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'''小林 邦夫'''(こばやし くにお、[[1925年]]〈[[大正]]14年〉 - )は宮内に奉職した日本の建築家。{{いつ範囲|現在|date=2019年4月}}、神奈川県に在住。

1942年(昭和17年)内匠寮匠生に採用され、翌1943年(昭和18年)に宮内省内匠寮雇員となる。
のち、宮内省から宮内府を経て、宮内庁管理部業務課に所属。
1956年(昭和31年)に工務課に移る。
翌1957年(昭和32年)に宮殿造営調査室員となった。
1963年(昭和38年)に設けられた
臨時皇居造営部では、造営課設計第一係長、造営諜工事第三係長をつとめた。
その後、管理部工務課に戻る。
1969年(昭和44年)に建築第四係長、
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1986年(昭和61年)に退官した。

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2024年5月26日 (日) 09:33時点における最新版

小林 邦夫(こばやし くにお、1925年大正14年〉 - )は宮内に奉職した日本の建築家。現在[いつ?]、神奈川県に在住。

1942年(昭和17年)内匠寮匠生に採用され、翌1943年(昭和18年)に宮内省内匠寮雇員となる。 のち、宮内省から宮内府を経て、宮内庁管理部業務課に所属。 1956年(昭和31年)に工務課に移る。 翌1957年(昭和32年)に宮殿造営調査室員となった。 1963年(昭和38年)に設けられた 臨時皇居造営部では、造営課設計第一係長、造営諜工事第三係長をつとめた。 その後、管理部工務課に戻る。 1969年(昭和44年)に建築第四係長、 1973年(昭和48年)からは専門官。 1986年(昭和61年)に退官した。

参考文献

[編集]
  • 内匠寮の人と作品刊行委員会 編『皇室建築 : 内匠寮の人と作品』鈴木博之(監修)、建築画報社、2005年12月。ISBN 4-901772-21-X