとして、メンジーズに否定的な見解を示している<ref>{{cite web|url=http://1421exposed.com/|title=The 1421 myth exposed|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180318191709/http://1421exposed.com/|archivedate=March 18, 2018|url-status=dead|accessdate=2020-03-03}}</ref><ref>{{cite web |title=Zheng He in the Americas and Other Unlikely Tales of Exploration and Discovery |url=http://www.csicop.org/sb/2004-09/tales.html |accessdate=2020-03-03 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20070317044419/http://www.csicop.org/sb/2004-09/tales.html |archivedate = March 17, 2007}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.asianreviewofbooks.com:80/arb/article.php?article=201|title=1421: The Year China Discovered the World by Gavin Menzies|archiveurl=https://web.archive.org/web/20030705160338/http://www.asianreviewofbooks.com:80/arb/article.php?article=201|archivedate=July 5, 2003|url-status=dead|accessdate=2020-03-03}}</ref><ref>{{cite journal |last=Finlay |first=Robert |url=http://www.michaelsheiser.com/PaleoBabble/1421.pdf |title=How Not to (Re)Write World History: Gavin Menzies and the Chinese Discovery of America |journal=Journal of World History |volume=15 |issue=2 |year=2004 |doi=10.1353/jwh.2004.0018 |pages=229?242 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131109021554/http://www.michaelsheiser.com/PaleoBabble/1421.pdf |archivedate=November 9, 2013 }}</ref>。 |
|||
[[2015年]]には、アメリカ合衆国の[[ニューメキシコ州]]にあるペトログリフ国定公園で古代中国の[[象形文字]]が発見されたとする研究が発表され、注目を集めた<ref>{{cite web|url=https://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-3152556/Did-China-discover-AMERICA-Ancient-Chinese-script-carved-rocks-prove-Asians-lived-New-World-3-300-years-ago.html|title=Did China discover AMERICA? Ancient Chinese script carved into rocks may prove Asians lived in New World 3,300 years ago|accessdate=2020-03-03}}</ref>。 |
|||
この研究に対する評価は固まっていない。 |
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== 神話の中でのアメリカ大陸発見 == |
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[[File:The Voyage of St. Brandan by Edward Reginald Frampton, 1908, oil on canvas - Chazen Museum of Art - DSC02356.JPG|thumb|upright|right|クロンファートのブレンダン]] |
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コロンブス以降、様々な国の神話や民話の中でアメリカ大陸発見に関する伝説が語られるようになっている。 |
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* [[6世紀]]頃の[[ケルト系キリスト教]]の[[聖人]]である[[クロンファートのブレンダン]]は[[ティル・ナ・ノーグ]]への旅をした人物として伝わる。彼の旅の物語には様々なバリエーションがあるが、その中にアメリカ大陸を訪れていたとするものがある。彼が訪れた地がアメリカ大陸であったということには一切の根拠がないが、宗教的意義を伴って[[ケルト人]]の間で広く信じられている<ref>{{cite web|author=T. J. Oleson |title=Brendan, Saint |work=in Dictionary of Canadian Biography, vol. 1 |publisher=University of Toronto/Université Laval |year=2003 |accessdate=2020-03-13 |url=http://www.biographi.ca/en/bio/brendan_saint_1E.html}}</ref>。 |
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* [[ウェールズ]]公[[オワイン・グウィネズ]]の王子であるマドックが[[1170年]]にアメリカ大陸に移住を試みていたとする伝説がある。これは民間伝承に基づく神話にすぎないが、16世紀以降に[[イギリス]]が北アメリカ大陸領有の正統性を主張するためにこの神話を使用したことで有名になった<ref>{{cite book|last=Curran|first=Bob|title=Mysterious Celtic Mythology in American Folklore|url=https://books.google.com/books?id=zyrjIoOziJgC|date=20 August 2010|publisher=Pelican Publishing|isbn=978-1-58980-917-8}}</ref><ref>{{cite book|last=Fowler|first=Don D.|title=Laboratory for Anthropology: Science and Romanticism in the American Southwest, 1846–1930|url=https://books.google.com/books?id=CcW5RwAACAAJ|date=15 September 2010|publisher=Utah Press, Universi|isbn=978-1-60781-035-3}}</ref>。 |
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* [[聖杯伝説]]と関連し、[[テンプル騎士団]]のヘンリー・シンクレアが[[14世紀]]末に北アメリカ大陸を探検していたとする伝説がある。16世紀になってから発見された手紙が根拠とされていたが、この手紙は捏造と結論付けられており、創作にかかるものである<ref>{{cite web|author=T. J. Oleson |title=ZENO, NICOLÒ |work=in Dictionary of Canadian Biography, vol. 1 |publisher=University of Toronto/Université Laval |year=2003 |accessdate=2020-03-13 |url=http://www.biographi.ca/en/bio/zeno_nicolo_1E.html}}</ref>。しかし、『[[レンヌ=ル=シャトーの謎]]』に端を発する一連の疑似神話書籍の流行により、多くの人々がこの伝説を信じている<ref>{{cite book|publisher=The History Channel|location=US|title=The Templar Code|date= May 17, 2006}}</ref><ref>{{cite book |last1=Knight |first1=Christopher|last2=Lomas |first2=Robert |title=The Hiram Key: Pharaohs, Freemasonry, and The Discovery of The Secret Scrolls of Jesus |publisher=London: Century |year=1996}}</ref>。 |
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* [[探検]] - [[発見#発見するということ]] |
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* [[暗黒大陸]] - [[アフリカ大陸]] |
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* [[アメリカ合衆国の歴史]] |
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2020年3月13日 (金) 08:25時点における版
アメリカ大陸の発見(アメリカたいりくのはっけん)とは、アメリカ大陸への最初の到達を意味する歴史学用語である。
概要
1492年10月12日、クリストファー・コロンブスがヨーロッパから大西洋を横断し、アメリカ大陸周辺の島であるサン・サルバドル島に到達した。 コロンブスを契機として、多くの航海者がヨーロッパからアメリカ大陸へと渡り、ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化が進んだ。 ヨーロッパ世界にとっては、コロンブスのアメリカ大陸周辺諸島への到達は新世界の発見にほかならず、その後のアメリカ大陸の帰趨を決定付ける象徴的な出来事であったことから、長らく「アメリカ大陸の発見」という言葉で語られてきた。
一方で、コロンブス以前からアメリカ州の先住民族が定住していたことは動かぬ事実であるから、全人類の中で始めてこの大陸を発見した人物がコロンブスでないことは言うまでもない。 先住民族らからは、「アメリカ大陸の発見」はヨーロッパ中心主義に基づいた不適切な言葉であるとたびたび批判されてきた。 さらに、先住民族以外にもさまざまな文化圏の人々がコロンブス以前にアメリカ大陸に到達していた可能性が指摘されるようになっている。
ここでは、ヨーロッパ世界の人々だけでなく、先住民族および各文化圏の人々によるアメリカ大陸への到達をいずれも「アメリカ大陸の発見」であると定義し、発見の歴史を俯瞰する。
先住民族による「発見」
クローヴィス・ファースト仮説
人類で最初にこの大陸を発見したのは、アメリカ州の先住民族の祖先のうちの誰かであると考えられている。 しかし、いつどうやって発見したのかは分かっていない。
1960年代まで通説とされていたのは、約2.1万年前のLGM(最終氷期最盛期)から約1.2万年前の最終氷期終了までの間に、北アメリカ大陸に最初の人類が到達し、これらの人々がアメリカ先住民族の共通の祖先になったとする説(クローヴィス・ファースト仮説)である[1][2][3]。 概略すると、次のような説である。
LGMの時期、地球の寒冷化に伴い、海水が氷雪として陸地に積み重なった結果、地球全体で海面が大きく低下した。 これにより、ベーリング海の一部が陸地と化し、ユーラシア大陸北東部のシベリアと、アメリカ大陸北西部のアラスカとを陸続きで繋ぐベーリング地峡が形成された。 このベーリング地峡を通って、モンゴロイド系の人々がアラスカに到達した。 しかし、当時は現在のカナダが厚いローレンタイド氷床に覆われており、人々は数千年間行く手を阻まれていた。 氷期の終わりが近付いて地球が温暖化し始めた1.4万年前頃から、海面の上昇によってベーリング地峡は水没し、人々は退路を断たれたが、一方でローレンタイド氷床の一部が解けてカナダへ進出するための道(無氷の回廊)が開けた。 無氷の回廊を通って南下した人々は各地に広まり、一部の人々はさらに南下してやがて南アメリカ大陸まで到達した。 こうして、ベーリング地峡から来た人々はアメリカ先住民族の共通の祖先となった。
この説を裏付ける最大の根拠とされていたのが、20世紀前半にアメリカ大陸各地で発見されたクローヴィス文化の痕跡である。 クローヴィス文化は、特徴的な形状を持つ石器文化であり、1.3万年前頃にアメリカ大陸北部で現れ、徐々に広まっていった。 当時、この文化はアメリカ大陸の最初の人類の文化とされ、最終氷期後期に北方から人類が流入したことを示す証拠と考えられていた。
クローヴィス・ファースト仮説の否定
これに対し、1970年代以降、様々な新証拠が発見され、クローヴィス・ファースト仮説は否定されている。 1974年、ブラジル南東部のベロオリゾンテ付近から約1.1万年前の人骨(ルジア・ウーマン)が発見された[4]。 1975年、チリ南部で発見されたモンテヴェルデの遺跡からは約1.5万年前に人類が定住していた証拠が発見された[5]。 これらの相次ぐ発見は、最終氷期の後期には、すでに南アメリカ大陸に人類が定住していたことを示唆するものであり、ローレンタイド氷床が解けるのを待って人類が南下したとするクローヴィス・ファースト仮説は時系列に重大な疑義が生じた。
その後も、クローヴィス・ファースト仮説の時系列と矛盾する証拠が次々と見つかり、2003年にはブラジルセラ・ダ・カピバラ国立公園にあるペトラ・フラダの遺跡で約4万年前(ただし、年代には異論もある)に人類が火を使用した痕跡が見つかったとの調査結果が発表された[6]。 21世紀以降の先住民族の遺伝子調査では、異なる遺伝子を持つ人々の存在が示唆された[7][8]。
2010年代に入ると、クローヴィス・ファースト仮説を支持する学者はほとんどいなくなり、もはやこれが通説でないことが確認された[9][10][11]。 現在では、クローヴィス以前に人類がこの大陸に到達していたことはまず間違いないと考えられている。 なお、(最初の発見者ではないにしても)クローヴィスの人々が先住民族の重要なルーツの一つであること自体は否定されていない。
最初の「発見者」の謎
クローヴィス・ファースト仮説が誤りであることは判明したが、最初の人類がいつどうやってアメリカ大陸へ到達したのか、そしてどうやってローレンタイド氷床を越えて南アメリカ大陸へと進出したのかは未だ謎に包まれている。
一部の学者は、ローレンタイド氷床によってカナダが閉ざされるよりも前、すなわちLGM以前(例えば4万年前頃)にすでに最初の人類がアメリカ大陸に到達しており、第二波としてLGM以降にベーリング地峡からクローヴィスの人々が到達したとする説を提唱している[12][13][14]。 一方、クローヴィス・ファースト仮説の大枠を継承しつつも一部を修正し、LGM直後の1.9万年前頃からたびたびベーリング地峡を通じた移住があり、クローヴィス文化を持つ人々はそのうちの一つのグループであったとする説もある[15][16]。
移動ルートには謎が残るが、海路を使ったとする説が有力である[17][18][19]。 シベリアからアラスカ、そして北アメリカ大陸西部、南アメリカ大陸西部へと太平洋沿岸部を船で移動したとする説のほか、ベーリング地峡からアラスカまで陸路で到達した人々がそこから海路でローレンタイド氷床を迂回したとする説もある。 また、ヨーロッパから大西洋を横断したとする説もあった(ソルトリアン仮説)が、その後の遺伝子調査によって否定的な見解が示されている[20][21][22][23][24]。
シベリア・エスキモーによる「発見」
ベーリング地峡が水没し、アメリカ大陸が隔絶されてからは、新たにシベリアからアメリカ大陸へ到達する者はほとんどいなかったと考えられている。
しかし、シベリアとアラスカに住むエスキモーには、極めて多くの文化的・遺伝的共通点がある。 多くのアメリカ先住民族のルーツが最終氷期にシベリアからベーリング地峡を渡ってきた人だとすれば、両者に一定の類似が見られるのは当然であるが、その類似の程度は1万年以上分断されていたとするには無理があり、最終氷期以降も交流があったはずだと指摘されてきた[25]。
2015年、シベリアとアラスカの交流を裏付ける物的証拠が初めて発見された。 アラスカスワード半島のエスペンベルグ岬の1100年ほど前の遺跡から、青銅器や黒曜石などの遺物が見つかったのである。 鑑定の結果、アジアで採掘された金属が使われていることが判明し、シベリアを通じて文化的接触があったことが確認された[26][27]。
赤毛のエイリーク親子による「発見」
10世紀頃、北ヨーロッパのノース人(ヴァイキング)赤毛のエイリークがアメリカ大陸北東部の島であるグリーンランドを発見し、その息子であるレイフ・エリクソンがカナダのニューファンドランド島を発見した。
グリーンランド人のサガと赤毛のエイリークのサガに記載された発見の経緯は、以下のようなものである[28][29]。
エイリークは、父親の罪によりノルウェーとアイスランドを追放された。 この際、グンビョルン・ウールフスソンという人物が漂流したときに西方に巨大な陸地があるのを目撃したと語っていたことを思い出し、この土地を目指すことにした。 船で大西洋の北部を横断したエイリークは、982年頃にグリーンランドへの上陸に成功した。 グリーンランドへの航路を確立したエイリークは、アイスランドに帰還すると仲間を募り、グリーンランドへの集団入植を開始した(ノース人によるアメリカ大陸の植民地化)。 グリーンランド入植は成功し、エイリークはこの地の主となった。 1000年頃、エイリークの息子であるレイフ・エリクソンは、グリーンランドとノルウェーを行き来するうち、偶然にもグリーンランドよりも南方のヘッルランド、マルクランド、そしてヴィンランドを発見した。 彼は仲間を連れてヴィンランドへの入植を試みたが失敗し、グリーンランドへ帰還した。
ヴィンランド発見は長らくサガ(伝説)にすぎず、ヴィンランドがどこであるかすら謎とされていた。 しかし、1960年にカナダ東部のニューファンドランド島でサガの記述と合致するヴァイキングの遺跡ランス・オ・メドーが発見され、彼らがこの地に到達していた事実が確定した[30]。
コロンブスによる「発見」
発見の経緯
先住民族はもちろん赤毛のエイリーク親子らによってアメリカ大陸が発見されていたことは事実としても、15世紀までヨーロッパの先進諸国の人々にこの大陸の存在は知られていなかった。 彼らにとっての発見は、1500年前後のできごとであった。
イタリア出身の航海者クリストファー・コロンブスは、地球球体説に基づき、ヨーロッパから東方ではなく西方に進んでもアジア(インド)に到達できると考えた(西廻り航路)。 スペインのカトリック両王の支援を受けたコロンブスは、1492年8月3日に3隻の船と約100人の乗組員を引き連れてパロス・デ・ラ・フロンテーラから出航。 10月12日、彼らはアメリカ大陸沖のカリブ海に浮かぶバハマのサン・サルバドル島へと到達した。 その後、コロンブス一行はキューバ本島とイスパニョーラ島を発見。 歓迎した先住民族たちから金品を略奪して虐殺したのちに出航し、スペインへと帰国した。
一般に、彼がサン・サルバドル島に上陸した1492年10月12日をコロンブスによるアメリカ大陸の発見と呼ぶ。
「真の発見者」論争
一方、アメリカ大陸の発見者としてその名を讃えられている人物は、必ずしもコロンブスだけではない。
コロンブスは自身が上陸したのはインドだと誤認しており、新大陸を発見したとは認識していなかった[31]。 これに対し、アメリカ大陸が新大陸であるという事実を発見したのはイタリアの地理学者・天文学者アメリゴ・ヴェスプッチである。 1497年から1502年まで3度にわたってスペイン・ポルトガルの船に同乗して大西洋を横断したヴェスプッチは、1503年頃、調査の結果をまとめた『新世界』を刊行。 この中で、大西洋を横断した先にあるのはアジアではなく、全く異なる新大陸であることを指摘した[32][33]。 これにより、当時の先進国にとってアメリカ大陸の存在は既知の事実となり、アメリカ大陸発見の歴史は幕を閉じた。
通常、「発見」とは未知の事実に気付くことを言うが、未知の大陸であると気付くことなく辿り着いたコロンブスを発見者と呼ぶべきかどうかは、結局のところ「発見」の定義によることになろう。 地理学者のマルティン・ヴァルトゼーミュラーは、ヴェスプッチこそが新大陸の発見者であると考え、ヴェスプッチの名前「アメリゴ」から取ってこの大陸を「アメリカ」と命名した。 ヴァルトゼーミュラーの地図はヨーロッパ中に普及し、アメリカという名称が定着した。 一方、コロンブスの航海日誌の要約を出版したバルトロメ・デ・ラス・カサスは、新大陸の発見者はコロンブスであるから、アメリカ大陸と呼ぶのは不適切であると指摘し、この大陸の名称をインディアス大陸(コロンブスが大陸をインドと誤解したことに基づく)としている[34]。
また、(ヨーロッパ世界の人々の中で)最初にアメリカ大陸の本土に上陸したのが誰であるのかもしばしば論争となる。 最初に本土へ上陸した人物としてよく名前が挙げられるのは、コロンブス、ヴェスプッチのほか、ジョン・カボットである。
- 1492年10月12日、コロンブスはサン・サルバドル島などカリブ海の島々に上陸したが、大陸本土の存在には気付かず、当然本土への上陸もしなかった。
- 1497年6月24日、カボットがカナダ北東部のどこかの土地に上陸した。カボットの上陸地点は不明である。大陸本土のラブラドル半島であるとする説もあるが、本土ではなくニューファンドランド島であるとする説が有力である[35]。
- 1498年8月、コロンブスは3回目の航海で南アメリカ大陸本土ベネズエラオリノコ川の河口の三角州を探検した[37][38]。河口の三角州が大陸本土と言えるかどうかは意見が分かれるところだが、これをもって本土上陸とすることがある。
- 1502年8月14日、コロンブスは4度目の航海でホンジュラスのプエルトカスティージャに到着し、大陸本土に上陸した。
以上のように、史実が明らかになっていない点があるため、誰が最初に本土に到達したのかは不明である。
「発見」に対する評価
コロンブスは、一般的にアメリカ大陸の発見者として世界史における偉人の一人として扱われている。 コロンブスがアメリカ大陸を「発見」した日である10月12日は、長らく様々な国で「コロンブス・デー」という名称で記念日として祝われていた。 コロンブス・デーは、ペルーでは「アメリカ発見の日」、バハマでは「発見の日」、ハワイでは「発見者たちの日」と呼ばれていた。
一方、コロンブスを発見者として讃えることに対しては、先住民族らを中心に批判の声が絶えなかった。 一部の過激な人々は、コロンブス・デーに合わせてコロンブスの銅像に赤いペンキをかけたり、銅像を破壊したり、セレモニーを妨害したりして、抗議活動を行った[40][41][42]。
コロンブスに対する評価が分かれる理由は、大別すると2つある[43][44]。 一つは、先住民族が遥かに先に発見していた土地を後から再発見しただけのコロンブスを過度に評価することは、極端なヨーロッパ中心主義であるとの見方があるためである。 もう一つは、コロンブスは先住民族に対する殺戮を繰り返してスペイン政府から逮捕された凶悪犯罪者としての一面を持つためである[45][46]。
2015年にアメリカ合衆国の国民を対象にして行われた調査では、アメリカ大陸の発見者に最も相応しい人物としてコロンブスを挙げた人は22%に留まり、38%の人がコロンブス・デーを祝うことに反対した[47]。 現在では、コロンブス・デーの名称を「先住民族の日」などに変更し、先住民族虐殺の歴史を悼む日としている国も多い。
なお、欧米では、コロンブスによるアメリカ大陸の発見を中心にヨーロッパ各国が世界各地へ進出した時代を「発見の時代 (Age of Discovery)」と呼ぶ。 これに対し、コロンブスによるアメリカ大陸の発見はヨーロッパを中心にした偏ったものの見方であるとして、東京大学教授の増田義郎が考案した日本独自の用語が「大航海時代」である。
その他の発見説
ポリネシア人アメリカ大陸発見説
太平洋の島々(ポリネシア)に住むポリネシア人がアメリカ大陸へ到達していたとする説がある。
ポリネシア人が住む最も東の島であるイースター島は、ユーラシア大陸のマレーシア・ジョホール州南端から約15400km、オーストラリア大陸のオーストラリア・ビクトリア州東端から約9100km、アメリカ大陸のチリ・ビオビオ州西端から約3500kmの地点に位置し、地理的に最も近いのはアメリカ大陸である。 ユーラシア大陸からここまで離れた島々へ移り住むほどの優れた航海技術を持っているならば、アメリカ大陸まで到達することも可能だったのではないかという考えからこの説が生まれた。 ポリネシア人がアメリカ大陸を発見していた可能性はあるが、2019年現在、それを示す確たる証拠はない。
従来、この説の最大の根拠とされていたのは、ポリネシア人がサツマイモを栽培していたことである。 サツマイモは南アメリカ原産の作物であるが、放射性炭素年代測定によってポリネシアのクック諸島には西暦1000年頃にはすでにサツマイモが存在したことが分かっている[48]。 しかし、その後2018年にサツマイモの遺伝子調査が行われ、ポリネシアのサツマイモは11万年前に南アメリカのサツマイモから分化した種であることが判明した[49]。 ポリネシアに人が住み始めたのは紀元前10世紀頃とされているので、ポリネシアのサツマイモは人の手によって持ち込まれたのではなく、人が住み始めるよりも前に鳥などによって自然にもたらされたことになる。
2007年には、南アメリカのチリで発見されたニワトリの遺伝子が、ポリネシアのアメリカ領サモアやトンガのニワトリと一致しているとする研究が発表され、ポリネシア人とアメリカ大陸との接触を示す新たな証拠として注目された[50][51]。 しかし、他の研究者からは、現代のニワトリの遺伝子の混入が原因であるとして否定的な見解が繰り返し示されている[52][53]。
このほか、イースター島のモアイは、アメリカの古代文明の影響によって作られたのではないかなど様々な仮説が立てられているが、真相の解明には至っていない。
バスク人アメリカ大陸発見説
フランスやスペインに住むバスク人は14世紀からカナダのニューファンドランド島で漁をしていたとする説がある[54][55]。
16世紀の歴史学者のベルトラン・ダルジャントレによると、バスク人は1375年頃にクジラを追ってニューファンドランド島に辿り着き、そこでタラの漁場を発見したが、漁場を独占するために長らくそれを秘密にしていたという。彼らがコロンブス以降16世紀の早い段階からニューファンドランド島で漁を行っていたのは確実である。 しかし、2019年現在、バスク人が漁をしていた証拠が見つかっているのは1517年以降のもののみである。
中国人アメリカ大陸発見説
文化的な共通点などを根拠に、中国人がアメリカ大陸を発見していたとする説がある[56]。
イギリス海軍少佐のギャヴィン・メンジーズは、明の武将で朝貢外交および貿易の責任者であった鄭和が率いる船団が、1421年にアメリカ大陸を発見していたと主張している[57]。 これに対し、多くの専門家は中国から東南アジアやインドを経由して中東に向かう航路であったとして、メンジーズに否定的な見解を示している[58][59][60][61]。
2015年には、アメリカ合衆国のニューメキシコ州にあるペトログリフ国定公園で古代中国の象形文字が発見されたとする研究が発表され、注目を集めた[62]。 この研究に対する評価は固まっていない。
神話の中でのアメリカ大陸発見
コロンブス以降、様々な国の神話や民話の中でアメリカ大陸発見に関する伝説が語られるようになっている。
- 6世紀頃のケルト系キリスト教の聖人であるクロンファートのブレンダンはティル・ナ・ノーグへの旅をした人物として伝わる。彼の旅の物語には様々なバリエーションがあるが、その中にアメリカ大陸を訪れていたとするものがある。彼が訪れた地がアメリカ大陸であったということには一切の根拠がないが、宗教的意義を伴ってケルト人の間で広く信じられている[63]。
- ウェールズ公オワイン・グウィネズの王子であるマドックが1170年にアメリカ大陸に移住を試みていたとする伝説がある。これは民間伝承に基づく神話にすぎないが、16世紀以降にイギリスが北アメリカ大陸領有の正統性を主張するためにこの神話を使用したことで有名になった[64][65]。
- 聖杯伝説と関連し、テンプル騎士団のヘンリー・シンクレアが14世紀末に北アメリカ大陸を探検していたとする伝説がある。16世紀になってから発見された手紙が根拠とされていたが、この手紙は捏造と結論付けられており、創作にかかるものである[66]。しかし、『レンヌ=ル=シャトーの謎』に端を発する一連の疑似神話書籍の流行により、多くの人々がこの伝説を信じている[67][68]。
脚注
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