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[[File:Dais 2 (PSF).png|thumb|典型的な西洋式玉座の絵。[[座具]]は壇上に設置され、その上には[[天蓋]]がある。]]
{{翻訳中途|1=[[:en:Throne]]|date=2008年12月}}
[[Image:Inside the Forbidden City.jpg|thumb|250px|王朝時代、中国皇帝の玉座は龍の彫刻に彩られ、「世界の中心」である[[紫禁城]]の中心に据え付けられた。皇帝に謁見するにはいくつもの門と通路を通過する必要があり、それがさらに皇帝の威厳を誇示するのに役立った。]]


'''玉座'''(ぎょくざとは、[[君主]]の[[座具]]のこと。[[日本]]においては、[[天皇]]の玉座である[[高御座]]([[京都御所]][[紫宸殿]])などが有名である。
'''玉座'''(ぎょくざ、英:throne)とは、国家の[[君主]]([[国王]]や[[皇帝]]など)ためにある[[座具]]のこと。[[日本]]においては、[[天皇]]の玉座である[[高御座]]([[京都御所]][[紫宸殿]])が有名である。抽象的な意味では、玉座が[[君主制]]や[[王権]]そのものを指すこともある。
<!-- 英文ではpower behind the throne(玉座の背後にいる力)というイディオムが続けて説明されているが、日本語では「政権の黒幕」と訳されて玉座と関連しないため略。推敲により、キリスト教の宗教的玉座については後述。-->


== 概要==
==古代の文化における玉座==
[[Image:canada senate chairs.jpg|thumb|250px|right|[[元老院 (カナダ)|カナダ上院]]にある、[[カナダ国王]]としての[[エリザベス2世]]と[[フィリップ (エディンバラ公)|エディンバラ公フィリップ]](後方)の玉座。議会の開始の際は通常、[[カナダの総督]]とその配偶者が玉座に座っている前方にある椅子は上院議員の発言者が使用する。]]
[[Image:canada senate chairs.jpg|thumb|200px|right|[[元老院 (カナダ)|カナダ上院]]にある、[[カナダ国王]]としての[[エリザベス2世]]と[[フィリップ (エディンバラ公)|エディンバラ公フィリップ]](後方)の玉座。議会の開始の際は通常、[[カナダの総督]]とその配偶者が玉座に座っている前方にある椅子は上院議員の発言者が使用する。]]


<!-- 政治的あるいは統治的な意味で使用される場合、一般的に玉座とは、文明、国家、部族または他の政治的に指定された団体で、[[権威主義]]体制の下で組織統治されているものを指す。-->
古代から玉座は[[君主]]と神々のシンボルとされていた。いくつかの文化では、王位継承者が即位した時の[[戴冠式]]において、または君主が他の者に対して地位を誇示するために使用されていた。このため、玉座は君主の[[権力]]に関連付けられてきた。
人類史の大部分にわたって社会集団は権威主義体制、特に[[絶対君主制]]や[[独裁体制]]の下で統治されており、国家元首たちによって様々な玉座が生み出される結果となった。それはアフリカ等の地域にある[[椅子#スツール|スツール]]から、ヨーロッパ・アジア地域の華やかな椅子や[[ベンチ]]みたいなデザインに至るまで範囲も様々である。


常にではないものの、玉座はその国家や民衆が持っている哲学的あるいは宗教的な[[イデオロギー]]と結びついていることが多く、そのことが在位している君主の下で人民を統治すると共に、玉座にいる君主をかつて玉座に座っていた先代君主と結びつけるという二重の役割を果たしている。そのため、一般的に玉座の多くは、その土地にとって価値が高く大切な物とされる発見の難しい希少な素材でできていたり製造されている。玉座の大きさについては、国家権力の道具として大規模かつ華やいだデザインになる事もあれば、デザインに貴重な素材が何も無かったり殆ど盛り込まれていない[[象徴]]的な椅子の場合もある。
[[ホメロス]]によると、古代[[ギリシャ人]] は祈祷をする際、神々が座る事が出来るように宮殿や寺院に空席の玉座を設けていたという。有名な物に、[[:en:Bathycles of Magnesia|マグネシアのバテュクレス ]]によって作られ、[[スパルタ]]の[[アミクレス]]に設置された[[アポローン|アポロ]]の玉座がある。


宗教的意味で玉座という用語が使われることがあり、これは世界の多くの[[一神教]]や[[多神教]]において、彼らが崇拝する神々がその席([[神座]])に座するという信念を指している。こうした信念は古代にさかのぼり、現存する芸術作品や、玉座に座った古代の神([[オリュンポス十二神]]のような)を論じる文書に見ることができる。主要な[[アブラハムの宗教]]([[ユダヤ教]]、[[キリスト教]]、[[イスラム教]])では神の御座(Throne of God)が宗教的聖典と教えの中で裏付けされている。なお、キリスト教の宗教儀式では、[[教皇]]や[[司教]]のための座席に関しても玉座(Throne)という用語を使っている<ref>Oxford English Dictionary, {{ISBN|0-19-861186-2}}</ref>。
[[古代ローマ|ローマ人]]は2種類の玉座を用いていた。ひとつは[[ローマ皇帝|皇帝]]のためのもので、もうひとつは崇拝の中心となる女神[[:en:Roma (mythology)|ローマ]]の彫像が着座するためのものであった。


歴史における政治潮流の変化はいくつかの絶対君主政権と独裁政権の崩壊をもたらし、多くの玉座が空位になったが、玉座という椅子の重要性から中国の[[龍椅]]などその国の旧政権を物語る歴史の遺物として多くの玉座が今も残っている。
[[ヒッタイト人]]は、玉座そのものを神として崇めた。


==玉座と聖書==
==古代==
古代から玉座は君主と神々のシンボルとされていた。椅子に腰かける君主および神の描写は、[[古代オリエント]]の美術表現の共通主題である。
{{節stub}}

玉座(英語throne)の語源は、[[ギリシャ語]]のθρόνος (thronos)が由来で、「座席・椅子」を意味する<ref>[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.04.0057%3Aentry%3Dqro%2Fnos θρόνος], Henry George Liddell, Robert Scott, ''A Greek-English Lexicon'', on Perseus</ref>。足置き台のついた椅子で格調高いものではあったが、権力を暗示したりはしない普通の椅子だった。さらに遡ると[[インド・ヨーロッパ祖語]]の''*dher-'' が根源で、その意味は「支えること」(または[[ダルマ (ジャイナ教)|ダルマ]]教における「職位、犠牲の柱」)である。

玉座(漢字)の語源は、古代中国の[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]における有力諸侯がみな王号であるなか、中華統一を果たした[[秦]]の[[嬴政]]が諸国の王の上にある称号として「皇帝」を名乗った。この「皇」という文字が「王の上部に玉飾を加えている形で、上部(白)が玉の光輝を示す形」を表したものであり<ref>「[https://jigen.net/kanji/30343 皇の意味と読み方]」字源.net、字通の解説より。</ref>、王よりも地位の高い皇帝の着座する席が「玉座」になったとされている(始皇帝の座席に、実際に玉が[[象眼]]でがちりばめられていたからとの説もあり)。

[[ホメロス]]によると、[[アカイア人]]は、神々が望むときにいつでも座れるよう、宮殿や寺院に空席の玉座を設けることが知られていた。最も有名なもののは、[[スパルティ#旧自治体(ディモティキ・エノティタ)|アミクレス]]にある[[アポローン]]の玉座である。

[[古代ローマ]]には2種類の玉座があった。1つは皇帝のため、もう1つは[[ローマ (ローマ神話)|女神ローマ]]のためのもので、礼拝の中心としてその玉座には彼女の彫像が据えられた。

===ユダヤ教聖典===
[[ヘブライ語聖書]]にある「 כסא (キッセ)」という[[ヘブライ語]]を英語翻訳したものが「Throne(スローン・玉座)」である。[[出エジプト記]]の[[ファラオ]]は玉座に座っていると記述されているが(出エジプト記 {{bibleverse||Exodus|11:5|KJV}}, {{bibleverse||Exodus|12:29|KJV}})、たいていの場合は[[イスラエル王国]]の玉座を指しており、しばしば「[[ダビデ]]の玉座」または「[[ソロモン]]の玉座」と称される。ソロモンの玉座については[[列王記]]{{bibleverse|1|Kings|10:18-20|HE}}で「さらに王は[[象牙]]の偉大な玉座を作り、それに最高の[[金箔]]を施した..玉座には6つの階段があり、玉座の頂点は背後が丸くなっている。座席の両側にはひじ掛けがあり、その傍らに2頭のライオン(獅子像)が立っていた。そして6つの各階段にも左右に獅子像が計12頭立っていた。どの王国にも似たようなものはなかった」と記述されている。[[エステル記]]{{bibleverse||Esther|5:3|KJV}}では、同じ単語が[[ペルシア]]王の玉座を指す。

神の[[ヤハウェ]]自身はしばしば玉座に座っていると記述され、聖書の外では{{仮リンク|神の御座|en|Throne of God}}として、[[詩篇]]においては特に[[イザヤ書]]{{bibleverse||Isaiah|66:1|KJV}}にて、「天が私の玉座であり、地球は私の足置き台である」とヤハウェは自ら語っている(この詩句は[[マタイによる福音書]]{{bibleverse||Matthew|5:34|KJV}}-35にて示唆されている)。

==中世から近代初頭==
[[File:Ivans ivory throne.jpg|thumb|200px|[[象牙]]製の[[イヴァン4世]]の玉座]]

ヨーロッパの封建国では、君主はたいてい[[政務官 (ローマ)|ローマ政務官]]の椅子を基にした玉座に座っていた。これらの玉座は、アジアのものと比較してもともとは非常に簡素だった。最も偉大かつ重要なもののひとつが、[[イヴァン4世]](通称イヴァン雷帝)の玉座である。時代は16世紀半ばに遡るもので、肘掛け付きの高背椅子の形状をしており、[[象牙]]および[[セイウチ]]骨の飾り板には神話的な、紋章的な、生命の情景が複雑に彫刻されて装飾されている。キリスト教徒の君主の理想とみなされていた、[[ダビデ]]王の生涯に関する聖書記述からのシーンが彫刻された飾り板も見られる<ref>{{cite web | title =Throne of Ivan IV the Terrible | work =Regalia of Russian Tsars | publisher=The Moscow Kremlin | url =http://www.kreml.ru/en/main/virtual/exposition/regalia/IvanIV/throne/ | doi = | accessdate =2007-07-12}}</ref>。

実際には、公式な場所で君主が占有していた椅子はどれも「玉座」の役割を果たしたのだが、君主が頻繁に向かう場所にはそのためだけに使用される特別な椅子が保管されていることも多かった。玉座は国王と女王のためにペアで作られるようになり、後年ではそれが一般的となった。2つの席は同一であるか、場合によっては女王の玉座は僅かに壮麗さを控え目にした。

[[ビザンチン帝国]]([[マグナウラ宮殿]])の玉座には、鳥がさえずる精巧な[[オートマタ]]が含まれていた<ref>{{Cite journal | doi = 10.2307/2846790 | issn = 0038-7134 | volume = 29 | issue = 3 | pages = 477-487 | last = Brett | first = Gerard | title = The Automata in the Byzantine "Throne of Solomon" | journal = Speculum | jstor = 2846790 | date = July 1954 }}</ref>。[[オスマン帝国]]の[[チュニス]]にある摂政地域(名目上はオスマン帝国の州、事実上は独立した領域)では、玉座が「クルシ(kursi)」と呼ばれていた。

近代初期の時代にも、伝統の雰囲気を醸しだす中世の例は維持される傾向があり、新しい玉座が作られた時には中世のスタイルを継承するか、あるいは現代的な椅子か肘掛け椅子の非常に壮大で精巧なものだった。

==南アジア==
[[File:Sixteen views of monuments in Delhi Peacock Throne Red Fort Delhi 1850.png|thumb|[[赤い城]]のディワニ・カースという謁見殿にある、[[孔雀の玉座]]を描いた絵画、1850年頃]]
[[Image:Ranjit Singh's golden throne.jpg|thumb|マハーラージャ、[[ランジート・シング]]の玉座]]

[[インド亜大陸]]では、玉座の伝統的な[[サンスクリット]]名は''siṃhāsana''(シムハーサナ、獅子の座席という意味)であった。 [[ムガル帝国]]の時代には、玉座が'' Shāhī takht''(シャーヒータクスト)と呼ばれた。''gaddi''({{IPA-hns|ˈɡəd̪d̪i}}、rājgaddīとも呼ぶ)という用語は、インドの[[藩王]]<!-- princeは直訳だと王子だが、後に出てくるprincely stateが藩王国のことなので「藩王」と訳した-->達により玉座として使われたクッション付きの座席のことだった<ref>Mark Brentnall, ed. ''The Princely and Noble Families of the Former Indian Empire: Himachal Pradesh'' pg. 301</ref>。''gaddi'' は通常、[[ヒンドゥー]]の[[藩王国]]の支配者の玉座に対して使われた用語だが、[[ムスリム]]の藩王や[[ナワーブ]]の間では[[トラヴァンコール王国]]の王族といった例外もあり<ref>Velu Pillai. ''Travancore State Manual'' (1940)</ref>、両方の座席が似ていたとはいえ、''musnad'' ({{IPA|[ˈməsnəd]}})または''musnud'' という用語のほうがより一般的だった。

[[ジャハーンギールの玉座]]([[:en:Throne of Jahangir|en]])は1602年にムガル皇帝[[ジャハーンギール]]によって造られ、[[アーグラ城塞]]のディワニ・カース(貴賓謁見の間)に据えられている。

[[孔雀の玉座]] はインドの[[ムガル帝国の君主|ムガル皇帝]]の席だった。 それは17世紀初めに皇帝[[シャー・ジャハーン]]により命ぜられ、[[デリー]]の[[赤い城]]に置かれた。オリジナルの玉座は1739年、ペルシャ王[[ナーディル・シャー]]によって戦利品として接収され、以来ずっと失われている。その後、オリジナルに基づく代理の玉座が委託され、1857年の[[インド大反乱]](いわゆるセポイの乱)まで存在した。
[[シク王国]]の[[マハーラージャ]]である[[ランジート・シング]]の玉座は、1820年から1830年に金細工職人のハフェツ・ムハンマド・ムルターニによって作られた。木材と樹脂でできており、[[彫金]]のシートで覆われ、多彩な彫刻が金に施されている<ref>{{cite web|url=http://www.vam.ac.uk/content/articles/t/the-court-of-maharaja-ranjit-singh/|title=The Court of Maharaja Ranjit Singh|website=Vam.ac.uk|accessdate=10 August 2018}}</ref>。

[[カンナダ語]]地域にある[[黄金の玉座]]([[:en:Golden Throne (Mysore)|en]])(またはChinnada SimhasanaまたはRatna Simahasana)は、[[マイソール王国]]の支配者の玉座である。黄金の玉座はマイソール宮殿に保管されている。

== 東南アジア==
[[File:020 Kyaik-khauk, Thanlyin (8797028980).jpg|thumb|伝統的なビルマの玉座に座っている、{{仮リンク|チャイッコウッ・パヤー|en|Kyaikkhauk Pagoda}}寺院の仏像]]

[[ビルマ]]では玉座の伝統的な名前は''Palin''(パリン)で、この言葉は[[パーリ語]]の''pallaṅka''からで、「[[ソファ#語源と種類|カウチ]]」または「ソファ」を意味する。植民地以前時代のビルマのパリンは、君主とその正妻を座らせるために使用され、現在では[[サヤドー]]など宗教指導者の座席や仏像の座として使用されている。王家の玉座はヤザパリン(ရာဇပလ္လင်)と呼ばれ、仏像や彫像の座はガウパリン(ဂေါ့ပလ္လင်)、サマクハン(စမ္မခဏ်)と呼ばれている、これはパーリ語の''sammakhaṇḍa''が由来である。

== 東アジア==
[[File:Taisho enthronement.jpg|thumb|200px|upright|[[京都御所]]に保管されている[[高御座]]は、[[皇位継承]]儀式で使われる。 1990年に当時の天皇[[上皇明仁|明仁]]が使用しており、2019年10月の[[即位礼正殿の儀]]では、現在の[[徳仁]]天皇が使用する。]]

<!-- 推敲により、日本の玉座について先に説明する。-->
[[皇位]]を意味する「御座居(みくらい)」とは、日本の[[天皇]]が玉座に居ることを指す用語である。御座の訓読みにあたる「みくら」が天皇の玉座のことで、[[京都御所]]の[[紫宸殿]]にある[[高御座]](たかみくら)など非常に特定された玉座を指す場合もある<ref>[[Richard Ponsonby-Fane|Ponsonby-Fane, Richard]]. (1959). ''The Imperial House of Japan,'' p. 337.</ref> {{Refnest|group="注釈"|天皇の玉座は、英語表記だと[[:en:Chrysanthemum Throne|Chrysanthemum Throne]](菊の玉座)。これは皇室・皇族が[[菊花紋章#皇室・皇族の菊紋|菊紋]]を使っていることに由来する。}}。

[[沖縄県]][[那覇市]]には、[[琉球王国]]の玉座が[[首里城]]に置かれていた。[[太平洋戦争]]でオリジナルは全て失われてしまったが、首里城の正殿「唐破風(からふぁーふー)」を復元させる際に内部の玉座も復元された。

[[龍椅]]([[:en:Dragon Throne|en]])は、中国の皇帝の玉座を指す用語である。 龍は神々しい皇帝権力の象徴であったため、生ける神とみなされた皇帝の玉座が龍椅として知られていた<ref>Arnold, Julean Herbert. (1920). [https://books.google.com/books?id=y0waAAAAYAAJ&pg=PA446&dq=drangon+throne+and+china&lr= ''Commercial Handbook of China,'' p. 446.]</ref>。この用語は、[[紫禁城]]にある様々な建造物や[[円明園]]の宮殿における特別な座席のように非常に特定の座席を指している。 抽象的な意味では、「龍椅」もまた国家元首および君主制そのものを指す言葉である<ref>Williams, David. (1858). [https://books.google.com/books?id=BmMFAAAAQAAJ&pg=PA66&dq=throne+of+england&lr=&client=firefox-a#PPA153,M1 ''The preceptor's assistant, or, Miscellaneous questions in general history, literature, and science,'' p. 153.] Books.google.com</ref>。<!-- [[道光帝]]は自分の玉座を「the divine utensil」と呼んだと言われている。龍椅のように漢字に直せなかった(直訳では神の道具)ため保留-->

[[ベトナム]]の皇帝に関しても、玉座をベトナムの龍椅と言う。

어좌(''eojwa'')は、[[韓国]]の玉座を指す用語である。抽象的な意味では、[[李氏朝鮮]](1392-1897年)と[[大韓帝国]](1897-1910年)の国家元首を修辞する言葉ともなっている。玉座はソウルの[[景福宮]]にある。

==近代以降==
[[ロシア帝国]]時代には、[[冬宮殿]]にある[[聖ジョージ広間]]([[:en:St George's Hall and Apollo Room of the Winter Palace|en]])(大玉座の間)の玉座がロシア皇帝の玉座とみなされた。それは上に[[プロセニアム・アーチ]]と後ろに皇帝家の象徴([[双頭の鷲]])がある7つの段の上に鎮座している。[[ピョートル1世]]の部屋 (小玉座の間)は前者と比べて控え目である。この玉座はロンドンの[[アンナ (ロシア皇帝)|アンナ・イヴァノヴナ]]皇后のために作られた。[[ペテルゴフ]]宮殿の 大玉座の間にも玉座がある。

一部の君主制の国では、玉座は今でも使用されており、重要な象徴的かつ儀式的な意味を持っている。依然として使用されている最も有名な玉座には[[イギリス]]の君主が戴冠式で使う{{仮リンク|エドワード王の椅子|en|Coronation Chair}}があるほか、イギリス、[[オランダ]]、[[カナダ]]、[[オーストラリア]]、日本やその他の国で、国会開会時に君主が使うことになる玉座がある。
いくつかの共和国では、ある国家式典において区別を表す玉座みたいな椅子を使用している。 [[アイルランド]]の大統領は、就任式の際に前[[副王]]の玉座に座る。一方で英国とアイルランドの多くの(大都市の)市長は、しばしば玉座のような椅子から地方議会を統括する。
<!-- 象徴的な性質のため、しばしばトイレが冗談で「玉座」と呼ばれる。これは英語圏のみで日本語では聞かれない表現なので保留。-->

==キリスト教の宗教的な玉座==
<!-- 英語版ではキリスト教の宗教的玉座が先に説明されているが、仏教国の日本では馴染みも薄いため、推敲によりセクションを後ろにした-->
詳細は{{仮リンク|司教座 (座席)|label=司教座|en|Cathedra}}を参照

玉座とは、その国を統治する国王や皇帝など「君主のためにある座席」であって、宗教的権威者の座席は本来該当しない。しかしながら、主にキリスト教系の宗教儀式では、神や聖典が鎮座するための椅子だけでなく、高位聖職者([[ローマ教皇]]や[[司教]])が着座する席のことも「玉座(Throne)」と伝統的に呼びならわしているため、宗教的な玉座として以下に解説する。

===キリスト教聖書===
[[Image:Saint John on Patmos.jpg|thumb|right|[[ベリー公のいとも豪華なる時祷書]]。[[ヨハネの黙示録]]4:4より、 [[パトモス島の福音書記者ヨハネ]]。4人の[[熾天使]]が[[イエス・キリスト]]の玉座を囲み、24人の長老が両側に座っている。]]
[[Image:Saint John on Patmos.jpg|thumb|right|[[ベリー公のいとも豪華なる時祷書]]。[[ヨハネの黙示録]]4:4より、 [[パトモス島の福音書記者ヨハネ]]。4人の[[熾天使]]が[[イエス・キリスト]]の玉座を囲み、24人の長老が両側に座っている。]]
{{main|[[:en:Cathedra]]}}
{{main|[[:en:Cathedra]]}}
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中世において、ソロモンの玉座は聖母マリアと結びつけられた。マリアはイエス・キリストを膝の上に載せており、玉座の役割を果たしていた。聖書におけるソロモンの玉座において、象牙は純潔の象徴として、黄金は神格の象徴として、そして玉座に取り付けられた6つの階段は、6つの[[徳]]の象徴として描かれた。また、ソロモンの玉座は聖母マリアと同一視されており、[[詩篇]]全体が王座の間として描かれている {{bibleverse||Psalm|45:9|KJV}}<!--In [[Medieval]] times the "Throne of Solomon" was associated with the [[Virgin Mary]], who was depicted as the throne upon which Jesus sat. The ivory in the biblical description of the Throne of Solomon was interpreted as representing purity, the gold representing divinity, and the six steps of the throne stood for the six [[徳]]. {{bibleverse||Psalm|45:9|KJV}} was also interpreted as referring to the Virgin Mary, the entire Psalm describing a royal throne room.-->。
中世において、ソロモンの玉座は聖母マリアと結びつけられた。マリアはイエス・キリストを膝の上に載せており、玉座の役割を果たしていた。聖書におけるソロモンの玉座において、象牙は純潔の象徴として、黄金は神格の象徴として、そして玉座に取り付けられた6つの階段は、6つの[[徳]]の象徴として描かれた。また、ソロモンの玉座は聖母マリアと同一視されており、[[詩篇]]全体が王座の間として描かれている {{bibleverse||Psalm|45:9|KJV}}<!--In [[Medieval]] times the "Throne of Solomon" was associated with the [[Virgin Mary]], who was depicted as the throne upon which Jesus sat. The ivory in the biblical description of the Throne of Solomon was interpreted as representing purity, the gold representing divinity, and the six steps of the throne stood for the six [[徳]]. {{bibleverse||Psalm|45:9|KJV}} was also interpreted as referring to the Virgin Mary, the entire Psalm describing a royal throne room.-->。


==教会の玉座==
===教会の玉座===
[[ファイル:Patriarch of Constantinople throne.jpg|thumb|[[イスタンブール]]にある[[コンスタンティノープル総主教]]の玉座。 奥の上段の椅子の上には[[福音書]]が置かれ、その手前にある低い位置の椅子が[[総主教]]の着座する司教座(玉座)である。]]
{{節stub}}

古代から、[[ローマカトリック教会]]、[[東方正教会]]、[[聖公会]]、その他の教会の司教たちは、正式には司教座「カテドラ(ギリシャ語: κάθεδρα、座席)」と呼ばれる玉座に着席する。伝統的に[[聖域]]に置かれている司教座は、正しい信仰を施す(ゆえに[[エクス・カテドラ]](Ex cathedra)という表記)そして信者らを統率する司教の権威を象徴するものである。

「エクス・カテドラ」とは説教の権威を指すもので、特にローマカトリックの[[カノン法]]の下でローマ教皇の宣言が「[[教皇不可謬説|不可謬]]」であるため必要とされる、ごく稀にしか使われない手続きである。<!-- いくつかの言語において、カテドラから派生した言葉が、学術的な指南役いわば教授の椅子を指すものとして一般的に使用されている。-->このカテドラ(司教座こと玉座)の存在から、俗世の君主に匹敵する重要度がある(たとえ司教が俗世的には教会の君主でなくとも)として、司教の主教会は[[カテドラル]]と呼ばれる。 ローマカトリック教会では、[[バシリカ#特権を付与された教会堂としてのバシリカ|バシリカ]]が現在では教皇の天蓋[[オンブレリーノ]]だとされ、教皇の[[レガリア]]の一部として多くの大聖堂やカトリック教会にもおおむね類似の重要性や荘厳さが適用される。<!-- 英文ではバシリカの説明がさらに続くが、玉座と直接関係しないため略。-->

司教以外でも、[[修道院長]]や[[女子修道院長]]など一部の高位聖職者は玉座の使用が認められている(この場合は役職席くらいの意味しかない)。これらは司教座よりも簡素であることが多く、宗派によっては様式や装飾に制限があったりもする。

区別の印として、ローマカトリックの司教と高位聖職者は、特定の教会の行事でその玉座の上に天蓋をかぶせる権利を有する。天蓋の[[典礼]]色は法衣の典礼色に一致させるのを基本とする。国を統治する君主が礼拝に出席するとき、彼らもまた天蓋に覆われた玉座に着座することが許されるが、彼らの席は聖域の外側でなくてはならない<ref>{{cite encyclopedia | title =Canopy | encyclopedia =The Catholic Encyclopedia | volume =III | pages = | publisher =New York: Robert Appleton Company | year =1908 | url =http://www.newadvent.org/cathen/03297c.htm | accessdate =2007-07-12}}</ref>。

[[ギリシャ正教会]]において、しばしば司教の玉座は足元に一対のライオンが座っているなど[[ビザンティン]]からの伝来品と、修道院聖歌隊のストール([[:en:Kathisma|Kathisma]])とが組み合わさった特徴が見られる。

キリスト教における「玉座」という用語は、教会権威のうち[[総主教]]を指して使用されることが多い。例えば「エキュメニカルの玉座」とは[[エキュメニカル総主教]]の権威のことである。

自身の司教座聖堂にいない時、司教たちは典礼目的を全うするために折り畳みストール([[:en:faldstool|en]])を使うこともある。


===教皇の玉座===
===教皇の玉座===
[[File:Cathedra Petri - carolingian throne.jpg|thumb|upright|ローマの[[サン・ピエトロ大聖堂]]にある、聖ペテロ司教座の描画。]]
{{節stub}}
[[ファイル:Patriarch of Constantinople throne.jpg|thumb|[[イスタンブール]]にある[[正教会]]・[[コンスタンディヌーポリ総主教庁|コンスタンティノープル総主教]]([[エキュメニカル総主教]])の玉座。奥の一段高い場所にある玉座には[[福音書]]が置かれ、実際に総主教が着座するのは手前の玉座である。<!--Throne of the Ecumenical Patriarch of Constantinople in the [[Phanar]], Istanbul. -->]]
<gallery>
SanGiovanniChiostro2.JPG|<small> [[サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂]]([[ローマ]])の玉座</small>
Roma-san giovanni03.jpg|<small> サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂(ローマ)の玉座</small>
Honorius3.JPG|<small> [[ローマ教皇]][[ホノリウス3世]]([[:en:Pope Honorius III]])の玉座.</small>
Pintoricchio 015.jpg| <small> ローマ教皇[[ピウス2世 (ローマ教皇)|ピウス2世]](Enea Silvio Piccolomini)の玉座.</small>
</gallery>


ローマ教皇は、ローマカトリック教会の最高責任者としてカノン法のもとで選出された代表者である。と同時に、国際法の下では「最高位の司教」たる[[バチカン市国]] (1929年の[[ラテラン条約]]によりローマ市内に設立された主権国家)の国家元首でもある{{Refnest|group="注釈"|したがって、バチカン市国にあるローマ教皇のための座具に関しては、本来的な意味でも「玉座」に相当するものと言える。}}。1870年に[[イタリア統一運動]]で一旦完全消滅したが、それ以前は[[ローマ教皇領]]の選ばれた君主として、ローマ教皇は何世紀にもわたってイタリア半島で最大規模の政治権力を有していた。現在でも[[聖座]]は公的に認められた外交的地位を保っており、[[特命全権大使#バチカン|教皇大使]]や教皇特使たちが世界中で外交使節団の代理としての務めを果たしている。
==封建体制における玉座==
{{節stub}}


教皇の玉座(Cathedra Romana)は、ローマ司教としての大聖堂、[[サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂]]の[[アプス]]([[至聖所]])にある。
==現代の玉座==
{{節stub}}


[[サン・ピエトロ大聖堂]]のアプス内には、「椅子の祭壇」の上に聖[[ペテロ]]自身や他の初期の教皇が使用していたとされる{{仮リンク|聖ペテロ司教座|en|Chair of Saint Peter}}がある。この[[聖遺物]]は金銅鋳物(金箔・金メッキを施したブロンズの鋳物)で囲まれており、[[ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ]]が設計した巨大なモニュメントの一部を形成している。
== 各地の玉座 ==

===ヨーロッパ===
教皇のラテラノ大聖堂とは異なり、サン・ピエトロ大聖堂には教皇のための恒久的な玉座がないので、彼が典礼式を司式する時はいつも、教皇が使用するための取外し可能な玉座が大聖堂の中に据えられる。[[第2バチカン公会議]]を経た典礼式改革の前は、巨大天蓋付きの玉座が「告白の祭壇(大天蓋バルダッキーノ([[:en:St. Peter's baldachin|en]])がある祭壇)」のやはり取り外しできる舞台上に置かれた。
*[[Amyclae]]の[[アポロの玉座]]

*[[ロンドン]]の[[ウェストミンスター寺院]]にある{{仮リンク|エドワード王の椅子|en|King Edward's Chair}}:この玉座は[[イギリスの君主]]が戴冠式を行う場所である。1296年から1996年までは、[[スコットランド]]の君主が戴冠式を行うときに用いられた[[スクーンの石]] (運命の石)がはめ込まれていた。
[[File:Pope Pius VIII in St. Peter's on the Sedia Gestatoria.jpg|thumb|upright|教皇御輿で運ばれる[[ピウス8世 (ローマ教皇)|ピウス8世]]。後方に2本の白いフラベッラがつき従っている。]]
*[[アーヘン大聖堂]]にある{{仮リンク|カール大帝の玉座|en|Throne of Charlemagne}}。[[神聖ローマ皇帝]]の就任資格者である[[ローマ王]]の戴冠に用いられた。
この慣行は1970年代までに典礼改革で廃止され、教皇がサン・ピエトロ大聖堂でミサを祝う時はいつも、より単純な携帯持ち運び用玉座が告白の祭壇の前に置かれるようになった。しかし、教皇[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]が定時の典礼を司式した時には、より精巧な取外し可能玉座が置かれた。教皇がサン・ピエトロ大聖堂の広場に面した大聖堂の階段の上でミサを祝うときは、携帯持ち運び用玉座も使用される。
*[[イヴァン4世]]の[[象牙の玉座]]

過去には、[[教皇御輿]]({{Lang-it-short|sedia gestatoria}})と呼ばれる持ち運び用玉座も運用されていた。もともとは、教皇の儀式前後にある精巧な行進の一部として使用され、それはファラオの光輝の最も直接的な後継者だと信じられており、両脇に一対の[[フラベッラ]]([[:en:Flabellum|en]]){{Refnest|group="注釈"|「聖扇」とも訳されるが、祭具の[[リピタ]]も聖扇と呼ばれていたため、混同を避ける意味でフラベッラとした。}}(ダチョウの羽から作られた扇)を従える。教皇[[ヨハネ・パウロ1世]]は当初これらの使用を中止していたが、群衆にもっと簡単に見えるよう御輿を後に使うようになった(ただし羽根の扇は復元せず)。同御輿は、教皇[[ヨハネ・パウロ2世]]が外出時に[[パパモビル]]を使うようになり、お蔵入りとなった。 教皇任期の終わり近くに、ヨハネ・パウロ2世はパパモビル内で使用できる特別な玉座を車輪の上に組み立てた。
1978年以前は、教皇を決める[[コンクラーヴェ]]で、各[[枢機卿]]が投票中に[[システィーナ礼拝堂]]の玉座に座り、各玉座には上に天蓋を有していた。開票されて新教皇が決まると、枢機卿はみな自分たちの天蓋を降ろし、新たに選出された教皇の天蓋だけを残す。これが新しい教皇の最初の玉座となった。 この伝統は1963年の映画『[[栄光の座]](原題:The Shoes of the Fisherman)』で劇的に描かれた。

==著名な玉座==
[[File:Aachener Dom BW 2016-07-09 13-53-18.jpg|thumb|180px|[[アーヘン大聖堂]]にあるシャルルマーニュ([[カール大帝]])の玉座]]
[[File:Frederik vi in coronationrobes1830.jpg|thumb|180px|[[イッカク]]の牙で作られた[[デンマークの玉座]]。[[ヴィルヘルム・ベンズ]]作(1830)]]
[[Image:Inside the Forbidden City.jpg|thumb|180px|[[北京]]の[[紫禁城]]にある中国皇帝の[[龍椅]]]]

* [[ソロモンの玉座]]([[:en:Throne of Solomon]])
===欧州===
* [[スパルティ#旧自治体(ディモティキ・エノティタ)|アミクレス]]にある[[アポローン]]の玉座
*[[ロンドン]]の[[ウェストミンスター寺院]]にある[[エドワード王の椅子]]([[:en:King Edward's Chair|en]])。この玉座は[[イギリスの君主]]が戴冠式を行う場所である。1296年から1996年までは、[[スコットランド]]の君主が戴冠式を行うときに用いられた[[スクーンの石]] (運命の石)がはめ込まれていた。
* [[カンタベリー大聖堂]]にある[[聖アウグスティヌスの椅子]]([[:en:Chair of St Augustine|en]])、ここで[[カンタベリー大司教]]が就任する。
* ドイツの[[アーヘン大聖堂]]にある[[シャルルマーニュの玉座]]([[:en:Throne of Charlemagne|en]])、10世紀から16世紀にかけて[[神聖ローマ皇帝一覧|神聖ローマ皇帝]]30人の[[戴冠式]]が行われた。
* ドイツの[[ゴスラー]]にある、[[ゴスラーの皇帝玉座]]([[:en:Imperial Throne of Goslar|en]])
* アラゴン王、バレンシア王、マヨルカ王、サルデーニャ王、コルシカ王、シチリア王および[[バルセロナ伯]]である、[[マルティン1世 (アラゴン王)|マルティン1世]]の玉座
*象牙製の[[イヴァン4世]]の玉座
* [[教皇御輿]]
* [[教皇御輿]]
*{{仮リンク|デンマークの玉座|en|Throne Chair of Denmark}}
* [[デンマークの玉座]]([[:en:Throne Chair of Denmark|en]])
*スウェーデン、[[ストックホルム宮殿]]にある[[銀玉座]]([[:en:Silver Throne|en]])
*{{仮リンク|ノルウェーの玉座|en|Throne Chairs of Norway}}
*[[スウェーデン]]の{{仮リンク|銀の玉座|en|Silver Throne}}
<gallery>
Ivans ivory throne.jpg|ロシア帝国皇帝[[イヴァン4世]]の[[象牙の玉座]]
SanktEdvardsstol westminster.jpg|<small>[[イングランド]][[ウェストミンスター寺院]]にある{{仮リンク|エドワード王の椅子|en|King Edward's Chair}}</small>
Thronsaal, Residenz München.jpg| <small> [[ミュンヘン]]にある[[バイエルン王国|バイエルン王]]の玉座 </small>
Ingres, Napoleon on his Imperial throne.jpg|<small> 皇帝[[ナポレオン・ボナパルト]]の玉座</small>
Palacio-real-de-madrid-sala-de-tronos.jpg|<small> スペインの[[王宮 (マドリード)|マドリード王宮]]にある国王・王妃の玉座</small>
Throne of the netherlands.jpg| <small>オランダの[[デン・ハーグ]]の騎士の館([[:en:Ridderzaal]])にある国王の玉座</small>
</gallery>


===アフリカ===
===アフリカ===
*古代エジプトの[[ファラオ]]、 [[ツタンカーメン]]の黄金玉座
*{{仮リンク|アシャンティ族の玉座|en|Asante royal thrones}}
* ガーナの[[アシャンティ王国]]にある、[[黄金のスツール]]([[:en:Golden Stool|en]])
*[[エチオピア皇帝]]の[[Throne of David]]
* [[エチオピアの国家元首の一覧|エチオピアの皇帝]]、Davidの玉座{{Refnest|group="注釈"|エチオピア皇帝にDavidなる人物はいない(ダウィト1世-3世は綴りがdawit )ので、恐らくはヘブライ聖書の時代に、エチオピアで王位を譲られた[[ダビデ]](ラテン語でDavid)と思われる。詳細は[[シバの女王#エチオピアにおける伝説|シバの女王]]を参照。}}


===アジア===
===アジア===
<!-- ビルマなど羅列が多いため、リンクなしの玉座は省いた-->
*[[中華皇帝]]の{{仮リンク|龍椅|en|Dragon Throne}}
*[[日本]]の[[天]]の[[高御座]]
*中国、の[[龍椅]]
*日本、天皇の[[高御座]]
*[[李氏朝鮮]]の君主が座った{{仮リンク|玉座 (朝鮮)|en|Phoenix Throne}}
*韓国、[[李氏朝鮮]]王の御座([[:en:Phoenix Throne|en]])
*[[ベトナム]]・[[阮朝]]の君主が座った[[フエ]]の王宮の玉座
*[[チベット]]の[[ダライ・ラマ]]の[[ライオンの玉座]]
*ベトナム、[[阮朝]]の[[フエ#王宮|フエ王宮]]にある太和殿の玉座
*イラン、[[ゴレスターン宮殿]]にある[[ナーディルの玉座]]([[:en:Naderi Throne|en]])
*[[シッキム州]]のライオンの玉座
*チベット、[[ダライ・ラマ]]の[[ライオンの玉座]]([[:en:Lion Throne|en]])
*[[スリランカ]]の{{仮リンク|カッサパ1世|en|Kashyapa I of Anuradhapura}}の石の玉座 [http://www.andrews.edu/~vyhmeisr/pictures/Sri%20Lanka/pages/P1010123.html](5世紀の[[シーギリヤ]]の時代からあった)<!-- from the 5th century citadel of [[Sigiri]]-->
*[[シッキム王国]]のライオンの玉座
*スリランカの{{仮リンク|ニッサンカ・マッラ|en|Nissanka Malla of Polonnaruwa}}王の石の玉座 [http://lakdiva.org/codrington/chap04.html#nissanka](12世紀の[[ポロンナルワ]]王朝のころからあった)<!--from the 12th century [[Polonnaruwa]] kingdom-->
*ビルマ、[[コンバウン王朝]]の[[ライオンの玉座 (ミャンマー)]]([[:en:The Lion Throne of Myanmar|en]])
*[[キャンディ王国]]及び[[セイロン (ドミニオン)|セイロン]]のキャンディの玉座
*ビルマ、コンバウン王朝の[[ハムサ]]の玉座
*[[ムガル朝]](のちに[[ペルシャ]]の[[シャー]]たちの)[[孔雀の玉座]]
*スリランカ、[[カッサパ1世]]([[:en:Kashyapa I of Anuradhapura|en]])の石の玉座 [http://www.andrews.edu/~vyhmeisr/pictures/Sri%20Lanka/pages/P1010123.html](5世紀の[[シーギリヤ]]城塞の頃から)
*[[ペルシア帝国]][[シャー|皇帝]]の[[Takht-e Marmar]]{{仮リンク|ナーディルの玉座|en|Naderi Throne}}
*スリランカ、[[ニッサンカ・マッラ]]([[:en:Nissanka Malla of Polonnaruwa|en]])王の石の玉座 [http://lakdiva.org/codrington/chap04.html#nissanka](12世紀の[[ポロンナルワ]]王朝の頃から)
*朝鮮王朝のクジャクの玉座
*[[キャンディ王国]]及び[[セイロン (ドミニオン)]]のキャンディ玉座
* [[ビルマ]]の古代の首都[[Ava]](当時は[[Montchobo]]。現在の{{仮リンク|インワ|en|Inwa}})の孔雀の玉座
*インド、[[ムガル帝国]]皇帝の[[孔雀の玉座]]
*モルディブのスルタンの象牙の玉座('''Saridhaleys''' )および獅子の玉座('''sighsana''')<!-- the '''Saridhaleys''' 'ivory throne' and the '''sighsana''' 'lion throne' of the [[Maldives]] sultanate-->
*[[ペルシア帝国]][[シャー|皇帝]]の[[大理石の玉座]]([[:en:Marble Throne|en]])と[[太陽の玉座]]([[:en:Sun Throne|en]])
*[[ビーカーネール]]の『白檀の玉座』
* ビルマ、古代の首都Montchobo(現在のインワ([[:en:Inwa|en]]))にある孔雀の玉座
*[[シク王国]]の[[ランジート・シング]]の玉座 ([[ランジート・シングの玉座]]、[[w:Maharaja Ranjit Singh's throne]])
*モルディブ、[[スルターン]]の象牙の玉座(Saridhaleys)およびライオンの玉座(sighsana)
*インド、[[ビーカーネール]]の[[白檀の玉座]]
*[[シク王国]]の[[大王ランジート・シングの玉座]]([[:en:Maharaja Ranjit Singh's throne|en]])
*トンガ王国([[ポリネシア]]の島国)のトゥポウ玉座{{Refnest|group="注釈"|トンガは建国以来、国王の名が全てトゥポウ(1世-現6世)のため、このように呼ばれる}}
* インドの[[マイソール王国]]にある[[黄金の玉座]]([[:en:Golden Throne (Mysore)|en]])


===南米===
==ギャラリー==
===世界各国の玉座===
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File:Lion throne, Mandalay Palace.jpg|ビルマ(当時)の[[マンダレー]]王宮にあるライオンの玉座
Debret31.jpg|<small>[[ブラジル帝国]]皇帝[[ペドロ1世 (ブラジル皇帝)|ペドロ1世]]の玉座</small>
File:Queen Supayalat and King Thibaw.jpg|パリン(ビルマの玉座)に座した[[ティーボー]]王とスパラヤッ王妃
Image:Forbiddencitythroneroom01.jpg|中国の[[紫禁城]]、[[明代]]および[[清代]]皇帝の玉座
Image:Throne of Sweden 1982.jpg|スウェーデンの[[ストックホルム宮殿]]、[[クリスティーナ女王]]の銀玉座
Image:SanktEdvardsstol westminster.jpg|イギリスの[[ウェストミンスター寺院]]、[[エドワード王の椅子]]
File:Hofmobiliendepot - Thronsessel von Kaiser Franz Joseph I.jpg|オーストリアの皇帝、[[フランツ・ヨーゼフ1世]]の玉座
Image:Thronsaal, Residenz München.jpg|ドイツ、 [[ミュンヘン]]にある[[バイエルン王国|バイエルン王]]の玉座
Image:Profile_portrait_of_Catherine_II_by_Fedor_Rokotov_(1763,_Tretyakov_gallery).jpg|[[ロシア帝国]]の女帝、[[エカチェリーナ2世]]の玉座
Image:Throne of Napoleon, in the throne room of Fontainebleau Palace.jpg|フランス、[[フォンテーヌブロー宮殿]]にある、[[ナポレオン1世]]の玉座
Image:The Throne of Kandyan Kings.jpg|スリランカ、[[シンハリ人]]地域の君主、[[キャンディ王国]]の玉座
Debret31.jpg|[[ブラジル帝国]]皇帝、[[ペドロ1世 (ブラジル皇帝)|ペドロ1世]]の玉座
Image:Gau Peter the Great (Small Throne) Room 1863.jpg|ロシア帝国で大帝とも称される、[[ピョートル1世]]の玉座
Image:Naderi throne.jpg|イラン、[[ゴレスターン宮殿]]にある[[ナーディルの玉座]]
Image:Ivane marmar (16).JPG|ゴレスターン宮殿にある[[ペルシア帝国]]時代の[[大理石の玉座]]
Image:Palacio-real-de-madrid-sala-de-tronos.jpg|スペインの[[王宮 (マドリード)|マドリード王宮]]にある国王・王妃の玉座
Image:Polish throne at Warsaw Royal Castle.PNG|[[ワルシャワ王宮]]にある、[[ポーランド・リトアニア共和国]]の国王[[スタニスワフ2世アウグスト]]の玉座
Image:Throne of the netherlands.jpg|オランダ、[[デン・ハーグ]]のリダーザール([[:en:Ridderzaal|Ridderzaal]]、騎士の館)にある君主の玉座
Image:Imperial Throne of Shishinden in Kyoto Imperial Palace.jpg|日本、[[京都御所]]に据えられた[[高御座]]、天皇の[[即位の礼]]で使用される玉座
Image:BulgarianThrone.jpg|[[ブルガリア]]の国民議会議事堂にある、王族の玉座
File:Seoul Gyeongbokgung Throne.jpg|韓国、[[ソウル]]の[[勤政殿]]にある[[李氏朝鮮王の玉座]]
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</gallery>


===宗教的な玉座===
==外部リンク==
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&ensp;{{commons-inline|Category:Thrones}}
Image:Roma-san giovanni03.jpg|ローマの[[サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂]]にある、教皇の玉座
Image:SanGiovanniChiostro2.JPG|サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の[[修道院]]にある、教皇の玉座
Image:Honorius3.JPG|[[ホノリウス3世]]の玉座
Image:Pintoricchio 015.jpg|[[ピウス2世]]の玉座
Image:Canterburycathedralthrone.jpg|イギリス、[[カンタベリー大聖堂]]にある[[聖アウグスティヌスの椅子]]
</gallery>


==関連項目==
{{Commons category|Thrones}}
* [[戴冠式]]
* [[即位の礼]]
* [[聖座]]
<!-- その他用途のセクションは一応訳したものの、英単語のTroneについて言及したものであり、日本では「玉座」と言わないケースが多かったため保留。
その他の用途
*音楽において、[[ドラムセット]]の後に座るためのストールが、しばしば玉座と呼ばれる。
*宗教において、祭壇([[エディクラ]])に設けた[[サクラメント]]を展示するための[[壁龕|ニッチ]]が、玉座と呼ばれる。
*俗語では、一般的な便座が玉座と呼ばれ、より正式には「磁器の玉座」と呼ばれる。
* 天使の階級で、神の天の玉座を運ぶとされている[[座天使]]が「スローンズ」またはオファニムと呼ばれる。
*象徴的な性質から、冗談でトイレがしばしば「玉座」と呼ばれる。真の玉座は国家元首のためにある唯一の重要な椅子、トイレはどんな人でも最終的には座る必要がある唯一の重要な椅子というわけである。-->

== 脚注 ==
;注釈
{{Reflist|group="注釈"}}

;出典
{{Reflist|2}}

{{戴冠式}}
{{DEFAULTSORT:きよくさ}}
{{DEFAULTSORT:きよくさ}}
[[Category:玉座|*]]
[[Category:玉座|*]]
[[Category:君主制]]

[[Category:王権の象徴]]
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2019年5月12日 (日) 09:46時点における版

典型的な西洋式玉座の絵。座具は壇上に設置され、その上には天蓋がある。

玉座(ぎょくざ、英:throne)とは、国家の君主国王皇帝など)のためにある座具のこと。日本においては、天皇の玉座である高御座京都御所紫宸殿)が有名である。抽象的な意味では、玉座が君主制王権そのものを指すこともある。

概要

カナダ上院にある、カナダ国王としてのエリザベス2世エディンバラ公フィリップ(後方)の玉座。議会の開始の際は通常、カナダの総督とその配偶者が玉座に座っている(前方にある椅子は上院議員の発言者が使用する)。

人類史の大部分にわたって社会集団は権威主義体制、特に絶対君主制独裁体制の下で統治されており、国家元首たちによって様々な玉座が生み出される結果となった。それはアフリカ等の地域にあるスツールから、ヨーロッパ・アジア地域の華やかな椅子やベンチみたいなデザインに至るまで範囲も様々である。

常にではないものの、玉座はその国家や民衆が持っている哲学的あるいは宗教的なイデオロギーと結びついていることが多く、そのことが在位している君主の下で人民を統治すると共に、玉座にいる君主をかつて玉座に座っていた先代君主と結びつけるという二重の役割を果たしている。そのため、一般的に玉座の多くは、その土地にとって価値が高く大切な物とされる発見の難しい希少な素材でできていたり製造されている。玉座の大きさについては、国家権力の道具として大規模かつ華やいだデザインになる事もあれば、デザインに貴重な素材が何も無かったり殆ど盛り込まれていない象徴的な椅子の場合もある。

宗教的意味で玉座という用語が使われることがあり、これは世界の多くの一神教多神教において、彼らが崇拝する神々がその席(神座)に座するという信念を指している。こうした信念は古代にさかのぼり、現存する芸術作品や、玉座に座った古代の神(オリュンポス十二神のような)を論じる文書に見ることができる。主要なアブラハムの宗教ユダヤ教キリスト教イスラム教)では神の御座(Throne of God)が宗教的聖典と教えの中で裏付けされている。なお、キリスト教の宗教儀式では、教皇司教のための座席に関しても玉座(Throne)という用語を使っている[1]

歴史における政治潮流の変化はいくつかの絶対君主政権と独裁政権の崩壊をもたらし、多くの玉座が空位になったが、玉座という椅子の重要性から中国の龍椅などその国の旧政権を物語る歴史の遺物として多くの玉座が今も残っている。

古代

古代から玉座は君主と神々のシンボルとされていた。椅子に腰かける君主および神の描写は、古代オリエントの美術表現の共通主題である。

玉座(英語throne)の語源は、ギリシャ語のθρόνος (thronos)が由来で、「座席・椅子」を意味する[2]。足置き台のついた椅子で格調高いものではあったが、権力を暗示したりはしない普通の椅子だった。さらに遡るとインド・ヨーロッパ祖語*dher- が根源で、その意味は「支えること」(またはダルマ教における「職位、犠牲の柱」)である。

玉座(漢字)の語源は、古代中国の戦国時代における有力諸侯がみな王号であるなか、中華統一を果たした嬴政が諸国の王の上にある称号として「皇帝」を名乗った。この「皇」という文字が「王の上部に玉飾を加えている形で、上部(白)が玉の光輝を示す形」を表したものであり[3]、王よりも地位の高い皇帝の着座する席が「玉座」になったとされている(始皇帝の座席に、実際に玉が象眼でがちりばめられていたからとの説もあり)。

ホメロスによると、アカイア人は、神々が望むときにいつでも座れるよう、宮殿や寺院に空席の玉座を設けることが知られていた。最も有名なもののは、アミクレスにあるアポローンの玉座である。

古代ローマには2種類の玉座があった。1つは皇帝のため、もう1つは女神ローマのためのもので、礼拝の中心としてその玉座には彼女の彫像が据えられた。

ユダヤ教聖典

ヘブライ語聖書にある「 כסא (キッセ)」というヘブライ語を英語翻訳したものが「Throne(スローン・玉座)」である。出エジプト記ファラオは玉座に座っていると記述されているが(出エジプト記 Exodus 11:5, Exodus 12:29)、たいていの場合はイスラエル王国の玉座を指しており、しばしば「ダビデの玉座」または「ソロモンの玉座」と称される。ソロモンの玉座については列王記1 Kings 10:18-20で「さらに王は象牙の偉大な玉座を作り、それに最高の金箔を施した..玉座には6つの階段があり、玉座の頂点は背後が丸くなっている。座席の両側にはひじ掛けがあり、その傍らに2頭のライオン(獅子像)が立っていた。そして6つの各階段にも左右に獅子像が計12頭立っていた。どの王国にも似たようなものはなかった」と記述されている。エステル記Esther 5:3では、同じ単語がペルシア王の玉座を指す。

神のヤハウェ自身はしばしば玉座に座っていると記述され、聖書の外では神の御座英語版として、詩篇においては特にイザヤ書Isaiah 66:1にて、「天が私の玉座であり、地球は私の足置き台である」とヤハウェは自ら語っている(この詩句はマタイによる福音書Matthew 5:34-35にて示唆されている)。

中世から近代初頭

象牙製のイヴァン4世の玉座

ヨーロッパの封建国では、君主はたいていローマ政務官の椅子を基にした玉座に座っていた。これらの玉座は、アジアのものと比較してもともとは非常に簡素だった。最も偉大かつ重要なもののひとつが、イヴァン4世(通称イヴァン雷帝)の玉座である。時代は16世紀半ばに遡るもので、肘掛け付きの高背椅子の形状をしており、象牙およびセイウチ骨の飾り板には神話的な、紋章的な、生命の情景が複雑に彫刻されて装飾されている。キリスト教徒の君主の理想とみなされていた、ダビデ王の生涯に関する聖書記述からのシーンが彫刻された飾り板も見られる[4]

実際には、公式な場所で君主が占有していた椅子はどれも「玉座」の役割を果たしたのだが、君主が頻繁に向かう場所にはそのためだけに使用される特別な椅子が保管されていることも多かった。玉座は国王と女王のためにペアで作られるようになり、後年ではそれが一般的となった。2つの席は同一であるか、場合によっては女王の玉座は僅かに壮麗さを控え目にした。

ビザンチン帝国マグナウラ宮殿)の玉座には、鳥がさえずる精巧なオートマタが含まれていた[5]オスマン帝国チュニスにある摂政地域(名目上はオスマン帝国の州、事実上は独立した領域)では、玉座が「クルシ(kursi)」と呼ばれていた。

近代初期の時代にも、伝統の雰囲気を醸しだす中世の例は維持される傾向があり、新しい玉座が作られた時には中世のスタイルを継承するか、あるいは現代的な椅子か肘掛け椅子の非常に壮大で精巧なものだった。

南アジア

赤い城のディワニ・カースという謁見殿にある、孔雀の玉座を描いた絵画、1850年頃
マハーラージャ、ランジート・シングの玉座

インド亜大陸では、玉座の伝統的なサンスクリット名はsiṃhāsana(シムハーサナ、獅子の座席という意味)であった。 ムガル帝国の時代には、玉座が Shāhī takht(シャーヒータクスト)と呼ばれた。gaddiヒンドゥスターニー語発音: [ˈɡəd̪d̪i]、rājgaddīとも呼ぶ)という用語は、インドの藩王達により玉座として使われたクッション付きの座席のことだった[6]gaddi は通常、ヒンドゥー藩王国の支配者の玉座に対して使われた用語だが、ムスリムの藩王やナワーブの間ではトラヴァンコール王国の王族といった例外もあり[7]、両方の座席が似ていたとはいえ、musnad ([ˈməsnəd])またはmusnud という用語のほうがより一般的だった。

ジャハーンギールの玉座(en)は1602年にムガル皇帝ジャハーンギールによって造られ、アーグラ城塞のディワニ・カース(貴賓謁見の間)に据えられている。

孔雀の玉座 はインドのムガル皇帝の席だった。 それは17世紀初めに皇帝シャー・ジャハーンにより命ぜられ、デリー赤い城に置かれた。オリジナルの玉座は1739年、ペルシャ王ナーディル・シャーによって戦利品として接収され、以来ずっと失われている。その後、オリジナルに基づく代理の玉座が委託され、1857年のインド大反乱(いわゆるセポイの乱)まで存在した。

シク王国マハーラージャであるランジート・シングの玉座は、1820年から1830年に金細工職人のハフェツ・ムハンマド・ムルターニによって作られた。木材と樹脂でできており、彫金のシートで覆われ、多彩な彫刻が金に施されている[8]

カンナダ語地域にある黄金の玉座(en)(またはChinnada SimhasanaまたはRatna Simahasana)は、マイソール王国の支配者の玉座である。黄金の玉座はマイソール宮殿に保管されている。

東南アジア

伝統的なビルマの玉座に座っている、チャイッコウッ・パヤー英語版寺院の仏像

ビルマでは玉座の伝統的な名前はPalin(パリン)で、この言葉はパーリ語pallaṅkaからで、「カウチ」または「ソファ」を意味する。植民地以前時代のビルマのパリンは、君主とその正妻を座らせるために使用され、現在ではサヤドーなど宗教指導者の座席や仏像の座として使用されている。王家の玉座はヤザパリン(ရာဇပလ္လင်)と呼ばれ、仏像や彫像の座はガウパリン(ဂေါ့ပလ္လင်)、サマクハン(စမ္မခဏ်)と呼ばれている、これはパーリ語のsammakhaṇḍaが由来である。

東アジア

京都御所に保管されている高御座は、皇位継承儀式で使われる。 1990年に当時の天皇明仁が使用しており、2019年10月の即位礼正殿の儀では、現在の徳仁天皇が使用する。

皇位を意味する「御座居(みくらい)」とは、日本の天皇が玉座に居ることを指す用語である。御座の訓読みにあたる「みくら」が天皇の玉座のことで、京都御所紫宸殿にある高御座(たかみくら)など非常に特定された玉座を指す場合もある[9] [注釈 1]

沖縄県那覇市には、琉球王国の玉座が首里城に置かれていた。太平洋戦争でオリジナルは全て失われてしまったが、首里城の正殿「唐破風(からふぁーふー)」を復元させる際に内部の玉座も復元された。

龍椅(en)は、中国の皇帝の玉座を指す用語である。 龍は神々しい皇帝権力の象徴であったため、生ける神とみなされた皇帝の玉座が龍椅として知られていた[10]。この用語は、紫禁城にある様々な建造物や円明園の宮殿における特別な座席のように非常に特定の座席を指している。 抽象的な意味では、「龍椅」もまた国家元首および君主制そのものを指す言葉である[11]

ベトナムの皇帝に関しても、玉座をベトナムの龍椅と言う。

어좌(eojwa)は、韓国の玉座を指す用語である。抽象的な意味では、李氏朝鮮(1392-1897年)と大韓帝国(1897-1910年)の国家元首を修辞する言葉ともなっている。玉座はソウルの景福宮にある。

近代以降

ロシア帝国時代には、冬宮殿にある聖ジョージ広間(en)(大玉座の間)の玉座がロシア皇帝の玉座とみなされた。それは上にプロセニアム・アーチと後ろに皇帝家の象徴(双頭の鷲)がある7つの段の上に鎮座している。ピョートル1世の部屋 (小玉座の間)は前者と比べて控え目である。この玉座はロンドンのアンナ・イヴァノヴナ皇后のために作られた。ペテルゴフ宮殿の 大玉座の間にも玉座がある。

一部の君主制の国では、玉座は今でも使用されており、重要な象徴的かつ儀式的な意味を持っている。依然として使用されている最も有名な玉座にはイギリスの君主が戴冠式で使うエドワード王の椅子があるほか、イギリス、オランダカナダオーストラリア、日本やその他の国で、国会開会時に君主が使うことになる玉座がある。

いくつかの共和国では、ある国家式典において区別を表す玉座みたいな椅子を使用している。 アイルランドの大統領は、就任式の際に前副王の玉座に座る。一方で英国とアイルランドの多くの(大都市の)市長は、しばしば玉座のような椅子から地方議会を統括する。

キリスト教の宗教的な玉座

詳細は司教座英語版を参照

玉座とは、その国を統治する国王や皇帝など「君主のためにある座席」であって、宗教的権威者の座席は本来該当しない。しかしながら、主にキリスト教系の宗教儀式では、神や聖典が鎮座するための椅子だけでなく、高位聖職者(ローマ教皇司教)が着座する席のことも「玉座(Throne)」と伝統的に呼びならわしているため、宗教的な玉座として以下に解説する。

キリスト教聖書

ベリー公のいとも豪華なる時祷書ヨハネの黙示録4:4より、 パトモス島の福音書記者ヨハネ。4人の熾天使イエス・キリストの玉座を囲み、24人の長老が両側に座っている。

新約聖書ルカ福音書1:32-33において、天使ガブリエルが子の玉座について以下のように述べている

彼は偉大で、最も崇高なる者の息子と呼ばれるであろう。 なる は彼に父なるダビデの玉座をお与えになるであろう。そして、彼はヤコブの所有地を永遠に治め、彼の王国は永遠に滅びることはなかろう。

イエス・キリストは自身の 十二使徒に、 イスラエルの12の部族 を治めさせるために、12の玉座に座ることにあるであろうと話した(Matthew 19:28)。 ヨハネ黙示録では、「そして私は大きな白い玉座を見た。彼はそこに座り、その顔から地と天が流れ出た。」という記述がある(Revelation 20:11).

使徒パウロコロサイの信徒への手紙(Colossians 1:16)で"Thrones"という言葉を用いている。偽ディオニシウス・アレオパギタにおいてen:De Coelesti Hierarchia (VI.7)という言葉はは天使の階級の一つである座天使 (ヘブライ語で言うオファニム およびアレリムに該当する). トマス・アクィナスの『神学大全』 (I.108)では神が正規の裁きを下せるようにみこしを担ぐのが座天使の仕事であると記されており、この書物によってこの考えが広まった。

中世において、ソロモンの玉座は聖母マリアと結びつけられた。マリアはイエス・キリストを膝の上に載せており、玉座の役割を果たしていた。聖書におけるソロモンの玉座において、象牙は純潔の象徴として、黄金は神格の象徴として、そして玉座に取り付けられた6つの階段は、6つのの象徴として描かれた。また、ソロモンの玉座は聖母マリアと同一視されており、詩篇全体が王座の間として描かれている Psalm 45:9

教会の玉座

イスタンブールにあるコンスタンティノープル総主教の玉座。 奥の上段の椅子の上には福音書が置かれ、その手前にある低い位置の椅子が総主教の着座する司教座(玉座)である。

古代から、ローマカトリック教会東方正教会聖公会、その他の教会の司教たちは、正式には司教座「カテドラ(ギリシャ語: κάθεδρα、座席)」と呼ばれる玉座に着席する。伝統的に聖域に置かれている司教座は、正しい信仰を施す(ゆえにエクス・カテドラ(Ex cathedra)という表記)そして信者らを統率する司教の権威を象徴するものである。

「エクス・カテドラ」とは説教の権威を指すもので、特にローマカトリックのカノン法の下でローマ教皇の宣言が「不可謬」であるため必要とされる、ごく稀にしか使われない手続きである。このカテドラ(司教座こと玉座)の存在から、俗世の君主に匹敵する重要度がある(たとえ司教が俗世的には教会の君主でなくとも)として、司教の主教会はカテドラルと呼ばれる。 ローマカトリック教会では、バシリカが現在では教皇の天蓋オンブレリーノだとされ、教皇のレガリアの一部として多くの大聖堂やカトリック教会にもおおむね類似の重要性や荘厳さが適用される。

司教以外でも、修道院長女子修道院長など一部の高位聖職者は玉座の使用が認められている(この場合は役職席くらいの意味しかない)。これらは司教座よりも簡素であることが多く、宗派によっては様式や装飾に制限があったりもする。

区別の印として、ローマカトリックの司教と高位聖職者は、特定の教会の行事でその玉座の上に天蓋をかぶせる権利を有する。天蓋の典礼色は法衣の典礼色に一致させるのを基本とする。国を統治する君主が礼拝に出席するとき、彼らもまた天蓋に覆われた玉座に着座することが許されるが、彼らの席は聖域の外側でなくてはならない[12]

ギリシャ正教会において、しばしば司教の玉座は足元に一対のライオンが座っているなどビザンティンからの伝来品と、修道院聖歌隊のストール(Kathisma)とが組み合わさった特徴が見られる。

キリスト教における「玉座」という用語は、教会権威のうち総主教を指して使用されることが多い。例えば「エキュメニカルの玉座」とはエキュメニカル総主教の権威のことである。

自身の司教座聖堂にいない時、司教たちは典礼目的を全うするために折り畳みストール(en)を使うこともある。

教皇の玉座

ローマのサン・ピエトロ大聖堂にある、聖ペテロ司教座の描画。

ローマ教皇は、ローマカトリック教会の最高責任者としてカノン法のもとで選出された代表者である。と同時に、国際法の下では「最高位の司教」たるバチカン市国 (1929年のラテラン条約によりローマ市内に設立された主権国家)の国家元首でもある[注釈 2]。1870年にイタリア統一運動で一旦完全消滅したが、それ以前はローマ教皇領の選ばれた君主として、ローマ教皇は何世紀にもわたってイタリア半島で最大規模の政治権力を有していた。現在でも聖座は公的に認められた外交的地位を保っており、教皇大使や教皇特使たちが世界中で外交使節団の代理としての務めを果たしている。

教皇の玉座(Cathedra Romana)は、ローマ司教としての大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂アプス至聖所)にある。

サン・ピエトロ大聖堂のアプス内には、「椅子の祭壇」の上に聖ペテロ自身や他の初期の教皇が使用していたとされる聖ペテロ司教座英語版がある。この聖遺物は金銅鋳物(金箔・金メッキを施したブロンズの鋳物)で囲まれており、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニが設計した巨大なモニュメントの一部を形成している。

教皇のラテラノ大聖堂とは異なり、サン・ピエトロ大聖堂には教皇のための恒久的な玉座がないので、彼が典礼式を司式する時はいつも、教皇が使用するための取外し可能な玉座が大聖堂の中に据えられる。第2バチカン公会議を経た典礼式改革の前は、巨大天蓋付きの玉座が「告白の祭壇(大天蓋バルダッキーノ(en)がある祭壇)」のやはり取り外しできる舞台上に置かれた。

教皇御輿で運ばれるピウス8世。後方に2本の白いフラベッラがつき従っている。

この慣行は1970年代までに典礼改革で廃止され、教皇がサン・ピエトロ大聖堂でミサを祝う時はいつも、より単純な携帯持ち運び用玉座が告白の祭壇の前に置かれるようになった。しかし、教皇ベネディクト16世が定時の典礼を司式した時には、より精巧な取外し可能玉座が置かれた。教皇がサン・ピエトロ大聖堂の広場に面した大聖堂の階段の上でミサを祝うときは、携帯持ち運び用玉座も使用される。

過去には、教皇御輿(: sedia gestatoria)と呼ばれる持ち運び用玉座も運用されていた。もともとは、教皇の儀式前後にある精巧な行進の一部として使用され、それはファラオの光輝の最も直接的な後継者だと信じられており、両脇に一対のフラベッラ(en)[注釈 3](ダチョウの羽から作られた扇)を従える。教皇ヨハネ・パウロ1世は当初これらの使用を中止していたが、群衆にもっと簡単に見えるよう御輿を後に使うようになった(ただし羽根の扇は復元せず)。同御輿は、教皇ヨハネ・パウロ2世が外出時にパパモビルを使うようになり、お蔵入りとなった。 教皇任期の終わり近くに、ヨハネ・パウロ2世はパパモビル内で使用できる特別な玉座を車輪の上に組み立てた。

1978年以前は、教皇を決めるコンクラーヴェで、各枢機卿が投票中にシスティーナ礼拝堂の玉座に座り、各玉座には上に天蓋を有していた。開票されて新教皇が決まると、枢機卿はみな自分たちの天蓋を降ろし、新たに選出された教皇の天蓋だけを残す。これが新しい教皇の最初の玉座となった。 この伝統は1963年の映画『栄光の座(原題:The Shoes of the Fisherman)』で劇的に描かれた。

著名な玉座

アーヘン大聖堂にあるシャルルマーニュ(カール大帝)の玉座
イッカクの牙で作られたデンマークの玉座ヴィルヘルム・ベンズ作(1830)
北京紫禁城にある中国皇帝の龍椅

欧州

アフリカ

アジア

ギャラリー

世界各国の玉座

宗教的な玉座

関連項目

脚注

注釈
  1. ^ 天皇の玉座は、英語表記だとChrysanthemum Throne(菊の玉座)。これは皇室・皇族が菊紋を使っていることに由来する。
  2. ^ したがって、バチカン市国にあるローマ教皇のための座具に関しては、本来的な意味でも「玉座」に相当するものと言える。
  3. ^ 「聖扇」とも訳されるが、祭具のリピタも聖扇と呼ばれていたため、混同を避ける意味でフラベッラとした。
  4. ^ エチオピア皇帝にDavidなる人物はいない(ダウィト1世-3世は綴りがdawit )ので、恐らくはヘブライ聖書の時代に、エチオピアで王位を譲られたダビデ(ラテン語でDavid)と思われる。詳細はシバの女王を参照。
  5. ^ トンガは建国以来、国王の名が全てトゥポウ(1世-現6世)のため、このように呼ばれる
出典
  1. ^ Oxford English Dictionary, ISBN 0-19-861186-2
  2. ^ θρόνος, Henry George Liddell, Robert Scott, A Greek-English Lexicon, on Perseus
  3. ^ 皇の意味と読み方」字源.net、字通の解説より。
  4. ^ Throne of Ivan IV the Terrible”. Regalia of Russian Tsars. The Moscow Kremlin. 2007年7月12日閲覧。
  5. ^ Brett, Gerard (July 1954). “The Automata in the Byzantine "Throne of Solomon"”. Speculum 29 (3): 477-487. doi:10.2307/2846790. ISSN 0038-7134. JSTOR 2846790. 
  6. ^ Mark Brentnall, ed. The Princely and Noble Families of the Former Indian Empire: Himachal Pradesh pg. 301
  7. ^ Velu Pillai. Travancore State Manual (1940)
  8. ^ The Court of Maharaja Ranjit Singh”. Vam.ac.uk. 10 August 2018閲覧。
  9. ^ Ponsonby-Fane, Richard. (1959). The Imperial House of Japan, p. 337.
  10. ^ Arnold, Julean Herbert. (1920). Commercial Handbook of China, p. 446.
  11. ^ Williams, David. (1858). The preceptor's assistant, or, Miscellaneous questions in general history, literature, and science, p. 153. Books.google.com
  12. ^ "Canopy". The Catholic Encyclopedia. Vol. III. New York: Robert Appleton Company. 1908. 2007年7月12日閲覧