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2018年5月29日 (火) 00:03時点における版

国民民主党
代表
国民民主党本部
(2016年3月までは民主党本部、2018年5月までは民進党本部として使用)
現職者
初代共同代表
(上) 大塚耕平
(下) 玉木雄一郎
任期3年
初代就任菅直人
鳩山由紀夫
創設1996年
ウェブサイト国民民主党

国民民主党代表(こくみんみんしゅとうだいひょう)は、国民民主党の最高責任者であり、党首に相当する。現在、共同代表制を採用しており、結党時の2018年5月から、大塚耕平玉木雄一郎が務めている。

概要

国民民主党代表の概要が設立されたばかりの政党で、詳細が不明なため、以下、前身政党の民進党代表の概要を説明する。
任期は、1999年までは1年、2000年から2011年までは2年[1][2]、2012年以降は3年[3]である(民進党規約12条3項[4])。前任者が任期途中で辞任した場合、新たに選出された代表の任期は、2011年までは前任者の残任期間[2]、2012年以降は就任翌々年の9月まで[3](ただし、2016年以降は党員サポーターが投票に参加しなければ就任翌年の9月まで。民進党規約12条5項・7項[4])となる。

代表の再選回数に制限はない(民進党規約12条3項[4])。

任期満了に伴う代表選挙は、9月に行うことが通例であり、党所属国会議員(2012年以降は国政選挙の公認候補予定者も常に含む[3])、党籍を有する地方自治体議員、党員およびサポーターの投票で選出する(民進党規約12条4項[4])。前任者が任期途中で辞任した場合は、任期満了の場合に準ずる方式での選出のほか、両院議員総会(国会議員のみ)での選出が可能である(民進党規約12条6項[4])。


代表の一覧

  • は任期中首相に就任した者。
  • は民主党が政権獲得した時点での代表。
  • は民主党が政権を失った時点での代表。
  • 代表選の欄、議 は国会議員による投票、地 は国会議員と地方支部代表による投票、般 は国会議員と地方議員と党員・サポーターによる投票、無 は無投票。国会議員には公認候補予定者を含むケースあり。決選があった場合は、上が初回投票、下が決選投票の方式。

旧民主党代表 (1996-1998)

代表

就任日
退任日
備考
1 菅直人 1996年9月28日
1997年9月16日
共同代表制(菅が政務担当代表、鳩山が党務担当代表)。第41回衆院選を指揮。 1
鳩山由紀夫
2 菅直人 1997年9月16日
1998年4月27日
鳩山が新設の幹事長に就任。 2

民主党代表 (1998-2016)

代表

就任日
退任日
備考
1 菅直人 1998年4月27日
1999年1月18日
第18回参院選を指揮。選挙の結果、自民党が参議院過半数を割り、橋本内閣を退陣に追い込む。参院で首班指名される。 1
1999年1月18日
1999年9月25日
第14回統一地方選を指揮。代表選で鳩山に敗れ退任。 2
2 鳩山由紀夫
1999年9月25日
2000年9月9日
神の国解散に伴う第42回衆院選を指揮し議席を伸ばす。 3
2000年9月9日
2002年9月23日
第19回参院選を指揮し議席を伸ばす。 4

2002年9月23日
2002年12月10日
代表選後の幹事長人事や自由党との合併構想(民由合併)の表明により党内の求心力を失ったため、再選直後の辞任。 5
3 菅直人 2002年12月10日
2004年5月18日
第15回統一地方選を指揮。自由党を吸収する形で民由合併。第43回衆院選ではマニフェスト選挙を打ち出し躍進。自身の年金未納問題による責任を取り辞任。
4 岡田克也 2004年5月18日
2004年9月13日
民主党七奉行として初の代表。就任直後の第20回参院選で議席大幅増。
2004年9月13日
2005年9月17日
郵政解散に伴う第44回衆院選で敗北し、責任を取り辞任。 6
5 前原誠司 2005年9月17日
2006年4月7日
七奉行として2人目の代表。堀江メール問題による党内混乱の責任を取って辞任。
6 小沢一郎 2006年4月7日
2006年9月12日
他党(自由党)党首の経験者として初の代表。
2006年9月12日
2008年9月21日
第16回統一地方選第21回参院選を指揮し後者で大勝、後の政権交代の布石となる。 7
2008年9月21日
2009年5月16日
自身の献金問題のけじめのためと、次期総選挙に向けて挙党一致をより強固にするためとして辞任[5] 8
7 鳩山由紀夫
2009年5月16日
2010年6月4日
小沢前代表を選挙担当の代表代行とし、第45回衆院選で圧勝し、民主党代表として初の首相となる。選挙後小沢代行を幹事長に転任させる。普天間基地移設をめぐる党内外の求心力の低下や自身の「政治とカネ」問題のけじめのため小沢幹事長と共に辞任。
8 菅直人
2010年6月4日
2010年9月14日
第22回参院選を指揮し敗北。
2010年9月14日
2011年8月26日
東日本大震災直後の第17回統一地方選を指揮。不信任案に同調する構えの党内反主流派に退陣の言質を与え可決回避。震災復興と福島第一原発事故の収束が一区切りとして辞任。 9
9 野田佳彦

2011年8月29日
2012年9月21日
七奉行として3人目の代表、初の首相。
2012年9月21日
2012年12月25日
近いうち解散に伴う第46回衆院選で敗北し、責任を取り辞任。 10
10 海江田万里 2012年12月25日
2015年1月18日
非七奉行・非トロイカとして初の代表。他党(市民リーグ)党首の経験者として2人目の代表。第23回参院選第47回衆院選を指揮し後者で議席を伸ばす。しかし自身が、議席を失ったため辞任。
11 岡田克也
2015年1月18日
2016年3月27日
海江田前代表の辞任後、暫定代表を務め、首相指名選挙では代表代行として投票された。その後の代表選に出馬し当選。民主党(旧民主党含む)創設者以外の代表再登板は初めて。民進党結党により民主党としては最後の代表となった。 11

民進党代表

代表

就任日
退任日
備考
1 岡田克也 2016年3月27日
2016年9月15日
民主党代表から留任。第24回参院選直後に任期満了に伴う党代表選挙への不出馬を表明。任期満了で退任する代表としては初。 1
2 蓮舫 2016年9月15日
2017年9月1日
旧民主党を含め初の参議院議員、女性代表。野党第1党の党首に女性が就任するのは土井たか子社会党委員長以来30年ぶり。2017年東京都議選での敗北やそれに伴う野田幹事長の辞任により、求心力を回復できず辞任。 2
3 前原誠司 2017年9月1日
2017年10月30日
第48回衆院選希望の党への合流を決断するが、立憲民主党への党分裂を招き敗北[6]。党内の求心力を失ったため、責任を取り辞任[7]。代表在職日数は旧民主党時代から数えて歴代最短。
4 大塚耕平 2017年10月31日
2018年5月7日
参議院議員。国民民主党結党により民進党としては最後の代表となった。

国民民主党代表

代表

就任日
退任日
備考
1 大塚耕平 2018年5月8日
共同代表制。大塚は民進党代表から留任、玉木は他党(希望の党)党首の経験者として3人目の代表。また、届出上の代表は、大塚のみ。 1
玉木雄一郎

脚注

  1. ^ "代表選挙改革案を常任幹事会が了承" (Press release). 民主党. 21 July 1999.
  2. ^ a b "民主党規約" (Press release). 民主党. 22 June 2011.
  3. ^ a b c "党規約・代表選挙規則改正案のポイント" (PDF) (Press release). 民主党. 16 January 2012.
  4. ^ a b c d e "民進党規約" (Press release). 民進党. 27 March 2016.
  5. ^ "「挙党一致をより強固にするために」 小沢代表が辞意を表明 緊急会見で" (Press release). 民主党. 11 May 2009. 2009年8月12日閲覧
  6. ^ 衆院選、全議席が確定 自民は284に日本経済新聞 2017年10月23日
  7. ^ 前原氏、民進代表を辞任 後任31日に選出 特別国会に向け新体制スポニチアネックス 2017年10月30日

関連項目