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'''赤川 克紀'''(あかがわ かつき、[[1990年]][[7月31日]] - )は、[[宮崎県]][[宮崎市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。[[2008年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2008年度のドラフト会議]]で[[東京ヤクルトスワローズ]]から1位指名を受け入団、2012年には[[2012年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]に監督推薦で出場した。2015年引退するまでに1軍で先発51試合を含む76試合に登板し、通算14勝(20敗)を挙げた
'''赤川 克紀'''(あかがわ かつき、[[1990年]][[7月31日]] - )は、[[宮崎県]][[宮崎市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。[[2008年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2008年度のドラフト会議]]で[[東京ヤクルトスワローズ]]から1位指名を受け入団、2012年には[[2012年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]に監督推薦で出場した。2015年限りで現役を引退。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
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== 選手としての特徴 ==
== 選手としての特徴 ==
平均球速は、約137km/h<ref>{{Cite book|和書|author=|year=2012|title=2012プロ野球オール写真選手名鑑|publisher=日本スポーツ企画出版社|pages=98頁|id=ISBN 978-4-905411-04-8}}</ref>。反発係数が低く、俗に「飛ばないボール」と呼ばれる初期の統一球が導入された2011~2012年の間にキャリアにおける全ての白星を挙げた。一方でそれ以外のシーズンは0勝かつ防御率も7点台前後と、使用球により成績に極端な偏りがある
平均球速は、約137km/h<ref>{{Cite book|和書|author=|year=2012|title=2012プロ野球オール写真選手名鑑|publisher=日本スポーツ企画出版社|pages=98頁|id=ISBN 978-4-905411-04-8}}</ref>。


== 詳細情報 ==
== 詳細情報 ==

2018年7月29日 (日) 06:43時点における版

赤川 克紀
2010年11月14日(松山中央公園野球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県宮崎市
生年月日 (1990-07-31) 1990年7月31日(34歳)
身長
体重
184 cm
87 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2008年 ドラフト1位
初出場 2009年9月9日
最終出場 2014年8月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

赤川 克紀(あかがわ かつき、1990年7月31日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手投手)。2008年度のドラフト会議東京ヤクルトスワローズから1位指名を受け入団、2012年にはオールスターゲームに監督推薦で出場した。2015年限りで現役を引退。

来歴

プロ入り前

小学校2年生からソフトボールを始める。宮崎市立大塚中学校では軟式野球部に所属し宮崎県大会で優勝。

宮崎県立宮崎商業高等学校入学後、1年秋からエースとなり、秋季県大会では30イニング連続無失点、46奪三振と驚異的な記録を残し、九州大会に駒を進めた。3年の宮崎大会準決勝では延長15回193球を投げ、チームの39年ぶり4回目の甲子園出場に貢献。甲子園初戦の城北高校戦において8回1失点と好投し、チームに44年ぶりの勝利に貢献。2回戦の鹿児島実業高校戦で敗退したが、延長12回を一人で投げ抜き、全日本高校選抜に選出された。

2008年度ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから1位指名を受け入団。

プロ入り後

2009年9月9日広島東洋カープ戦で、6点差を追う9回に3番手としてプロ入り初登板。打者4人に対して本塁打を含む3安打1四球2暴投3失点と1死も取れずに降板した。

2010年、台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれた。

2011年8月18日横浜ベイスターズ戦では5回無失点でプロ初勝利を挙げた[1]

2012年は、監督推薦により自身初のオールスターゲーム選出を決め、第3戦の6回から登板。3イニングを無安打に抑え、SKYACTIV TECHNOLOGY賞を受賞した。シーズンでは先発ローテーション投手として8勝9敗の成績を残し、プロ入り初の規定投球回到達を果たした。

2013年は、開幕ローテーションに抜擢されたが、成績不振で5月に二軍落ち。7月に一軍へ再昇格を果たしたものの、7月28日の広島戦では5回までに4点リードしながら初勝利を逃し、この試合を最後に再び二軍へ落ちた。その後は一軍へ再昇格することなくシーズンを終え、最後まで勝利を挙げられず防御率も6.98に終わった。

2014年は、先発での登板は1試合しかなく、中継ぎで起用されたが全体ではわずか14試合の登板に終わり、防御率も7点台の成績で終わった。

2015年はイースタンで25試合で1勝3敗、防御率7.16という成績に終わり、プロ入り後初めて一軍公式戦への登板機会がなかった。10月2日に球団から戦力外通告を受けたことから、同月14日に現役を引退することが報じられた[2]

引退後

引退表明の際に、「野球にはもう携わらない」と明言し、地元の先輩であるamadanaの社長で東京バンバータの監督でもある熊本浩志の紹介で、2015年11月から東京都内の建築資材関係の企業に勤務しながら[3]、軟式野球のクラブチーム「東京バンバータ」に加わった[4]

選手としての特徴

平均球速は、約137km/h[5]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2009 ヤクルト 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 4 0.0 3 1 1 0 0 0 2 0 3 3 ---- ----
2010 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 24 5.1 7 0 1 0 1 3 0 0 4 4 6.75 1.51
2011 23 13 1 0 0 6 3 0 0 .667 366 88.2 74 4 32 2 5 66 2 1 22 20 2.03 1.20
2012 28 27 2 1 0 8 9 0 0 .471 668 156.2 156 13 52 2 9 91 5 0 73 66 3.79 1.33
2013 9 9 0 0 0 0 5 0 0 .000 186 40.0 44 5 23 0 3 26 0 1 33 31 6.98 1.68
2014 14 1 0 0 0 0 2 0 0 .000 140 29.0 41 6 18 1 0 16 5 0 25 24 7.45 2.00
通算:6年 76 51 3 1 0 14 20 0 0 .412 1388 319.2 325 29 127 5 18 202 14 2 160 148 4.17 1.40

年度別守備成績


投手












2009 1 0 0 0 0 .---
2010 1 0 1 0 0 1.000
2011 23 2 11 1 1 .929
2012 28 7 34 2 0 .953
2013 9 1 11 0 0 1.000
2014 14 1 6 0 0 1.000
通算 76 11 63 3 1 .961

表彰

記録

投手記録
打撃記録
  • 初安打・初打点:2011年8月25日、対中日ドラゴンズ15回戦(明治神宮野球場)、4回裏にエンジェルベルト・ソトから中前2点適時打
その他記録

背番号

  • 47 (2009年 - 2015年)

脚注

  1. ^ 「ジャイアン」赤川初勝利!バカボンの仇討った スポーツニッポン 2011年8月19日付記事
  2. ^ 燕ドラ1たちが決断…日本ハム・増渕、ヤクルト赤川が引退へ SANSPO.COM 2015年10月14日付記事
  3. ^ 『スポーツ報知』2015年12月31日付特集記事「プロ野球選手第2の人生 その後」
  4. ^ ★【SWBCJAPAN】2015年度最終戦を勝利で飾る 4.23トライアウト開催へ”. 全国軟式野球ストロングリーグ (2016年3月27日). 2017年1月4日閲覧。
  5. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、98頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8 

関連項目

外部リンク