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{{出典の明記|date=2013年5月3日 (金) 01:22 (UTC)|ソートキー=橋めいこうちゆうおうおおはし}} |
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{{特筆性|date=2013年5月3日 (金) 01:22 (UTC)|ソートキー=橋めいこうちゆうおうおおはし}}<!-- 名港トリトンに統合が提案されたが、合意が得られず終了している --> |
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{{橋 |
{{橋 |
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|名称=名港中央大橋 |
|名称=名港中央大橋 |
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| 経度度 = 136 |経度分 = 51 | 経度秒 = 37 |
| 経度度 = 136 |経度分 = 51 | 経度秒 = 37 |
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|座標表示 = title |
|座標表示 = title |
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|地図名 = Nagoya |
|地図名 = Japan Aichi#Nagoya |
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|長さ=1,170m |
|長さ=1,170m |
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|最大支間長=590m |
|最大支間長=590m |
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|幅=34m |
|幅=34m |
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|高さ=190m<ref group="注釈">東京湾平均海面(T.P.)基準では195 m</ref>(主塔) |
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|高さ=195m(主塔) |
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|建築家と技術者= |
|建築家と技術者= |
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|形式=[[斜張橋]] |
|形式=[[斜張橋]] |
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|素材= |
|素材=鋼 |
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|建設= |
|建設=日本道路公団 |
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'''名港中央大橋'''(めいこうちゅうおうおおはし)は、[[伊勢湾岸自動車道]]伊勢湾岸道路の[[名港潮見インターチェンジ|名港潮見IC]]([[名古屋市]][[港区 (名古屋市)|港区]][[潮見町]])から[[名港中央インターチェンジ|名港中央IC]](名古屋市港区[[金城ふ頭]])の間にある[[橋梁]]。 |
'''名港中央大橋'''(めいこうちゅうおうおおはし)は、[[伊勢湾岸自動車道]]伊勢湾岸道路の[[名港潮見インターチェンジ|名港潮見IC]]([[名古屋市]][[港区 (名古屋市)|港区]][[潮見町 (名古屋市)|潮見町]])から[[名港中央インターチェンジ|名港中央IC]](名古屋市港区[[金城ふ頭]])の間にある[[橋梁]]。名古屋港を横断する[[名港トリトン]]([[名港東大橋]]、名港中央大橋、[[名港西大橋]])のひとつである{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=55}}。 |
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名古屋港を横断する[[名港トリトン]]([[名港東大橋]]、名港中央大橋、[[名港西大橋]])のひとつである。 |
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== 概要== |
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橋長1,170m、中央径間590mの |
名港中央大橋(以下、中央大橋と表記)は名古屋港の人工島である金城ふ頭と潮見ふ頭に跨る橋長1,170m、中央径間590mの鋼[[斜張橋]]である{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=56}}。また、名古屋港を航行する大型船の航行を考慮して海上面47mの空間を確保するなど、支間長、高さ共に名港トリトンでは最大規模である。1989年12月に基礎工の施工に着手してから主桁の併合までに約7年を要した{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=66}}。 |
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中央大橋が架橋されている水域は中央部に北航路(水深12 m)が設定され、ここは潮見ふ頭や金城ふ頭に着離桟する大型船が相当数航行する{{Sfn|古郷誠|1990|p=93}}。北航路以外は小型船が航行し、1日あたり数百隻の船がここを通る{{Sfn|古郷誠|1990|p=93}}。名古屋港のメイン航路だけに大型船を通過させるだけの橋梁規模を有するのが中央大橋である。それは高さに限らず、北航路以外も航路であることから橋脚と主塔の間隔が非常に長く、本橋を特徴づける一要因となっている{{Sfn|村里正彦・井ヶ瀬良則|1990|pp=2 -5}}。 |
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== 諸元 == |
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* 供用開始:[[1998年]][[3月30日]] |
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* 形式:3径間連続鋼斜張橋 |
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* 幅員:34m(片側3車線) |
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* 橋脚主塔:195m |
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* 工法:バランシング工法 |
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* 灯具:メタルハライドランプ(524灯) |
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本橋は3径間連続斜張橋であり、A形の2本の主塔とその両端の橋脚により構成される。本項では日本道路公団(現・NEXCO中日本)の呼称に従い{{Sfn|村里正彦・井ヶ瀬良則|1990|p=3}}、金城ふ頭側の橋脚をP-1、同主塔をP-2、潮見ふ頭側主塔をP-3、同橋脚をP-4として記述する。 |
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== 歴史 == |
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名古屋港横断道路の構想は1964年5月の名古屋港管理組合が策定した港湾計画に端を発し<ref name="中日19640517">{{Cite news |title=管理組合が長期整備計画を発表 10年後に大名古屋港 貨物は年間9500万トン 商港の中心に13号地 |newspaper=中部日本新聞朝刊|date=1964-05-17|page=1}}</ref>、これが[[名古屋環状2号線]]に組み込まれて環状ルートの一部を形成するに至った{{Sfn|名古屋港管理組合三十年史編集会議|1984|p=488}}。やがては産業道路として混雑をきたす名四国道のバイパスとして[[豊田市]]と[[四日市市]]間に第二名四国道が計画され、この内の名四東IC(現・[[名古屋南ジャンクション|名古屋南JCT]]) - 飛島IC間で環状2号と並行することとされ、両道路を併せて往復10車線の道路となった。のちに事業費を圧縮するために両道路は統合されて往復6車線の道路となった。さらに第二名四国道は国と自治体の思惑が合致したことによって第二東名、第二名神高速道路の一部に組み込まれた<ref name="中日19880608">{{Cite news |title=第二東名ルートの一部 伊勢湾岸道あてる 建設相表明|newspaper=中日新聞朝刊 |date=1988-06-08|page=1}}</ref><ref name="中日19880610">{{Cite news |title=第2東名・名神 全ルート固まる 御殿場以東と栗東以西 拡幅し当面供用 |newspaper=中日新聞朝刊 |date=1988-06-10|page=1}}</ref>。 |
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[[File:Meiko Central Bridge 20171022A.jpg|thumb|250px|left|P-4橋脚がリノール油脂(現・日清オイリオグループ)の専用桟橋にかかることから画像のように南側にずらす対策を講じた{{Sfn|名古屋港史編集委員会|1990|p=252}}。]] |
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以上に見た経緯と連動して、名古屋港横断道路の構想は激しく変化した。1964年当初は「夢の大橋で結ぶ」と報道されたが<ref name="中日19640517">{{Cite news |title=管理組合が長期整備計画を発表 10年後に大名古屋港 貨物は年間9500万トン 商港の中心に13号地 |newspaper=中部日本新聞朝刊|date=1964-05-17|page=1}}</ref>、しばらく経過すると大橋あるいはトンネル方式とされた<ref name="中日19650602">{{Cite news |title=環状二号道路を急げ 名古屋大都市計画懇談会が中間報告 |newspaper=中日新聞朝刊 |date=1965-06-02|page=2}}</ref>。そこへ往復10車線の構想が割り込むことで、橋梁、トンネルの区別なく膨大な構造で計画されるに至った{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|pp=3 - 5}}。やがて海上横断道路は往復6車線に縮小され、ほぼ同時期に橋梁式に転換された{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|pp=3 - 5}}。つまり、金城ふ頭と9号地(現・潮見ふ頭)間の横断形式は構想も含めて、橋梁→トンネル→橋梁の複雑な経過を辿ることになった<ref name="中日19781223夕刊">{{Cite news |title=名港大つり橋、建設へ前進 西、中央、東の3本 『環2』計画を港湾審が了承 来年度にも着工 |newspaper=中日新聞夕刊|date=1978-12-23|page=1}}</ref>。 |
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橋梁に決定すると、西大橋と東大橋は斜張橋で中央大橋のみ吊り橋式とされたが、これは北航路(当時は内港航路と称した{{Sfn|名古屋港開港百年史編さん委員会|2008|pp=336 - 337}})の位置が当時は9号地寄りにあって{{Sfn|名古屋港史編集委員会|1990|p=247}}、必然的に支間長が長大化することで斜張橋とするには難易度が高かったためである。しかし、吊り橋に必要なアンカレイジを支えるに必要な地盤がこの付近には無いことが問題化し、これによるクリープ(荷重が当初は一定に保たれていても時間と共にひずみが増す現象)発生が懸念されたことから、地盤が受ける負担の軽減を狙って支間長を縮小することになった{{Sfn|名古屋港史編集委員会|1990|p=247}}。また、支間長が長すぎることは、9号地のインターチェンジが片方向アクセスとなることでサービスレベルダウンとなることから、橋の長さを縮小することは是非とも必要な対策であった{{Sfn|名古屋港史編集委員会|1990|p=247}}。これらの問題を払拭するために、名古屋港管理組合は北航路位置の変更を決定し、この結果、9号地に計画された東側の主塔は水域(金城ふ頭側)へ移動することで、支間長は1560 mから1170 mへと縮小された{{Sfn|建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所|1989|p=385}}。この変更を受けて9号地インターは両方向アクセス方式に変更された{{Sfn|名古屋港史編集委員会|1990|p=247}}。橋梁規模縮小によって斜張橋式の採用が可能となったことで{{Sfn|村里正彦・井ヶ瀬良則|1990|p=3}}、吊り橋案と斜張橋案で検討した結果、工期、経済性に優れる斜張橋案が採用された{{Sfn|建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所|1989|p=385}}。決定は1985年5月である{{Sfn|建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所|1989|p=301}}。なお、中央径間縮小によってP-4橋脚が西へ移動してリノール油脂(現・[[日清オイリオグループ]])の専用桟橋(15000重量トン級1バース)と重なることから、桟橋を南へずらす配置変更計画を1987年に策定している{{Sfn|名古屋港史編集委員会|1990|p=252}}。 |
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本橋は名古屋環状2号線の一部を構成するが、建設計画の面では名古屋環状2号線の中にあって大きく出遅れた。海上区間を橋梁かトンネルで跨ぐ点のみが論じられ、具体的な調査は1973年に入ってからであった{{Sfn|建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所|1989|p=385}}。それも国の財政難と架橋反対を唱える船舶関係者への対応が原因であった。そして上述の如く1978年に橋梁案が正式決定されるとまたもや船舶航行に重大な障害が生じるのではないかという警戒論が出された{{Sfn|名古屋港管理組合三十年史編集会議|1984|pp=488 - 491}}。このため、名古屋港管理組合は船舶航行に一切の障害、危険を生じさせないために中部地方建設局に種々の申し入れを行い、最終計画案に反映させた。この中で中央大橋については最高潮位面から橋桁までの高さは47 mを確保、52番バース前面にターニングベースン(船が回頭する場所)を設置する、海中に防護施設を設けることなどが盛り込まれた{{Sfn|名古屋港管理組合三十年史編集会議|1984|pp=488 - 491}}。 |
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== 構造 == |
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=== 諸元 === |
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* 橋長 : 1170 m{{Sfn|古郷誠|1992|p=31}} |
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* 支間割 : 290 m+590 m+290 m{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=56}} |
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* 桁下空間 : T.P+47 m{{Sfn|古郷誠|1992|p=33}} |
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* 基礎 : P-1、P-4 : 場所打鉄筋コンクリート杭 P-2、P-3 : ニューマチックケーソン{{Sfn|古郷誠|1992|p=32}} |
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* 型式 : 3径間連続鋼斜張橋{{Sfn|古郷誠|1992|p=31}} |
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* 主桁 : 変形六角形箱桁{{Sfn|古郷誠|1992|p=31}} |
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* ケーブル : セミパラレルワイヤー 直径7 mm{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=59}} |
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=== 下部工 === |
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支持層は海部弥富[[地層#地層の分類|累層]](あまやとみるいそう)で{{Sfn|古郷誠|1992|pp=33 - 34}}、その深さは海面下50 mにあって{{Sfn|村里正彦・井ヶ瀬良則|1990|pp=4 - 5}}名港トリトンでは最も深い{{Sfn|鈴木裕二・橋本昌郎|1998|pp=24 - 25}}。3大橋の地層断面は東海層群が基礎を成し、東大橋付近でT.P-30 m付近であるが西に向かうほど深く傾斜することから、それよりも浅い位置にある海部弥富累層に支持を求めた。当該地層はよく締まった砂礫層である{{Sfn|村里正彦・井ヶ瀬良則|1990|p=4}}。 |
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基礎形式は海中部橋脚のP-2、P-3がフローティング工法によるニューマチックケーソン、端部橋脚のP-1、P-4が現場打ちコンクリート杭である{{Sfn|古郷誠|1992|pp=32 - 33}}。P-2、P-3では鋼管矢板基礎と地中連続壁基礎も検討されたが、中央大橋区域は船舶の航行が多く、鋼管矢板基礎方式では広範囲の作業スペースを要することで航行禁止区域が大きくなる{{Sfn|村里正彦・井ヶ瀬良則|1990|p=4}}。一方の地中連続壁基礎は海上に島を築いてからケーソンを沈めることから、水深12 mの水域で施工するには莫大な工事と地盤改良を要することで、いずれも不採用となった{{Sfn|村里正彦・井ヶ瀬良則|1990|p=4}}。この点フローティング工法は築島を必要とせず、鋼殻ケーソンを海の浮力で浮かせてから海底に着底させるだけなので施工性、工事費ともに有利であることが採用の決め手となった{{Sfn|村里正彦・井ヶ瀬良則|1990|p=4}}。ただしニューマチックケーソンの問題点は、ケーソン底部の作業室に高圧の圧縮空気を送り込むことから{{Sfn|村里正彦・井ヶ瀬良則|1990|pp=4 - 5}}[[窒素中毒|窒素酔い]]もしくは[[潜函病]]発症のリスクが付きまとうことである。海面下50 mでは作業気圧が4気圧以上となって安全に作業出来る3気圧を上回る{{Sfn|村里正彦・井ヶ瀬良則|1990|pp=4 - 5}}。作業室に地下水を流入させないための高圧圧縮空気の封入であることから、事前に地下水を汲み上げてしまえば海面下40 m以下でもそれほど高圧の圧縮空気を送り込む必要はなくなる。よって、ケーソン周辺に大深度の井戸を掘って揚水のうえ地下水位を下げる作業(ディープウェル工法)が併用された。ただし過度の揚水による周辺埋立地の地盤沈下が懸念されたことで、ケーソン周辺のみ揚水するために薬液注入による遮水壁を構築した{{Sfn|横山正則・鈴木裕二・馬場敦美|1992|p=43}}。 |
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ケーソン鋼殻を沈下させるにあたり、安定的な沈下を期するために海底の地盤改良を行った。沈下予定地は軟弱な沖積粘土層があって、これを海底から概ね10 mの位置まで砂を複数打ち込む工事(サンドコンパクション)を行うものである。打ち込みによって土が盛り上がり、これを含め不良土として回収したうえで厚さ2 mの砕石に置き換えることで地盤が改良される。これにより地盤支持力が強固となってケーソン鋼殻の安定沈降が可能となった{{Sfn|横山正則・鈴木裕二・馬場敦美|1992|pp=39 - 41}}。 |
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=== 主塔・橋脚 === |
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{{double image aside|right|Meiko Central Bridge 20171022E.jpg|243|Meiko Centrak Bridge 20171022C.jpg|240|画像左 : 主塔上部は原則単ブロック溶接接合としたが水平梁上部はHTB接合である。ボルトで接合しているのが判る{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=57}}。<br>画像右 : 下部工(基礎)の寸法を極力小さく抑えるために主塔下段水平梁以下をV字形に絞り込んだ{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=57}}。}} |
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主塔は規模が大きいため、基礎の寸法を極力縮小するために主桁を載せる下段水平梁より下層はV字形に絞り込んでいる{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=57}}。主塔の色は[[オオハクチョウ|大白鳥]]が羽根を広げたイメージとして白とした{{Sfn|鈴木裕二|1997|p=75}}。 |
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中央大橋は名古屋港のメイン航路上に架橋されたことから、大型船の航行を考慮して主桁は概ね海面上50 mの高さである。その関係で主桁を支える主塔も他の2橋よりも高くなっている{{Sfn|古郷誠|1992|p=34}}。その規模は190 m([[日本水準原点#東京湾平均海面|T.P]] 基準では195 m)である{{Sfn|水口和之・長井正・溝江実|1997|p=81}}。その高さから有害な発散振動の発生が風洞実験によって確認されたことで、中央大橋に限って塔断面を八角形とした{{Sfn|鈴木裕二・橋本昌郎|1998|p=26}}。 |
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架設工事は塔下層柱(高さ35 m)を主塔基部に据え付けることから始まった。V字形の柱2本が建ってから主桁を支える下段水平梁を架設し{{Sfn|水口和之・長井正・溝江実|1997|p=83}}、この時点で後述の海中ベントを建てて主桁大ブロックをベントに載せる工事が開始された{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|pp=63 - 65}}。従って主塔が完成してから主桁を架設したのではなく、主塔が上に伸びていく過程と並行して主桁も架設されたのである。下段水平梁より上は西大橋や東大橋のように工場でA形に組み上げたのち、現場に曳航して一括で架設{{Sfn|鈴木裕二|1997|pp=71 - 73}}、完成するプロセスが中央大橋では採用出来なかった。主塔規模が大きすぎるためで、このため上部柱を29ブロックに分割の上、P-2はクローラークレーン、P-3はタワークレーンで1ブロック毎に吊り上げて溶接接合した{{Sfn|水口和之・長井正・溝江実|1997|p=83}}。ただし、上下水平梁上部はHTB(高力ボルト)で接合した{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=57}}{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=65}}。 |
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{{multiple image |
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| footer = |
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| align = left |
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| width = 250 |
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| image1 = Meiko Triton 20170925A.jpg |
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| caption1 = P-1橋脚(金城ふ頭側)。[[名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線|あおなみ線]]の施設と比較すると橋脚の巨大さが判る。 |
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| image2 = Meiko Central Bridge P-2 20171018A.jpg |
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| caption2 = P-2主塔(金城ふ頭側)。 |
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| image3 = Meiko Central Bridge P-3 20171018A.jpg |
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| caption3 = P-3主塔(潮見ふ頭側)。 |
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| image4 = Meiko Central Bridge P-4 20170926A.jpg |
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| caption4 = P-4橋脚(潮見ふ頭側)。 |
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}}{{-}} |
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=== 主桁 === |
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[[File:Meiko Central Bridge 20171022F.jpg|thumb|250px|right|耐風安定性、ねじり変形、軽量化、維持管理対策から1箱桁形式を採用{{Sfn|古郷誠|1992|p=37}}。その断面は両端にフェアリングを取り付けた薄型六角形である。画像は主桁の併合部分である。ブロックを傾斜させながら吊り上げて併合した。]] |
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斜張橋のため風による振動が特に心配されたことから風の抵抗を軽減できる薄型を採用した。そして自動車や風等によるねじり変形に抗する強度確保や塗装等メンテナンスの容易さから一体型の多室箱型とされ{{Sfn|村里正彦・井ヶ瀬良則|1990|p=7}}、両端に鋭角のフェアリングを取り付けた六角形が選択された。主桁両端にてケーブルを連結して吊り上げる2面吊り方式である。全幅は37.5 m、全高は3.5 mである{{Sfn|水口和之・長井正・溝江実|1997|p=77}}。また、メイン航路に架橋されることから主桁も非常に高く、T.P+63 m{{Sfn|古郷誠|1992|p=37}}、桁下空間は55 m{{Sfn|名古屋港管理組合議会事務局議事課|2013|p=53}}(航路空間は47 m)である。 |
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主塔高さもさることながら、中央大橋が他の2橋と大きく異なるのはその径間比である。側径間(P-1とP-2間、P-3とP-4間の径間)も航路となっていることから中央径間(P2とP3間)と並んで側径間も長く、その径間割は290 m+590 m+290 m(側径間と中央径間の比率は1:2)である。このレベルまで長いと側径間に自動車を載荷したあかつきには主桁が重量で沈み込むことで主塔が側径間側へ大きく変形する{{Sfn|村里正彦・井ヶ瀬良則|1990|p=5}}。さらに中央径間の主桁が盛り上がることで主桁も大きくたわむ。この変形を抑え込むために当初設計段階では中央径間中央に重量物を載荷することが検討された{{Sfn|建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所|1989|pp=384 - 385}}。この場合、重量増によって架設機材が大型化することに加え、下部工の負担が増すなど不利な要素が多く、ケーブル配置や張力を工夫することで対応することとして重量物は載荷なしとした{{Sfn|村里正彦・井ヶ瀬良則|1990|p=5}}。 |
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主桁架設は金城ふ頭側が水中ベント(Bent : 橋脚を意味するが日本では仮支柱をベントと呼ぶ。ステージングともいう{{Sfn|藤原稔・久保田宗孝・菅谷洸・寺田博昌|1994|p=169}})併用による張り出し架設工法(Cantilever : カレンチバー{{Sfn|藤原稔・久保田宗孝・菅谷洸・寺田博昌|1994|pp=170 - 172}}{{Sfn|長井正嗣・井澤衛・中村宏|1997|p=135}})、潮見ふ頭側がバランスド張り出し架設工法{{Sfn|長井正嗣・井澤衛・中村宏|1997|p=135}}(バランシング工法)を採用した{{Sfn|水口和之・長井正・溝江実|1997|pp=83 - 86}}。金城ふ頭側の場合、水中ベントを主塔近辺に設置のうえ、フローティングクレーン(船に載ったクレーン{{Sfn|藤原稔・久保田宗孝・菅谷洸・寺田博昌|1994|p=152}})によって主桁3ブロック(全長116 m - 150 m)を水中ベント上にまとめて載せた後にケーブルと連結させる{{Sfn|水口和之・長井正・溝江実|1997|p=83}}。つまりケーブル連結までは水中ベントで主桁を支える。内港航路にはベントを設置できないことから、架設した主桁に架設クレーンを置き、台船に積まれた主桁単ブロックを架設クレーンで吊り上げて連結し、併せてケーブル架設も行うことで{{Sfn|水口和之・長井正・溝江実|1997|pp=83 - 85}}主桁は少しずつ中央部に向かって張り出されていく{{Sfn|長井正嗣・井澤衛・中村宏|1997|p=136}}。一方、潮見ふ頭側では航路の関係上水中ベントを設置出来ないためにバランシング工法を採用した{{Sfn|水口和之・長井正・溝江実|1997|p=86}}。P-3主塔両脇に斜ベントを設置してフローティングクレーンで主桁大ブロックを載せる。その後左右均等に単ブロックを継ぎ足し、左右のバランスを取りながら少しずつ主桁を伸ばしていく工法である。このバランスが崩れると一方に負荷がかかって主塔が曲がるなどの悪影響を及ぼす{{Sfn|長井正嗣・井澤衛・中村宏|1997|p=136}}。こうしてP-2、P-3の両主塔から伸長した主桁は最後の単ブロックを吊り上げることで併合する。この際、主桁接合を容易化するため左右の主桁をそれぞれ陸側に移動(セットバック)して左右主桁の間隔を押し広げる。台船から吊り上げた主桁は水平に吊り上げてははまらないため、一方を下げて傾斜しながら吊り上げて所定高さで水平を回復、セットバックを開放して左右主桁を中央に寄せて併合した{{Sfn|水口和之・長井正・溝江実|1997|p86}}。1996年6月22日のことで、中央大橋が下部工を発注してから7年目のことであった{{Sfn|水口和之・長井正・溝江実|1997|p86}}。 |
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{{wide image|Meiko Central Bridge 20171022I.png|900px|主桁架設工法を示す図。張り出し架設工法を採用したが、P-2側はベント(ステージング)併用、P-3側は水中ベントが建てられないのでバランシング工法を採用した。ケーブルを主桁架設中でも活用できることがマルチケーブル方式斜張橋の大きなメリットである。<br /><small>図の出典:『土木技術』Vol.53・No.5、1998年5月号、30頁</small>}} |
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=== ケーブル === |
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セミパラレルワイヤー(New PWSとも呼ばれる{{Sfn|長井正嗣・井澤衛・中村宏|1997|pp=24 - 25}})で、直径7 mmの亜鉛メッキ鋼線を平行に束ね{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=59}}、これを179本から398本までに結束したものを都合10種類製作した{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=56}}。最も太いケーブルは直径173 mmで、最少は124 mmである{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=56}}。主塔側を細いケーブルとして、そこから離れるに従って太くしている{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=56}}。また最も太いケーブルは1本で2445 tの重量を支える強度があるが、全体では136本のケーブルで136000 tの重量を支えることが出来る{{Sfn|名古屋港利用促進協議会|1996|p=60}}。ただし、安全率を高めに取っていることから実際はその2倍の強度を有する{{Sfn|名古屋港利用促進協議会|1996|p=60}}{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=59}}。なお、ワイヤーにねじりを加えてその上から防錆、ケーブル保護のために高密度ポリエチレンを直接押し出して被覆したが、さらにその上に夜間におけるライティング効果を高めるためにフッ素樹脂を被膜してケーブルカラーを白とした{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=66}}。このように中央大橋では主塔、主桁、ケーブルの全てが白で統一されている。 |
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ケーブルは主塔から放射状(ファン型)に伸びて主桁に連結している。主桁の両サイドで連結する2面吊り方式で、17本(17本が8面あるため合計136本)のケーブルで支えるマルチケーブル配置である{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=56}}。複数本あることから先述の張り出し架設工法およびバランシング工法で完成時のケーブルを架設時にも利用できるメリットがある{{Sfn|長井正嗣・井澤衛・中村宏|1997|pp=27 - 28}}。 |
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ケーブルは雨や風によって影響を受け、それがレインバイブレーションとして主桁や主塔に対して影響を与える。雨が降った場合、ケーブルを伝って流れる水みちができることがその原因とされ、振動防止策としてケーブルを水平ワイヤーで縦に連結することが考えられるが、それでは美観を損ねることから制震装置を装備している{{Sfn|名古屋港利用促進協議会|1996|p=60}}。 |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite |和書|author = 土木学会関西支部編 田中輝彦・渡邊英一 |title = 図解 橋の科学 なぜその形なのか?どう架けるのか?| year = 2010 |date = 2010-03-20 |edition = |publisher = 講談社|isbn = 978-4-06-257676-5 |series = ブルーバックス|ref = harv }} |
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* {{Cite |和書|author = 塩井幸武|title =長大橋の科学 夢の実現に進化してきた橋づくりの技術と歴史をひもとく |year = 2014|date = 2014-08-25 |edition =SBクリエイティブ株式会社 |publisher = |isbn =978-4-7973-6200-8|series = サイエンス・アイ新書|ref = harv }} |
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2017年11月6日 (月) 12:11時点における版
名港中央大橋 | |
---|---|
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 愛知県名古屋市 |
交差物件 | 名古屋港 |
建設 | 日本道路公団 |
座標 | 北緯35度3分12秒 東経136度51分37秒 / 北緯35.05333度 東経136.86028度座標: 北緯35度3分12秒 東経136度51分37秒 / 北緯35.05333度 東経136.86028度 |
構造諸元 | |
形式 | 斜張橋 |
材料 | 鋼 |
全長 | 1,170m |
幅 | 34m |
高さ | 190m[注釈 1](主塔) |
最大支間長 | 590m |
地図 | |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
名港中央大橋(めいこうちゅうおうおおはし)は、伊勢湾岸自動車道伊勢湾岸道路の名港潮見IC(名古屋市港区潮見町)から名港中央IC(名古屋市港区金城ふ頭)の間にある橋梁。名古屋港を横断する名港トリトン(名港東大橋、名港中央大橋、名港西大橋)のひとつである[1]。
概要
名港中央大橋(以下、中央大橋と表記)は名古屋港の人工島である金城ふ頭と潮見ふ頭に跨る橋長1,170m、中央径間590mの鋼斜張橋である[2]。また、名古屋港を航行する大型船の航行を考慮して海上面47mの空間を確保するなど、支間長、高さ共に名港トリトンでは最大規模である。1989年12月に基礎工の施工に着手してから主桁の併合までに約7年を要した[3]。
中央大橋が架橋されている水域は中央部に北航路(水深12 m)が設定され、ここは潮見ふ頭や金城ふ頭に着離桟する大型船が相当数航行する[4]。北航路以外は小型船が航行し、1日あたり数百隻の船がここを通る[4]。名古屋港のメイン航路だけに大型船を通過させるだけの橋梁規模を有するのが中央大橋である。それは高さに限らず、北航路以外も航路であることから橋脚と主塔の間隔が非常に長く、本橋を特徴づける一要因となっている[5]。
本橋は3径間連続斜張橋であり、A形の2本の主塔とその両端の橋脚により構成される。本項では日本道路公団(現・NEXCO中日本)の呼称に従い[6]、金城ふ頭側の橋脚をP-1、同主塔をP-2、潮見ふ頭側主塔をP-3、同橋脚をP-4として記述する。
歴史
名古屋港横断道路の構想は1964年5月の名古屋港管理組合が策定した港湾計画に端を発し[7]、これが名古屋環状2号線に組み込まれて環状ルートの一部を形成するに至った[8]。やがては産業道路として混雑をきたす名四国道のバイパスとして豊田市と四日市市間に第二名四国道が計画され、この内の名四東IC(現・名古屋南JCT) - 飛島IC間で環状2号と並行することとされ、両道路を併せて往復10車線の道路となった。のちに事業費を圧縮するために両道路は統合されて往復6車線の道路となった。さらに第二名四国道は国と自治体の思惑が合致したことによって第二東名、第二名神高速道路の一部に組み込まれた[9][10]。
以上に見た経緯と連動して、名古屋港横断道路の構想は激しく変化した。1964年当初は「夢の大橋で結ぶ」と報道されたが[7]、しばらく経過すると大橋あるいはトンネル方式とされた[12]。そこへ往復10車線の構想が割り込むことで、橋梁、トンネルの区別なく膨大な構造で計画されるに至った[13]。やがて海上横断道路は往復6車線に縮小され、ほぼ同時期に橋梁式に転換された[13]。つまり、金城ふ頭と9号地(現・潮見ふ頭)間の横断形式は構想も含めて、橋梁→トンネル→橋梁の複雑な経過を辿ることになった[14]。
橋梁に決定すると、西大橋と東大橋は斜張橋で中央大橋のみ吊り橋式とされたが、これは北航路(当時は内港航路と称した[15])の位置が当時は9号地寄りにあって[16]、必然的に支間長が長大化することで斜張橋とするには難易度が高かったためである。しかし、吊り橋に必要なアンカレイジを支えるに必要な地盤がこの付近には無いことが問題化し、これによるクリープ(荷重が当初は一定に保たれていても時間と共にひずみが増す現象)発生が懸念されたことから、地盤が受ける負担の軽減を狙って支間長を縮小することになった[16]。また、支間長が長すぎることは、9号地のインターチェンジが片方向アクセスとなることでサービスレベルダウンとなることから、橋の長さを縮小することは是非とも必要な対策であった[16]。これらの問題を払拭するために、名古屋港管理組合は北航路位置の変更を決定し、この結果、9号地に計画された東側の主塔は水域(金城ふ頭側)へ移動することで、支間長は1560 mから1170 mへと縮小された[17]。この変更を受けて9号地インターは両方向アクセス方式に変更された[16]。橋梁規模縮小によって斜張橋式の採用が可能となったことで[6]、吊り橋案と斜張橋案で検討した結果、工期、経済性に優れる斜張橋案が採用された[17]。決定は1985年5月である[18]。なお、中央径間縮小によってP-4橋脚が西へ移動してリノール油脂(現・日清オイリオグループ)の専用桟橋(15000重量トン級1バース)と重なることから、桟橋を南へずらす配置変更計画を1987年に策定している[11]。
本橋は名古屋環状2号線の一部を構成するが、建設計画の面では名古屋環状2号線の中にあって大きく出遅れた。海上区間を橋梁かトンネルで跨ぐ点のみが論じられ、具体的な調査は1973年に入ってからであった[17]。それも国の財政難と架橋反対を唱える船舶関係者への対応が原因であった。そして上述の如く1978年に橋梁案が正式決定されるとまたもや船舶航行に重大な障害が生じるのではないかという警戒論が出された[19]。このため、名古屋港管理組合は船舶航行に一切の障害、危険を生じさせないために中部地方建設局に種々の申し入れを行い、最終計画案に反映させた。この中で中央大橋については最高潮位面から橋桁までの高さは47 mを確保、52番バース前面にターニングベースン(船が回頭する場所)を設置する、海中に防護施設を設けることなどが盛り込まれた[19]。
構造
諸元
- 橋長 : 1170 m[20]
- 支間割 : 290 m+590 m+290 m[2]
- 桁下空間 : T.P+47 m[21]
- 基礎 : P-1、P-4 : 場所打鉄筋コンクリート杭 P-2、P-3 : ニューマチックケーソン[22]
- 型式 : 3径間連続鋼斜張橋[20]
- 主桁 : 変形六角形箱桁[20]
- ケーブル : セミパラレルワイヤー 直径7 mm[23]
下部工
支持層は海部弥富累層(あまやとみるいそう)で[24]、その深さは海面下50 mにあって[25]名港トリトンでは最も深い[26]。3大橋の地層断面は東海層群が基礎を成し、東大橋付近でT.P-30 m付近であるが西に向かうほど深く傾斜することから、それよりも浅い位置にある海部弥富累層に支持を求めた。当該地層はよく締まった砂礫層である[27]。
基礎形式は海中部橋脚のP-2、P-3がフローティング工法によるニューマチックケーソン、端部橋脚のP-1、P-4が現場打ちコンクリート杭である[28]。P-2、P-3では鋼管矢板基礎と地中連続壁基礎も検討されたが、中央大橋区域は船舶の航行が多く、鋼管矢板基礎方式では広範囲の作業スペースを要することで航行禁止区域が大きくなる[27]。一方の地中連続壁基礎は海上に島を築いてからケーソンを沈めることから、水深12 mの水域で施工するには莫大な工事と地盤改良を要することで、いずれも不採用となった[27]。この点フローティング工法は築島を必要とせず、鋼殻ケーソンを海の浮力で浮かせてから海底に着底させるだけなので施工性、工事費ともに有利であることが採用の決め手となった[27]。ただしニューマチックケーソンの問題点は、ケーソン底部の作業室に高圧の圧縮空気を送り込むことから[25]窒素酔いもしくは潜函病発症のリスクが付きまとうことである。海面下50 mでは作業気圧が4気圧以上となって安全に作業出来る3気圧を上回る[25]。作業室に地下水を流入させないための高圧圧縮空気の封入であることから、事前に地下水を汲み上げてしまえば海面下40 m以下でもそれほど高圧の圧縮空気を送り込む必要はなくなる。よって、ケーソン周辺に大深度の井戸を掘って揚水のうえ地下水位を下げる作業(ディープウェル工法)が併用された。ただし過度の揚水による周辺埋立地の地盤沈下が懸念されたことで、ケーソン周辺のみ揚水するために薬液注入による遮水壁を構築した[29]。
ケーソン鋼殻を沈下させるにあたり、安定的な沈下を期するために海底の地盤改良を行った。沈下予定地は軟弱な沖積粘土層があって、これを海底から概ね10 mの位置まで砂を複数打ち込む工事(サンドコンパクション)を行うものである。打ち込みによって土が盛り上がり、これを含め不良土として回収したうえで厚さ2 mの砕石に置き換えることで地盤が改良される。これにより地盤支持力が強固となってケーソン鋼殻の安定沈降が可能となった[30]。
主塔・橋脚
主塔は規模が大きいため、基礎の寸法を極力縮小するために主桁を載せる下段水平梁より下層はV字形に絞り込んでいる[31]。主塔の色は大白鳥が羽根を広げたイメージとして白とした[32]。
中央大橋は名古屋港のメイン航路上に架橋されたことから、大型船の航行を考慮して主桁は概ね海面上50 mの高さである。その関係で主桁を支える主塔も他の2橋よりも高くなっている[33]。その規模は190 m(T.P 基準では195 m)である[34]。その高さから有害な発散振動の発生が風洞実験によって確認されたことで、中央大橋に限って塔断面を八角形とした[35]。
架設工事は塔下層柱(高さ35 m)を主塔基部に据え付けることから始まった。V字形の柱2本が建ってから主桁を支える下段水平梁を架設し[36]、この時点で後述の海中ベントを建てて主桁大ブロックをベントに載せる工事が開始された[37]。従って主塔が完成してから主桁を架設したのではなく、主塔が上に伸びていく過程と並行して主桁も架設されたのである。下段水平梁より上は西大橋や東大橋のように工場でA形に組み上げたのち、現場に曳航して一括で架設[38]、完成するプロセスが中央大橋では採用出来なかった。主塔規模が大きすぎるためで、このため上部柱を29ブロックに分割の上、P-2はクローラークレーン、P-3はタワークレーンで1ブロック毎に吊り上げて溶接接合した[36]。ただし、上下水平梁上部はHTB(高力ボルト)で接合した[31][39]。
主桁
斜張橋のため風による振動が特に心配されたことから風の抵抗を軽減できる薄型を採用した。そして自動車や風等によるねじり変形に抗する強度確保や塗装等メンテナンスの容易さから一体型の多室箱型とされ[41]、両端に鋭角のフェアリングを取り付けた六角形が選択された。主桁両端にてケーブルを連結して吊り上げる2面吊り方式である。全幅は37.5 m、全高は3.5 mである[42]。また、メイン航路に架橋されることから主桁も非常に高く、T.P+63 m[40]、桁下空間は55 m[43](航路空間は47 m)である。
主塔高さもさることながら、中央大橋が他の2橋と大きく異なるのはその径間比である。側径間(P-1とP-2間、P-3とP-4間の径間)も航路となっていることから中央径間(P2とP3間)と並んで側径間も長く、その径間割は290 m+590 m+290 m(側径間と中央径間の比率は1:2)である。このレベルまで長いと側径間に自動車を載荷したあかつきには主桁が重量で沈み込むことで主塔が側径間側へ大きく変形する[44]。さらに中央径間の主桁が盛り上がることで主桁も大きくたわむ。この変形を抑え込むために当初設計段階では中央径間中央に重量物を載荷することが検討された[45]。この場合、重量増によって架設機材が大型化することに加え、下部工の負担が増すなど不利な要素が多く、ケーブル配置や張力を工夫することで対応することとして重量物は載荷なしとした[44]。
主桁架設は金城ふ頭側が水中ベント(Bent : 橋脚を意味するが日本では仮支柱をベントと呼ぶ。ステージングともいう[46])併用による張り出し架設工法(Cantilever : カレンチバー[47][48])、潮見ふ頭側がバランスド張り出し架設工法[48](バランシング工法)を採用した[49]。金城ふ頭側の場合、水中ベントを主塔近辺に設置のうえ、フローティングクレーン(船に載ったクレーン[50])によって主桁3ブロック(全長116 m - 150 m)を水中ベント上にまとめて載せた後にケーブルと連結させる[36]。つまりケーブル連結までは水中ベントで主桁を支える。内港航路にはベントを設置できないことから、架設した主桁に架設クレーンを置き、台船に積まれた主桁単ブロックを架設クレーンで吊り上げて連結し、併せてケーブル架設も行うことで[51]主桁は少しずつ中央部に向かって張り出されていく[52]。一方、潮見ふ頭側では航路の関係上水中ベントを設置出来ないためにバランシング工法を採用した[53]。P-3主塔両脇に斜ベントを設置してフローティングクレーンで主桁大ブロックを載せる。その後左右均等に単ブロックを継ぎ足し、左右のバランスを取りながら少しずつ主桁を伸ばしていく工法である。このバランスが崩れると一方に負荷がかかって主塔が曲がるなどの悪影響を及ぼす[52]。こうしてP-2、P-3の両主塔から伸長した主桁は最後の単ブロックを吊り上げることで併合する。この際、主桁接合を容易化するため左右の主桁をそれぞれ陸側に移動(セットバック)して左右主桁の間隔を押し広げる。台船から吊り上げた主桁は水平に吊り上げてははまらないため、一方を下げて傾斜しながら吊り上げて所定高さで水平を回復、セットバックを開放して左右主桁を中央に寄せて併合した[54]。1996年6月22日のことで、中央大橋が下部工を発注してから7年目のことであった[54]。
ケーブル
セミパラレルワイヤー(New PWSとも呼ばれる[55])で、直径7 mmの亜鉛メッキ鋼線を平行に束ね[23]、これを179本から398本までに結束したものを都合10種類製作した[2]。最も太いケーブルは直径173 mmで、最少は124 mmである[2]。主塔側を細いケーブルとして、そこから離れるに従って太くしている[2]。また最も太いケーブルは1本で2445 tの重量を支える強度があるが、全体では136本のケーブルで136000 tの重量を支えることが出来る[56]。ただし、安全率を高めに取っていることから実際はその2倍の強度を有する[56][23]。なお、ワイヤーにねじりを加えてその上から防錆、ケーブル保護のために高密度ポリエチレンを直接押し出して被覆したが、さらにその上に夜間におけるライティング効果を高めるためにフッ素樹脂を被膜してケーブルカラーを白とした[3]。このように中央大橋では主塔、主桁、ケーブルの全てが白で統一されている。
ケーブルは主塔から放射状(ファン型)に伸びて主桁に連結している。主桁の両サイドで連結する2面吊り方式で、17本(17本が8面あるため合計136本)のケーブルで支えるマルチケーブル配置である[2]。複数本あることから先述の張り出し架設工法およびバランシング工法で完成時のケーブルを架設時にも利用できるメリットがある[57]。
ケーブルは雨や風によって影響を受け、それがレインバイブレーションとして主桁や主塔に対して影響を与える。雨が降った場合、ケーブルを伝って流れる水みちができることがその原因とされ、振動防止策としてケーブルを水平ワイヤーで縦に連結することが考えられるが、それでは美観を損ねることから制震装置を装備している[56]。
脚注
注釈
- ^ 東京湾平均海面(T.P.)基準では195 m
出典
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- ^ a b c d e f 鈴木裕二(土木技術寄稿) 1997, p. 56.
- ^ a b 鈴木裕二(土木技術寄稿) 1997, p. 66.
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