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*1989年 - 『戦国奇譚 妖刀伝 総集編』劇場公開。
*1989年 - 『戦国奇譚 妖刀伝 総集編』劇場公開。
*[[1991年]] - [[アミューズメントメディア総合学院]]の講師併任。以来、アミューズメントメディア総合学院をはじめ、各講演にて後続の育成に力を入れている。{{要出典範囲|業界を支えるキーマンには、教え子も多い([[マーベラス (企業)|マーベラスエンターテイメント]]を経て[[メディアファクトリー]]のプロデューサーとなった[[伊藤誠 (プロデューサー)|伊藤誠]]、[[プロダクション・アイジー|Production I.G]]のプロデューサーとなった中武哲也、脚本家となった[[岡田麿里]]、『ギルティ・ギア』シリーズのディレクターとなった[[石渡太輔]]、等)|date=2017年7月}}。
*[[1991年]] - [[アミューズメントメディア総合学院]]の講師併任。以来、アミューズメントメディア総合学院をはじめ、各講演にて後続の育成に力を入れている。{{要出典範囲|業界を支えるキーマンには、教え子も多い([[マーベラス (企業)|マーベラスエンターテイメント]]を経て[[メディアファクトリー]]のプロデューサーとなった[[伊藤誠 (プロデューサー)|伊藤誠]]、[[プロダクション・アイジー|Production I.G]]のプロデューサーとなった中武哲也、脚本家となった[[岡田麿里]]、『ギルティ・ギア』シリーズのディレクターとなった[[石渡太輔]]、等)|date=2017年7月}}。
*[[2007年]] - 自ら企画を立ち上げた[[竹宮惠子]]原作『[[地球へ…]]』が、[[MBSテレビ|毎日放送]]/[[TBSテレビ|TBS]]系の[[毎日放送制作土曜夕方6時枠|土曜日午後6時(通称「土6」)枠]]に抜擢。TVアニメ化決定に伴い、監督業務に専念するために独立。
*[[2007年]] - 自ら企画を立ち上げた[[竹宮惠子]]原作『[[地球へ…]]』が、[[MBSテレビ|毎日放送]]/[[TBSテレビ|TBS]]系の[[毎日放送制作土曜夕方6時枠のアニメ|土曜日午後6時(通称「土6」)枠]]に抜擢。TVアニメ化決定に伴い、監督業務に専念するために独立。
*[[2008年]] - 株式会社[[ワオワールド]]に所属。
*[[2008年]] - 株式会社[[ワオワールド]]に所属。
*2008年 - ヤマサキオサム名義で、4月より[[CBCテレビ|中部日本放送]]/TBS系放送の[[多田かおる]]原作『[[イタズラなKiss]]』の監督を担当。数字の取れない明け方の放送にもかかわらず、2.9%の視聴率を記録。{{要出典範囲|ドラマ・舞台とイタキスブームが続く中、アニメの視聴ベントチケットが5分で完売|date=2017年7月}}。
*2008年 - ヤマサキオサム名義で、4月より[[CBCテレビ|中部日本放送]]/TBS系放送の[[多田かおる]]原作『[[イタズラなKiss]]』の監督を担当。数字の取れない明け方の放送にもかかわらず、2.9%の視聴率を記録。{{要出典範囲|ドラマ・舞台とイタキスブームが続く中、アニメの視聴ベントチケットが5分で完売|date=2017年7月}}。

2017年9月30日 (土) 13:18時点における版

やまさき おさむ
山崎 理
別名義 ヤマサキオサム
生年月日 (1962-02-19) 1962年2月19日(62歳)
出生地 日本の旗 日本 熊本県
民族 日本人
血液型 O型
職業 アニメーション監督、脚本家、プロデューサー
ジャンル アニメーション
活動期間 1980年 -
活動内容 アニメーション監督、日本アニメーター・演出協会(JAniCA)副代表理事
主な作品
ギャラリーフェイク』、『地球へ…』、『戦国奇譚妖刀伝』、『イタズラなKiss』、『薄桜鬼』、『GUILTY GEAR』、『薄桜鬼 碧血録』、『薄桜鬼 雪華録』、『薄桜鬼 黎明録』『八犬伝―東方八犬異聞―』など
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山崎 理(やまさき おさむ、1962年2月19日 - )は、日本アニメーション監督、プロデューサー演出家アニメーター日本アニメーター・演出協会(JAniCA)理事。日本映画監督協会会員。ワオワールド所属。熊本県出身。カタカナのヤマサキオサム名義での活動もある。

経歴

人物

  • 音響監督として、『地球へ…』では独自のアフレコ方法を行った[要出典]
  • 「アニメの制作現場の環境を改善しないと、日本の文化であるアニメーションは健全に育たない」と危惧[要出典]。状況改善のため、芦田豊雄や神村幸子らと2007年日本アニメーター・演出協会(JAniCA)の立ち上げに関わる。
  • 2010年にJAniCAの代表として文化庁より、この分野では日本初の大規模公的支援事業『若手アニメーター育成プロジェクト』(現:アニメミライ)を受託。
  • 2012年に『薄桜鬼』シリーズ劇場版及びTVシリーズ制作のためJAniCAの代表職を井上俊之理事に譲り副代表の立場で指導にあたる。
  • アニメーターに対する賃金問題については、「幾らなら適正と感じるかは人によって違う。フリーでアニメーターをやると言う事は値段交渉を自分でやると言う事だ。それがめんどくさいなら、誰かにマネージメントをやってもらう方がいい。」と発言[3]。また、「この手の話には触れない方が、私自身は生きやすい」とも述べている[4]

親族

伯父に自由民主党衆議院議員園田博之、従兄に童話作家の中村猛、三省製薬株式会社代表取締役の陣内宏行、医学博士熊本大学医学部脳神経外科准教授の山田和慶を持つ。パーソナリティ声優歌手、作家の小森まなみが配偶者[要出典]

作品一覧

アニメーション

劇場映画

ゲーム

  • 1993年 3×3 EYES 〜三只眼変成〜 - 脚本・作画プロデュース
  • 1995年 3×3 EYES 〜吸精公主〜 - 脚本・作画プロデュース
  • 1997年 3×3 EYES 〜転輪王幻夢〜 - 脚本・作画プロデュース
  • 1997年 キューブバトラー デバッガー翔編 - 原作・制作プロデュース
  • 1997年 キューブバトラー アンナ未来編 - 原作・制作プロデュース
  • 1998年 超戦闘球技 ヴァンボーグ - 制作プロデュース
  • 1999年 胸騒ぎの予感 - 作画プロデュース
  • 2000年 GUILTY GEAR X - 制作プロデュース
  • 2001年 幻想魔伝 最遊記 Retribution - 制作プロデュース
  • 2003年 DEAD OR ALIVE Xtreme Beach Volleyball - OP演出
  • 2004年 はじめの一歩2 VICTORIOUS ROAD - OP演出

コミック原作

  • 1992年 霞くんの危険な生活(秋田書店『サスペリア』連載)
  • 1994年 早乙女あずさ事件簿(秋田書店『サスペリア』連載)
  • 1995年 真田群雄伝…(角川書店月刊「コミックコンプ」にて連載)

CD作品

  • 1987〜1988年 戦国奇譚妖刀伝 〜破獄の章〜、〜炎情の章〜
  • 1991年 暗黒神伝承 武神
  • 1991年 紅いハヤテ
  • 1993年 霞くんの危険な生活

講師歴

脚注

  1. ^ 熊本スマイルイン東京 vol.4 ヤマサキオサムさん
  2. ^ アニメ雑誌『PASH!』の巻頭インタビュー[要ページ番号]で「監督として1つの代表作であり、薄桜鬼に関われたことを幸せに思う」と答えている。
  3. ^ ヤマサキオサム‏のツイート 2013年6月16日の発言より
  4. ^ ヤマサキオサム‏のツイート 2017年6月18日の発言より

外部リンク