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「アデレード・オーバーン」の版間の差分

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{{Infobox 鉄道路線|路線名=アデレード・オーバーン|終点={{仮リンク|モッドベリー|en|Modbury, South Australia}}([[ティー・ツリー・プラザ駅|TTPインターチェンジ]])|路線距離=12 [[キロメートル|km]]|運営者=[[アデレード・メトロ]]|開業={{plainlist|
[[ファイル:Bus track.jpg|250px|サムネイル|専用軌道を走るオーバーンのバス]]
* {{Start date|1986|03|09|df=y}} (第1段階)
'''アデレード・オーバーン''' ('''Adelaide O-Bahn''') は[[アデレード]]都心の北東に位置するハックニー (Hackney) から都心より10kmあまり北東に位置するマドバリー (Modbury) までを結ぶ全長12kmの[[ガイドウェイバス]]システムである。運営主体である[[アデレード・メトロ]]は世界最長・最速のガイドウェイバスであるとしている。
* {{Start date|1989|08|20|df=y}} (第2段階) }}|1日利用者数=31,000人(平日)<ref name=busnews>{{cite web |url=http://www.busnews.com.au/industry-news/1502/$160-million-o-bahn-project/ |title=$160 million O-Bahn project |date=26 February 2015 |work=Australasian Bus and Coach |accessdate=24 April 2015 |publisher=Bauer Trader Media}}</ref>|停留所数=停留所|駅数=3駅|起点=アデレード、{{仮リンク|グレンフェル通り|en|Grenfell Street, Adelaide}}|路線色=#000000|種類=[[ガイドウェイバス]]|所在地=[[南オーストラリア州]][[アデレード]]|国={{AUS}}|画像説明=アデレード・オーバーンを走る[[メルセデス・ベンツO305型]]のバス|画像サイズ=250px|画像=Mercedes-Benz O 305 on guided busway in Adelaide.jpg|路線色2=#000000|最高速度=80 [[キロメートル毎時|km/h]]}}


'''アデレード・オーバーン'''({{Lang-en-short|Adelaide O-Bahn}})は[[オーストラリア]][[南オーストラリア州]][[アデレード]]の都心の北東に位置するハックニー (Hackney) から都心より10kmあまり北東に位置する{{仮リンク|モッドベリー|en|Modbury, South Australia}}までを結ぶ全長12kmの[[ガイドウェイバス]]システムである<ref name=":0">{{Cite news|title=半自動化バス導入検討 運輸省 地方の渋滞解消へ|date=2019-07-04|newspaper=[[じゃかるた新聞]]|editor=大野航太郎|url=https://www.jakartashimbun.com/free/detail/48352.html|accessdate=2020-04-07}}</ref>。運営主体である[[アデレード・メトロ]]は世界最長・最速のガイドウェイバスであるとしている。オーバーン・システムは、[[西ドイツ]]の[[エッセン]]で[[路面電車]]のトンネルを共有し交通渋滞を避けることが可能なバスシステムとして、[[ダイムラー・ベンツ]]によって構想された<ref name="Essen">{{cite journal|author=|year=|date=1997年7月|title=Guided Busway Development|journal=|volume=|page=|work=Transit Australia Magazine}}</ref>。


== 背景・整備計画 ==
== 概要 ==
アデレード・オーバーンは、急速に拡大している[[ティーツリーガリー市]]などの北東部郊外に公共交通を提供するために、[[1986年]]に導入された<ref name=":0" />。オーバーンのバス軌道はバスと鉄道両方の要素を兼ね備えた専用の線路が備え付けられている。この線路は12 kmの長さがあり<ref name=":0" />、モッドベリーの{{仮リンク|クレムジグ駅|en|Klemzig Interchange|label=}}、{{仮リンク|パラダイス駅|en|Paradise Interchange|label=}}、{{仮リンク|ティーツリープラザ駅|en|Tea Tree Plaza Interchange|label=}}の3駅を含んでいる{{refnest|海外でのガイドウェイバスは「バス」として扱われているため<ref name="466-90">[[#吉見466|『鉄道ジャーナル』通巻466号 p.90]]</ref>、正式名称では「インターチェンジ」となっているが、日本ではガイドウェイバスは「鉄道」として扱われているため<ref name="65-15">[[#BR65|『バスラマ・インターナショナル』通巻65号 p.15]]</ref>、当記事では「駅」と表記する。|name="注1"|group="注"}}。これらの駅でバスがバス軌道を出入りできるとともに、旅客がバスを乗り降りすることもでき、乗客は乗り換えすることなく移動できる。このバスは最高100 km/hで運行できるが、現状85 km/hに制限されている。{{仮リンク|アデレード市中心部|en|Adelaide city centre|label=}}からティー・ツリー・プラザ駅までの15分間の距離で1時間に18,000人の乗客を運送する。2015年には、平日1日あたり約31,000人を輸送した<ref name=busnews />。2017年の延伸区間では、アデレード市中心部に入るために横切る交差点の数を減らすために、市街地で670 [[メートル|m]]のトンネルを開通させた。
アデレードでは[[1950年代]]から[[1960年代]]にかけて急速に郊外の都市化が進み、増加する都心部への流入を裁くために何本もの高速道路を建設する計画が策定された。[[トレンス川]]に沿った河岸公園も[[1960年]]には[[高速道路]]建設の候補地とされた。しかし[[1970年代]]になると環境問題に対する関心が高まり、慢性化する[[渋滞|交通渋滞]]やそれにともなう[[大気汚染]]、個人での[[自動車]]使用を促進することによるエネルギー消費量増加などが懸念されるようになり、高速道路建設は進展しなかった。


オーバーンのバス路線網が発達したことにより、荒廃した都市の下水状態であった{{仮リンク|トレンズ・リニアパーク|en|Torrens Linear Park|label=}}が魅力的な公共のオープンスペースへと開発され、モッドベリー北東端周辺の都市開発のきっかけとなった。
変わって計画されたのが、トレンス川沿いに走る[[公共交通機関]]である。[[オーストラリア]]の2大政党のうち、[[労働党 (オーストラリア)|労働党]]は[[路面電車]]ないし[[ライトレール|LRT]]を、[[オーストラリア自由党|自由党]]はガイドウェイバス建設を公約に掲げており、1970年代後半に[[南オーストラリア州]]議会で多数派であった労働党が[[1978年]]に一旦は路面電車の建設を決定した。しかし[[1979年]]に自由党が与党の座に着くとこの決定は覆され、[[1980年]]にはガイドウェイバスの路線が具体的に検討され始めた。[[1981年]]には州政府担当者が[[シュトゥットガルト]]にあった[[ダイムラー・ベンツ]]のガイドウェイバス試験線や[[エッセン]]で営業中の[[オーバーン]]の視察に派遣され、同年州議会にて正式にガイドウェイバスの建設が決定された。決定の理由は (1) 鉄道に比べてイニシャルコストが安いこと、(2) 一般道路からの直通運転ができるため、乗り換えの必要性が減ること、(3) 都心部での地下鉄ないし併用軌道の建設が不要であること、とされている。


== 建設・軌道構造 ==
== 背景 ==
アデレード・オーバーンの建設は[[1982年]]に開始され、[[1986年]]にパラダイス (Paradise Interchange) までが部分開通、[[1989年]]にはマドバリーまでの全線が開業した。軌道は地面に打ち込まれたパイプとその上に乗せられたコンクリート製枕木、コンクリート製の桁からなっており、複線の軌道幅は6.2mである。最高速度は100km/hとされ、ガイドウェイ区間の始終端部には40km/hの速度制限がある。このほかも線形により80km/hないし90km/hに速度が制限される区間も存在する。


=== 整備計画 ===
アデレードでは[[第二次世界大戦]]以降[[1950年代]]から[[1960年代]]にかけて急速に郊外の都市化が進み、人口は1944年から1965年までに倍増し<ref>Greater Adelaide's population increased from 365,000 in 1944 to 748,000 in 1965. "Population Distribution". ''3105.0.65.001 Australian Historical Population Statistics, 2014''. [[Australian Bureau of Statistics]].</ref>、自家用車の登録台数は43倍にまで増加した<ref>{{harvnb|Donovan|1991|pp=202–203}}</ref>。1955年に、当時の下院議員であった{{仮リンク|トーマス・プレイフォード4世|en|Thomas Playford IV|label=シア・トーマス・プレイフォード}}は都市計画委員会を設立し、アデレードをさらに発展させるために調整した計画を委託した。その結果、98 kmの道路の改善を含む、300ページにも及ぶ''"Report on the Metropolitan Area of Adelaide 1962"'' という30年分の開発計画が策定された。プレイフォードは1965年の議院退任の直前に、交通改善のためのより詳細な調査を依頼した<ref>{{cite book|author=Llewellyn-Smith, Michael|title=Behind the Scenes: The Politics of Planning Adelaide|year=2012|publisher=University of Adelaide Press|isbn=978-1-922064-41-7|pages=77–81}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.atlas.sa.gov.au/resources/atlas-of-south-australia-1986/the-course-of-settlement/urban-planning|title=Urban Planning|accessdate=21 May 2015|work=Atlas of South Australia 1986|publisher=Government of South Australia|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150402201621/http://www.atlas.sa.gov.au/resources/atlas-of-south-australia-1986/the-course-of-settlement/urban-planning|archivedate=2 April 2015|deadurl=yes|df=dmy-all}}</ref><ref name="ozroads">{{cite web|url=http://www.ozroads.com.au/SA/freeways.htm|title=Adelaide's Freeways - A History from MATS to the Port River Expressway|accessdate=21 May 2015|publisher=ozroads.com.au}}</ref>。


1968年に、アデレードは計156 kmにも及ぶ10本の高速道路を建設する{{仮リンク|アデレード市街交通調査|en|Metropolitan Adelaide Transport Study}}(MATS)計画を策定した。MATS計画は何千にも及ぶ用地を買収し、郊外の多くの用地がインターチェンジにされることになるため、多くの市民の反感を買うことになった。議会で論戦となり、オーストラリア国外における高速道路の[[渋滞]]のイメージが広がってさらに憤激を買うことになった。にもかかわらず、1969年初めに州知事の[[スティール・ホール]]はMATSの改正案の実施を承認し、州政府は提案された高速道路建設予定地に沿って物件の買収を開始した。1969年中頃には、州政府は計画に反対する野党と協議した結果、計画していた10本の高速道路のうち、2本の建設を撤回した後、推進派であった当時の州知事・[[スティール・ホール]]は落選し、新たに就任した{{仮リンク|ドン・ダンスタン|en|Don Dunstan}}率いる新政権はMATS計画を事実上棚に上げ、10年後まで高速道路の建設を凍結した。この時すでに買収していた用地は将来的な使用も踏まえて残されていた<ref name="Responsible Government">{{cite book|author=Combe, Gordon Desmond|title=Responsible Government in South Australia|year=2009|publisher=Wakefield Press|isbn=978-1-86254-844-2|page=56|volume=2|origyear=1957}}</ref><ref>{{cite book|author=Llewellyn-Smith, Michael|title=Behind the Scenes: The Politics of Planning Adelaide|year=2012|publisher=University of Adelaide Press|isbn=978-1-922064-41-7|pages=81–86}}</ref>。
== 路線の概要・駅施設 ==

ほぼ全区間でトレンス川の河川敷公園内に敷設されており、完全立体交差である。駅は都心側からクレムジグ (Klemzig Station)、パラダイス、マドバリー (Modbury Interchange) の3駅で全駅に一般道路との連絡道路が設けられている。(ただし、2009年現在Klemzig Stationから一般道路へ接続する便は朝夕のラッシュ時間帯に数本のみ。)。マドバリーはTTP (Tea Tree Plaza) ショッピングセンターに隣接しており、こちらの名前を取ってTTPインターチェンジなどとも呼ばれる。3駅とも一般道路を走るバス路線と接続しており、バイクロッカーや[[駐車場]]も整備されている。またバス停には屋根付の待合箇所 (Bus Shelter) が設けられ、路線図や時刻表などの案内や防犯カメラも整備されている。
1970年台半ばまで、北東部の郊外では輸送手段が問題となっていた。[[ティーツリーガリー市]]の人口は1954年から1971年にかけて2,500人から35,000人へと増加した<ref>{{cite web|url=http://www.teatreegully.sa.gov.au/page.aspx?u=731|title=History of Tea Tree Gully|accessdate=21 May 2015|publisher=City of Tea Tree Gully}}</ref>。[[トレンズ川]]に沿ってアデレードからモッドベリーへ通じる回廊状の土地は、MATS計画でモッドベリー高速道路の用地として購入されたもので、1973年に州の運輸省長官が、{{仮リンク|アデレードの鉄道|en|Railways in Adelaide|label=アデレード市内の鉄道}}と郊外を接続するヘビーレールの建設を提案した際に、その候補地となった。その後、「アデレード北東部の交通調査」(NEAPTR)という調査において、ヘビーレールや[[ライトレール]]、ガイドレールバス、高速道路での効果を検討し、最終的にはライトレールかガイドウェイバスが最も実現可能であると結論付けられた。州政府は、[[グレネルグ・トラム]]を延長する形でライトレールを敷設するという提案を行った。この新ルートは{{仮リンク|ビクトリアスクエア|en|Victoria Square, Adelaide|label=}}にある終点から{{仮リンク|キングウィリアム通り|en|King William Street, Adelaide|label=}}を進み、{{仮リンク|アデレードパークランズ|en|Adelaide Park Lands|label=}}を通ってからモッドベリーに続くものであった<ref name="wilson">Wilson, Tom. Items of Interest for Planning of Luton Dunstable Translink, Appendix A: Report on Adelaide O-Bahn. (Tom Wilson was the Principal Consultant Service Development & Busway Operations Manager 1981–1989.)</ref><ref name="busway12">Busway Information, Paper One: Background History of the Northeast Corridor Transportation Proposals. South Australian Department of Transport (1983).</ref>。このライトレールは、駅で[[フィーダーバス]]と接続し、利用客を郊外へと運ぶ予定であった。老朽化した[[グレネルグ・トラム#H%E5%BD%A2|H形車両]]に代わるライトレール用の新たな車両の購入も予定されていた<ref name="wilson" /><ref name="busway12" /><ref name="ozroads2">{{cite web|url=http://www.ozroads.com.au/SA/freeways.htm|title=Adelaide's Freeways - A History from MATS to the Port River Expressway|accessdate=21 May 2015|publisher=ozroads.com.au}}</ref>。

この計画に多くの市民が反対した。アデレード市議会も、この計画が良く整えられたアデレード市の都市計画と支障するとして反対した。州政府はこれに応じ、アデレード市街地の地下を直行するように計画を変更したものの、かなりの費用がかかることが懸念された。{{仮リンク|セントピーターズ (南オーストラリア州)|label=セントピーターズ|en|St Peters, South Australia}}といった中心部にある住宅街の住民は、ライトレールの車両が地下を走ることによる騒音を懸念し、またモッドベリー回廊におけるトレンズ川峡谷の断絶に反対して、この問題に抗議した。トンネルの試掘は開始されたものの、ライトレール計画は州知事・{{仮リンク|デイビッド・トンキン|en|David Tonkin|label=}}に運輸大臣として任命された、計画反対派の{{仮リンク|マイケル・ウィルソン (オーストラリアの政治家)|en|Michael Wilson (Australian politician)|label=マイケル・ウィルソン}}によって1980年に凍結された<ref name="wilson" /><ref name="busway12" />。

新しい州政府はライトレール計画の代わりとして、ダイムラー・ベンツが西ドイツで開発していたガイドウェイバス・システムの調査のために、専門家を派遣した。オーバーン ({{Lang|en|O-Bahn}}) という言葉は、[[ドイツ語]]で「バス」という意味をもつ''Omnibus'' と、「道路」または「鉄道」を意味する''Bahn''を掛け合わせたものである<ref>"[http://www.oed.com/view/Entry/246423 O-Bahn, n.]" ''OED Online''. Oxford University Press, June 2015. Accessed 11 August 2015.</ref>、オーバーン・システムは[[エッセン]]のトラムのトンネルを使って実験されていた<ref name="Essen" />。ドイツ当局との幅広い協議の結果、{{仮リンク|州交通局 (南オーストラリア州)|en|State Transport Authority (South Australia)|label=州交通局}}の技官はオーバーン・システムの運用が可能であると判断した。このシステムは、利用する土地を少なくでき、騒音被害を減らし、速達性を高め、建設コストが少ないという点において、従来のライトレール計画よりもはるかに優れているとみなされており、その上、郊外の通りから市の中心部まで、市街地を通らずに直行できるという独自の特徴が、州政府の注目を集めた。

=== 建設 ===
元々の計画では12 kmのうち起点から3 kmのみをオーバーンとして建設し、残りは従来型のバス専用道路として運行する予定であったが、安全上の懸念と市民の反対により、すべての区間をオーバーンとして建設することとなった。1982年に州政府が政権交代したことにより、計画の進行が不確実となった。{{仮リンク|ジョン・バノン|en|John Bannon|label=}}政権は協議した後、計画の第1段階であるアデレード市街地からパラダイス駅までの区間の建設を続行を決定した後、1986年に第2段階であるパラダイス駅からティー・ツリー・プラザ駅までの建設を開始した<ref name="busway12" /><ref name="Brochure90">Northeast Busway (Brochure). State (South Australia) Transport Authority (1990).</ref><ref name="Brochure87">O-Bahn Busway Information (Brochure). South Australian Department of Transport (1987).</ref>。計画の総費用は、バスの購入費も含めて9800万[[オーストラリア・ドル|ドル]]であった<ref name="busway4">Busway Information, Paper Four: Environment. South Australian Department of Transport (1983).</ref>。

第1段階の工事が完了した1986年のオーバーンの利用客数は400万人以上であり、翌年は30 %増加した<ref name="Brochure87" />。その上、全線開通した1989年8月20日時点で、さらに15 %増加した<ref name="Brochure90" />。1990年代にアデレードの公共交通機関が民営化し、バス、鉄道、トラム全体で利用客数が25 %減少したが、オーバーンはその例によらず、1996年には1日の平均乗員数が1万9500人となり、年間713万人が利用している結果となった<ref name="wilson" />。2015年には、平日の平均利用客数は約3万1000人となった<ref name="busnews" />。

=== 延伸計画 ===
[[ファイル:Obahn_pano_entering_klemzig.jpg|左|サムネイル|300x300ピクセル|クレムジグ駅に入るバス]]
オーバーンには、{{仮リンク|ゴールデングローブ (南オーストラリア州)|en|Golden Grove, South Australia|label=ゴールデングローブ}}への延伸を中心にさまざまな延伸計画が存在しているが、どれもが協議段階から進展していない。ゴールデン・グローブに向けて延伸するには、回廊状の土地がなく、線路を敷設するための広大な私有地の買収が必要であるため、実現していない。ティー・ツリー・プラザ駅から{{仮リンク|アデレード・ヒルズ|en|Adelaide Hills|label=}}までの8 kmほどの区間には人口の[[スプロール現象]]が続いているものの、沿線の人口増加は無視できる範囲である。現在のルートは、{{仮リンク|グランドジャンクション通り|en|Grand Junction Road|label=}}と交差する地点に新駅を作る予定で敷設されたものの、新駅建造は行われていない<ref name="busway3">Busway Information, Paper Three: Operational Strategy. South Australian Department of Transport (1983).</ref>。

オーバーンの南部への延伸計画が最も注目を集めており、1996年以降、様々な調査や議会の議題の中心に挙がっている。最南端を走るこのルートは中心地から離れており、より中心部を走る鉄道の駅勢圏と被らず、オーバーンが南部を走ることで、オーバーンは既に多い人口と継続的にな成長の恩恵を得ることが可能であるからである<ref name="wilson" />。

提案されているルートの1つに、市街地から{{仮リンク|シーフォード線|en|Seaford railway line|label=}}に沿って進み、{{仮リンク|トンズレイ線|en|Tonsley railway line|label=}}に接続するというものがある<ref name=":1">{{cite web|url=https://hansardpublic.parliament.sa.gov.au/_layouts/15/Hansard/DownloadHansardFile.ashx?t=historicpdf&d=HANSARD-4-1461|publisher=Government of South Australia|title=Legislative Council Hansard|at=O-Bahn, Southern, p. 105 (PDF p. 5)|date=15 October 1996|accessdate=10 April 2015|archive-url=https://web.archive.org/web/20151117020350/https://hansardpublic.parliament.sa.gov.au/_layouts/15/Hansard/DownloadHansardFile.ashx?t=historicpdf&d=HANSARD-4-1461|archive-date=17 November 2015|url-status=dead}}</ref><ref>{{cite news|date=4 September 2000|title=Southern O-Bahn survey go-ahead|newspaper={{仮リンク|サンデー・メール|en|Sunday Mail (Adelaide)}}|location=アデレード}}</ref>。オーバーンはそこで終点とし、バスは{{仮リンク|南部高速道路|en|Southern Expressway (South Australia)|label=}}に乗ってさらに南部へ向かうという計画である。この計画を完成させるにはオーバーンの線路敷設のために、シーフォード線の線路を若干横にずらす必要性がある上に、エマーソン踏切と{{仮リンク|グッドウッド駅|en|Goodwood railway station|label=}}におけるグレネルグトラムとの交差点の改築が要求された<ref>{{cite web|url=https://hansardpublic.parliament.sa.gov.au/_layouts/15/Hansard/DownloadHansardFile.ashx?t=historicpdf&d=HANSARD-4-1355|publisher=Government of South Australia|title=Legislative Council Hansard|at=Southern O-Bahn, pp. 853–54 (PDF pp. 11–12)|date=11 April 2000|accessdate=10 April 2015|archive-url=https://web.archive.org/web/20151117063217/https://hansardpublic.parliament.sa.gov.au/_layouts/15/Hansard/DownloadHansardFile.ashx?t=historicpdf&d=HANSARD-4-1355|archive-date=17 November 2015|url-status=dead}}</ref>。それによるコストは、1億8200万ドルになると試算されたため、2001年に計画は凍結された<ref>"High cost derails southern O-Bahn". ''The Advertiser'' (Adelaide). 16 March 2001.</ref>。以降、アデレード市は{{仮リンク|サウス・ロード|en|South Road, Adelaide|label=}}の改良やグレネルグトラムの延伸実現に注力している<ref>Pengelley, Jill; Zed, Tom (16 October 2009). [http://www.couriermail.com.au/news/south-road-superway-to-connect-regency-rd-port-river-expressway/story-e6freon6-1225786970383 "South Road Superway to connect Regency Rd, Port River Expressway"]. ''The Advertiser'' (Adelaide). Retrieved 16 July 2010.</ref><ref>{{cite web|url=http://www.infrastructure.sa.gov.au/northern_expressway#whatis|accessdate=15 July 2010|publisher=Government of South Australia|title=Northern Expressway|archive-url=https://web.archive.org/web/20100725214828/http://www.infrastructure.sa.gov.au/northern_expressway#whatis|archive-date=25 July 2010|url-status=dead}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.abc.net.au/local/stories/2009/10/29/2727973.htm|date=29 October 2009|accessdate=15 July 2010|publisher=Australian Broadcasting Corporation|title=Tram extension progress: How is the Coast to Coast light rail project travelling?|last=Williamson|first=Brett}}</ref>。

2009年に計画されたルートは、ハックニー通りから{{仮リンク|グレンフェル通り|en|Grenfell Street, Adelaide}}や{{仮リンク|クリー通り|en|Currie Street, Adelaide|label=}}に沿って進み、CBD<ref group="注">アデレード市内の{{仮リンク|ノーステラス|en|North Terrace, Adelaide|label=}}、{{仮リンク|イーストテラス|en|East Terrace, Adelaide|label=}}、{{仮リンク|サウステラス|en|South Terrace, Adelaide|label=}}、{{仮リンク|ウエストテラス|en|West Terrace, Adelaide|label=}}に囲まれた地域内にある、アデレード中央商業特区(Adelaide '''C'''entral '''B'''usiness '''D'''istrict)の略称。</ref>から離れた位置の{{仮リンク|ウエストテラス|en|West Terrace, Adelaide|label=}}まで延伸するルートであった<ref>{{cite web|url=http://www.abc.net.au/news/stories/2009/05/12/2568532.htm|title=O-Bahn and rail lines boost for Adelaide|publisher=ABC News Online|date=12 May 2009|accessdate=13 May 2009}}</ref>。しかし連邦政府は、[[クイーンズランド洪水 (2010年-2011年)|クイーンズランド州で発生した洪水]]への対応の一環として、「当初の延伸計画から大幅な範囲を削減した結果、延伸による効果がほぼ見込めなくなった」として計画が中止となった<ref>{{cite web|url=http://www.pm.gov.au/sites/default/files/attachment2_rebuilding_floods.doc|title=Australian Federal Government: Paying for recovery and reconstruction|publisher=Australian Federal Government (Prime Minister)|date=27 January 2011|accessdate=27 January 2011|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110219131646/http://www.pm.gov.au/sites/default/files/attachment2_rebuilding_floods.doc|archivedate=19 February 2011|url-status=dead|df=dmy-all}}</ref>。

=== オーバーン・シティ・アクセス・プロジェクト ===
2015年、{{仮リンク|運輸・インフラ計画省|en|Department of Planning, Transport and Infrastructure|label=}}はオーバーン・シティ・アクセス・プロジェクトに1億6000万ドルを用いることを提案した。この計画は、ハックニー通りの従来の出入り口は維持しつつ、アデレード植物園付近を始点としたガイドウェイバスの線路を、新しいトンネルの入り口で接続するために、ハックニー通りのバス専用レーンの改良を行うという計画である。このトンネルは、{{仮リンク|ノーステラス|en|North Terrace, Adelaide|label=ボタニック通り}}の交差点の地下を通過し、{{仮リンク|ルンドルパーク|en|Rundle Park|label=}}と{{仮リンク|ルンドル通り|en|Rundle Street, Adelaide|label=}}の地下で西に曲がり、{{仮リンク|ライミルパーク|en|Rymill Park|label=}}の地下を通って、改良工事の行われたグレンフェル通りと{{仮リンク|イーストテラス|en|East Terrace, Adelaide|label=}}が接続する交差点に向かうものである<ref name="busnews" /><ref>{{cite web|url=http://www.infrastructure.sa.gov.au/public_transport_projects/o-bahn_city_access|title=O-Bahn City Access Project|publisher=Department of Planning, Transport and Infrastructure|date=16 July 2015|accessdate=22 July 2015}}</ref>。同年後半に建設が開始され、2017年に完成した<ref>{{cite web|url=http://dpti.sa.gov.au/infrastructure/public_transport_projects/o-bahn_city_access/community_engagement|title=O-Bahn City Access Project: Community Engagement|date=10 June 2015|accessdate=2 August 2015|url-status=dead|archiveurl=https://archive.is/20150424110714/http://dpti.sa.gov.au/infrastructure/public_transport_projects/o-bahn_city_access/community_engagement|archivedate=24 April 2015|df=dmy-all}}</ref>。2015年10月に、トンネルの設計、建設は[[ニュージーランド]]の建設会社・{{仮リンク|マコーネル・ドゥウェル|en|McConnell Dowell|label=}}に委託された。[[SAGEオートメーション]]は、トンネルの機械的かつ電気的側面の専門技術の提供を行った<ref>{{cite press release|title=More SA jobs as tender awarded for O-Bahn tunnel design and construction|publisher=Government of South Australia|date=26 October 2015|url=http://www.infrastructure.sa.gov.au/__data/assets/pdf_file/0009/178911/26-10-15_-_Mullighan_-_O-Bahn.pdf|accessdate=3 November 2015|author=[[:en:Stephen Mullighan|Stephen Mullighan]], Minister for Transport and Infrastructure|archive-url=https://web.archive.org/web/20160318133612/http://www.infrastructure.sa.gov.au/__data/assets/pdf_file/0009/178911/26-10-15_-_Mullighan_-_O-Bahn.pdf|archive-date=18 March 2016|url-status=dead}}</ref>。トンネルは2017年12月10日に開通し、翌日から暫定的に営業が開始され、12月17日に本格的に稼動が開始された<ref>{{cite news|url=http://www.abc.net.au/news/2016-03-21/o-bahn-construction-starts-today/7262438|title=Adelaide O-Bahn bus lane work begins in bid to reduce congestion into city|date=21 March 2016|publisher=ABC News|accessdate=21 March 2016}}</ref>。

== 沿線の発展への影響 ==
オーバーンの完成により、サービスを提供する団体や企業が公共交通機関や市の中心部に容易にアクセスしやすくなったため、ティーツリープラザ駅周辺には商業やコミュニティ開発を行う集団が移転してくるようになった。市場の需要は、周辺地域を住宅地としてではなく、商業地として区画分けしたことにより、満たされた<ref name="c373">{{harvnb|Cervero|1998|p=373}}</ref>。ティーツリープラザ駅周辺のこの地域はアデレード都市圏にある5つの副都心の1つとされている。

{{仮リンク|ロバート・セルベロ|en|Robert Cervero|label=}}は、オーバーンによるティーツリーガリーの変化を「地域のショッピングモールを中心としたやや不便なニュータウンから、広大な土地利用を特徴とした新興都市へと急速に転換させた。」と評した<ref name="c373" />。大型病院である{{仮リンク|モッドベリー病院|en|Modbury Hospital|label=}}はティーツリープラザ駅に隣接し、[[技術・継続教育|TAFE]]のトレンズバレー・キャンパスはオーバーンの開通後、オーバーンの路線の東側に接するように移転された<ref name="c373" />。ティーツリープラザ駅から1 km以内には、高校が1つ、小学校が3つ、キリスト教学校が1つ、[[シニアタウン]]が3つ存在する<ref>''UBD Adelaide'' street directory, pp. 84, 96.</ref>。対照的にクレムジグ駅とパラダイス駅の周辺は、低密度住宅地以外の土地利用に対して反対があり、[[公共交通指向型開発]]は行われていない<ref name="c373" />。

== 軌道 ==
[[ファイル:Obahn_test_track1.JPG|サムネイル|オーバーンのバスのテスト走行に使われる線路]]
オーバーンの軌道は地面に打ち込まれたパイプとその上に乗せられたコンクリート製枕木、コンクリート製の桁からなっており、[[トレンズ川]]沿いの[[沖積層]]土壌は高水準の[[塑性|可塑性]]があって頻繁に移動するため、地面から浮かせて敷設されている<ref name="c369">{{harvnb|Cervero|1998|p=369}}</ref>。コンクリートパイロンを最大4 mの深さまで地中に埋めて、安定性を確保した。パイロンの上には、線路を支える[[枕木#コンクリート|コンクリートの枕木]]がある。パイロンは5,600本の枕木と、12 m間隔で設置された4,200個のプレハブL字型線路を支えるために5,600ヶ所を掘削して設置している。複線の軌道幅は6.2 mである<ref name="brochure83">Northeast Busway Project (Brochure). South Australian Department of Transport (1983).</ref><ref name="busway2">Busway Information, Paper Two: O-Bahn Guided Bus Concept. South Australian Department of Transport (1983).</ref>。オーバーンのコンクリートの線路は当初提案された線路よりも狭く軽量化して、土地への負担を減らした<ref name="c369" />。

アデレードの端である、[[イーストパークランド]]の反対側にあるハックニー通りから専用軌道が始まる。最初に曲がり角が急なため、制限速度が40 km/hである60 mのトンネルに入る。特に[[連節バス]]などの後輪は線路に対して擦らないようになっている。クレムジグ駅までは速度は徐々に80 km/hまで加速する。パラダイス駅までの軌道の制限速度は最高で100 km/hであったが、2012年以降は85 km/hにまで制限された<ref>{{cite news|title=Is the O-Bahn track nearing end of life?|date=28 October 2013|url=http://indaily.com.au/news/2013/10/28/is-the-o-bahn-track-nearing-end-of-life/|accessdate=24 April 2015|publisher=Solstice Media|first=Liam|last=Mannix|work=INDaily}}</ref>。一部の区間では、テスト走行で115 km/hを達成した。平均運行速度は停止しているときも含めて60 km/hである。駅に入るとオーバーンではなくなり、制限速度が40 km/hとなる。駅構内での制限速度は時速20 km/hである<ref name="wilson" /><ref name="busway3" />。オーバーンはシステム運用の初期段階において裁判所の判決により正確には道路とみなされる。この判決により、[[南オーストラリア警察]]は[[自動速度違反取締装置|スピードカメラ]]を備え付けることができ、スピード違反者を発見することが出来ている<ref name="wilson" />。

他の車がオーバーンに進入すると、入り口に多数の看板があり、線路に乗ると車の排水溝([[オイルパン]])をはじく{{仮リンク|サンプバスター|en|Sump buster|label=}}によって阻止される。1年間に平均4台の車が線路内に入り、クレーンで取り除いている<ref name="wilson" />。

== 路線の概要 ==
オーバーンの路線は、ほぼ全区間でトレンズ川の河川敷公園内に敷設されており、完全立体交差である。アデレード市中心部のグレンフェル通り沿いを走行し、[[ライミルパーク]]にある{{仮リンク|アデレードパークランズ|en|Adelaide Park Lands|label=}}を通り、2017年10月に開通した670 mのトンネルを通ってオーバーンに入る。[[デケトビルテラス]]の交差点の北側にあるハックニー通りのトンネルを出ると、専用のバス軌道に入り、北に進む。この広がりに沿って、左側に{{仮リンク|アデレード植物園|en|Adelaide Botanic Garden}}、[[アデレード植物公園|植物公園]]がある。ハックニー通りは、オーバーンのバス軌道に沿って[[トレンズ川]]の橋を渡り、オーバーンの北側の入り口に向かって東に進む。バス軌道はパーク通りの地下に潜り、北東に向かうバス軌道に加わる。

バス軌道はトレンズ川の谷にほぼ沿っているが、緩やかなカーブを描いている。これは、川とバス軌道の間に公園や住宅があるためかなり頻繁に川を横断することを意味し、川の北側にあるクレムジグ駅まで合計で8回横断する。クレムジグ駅を出てすぐ後に川を横断し、パラダイス駅に到着する前にロシールパークと、バス軌道と川の間の北側に向かって{{仮リンク|キャンベルタウン (南オーストラリア州)|en|City of Campbelltown (South Australia)|label=キャンベルタウン}}とパラダイスの郊外の一部を通る。

パラダイス駅を出るとバス軌道はダーレイ通りを通り、最後にトレンズを通過する。バス軌道が流出する小川に沿って進み、[[ホープバレー貯水池]]の北西側を過ぎると、地形は急になる。{{仮リンク|グランドジャンクション通り|en|Grand Junction Road|label=}}の北側を進み、東や北に動きつつガイドウェイバスの終着点であるティーツリープラザ駅のあるウェストフィールド・ティーツリープラザに入る。多くのバスはここから一般道を通って、郊外へと運行している。
[[ファイル:Linear_Park.jpg|中央|サムネイル|800x800ピクセル|オーバーンの線路と{{仮リンク|セント・ピーターズ|en|St Peters, South Australia|label=}}のダンスタン・アドベンチャー・プレイグラウンド内の[[トレンズ川]]を横切るバスを示す180°のパノラマ写真]]
{| class="wikitable"
|+オーバーン内の各駅の情報
!<abbr>自治体</abbr>
!場所
!距離(km)
!駅名
! colspan="2" |行き先(系統番号)
!備考
|-
|{{仮リンク|ウォーカービル町|en|Town of Walkerville|label=ウォーカービル}}
|[[ギルバートン]]
!0
|
| colspan="2" |ハックニー通りからアデレード市中心部まで
|このバス停からの全ての路線はアデレード市中心部へ向かう。
|-
|{{仮リンク|ポートアデレードエンフィールド市|en|City of Port Adelaide Enfield|label=ポートアデレードエンフィールド}}
|{{仮リンク|クレムジグ|en|Klemzig, South Australia}}
!3.1
|クレムジグ駅
|528
|[[ノースゲート]]
|
|-
| rowspan="4" |{{仮リンク|キャンベルタウン (南オーストラリア州)|en|City of Campbelltown (South Australia)|label=キャンベルタウン}}
| rowspan="4" |パラダイス
! rowspan="4" |6.0
| rowspan="4" |パラダイス駅
|500
|[[エリザベス駅]]<ref>{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/routes/500|title=Route 500 timetable|accessdate=23 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref>
| rowspan="4" |
|-
|501
|[[モーソンレイク]]<ref>{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/routes/501|title=Route 501 timetable|accessdate=23 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref>
|-
|502
|[[サリスバリー駅]]<ref>{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/routes/502|title=Route 502 timetable|accessdate=23 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref>
|-
|503・506・507・556・557・559
|ティーツリープラザ駅<ref>{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/routes/503|title=Route 503 timetable|accessdate=23 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/routes/506|title=Route 506 timetable|accessdate=23 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/routes/507|title=Route 507 timetable|accessdate=23 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/routes/556|title=Route 556 timetable|accessdate=23 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/routes/557|title=Route 557 timetable|accessdate=23 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/routes/559|title=Route 559 timetable|accessdate=23 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref>
|-
| rowspan="4" |[[ティーツリーガリー市]]
| rowspan="4" |マドバリー
! rowspan="4" |12.1
| rowspan="4" |ティーツリープラザ駅
|541・542X
|[[フェアービューパーク]]<ref>{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/routes/541|title=Route 541 timetable|accessdate=23 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/routes/542X|title=Route 542X timetable|accessdate=23 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref>
| rowspan="4" |
|-
|543X
|サリーダウンズ<ref>{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/routes/543X|title=Route 543X timetable|accessdate=23 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref>
|-
|544X・545X・548
|ゴールデングローブ<ref>{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/routes/544X|title=Route 544X timetable|accessdate=23 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/routes/545X|title=Route 545X timetable|accessdate=23 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/routes/548|title=Route 548 timetable|accessdate=23 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref>
|-
|546
|[[パラヒルズ]]<ref>{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/routes/546|title=Route 546 timetable|accessdate=23 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref>
|}
この表に書かれた全ての路線はアデレード市の中心部を終着点として接続しているが、路線は異なる郊外を経由してオーバーンの駅と終着点の間を運行している<ref>{{cite web|url=https://adelaidemetro.com.au/maps/buses/5|title=5xx Bus route maps|accessdate=8 April 2015|publisher=Adelaide Metro}}</ref>。

== 駅施設 ==
駅は都心側からクレムジグ駅、パラダイス駅、ティーツリープラザ駅の3駅で、全駅に一般道路との連絡道路が設けられており、一般道路を走るバス路線と接続している。また、バス停には屋根付の待合箇所 (Bus Shelter) が設けられ、路線図や時刻表などの案内や防犯カメラも整備されており、バイクロッカーや[[駐車場]]も整備されている。
[[ファイル:Obahn_students_klemzig.jpg|サムネイル|クレムジグ駅にてオーバーンのバスに乗り込む学生たち]]
'''クレムジグ駅'''は{{仮リンク|クレムジグ|en|Klemzig, South Australia}}の中心地から3 km離れた郊外にあるオーバーン最初の駅である。この駅は、アデレード市の外環状線を走るバスシステムである「サークルライン」との接続用に作られた。多くのバスシステムはクレムジグ駅を経由しているため、駅の容量が限界になっている。駅には[[パークアンドライド]]用の駐車場が450台分ある<ref name="wilson" /><ref name="Park'n'Ride">{{cite web|url=https://www.adelaidemetro.com.au/content/download/170323/953083/version/3/file/ParknRide_Brochure_September2014_web.pdf|title=Your Park 'n' Ride Guide|accessdate=10 March 2015|date=May 2014|publisher=Government of South Australia, Adelaide Metro|id=FIS24147}}</ref>。

'''パラダイス駅'''は{{仮リンク|パラダイス (南オーストラリア州)|en|Paradise, South Australia|label=パラダイス}}の中心地から6 km離れた郊外にあるオーバーン2番目の駅である。第2段階の工事が終わるまでは一般道からのバスが運行され、2つのエリアに合計875台分の駐車場があった<ref name="Park'n'Ride" />。
[[ファイル:Adelaide_O-Bahn,_Modbury_Interchange_(overpass-northeast).jpg|サムネイル|ティーツリープラザ駅]]
'''ティーツリープラザ駅'''はモッドベリーの中心部から12 kmの場所にあるオーバーンの終着駅である。当初の名称は'''モッドベリー駅'''であったが、1997年9月12日に現在の名称に改称された。[[ウェストフィールド・ティーツリープラザ]]と接しており、オーバーンの中で最大規模の駅である。この駅からのバスサービスは{{仮リンク|エリザベス (南オーストラリア州)|en|Elizabeth, South Australia|label=エリザベス}}ほどの遠い場所まで接続し、{{仮リンク|ゴールデングローブ (南オーストラリア州)|en|Golden Grove, South Australia|label=ゴールデングローブ}}まで運行する。2013年の再開発期間中に複数の駐車場がつくられ、現在700台分の駐車場がある<ref>{{cite web|url=http://www.infrastructure.sa.gov.au/__data/assets/pdf_file/0006/92814/ttp_upgrade.pdf|title=Safe and Secure Parking for O-bahn commuters at Tea Tree Plaza|accessdate=12 January 2014|publisher=Department of the Premier and Cabinet}}</ref>。


== 車輌 ==
== 車輌 ==
[[ファイル:SB39DX-C1T.jpg|代替文=Photo of yellow and white articulated bus|サムネイル|[[スカニア]]・{{仮リンク|スカニア・Kシリーズ|en|Scania K series|label=K320UA型}}バス]]
[[1985年]]に購入された[[メルセデス・ベンツ]]製の'''O305型'''([[:en:Mercedes-Benz O305|英]])([[連節バス]]O305G型51両、非連節バスO305型41輛)や、[[MAN (企業)|MAN]]製の'''SG280型'''・'''SL202型'''([[:en:MAN SL202|英]])を使い続けており、幹線区間であるにもかかわらず老朽化が進んでいた。
オーバーンで初めて運用を開始したバスは、[[1985年]]に購入された[[メルセデス・ベンツ]]製の41台の非連節式および51台の連節式の{{仮リンク|メルセデス・ベンツO305型|en|Mercedes-Benz O305|label=O305型}}であった<ref>{{cite web|url=http://www.persona.uk.com/ashton/Core_docs/New/D75.pdf|title=Report on Adelaide O-Bahn: Items of Interest for Planning of Cambridgeshire's Guided Busway|accessdate=13 August 2015|date=August 2004|page=6|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304071533/http://www.persona.uk.com/ashton/Core_docs/New/D75.pdf|archivedate=4 March 2016|last=Wilson|first=Tom|deadurl=yes|df=dmy-all}}</ref>。このバスは南オーストラリアのプレスメタル社が車体を製造し、[[三菱自動車工業]]の[[クローベリーパーク]]工場にてオーバーン用に改造された。この製造費は当初の予算である9800万[[オーストラリア・ドル|ドル]]に含まれていた。当初導入予定だった[[MAN (企業)|MAN]]製の{{仮リンク|MAN・SL202|en|MAN SL202|label=SG280型・SL202型}}は後に導入された。メルセデス・ベンツO305型の最大耐久年の25年が近づくにつれて、2007年から代替車が導入されるようになった<ref>{{cite web|url=http://www.adelaidenow.com.au/news/south-australia/hunt-for-o-bahn-fleet/story-e6frea83-1111114533483|title=Hunt for O-Bahn fleet|accessdate=2017-12-17|date=29 September 2007|work=Sunday Mail (Adelaide)|publisher=}}</ref>。このバスは[[スカニア]]製の{{仮リンク|スカニア・Kシリーズ|en|Scania K series|label=K230UB型、K280UB型}}と{{仮リンク|スカニア・Kシリーズ|en|Scania K series|label=K320UA型}}をつなげた[[低床バス]]であった<ref>{{cite web|url=http://www.busnews.com.au/news/articleid/65147.aspx|title=Adelaide to buy 160 buses|accessdate=29 April 2015|work=Australasian Bus & Coach|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120210083828/http://www.busnews.com.au/news/articleid/65147.aspx|archivedate=10 February 2012}}</ref>。2015年4月からは、MAN・SL2021台と[[メルセデス・ベンツO405型|メルセデス・ベンツO405NH]]1台が組み合わさった低床バスも運行している<ref>{{cite web|url=http://fleetlists.busaustralia.com/adm.php?search=LCB|title=Light-City Buses|accessdate=21 April 2015|publisher=Australian Bus Fleet Lists}}</ref>。
その特殊な構造ゆえに低床車の導入が難しい事も原因のひとつとなっていたが、2007年以降は[[スカニア]]製の[[低床バス]]である'''K230UB・K280UB型'''([[:en:Scania K UB|英]])や'''K320UA型'''([[:en:Scania K UA|英]])連接バスによって置き換えが進んでいる他、2015年4月からは[[MAN (企業)|MAN]]や[[メルセデス・ベンツ]]製の[[低床バス]]も運用に就いている。

<gallery>
故障した場合、「ダンボ(Dumbo)」と呼ばれる特別に設計された車両がオーバーンからバスを引き上げる。計画の初期段階では、全てのバスが牽引能力を持つように設計していたが、バスの運転手たちの労働組合に反対されたため、ダンボを導入した。走行中にタイヤがパンクした場合、補助タイヤがバスが突飛に動くことを防ぎ、小さいアルミ製の内タイヤが支えることによって、最寄りの駅まで40 km/hで運行することが出来る<ref name="wilson" /><ref name="Brochure90" />。
SB39DX-C1T.jpg|スカニア・K320UA型バス
[[ファイル:O-Bahn guide wheel.jpg|サムネイル|オーバーンの補助タイヤ]]
</gallery>
フロントホイールの前に突出している補助タイヤはバスがオーバーンを走行する上で最も重要な部分である。この補助タイヤはステアリング構造と直結しており、線路端のガイドにそって走ることによってバスを操縦している。この補助タイヤがあるため、オーバーン上を走行しているときに厳密に言えば運転手は[[ステアリング・ホイール]]を操縦しなくても良いが、安全上運転手は常に状況に注意する必要がある。駅の前にある[[ランブルストリップス]]は、運転手に操縦する必要があることを認識させる。補助タイヤはこのシステムの中で最も繊細な部分であり、強い衝撃を加えると外れてしまう。そのため、オーバーンが開通する前に一般道を走る多くのバスに補助タイヤを付けて耐久性のテストをした。運転手は、カーブでの補助タイヤへの衝撃の後、一般道でより慎重に運転するよう強制されている<ref name="wilson" /><ref name="Brochure90" />。

[[アデレード・メトロ]]によって運行されており、2015年には、平日で1日あたり約3万1000人を乗せた<ref name="busnews" />。

== 環境問題 ==
[[ファイル:TorrensLinearPark.jpg|サムネイル|パラダイス駅近辺のリニアパーク]]
{{See also|{{仮リンク|オーストラリアの環境問題|en|Environmental issues in Australia}}}}以前のモッドベリー・フリーウェイの建設計画よりも、オーバーンの敷設計画が選ばれたのは、{{仮リンク|自動車依存|en|Automobile dependency|label=自動車依存社会}}からの脱却への期待があったからである。トレンズ・リニアパークが作られたトレンズ川沿いの渓谷の再開発に600万ドルが使用された。線路沿いには、美観や環境の向上、騒音低減を目的として、約15万本の樹木、植物、低木が植樹され、1997年に完了した<ref name="busway4" />。公園沿いに遊歩道やサイクリングコースが整備され、公共利用が促進された<ref name="c3702">{{harvnb|Cervero|1998|p=370}}</ref>。トレンズ・リニアパークは「ゴミで埋め尽くされ、公共利用しがたい都市の排水路」と評されるほど悪化していたトレンズ川を再活性化した<ref name="c369" />。環境に対する考慮から生まれたオーバーンは、線路沿いの並木が[[二酸化炭素]]を吸収することで、[[カーボンオフセット]]が行われている<ref name="busway4" />。オーバーンの線路は、近隣の住宅への騒音の影響を軽減するために、河岸近くの低地にあり、さらに深く掘り下げた位置に敷設されている<ref name="c3702" />。

当初のバスはディーゼル燃料を使用していたが、このシステムはその他のエネルギーを利用するバスの走行も想定している。バイオディーゼル燃料と天然ガスを試験的に利用しており、アデレードを走るバスの20 %は圧縮天然ガス、48 %はB20燃料{{refnest|[[バイオディーゼル]]を20 %、[[軽油]]を80 %混合した燃料のこと<ref name="sciencedirect.com">{{cite journal|last1=Omidvarborna|title=Characterization of particulate matter emitted from transit buses fueled with B20 in idle modes|journal=Journal of Environmental Chemical Engineering|volume=2|issue=4|pages=2335–2342|doi=10.1016/j.jece.2014.09.020|display-authors=etal|date=December 2014}}</ref>。|name="注3"|group="注"}}、残りの32 %はB5燃料{{refnest|[[バイオディーゼル]]を5 %、[[軽油]]を95 %混合した燃料のこと。|name="注4"|group="注"}}を使用している<ref>{{cite web|url=http://www.dpti.sa.gov.au/__data/assets/pdf_file/0019/154270/DPTI_Annual_report_2013-2014_060115.pdf|title=Annual Report 2013–14|page=74|publisher=Department of Planning, Transport and Infrastructure|date=September 2014|accessdate=24 April 2015}}</ref>。また、オーバーンの設計は、トロリーバスの架線の設置を可能にしている<ref name="busway2" />。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2|30em}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}

== 参考文献 ==

* {{cite book|ref=harv|last=Donovan|first=Peter|title=Highways: A History of the South Australian Highways Department|year=1991|publisher=Griffin Press Limited|isbn=0-7308-1930-2}}
*{{cite book|ref=harv|last=Cervero|first=Robert|title=The Transit Metropolis: A Global Inquiry|year=1998|publisher=Island Press|isbn=1-55963-591-6}}
*{{cite book|ref=harv|author=Donovan, Peter|title=Playford's South Australia: Essays on the History of South Australia, 1933–1968|year=1996|publisher=Association of Professional Historians|isbn=0-646-29092-4|chapter=Motor cars and freeways: measures of a South Australian love affair|editor1=O'Neil, Bernard|editor2=Raftery, Judith|editor3=Round, Kerrie}}
*{{cite book|ref=harv|author=Hugo, Graeme|title=Playford's South Australia: Essays on the History of South Australia, 1933–1968|year=1996|publisher=Association of Professional Historians|isbn=0-646-29092-4|chapter=Playford's people: Population change in South Australia|editor1=O'Neil, Bernard|editor2=Raftery, Judith|editor3=Round, Kerrie}}
*{{Cite journal|和書|author=[[吉見宏]]|month=8|year=2005|title=世界のガイドウェイバス|journal=鉄道ジャーナル|issue=466|pages=86-90|publisher=[[鉄道ジャーナル社]]|ref=吉見466}}
*{{Cite journal|和書|author=|month=5|year=2001|title=名古屋ガイドウェイバスが運行開始|journal=バスラマ・インターナショナル|volume=|issue=65|page=|pages=12-18|publisher=[[ぽると出版]]|ref=BR65}}

== 関連項目 ==
{{Portal box|バス|鉄道}}

* [[名古屋ガイドウェイバスガイドウェイバス志段味線]] - 日本におけるガイドウェイバスの路線

== 外部リンク ==
{{Commonscat|O-Bahn Busway|アデレード・オーバーン}}


== 公式サイト ==
* [http://www.adelaidemetro.com.au/ Adelaide Metro]
* [http://www.adelaidemetro.com.au/ Adelaide Metro]


{{DEFAULTSORT:あてれいとおはん}}
{{DEFAULTSORT:あてれいとおはん}}
{{rail-stub}}
{{AU-stub}}
[[Category:アデレードの交通]]
[[Category:アデレードの交通]]
[[Category:案内軌条式鉄道路線]]

2023年12月19日 (火) 14:30時点における最新版

アデレード・オーバーン
アデレード・オーバーンを走るメルセデス・ベンツO305型のバス
アデレード・オーバーンを走るメルセデス・ベンツO305型のバス
基本情報
オーストラリアの旗 オーストラリア
所在地 南オーストラリア州アデレード
種類 ガイドウェイバス
起点 アデレード、グレンフェル通り英語版
終点 モッドベリー英語版(TTPインターチェンジ)
駅数 3駅
停留所数 停留所
1日利用者数 31,000人(平日)[1]
開業
  • 1986年3月9日 (1986-03-09) (第1段階)
  • 1989年8月20日 (1989-08-20) (第2段階)
運営者 アデレード・メトロ
路線諸元
路線距離 12 km
最高速度 80 km/h
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アデレード・オーバーン(: Adelaide O-Bahn)はオーストラリア南オーストラリア州アデレードの都心の北東に位置するハックニー (Hackney) から都心より10kmあまり北東に位置するモッドベリー英語版までを結ぶ全長12kmのガイドウェイバスシステムである[2]。運営主体であるアデレード・メトロは世界最長・最速のガイドウェイバスであるとしている。オーバーン・システムは、西ドイツエッセン路面電車のトンネルを共有し交通渋滞を避けることが可能なバスシステムとして、ダイムラー・ベンツによって構想された[3]

概要

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アデレード・オーバーンは、急速に拡大しているティーツリーガリー市などの北東部郊外に公共交通を提供するために、1986年に導入された[2]。オーバーンのバス軌道はバスと鉄道両方の要素を兼ね備えた専用の線路が備え付けられている。この線路は12 kmの長さがあり[2]、モッドベリーのクレムジグ駅英語版パラダイス駅英語版ティーツリープラザ駅英語版の3駅を含んでいる[注 1]。これらの駅でバスがバス軌道を出入りできるとともに、旅客がバスを乗り降りすることもでき、乗客は乗り換えすることなく移動できる。このバスは最高100 km/hで運行できるが、現状85 km/hに制限されている。アデレード市中心部英語版からティー・ツリー・プラザ駅までの15分間の距離で1時間に18,000人の乗客を運送する。2015年には、平日1日あたり約31,000人を輸送した[1]。2017年の延伸区間では、アデレード市中心部に入るために横切る交差点の数を減らすために、市街地で670 mのトンネルを開通させた。

オーバーンのバス路線網が発達したことにより、荒廃した都市の下水状態であったトレンズ・リニアパーク英語版が魅力的な公共のオープンスペースへと開発され、モッドベリー北東端周辺の都市開発のきっかけとなった。

背景

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整備計画

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アデレードでは第二次世界大戦以降1950年代から1960年代にかけて急速に郊外の都市化が進み、人口は1944年から1965年までに倍増し[6]、自家用車の登録台数は43倍にまで増加した[7]。1955年に、当時の下院議員であったシア・トーマス・プレイフォード英語版は都市計画委員会を設立し、アデレードをさらに発展させるために調整した計画を委託した。その結果、98 kmの道路の改善を含む、300ページにも及ぶ"Report on the Metropolitan Area of Adelaide 1962" という30年分の開発計画が策定された。プレイフォードは1965年の議院退任の直前に、交通改善のためのより詳細な調査を依頼した[8][9][10]

1968年に、アデレードは計156 kmにも及ぶ10本の高速道路を建設するアデレード市街交通調査英語版(MATS)計画を策定した。MATS計画は何千にも及ぶ用地を買収し、郊外の多くの用地がインターチェンジにされることになるため、多くの市民の反感を買うことになった。議会で論戦となり、オーストラリア国外における高速道路の渋滞のイメージが広がってさらに憤激を買うことになった。にもかかわらず、1969年初めに州知事のスティール・ホールはMATSの改正案の実施を承認し、州政府は提案された高速道路建設予定地に沿って物件の買収を開始した。1969年中頃には、州政府は計画に反対する野党と協議した結果、計画していた10本の高速道路のうち、2本の建設を撤回した後、推進派であった当時の州知事・スティール・ホールは落選し、新たに就任したドン・ダンスタン英語版率いる新政権はMATS計画を事実上棚に上げ、10年後まで高速道路の建設を凍結した。この時すでに買収していた用地は将来的な使用も踏まえて残されていた[11][12]

1970年台半ばまで、北東部の郊外では輸送手段が問題となっていた。ティーツリーガリー市の人口は1954年から1971年にかけて2,500人から35,000人へと増加した[13]トレンズ川に沿ってアデレードからモッドベリーへ通じる回廊状の土地は、MATS計画でモッドベリー高速道路の用地として購入されたもので、1973年に州の運輸省長官が、アデレード市内の鉄道英語版と郊外を接続するヘビーレールの建設を提案した際に、その候補地となった。その後、「アデレード北東部の交通調査」(NEAPTR)という調査において、ヘビーレールやライトレール、ガイドレールバス、高速道路での効果を検討し、最終的にはライトレールかガイドウェイバスが最も実現可能であると結論付けられた。州政府は、グレネルグ・トラムを延長する形でライトレールを敷設するという提案を行った。この新ルートはビクトリアスクエア英語版にある終点からキングウィリアム通り英語版を進み、アデレードパークランズ英語版を通ってからモッドベリーに続くものであった[14][15]。このライトレールは、駅でフィーダーバスと接続し、利用客を郊外へと運ぶ予定であった。老朽化したH形車両に代わるライトレール用の新たな車両の購入も予定されていた[14][15][16]

この計画に多くの市民が反対した。アデレード市議会も、この計画が良く整えられたアデレード市の都市計画と支障するとして反対した。州政府はこれに応じ、アデレード市街地の地下を直行するように計画を変更したものの、かなりの費用がかかることが懸念された。セントピーターズ英語版といった中心部にある住宅街の住民は、ライトレールの車両が地下を走ることによる騒音を懸念し、またモッドベリー回廊におけるトレンズ川峡谷の断絶に反対して、この問題に抗議した。トンネルの試掘は開始されたものの、ライトレール計画は州知事・デイビッド・トンキン英語版に運輸大臣として任命された、計画反対派のマイケル・ウィルソン英語版によって1980年に凍結された[14][15]

新しい州政府はライトレール計画の代わりとして、ダイムラー・ベンツが西ドイツで開発していたガイドウェイバス・システムの調査のために、専門家を派遣した。オーバーン (O-Bahn) という言葉は、ドイツ語で「バス」という意味をもつOmnibus と、「道路」または「鉄道」を意味するBahnを掛け合わせたものである[17]、オーバーン・システムはエッセンのトラムのトンネルを使って実験されていた[3]。ドイツ当局との幅広い協議の結果、州交通局英語版の技官はオーバーン・システムの運用が可能であると判断した。このシステムは、利用する土地を少なくでき、騒音被害を減らし、速達性を高め、建設コストが少ないという点において、従来のライトレール計画よりもはるかに優れているとみなされており、その上、郊外の通りから市の中心部まで、市街地を通らずに直行できるという独自の特徴が、州政府の注目を集めた。

建設

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元々の計画では12 kmのうち起点から3 kmのみをオーバーンとして建設し、残りは従来型のバス専用道路として運行する予定であったが、安全上の懸念と市民の反対により、すべての区間をオーバーンとして建設することとなった。1982年に州政府が政権交代したことにより、計画の進行が不確実となった。ジョン・バノン英語版政権は協議した後、計画の第1段階であるアデレード市街地からパラダイス駅までの区間の建設を続行を決定した後、1986年に第2段階であるパラダイス駅からティー・ツリー・プラザ駅までの建設を開始した[15][18][19]。計画の総費用は、バスの購入費も含めて9800万ドルであった[20]

第1段階の工事が完了した1986年のオーバーンの利用客数は400万人以上であり、翌年は30 %増加した[19]。その上、全線開通した1989年8月20日時点で、さらに15 %増加した[18]。1990年代にアデレードの公共交通機関が民営化し、バス、鉄道、トラム全体で利用客数が25 %減少したが、オーバーンはその例によらず、1996年には1日の平均乗員数が1万9500人となり、年間713万人が利用している結果となった[14]。2015年には、平日の平均利用客数は約3万1000人となった[1]

延伸計画

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クレムジグ駅に入るバス

オーバーンには、ゴールデングローブ英語版への延伸を中心にさまざまな延伸計画が存在しているが、どれもが協議段階から進展していない。ゴールデン・グローブに向けて延伸するには、回廊状の土地がなく、線路を敷設するための広大な私有地の買収が必要であるため、実現していない。ティー・ツリー・プラザ駅からアデレード・ヒルズ英語版までの8 kmほどの区間には人口のスプロール現象が続いているものの、沿線の人口増加は無視できる範囲である。現在のルートは、グランドジャンクション通り英語版と交差する地点に新駅を作る予定で敷設されたものの、新駅建造は行われていない[21]

オーバーンの南部への延伸計画が最も注目を集めており、1996年以降、様々な調査や議会の議題の中心に挙がっている。最南端を走るこのルートは中心地から離れており、より中心部を走る鉄道の駅勢圏と被らず、オーバーンが南部を走ることで、オーバーンは既に多い人口と継続的にな成長の恩恵を得ることが可能であるからである[14]

提案されているルートの1つに、市街地からシーフォード線英語版に沿って進み、トンズレイ線英語版に接続するというものがある[22][23]。オーバーンはそこで終点とし、バスは南部高速道路英語版に乗ってさらに南部へ向かうという計画である。この計画を完成させるにはオーバーンの線路敷設のために、シーフォード線の線路を若干横にずらす必要性がある上に、エマーソン踏切とグッドウッド駅英語版におけるグレネルグトラムとの交差点の改築が要求された[24]。それによるコストは、1億8200万ドルになると試算されたため、2001年に計画は凍結された[25]。以降、アデレード市はサウス・ロード英語版の改良やグレネルグトラムの延伸実現に注力している[26][27][28]

2009年に計画されたルートは、ハックニー通りからグレンフェル通り英語版クリー通り英語版に沿って進み、CBD[注 2]から離れた位置のウエストテラス英語版まで延伸するルートであった[29]。しかし連邦政府は、クイーンズランド州で発生した洪水への対応の一環として、「当初の延伸計画から大幅な範囲を削減した結果、延伸による効果がほぼ見込めなくなった」として計画が中止となった[30]

オーバーン・シティ・アクセス・プロジェクト

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2015年、運輸・インフラ計画省英語版はオーバーン・シティ・アクセス・プロジェクトに1億6000万ドルを用いることを提案した。この計画は、ハックニー通りの従来の出入り口は維持しつつ、アデレード植物園付近を始点としたガイドウェイバスの線路を、新しいトンネルの入り口で接続するために、ハックニー通りのバス専用レーンの改良を行うという計画である。このトンネルは、ボタニック通り英語版の交差点の地下を通過し、ルンドルパーク英語版ルンドル通り英語版の地下で西に曲がり、ライミルパーク英語版の地下を通って、改良工事の行われたグレンフェル通りとイーストテラス英語版が接続する交差点に向かうものである[1][31]。同年後半に建設が開始され、2017年に完成した[32]。2015年10月に、トンネルの設計、建設はニュージーランドの建設会社・マコーネル・ドゥウェル英語版に委託された。SAGEオートメーションは、トンネルの機械的かつ電気的側面の専門技術の提供を行った[33]。トンネルは2017年12月10日に開通し、翌日から暫定的に営業が開始され、12月17日に本格的に稼動が開始された[34]

沿線の発展への影響

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オーバーンの完成により、サービスを提供する団体や企業が公共交通機関や市の中心部に容易にアクセスしやすくなったため、ティーツリープラザ駅周辺には商業やコミュニティ開発を行う集団が移転してくるようになった。市場の需要は、周辺地域を住宅地としてではなく、商業地として区画分けしたことにより、満たされた[35]。ティーツリープラザ駅周辺のこの地域はアデレード都市圏にある5つの副都心の1つとされている。

ロバート・セルベロ英語版は、オーバーンによるティーツリーガリーの変化を「地域のショッピングモールを中心としたやや不便なニュータウンから、広大な土地利用を特徴とした新興都市へと急速に転換させた。」と評した[35]。大型病院であるモッドベリー病院英語版はティーツリープラザ駅に隣接し、TAFEのトレンズバレー・キャンパスはオーバーンの開通後、オーバーンの路線の東側に接するように移転された[35]。ティーツリープラザ駅から1 km以内には、高校が1つ、小学校が3つ、キリスト教学校が1つ、シニアタウンが3つ存在する[36]。対照的にクレムジグ駅とパラダイス駅の周辺は、低密度住宅地以外の土地利用に対して反対があり、公共交通指向型開発は行われていない[35]

軌道

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オーバーンのバスのテスト走行に使われる線路

オーバーンの軌道は地面に打ち込まれたパイプとその上に乗せられたコンクリート製枕木、コンクリート製の桁からなっており、トレンズ川沿いの沖積層土壌は高水準の可塑性があって頻繁に移動するため、地面から浮かせて敷設されている[37]。コンクリートパイロンを最大4 mの深さまで地中に埋めて、安定性を確保した。パイロンの上には、線路を支えるコンクリートの枕木がある。パイロンは5,600本の枕木と、12 m間隔で設置された4,200個のプレハブL字型線路を支えるために5,600ヶ所を掘削して設置している。複線の軌道幅は6.2 mである[38][39]。オーバーンのコンクリートの線路は当初提案された線路よりも狭く軽量化して、土地への負担を減らした[37]

アデレードの端である、イーストパークランドの反対側にあるハックニー通りから専用軌道が始まる。最初に曲がり角が急なため、制限速度が40 km/hである60 mのトンネルに入る。特に連節バスなどの後輪は線路に対して擦らないようになっている。クレムジグ駅までは速度は徐々に80 km/hまで加速する。パラダイス駅までの軌道の制限速度は最高で100 km/hであったが、2012年以降は85 km/hにまで制限された[40]。一部の区間では、テスト走行で115 km/hを達成した。平均運行速度は停止しているときも含めて60 km/hである。駅に入るとオーバーンではなくなり、制限速度が40 km/hとなる。駅構内での制限速度は時速20 km/hである[14][21]。オーバーンはシステム運用の初期段階において裁判所の判決により正確には道路とみなされる。この判決により、南オーストラリア警察スピードカメラを備え付けることができ、スピード違反者を発見することが出来ている[14]

他の車がオーバーンに進入すると、入り口に多数の看板があり、線路に乗ると車の排水溝(オイルパン)をはじくサンプバスター英語版によって阻止される。1年間に平均4台の車が線路内に入り、クレーンで取り除いている[14]

路線の概要

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オーバーンの路線は、ほぼ全区間でトレンズ川の河川敷公園内に敷設されており、完全立体交差である。アデレード市中心部のグレンフェル通り沿いを走行し、ライミルパークにあるアデレードパークランズ英語版を通り、2017年10月に開通した670 mのトンネルを通ってオーバーンに入る。デケトビルテラスの交差点の北側にあるハックニー通りのトンネルを出ると、専用のバス軌道に入り、北に進む。この広がりに沿って、左側にアデレード植物園英語版植物公園がある。ハックニー通りは、オーバーンのバス軌道に沿ってトレンズ川の橋を渡り、オーバーンの北側の入り口に向かって東に進む。バス軌道はパーク通りの地下に潜り、北東に向かうバス軌道に加わる。

バス軌道はトレンズ川の谷にほぼ沿っているが、緩やかなカーブを描いている。これは、川とバス軌道の間に公園や住宅があるためかなり頻繁に川を横断することを意味し、川の北側にあるクレムジグ駅まで合計で8回横断する。クレムジグ駅を出てすぐ後に川を横断し、パラダイス駅に到着する前にロシールパークと、バス軌道と川の間の北側に向かってキャンベルタウン英語版とパラダイスの郊外の一部を通る。

パラダイス駅を出るとバス軌道はダーレイ通りを通り、最後にトレンズを通過する。バス軌道が流出する小川に沿って進み、ホープバレー貯水池の北西側を過ぎると、地形は急になる。グランドジャンクション通り英語版の北側を進み、東や北に動きつつガイドウェイバスの終着点であるティーツリープラザ駅のあるウェストフィールド・ティーツリープラザに入る。多くのバスはここから一般道を通って、郊外へと運行している。

オーバーンの線路とセント・ピーターズのダンスタン・アドベンチャー・プレイグラウンド内のトレンズ川を横切るバスを示す180°のパノラマ写真
オーバーン内の各駅の情報
自治体 場所 距離(km) 駅名 行き先(系統番号) 備考
ウォーカービル英語版 ギルバートン 0 ハックニー通りからアデレード市中心部まで このバス停からの全ての路線はアデレード市中心部へ向かう。
ポートアデレードエンフィールド英語版 クレムジグ英語版 3.1 クレムジグ駅 528 ノースゲート
キャンベルタウン英語版 パラダイス 6.0 パラダイス駅 500 エリザベス駅[41]
501 モーソンレイク[42]
502 サリスバリー駅[43]
503・506・507・556・557・559 ティーツリープラザ駅[44][45][46][47][48][49]
ティーツリーガリー市 マドバリー 12.1 ティーツリープラザ駅 541・542X フェアービューパーク[50][51]
543X サリーダウンズ[52]
544X・545X・548 ゴールデングローブ[53][54][55]
546 パラヒルズ[56]

この表に書かれた全ての路線はアデレード市の中心部を終着点として接続しているが、路線は異なる郊外を経由してオーバーンの駅と終着点の間を運行している[57]

駅施設

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駅は都心側からクレムジグ駅、パラダイス駅、ティーツリープラザ駅の3駅で、全駅に一般道路との連絡道路が設けられており、一般道路を走るバス路線と接続している。また、バス停には屋根付の待合箇所 (Bus Shelter) が設けられ、路線図や時刻表などの案内や防犯カメラも整備されており、バイクロッカーや駐車場も整備されている。

クレムジグ駅にてオーバーンのバスに乗り込む学生たち

クレムジグ駅クレムジグ英語版の中心地から3 km離れた郊外にあるオーバーン最初の駅である。この駅は、アデレード市の外環状線を走るバスシステムである「サークルライン」との接続用に作られた。多くのバスシステムはクレムジグ駅を経由しているため、駅の容量が限界になっている。駅にはパークアンドライド用の駐車場が450台分ある[14][58]

パラダイス駅パラダイス英語版の中心地から6 km離れた郊外にあるオーバーン2番目の駅である。第2段階の工事が終わるまでは一般道からのバスが運行され、2つのエリアに合計875台分の駐車場があった[58]

ティーツリープラザ駅

ティーツリープラザ駅はモッドベリーの中心部から12 kmの場所にあるオーバーンの終着駅である。当初の名称はモッドベリー駅であったが、1997年9月12日に現在の名称に改称された。ウェストフィールド・ティーツリープラザと接しており、オーバーンの中で最大規模の駅である。この駅からのバスサービスはエリザベス英語版ほどの遠い場所まで接続し、ゴールデングローブ英語版まで運行する。2013年の再開発期間中に複数の駐車場がつくられ、現在700台分の駐車場がある[59]

車輌

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Photo of yellow and white articulated bus
スカニアK320UA型英語版バス

オーバーンで初めて運用を開始したバスは、1985年に購入されたメルセデス・ベンツ製の41台の非連節式および51台の連節式のO305型英語版であった[60]。このバスは南オーストラリアのプレスメタル社が車体を製造し、三菱自動車工業クローベリーパーク工場にてオーバーン用に改造された。この製造費は当初の予算である9800万ドルに含まれていた。当初導入予定だったMAN製のSG280型・SL202型英語版は後に導入された。メルセデス・ベンツO305型の最大耐久年の25年が近づくにつれて、2007年から代替車が導入されるようになった[61]。このバスはスカニア製のK230UB型、K280UB型英語版K320UA型英語版をつなげた低床バスであった[62]。2015年4月からは、MAN・SL2021台とメルセデス・ベンツO405NH1台が組み合わさった低床バスも運行している[63]

故障した場合、「ダンボ(Dumbo)」と呼ばれる特別に設計された車両がオーバーンからバスを引き上げる。計画の初期段階では、全てのバスが牽引能力を持つように設計していたが、バスの運転手たちの労働組合に反対されたため、ダンボを導入した。走行中にタイヤがパンクした場合、補助タイヤがバスが突飛に動くことを防ぎ、小さいアルミ製の内タイヤが支えることによって、最寄りの駅まで40 km/hで運行することが出来る[14][18]

オーバーンの補助タイヤ

フロントホイールの前に突出している補助タイヤはバスがオーバーンを走行する上で最も重要な部分である。この補助タイヤはステアリング構造と直結しており、線路端のガイドにそって走ることによってバスを操縦している。この補助タイヤがあるため、オーバーン上を走行しているときに厳密に言えば運転手はステアリング・ホイールを操縦しなくても良いが、安全上運転手は常に状況に注意する必要がある。駅の前にあるランブルストリップスは、運転手に操縦する必要があることを認識させる。補助タイヤはこのシステムの中で最も繊細な部分であり、強い衝撃を加えると外れてしまう。そのため、オーバーンが開通する前に一般道を走る多くのバスに補助タイヤを付けて耐久性のテストをした。運転手は、カーブでの補助タイヤへの衝撃の後、一般道でより慎重に運転するよう強制されている[14][18]

アデレード・メトロによって運行されており、2015年には、平日で1日あたり約3万1000人を乗せた[1]

環境問題

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パラダイス駅近辺のリニアパーク

以前のモッドベリー・フリーウェイの建設計画よりも、オーバーンの敷設計画が選ばれたのは、自動車依存社会英語版からの脱却への期待があったからである。トレンズ・リニアパークが作られたトレンズ川沿いの渓谷の再開発に600万ドルが使用された。線路沿いには、美観や環境の向上、騒音低減を目的として、約15万本の樹木、植物、低木が植樹され、1997年に完了した[20]。公園沿いに遊歩道やサイクリングコースが整備され、公共利用が促進された[64]。トレンズ・リニアパークは「ゴミで埋め尽くされ、公共利用しがたい都市の排水路」と評されるほど悪化していたトレンズ川を再活性化した[37]。環境に対する考慮から生まれたオーバーンは、線路沿いの並木が二酸化炭素を吸収することで、カーボンオフセットが行われている[20]。オーバーンの線路は、近隣の住宅への騒音の影響を軽減するために、河岸近くの低地にあり、さらに深く掘り下げた位置に敷設されている[64]

当初のバスはディーゼル燃料を使用していたが、このシステムはその他のエネルギーを利用するバスの走行も想定している。バイオディーゼル燃料と天然ガスを試験的に利用しており、アデレードを走るバスの20 %は圧縮天然ガス、48 %はB20燃料[注 3]、残りの32 %はB5燃料[注 4]を使用している[66]。また、オーバーンの設計は、トロリーバスの架線の設置を可能にしている[39]

脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ 海外でのガイドウェイバスは「バス」として扱われているため[4]、正式名称では「インターチェンジ」となっているが、日本ではガイドウェイバスは「鉄道」として扱われているため[5]、当記事では「駅」と表記する。
  2. ^ アデレード市内のノーステラス英語版イーストテラス英語版サウステラス英語版ウエストテラス英語版に囲まれた地域内にある、アデレード中央商業特区(Adelaide Central Business District)の略称。
  3. ^ バイオディーゼルを20 %、軽油を80 %混合した燃料のこと[65]
  4. ^ バイオディーゼルを5 %、軽油を95 %混合した燃料のこと。

出典

[編集]
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参考文献

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  • Hugo, Graeme (1996). “Playford's people: Population change in South Australia”. In O'Neil, Bernard; Raftery, Judith; Round, Kerrie. Playford's South Australia: Essays on the History of South Australia, 1933–1968. Association of Professional Historians. ISBN 0-646-29092-4 
  • 吉見宏「世界のガイドウェイバス」『鉄道ジャーナル』第466号、鉄道ジャーナル社、2005年8月、86-90頁。 
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関連項目

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外部リンク

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