「苅田山笠」の版間の差分
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'''苅田山笠'''(かんだやまかさ)は、[[福岡県]][[京都郡]][[苅田町]]にある[[宇原神社]]の[[神幸祭]]で行われる神事である。喧嘩山笠としても知られている。福岡県の[[無形民俗文化財]]に指定されている。氏子の15区から14基(1基は2区で出す)の山笠が出され福岡県東部([[京築]]地方)の祭では最多である<ref name="民俗芸能">[[福岡県教育委員会]]『[http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001369445-00 福岡県の民俗芸能 福岡県の文化財シリーズ 第2巻]』(西日本文化協会){{要ページ番号|date=2018年5月}}</ref><ref>[[宮武省三]]『 |
'''苅田山笠'''(かんだやまかさ)は、[[福岡県]][[京都郡]][[苅田町]]にある[[宇原神社]]の[[神幸祭]]で行われる神事である。喧嘩山笠としても知られている。福岡県の[[無形民俗文化財]]に指定されている。氏子の15区から14基(1基は2区で出す)の山笠が出され福岡県東部([[京築]]地方)の祭では最多である<ref name="民俗芸能">[[福岡県教育委員会]]『[http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001369445-00 福岡県の民俗芸能 福岡県の文化財シリーズ 第2巻]』(西日本文化協会){{要ページ番号|date=2018年5月}}</ref><ref>[[宮武省三]]『[http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000675377-00 九州の路祭儀と民俗]』(三元社){{要ページ番号|date=2018年5月}}</ref>。 |
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2018年5月29日 (火) 00:11時点における版
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苅田山笠(かんだやまかさ)は、福岡県京都郡苅田町にある宇原神社の神幸祭で行われる神事である。喧嘩山笠としても知られている。福岡県の無形民俗文化財に指定されている。氏子の15区から14基(1基は2区で出す)の山笠が出され福岡県東部(京築地方)の祭では最多である[1][2]。
概要
苅田山笠は、通称で宇原神社神幸祭の中に出される山笠である。正式には鉾山と呼ばれる。苅田山笠の出る宇原神社神幸祭は、かつては旧暦8月1日から15日まで続く15日間の神事であった。現在も15日間の祭りであるが、最終日の神幸祭が10月の第一日曜日に行われ、始まりはそれから逆算して2週前になる。15日間に14基の山笠が3変化して計4日運行することや、その他の行事についても宇原神社と氏子の区双方が同時に又は個別に行う等多岐にわたる。(1) 鉦卸し、(2) 連歌奉納祭、(3) 本社汐かき、(4) 灯山、(5) 幟山、(6) 神輿行列、(7) 岩山、(8) 突き当ての順で行われる[3][1]。
歴史
1442年(嘉吉2年)に「国家安全・五穀成就・人畜平安の祈願として、旧暦6月29日に旧宮所の浮殿に神輿にて行幸なし奉る。仮宮にて式三番の神楽あり、氏子の村々より笠鉾ばかりにて」[4]とある。その後、祭りは年々怠りなく執行され、155年後の1597年(慶長2年)旧暦8月15日に行幸の式を改めて、放生会と号し村々より鉾山(現在の山笠)が出た。前日、鉾山に幟立て、太鼓・鉦にて潟中に舁き出し、汐かき、村々に引き取った。15日の行事の式は神輿を出しお供は馬上である。大宮司、別当御守、獅子舞、御珠数、御獅子一頭、御鉾持数十人と列がなる。お供の鉾山は南原村、尾倉村、與原村、馬場村、苅田村、集村、雨窪村、濱町村が各一挺、提村と光圀村で一挺計九挺であった。9月も祭礼があり、23日獅子祓い、28日夜半に湯立神楽、29日流鏑馬が行われた。
形態
山笠(鉾山)の形は3種類に変化する。形態別に灯山・幟山・岩山と分類される。
灯山
提灯を飾った山笠である。電線のなかった昔は枠4段にはしご12段約15mの高さの灯山が夜空に輝いていた。かなり遠方からも見えたという事である。その後、電線の敷設に伴い、運行の際鉾山自体上部を後ろに折る形式になった。高さは約5mほどで提灯の数は約220個。現在は電球を使用する事で昔の高い形を再現した灯山も現れ2つの異なった形になっている。
灯山は2日間運行される。宇原神社の汐かきに神輿が出されるが、その際各町内から灯山が神輿の前に集合する。神輿の駅前までの道中、夜道を明るくする役割を果たしている。 2日目は各町内でそれぞれ独自に運行される。
幟山
大祭前日、汐かきの際出される山笠である。魔よけの意味を持つ数本の赤い幟を立て各区近くの海岸まで運行される。海岸近くに止め、氏子は鉦を叩いて海岸まで出向き葦を汐(しお)に浸し、清めた葦を山笠に投げ上げる。
岩山
祭り最終日、御神体を乗せた宇原神社の神輿のお供をする山笠である。前日、清めの幟山が早朝岩山に変貌する。紙張りの岩を重ね、前の舞台に人形を配し、先端に紙張りの金を中央に左右に銀の鉾にボテ花と呼ばれる竹に紙を巻き付け一体化した依り代を取り付ける。太鼓・鉦を中に置き廻りを幔幕で巻く。総高15m、総重量4トン以上にもなる山笠。15地区から14基の山笠が、神輿のお供に南北から苅田町役場横石塚山古墳近くの浮殿(現苅田町役場)と呼ばれるかつての宮所まで運行する。
突き当て
突き当ては、舁棒(かきぼう)と呼ばれる前後に伸びた棒を相手の山笠にぶつけ合う。毎年道路上で長時間の激しい戦いが繰り広げられた。反面山笠は崩れけが人も出る、周りの街路樹や電話ボックス等も被害を被るなどした結果、次第に行き過ぎを自粛する方向に進んだ。一時期、直方系の小山と呼ばれる人形を前後に付けぶつけ合いが事実上出来なくする山笠も登場した。それでもぶつけ合いは止まず、1984年に山笠中止という最悪の事態に陥った。それを機に8年程全く行われない時期が続いたが、1992年より復活した。
現在は、各区若手の振興会組織が中心となって役場広場で申し合わせにより突き当てをする形式になっている。