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「大黒屋 (いわき市)」の版間の差分

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===倒産とその影響===
===倒産とその影響===
倒産に至る兆候はあったものの、2001年5月21日の閉店当日まで従業員には何も知らされていなかった。5月20日の前日になって、退勤後の夜に従業員の自宅へ「翌日は8時30分に出勤(通常は9時45分出勤)するよう」電話で呼び出されただけで、自己破産の説明は21日に初めて行われた。このため、5月21日は開店時間になっても[[シャッター]]が開くことはなく、従業員が「おわび」の告知を掲示するだけだった。これによって大黒屋は倒産、従業員は全員[[解雇]]となった<ref name="nikkei-venture-2001-7-1/>。
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その他、積立金制度を行っていた「大黒屋しゃくなげ友の会」は、本社倒産の翌年[[2002年]][[1月14日]]に、福島地裁いわき支部から破産宣告を受けている。破産総額は8億6000万円だった。<ref>いわき民報 2002年1月14日</ref> 
その他、積立金制度を行っていた「大黒屋しゃくなげ友の会」は、本社倒産の翌年[[2002年]][[1月14日]]に、福島地裁いわき支部から破産宣告を受けている。破産総額は8億6000万円だった。<ref>いわき民報 2002年1月14日</ref> 
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* [[1990年]](平成2年)リニューアル
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* 2001年(平成13年)[[6月19日]]-20日 - [[マルト (チェーンストア)|マルト]]の協力により、閉店売りつくしセールを開催
* 2001年(平成13年)[[6月19日]]-20日 - [[マルト (チェーンストア)|マルト]]の協力により、閉店売りつくしセールを開催



2018年9月29日 (土) 00:18時点における版

株式会社大黒屋[1]
DAIKOKUYA Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
970-8668[1]
福島県いわき市字中町15[1]
設立 1947年昭和22年)8月26日[1]
業種 小売業
事業内容 百貨店経営
代表者 馬目佳彦(代表取締役社長)[1]
資本金 6,072万円
売上高 128億円(1999年8月期)
従業員数 302名
決算期 8月[1]
主要子会社 大黒屋しゃくなげ友の会
大黒屋商事(保険・化粧品)
大黒屋ストア小名浜
大黒屋トラベルサロン(旅行業)
シー・アール・アイ(広告)
外部リンク 公式サイト(archive)
特記事項:2001年5月21日、自己破産により廃業
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大黒屋総合ショッピングデパー卜[2]
店舗概要
所在地 福島県いわき市字中町15[2]
開業日 1970年(昭和45年)2月22日[2]
閉業日 2001年平成13年)5月21日[3]
敷地面積 2,994[2] m²
延床面積 16,976[2] m²
商業施設面積 11,368[2] m²
最寄駅 いわき駅
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大黒屋(だいこくや)は、福島県いわき市2001年5月まで存在した日本の百貨店

小樽市にあった同業者の大国屋や、福岡市を本社として展開するチケット・金券類の売買を行っている大黒屋とは無関係である。

概要

倒産に至る経緯

福島県浜通りを代表する百貨店として、白亜の建物にセルリアンブルーの看板はいわき市平地区における商業の「顔」であった。創業以来、老舗百貨店として営業してきたが、郊外化、多店化の影響を受けて大幅に売上げを減少させた。1990年に10億円かけてリニューアルするものの、郊外の大型量販店出店による競争激化から売り上げを減らしていたことが原因であるが、その他にも商品の単価引き下げ、売り上げ減少による問屋との取引条件の変更(手形から小切手または現金)、取引金融機関による融資の引き締めが重なり、創業100年目にあたる2001年に自己破産を申請して倒産した。負債は、債権者約500名に対し約87億円だった[4]

倒産とその影響

倒産に至る兆候はあったものの、2001年5月21日の閉店当日まで従業員には何も知らされていなかった。5月20日の前日になって、退勤後の夜に従業員の自宅へ「翌日は8時30分に出勤(通常は9時45分出勤)するよう」電話で呼び出されただけで、自己破産の説明は21日に初めて行われた。このため、5月21日は開店時間になってもシャッターが開くことはなく、従業員が「おわび」の告知を掲示するだけだった。これによって大黒屋は倒産、従業員は全員解雇となった[3]

その他、積立金制度を行っていた「大黒屋しゃくなげ友の会」は、本社倒産の翌年2002年1月14日に、福島地裁いわき支部から破産宣告を受けている。破産総額は8億6000万円だった。[5] 

大黒屋社長は、いわき商工会議所会頭も勤めるなど、地域の有力者でもある存在だったが、閉店を機に会頭を辞職しており、同時に様々な兼職(いわき経済同友会代表幹事、ふくしま・ふるさと産業おこしセンター運営委員、いわき市教育懇談会委員、いわき交響楽団を育てる会会長、いわき市イメージアップ懇談会座長、いわき市PTA連絡協議会会長、磐城女子高後援会「櫻麗会」会長)を辞任している。

倒産後の社員

労働組合には、閉店前日の5月20日に倒産することが会社から告げられた。閉店当日の21日に組合員に大黒屋が倒産することを周知すると泣き崩れる社員もいたという。組合では20日に急遽、執行委員会を開いた。そのなかで、立て篭もって争うより倒産した事実を認めたうえで、労働債権(退職金)と再就職の確保を全力で取り組むことを決定した。 その後、2002年2月には労働債権が全額下りている。再就職あっせんも順調に進んだが、50歳以上の社員はなかなか決まらないという厳しさもあった。労組委員長は地域の講演会で講演し、倒産後の労働債権確保や再就職支援活動から「人とのつながり、それに勝る財産はない」と感想を語り、「大好きでした、大黒屋さん」と結んでいる。対して労組書記長は同じ講演会で、倒産とその後の活動は「決してしなくてもいい経験でもあった」という感想を残している。[6]

跡地と現在

閉店後の2001年12月、大黒屋の破産財団は所有している建物と土地を放棄し、建物と土地は競売にかけられた。社屋は2003年11月から解体が始まり、2004年3月に撤去完了して更地化。跡地には、結婚式場「ベルマシェリ」(現:ピュアベルヴィいわき)が建てられ、現在に至っている。

大黒屋1階の宝くじ売り場は「大黒様の宝くじ」として、売り上げ枚数あたりの高額当選確率が高い売り場として知られ、観光バスツアーも組まれるほど人気があった。宝くじ売り場については閉店後はいわきワシントンホテル椿山荘へ場所を移動し、「平一丁目宝くじセンター」として現在も営業中である[7]

歴史

脚注

  1. ^ a b c d e f g 流通会社年鑑 2001年版, 日本経済新聞社, (2000-12-11), pp. 42 
  2. ^ a b c d e f g 日本商業年鑑 1972年版, 商業界, (1972), pp. 554 
  3. ^ a b c 日経ベンチャー 2001年7月1日号
  4. ^ 三谷忠之法律事務所/倒産事件情報(archive版)
  5. ^ いわき民報 2002年1月14日
  6. ^ いわき民報 2002年9月19日
  7. ^ 「ぐるっといわき」平一町目宝くじセンター 【平地区】 いわき市の観光名所 大黒様の宝くじ”. ぐるっと株式会社. 2018年9月5日閲覧。

外部リンク