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'''義賢'''(ぎけん、[[応永]]6年([[1399年]]{{Sfn|藤井2016|page=51}}) - [[応仁]]2年閏[[10月2日 (旧暦)|10月2日]]{{Sfn|kotobank}}([[1468年]]{{Sfn|藤井2016|page=51}}[[11月16日]]))は、[[室町時代]]の[[真言宗]]の僧{{Sfn|kotobank}}。[[足利将軍一覧|将軍]][[足利義満]]の弟、[[足利満詮]]の子{{Sfn|藤井2016|page=51}}。[[満済|三宝院満済]]の下で[[得度]]し{{Sfn|kotobank}}、[[三宝院]][[門跡]]{{Sfn|藤井2016|page=53}}・[[醍醐寺]][[座主]]・[[准三后]]・[[東寺]]長者を歴任した。'''三宝院義賢'''(さんぼういん ぎけん)としても知られる。通称は後遍智院准后{{Sfn|kotobank}}。70歳没{{Sfn|kotobank}}。
'''義賢'''(ぎけん、[[応永]]6年([[1399年]]{{Sfn|藤井2016|page=51}}) - [[応仁]]2年閏[[10月2日 (旧暦)|10月2日]]{{Sfn|kotobank}}([[1468年]]{{Sfn|藤井2016|page=51}}[[11月16日]]))は、[[室町時代]]の[[真言宗]]の僧{{Sfn|kotobank}}。[[足利将軍一覧|将軍]][[足利義満]]の弟、[[足利満詮]]の子{{Sfn|藤井2016|page=51}}。'''三宝院義賢'''(さんぼういん ぎけん)としても知られる。通称は後遍智院准后{{Sfn|kotobank}}。


== 人物 ==
なお、義賢が門跡だった三宝院は創建当初から貴種が住持する院家であり、同門に[[政深]]、[[義覚]]、[[政紹]]が得度していた{{Sfn|藤井2016|page=53}}。三宝院満済からは拠点だった[[金剛輪院]]を道場として伝法灌頂を受けており、『「前大僧正満済授義賢阿闍梨灌頂印信印明案」『醍』二六函二七号、「新要録」金剛輪院篇』として現存している{{Sfn|藤井2016|page=58}}。
応永17年(1410年)4月8日[[満済|三宝院満済]]の下で入り、翌18年(1411年)6月21日に法身院にて得度、11月8日に受戒している<ref name=hujii2017>藤井雅子「中世における三宝院門跡の確立と存続」永村眞 編『中世の門跡と公武権力』(戎光祥出版、2017年) ISBN 978-4-86403-251-3</ref>。密教僧としての修行を終えた後の応永32年(1425年)12月5日に[[東寺長者]]に任ぜられる。応永34年11月11日に満済から全ての修行を終えたとする付法状<ref>「法流事、任代々相承口伝・大法・秘法・宗大事等、不残一事、悉奉授前大僧正義賢者也」(『醍醐寺文書』九九函六六号)</ref>を授けられ、永享2年(1431年)に満済から正式に三宝院門跡の後継者に指名された<ref name=hujii2017/>。

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なお、義賢が門跡だった三宝院は創建当初から貴種が住持する院家であり、同門に[[政深]]、[[義覚]]、[[政紹]]が得度していた{{Sfn|藤井2016|page=53}}。三宝院満済からは拠点だった[[金剛輪院]]を道場として[[伝法灌頂]]を受けており、『「前大僧正満済授義賢阿闍梨灌頂印信印明案」『醍醐寺文書』二六函二七号、「新要録」金剛輪院篇』として現存している{{Sfn|藤井2016|page=58}}。


== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* {{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E7%BE%A9%E8%B3%A2-1068942 |title=義賢 ぎけん |publisher=[[コトバンク]] |author=デジタル版 日本人名大辞典+Plus |accessdate=2017-11-2 |Ref={{SfnRef|kotobank}} }}
* {{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E7%BE%A9%E8%B3%A2-1068942 |title=義賢 ぎけん |publisher=[[コトバンク]] |author=デジタル版 日本人名大辞典+Plus |accessdate=2017-11-02 |ref={{SfnRef|kotobank}} }}
* {{Cite web |url=https://jwu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=2111&file_id=22&file_no=1 |title=三宝院門跡と門徒 ─主に室町時代を中心に─ |publisher=[[日本女子大学]] |author=[[藤井雅]] |date=2016-3-20 |accessdate=2017-11-2 |format=PDF |Ref={{SfnRef|藤井2016}} }}
* {{Cite journal|和書|author=藤井雅子 |date=2016-03 |url=http://id.nii.ac.jp/1133/00002069/ |title=三宝院門跡と門徒 ─主に室町時代を中心に─ |journal=日本女子大学紀要 文学部 |ISSN=0288-3031 |publisher=日本女大学文学部 |volume=65 |pages=49-62 |CRID=1050282812545244032 |Ref={{SfnRef|藤井2016}} }}


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義賢(ぎけん、応永6年(1399年[1]) - 応仁2年閏10月2日[2]1468年[1]11月16日))は、室町時代真言宗の僧[2]将軍足利義満の弟、足利満詮の子[1]三宝院義賢(さんぼういん ぎけん)としても知られる。通称は後遍智院准后[2]

人物

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応永17年(1410年)4月8日三宝院満済の下で入り、翌18年(1411年)6月21日に法身院にて得度、11月8日に受戒している[3]。密教僧としての修行を終えた後の応永32年(1425年)12月5日に東寺長者に任ぜられる。応永34年11月11日に満済から全ての修行を終えたとする付法状[4]を授けられ、永享2年(1431年)に満済から正式に三宝院門跡の後継者に指名された[3]

三宝院門跡[5]醍醐寺座主准三后を歴任した。だが、満済・義賢と2代続けて三宝院よりも室町殿に近い法身院にいる事が多く、寛正3年(1462年)にはこれに反発した三宝院の僧侶が義賢を訴える騒ぎを起こしている[3]。70歳没[2]

なお、義賢が門跡だった三宝院は創建当初から貴種が住持する院家であり、同門に政深義覚政紹が得度していた[5]。三宝院満済からは拠点だった金剛輪院を道場として伝法灌頂を受けており、『「前大僧正満済授義賢阿闍梨灌頂印信印明案」『醍醐寺文書』二六函二七号、「新要録」金剛輪院篇』として現存している[6]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 藤井2016, p. 51.
  2. ^ a b c d kotobank.
  3. ^ a b c 藤井雅子「中世における三宝院門跡の確立と存続」永村眞 編『中世の門跡と公武権力』(戎光祥出版、2017年) ISBN 978-4-86403-251-3
  4. ^ 「法流事、任代々相承口伝・大法・秘法・宗大事等、不残一事、悉奉授前大僧正義賢者也」(『醍醐寺文書』九九函六六号)
  5. ^ a b 藤井2016, p. 53.
  6. ^ 藤井2016, p. 58.

参考文献

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  • デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “義賢 ぎけん”. コトバンク. 2017年11月2日閲覧。
  • 藤井雅子「三宝院門跡と門徒 ─主に室町時代を中心に─」『日本女子大学紀要 文学部』第65巻、日本女子大学文学部、2016年3月、49-62頁、CRID 1050282812545244032ISSN 0288-3031 

外部リンク

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