「西光寺 (葛飾区四つ木)」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
Tetracosane (会話 | 投稿記録) |
m cewbot: ウィキ文法修正 10: 角括弧の終了違反 |
||
42行目: | 42行目: | ||
*[[京成押上線]][[四ツ木駅]]徒歩約5分 |
*[[京成押上線]][[四ツ木駅]]徒歩約5分 |
||
*JR[[総武線]]・[[新小岩駅]]よりバス「[[亀有駅]]行き」または「[[市川駅]]行き」([[京成バス]] 新小52系統)「四つ木一丁目」下車徒歩すぐ。 |
*JR[[総武線]]・[[新小岩駅]]よりバス「[[亀有駅]]行き」または「[[市川駅]]行き」([[京成バス]] 新小52系統)「四つ木一丁目」下車徒歩すぐ。 |
||
*JR[[総武線]]・[[錦糸町駅]]より「[[都営バス青戸支所|青戸車庫]行き」([[都営バス]] 錦37系統)「四ツ木橋」下車徒歩5分。 |
*JR[[総武線]]・[[錦糸町駅]]より「[[都営バス青戸支所|青戸車庫]]行き」([[都営バス]] 錦37系統)「四ツ木橋」下車徒歩5分。 |
||
== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
2017年11月29日 (水) 00:15時点における版
超越山西光寺 | |
---|---|
山門 | |
所在地 | 東京都葛飾区四つ木1-25-8 |
位置 | 北緯35度44分04.0秒 東経139度50分02.5秒 / 北緯35.734444度 東経139.834028度座標: 北緯35度44分04.0秒 東経139度50分02.5秒 / 北緯35.734444度 東経139.834028度 |
山号 | 超越山 |
宗旨 | 天台宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 伝嘉禄元年(1225年) |
開山 | 伝葛西清重 |
正式名 | 超越山西光寺 |
別称 | 渋江西光寺 |
札所等 | 南葛八十八ヶ所霊場33番札所 |
文化財 |
木造聖徳太子立像(葛飾区指定文化財) 葛西清重墓(東京都指定文化財) |
法人番号 | 4011805000386 |
西光寺(さいこうじ)は、東京都葛飾区四つ木1丁目にある天台宗の寺院。 渋江西光寺(しぶえさいこうじ)と呼ばれることもある。
概要
当地は葛西御厨と呼ばれる周辺一体を治めていた武将、葛西清重が晩年に住んだ館の跡であるという。 本尊の阿弥陀如来立像の他、親鸞筆といわれる三方真向阿弥陀如来画像、近年まで葛西清重作といわれていた 木造聖徳太子立像などを所蔵する。境内には本堂、鐘楼などがある。 境内西側100mほどの葛西清重の墳墓跡と呼ばれる場所には、寛永8年(1631)建立の五輪塔1基と明治に大槻文彦らが建てた墓碑がある。 かつては墳墓上にあったと言われる清重稲荷は現在、境内に安置されている。
歴史
寺伝によれば、葛西清重の居館であった当地に関東教化中の親鸞が50日余り逗留し、自筆の阿弥陀如来画像を残した。この間に清重は親鸞の
弟子となり剃髪して西光房と称したという。そして館内に堂舎を建て、親鸞の滞在していた期間、雨続きだったことにちなんで『雨降山西光寺』と名付けた。
以来、浄土真宗として法灯を続けたが、永禄年間頃には、兵火[1]やいくたびかの水害でほぼ無住状態となった。
寛永年間になり、天台宗の旅僧が止宿して、由緒ある法灯の絶えることを惜しみ、村民とはかって浅草伝法院の門末の天台宗の寺として再興し、さらに相続く洪水に山号を雨降山から超越山と改めた。
アクセス
- 京成押上線四ツ木駅徒歩約5分
- JR総武線・新小岩駅よりバス「亀有駅行き」または「市川駅行き」(京成バス 新小52系統)「四つ木一丁目」下車徒歩すぐ。
- JR総武線・錦糸町駅より「青戸車庫行き」(都営バス 錦37系統)「四ツ木橋」下車徒歩5分。
参考文献
- 東京都葛飾区教育委員会編『葛飾区寺院調査報告(上)』1979年