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ウィリアム・H・マムラー(William H. Mumler)
ウィリアム・H・マムラー 彫版画 ハーパーズ・マガジン(Harper's Magazine)1869年5月号
生誕 1832年
死没 1884年(51 - 52歳没)
職業 写真家
著名な実績 心霊写真
活動拠点 アメリカ合衆国ボストン
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ウィリアム・H・マムラー(William H. Mumler、1832年 - 1884年)は、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク・シティおよびボストンで活動したアメリカ合衆国の心霊写真家である[1]。彼の最初の心霊写真は、現像されたとき、亡きいとこの「霊」("spirit")が写っていた、偶然の自画像写真であった。マムラーはそれから、彫刻家としての仕事をやめ、南北戦争で親戚を失ったおおぜいの人々を利用して、心霊写真術をフルタイムで続行した。彼のいちばん有名な2葉の写真は、メアリー・トッド・リンカーン(Mary Todd Lincoln)の、夫エイブラハム・リンカーンといっしょの写真と、3人の霊の案内者(spirit guide)といっしょのマスター・ヘラッド(Master Herrod)の肖像写真である。

マムラーは結局、法廷に連れて行かれ、詐欺罪と窃盗罪で公判に付された。有名なショーマンP・T・バーナムは、彼に不利な証言をした。裁判官は彼に無罪判決を言い渡したが(マムラーの公判は陪審によらなかった)事件は彼の経歴を破滅させ、マムラーは貧困のうちに死亡した。こんにちでは、マムラーの写真はにせ物と見なされているが、19世紀の最終四半期に広く流通し、スピリチュアリスト運動の内外で信仰と視覚的好奇心の対象として市場で売り出された[2]

伝記

心霊写真家として経歴が始まるまえには、マムラーは、ボストンで宝石彫刻家として働き[3]、余暇にアマチュア写真術をやっていた[4]。1860年前半に、彼は、12年前に死亡したいとこの霊を大きく扱っているように見える1葉の自画像写真を現像した[4][5]。これが広く最初の「心霊写真」("spirit photograph")として認められた - 故人の霊によって刻みつけられた故人(しばしば親戚)の肖像を大きく扱っている生きている被写体の写真[6]。 マムラーはそれから、フルタイムの心霊写真家になり、ボストンで活動し続けたが、結局、ニュー・ヨーク・シティに移り、そこで彼の作品は無数の写真術の専門家によって分析されたが、そのだれもが詐欺の証拠を見つけることができなかった[4]。心霊写真術は、南北戦争に由来する無数の死者のおかげでもうかる仕事であったし、何千もの家庭が、最愛の人が死後生き続けているという安心を求めた[6]

マムラーの妻ハンナ・マムラー(Hannah Mumler)もまた有名な「ヒーリング霊媒」("healing medium")で、夫の業務に加えて、彼女自身の霊的業務を行なった[7]

マムラーの活動の批判者にはP・T・バーナムもふくまれ、彼は、マムラーは、悲しみで判断がくもっている人々を利用していると主張した[6]。バーナムの非難は、マムラーは実際はまだ生きている人々の「霊」("ghosts")を演出し[4]、家に入り込んで亡き親戚の写真をこっそり盗んだ[5]という異口同音の声の1つであった。ジョー・ニッケル(Joe Nickell)によれば、「霊とされるものの一部がまだ生者のなかに居るということに人々が気づいたときマムラーは詐欺師として暴露された」("Mumler was exposed as a fraud when people recognized that some of the supposed spirits were still among the living")[8]。 1869年4月に、マムラーは結局、詐欺罪で公判に付された[6]

P・T・バーナム(P. T. Barnum)は、エイブラハム・ボガーダス(Abraham Bogardus)を雇って、このバーナムの写真とエイブラハム・リンカーンの「霊」('ghost')をでっちあげた。この写真はそれから、詐欺が心霊写真をでっちあげることがいかにたやすいかを示す証拠としてマムラーの公判で提出された。

バーナムは、エイブラハム・ボガーダス(Abraham Bogardus)を雇って、そういう「心霊写真家ら」("spirit photographers")が作られるときのたやすさを実際に示すために、エイブラハム・リンカーンの霊とともにバーナムを見せているように見える写真を作らせて、彼に不利な証言をした[6]。マムラーを支持する証言をする人々には、モーゼズ・A・ダウ(Moses A. Dow)がふくまれたが、彼は、マムラーが写真を撮ったジャーナリストであった[9]。結局は、マムラーは、無罪判決を言い渡されたが、なぜなら訴追側が、あらゆる疑いの余地のないほど、彼がこれら写真をでっち上げているということを証明できなかったからで、公判に続いて彼の経歴はけっして十分に回復されなかった。

マムラーは、写真術(ただしけっして心霊写真術ではない)の仕事を続け、のちに、木版なみにたやすく、写真電鋳版を製作し、印刷し得る法(「マムラー法」("Mumler Process")として知られる)を発見した[7]。彼は1884年に死亡したが、その死亡記事は、初期の心霊写真術のスキャンダルに最後の行でついでに言及して、写真的貢献全般に焦点を合わせた。(「故人は、或る時は、心霊写真と関係してかなりの悪名を得た」("The deceased at one time gained considerable notoriety in connection with spirit photographs")[10]

写真

エイブラハム・リンカーンの霊

メアリー・トッド・リンカーン(Mary Todd Lincoln) 夫の「霊」("ghost")とともに

マムラーのいちばん有名な写真は、メアリー・トッド・リンカーン(Mary Todd Lincoln)が、その夫エイブラハム・リンカーンの「霊」("ghost")とともに、写っている。超常現象研究者メルヴィン・ウィリン(Melvyn Willin)は、その書籍『Ghosts Caught on Film』で、この写真は1869年に撮られた、マムラーは、モデルがミセス・タンドル('Mrs Tundall')であると考えずに、リンカーンであるとは知らなかった、と主張している。ウィリンはさらに、マムラーは、写真が現像されるまで彼女がだれであるかわからなかった、と言っている[4]。ロンドンのサイキック・スタディーズ大学(College of Psychic Studies)は、この写真は1870年代前半に撮られた、ミセス・リンカーンは「ミセス・リンドール」('Mrs. Lindall')という名を採った、彼女は写真の夫の身元を確認するようにマムラーの妻(霊媒)によって勇気づけられた、と主張している[9]。画像は詐欺的な二重露出としてしりぞけられているが[11]、広く流通している[9]

マスター・へロッド

へロッド(Herrod)の画像 たった1人の「霊」("ghost")とともに

マスター・へロッド(Master Herrod)は、1872年ころマムラーが写真を撮った、マサチューセッツ州ブリッジウォーター出身の若い霊媒であった[4]。1葉の写真は、いったん現像されて、ヨーロッパ、アフリカ、およびアメリカの複数の霊に取り囲まれた、トランス_(意識)状態のへロッドが写っていた[4]。その写真は、『The Religio-Philosophical Journal』1872年8月24日号で売り上げのために広告された[9]

ほかの写真

マムラーによる複数の写真には、生きた複数のモデルとともにさまざまな霊(親戚、フィアンセ、女優、霊の案内者)が写っている写真がふくまれた[4]。ほかの有名なモデルには、その写真には助手メーベル・ウォーレン(Mabel Warren)が写っていたモーゼズ・A・ダウ(Moses A. Dow)(『The Waverley Magazine』の編集者)と、兄弟チャズ(Chas)とともに写真を撮られた、ボストン出身の有名な霊媒ファニー・コナント(Fanny Conant)がふくまれている[9]

脚注

  1. ^ Boston Directory. 1873
  2. ^ Natale, Simone (2016). Supernatural Entertainments: Victorian Spiritualism and the Rise of Modern Media Culture. University Park, PA: Pennsylvania State University Press. pp. 147–149. ISBN 978-0-271-07104-6 
  3. ^ Boston Directory. 1856, 1858, 1862, 1868
  4. ^ a b c d e f g h Willin, Melvyn (2007). “The Earliest Images”. Ghosts Caught on Film: Photographs of the Paranormal. West, Donald. Newton Abbot: David & Charles. pp. 22. ISBN 978-0-7153-2728-9 
  5. ^ a b The paranormal pictures of William Mumler”. College Times (2006年4月20日). 2006年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月4日閲覧。
  6. ^ a b c d e Boese, Alex. “William Mumler's Spirit Photography”. 2008年5月4日閲覧。
  7. ^ a b Kaplan, Louis (2008). The Strange Case of William Mumler. University of Minnesota Press. pp. 304. ISBN 978-0-8166-5157-3. http://www.upress.umn.edu/book-division/books/the-strange-case-of-william-mumler-spirit 
  8. ^ Nickell, Joe. (2008). "Photoghosts: Images of the Spirit Realm?". Csicop.org. Retrieved 2014-07-12.
  9. ^ a b c d e William Stainton Moses collection”. College of Psychic Studies. 2008年5月4日閲覧。
  10. ^ "Obituary". Photographic Times and American Photographer. June 1884.
  11. ^ Wagner, Stephen. “Presidents and the Paranormal”. About.com. 2008年5月4日閲覧。

読書案内

  • Manseau, Peter. The Apparitionists: A Tale of Phantoms, Fraud, Photography, and the Man Who Captured Lincoln's Ghost. New York: Houghton Mifflin Harcourt, 2017.(英語)
  • Natale, Simone. Supernatural Entertainments: Victorian Spiritualism and the Rise of Modern Media Culture. University Park: Pennsylvania State University Press, 2016. See especially Chapter 6, "The Marvels of Superimposition," pp. 134–169.(英語)
  • Kaplan, Louis. The Strange Case of William Mumler, Spirit Photographer. Minneapolis: University of Minnesota Press, 2008. Includes Mumler's autobiography and a large collection of his photos, including his well-known photo of the recently assassinated Abraham Lincoln comforting Mary Todd. Also includes news coverage of Mumler's sensational 1869 trial.(英語)
  • Carrington, Hereward. The Physical Phenomena of Spiritualism. Boston: Herbert B. Turner & Co., 1907. pp. 208–209.(英語)
  • "Obituary". Photographic Times and American Photographer. June 1884.(英語)
  • "Spiritual Photography". Illustrated Photographer, 1869.(英語)

外部リンク