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*[http://www.pan-dora.co.jp/wordpress/?page_id=1661 新版 いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論](2016年、パンドラ刊) |
*[http://www.pan-dora.co.jp/wordpress/?page_id=1661 新版 いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論](2016年、[http://www.pan-dora.co.jp/ パンドラ]刊) |
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*新装改訂版 いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論(2010年、パンドラ刊) |
*新装改訂版 いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論(2010年、[http://www.pan-dora.co.jp/ パンドラ]刊) |
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*新装版 いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論(2001年、パンドラ刊) |
*新装版 いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論(2001年、[http://www.pan-dora.co.jp/ パンドラ]刊) |
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*いのちの女たちへ―とり乱しウーマンリブ論(河出文庫) |
*いのちの女たちへ―とり乱しウーマンリブ論(河出文庫) |
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*美津と千鶴子のこんとんとんからり(木犀社) |
*美津と千鶴子のこんとんとんからり(木犀社) |
2018年1月11日 (木) 09:30時点における版
田中 美津(たなか みつ、1943年 - )は、1970年代日本のウーマンリブ運動の代表的な人物の一人である。鍼灸師。東京生まれ。2007年東京都知事選挙では「アサノと勝とう!女性勝手連」の呼びかけ人となった。
1970年に「便所からの解放」という文章を発表し、ウーマンリブ運動の先駆者となった[1]。1971年には「ぐるーぷ闘うおんな」のリーダーとして、「エス・イー・エックス」など他のリブグループと共に新宿に「リブ新宿センター」を設立した。同センターは女性の駆け込み寺として、また中絶や避妊などの相談センターとしても機能した。1975年、メキシコに渡り、帰国後は鍼灸師として活動している。
2007年東京都知事選挙では「アサノと勝とう!女性勝手連」の呼びかけ人として演説し、その立ち上げ集会の締めくくりとして歌も披露した。
著作
- 新版 いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論(2016年、パンドラ刊)
- 新装改訂版 いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論(2010年、パンドラ刊)
- 新装版 いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論(2001年、パンドラ刊)
- いのちの女たちへ―とり乱しウーマンリブ論(河出文庫)
- 美津と千鶴子のこんとんとんからり(木犀社)
- 自分で治す冷え性(マガジンハウス)
- いのちのイメージトレーニング(筑摩書房)
脚注
参考文献
- 上野千鶴子『差異の政治学』岩波書店、2015年。ISBN 9784006003340。