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現在の東立石の大部分に相当する2つの村が立石村から分村したことが国絵図の変遷や[[新編武蔵風土記稿]]の記述からわかっている。<ref>[http://www.city.katsushika.lg.jp/history/history/pdf/9_2%E7%AB%A03%E7%AF%80%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%96%E6%8E%B2%E8%BC%89%E7%94%A8.pdf 葛飾区編 『葛飾区史』p.113 (2017)]</ref>< |
現在の東立石の大部分に相当する2つの村が立石村から分村したことが国絵図の変遷や[[新編武蔵風土記稿]]の記述からわかっている。<ref>[http://www.city.katsushika.lg.jp/history/history/pdf/9_2%E7%AB%A03%E7%AF%80%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%96%E6%8E%B2%E8%BC%89%E7%94%A8.pdf 葛飾区編 『葛飾区史』p.113 (2017)]</ref><br /> |
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明治22年([[1889年]])には2村は[[東京府]][[南葛飾郡]][[本田町|立石村]](後の本田村)の大字となったが、明治35年([[1902年]])頃に現在の[[葛飾区立立石図書館]]の場所に移転するまでの間、川端659番地(現在の東立石3-28付近)に村役場(本田村役場)があった。<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806580/19 東京府 『東京府統計書』 p.16 (1900)]</ref>< |
明治22年([[1889年]])には2村は[[東京府]][[南葛飾郡]][[本田町|立石村]](後の本田村)の大字となったが、明治35年([[1902年]])頃に現在の[[葛飾区立立石図書館]]の場所に移転するまでの間、川端659番地(現在の東立石3-28付近)に村役場(本田村役場)があった。<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806580/19 東京府 『東京府統計書』 p.16 (1900)]</ref><br /> |
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昭和40年([[1965年]])、[[住居表示]]の実施によって本田原町、南立石町および本田川端町の大部分([[東京都道308号千住小松川葛西沖線|平和橋通り]]以東)や本田渋江町の一部(平和橋通り以東。渋江公園付近。)を併せて'''東立石'''になった。 |
昭和40年([[1965年]])、[[住居表示]]の実施によって本田原町、南立石町および本田川端町の大部分([[東京都道308号千住小松川葛西沖線|平和橋通り]]以東)や本田渋江町の一部(平和橋通り以東。渋江公園付近。)を併せて'''東立石'''になった。 |
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2017年12月29日 (金) 00:02時点における版
東立石 | |
---|---|
東立石緑地公園 | |
北緯35度43分55.7秒 東経139度50分45.9秒 / 北緯35.732139度 東経139.846083度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 葛飾区 |
地域 | 立石・四つ木地域 |
人口 | |
• 合計 | 11,577人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
124-0013[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 足立 |
※座標は葛飾区立川端小学校付近 |
東立石(ひがしたていし)は、東京都葛飾区の町名。現行行政地名は東立石一丁目から四丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は124-0013[2]。
地理
葛飾区南部に位置する。北西で立石一・七丁目、北東および東で中川を挟んだ対岸の奥戸、南東で中川を挟んだ対岸の東新小岩八丁目、南西で東四つ木二・四丁目に隣接する。主に住宅地として利用される。町域の北東辺および南東辺を中川に囲まれたほぼ四角形の境界を持ち、北西辺を東京都道60号市川四ツ木線、南西辺を東京都道308号千住小松川葛西沖線で画す。行政上の地名からも分かる通り、北西に隣接する立石とは密接な生活圏を形成しており、日常の呼称では併せて「立石」として総称される[要出典]。
地価
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、東立石4-26-10の地点で28万6000円/m2となっている。[4]
歴史
江戸時代前期の正保年間から元禄八年 (1695年) までの間に、新田の開拓によって原村と川端村という
現在の東立石の大部分に相当する2つの村が立石村から分村したことが国絵図の変遷や新編武蔵風土記稿の記述からわかっている。[5]
明治22年(1889年)には2村は東京府南葛飾郡立石村(後の本田村)の大字となったが、明治35年(1902年)頃に現在の葛飾区立立石図書館の場所に移転するまでの間、川端659番地(現在の東立石3-28付近)に村役場(本田村役場)があった。[6]
昭和7年(1932年)、本田町が周辺の町村と合併して葛飾区が成立すると、大字原が本田原町に、大字川端が本田川端町に[7]、大字立石の飛び地で現在、東立石緑地公園がある付近が南立石町になった。[8]
昭和40年(1965年)、住居表示の実施によって本田原町、南立石町および本田川端町の大部分(平和橋通り以東)や本田渋江町の一部(平和橋通り以東。渋江公園付近。)を併せて東立石になった。
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世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
東立石一丁目 | 1,058世帯 | 2,330人 |
東立石二丁目 | 1,067世帯 | 2,065人 |
東立石三丁目 | 1,211世帯 | 2,396人 |
東立石四丁目 | 2,335世帯 | 4,786人 |
計 | 5,671世帯 | 11,577人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9][10]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
東立石一丁目 | 全域 | 葛飾区立川端小学校 | 葛飾区立本田中学校 |
東立石二丁目 | 全域 | ||
東立石三丁目 | 29~32番 | ||
その他 | 葛飾区立本田小学校 | ||
東立石四丁目 | 16番 18~55番 | ||
その他 | 葛飾区立川端小学校 |
交通
鉄道
町域内に鉄道駅および鉄道路線は存在しない。しかし隣接する立石に京成電鉄押上線京成立石駅が所在するため、住民の鉄道交通機関の利用に不便は無い。
バス
道路・橋梁
- 東京都道60号市川四ツ木線
- 東京都道308号千住小松川葛西沖線(平和橋通り)
- 本奥戸橋(中川。東立石四丁目-奥戸二丁目)
- 平和橋(中川。東立石一丁目-東新小岩八丁目)
施設
- 行政
- 東京消防庁本田消防署
- 教育
- 保育・福祉
- こひつじ保育園分園
- 東立石保育園
- 社会福祉法人原町成年寮
- その他公共施設
史跡
- 原稲荷神社
関連項目
外部リンク
脚注
- ^ a b “葛飾区の世帯と人口”. 葛飾区 (2017年12月1日). 2017年12月18日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月18日閲覧。
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ 葛飾区編 『葛飾区史』p.113 (2017)
- ^ 東京府 『東京府統計書』 p.16 (1900)
- ^ 大字川端の一部が葛飾区成立の直前に本田町本丁に変更されている
- ^
東京市 『新区町名地番表』 1933年 - ^ “葛飾区小学校通学区域一覧”. 葛飾区 (2015年12月16日). 2017年12月18日閲覧。
- ^ “葛飾区中学校通学区域一覧”. 葛飾区 (2015年12月16日). 2017年12月18日閲覧。
- ^ 町域の西端を南北に横切る平和橋通り上をが通っている。町域にかかる停留所は南より、平和橋、川端小学校、忍橋、渋江公園の4つになる。
- ^ 町域の北端を東西に横切る奥戸街道上を通っている。町域にかかる停留所は東より、渋江公園、本田小学校、立石駅前通りの3つになる。