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「名港東大橋」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2013年5月3日 (金) 01:22 (UTC)|ソートキー=橋めいこうひかしおおはし}}
{{特筆性|date=2013年5月3日 (金) 01:22 (UTC)|ソートキー=橋めいこうひかしおおはし}}<!-- 名港トリトンに統合が提案されたが、合意が得られず終了している -->
{{橋
{{橋
|名称=名港東大橋
|名称= 名港東大橋
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|画像=[[ファイル:名港東大橋.jpg|300px|名港東大橋]]
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|建築家と技術者=
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| 緯度度 = 35 | 緯度分 = 3 | 緯度秒 = 12.6 | N(北緯)及びS(南緯) = N
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| 経度度 = 136 |経度分 = 52 | 経度秒 = 42.4 | E(東経)及びW(西経) = E
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| 地図国コード = JP
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'''名港東大橋'''(めいこうひがしおおはし)は、[[伊勢湾岸自動車道]]伊勢湾岸道路の[[東海インターチェンジ|東海IC]]([[愛知県]][[東海市]]新宝町)から[[名港潮見インターチェンジ|名港潮見IC]](同県[[名古屋市]][[港区 (名古屋市)|港区]][[潮見町 (名古屋市)|潮見町]])間にある[[橋|橋梁]]。名古屋港を横断する、[[名港トリトン]](名港東大橋、[[名港中央大橋]]、[[名港西大橋]])のひとつ。
'''名港東大橋'''(めいこうひがしおおはし)は、[[伊勢湾岸自動車道]]伊勢湾岸道路の[[東海インターチェンジ|東海IC]]([[愛知県]][[東海市]]新宝町)から[[名港潮見インターチェンジ|名港潮見IC]](同県[[名古屋市]][[港区 (名古屋市)|港区]][[潮見町 (名古屋市)|潮見町]])間にある[[橋|橋梁]]。名古屋港を横断する、[[名港トリトン]](名港東大橋、[[名港中央大橋]]、[[名港西大橋]])のひとつである。1998年3月30日に供用を開始した<ref name="朝日19980330夕">{{Cite news |title=「名港トリトン」が直結 名古屋南-飛島開通パレード |newspaper=朝日新聞(名古屋)夕刊|date=1998-03-30|page=}}</ref>


== 概要 ==
== 概要 ==
東大橋は新宝ふ頭と潮見ふ頭に跨って架橋されている。両ふ頭間の水域は相当数の船舶が航行するが、潮見ふ頭が主としてエネルギー基地として造成された経緯から{{Sfn|名古屋港開港百年史編さん委員会|2008|p=318}}危険物積載船の航行が多いことが特徴となっている{{Sfn|鈴木裕二・橋本昌郎|1998|p=25}}。また潮見ふ頭と新宝ふ頭は完成自動車の積み出し基地となっていることで、本橋の建設過程で作業員に負担を強いることになった{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=9}}。完成自動車に対して鉄粉、塗料および金属から出る錆汁が新車に降りかかれば商品価値を著しく損ない、高額な補償に至る可能性もあることから{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=19}}、雨天時に床板に溜まった水をふき取るなど飛散対策に神経を使うことになった{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=9}}。さらに[[危険物]]取り扱いの潮見ふ頭は[[消防法]]によって火気の使用が厳禁であることから作業所より灰皿が一掃され、休憩中にタバコで一服することが禁じられた。事業主体の日本道路公団の担当者はこのことによって作業員のストレス増大から来る事故の誘発を懸念したとされる{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=9}}。
* 延長 700m (145.0+410.0+145.0m)
* 幅員 37.5m
* 有効幅員 29.0m
* 橋梁形式 3径間連続鋼[[斜張橋]]


新宝ふ頭と潮見ふ頭間の水域は航路がそのほとんどを占め、なおかつ埠頭の間隔が3橋の中では最も狭い。さらに水域に接して[[名港潮見インターチェンジ|名港潮見IC]]が敷設されていることは東大橋の構造に大きな制約を加えることになった。大型船舶が航行することから主桁と連動して主塔も高くなっている割に{{Sfn|古郷誠|1992|p=33}}中央径間に比べて側径間が短いアンバランスさが東大橋の一大特徴である{{Sfn|古郷誠|1992|p=39}}。
== 橋の特色 ==
橋長700m、中央径間410mの鋼[[斜張橋]]である。夜間には[[ライトアップ]]され塗装色の青色で夜空に映える。


本橋は3径間連続斜張橋であり、A形の2本の主塔とその両端の橋脚により構成される。本項では日本道路公団(現・NEXCO中日本)の呼称に従い{{Sfn|古郷誠|1992|pp=32 - 33}}、潮見ふ頭側の橋脚をP-1、同主塔をP-2、新宝ふ頭側主塔をP-3、同橋脚をP-4として記述する。
== 表彰 ==
{{multiple image
* 平成9年度[[土木学会田中賞]](作品部門)を受賞
| footer =
* 平成10年度名古屋市都市景観賞を受賞
| align = left
| width = 230
| image1 = MEIKO EAST BRIDGE CCB20072-C9-37.jpg
| caption1 = 水域のほとんどを航路が占め、さらに名港潮見ICが近接する条件が東大橋の構造を特異なものとした。<br /><small>出典:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元:[https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1 国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)]』</small>
| image2 = Meiko East Bridge 20171111C.jpg
| caption2 = 新宝ふ頭、潮見ふ頭ともに完成自動車の保管駐車場のため物や錆汁等の飛散が許されないなど神経を使う作業となった{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=9}}。
| image3 = Meiko East Bridge 20171119D.jpg
| caption3 = 東大橋を潜り抜ける自動車運搬船。このため桁下空間を40 m確保している{{Sfn|古郷誠|1992|pp=32 - 33}}。また水域のほとんどが航路となっている。
| image4 = Meiko East Bridge 20171117A.jpg
| caption4 = 金城ふ頭から臨む東大橋。潮見ふ頭は油槽所が展開することで危険物取扱い区域である。消防法によって火気の使用は厳禁で作業員は休憩中にタバコが吸えなかった{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=9}}。
}}{{-}}


== 構造 ==
{{Architecture-stub}}
=== 諸元 ===
* 橋長 : 700 m{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=4}}
* 支間割 : 145 m+410 m+145 m{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=4}}
* 桁下空間 : T.P+40 m{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=5}}
* 基礎 : P-1、P-4 : 場所打鉄筋コンクリート杭 P-2、P-3 : ニューマチックケーソン{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=4}}
* 型式 : 3径間連続鋼斜張橋{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=4}}
* 主桁 : 変形六角形多室箱桁{{Sfn|古郷誠|1992|p=31}}。
* ケーブル : セミパラレルワイヤー 直径7 mm{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=5}}

=== 下部工 ===
[[ファイル:Meiko East Bridge 20171111H.jpg|thumb|230px|right|P-2基礎は潮見ふ頭に近接することから築島工法によるニューマチックケーソン工法を採用した。この結果、基礎とふ頭が地続きとなっている。]]
支持層は東海層で、その深さは海面下30 mにあって{{Sfn|古郷誠|1990|p=93}}名港トリトンでは最も浅い。3大橋の地層断面は東海層群が基礎を成し、西に向かうほど深く傾斜することから他の2橋はそれよりも浅い位置にある地層に支持を求めたが、東大橋は東海層が近接するため、直接支持地盤とした{{Sfn|古郷誠|1990|p=93}}。

基礎形式は海中部橋脚のP-3がフローティング工法によるニューマチックケーソン、同じく海中部橋脚のP-2は潮見ふ頭岸壁に近接して水深も浅いことから築島工法によるニューマチックケーソンを採用した{{Sfn|古郷誠|1992|p=33}}。端部橋脚のP-1、P-4は現場打ちコンクリート杭である{{Sfn|古郷誠|1992|pp=32 - 33}}。このうちP-2は鋼矢板による二重締め切りのうえで、その中に土砂を投入して島を構築した。整地後、ケーソン安定沈下および急激な沈下を抑制するための地盤改良を施し{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会(写真集)|1998|p=20}}、軟弱地盤の沖積粘土層に砂杭の複数打ち込みを行った(サンドコンパクション工法){{Sfn|古郷誠|1992|pp=40 - 41}}。陸上部のP-1、P-4基礎は長さ30 mの鋼管杭を複数打ち込んでいるが、これは埋め立て地であるために地盤が軟弱であることを考慮したものである{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=6}}。

=== 主塔・橋脚 ===
[[ファイル:Meiko East Bridge 20171112A.png|thumb|230px|right|構想段階では逆Y型もしくは逆V型で検討されたが発散振動抑制のためA型となった{{Sfn|古郷誠|1992|pp=37 - 38}}。]]
主塔形状は耐風安定性(1秒間に72 mの風速に耐える強度の確保{{Sfn|古郷誠|1992|p=37}})を考慮してA型が採用された。当初は3橋の中で東大橋のみ逆Y型、もしくは逆V型で構想されたが、風洞実験によって橋軸方向(車の進行方向{{Sfn|長井正嗣・井澤衛・中村宏|1997|p=37}})風による振動が確認されたことで、水平梁を一本加えることで振動を抑止できたA型を採用した{{Sfn|鈴木裕二・橋本昌郎|1998|p=29}}{{Sfn|古郷誠 |1992|pp=37 - 38}}。ただし、下段水平梁より下層は下部工の寸法を抑えるためにV字型に絞り込み、中央大橋と共通のイメージとなっている{{Sfn|鈴木裕二・橋本昌郎|1998|p=29}}。

主塔高さは125 m([[日本水準原点#東京湾平均海面|T.P]]基準では130 m)である{{Sfn|古郷誠 |1992|p=32}}。主桁幅は中央大橋と同サイズであるが{{Sfn|古郷誠|1992|p=37}}主塔高さはそれより低いため、中央大橋と比較すると塔両柱の傾斜角度が大きくなっている。

P-1橋脚は名港潮見ICに食い込むことで規模が大きく、中央大橋のP-1のコンクリート使用量13700 ㎥に対して東大橋は17800 ㎥と約1.3倍である{{Sfn|古郷誠|1992|p=32}}。この幅広橋脚に載る主桁も幅広となっているが、それについては後述する。

主塔の色は明度の高い青を採用した{{Sfn|鈴木裕二・橋本昌郎|1998|p=31}}。爽やかな空と海のイメージを表現したものである{{Sfn|鈴木裕二|1997|p=75}}。

主塔架設工事は3段階に分けて施工された。最初は塔基部をアンカーフレームに架設し、それ以外を2段階で架設した。工場にて塔下部(下段水平梁含む。高さ48 m)とそれ以外のA型の塔柱(高さ72 m)をあらかじめ大ブロックに組立て、フローティングクレーン(船と一体となったクレーン)で吊り上げて現場に曳航し、一気に組み上げた{{Sfn|鈴木裕二・橋本昌郎|1998|p=30}}。塔架設に要した工期は約6か月である{{Sfn|鈴木裕二・橋本昌郎|1998|p=30}}。

P-1、P-4橋脚は下段水平梁以下のV字型の塔形状にあわせて、逆台形とした{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=63}}。橋脚中央にはスリット1本を設け、景観に配慮した{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=63}}。
{{multiple image
| footer =
| align = left
| width = 220
| image1 = Meiko East Bridge 20171111G.jpg
| caption1 = P-1橋脚(潮見ふ頭側)。幅広の橋脚である。
| image2 = Meiko East Bridge 20171111A.jpg
| caption2 = P-2主塔(潮見ふ頭側)。
| image3 = Meiko East Bridge 20171111B.jpg
| caption3 = P-3主塔(新宝ふ頭側)。
| image4 = Meiko East Bridge 20171111D.jpg
| caption4 = P-4橋脚(新宝ふ頭側)。橋脚中央にスリットを入れた。
}}{{-}}

=== 主桁 ===
{{double image aside|right|Meiko East Bridge 20171112D.jpg|136|Meiko East Bridge 20171112B.jpg|250|潮見ふ頭側の側径間主桁は名港潮見ICのランプウェイが分合流することからカーブを描いている(画像左)。<br>同様にICを控えることで他の主桁と比べて幅広である。画像手前側で約10 m広い。さらに負反力軽減のために鉄筋コンクリート床板を載荷している(画像右)。}}
[[ファイル:Meiko East Bridge 20171119B.png|thumb|230px|right|主桁断面図。側径間側の主桁にはカウンターウエイトとして鉄筋コンクリート床板を載荷{{Sfn|古郷誠|1992|p=39}}。]]
[[ファイル:Meiko East Bridge 20171117B.jpg|thumb|230px|right|主桁併合部。併合完了は1996年8月。]]
3大橋に共通する薄型の変形六角形断面である{{Sfn|古郷誠|1992|p=37}}。上下線を一体的にまとめた一箱桁で、上下分離の二箱桁としなかったのは塗装、点検等の維持管理面の容易さと、ねじれ剛度を高く取れること、および強度が増すことで桁高さを低く抑えられるからである{{Sfn|古郷誠|1992|p=37}}{{Sfn|村里正彦・井ヶ瀬良則|1990|p=7}}。上下線一体であることから桁幅は標準部で37.5 m(フェアリング含む)である{{Sfn|鈴木裕二・橋本昌郎|1998|p=25}}。桁下の航路空間は大型自動車運搬船の航行を考慮して40 mを確保、このため桁高さはT.P+46 mとなっている{{Sfn|古郷誠|1992|pp=32 - 33}}。

東大橋は中央径間に比べて側径間長が極端に短く、その比率は145 m+410 m+145 m(1:2.83:1)で{{Sfn|古郷誠|1992|p=39}}、西大橋の176.5 m+405 m+176.5 m(1:2.31:1){{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=5}}、中央大橋の290 m+590 m+290 m(1:2:03:1){{Sfn|古郷誠|1992|p=32}}と比べてもその短さが際立っている。その結果、ケーブルの張り方は塔の左右で大きく異なる。それがもたらすものは、側径間内で桁を吊り上げる[[鉛直]]方向の力と死荷重<ref group="注釈">橋に永久に作用する動かない力。橋自体の重さ。これに対して自動車等の動く荷重を活荷重と呼ぶ(『橋の世界』ニューコンストラクションシリーズ第8巻、山海堂、1994年6月30日発行、56頁)。</ref>のバランスが崩れる(鉛直方向に上向く力が主桁の重さに勝る)ことによる大きな桁曲げモーメントの発生である{{Sfn|長井正嗣・井澤衛・中村宏|1997|pp=60 - 62}}。これにより側径間の主桁は上に向かって跳ね上がる負反力が発生し、P-1、P-4橋脚と主桁を連結するペンデル支承の負荷が大きく、維持管理上好ましくないとされた{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=210}}。このため、ペンデル支承にかかる負荷を極力抑え込むためにカウンターウエイト(付加荷重{{Sfn|古郷誠|1992|p=39}})を載荷した{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=210}}。1500立方メートル(片側)の[[コンクリート]]を主桁のデッキプレート上に鉄筋コンクリート床板として東側径間が33 cm、西側径間が26 cmの厚みで上積みして負反力を軽減している{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=10}}{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=210}}。西側を薄くしたのは、インターチェンジのランプウェイが主桁に取り付くことで桁重量が増すことから、東側とのバランスを考慮して重量を減らすためである{{Sfn|日経BP社|1997|p=51}}。

このコンクリート打設は側径間部であり、この付近には完成自動車のモータープールが近接することから、コンクリート打設中および打設後に発現するブリージング水の飛散防止策が必要となった。これについては、風によるひび割れ予防とも相まってブルーシートを被せることで対応した{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=215}}。打設は西側は名港潮見ICを使用して近接する高架橋にアジテーター(攪拌機)を設置して主桁に送り込むことができた。一方で東側は隣接する橋が未完成であったことで橋上の作業が出来なかったことから、新宝ふ頭にコンクリートポンプ車を配置のうえ、40 m上空の現場まで打ち上げることで対応した{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|pp=215-216}}。

一方で中央径間部は名港中央大橋と同様の鋼床板を採用している{{Sfn|鈴木裕二|1997|p=72}}。ここで問題となったのは、側径間のRC床板との接合部であった。諸々の検討の結果、鋼床板部とRC床板部をいきなり境界で分けるのではなく、なだらかな坂にしてRCに移行することとした{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|pp=210-213}}{{Sfn|日経BP社|1997|pp=51-53}}。ただし、RCから鋼部に向かうにつれてコンクリートの厚みが薄くなることで、走行車両の荷重がかかった際に引っ張り荷重に対して鉄筋が十分な耐力を発揮出来ず、ひび割れが生じる恐れがあった。このため、鋼への移行部にはスチールファイバーを混入した鋼繊維補強コンクリートを打設している{{Sfn|日経BP社|1997|pp=52-53}}。

上記の通り、側径間側の内、P-1側は名港潮見ICが近接することから、P-1橋脚側がP-2主塔側と比べて約10 m幅広となっている{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=4}}。さらにP-1側が若干カーブするなど{{Sfn|古郷誠|1992|p=33}}他の主桁とは形状が著しく異なる。

主桁架設は側径間側が陸上であるため、ベント併用による張り出し架設工法を採用し、全体に先駆けて側径間部を架設した{{Sfn|鈴木裕二|1997|pp=72 - 73}}。次に海上区間はフローティングクレーン(船に載ったクレーン)が使える所は複数ブロックを一体に組み上げた大ブロックで架設し、以降、中心部に向かって直下吊りクレーンにより1ブロック(幅37.5 m、長さ15 m{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=9}})ごとに海上から吊り上げる張り出し架設工法により接合した{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|pp=5 - 6}}。最終ブロックの併合は1996年8月10日に完了している<ref name="中日19960810">{{Cite news |title=名港東大橋が海上で”連結” |newspaper=中日新聞夕刊|date=1996-08-10|page=11}}</ref>。なお、ベントはその巨大さと非汎用性から他工事との使い回しが行なわれず、工事毎に新規製作のうえ、主桁設置後は廃棄されるのが通例だった{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|pp=239 - 241}}。しかし、たまたま[[首都高速道路公団]]が[[鶴見つばさ橋]]のベント6基(この内2基は[[横浜ベイブリッジ]]からの転用)の使用終了後に東大橋への転用使用について打診があり、日本道路公団はこの申し出を受けることにした。転用に当たっては改造で対応したが、それでも東京から名古屋までの輸送費と併せても、新規製作と比較して約3億円の経費節減となった{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|pp=239 - 241}}。
{{wide image|Meiko East Bridge 20171112B.png|700px|東大橋と西大橋の径間長の比較図。東大橋は西大橋と比べて側径間(P-1とP-2間およびP-3とP-4間の間隔)が短い。両橋を比較すると中央径間はほぼ同じであるが(それでも東大橋が5 m長い)、側径間は西大橋に比べて約30 m短い。}}

=== ケーブル ===
[[ファイル:Meiko East Bridge 20171119C.jpg|thumb|230px|right|ケーブルは放射状に延びるファン型。ケーブルカラーは黒である。]]
セミパラレルワイヤー(HiAm{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=194}})で、直径7 mmの亜鉛メッキ鋼線を平行(若干のねじりがある)に束ね、その上から防錆、ケーブル保護のために高密度ポリエチレンを直接押し出して被覆した{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=5}}。なお、ケーブルカラーは主塔の色が映えるように黒とした{{Sfn|鈴木裕二・橋本昌郎|1998|p=31}}。

ケーブルは主塔から放射状(ファン型)に伸びて主桁に連結している。主桁の両サイドで連結する2面吊り方式で、12本(12本が8面あるため合計96本)のケーブルで支えるマルチケーブル配置である{{Sfn|本庄清司・岸川秩世・小原俊和|1996|p=4}}。

== 歴史 ==
* [[1979年]]([[昭和]]54年)[[8月10日]] : 名古屋環状2号線海上部が都市計画決定(L=9.83 km){{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=13}}。
* [[1987年]](昭和62年)[[11月20日]] : 名港東大橋を含む東海 - 金城ふ頭間(3.9 km)が事業化{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=473}}。
* [[1989年]]([[平成]]元年)[[7月28日]] : 伊勢湾岸道路の前後で第二東名、第2名神高速道路が基本計画区間に組み入れられたことによる事業変更{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=474}}。
* [[1990年]](平成2年)
** [[3月6日]] : 9号地IC付近の[[出光興産]]の土地を取得{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=474}}。
** [[4月4日]] : 伊勢湾岸道路起工式。藤木海運より用地取得{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=474}}。
* [[1991年]](平成3年)
** [[3月18日]] : 東大橋下部工工事発注{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=474}}。
** [[8月28日]] : 弥富 - 大府間の都市計画変更。これに伴って東大橋を含む伊勢湾岸道路の道路幅員、道路規格が変更<ref group="注釈">『愛知県公報』第404号、愛知県告示第785号、同786号、同787号、831頁。関係図書は愛知県庁で閲覧可。</ref>{{Sfn|建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所 |1989|p=302}}<ref name="中日19910427">{{Cite news |title=名古屋高速1号 2.8キロをトンネル化 都市計画変更の知事案を発表 場所により幅員拡大 伊勢湾岸道路 |newspaper=中日新聞朝刊 |date=1991-04-27|page=18}}</ref>。
* [[1992年]](平成4年)
** [[6月3日]] : 9号地IC下部工工事発注{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=474}}。
** [[6月23日]] : 東大橋東塔、西塔工事発注{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=474}}。
* [[1993年]](平成5年)
** [[4月26日]] : 東大橋東塔ケーソン沈下掘削終了{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=475}}。
** 5月 : 東大橋西塔ケーソン沈下掘削終了{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=475}}。
** [[10月26日]] : 東大橋主桁工事発注{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=475}}。
** [[11月29日]] : 東大橋下部工竣工{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=475}}。
* [[1994年]](平成6年)
** [[5月29日]] : 東大橋東塔下部大ブロック架設{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=475}}。
** [[6月5日]] : 東大橋西塔下部大ブロック架設{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=475}}。
** [[6月12日]] : 東大橋東塔上部大ブロック架設{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=475}}。
** [[6月19日]] : 東大橋西塔上部大ブロック架設{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=475}}。
** [[10月4日]] : 東大橋主桁G1大ブロック架設{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=475}}。
** [[10月8日]] : 東大橋主桁G2大ブロック架設{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=475}}。
** [[10月16日]] : 東大橋主桁G3大ブロック架設{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=475}}。
* [[1995年]](平成7年)[[2月23日]] : 東大橋東塔、西塔工事竣工{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=476}}。
* [[1996年]](平成8年)
** [[3月3日]] : 東大橋主桁直下吊り工事開始{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=476}}。
** [[3月13日]] : 東大橋東主桁、西主桁(その1)工事竣工{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=476}}。
** [[8月10日]] : 東大橋併合ブロック架設{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=476}}。
** [[9月4日]] : 東大橋連結式開催{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=476}}。
* [[1997年]](平成9年)
** [[6月26日]] : 東大橋東主桁、西主桁(その2)工事竣工{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=477}}。
** [[7月20日]] : 名港3大橋の愛称を「名港トリトン」として発表{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=477}}。
* [[1998年]](平成10年)[[3月30日]] : 供用開始{{Sfn|伊勢湾岸道路編集委員会|1998|p=477}}。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}

=== 出典 ===
{{Reflist|2}}

== 参考文献 ==
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* 『伊勢湾岸道路工事誌』・『伊勢湾岸道路写真集』は[[三重県立図書館]]で閲覧可(閉架)(非売品)
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* {{Cite |和書|author = 土木学会関西支部編 田中輝彦・渡邊英一 |title = 図解 橋の科学 なぜその形なのか?どう架けるのか?| year = 2010 |date = 2010-03-20 |edition = |publisher = 講談社|isbn = 978-4-06-257676-5 |series = ブルーバックス|ref = harv }}

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2023年10月18日 (水) 21:30時点における最新版

名港東大橋
基本情報
日本の旗 日本
所在地 東海市 - 名古屋市
交差物件 名古屋港
路線名 国道302号(伊勢湾岸道路)
管理者 中日本高速道路
建設 日本道路公団
開通 1998年3月30日
座標 北緯35度3分12.6秒 東経136度52分42.4秒 / 北緯35.053500度 東経136.878444度 / 35.053500; 136.878444座標: 北緯35度3分12.6秒 東経136度52分42.4秒 / 北緯35.053500度 東経136.878444度 / 35.053500; 136.878444
構造諸元
形式 斜張橋
材料
全長 700 m
37.5m
高さ 125 m
最大支間長 410 m
地図
名港東大橋の位置(愛知県内)
名港東大橋
名港東大橋の位置(名古屋市内)
名港東大橋
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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名港東大橋(めいこうひがしおおはし)は、伊勢湾岸自動車道伊勢湾岸道路の東海IC愛知県東海市新宝町)から名港潮見IC(同県名古屋市港区潮見町)間にある橋梁。名古屋港を横断する、名港トリトン(名港東大橋、名港中央大橋名港西大橋)のひとつである。1998年3月30日に供用を開始した[1]

概要

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東大橋は新宝ふ頭と潮見ふ頭に跨って架橋されている。両ふ頭間の水域は相当数の船舶が航行するが、潮見ふ頭が主としてエネルギー基地として造成された経緯から[2]危険物積載船の航行が多いことが特徴となっている[3]。また潮見ふ頭と新宝ふ頭は完成自動車の積み出し基地となっていることで、本橋の建設過程で作業員に負担を強いることになった[4]。完成自動車に対して鉄粉、塗料および金属から出る錆汁が新車に降りかかれば商品価値を著しく損ない、高額な補償に至る可能性もあることから[5]、雨天時に床板に溜まった水をふき取るなど飛散対策に神経を使うことになった[4]。さらに危険物取り扱いの潮見ふ頭は消防法によって火気の使用が厳禁であることから作業所より灰皿が一掃され、休憩中にタバコで一服することが禁じられた。事業主体の日本道路公団の担当者はこのことによって作業員のストレス増大から来る事故の誘発を懸念したとされる[4]

新宝ふ頭と潮見ふ頭間の水域は航路がそのほとんどを占め、なおかつ埠頭の間隔が3橋の中では最も狭い。さらに水域に接して名港潮見ICが敷設されていることは東大橋の構造に大きな制約を加えることになった。大型船舶が航行することから主桁と連動して主塔も高くなっている割に[6]中央径間に比べて側径間が短いアンバランスさが東大橋の一大特徴である[7]

本橋は3径間連続斜張橋であり、A形の2本の主塔とその両端の橋脚により構成される。本項では日本道路公団(現・NEXCO中日本)の呼称に従い[8]、潮見ふ頭側の橋脚をP-1、同主塔をP-2、新宝ふ頭側主塔をP-3、同橋脚をP-4として記述する。

水域のほとんどを航路が占め、さらに名港潮見ICが近接する条件が東大橋の構造を特異なものとした。
出典:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)
新宝ふ頭、潮見ふ頭ともに完成自動車の保管駐車場のため物や錆汁等の飛散が許されないなど神経を使う作業となった[4]
東大橋を潜り抜ける自動車運搬船。このため桁下空間を40 m確保している[8]。また水域のほとんどが航路となっている。
金城ふ頭から臨む東大橋。潮見ふ頭は油槽所が展開することで危険物取扱い区域である。消防法によって火気の使用は厳禁で作業員は休憩中にタバコが吸えなかった[4]

構造

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諸元

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  • 橋長 : 700 m[9]
  • 支間割 : 145 m+410 m+145 m[9]
  • 桁下空間 : T.P+40 m[10]
  • 基礎 : P-1、P-4 : 場所打鉄筋コンクリート杭 P-2、P-3 : ニューマチックケーソン[9]
  • 型式 : 3径間連続鋼斜張橋[9]
  • 主桁 : 変形六角形多室箱桁[11]
  • ケーブル : セミパラレルワイヤー 直径7 mm[10]

下部工

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P-2基礎は潮見ふ頭に近接することから築島工法によるニューマチックケーソン工法を採用した。この結果、基礎とふ頭が地続きとなっている。

支持層は東海層で、その深さは海面下30 mにあって[12]名港トリトンでは最も浅い。3大橋の地層断面は東海層群が基礎を成し、西に向かうほど深く傾斜することから他の2橋はそれよりも浅い位置にある地層に支持を求めたが、東大橋は東海層が近接するため、直接支持地盤とした[12]

基礎形式は海中部橋脚のP-3がフローティング工法によるニューマチックケーソン、同じく海中部橋脚のP-2は潮見ふ頭岸壁に近接して水深も浅いことから築島工法によるニューマチックケーソンを採用した[6]。端部橋脚のP-1、P-4は現場打ちコンクリート杭である[8]。このうちP-2は鋼矢板による二重締め切りのうえで、その中に土砂を投入して島を構築した。整地後、ケーソン安定沈下および急激な沈下を抑制するための地盤改良を施し[13]、軟弱地盤の沖積粘土層に砂杭の複数打ち込みを行った(サンドコンパクション工法)[14]。陸上部のP-1、P-4基礎は長さ30 mの鋼管杭を複数打ち込んでいるが、これは埋め立て地であるために地盤が軟弱であることを考慮したものである[15]

主塔・橋脚

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構想段階では逆Y型もしくは逆V型で検討されたが発散振動抑制のためA型となった[16]

主塔形状は耐風安定性(1秒間に72 mの風速に耐える強度の確保[17])を考慮してA型が採用された。当初は3橋の中で東大橋のみ逆Y型、もしくは逆V型で構想されたが、風洞実験によって橋軸方向(車の進行方向[18])風による振動が確認されたことで、水平梁を一本加えることで振動を抑止できたA型を採用した[19][16]。ただし、下段水平梁より下層は下部工の寸法を抑えるためにV字型に絞り込み、中央大橋と共通のイメージとなっている[19]

主塔高さは125 m(T.P基準では130 m)である[20]。主桁幅は中央大橋と同サイズであるが[17]主塔高さはそれより低いため、中央大橋と比較すると塔両柱の傾斜角度が大きくなっている。

P-1橋脚は名港潮見ICに食い込むことで規模が大きく、中央大橋のP-1のコンクリート使用量13700 ㎥に対して東大橋は17800 ㎥と約1.3倍である[20]。この幅広橋脚に載る主桁も幅広となっているが、それについては後述する。

主塔の色は明度の高い青を採用した[21]。爽やかな空と海のイメージを表現したものである[22]

主塔架設工事は3段階に分けて施工された。最初は塔基部をアンカーフレームに架設し、それ以外を2段階で架設した。工場にて塔下部(下段水平梁含む。高さ48 m)とそれ以外のA型の塔柱(高さ72 m)をあらかじめ大ブロックに組立て、フローティングクレーン(船と一体となったクレーン)で吊り上げて現場に曳航し、一気に組み上げた[23]。塔架設に要した工期は約6か月である[23]

P-1、P-4橋脚は下段水平梁以下のV字型の塔形状にあわせて、逆台形とした[24]。橋脚中央にはスリット1本を設け、景観に配慮した[24]

P-1橋脚(潮見ふ頭側)。幅広の橋脚である。
P-2主塔(潮見ふ頭側)。
P-3主塔(新宝ふ頭側)。
P-4橋脚(新宝ふ頭側)。橋脚中央にスリットを入れた。

主桁

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潮見ふ頭側の側径間主桁は名港潮見ICのランプウェイが分合流することからカーブを描いている(画像左)。 同様にICを控えることで他の主桁と比べて幅広である。画像手前側で約10 m広い。さらに負反力軽減のために鉄筋コンクリート床板を載荷している(画像右)。 潮見ふ頭側の側径間主桁は名港潮見ICのランプウェイが分合流することからカーブを描いている(画像左)。 同様にICを控えることで他の主桁と比べて幅広である。画像手前側で約10 m広い。さらに負反力軽減のために鉄筋コンクリート床板を載荷している(画像右)。
潮見ふ頭側の側径間主桁は名港潮見ICのランプウェイが分合流することからカーブを描いている(画像左)。
同様にICを控えることで他の主桁と比べて幅広である。画像手前側で約10 m広い。さらに負反力軽減のために鉄筋コンクリート床板を載荷している(画像右)。
主桁断面図。側径間側の主桁にはカウンターウエイトとして鉄筋コンクリート床板を載荷[7]
主桁併合部。併合完了は1996年8月。

3大橋に共通する薄型の変形六角形断面である[17]。上下線を一体的にまとめた一箱桁で、上下分離の二箱桁としなかったのは塗装、点検等の維持管理面の容易さと、ねじれ剛度を高く取れること、および強度が増すことで桁高さを低く抑えられるからである[17][25]。上下線一体であることから桁幅は標準部で37.5 m(フェアリング含む)である[3]。桁下の航路空間は大型自動車運搬船の航行を考慮して40 mを確保、このため桁高さはT.P+46 mとなっている[8]

東大橋は中央径間に比べて側径間長が極端に短く、その比率は145 m+410 m+145 m(1:2.83:1)で[7]、西大橋の176.5 m+405 m+176.5 m(1:2.31:1)[26]、中央大橋の290 m+590 m+290 m(1:2:03:1)[20]と比べてもその短さが際立っている。その結果、ケーブルの張り方は塔の左右で大きく異なる。それがもたらすものは、側径間内で桁を吊り上げる鉛直方向の力と死荷重[注釈 1]のバランスが崩れる(鉛直方向に上向く力が主桁の重さに勝る)ことによる大きな桁曲げモーメントの発生である[27]。これにより側径間の主桁は上に向かって跳ね上がる負反力が発生し、P-1、P-4橋脚と主桁を連結するペンデル支承の負荷が大きく、維持管理上好ましくないとされた[28]。このため、ペンデル支承にかかる負荷を極力抑え込むためにカウンターウエイト(付加荷重[7])を載荷した[28]。1500立方メートル(片側)のコンクリートを主桁のデッキプレート上に鉄筋コンクリート床板として東側径間が33 cm、西側径間が26 cmの厚みで上積みして負反力を軽減している[29][28]。西側を薄くしたのは、インターチェンジのランプウェイが主桁に取り付くことで桁重量が増すことから、東側とのバランスを考慮して重量を減らすためである[30]

このコンクリート打設は側径間部であり、この付近には完成自動車のモータープールが近接することから、コンクリート打設中および打設後に発現するブリージング水の飛散防止策が必要となった。これについては、風によるひび割れ予防とも相まってブルーシートを被せることで対応した[31]。打設は西側は名港潮見ICを使用して近接する高架橋にアジテーター(攪拌機)を設置して主桁に送り込むことができた。一方で東側は隣接する橋が未完成であったことで橋上の作業が出来なかったことから、新宝ふ頭にコンクリートポンプ車を配置のうえ、40 m上空の現場まで打ち上げることで対応した[32]

一方で中央径間部は名港中央大橋と同様の鋼床板を採用している[33]。ここで問題となったのは、側径間のRC床板との接合部であった。諸々の検討の結果、鋼床板部とRC床板部をいきなり境界で分けるのではなく、なだらかな坂にしてRCに移行することとした[34][35]。ただし、RCから鋼部に向かうにつれてコンクリートの厚みが薄くなることで、走行車両の荷重がかかった際に引っ張り荷重に対して鉄筋が十分な耐力を発揮出来ず、ひび割れが生じる恐れがあった。このため、鋼への移行部にはスチールファイバーを混入した鋼繊維補強コンクリートを打設している[36]

上記の通り、側径間側の内、P-1側は名港潮見ICが近接することから、P-1橋脚側がP-2主塔側と比べて約10 m幅広となっている[9]。さらにP-1側が若干カーブするなど[6]他の主桁とは形状が著しく異なる。

主桁架設は側径間側が陸上であるため、ベント併用による張り出し架設工法を採用し、全体に先駆けて側径間部を架設した[37]。次に海上区間はフローティングクレーン(船に載ったクレーン)が使える所は複数ブロックを一体に組み上げた大ブロックで架設し、以降、中心部に向かって直下吊りクレーンにより1ブロック(幅37.5 m、長さ15 m[4])ごとに海上から吊り上げる張り出し架設工法により接合した[38]。最終ブロックの併合は1996年8月10日に完了している[39]。なお、ベントはその巨大さと非汎用性から他工事との使い回しが行なわれず、工事毎に新規製作のうえ、主桁設置後は廃棄されるのが通例だった[40]。しかし、たまたま首都高速道路公団鶴見つばさ橋のベント6基(この内2基は横浜ベイブリッジからの転用)の使用終了後に東大橋への転用使用について打診があり、日本道路公団はこの申し出を受けることにした。転用に当たっては改造で対応したが、それでも東京から名古屋までの輸送費と併せても、新規製作と比較して約3億円の経費節減となった[40]

東大橋と西大橋の径間長の比較図。東大橋は西大橋と比べて側径間(P-1とP-2間およびP-3とP-4間の間隔)が短い。両橋を比較すると中央径間はほぼ同じであるが(それでも東大橋が5 m長い)、側径間は西大橋に比べて約30 m短い。

ケーブル

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ケーブルは放射状に延びるファン型。ケーブルカラーは黒である。

セミパラレルワイヤー(HiAm[41])で、直径7 mmの亜鉛メッキ鋼線を平行(若干のねじりがある)に束ね、その上から防錆、ケーブル保護のために高密度ポリエチレンを直接押し出して被覆した[10]。なお、ケーブルカラーは主塔の色が映えるように黒とした[21]

ケーブルは主塔から放射状(ファン型)に伸びて主桁に連結している。主桁の両サイドで連結する2面吊り方式で、12本(12本が8面あるため合計96本)のケーブルで支えるマルチケーブル配置である[9]

歴史

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脚注

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注釈

[編集]
  1. ^ 橋に永久に作用する動かない力。橋自体の重さ。これに対して自動車等の動く荷重を活荷重と呼ぶ(『橋の世界』ニューコンストラクションシリーズ第8巻、山海堂、1994年6月30日発行、56頁)。
  2. ^ 『愛知県公報』第404号、愛知県告示第785号、同786号、同787号、831頁。関係図書は愛知県庁で閲覧可。

出典

[編集]
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  48. ^ a b c d e 伊勢湾岸道路編集委員会 1998, p. 476.
  49. ^ a b c 伊勢湾岸道路編集委員会 1998, p. 477.

参考文献

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  • 名港西大橋編集委員会『名港西大橋工事誌』日本道路公団名古屋建設局、1986年3月15日。 
  • 『伊勢湾岸道路工事誌』・『伊勢湾岸道路写真集』は三重県立図書館で閲覧可(閉架)(非売品)
    • 伊勢湾岸道路編集委員会『伊勢湾岸道路工事誌』日本道路公団名古屋建設局 伊勢湾岸道路工事事務所、1998年3月。 
    • 伊勢湾岸道路編集委員会(写真集)『伊勢湾岸道路写真集』日本道路公団名古屋建設局 伊勢湾岸道路工事事務所、1998年3月。 
  • 古郷誠「伊勢湾岸道路」『橋梁と基礎』第24巻第8号、株式会社建設図書、1990年8月、91-93頁。 
  • 横山正則・鈴木裕二・馬場敦美「名港中央・東大橋下部工の設計・施工」『橋梁と基礎』第26巻第2号、株式会社建設図書、1992年2月、39-43頁。 
  • 鈴木裕二「新春紹介伊勢湾岸道路 名港中央大橋 上部工の設計・施工の概要」『土木技術』第52巻第1号、土木技術社、1997年1月、55-66頁。 
  • 鈴木裕二・橋本昌郎「伊勢湾岸自動車道の建設(1)」『土木技術』第53巻第5号、土木技術社、1998年5月、23-31頁。 
  • 本庄清司・岸川秩世・小原俊和「伊勢湾岸道路 名港東大橋」『橋梁』第32巻第5号、橋梁編纂委員会、1996年5月、4-11頁。 
  • 古郷誠「名港(中央・東)上部工の設計概要」『橋梁』第28巻第9号、橋梁編纂委員会、1992年9月、31-39頁。 
  • 鈴木裕二「名港三大橋の開通に向けて」『橋梁』第33巻第1号、橋梁編纂委員会、1997年1月、68-75頁。 
  • 水口和之・長井正・溝江実「名港中央大橋の主桁連結」『橋梁』第33巻第1号、橋梁編纂委員会、1997年1月、76-87頁。 
  • 村里正彦・井ヶ瀬良則「伊勢湾岸道路/名港中央大橋の設計概要」『橋梁』第26巻第6号、橋梁編纂委員会、1990年6月、2-7頁。 
  • 日経BP社「名港三大橋 東大橋の側径間でRC床板を施工 鋼床板上に直接コンクリートを打つ」『日経コンストラクション』第182巻、日経BP社、1997年4月25日、51-54頁。 
  • 名古屋港開港百年史編さん委員会『名古屋港開港100年史』名古屋港管理組合、2008年。 
  • 名古屋港管理組合三十年史編集会議『名古屋港管理組合三十年史』名古屋港管理組合、1984年3月30日。 
  • 長井正嗣・井澤衛・中村宏『斜張橋の基本計画設計法』森北出版株式会社、1997年11月13日。ISBN 4-627-48461-5 
  • 中井博・北田俊行『鋼橋設計の基礎』共立出版、1992年5月20日。ISBN 4-320-07363-0 
  • 土木学会関西支部編 田中輝彦・渡邊英一『図解 橋の科学 なぜその形なのか?どう架けるのか?』講談社〈ブルーバックス〉、2010年3月20日。ISBN 978-4-06-257676-5