コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「フィンランド湾」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
国際水路機関の「大洋と海の境界」の第3版
(3人の利用者による、間の4版が非表示)
1行目: 1行目:
{{Infobox ocean
[[ファイル:Baltic Sea map2.png|thumb|[地図上] [[バルト海]]とフィンランド湾<br>[地図下] フィンランド湾<br>北の[[フィンランド]]、南の[[エストニア]]、東の[[ロシア]]にはさまれている]]
|name = フィンランド湾
|image_bathymetry = Baltic Sea map2.png
|caption_bathymetry =上の地図は[[バルト海]]とフィンランド湾<br />下の地図はフィンランド湾の拡大図
|coords = {{Coord|59|50|N|26|00|E|dim:500000|display=inline,title}}
|type =
|inflow = [[ネヴァ川]]、[[ナルヴァ川]]、{{仮リンク|キュミ川|en|Kymi (river)}}など
|outflow =
|catchment =
|basin_countries = [[ロシア]]、[[フィンランド]]、[[エストニア]]
|length = {{convert|400|km|abbr=on}}
|width = {{convert|130|km|abbr=on}}
|area = {{convert|30000|km2|sqmi|abbr=on}}<ref name="EB" />
|depth = {{convert|38|m|ft|abbr=on}}
|max-depth = {{convert|115|m|ft|abbr=on}}
|volume =
|residence_time =
|salinity = 0.2から5.8[[パーミル]]
|shore =
|islands = [[コトリン島]]、[[マリー・ヴィソツキー島]]、[[ゴーグラント島]]など<ref name="Atlas_USSR" />
|cities = [[サンクトペテルブルク]]、[[ヘルシンキ]]、[[タリン]]
}}
'''フィンランド湾'''(フィンランドわん、{{lang-fi|Suomenlahti}}、{{lang-et|Soome laht}}、{{lang-sv|Finska viken}}、{{lang-ru|Фи́нский зали́в|r=Finskiy zaliv|p=ˈfʲinskʲɪj zɐˈlʲif}})は、[[バルト海]]東部にある[[湾]]。北の[[フィンランド]]、東の[[ロシア]]、南の[[エストニア]]に囲まれた東西約400kmの細長い[[湾]]である。


この湾に面する主要都市は、北岸にフィンランドの首都[[ヘルシンキ]]、南岸にエストニアの首都[[タリン]]、湾の東奥にロシアの[[サンクトペテルブルク]]がある。東の[[ネヴァ川]]はフィンランド湾に注いでいる。湾の東部はロシア領であり、{{仮リンク|プリモルスク (レニングラード州)|en|Primorsk, Leningrad Oblast|label=プリモルスク}}など重要な港がある。フィンランド湾はサンクトペテルブルクへの航路となっているため、ロシアにとっては戦略上の要地である。
'''フィンランド湾'''(フィンランドわん、{{lang-ru-short|Финский залив}}、{{lang-fi-short|Suomenlahti}}、{{lang-et|Soome laht}}、{{lang-sv|Finska viken}})は、[[バルト海]]東部にある[[湾]]。[[フィンランド]]、[[ロシア]]、[[エストニア]]に囲まれた東西約400kmの細長い[[湾]]である。


== 地理 ==
この湾に面する主要都市は、北岸にフィンランドの首都[[ヘルシンキ]]、南岸にエストニアの首都[[タリン]]、湾の東奥にロシアの[[サンクトペテルブルク]]がある。
[[ファイル:La2-demis-gulf-of-finland.png|thumb|left|300px|フィンランド湾、湾の周辺の青色部は[[湖沼]]]]
[[ファイル:Record sea ice in Gulf of Finland 2003.jpg|thumb|フィンランド湾の結氷を示す[[衛星画像]]、2003年1月。]]
フィンランド湾の面積約3万平方kmであり<ref name="EB">[http://www.britannica.com/EBchecked/topic/207525/Gulf-of-Finland Gulf of Finland] Encyclopædia Britannica</ref>、東西の長さは[[ハンコ半島]]から[[サンクトペテルブルク]]までの400kmで、南北は入り口が70kmで、最も広いところは{{仮リンク|モシュチヌイ島|en|Moshchny Island}}のところで130kmとなっている。さらに奥に進むとだんだん狭くなり、{{仮リンク|ネヴァ湾|en|Neva Bay}}で13kmまで縮む。水深はやや浅く、湾への入り口から大陸までだんだんと浅くなるが、{{仮リンク|ナルヴァ=ヨエスー|en|Narva-Jõesuu}}で急激に浅くなるため「ナルヴァの壁」とも呼ばれる。平均水深は38mで、最も水深の深いところは100mになっている。多くの河川がフィンランド湾に注ぐため(うち[[ネヴァ川]]は流量の3分の2を占める)[[塩分濃度]]が低く、水面は0.2から5.8[[パーミル]]で水底は0.3から8.5パーミルとなっている。平均水温は冬では0[[セルシウス度]]に近く、夏では水面が15から17度、水底が2から3度になっている。11月末から4月末にかけて、湾の一部が結氷することがあり、結氷は湾の東部から始まって西へと伸びる。一般的には1月末までに湾の全体が結氷するが、暖かい冬では湾の一部しか結氷しないこともある<ref>{{Cite book|url=https://books.google.com/books?id=ouOA81nGkGkC&pg=PA336&lpg=PA336&dq=gulf+%22freezes+completely%22+finland#v=onepage&q=gulf%20%22freezes%20completely%22%20finland&f=false|page=336|title=Operational oceanography: the challenge for European co-operation : proceedings of the First International Conference on EuroGOOS, 7–11 October 1996, The Hague, The Netherlands, Volume 1996|publisher=Elsevier|isbn=0-444-82892-3}}</ref>。強い西風が吹くことが多く、荒波や増水、ひいては{{仮リンク|サンクトペテルブルクの洪水|en|Floods in Saint Petersburg|label=サンクトペテルブルクで洪水を引き起こす}}こともある<ref name="SPb Entsiklopediya" /><ref name="Leningradskaya oblast">Darinskii, A. V. [https://books.google.com/books?id=dHJ2HAAACAAJ ''Leningrad Oblast'']. Lenizdat, 1975.</ref>。


湾の北岸は曲がりくねていて小さな入り江や{{仮リンク|スケリー|en|Skerry}}が多く、大きな湾([[ヴィボルグ]])や半島([[ハンコ半島]]と[[ポルッカラ]])は少ない。海岸は斜面になっているところが大部分であり、砂丘も多く、[[マツ]]の木もまばらにある<ref name="SPb Entsiklopediya" />。南岸は水深が浅く海岸線も平坦になっているが、南岸全体が{{仮リンク|バルト・クリント|en|Baltic Klint}}という絶壁で高さが55mまでとなっている<ref name=envir.ee>{{cite web|url=http://www.envir.ee/klint/eng/17.html|title=East Viru Klint|work=North Estonian Klint as a symbol of Estonian nature|publisher=Ministry of the Environment|accessdate=2009-10-06}}</ref><ref name="Geologicheskie pamyatniki">{{Cite book|author = Khazanovich K.|title = Geological Monuments of Leningrad Oblast|publisher = Lenizdat|year = 1982}}</ref>。湾の東はネヴァ湾まで続き、西は[[バルト海]]と合流する。
西方向に開けた湾で、面積約3万平方km<ref>[http://www.britannica.com/EBchecked/topic/207525/Gulf-of-Finland Gulf of Finland] Encyclopædia Britannica</ref>、平均水深40mほどで、冬には結氷する。[[ヴォルガ・バルト水路]]により[[ラドガ湖]]、[[ヴォルガ川]]などと結ばれている。[[コトリン島]]をはじめ、大小多くの島がある[[多島海]]である。

フィンランド湾には多くのスケリーや島嶼がある。そのうち、より大きいものには[[クロンシュタット]](人口42,800)のある[[コトリン島]]、{{仮リンク|ベリョゾヴィエ諸島|en|Beryozovye Islands}}、リシイ島({{lang|en|Lisiy}})、{{仮リンク|ヴィソツク|en|Vysotsk}}(人口1,706)の隣にある[[マリー・ヴィソツキー島]]、[[ゴーグラント島]]、{{仮リンク|モシュチヌイ島|en|Moshchny Island}}、{{仮リンク|ボルショイ・テュテルス島|en|Bolshoy Tyuters}}、{{仮リンク|ソンメルス島|en|Sommers}}、{{仮リンク|ナイサール島|en|Naissaar}}、{{仮リンク|ケミオンサーリ島|en|Kimitoön (island)}}、{{仮リンク|コカル島|en|Kökar}}、{{仮リンク|セスカル島|en|Seskar}}、{{仮リンク|パクリ諸島|en|Pakri Islands}}などがある<ref name="Atlas_USSR">Atlas of the USSR. – M.: GUGK, 1984</ref>。

フィンランド湾に注ぐ河川のうち最も大きいものは東から注ぐ[[ネヴァ川]]、南から注ぐ[[ナルヴァ川]]、北から注ぐ{{仮リンク|キュミ川|en|Kymi (river)}}である。他の河川には南から注ぐ{{仮リンク|ケイラ川|en|Keila (river)}}、{{仮リンク|ピリタ川|en|Pirita (river)}}、{{仮リンク|イェガラ川|fr|Jägala}}、{{仮リンク|クンダ川|de|Kunda (Fluss)}}、[[ルーガ川]]、{{仮リンク|シスタ川|ru|Систа (река)}}、{{仮リンク|コヴァシ川|ru|Коваши (река)}}、北から注ぐ{{仮リンク|セストラ川 (レニングラード州)|en|Sestra River (Leningrad Oblast)|label=セストラ川}}、{{仮リンク|ポルヴォー川|en|Porvoonjoki}}、[[ヴァンター川]]などがある。また、[[サイマー湖]]とは[[サイマー運河]]で結ばれている<ref name="Atlas_USSR" />。

1700年以降、ロシアはフィンランド湾に要塞化された人工島を19つ建設した。人工島建設の目的は海路からの攻撃を防ぐためであり、1700年から1721年までの[[大北方戦争]]によりその建設が加速した。ロシアが建設した人工島には{{仮リンク|アレクサンドル砦 (サンクトペテルブルク)|en|Fort Alexander (Saint Petersburg)|label=アレクサンドル砦}}、{{仮リンク|クラスナヤ・ゴルカ砦|en|Krasnaya Gorka fort}}、{{仮リンク|イノ砦|en|Fort Ino}}、トートレーベン砦({{lang|en|Totleben}})、クロンシュロット砦({{lang|en|Kronshlot}})などがある<ref>[http://www.fingulf.ru/fort/ Gulf of Finland – Forts]. Fingulf.ru. Retrieved on 2011-08-14.</ref>。

[[国際水路機関]]の「大洋と海の境界」の第3版では、[[エストニア]]の{{仮リンク|スピットハミ|en|Spithami}}({{lang|et|Spithami}})から北西の{{仮リンク|オスムサール島|en|Osmussaar}}、続いて[[フィンランド]]の[[ハンコ半島]]の南西端によって囲まれた海域としている<ref>{{cite web|url=http://www.iho.int/iho_pubs/standard/S-23/S-23_Ed3_1953_EN.pdf|title=Limits of Oceans and Seas, 3rd edition|year=1953|publisher=International Hydrographic Organization|accessdate=6 February 2010}}</ref>。

== 地質史 ==
約3億から4億年前の[[古生代]]、現代のフィンランド湾にあたる場所はその全体が海となっていた。現代の地形は[[氷河]]活動によるものであり、氷河の後退により{{仮リンク|リットリナ海|en|Littorina Sea}}が形成したが、その水位は現代のバルト海より7から9メートル高い。紀元前約2千年、海の水位が下がったことで浅瀬がそのまま島嶼になった<ref>{{Cite book|url=https://books.google.com/books?id=LElrclnl0C8C&pg=PA217|pages=217–219|title=Climate development and history of the North Atlantic realm|first=Gerold|last=Wefer|publisher=Springer|year=2002|isbn=3-540-43201-9}}</ref><ref name="Geografiya Leningrada">{{Cite book|last = Darinskii |first=A.V.|title = Geography of Leningrad|publisher = Lenizdat|year = 1982|pages = 12–18|url=https://books.google.com/books?id=KuRdPAAACAAJ}}</ref>。{{仮リンク|バルト楯状地|en|Baltic Shield}}の上昇によりフィンランド湾の形状に変化が生じ、北岸が南岸よりもはるかに高い地形が形成した<ref name="SPb Entsiklopediya">Saint Petersburg: Encyclopedia. – Moscow: Russian Political Encyclopedia. 2006 {{ISBN2|5-8110-0107-X}}</ref>。

{| Class="wikitable" style="text-align: center"
|+
| style="width:25px;"|[[ファイル:Komarovo bereg.jpg|center|190px]]
| style="width:25px;"|[[ファイル:Ryssänsaari IM 2619 C.JPG|center|205px]]
| style="width:25px;"|[[ファイル:Finnish gulf near Tallinn.JPG|center|190px]]
| style="width:25px;"|[[ファイル:Finland gulf.jpg|center|215px]]
|-
|{{仮リンク|コマロヴォ (サンクトペテルブルク)|en|Komarovo, Saint Petersburg|label=コマロヴォ}}近くのフィンランド湾海岸、2006年撮影
|[[ヘルシンキ]]近くの島嶼、2008年撮影
|{{仮リンク|聖オラフ教会 (タリン)|en|St. Olaf's Church, Tallinn|label=聖オラフ教会}}から眺望できるフィンランド湾、2008年撮影
|フィンランド湾にいる漁師、2004年撮影
|}
{| Class="wikitable" style="text-align: center"
|-
| style="width:25px;"|[[ファイル:Haven Kronstadt 20080403 3.JPG|center|210px]]
| style="width:25px;"|[[ファイル:San Petersburgo, panorámica del Rio Neva.JPG|center|290px]]
| style="width:25px;"|[[ファイル:Suursaari.jpg|center|310px]]
|-
|冬の[[クロンシュタット]]、2008年撮影
|フィンランド湾から見る、[[ネヴァ川]]のパノラマ、2008年撮影
|[[コトカ]]から見る[[ゴーグラント島]]、2006年撮影
|}

== 生物 ==
[[ファイル:Malusi hülged 02.jpg|thumb|エストニア領の{{仮リンク|マルシ諸島|en|Malusi islands}}はフィンランド湾における[[ハイイロアザラシ]]の主な生息地である。]]
フィンランド湾の気候は[[湿潤大陸性気候]]となっており、夏は温暖か暑い気候であるが冬は寒く、厳しい冬となることもある。年間を通して降水する。植物は[[球果植物門|球果植物]]と[[落葉性]]植物が多い森のほか、沿岸では木も少ない牧草地や崖となっている。森で多く見られる植物は[[マツ|松]]、[[オウシュウトウヒ]]、[[カバノキ属|カバノキ]]、[[ヤナギ]]、[[ナナカマド]]、[[ヤマナラシ]]、{{仮リンク|セイヨウヤマハンノキ|en|Alnus glutinosa}}、{{仮リンク|セイヨウハンノキ|en|Alnus incana}}などである。湾の東部の奥地では{{仮リンク|ガマ属|en|Typha}}、{{仮リンク|ヨシ属|en|Phragmites}}が主であるが、{{仮リンク|セイヨウスイレン|en|Nymphaea alba}}、{{仮リンク|ネムロコウホネ|en|Nuphar lutea}}、[[:en:Carex acuta|Carex acuta]]([[スゲ属]]の一種)などの水草もある。湾の浅瀬には{{仮リンク|カワツルモ科|en|Ruppia|label=カワツルモ}}や[[イバラモ]]などが生息する<ref name="Finsky bay of the Baltic Sea-Priroda">[http://www.fingulf.ru/nature/ Gulf of Finland – Nature]. Fingulf.ru. Retrieved on 2011-08-14.</ref>。

フィンランド湾に生息する魚には[[タイセイヨウサケ]]、[[:en:Viviparous eelpout|Zoarces viviparus]]({{仮リンク|ナガガジ属|en|Zoarces}}の一種)、[[ハゼ]]、[[:en:Leucaspius delineatus|Leucaspius delineatus]]([[ウグイ亜科]]の1種)、{{仮リンク|ドジョウ属|en|Misgurnus|label=ドジョウ}}、[[チャブ]]、[[ミノー]]、{{仮リンク|シルバーブリーム|en|Blicca bjoerkna}}、[[デイス]]、[[ラッフ]]、[[ヨーロッパブナ]]、[[トゲウオ科|トゲウオ]]、[[:en:European smelt|Osmerus eperlanus]]({{仮リンク|キュウリウオ属|en|Osmerus}}の一種)、[[ラッド (魚類)|ラッド]]、[[ブラウントラウト]]、[[テンチ]]、{{仮リンク|楊子魚|en|Pipefish}}、[[カワメンタイ]]、[[ヨーロピアンパーチ]]、{{仮リンク|ゴビオ|en|Gobio gobio}}、{{仮リンク|ランプサッカー|en|Cyclopterus lumpus}}、{{仮リンク|ローチ属|en|Rutilus|label=ローチ}}、[[ヤツメウナギ]]、{{仮リンク|モトコクチマス|en|Coregonus albula}}、[[ガーフィッシュ]]、[[ホワイトフィッシュ]]、[[ブリーム]]、[[パイクパーチ]]、[[:en:Ide (fish)|Leuciscus idus]]([[コイ科]]の一種)、[[ノーザンパイク]]、{{仮リンク|タイリクシマドジョウ|en|Spined loach}}、[[ヨーロピアンスプラット]]、[[タイセイヨウニシン]]、[[Pelecus cultratus]]、{{仮リンク|ブリーク (魚)|en|Common bleak|label=ブリーク}}、[[ヨーロッパウナギ]]、[[タイセイヨウダラ]]がある<ref name="Rybolovnye page Sankt-Peterburga">[http://www.fishers.spb.ru/lakes02.html Fishing page of Saint-Petersburg]. Fishers.spb.ru. Retrieved on 2011-08-14.</ref>。フィンランド湾における{{仮リンク|商業漁獲|en|Commercial fishing}}は春と秋に行われる。[[ハイイロアザラシ]]と[[ワモンアザラシ]]も見られるが、ワモンアザラシについては稀にしか見られない<ref name="Finsky bay of the Baltic Sea-Priroda" />。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
=== 中世まで ===
[[ファイル:La2-demis-gulf-of-finland.png|thumb|left|300px|フィンランド湾、湾の周辺の青色部は[[湖沼]]]]
{{See also|フィンランドの歴史|エストニアの歴史}}
フィンランド湾は約4,000年前に{{仮リンク|リットリナ海|en|Littorina Sea}}の一部として、原型が形成されたとされている
フィンランド湾海岸では9千年前までたどれる遺跡が見つかっている。氷河の後退により{{仮リンク|リットリナ海|en|Littorina Sea}}が形成、リットリナ海の水位も下がると人類がフィンランド湾海岸に住むようになった。1905年以降、{{仮リンク|セストラ川 (レニングラード州)|en|Sestra River (Leningrad Oblast)|label=セストラ川}}の河口で[[新石器時代]]の集落の遺跡が約11か所見つかっている。これらの遺跡で[[鏃]]と[[石英]]製のこて、多くの食器、たき火のあとなどが見つかっているが、いずれも農業や[[畜産]]ではなく狩猟を示す証拠となっている<ref name="Geologicheskie pamyatniki" />。
<ref>{{Cite book|url=http://books.google.com/books?id=LElrclnl0C8C&pg=PA217|pages=217–219|title=Climate development and history of the North Atlantic realm|author=Gerold Wefer|publisher=Springer|year=2002|isbn=3-540-43201-9}}</ref><ref name="Geografiya Leningrada">{{Cite book|author = Darinskii, A.V.|part =|title = Geography of Leningrad|publisher = Lenizdat|year = 1982|pages = 12–18|url=http://books.google.com/books?id=KuRdPAAACAAJ}}</ref>。


[[ファイル:Nicholas Roerich, Guests from Overseas.jpg|thumb|''海を越えて来た客''、[[ニコライ・リョーリフ]]作、1899年。]]
[[近世]]には、[[ロシア帝国]]、[[スウェーデン]]の[[制海権]]の争奪戦が行われた。主な[[海戦]]は、[[ハンゲの海戦]]、[[スヴェンスクスンドの海戦]]などである。ロシア帝国の時代、サンクトペテルブルクはロシアの首都であった。
その後、[[フィン・ウゴル系民族]]がフィンランド湾海岸に住むようになった。[[エストニア人|エスティ族]](または[[チュヂ族]])が現エストニアにあたる地域に住み、{{仮リンク|ヴォート人|en|Votes}}が湾の南に住み、[[イジョラ人]]がネヴァ川の南に住んだ。[[カレリア人|コレラ部族]]は[[ラドガ湖]]の西に定住した<ref name="BRE">Great Russian Encyclopedia. "Russia". 2004</ref>。8世紀と9世紀の間には[[東スラヴ人]]、特に[[スロヴェネ族]]と[[クリヴィチ族]]がネヴァ川両岸とフィンランド湾海岸に住むようになった。東スラヴ人は[[焼畑農業]]、畜産、狩猟、漁業を行った。8世紀から13世紀までの間、フィンランド湾とネヴァ川は[[スカンディナヴィア]]から[[東ヨーロッパ]]を通って[[東ローマ帝国]]に向かう水路の一部となった。

9世紀以降、湾の東岸が[[ノヴゴロド公国]]領になり、「ヴォツカヤ・ピャティナ」({{lang|en|Vodskaya Pyatina}})と呼ばれた。1219年の十字軍と{{仮リンク|リンダニセの戦い|en|Battle of Lyndanisse}}の結果、エストニア北部が{{仮リンク|デンマーク領エストニア|en|Danish Estonia}}となった<ref name="Strany and narody">Countries and Peoples: USSR. Baltic republics. Belarus. Ukraine. Moldova. – Moscow: Mysl, 1984.</ref>。12世紀、レヴァル市({{lang-la|Revalia}}、{{lang-ru|Колыва́нь}}、現[[タリン]])が成立した<ref name="GES">A. F. Treshnikov [https://books.google.com/books?id=27zCPQAACAAJ Encyclopedic Dictionary of Geography: Geographical names] – Moscow: Soviet Encyclopedia, 1983.</ref>。{{仮リンク|聖ユリエの夜の蜂起|en|Saint George's Night Uprising|label=1343年のエストニア蜂起}}により、エストニア北部は[[ドイツ騎士団]]に奪われ、デンマークも1346年にその売却を決定した。[[リヴォニア戦争]]中の1559年、[[テッラ・マリアナ]]の{{仮リンク|カトリック・エーゼル=ヴィーク司教区|en|Roman Catholic Diocese of Ösel–Wiek}}の司教が領地を3万[[ターラー (通貨)|ターラー]]でデンマーク王[[フレゼリク2世 (デンマーク王)|フレゼリク2世]]に売却した。フレゼリク2世はこの領地を弟の{{仮リンク|マグヌス (ホルシュタイン公)|en|Magnus, Duke of Holstein|label=マグヌス}}に与え、マグヌスは1560年に軍を率いて[[サーレマー島]]に上陸した<ref>{{Cite book|title=Eastern Europe |last=Frucht |first=Richard |authorlink= |year=2005 |publisher=ABC-CLIO |location= |isbn=1-57607-800-0 |url=https://books.google.com/books?id=lVBB1a0rC70C&dq |page=70 }}</ref>。サーレマー島全体は1573年にデンマーク領になり、1645年にスウェーデンに割譲された<ref name="Strany and narody"/><ref>{{Cite book|title=Estonia, Latvia & Lithuania |last=Williams |first=Nicola|author2=Debra Herrmann |author3=Cathryn Kemp |year=2003 |publisher=University of Michigan |isbn=1-74059-132-1 |url=https://books.google.com/books?q=%22Saaremaa+became+a+Danish+possession+in+1573%22&btnG=Search+Books |page=190}}</ref>。

12世紀と13世紀の間、フィンランド湾の北部にあるフィンランドの部族はスウェーデン人に征服され、スウェーデン人は続いてスラヴ人の征服に取り掛かった。両部族のはじめての遭遇は1142年にスウェーデン船60隻がロシア商船3隻に攻撃したときとされている。1256年にスウェーデンからの攻撃を受けた後、[[アレクサンドル・ネフスキー]]率いるロシア軍は氷結したフィンランド湾を渡って現代のフィンランドにあたるスウェーデン領を襲撃した。1293年、スウェーデンの{{仮リンク|トルケル・クヌートソン|en|Torkel Knutsson}}が{{仮リンク|ヴィボルグ城|en|Vyborg Castle}}と[[ヴィボルグ]]市を建設したが、ヴィボルグ城の領有をめぐってスウェーデンと[[ノヴゴロド公国|ノヴゴロド共和国]]が数十年間にわたって抗争し、1323年の{{仮リンク|ノーテボリ条約|en|Treaty of Nöteborg}}でスウェーデン領となることで決着した。その後、ヴィボルグは1495年から1497年までの{{仮リンク|ロシア・スウェーデン戦争 (1495年-1497年)|en|Russo-Swedish War (1495–97)|label=ロシア・スウェーデン戦争}}では{{仮リンク|ダニール・シェニャ|en|Daniil Shchenya}}による長期間の包囲に耐えた。ヴィボルグの貿易特権は1403年に[[エーリク7世 (デンマーク王)|エーリク・ア・ポンメルン]]国王により{{仮リンク|勅許状|en|Royal charter}}で正式に承認された。ヴィボルグは[[大北方戦争]]中の1710年に[[ピョートル1世]]に占領されるまでスウェーデン領に留まった<ref name="hist">V. A. Ezhov [https://books.google.com/books?id=7GQdAAAAMAAJ ''Leningrad Oblast: a historical sketch''], Lenizdat, 1986.{{ru icon}}</ref>。

1323年の{{仮リンク|ノーテボリ条約|en|Treaty of Nöteborg}}はスウェーデンとロシアの国境をセストラ川に定めた。15世紀、ノヴゴロド共和国の[[イジョラ人]]領だった土地が[[モスクワ大公国]]に帰属した。1550年、スウェーデン王[[グスタフ1世 (スウェーデン王)|グスタフ1世]]が[[ヘルシンキ|ヘルシングフォシュ]](現ヘルシンキ)を創建した<ref name="GES" />。ロシアが1610年から1617年までの{{仮リンク|イングリア戦争|en|Ingrian War}}で敗北して[[ストルボヴァの和約]]を締結すると、フィンランド湾とネヴァ川の領土が{{仮リンク|スウェーデン領イングリア|en|Swedish Ingria}}の一部となった。その首都の{{仮リンク|ニエンシャンツ|en|Nyenschantz|label=ニエン}}はネヴァ川の河口の三角州に位置した<ref name="hist" />。

=== 大北方戦争以降 ===
{{See also|{{仮リンク|サンクトペテルブルクの歴史|en|History of Saint Petersburg}}|レニングラード包囲戦}}
1700年から1721年までの大北方戦争に勝利したことで、ロシアはフィンランド湾東部を奪回した。1703年5月16日、ニエンの近く、同じくネヴァ川の河口でサンクトペテルブルクが創建され、1712年にはロシアの首都にもなった。サンクトペテルブルクをスウェーデン艦隊の攻撃から守るべく、1704年5月には[[コトリン島]]近くで人工島が作られ、そこで{{仮リンク|クロンシュロット|de|Kronschlot}}要塞が築かれた。1705年までにさらに5要塞が築かれ、[[クロンシュタット]]市を形成した。これらの要塞は同時代の人々に「ロシアの[[ダーダネルス海峡]]」と呼ばれ、フィンランド湾の[[制海権]]を得るために設計されたものだった<ref>{{Cite book|last = Lisaevich |first = Irina Ignatyevna|title = Domenico Trezzini|publisher = Lenizdat|year = 1986|pages = 20–26}}</ref>。

1710年、フィンランド湾南岸で[[ペテルゴフ]]と[[ロモノソフ|オラニエンバウム]]が創設された。1714年7月27日、[[ハンコ半島]]近くで行われた[[ハンゲの海戦]]においてロシア海軍がスウェーデン艦隊に大勝した<ref name="BRE" />。大北方戦争は1721年の[[ニスタット条約]]により終結、ロシアはネヴァ川沿岸とフィンランド湾両岸の領地、[[エストニア|エストランド]]、{{仮リンク|スウェーデン領リヴォニア|en|Swedish Livonia}}、そしてヴィボルグを含む[[カレリア地峡]]西部を得た。しかし、フィンランドはスウェーデンに返還された<ref name="Sinhronicheskie tablitsy">Lurie, F.M. ''Russian and world history in the tables: Synchronic table.'' – SPb.: Caravelle, 1995.</ref>。ロシア・スウェーデン間の戦争は1788年から1790年までの[[第一次ロシア・スウェーデン戦争|グスタフ3世のロシア戦争]]で再開、1788年7月6日には[[ゴーグラント島]]近くで{{仮リンク|フーグランド島の海戦|en|Battle of Hogland}}が起こった。この戦闘も戦争も決着がつけられることはなく、結果的には領土変更なしとなった<ref name="BRE" />。なお、この戦争では{{仮リンク|スヴェンスクスンドの海戦 (1790年)|en|Battle of Svensksund|label=スヴェンスクスンドの海戦}}という戦闘が起こったが、こちらは「フィンランド湾の海戦」と呼ばれることもある。

次のロシア・スウェーデン戦争は1808年から1809年までの[[第二次ロシア・スウェーデン戦争|フィンランド戦争]]である。戦争の結果は[[フレデリクスハムンの和約]]によりフィンランドと[[オーランド諸島]]がロシアに割譲された。1809年に新しく成立した[[フィンランド大公国]]は[[ロシア帝国]]の枠内で大幅な自治を得、[[カルヤラ (伝統州)|西カレリア]]がフィンランドに返還された<ref>David Kirby (2006) A concise history of Finland. Cambridge University Press. {{ISBN2|978-0-521-53989-0}}</ref>。1917年12月6日、フィンランド議会は[[フィンランド独立宣言]]を採択した。1939年から1940年までの[[冬戦争]]により西カレリアが[[ソビエト連邦]]に併合された<ref name="BRE" />。

一方、エストニアは1918年2月24日に独立を宣言、{{仮リンク|エストニア独立戦争|en|Estonian War of Independence}}を戦った。エストニア共和国は1940年まで存続した後、ソビエト連邦に併合された<ref name="Strany and narody" />。1991年に[[ソ連崩壊|ソビエト連邦が崩壊]]すると、エストニアが独立を回復した。

<center>
{| Class="wikitable" style="text-align: center"
|+
| style="width:25px;"|[[ファイル:Gangut.jpg|center|220px]]
| style="width:25px;"|[[ファイル:Desprez - Battle of Hogland.jpg|center|220px]]
| style="width:25px;"|[[ファイル:Russian victory vyborg.jpg|center|200px]]
|-
|[[ハンゲの海戦]]
|{{仮リンク|フーグランド島の海戦|en|Battle of Hogland}}<br />{{仮リンク|ルイ・ジャン・デプレ|en|Louis Jean Desprez}}作。
|{{仮リンク|ヴィボルグ湾の海戦 (1790年)|en|Battle of Vyborg Bay (1790)|label=ヴィボルグ湾の海戦}}<br />[[イヴァン・アイヴァゾフスキー]]作、1846年。
|}
</center>

[[第二次世界大戦]]中、フィンランド湾ではいくつかの大規模な海戦が起こった。1941年8月、{{仮リンク|ソビエト連邦のタリン撤退|en|Soviet evacuation of Tallinn}}において、ソ連の[[バルト海艦隊]]がタリンからクロンシュタットへ撤退しようとしたが、ドイツ軍に[[駆逐艦]]5隻、[[潜水艦]]2隻、[[警備艦]]3隻、[[掃海艇|掃海艦]]2隻、[[砲艦]]2隻、[[高速魚雷艇]]1隻、そして輸送船と支援船43隻を沈められるという大損害を被った。沈没船のうち数隻はまだ{{仮リンク|ユミンダ半島|de|Juminda|label=ユミンダ岬}}の近く、フィンランド湾の海底に残っており、ユミンダ岬にはこの海戦の死者の記念碑が立てられている<ref>[http://www.world-war.ru/printer_852.html Tallinn transition 1941. War at Sea] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090912135623/http://www.world-war.ru/printer_852.html |date=12 September 2009 }}. World-war.ru. Retrieved on 2011-08-14.</ref><ref>Platonov, A.V. [http://militera.lib.ru/h/platonov_av/03.html Tragedies of the Gulf of Finland]. Penguin Books, Saint Petersburg: Terra Fantastica, 2005</ref>。

1978年、サンクトペテルブルクを{{仮リンク|サンクトペテルブルクの洪水|en|Floods in Saint Petersburg|label=洪水}}から守るための{{仮リンク|サンクトペテルブルク・ダム|en|Saint Petersburg Dam}}建設が始まったが、工事が6割まで進んだ段階となった1980年代末期にソ連崩壊と関連した財政の問題により工事が停止した。工事はその後、2001年に再開され、2011年8月までに完了した<ref name="SPb Entsiklopediya" /><ref name="Damba">[http://www.spb-projects.ru/showpage.php?id=600 Dam. A Complex of protection measures of Saint Petersburg against Flood]. Spb-projects.ru. Retrieved on 2011-08-14.</ref>。

== 経済 ==
フィンランド湾の南部は[[レニングラード原子力発電所]]のほか、多くの港や自然と歴史景観が存在する。航海はフィンランド湾で行われる主な経済活動である。フィンランド湾に面する主な港口都市とその取扱い品物は下記の通りである。
*ロシア:{{仮リンク|サンクトペテルブルク港|en|Big port Saint Petersburg|label=サンクトペテルブルク}}(全種類)、[[クロンシュタット]]([[コンテナ]]輸送)、[[ロモノソフ]](一般貨物、コンテナ、金属)、[[ヴィボルグ]](一般貨物)、{{仮リンク|プリモルスク (レニングラード州)|en|Primorsk, Leningrad Oblast|label=プリモルスク}}(石油製品)、{{仮リンク|ヴィソツク|en|Vysotsk}}(石油と石炭)、{{仮リンク|ウスト=ルガ|en|Ust-Luga}}({{仮リンク|バルチック・パイプライン・システム-II|en|Baltic Pipeline System-II|label=石油}}、石炭、木材、コンテナ)<ref>[http://portnews.ru/digest/188/ Ports of the Gulf of Finland]. Portnews.ru (29 November 2004). Retrieved on 2011-08-14.</ref>
*フィンランド:[[ヘルシンキ]](コンテナ)、[[コトカ]](コンテナ、木材、農業製品、ロシアへの貨物の再輸出)、[[ハンコ]](コンテナ、車)、[[トゥルク]](コンテナ、鉄道フェリー)<ref>[http://www.logistics.ru/9/5/i20_23921p3.htm Ports. Changes in the Finnish ports]. Logistics.ru. Retrieved on 2011-08-14.</ref>、{{仮リンク|キルピラハティ|fi|Kilpilahti}}([[石油精製]])
*エストニア:[[タリン]](穀物、冷蔵庫、石油)、[[パルティスキ]]、[[シッラマエ]]

フィンランド湾は[[ヴォルガ・バルト水路]]と[[白海・バルト海運河]]の一部であり、輸送される主な品物は[[コラ半島]]の[[燐灰石]]、[[カレリア]]の[[花崗岩]]と緑色岩、[[アルハンゲリスク州]]と[[ヴォログダ州]]の木材、[[チェレポヴェツ]]の[[第一鉄]]、[[ドンバス]]と{{仮リンク|クズネツク盆地|en|Kuznetsk Basin}}の石炭、[[ウラル山脈]]の[[黄鉄鉱]]、[[ソリカムスク]]の[[塩化カリウム]]、[[アブシェロン半島]]の石油、そしてロシアの多くの地域からの穀物である<ref name="INFOFLOT.RU">[http://www.map.infoflot.ru/region_europe/index_euro.htm Russian river fleet and tourism, INFOFLOT.RU]. Map.infoflot.ru. Retrieved on 2011-08-14.</ref>。

フィンランド湾の[[旅客輸送]]はには[[フェリー]]の航路があり、フィンランドのヘルシンキとハンコ、[[オーランド諸島]]の[[マリエハムン]]、スウェーデンの[[ストックホルム]]と[[カペルシャー]]、エストニアのタリンと[[パルティスキ]]、[[ドイツ]]の[[ロストック]]、ロシアの[[カリーニングラード]]などを繋いでいる<ref>[http://www.prohotel.ru/news-20286/0/ Из Петербурга в Хельсинки на пароме] (From Saint Petersburg to Helsinki by ferry). prohotel.ru. 7 July 2008</ref><ref>[http://www.esline.ru/stellalines.html Ferry traffic between Finland and Russia starts in April 2010]. Esline.ru. Retrieved on 2011-08-14.</ref><ref>[http://www.expert.ru/printissues/northwest/2010/03/news_week/ News of the week-Expert Online 2.0], expert.ru</ref>。

フィンランド湾において歴史的に行われてきた主な経済活動に漁業があり、特に北岸のヴィボルグ、プリモルスクの近く、および南岸のウスト=ルガの近くで盛んである<ref name="Leningradskaya oblast" />。主な商業漁獲は[[ニシン科|ニシン]]、[[ヨーロピアンスプラット]]、[[:en:European smelt|Osmerus eperlanus]]({{仮リンク|キュウリウオ属|en|Osmerus}}の一種)、{{仮リンク|モトコクチマス|en|Coregonus albula}}、[[ブリーム]]、{{仮リンク|ローチ属|en|Rutilus|label=ローチ}}、[[ペルカ属|ペルカ]]、[[ヨーロッパウナギ]]、[[ヤツメウナギ]]などである<ref name="Geografiya Leningrada2">{{Cite book|last = Darinskii |first = A.V.|part =|title = Geography of Leningrad|publisher = Lenizdat|year = 1982|pages = 30–34|url=https://books.google.com/books?id=KuRdPAAACAAJ}}</ref>。2005年時点ではサンクトペテルブルクとレニングラード州の漁船の漁穫だけで2千トンに上る<ref name="SPBLAND.RU" />。

2005年9月、ヴィボルグとドイツの[[グライフスヴァルト]]を繋ぐ[[天然ガスパイプライン]]である[[ノルド・ストリーム]]の建設合意が締結された。その1系列目は2011年に稼働することが予想され<ref name="Nord Stream">[http://www.nord-stream.com/ru/the-pipeline.html Nord Stream]. Nord Stream. Retrieved on 2011-08-14.</ref>、その予想通りに1系列目が2011年5月に完成、同年11月8日に稼働した<ref name="spiegel081111">{{cite news | url = http://www.spiegel.de/international/europe/0,1518,796611,00.html | title = Controversial Project Launched: Merkel and Medvedev Open Baltic Gas Pipeline | newspaper = Spiegel Online | date = 8 November 2011 | accessdate = 8 November 2011}}</ref><ref name="ft081111">{{cite news | url = http://www.ft.com/intl/cms/s/0/51ea636e-0a14-11e1-8d46-00144feabdc0.html | first1 = Gerrit | last1 = Wiesmann | title = Russia-EU gas pipeline delivers first supplies | newspaper = Financial Times | date = 8 November 2011 | accessdate = 8 November 2011}}</ref>。2系列目は2012年10月8日に稼働を開始した<ref>{{cite web | url = https://www.nord-stream.com/press-info/press-releases/nord-stream-five-years-of-successful-gas-supply-to-europe-497/ | title = Nord Stream – Five Years of Successful Gas Supply to Europe | publisher = [[ノルド・ストリーム|Nord Stream]] | date = 16 October 2017 | accessdate = 9 November 2017}}</ref>。

<center>
{| Class="wikitable" style="text-align: center"
|+
| style="width:25px;"|[[ファイル:St Petersburg port scene.jpg|center|210px]]
| style="width:25px;"|[[ファイル:Tallinn port.jpg|center|190px]]
| style="width:25px;"|[[ファイル:Central Helsinki from plane.jpg|center|210px]]
| style="width:25px;"|[[ファイル:Stroy-b-3.JPG|center|190px]]
|-
|{{仮リンク|サンクトペテルブルク港|en|Big port Saint Petersburg}}、2003年撮影。
|[[タリン]]港の近く、2005年撮影。
|[[ヘルシンキ]]の[[鳥瞰図]]、2004年撮影。
|{{仮リンク|サンクトペテルブルク・ダム|en|Saint Petersburg Dam}}、2007年撮影。
|}
</center>

== 考古学 ==
[[ファイル:Laevavrakk "Kazanets".JPG|thumb|エストニアの{{仮リンク|オスムサール島|en|Osmussaar}}近くにある、1916年に沈没した{{仮リンク|カザネツ (駆逐艦)|et|Kazanets|label=カザネツ}}。2013年撮影。]]
フィンランド湾の海底は世界最大の{{仮リンク|船の墓場|en|Ship graveyard}}の1つである。[[塩分濃度]]と水温が低く[[フナクイムシ]]が存在しないため、沈没船の保存状態が良い。6世紀以降、主要な水道がフィンランド湾を通るようになり、8世紀から10世紀まで約3千トンの[[銀]]がフィンランド湾を通って輸送された。その後はスウェーデンとロシアの貨物輸送ルートの一部となった。当時、フィンランド湾では毎年沈没船を出しており、1743年秋にはロシアの軍艦17隻がフィンランドから戻る途中、わずか7時間で全て沈没した。また1747年夏にはナルヴァ近くで商船26隻がわずか4時間で沈没した。1721年、ロシア軍がフィンランドから撤退したとき、3か月の間で船100隻以上が失われており、うち64隻は一晩で失われていた<ref>[http://www.baltic-sunken-ships.ru/data/offline/rus/page76.html Underwater discoveries in the eastern Gulf of Finland]. Baltic-sunken-ships.ru. Retrieved on 2011-08-14.</ref>。

1996年末までにフィンランド湾のロシア領に沈没物が5千件見つかっており、そのうち2,500件が船、1,500件が飛行機で、残りはボート、[[錨]]、タンク、トラクター、車、大砲、はては[[機雷]]、[[航空機搭載爆弾|航空爆弾]]、魚雷などの弾薬まで見つかっている。沈没船の所有国はロシア(25%)、ドイツ(19%)、イギリス(17%)、スウェーデン(15%)、オランダ(8%)、フィンランド(7%)であり、残りの9%はノルウェー、デンマーク、フランス、アメリカ、イタリア、エストニア、ラトビアの船である<ref>[http://www.baltic-sunken-ships.ru/data/offline/rus/page58.html Catalog and atlas of objects on the bottom of the Baltic Sea and finds of the remains of ancient ships at the bottom of the Gulf of Finland]. Baltic-sunken-ships.ru. Retrieved on 2011-08-14.</ref>。これらの沈没物は航海、漁業、沿岸の建設工事、パイプラインとケーブルの敷設などの活動に支障をきたす危険があり、また環境にも悪影響を与える。戦争中には爆弾がフィンランド湾に投下されており、[[第一次世界大戦]]中は38,932枚、[[ロシア内戦]]と[[冬戦争]]は約6万枚、[[第二次世界大戦]]中は85,000枚ほど投下され、後に撤去されたのはごく一部である<ref>[http://www.baltic-sunken-ships.ru/data/offline/rus/page112.html Hazardous Objects]. Baltic-sunken-ships.ru. Retrieved on 2011-08-14.</ref>。

== 公害問題 ==
[[ファイル:Location of Ust-Luga Multimodal Complex.gif|thumb|right|300px|ロシア北西部の[[キンギセップ地区]]の{{仮リンク|ソイキンスキー半島|en|Soikinsky Peninsula}}にある{{仮リンク|ウスト=ルガ多目的団地|en|Ust-Luga Multimodal Complex}}の地図]]
フィンランド湾、ネヴァ湾とネヴァ川の生態環境の状態は良くなく、[[水銀]]と[[銅]]の[[イオン]]、[[農薬]]の[[有機塩素化合物]]、[[フェノール類]]、[[石油製品]]、[[多環芳香族炭化水素]]によりきわめて汚染されている。サンクトペテルブルクの[[下水処理場|汚水処理]]は1979年に始まり、1997年までに汚水の約74%が浄化された。2005年には85%が、2008年には91.7%が浄化され、2009年時点では2年後の2011年に主要な下水処理場の拡張が完了するとともに全ての汚水が浄化されると予想された<ref>{{cite web|url = https://ria.ru/eco/20091020/189781554.html|title=Within the next two years, Saint Petersburg will be cleaned of almost 100% of wastewater|publisher = RIA Novosti|language=ロシア語|date=20 November 2009 |accessdate=2017年11月10日}}</ref>。いずれにしても、2008年にはサンクトペテルブルクの省庁が当地の全ての砂浜は泳ぎに適しないと発表した<ref name="Grinpis">{{cite web|url = http://www.greenpeace.org/russia/ru/save-neva/project|title = Clean Neva|publisher = Greenpeace|deadurl = yes|archiveurl = https://web.archive.org/web/20100310173326/http://www.greenpeace.org/russia/ru/save-neva/project|archivedate = 10 March 2010|df = dmy-all |accessdate = 2017年11月10日}}</ref>。さらに2011年にサンクトペテルブルク市議会が同市の汚水処理場4か所のうち1か所の閉鎖を決定したことで、2016年の台風とハリケーンに伴う豪雨の処理が追い付かなくなった<ref>{{Cite news|url = http://www.tampabay.com/news/environment/water/state-ends-investigation-into-st-petersburg-sewage-crisis/2331046 |newspaper = Tampa Bay Times |date=2017年7月21日 |accessdate=2017年11月9日 |last1=Frago |first1=Charlie |last2=Puente |first2=Mark |language=en |title=St. Pete sewage crisis ends with no charges, $326 million bill}}</ref>。

漁獲量は1989年から2005年までで9割減少した。環境汚染のほか、ダム建設などの工事も影響した。例えば、ウスト=ルガとヴィソツクと[[ヴィソツキー島]]で新しい港が建設されたことは魚の[[産卵]]を阻害した。ネヴァ湾の砂と砂利が採取されたことは[[:en:European smelt|Osmerus eperlanus]]({{仮リンク|キュウリウオ属|en|Osmerus}}の一種)の産卵地を破壊した<ref name="SPBLAND.RU">[http://news.spbland.ru/i/18352/ Construction of ports in the Gulf of destroying fish]. News.spbland.ru. Retrieved on 2011-08-14.</ref>。

{{仮リンク|サンクトペテルブルク・ダム|en|Saint Petersburg Dam}}の建設により、ネヴァ湾とフィンランド湾東部の水交換が1割から2割減少、ネヴァ湾の汚染レベルが上がる結果となった。ダム建設に最も影響されたのはダムから5kmまでの海域である。サンクトペテルブルクとダムの間にある、もともと浅瀬となっていたところの一部が沼地と化した。湛水とそれに伴う植物の腐敗が水域の[[富栄養化]]をもたらす可能性もある<ref name="B">[http://www.evol.nw.ru/lew/base1/ftp-ser/base.doc Databases of the gulf ecology and their structure] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20111021010258/http://www.evol.nw.ru/lew/base1/ftp-ser/base.doc |date=21 October 2011 }}. Retrieved on 2011-08-14.</ref>。フィンランド湾における石油港の拡張<ref name="B" />と[[レニングラード原子力発電所]]の使用済み核燃料[[再処理工場]]が建設されたことも不安要素である<ref>{{Cite news|last=Stolyarova|first=Galina|title=Russia Shamed by Ecology Record on Baltic Sea|url=http://www.times.spb.ru/index.php?action_id=2&story_id=32045|accessdate=27 July 2010|newspaper=The Saint Petersburg Times|date=27 July 2010}}</ref>。

[[クロンシュタット]]港はロシアがバルト海を通じて[[放射性廃棄物]]を輸入するための中継地点である。主に使用済み[[六フッ化ウラン]]である放射性廃棄物はサンクトペテルブルクからさらに{{仮リンク|ノヴォウラルスク|en|Novouralsk}}、[[アンガルスク]]などロシア東部の都市に輸送された。その中継地点はサンクトペテルブルクからその西方110kmにある、ロシア政府が2003年10月14日の第1491-r号大統領令で定めた{{仮リンク|ロシア辺境防衛区|en|Border Security Zone of Russia}}に含まれる{{仮リンク|ウスト=ルガ|en|Ust-Luga}}の{{仮リンク|ウスト=ルガ多目的団地|en|Ust-Luga Multimodal Complex}}に移転される予定である。移転が実施された場合、サンクトペテルブルクの環境汚染リスクが軽減されることとなる<ref>[http://www.greenworld.org.ru/?q=bv103 Radioactive draft from a window to Europe]. Greenworld.org.ru. Retrieved on 2011-08-14.</ref>。また、ウスト=ルガがロシア北西部における交通と物流の中枢となると見られた<ref>{{cite news | title = Territory Development Scheme of Kingiseppsky District of Leningrad Region | url = http://ust-luga-mmc.ru/EN/news/Shema_territorialnogo_planirovaniya_Kingiseppskogo_rayona_Leningradskoy_oblasti/ | work = Ust-Luga multimodal complex | date = 26 November 2011 | accessdate = 16 August 2017}}</ref><ref>{{cite news | title = The second day of the exhibition TransRussia\TransLogistica 19 | url = http://ust-luga-mmc.ru/EN/news/Vtoroy_den_vistavki_TransRussia_TransLogistica/ | work = Ust-Luga multimodal complex | date = 19 April 2017 | accessdate = 16 August 2017}}</ref><ref>{{cite news | title = Ust-Luga multimodal complex | url = http://ust-luga-mmc.ru/EN/about/ | work = Ust-Luga multimodal complex | accessdate = 16 August 2017}}</ref>。しかし、2015年の続報では多くの発展計画が延期または破棄され、多目的団地の建設は始まってすらいないという<ref>{{Cite news|url=http://en.portnews.ru/comments/1906/ |newspaper=PortNews |title=Ust-Luga comes to finish |date=2015年2月10日 |accessdate=2017年11月9日 |last=Chernov |first=Vitaly |language=en}}</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{Commonscat}}
{{Commons|Gulf of Finland}}
{{Reflist}}
{{Reflist}}

== 関連項目 ==
*{{仮リンク|クヴェン海|en|Kven Sea}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
*[http://www.kymenlaakso.fi/kieliversiot/englanti/kymenlaakso Kymenlaakso in a nutshell - Kymenlaakson liitto]
*[http://www.kymenlaakso.fi/kieliversiot/englanti/kymenlaakso Kymenlaakso in a nutshell - Kymenlaakson liitto]([https://web.archive.org/web/20120327054616/http://www.kymenlaakso.fi/kieliversiot/englanti/kymenlaakso アーカイブ]){{fi icon}}
*[http://www.ramsar.org/southern-coast-of-the-gulf-of-finland-baltic-sea Southern coast of the Gulf of Finland, Baltic Sea | Ramsar]
*[http://www.ramsar.org/southern-coast-of-the-gulf-of-finland-baltic-sea Southern coast of the Gulf of Finland, Baltic Sea | Ramsar]{{en icon}}
*[https://web.archive.org/web/20040707022638/http://earth.esa.int/showcase/env/Finland/Gulf_of_Finland_MER_FR_Orbit_07204_20030717.htm ESA satellite photograph of the Gulf of Finland]
*{{Cite NIE|wstitle=Finland, Gulf of|short=x}}
*{{Cite AmCyc|wstitle=Finland, Gulf of|short=x}}


{{海}}
{{海}}
{{Normdaten}}

{{DEFAULTSORT:ふいんらんとわん}}
{{DEFAULTSORT:ふいんらんとわん}}
[[Category:バルト海の湾]]
[[Category:バルト海の湾]]

2017年11月26日 (日) 05:58時点における版

フィンランド湾
上の地図はバルト海とフィンランド湾
下の地図はフィンランド湾の拡大図
座標 北緯59度50分 東経26度00分 / 北緯59.833度 東経26.000度 / 59.833; 26.000座標: 北緯59度50分 東経26度00分 / 北緯59.833度 東経26.000度 / 59.833; 26.000
主な流入 ネヴァ川ナルヴァ川キュミ川英語版など
ロシアフィンランドエストニア
延長 400 km (250 mi)
最大幅 130 km (81 mi)
面積 30,000 km2 (12,000 sq mi)[1]
平均水深 38 m (125 ft)
最大水深 115 m (377 ft)
塩分濃度 0.2から5.8パーミル
コトリン島マリー・ヴィソツキー島ゴーグラント島など[2]
主な沿岸自治体 サンクトペテルブルクヘルシンキタリン
テンプレートを表示

フィンランド湾(フィンランドわん、フィンランド語: Suomenlahtiエストニア語: Soome lahtスウェーデン語: Finska vikenロシア語: Фи́нский зали́в, tr. Finskiy zaliv)は、バルト海東部にある。北のフィンランド、東のロシア、南のエストニアに囲まれた東西約400kmの細長いである。

この湾に面する主要都市は、北岸にフィンランドの首都ヘルシンキ、南岸にエストニアの首都タリン、湾の東奥にロシアのサンクトペテルブルクがある。東のネヴァ川はフィンランド湾に注いでいる。湾の東部はロシア領であり、プリモルスク英語版など重要な港がある。フィンランド湾はサンクトペテルブルクへの航路となっているため、ロシアにとっては戦略上の要地である。

地理

フィンランド湾、湾の周辺の青色部は湖沼
フィンランド湾の結氷を示す衛星画像、2003年1月。

フィンランド湾の面積約3万平方kmであり[1]、東西の長さはハンコ半島からサンクトペテルブルクまでの400kmで、南北は入り口が70kmで、最も広いところはモシュチヌイ島英語版のところで130kmとなっている。さらに奥に進むとだんだん狭くなり、ネヴァ湾で13kmまで縮む。水深はやや浅く、湾への入り口から大陸までだんだんと浅くなるが、ナルヴァ=ヨエスー英語版で急激に浅くなるため「ナルヴァの壁」とも呼ばれる。平均水深は38mで、最も水深の深いところは100mになっている。多くの河川がフィンランド湾に注ぐため(うちネヴァ川は流量の3分の2を占める)塩分濃度が低く、水面は0.2から5.8パーミルで水底は0.3から8.5パーミルとなっている。平均水温は冬では0セルシウス度に近く、夏では水面が15から17度、水底が2から3度になっている。11月末から4月末にかけて、湾の一部が結氷することがあり、結氷は湾の東部から始まって西へと伸びる。一般的には1月末までに湾の全体が結氷するが、暖かい冬では湾の一部しか結氷しないこともある[3]。強い西風が吹くことが多く、荒波や増水、ひいてはサンクトペテルブルクで洪水を引き起こす英語版こともある[4][5]

湾の北岸は曲がりくねていて小さな入り江やスケリー英語版が多く、大きな湾(ヴィボルグ)や半島(ハンコ半島ポルッカラ)は少ない。海岸は斜面になっているところが大部分であり、砂丘も多く、マツの木もまばらにある[4]。南岸は水深が浅く海岸線も平坦になっているが、南岸全体がバルト・クリント英語版という絶壁で高さが55mまでとなっている[6][7]。湾の東はネヴァ湾まで続き、西はバルト海と合流する。

フィンランド湾には多くのスケリーや島嶼がある。そのうち、より大きいものにはクロンシュタット(人口42,800)のあるコトリン島ベリョゾヴィエ諸島英語版、リシイ島(Lisiy)、ヴィソツク英語版(人口1,706)の隣にあるマリー・ヴィソツキー島ゴーグラント島モシュチヌイ島英語版ボルショイ・テュテルス島英語版ソンメルス島英語版ナイサール島英語版ケミオンサーリ島英語版コカル島英語版セスカル島英語版パクリ諸島英語版などがある[2]

フィンランド湾に注ぐ河川のうち最も大きいものは東から注ぐネヴァ川、南から注ぐナルヴァ川、北から注ぐキュミ川英語版である。他の河川には南から注ぐケイラ川英語版ピリタ川英語版イェガラ川フランス語版クンダ川ドイツ語版ルーガ川シスタ川ロシア語版コヴァシ川ロシア語版、北から注ぐセストラ川英語版ポルヴォー川英語版ヴァンター川などがある。また、サイマー湖とはサイマー運河で結ばれている[2]

1700年以降、ロシアはフィンランド湾に要塞化された人工島を19つ建設した。人工島建設の目的は海路からの攻撃を防ぐためであり、1700年から1721年までの大北方戦争によりその建設が加速した。ロシアが建設した人工島にはアレクサンドル砦英語版クラスナヤ・ゴルカ砦英語版イノ砦英語版、トートレーベン砦(Totleben)、クロンシュロット砦(Kronshlot)などがある[8]

国際水路機関の「大洋と海の境界」の第3版では、エストニアスピットハミ英語版Spithami)から北西のオスムサール島英語版、続いてフィンランドハンコ半島の南西端によって囲まれた海域としている[9]

地質史

約3億から4億年前の古生代、現代のフィンランド湾にあたる場所はその全体が海となっていた。現代の地形は氷河活動によるものであり、氷河の後退によりリットリナ海英語版が形成したが、その水位は現代のバルト海より7から9メートル高い。紀元前約2千年、海の水位が下がったことで浅瀬がそのまま島嶼になった[10][11]バルト楯状地の上昇によりフィンランド湾の形状に変化が生じ、北岸が南岸よりもはるかに高い地形が形成した[4]

コマロヴォ英語版近くのフィンランド湾海岸、2006年撮影 ヘルシンキ近くの島嶼、2008年撮影 聖オラフ教会英語版から眺望できるフィンランド湾、2008年撮影 フィンランド湾にいる漁師、2004年撮影
冬のクロンシュタット、2008年撮影 フィンランド湾から見る、ネヴァ川のパノラマ、2008年撮影 コトカから見るゴーグラント島、2006年撮影

生物

エストニア領のマルシ諸島英語版はフィンランド湾におけるハイイロアザラシの主な生息地である。

フィンランド湾の気候は湿潤大陸性気候となっており、夏は温暖か暑い気候であるが冬は寒く、厳しい冬となることもある。年間を通して降水する。植物は球果植物落葉性植物が多い森のほか、沿岸では木も少ない牧草地や崖となっている。森で多く見られる植物はオウシュウトウヒカバノキヤナギナナカマドヤマナラシセイヨウヤマハンノキ英語版セイヨウハンノキ英語版などである。湾の東部の奥地ではガマ属ヨシ属が主であるが、セイヨウスイレン英語版ネムロコウホネCarex acutaスゲ属の一種)などの水草もある。湾の浅瀬にはカワツルモ英語版イバラモなどが生息する[12]

フィンランド湾に生息する魚にはタイセイヨウサケZoarces viviparusナガガジ属英語版の一種)、ハゼLeucaspius delineatusウグイ亜科の1種)、ドジョウ英語版チャブミノーシルバーブリーム英語版デイスラッフヨーロッパブナトゲウオOsmerus eperlanusキュウリウオ属英語版の一種)、ラッドブラウントラウトテンチ楊子魚英語版カワメンタイヨーロピアンパーチゴビオ英語版ランプサッカーローチ英語版ヤツメウナギモトコクチマス英語版ガーフィッシュホワイトフィッシュブリームパイクパーチLeuciscus idusコイ科の一種)、ノーザンパイクタイリクシマドジョウ英語版ヨーロピアンスプラットタイセイヨウニシンPelecus cultratusブリークヨーロッパウナギタイセイヨウダラがある[13]。フィンランド湾における商業漁獲英語版は春と秋に行われる。ハイイロアザラシワモンアザラシも見られるが、ワモンアザラシについては稀にしか見られない[12]

歴史

中世まで

フィンランド湾海岸では9千年前までたどれる遺跡が見つかっている。氷河の後退によりリットリナ海英語版が形成、リットリナ海の水位も下がると人類がフィンランド湾海岸に住むようになった。1905年以降、セストラ川英語版の河口で新石器時代の集落の遺跡が約11か所見つかっている。これらの遺跡で石英製のこて、多くの食器、たき火のあとなどが見つかっているが、いずれも農業や畜産ではなく狩猟を示す証拠となっている[7]

海を越えて来た客ニコライ・リョーリフ作、1899年。

その後、フィン・ウゴル系民族がフィンランド湾海岸に住むようになった。エスティ族(またはチュヂ族)が現エストニアにあたる地域に住み、ヴォート人が湾の南に住み、イジョラ人がネヴァ川の南に住んだ。コレラ部族ラドガ湖の西に定住した[14]。8世紀と9世紀の間には東スラヴ人、特にスロヴェネ族クリヴィチ族がネヴァ川両岸とフィンランド湾海岸に住むようになった。東スラヴ人は焼畑農業、畜産、狩猟、漁業を行った。8世紀から13世紀までの間、フィンランド湾とネヴァ川はスカンディナヴィアから東ヨーロッパを通って東ローマ帝国に向かう水路の一部となった。

9世紀以降、湾の東岸がノヴゴロド公国領になり、「ヴォツカヤ・ピャティナ」(Vodskaya Pyatina)と呼ばれた。1219年の十字軍とリンダニセの戦い英語版の結果、エストニア北部がデンマーク領エストニア英語版となった[15]。12世紀、レヴァル市(ラテン語: Revaliaロシア語: Колыва́нь、現タリン)が成立した[16]1343年のエストニア蜂起英語版により、エストニア北部はドイツ騎士団に奪われ、デンマークも1346年にその売却を決定した。リヴォニア戦争中の1559年、テッラ・マリアナカトリック・エーゼル=ヴィーク司教区英語版の司教が領地を3万ターラーでデンマーク王フレゼリク2世に売却した。フレゼリク2世はこの領地を弟のマグヌス英語版に与え、マグヌスは1560年に軍を率いてサーレマー島に上陸した[17]。サーレマー島全体は1573年にデンマーク領になり、1645年にスウェーデンに割譲された[15][18]

12世紀と13世紀の間、フィンランド湾の北部にあるフィンランドの部族はスウェーデン人に征服され、スウェーデン人は続いてスラヴ人の征服に取り掛かった。両部族のはじめての遭遇は1142年にスウェーデン船60隻がロシア商船3隻に攻撃したときとされている。1256年にスウェーデンからの攻撃を受けた後、アレクサンドル・ネフスキー率いるロシア軍は氷結したフィンランド湾を渡って現代のフィンランドにあたるスウェーデン領を襲撃した。1293年、スウェーデンのトルケル・クヌートソン英語版ヴィボルグ城英語版ヴィボルグ市を建設したが、ヴィボルグ城の領有をめぐってスウェーデンとノヴゴロド共和国が数十年間にわたって抗争し、1323年のノーテボリ条約英語版でスウェーデン領となることで決着した。その後、ヴィボルグは1495年から1497年までのロシア・スウェーデン戦争英語版ではダニール・シェニャ英語版による長期間の包囲に耐えた。ヴィボルグの貿易特権は1403年にエーリク・ア・ポンメルン国王により勅許状で正式に承認された。ヴィボルグは大北方戦争中の1710年にピョートル1世に占領されるまでスウェーデン領に留まった[19]

1323年のノーテボリ条約英語版はスウェーデンとロシアの国境をセストラ川に定めた。15世紀、ノヴゴロド共和国のイジョラ人領だった土地がモスクワ大公国に帰属した。1550年、スウェーデン王グスタフ1世ヘルシングフォシュ(現ヘルシンキ)を創建した[16]。ロシアが1610年から1617年までのイングリア戦争で敗北してストルボヴァの和約を締結すると、フィンランド湾とネヴァ川の領土がスウェーデン領イングリア英語版の一部となった。その首都のニエン英語版はネヴァ川の河口の三角州に位置した[19]

大北方戦争以降

1700年から1721年までの大北方戦争に勝利したことで、ロシアはフィンランド湾東部を奪回した。1703年5月16日、ニエンの近く、同じくネヴァ川の河口でサンクトペテルブルクが創建され、1712年にはロシアの首都にもなった。サンクトペテルブルクをスウェーデン艦隊の攻撃から守るべく、1704年5月にはコトリン島近くで人工島が作られ、そこでクロンシュロットドイツ語版要塞が築かれた。1705年までにさらに5要塞が築かれ、クロンシュタット市を形成した。これらの要塞は同時代の人々に「ロシアのダーダネルス海峡」と呼ばれ、フィンランド湾の制海権を得るために設計されたものだった[20]

1710年、フィンランド湾南岸でペテルゴフオラニエンバウムが創設された。1714年7月27日、ハンコ半島近くで行われたハンゲの海戦においてロシア海軍がスウェーデン艦隊に大勝した[14]。大北方戦争は1721年のニスタット条約により終結、ロシアはネヴァ川沿岸とフィンランド湾両岸の領地、エストランドスウェーデン領リヴォニア英語版、そしてヴィボルグを含むカレリア地峡西部を得た。しかし、フィンランドはスウェーデンに返還された[21]。ロシア・スウェーデン間の戦争は1788年から1790年までのグスタフ3世のロシア戦争で再開、1788年7月6日にはゴーグラント島近くでフーグランド島の海戦英語版が起こった。この戦闘も戦争も決着がつけられることはなく、結果的には領土変更なしとなった[14]。なお、この戦争ではスヴェンスクスンドの海戦英語版という戦闘が起こったが、こちらは「フィンランド湾の海戦」と呼ばれることもある。

次のロシア・スウェーデン戦争は1808年から1809年までのフィンランド戦争である。戦争の結果はフレデリクスハムンの和約によりフィンランドとオーランド諸島がロシアに割譲された。1809年に新しく成立したフィンランド大公国ロシア帝国の枠内で大幅な自治を得、西カレリアがフィンランドに返還された[22]。1917年12月6日、フィンランド議会はフィンランド独立宣言を採択した。1939年から1940年までの冬戦争により西カレリアがソビエト連邦に併合された[14]

一方、エストニアは1918年2月24日に独立を宣言、エストニア独立戦争英語版を戦った。エストニア共和国は1940年まで存続した後、ソビエト連邦に併合された[15]。1991年にソビエト連邦が崩壊すると、エストニアが独立を回復した。

ハンゲの海戦 フーグランド島の海戦英語版
ルイ・ジャン・デプレ英語版作。
ヴィボルグ湾の海戦英語版
イヴァン・アイヴァゾフスキー作、1846年。

第二次世界大戦中、フィンランド湾ではいくつかの大規模な海戦が起こった。1941年8月、ソビエト連邦のタリン撤退英語版において、ソ連のバルト海艦隊がタリンからクロンシュタットへ撤退しようとしたが、ドイツ軍に駆逐艦5隻、潜水艦2隻、警備艦3隻、掃海艦2隻、砲艦2隻、高速魚雷艇1隻、そして輸送船と支援船43隻を沈められるという大損害を被った。沈没船のうち数隻はまだユミンダ岬ドイツ語版の近く、フィンランド湾の海底に残っており、ユミンダ岬にはこの海戦の死者の記念碑が立てられている[23][24]

1978年、サンクトペテルブルクを洪水英語版から守るためのサンクトペテルブルク・ダム建設が始まったが、工事が6割まで進んだ段階となった1980年代末期にソ連崩壊と関連した財政の問題により工事が停止した。工事はその後、2001年に再開され、2011年8月までに完了した[4][25]

経済

フィンランド湾の南部はレニングラード原子力発電所のほか、多くの港や自然と歴史景観が存在する。航海はフィンランド湾で行われる主な経済活動である。フィンランド湾に面する主な港口都市とその取扱い品物は下記の通りである。

フィンランド湾はヴォルガ・バルト水路白海・バルト海運河の一部であり、輸送される主な品物はコラ半島燐灰石カレリア花崗岩と緑色岩、アルハンゲリスク州ヴォログダ州の木材、チェレポヴェツ第一鉄ドンバスクズネツク盆地英語版の石炭、ウラル山脈黄鉄鉱ソリカムスク塩化カリウムアブシェロン半島の石油、そしてロシアの多くの地域からの穀物である[28]

フィンランド湾の旅客輸送はにはフェリーの航路があり、フィンランドのヘルシンキとハンコ、オーランド諸島マリエハムン、スウェーデンのストックホルムカペルシャー、エストニアのタリンとパルティスキドイツロストック、ロシアのカリーニングラードなどを繋いでいる[29][30][31]

フィンランド湾において歴史的に行われてきた主な経済活動に漁業があり、特に北岸のヴィボルグ、プリモルスクの近く、および南岸のウスト=ルガの近くで盛んである[5]。主な商業漁獲はニシンヨーロピアンスプラットOsmerus eperlanusキュウリウオ属英語版の一種)、モトコクチマス英語版ブリームローチ英語版ペルカヨーロッパウナギヤツメウナギなどである[32]。2005年時点ではサンクトペテルブルクとレニングラード州の漁船の漁穫だけで2千トンに上る[33]

2005年9月、ヴィボルグとドイツのグライフスヴァルトを繋ぐ天然ガスパイプラインであるノルド・ストリームの建設合意が締結された。その1系列目は2011年に稼働することが予想され[34]、その予想通りに1系列目が2011年5月に完成、同年11月8日に稼働した[35][36]。2系列目は2012年10月8日に稼働を開始した[37]

サンクトペテルブルク港英語版、2003年撮影。 タリン港の近く、2005年撮影。 ヘルシンキ鳥瞰図、2004年撮影。 サンクトペテルブルク・ダム、2007年撮影。

考古学

エストニアのオスムサール島英語版近くにある、1916年に沈没したカザネツエストニア語版。2013年撮影。

フィンランド湾の海底は世界最大の船の墓場の1つである。塩分濃度と水温が低くフナクイムシが存在しないため、沈没船の保存状態が良い。6世紀以降、主要な水道がフィンランド湾を通るようになり、8世紀から10世紀まで約3千トンのがフィンランド湾を通って輸送された。その後はスウェーデンとロシアの貨物輸送ルートの一部となった。当時、フィンランド湾では毎年沈没船を出しており、1743年秋にはロシアの軍艦17隻がフィンランドから戻る途中、わずか7時間で全て沈没した。また1747年夏にはナルヴァ近くで商船26隻がわずか4時間で沈没した。1721年、ロシア軍がフィンランドから撤退したとき、3か月の間で船100隻以上が失われており、うち64隻は一晩で失われていた[38]

1996年末までにフィンランド湾のロシア領に沈没物が5千件見つかっており、そのうち2,500件が船、1,500件が飛行機で、残りはボート、、タンク、トラクター、車、大砲、はては機雷航空爆弾、魚雷などの弾薬まで見つかっている。沈没船の所有国はロシア(25%)、ドイツ(19%)、イギリス(17%)、スウェーデン(15%)、オランダ(8%)、フィンランド(7%)であり、残りの9%はノルウェー、デンマーク、フランス、アメリカ、イタリア、エストニア、ラトビアの船である[39]。これらの沈没物は航海、漁業、沿岸の建設工事、パイプラインとケーブルの敷設などの活動に支障をきたす危険があり、また環境にも悪影響を与える。戦争中には爆弾がフィンランド湾に投下されており、第一次世界大戦中は38,932枚、ロシア内戦冬戦争は約6万枚、第二次世界大戦中は85,000枚ほど投下され、後に撤去されたのはごく一部である[40]

公害問題

ロシア北西部のキンギセップ地区ソイキンスキー半島英語版にあるウスト=ルガ多目的団地英語版の地図

フィンランド湾、ネヴァ湾とネヴァ川の生態環境の状態は良くなく、水銀イオン農薬有機塩素化合物フェノール類石油製品多環芳香族炭化水素によりきわめて汚染されている。サンクトペテルブルクの汚水処理は1979年に始まり、1997年までに汚水の約74%が浄化された。2005年には85%が、2008年には91.7%が浄化され、2009年時点では2年後の2011年に主要な下水処理場の拡張が完了するとともに全ての汚水が浄化されると予想された[41]。いずれにしても、2008年にはサンクトペテルブルクの省庁が当地の全ての砂浜は泳ぎに適しないと発表した[42]。さらに2011年にサンクトペテルブルク市議会が同市の汚水処理場4か所のうち1か所の閉鎖を決定したことで、2016年の台風とハリケーンに伴う豪雨の処理が追い付かなくなった[43]

漁獲量は1989年から2005年までで9割減少した。環境汚染のほか、ダム建設などの工事も影響した。例えば、ウスト=ルガとヴィソツクとヴィソツキー島で新しい港が建設されたことは魚の産卵を阻害した。ネヴァ湾の砂と砂利が採取されたことはOsmerus eperlanusキュウリウオ属英語版の一種)の産卵地を破壊した[33]

サンクトペテルブルク・ダムの建設により、ネヴァ湾とフィンランド湾東部の水交換が1割から2割減少、ネヴァ湾の汚染レベルが上がる結果となった。ダム建設に最も影響されたのはダムから5kmまでの海域である。サンクトペテルブルクとダムの間にある、もともと浅瀬となっていたところの一部が沼地と化した。湛水とそれに伴う植物の腐敗が水域の富栄養化をもたらす可能性もある[44]。フィンランド湾における石油港の拡張[44]レニングラード原子力発電所の使用済み核燃料再処理工場が建設されたことも不安要素である[45]

クロンシュタット港はロシアがバルト海を通じて放射性廃棄物を輸入するための中継地点である。主に使用済み六フッ化ウランである放射性廃棄物はサンクトペテルブルクからさらにノヴォウラルスク英語版アンガルスクなどロシア東部の都市に輸送された。その中継地点はサンクトペテルブルクからその西方110kmにある、ロシア政府が2003年10月14日の第1491-r号大統領令で定めたロシア辺境防衛区英語版に含まれるウスト=ルガ英語版ウスト=ルガ多目的団地英語版に移転される予定である。移転が実施された場合、サンクトペテルブルクの環境汚染リスクが軽減されることとなる[46]。また、ウスト=ルガがロシア北西部における交通と物流の中枢となると見られた[47][48][49]。しかし、2015年の続報では多くの発展計画が延期または破棄され、多目的団地の建設は始まってすらいないという[50]

脚注

  1. ^ a b Gulf of Finland Encyclopædia Britannica
  2. ^ a b c Atlas of the USSR. – M.: GUGK, 1984
  3. ^ Operational oceanography: the challenge for European co-operation : proceedings of the First International Conference on EuroGOOS, 7–11 October 1996, The Hague, The Netherlands, Volume 1996. Elsevier. p. 336. ISBN 0-444-82892-3. https://books.google.com/books?id=ouOA81nGkGkC&pg=PA336&lpg=PA336&dq=gulf+%22freezes+completely%22+finland#v=onepage&q=gulf%20%22freezes%20completely%22%20finland&f=false 
  4. ^ a b c d Saint Petersburg: Encyclopedia. – Moscow: Russian Political Encyclopedia. 2006 ISBN 5-8110-0107-X
  5. ^ a b Darinskii, A. V. Leningrad Oblast. Lenizdat, 1975.
  6. ^ East Viru Klint”. North Estonian Klint as a symbol of Estonian nature. Ministry of the Environment. 2009年10月6日閲覧。
  7. ^ a b Khazanovich K. (1982). Geological Monuments of Leningrad Oblast. Lenizdat 
  8. ^ Gulf of Finland – Forts. Fingulf.ru. Retrieved on 2011-08-14.
  9. ^ Limits of Oceans and Seas, 3rd edition”. International Hydrographic Organization (1953年). 6 February 2010閲覧。
  10. ^ Wefer, Gerold (2002). Climate development and history of the North Atlantic realm. Springer. pp. 217–219. ISBN 3-540-43201-9. https://books.google.com/books?id=LElrclnl0C8C&pg=PA217 
  11. ^ Darinskii, A.V. (1982). Geography of Leningrad. Lenizdat. pp. 12–18. https://books.google.com/books?id=KuRdPAAACAAJ 
  12. ^ a b Gulf of Finland – Nature. Fingulf.ru. Retrieved on 2011-08-14.
  13. ^ Fishing page of Saint-Petersburg. Fishers.spb.ru. Retrieved on 2011-08-14.
  14. ^ a b c d Great Russian Encyclopedia. "Russia". 2004
  15. ^ a b c Countries and Peoples: USSR. Baltic republics. Belarus. Ukraine. Moldova. – Moscow: Mysl, 1984.
  16. ^ a b A. F. Treshnikov Encyclopedic Dictionary of Geography: Geographical names – Moscow: Soviet Encyclopedia, 1983.
  17. ^ Frucht, Richard (2005). Eastern Europe. ABC-CLIO. p. 70. ISBN 1-57607-800-0. https://books.google.com/books?id=lVBB1a0rC70C&dq 
  18. ^ Williams, Nicola; Debra Herrmann; Cathryn Kemp (2003). Estonia, Latvia & Lithuania. University of Michigan. p. 190. ISBN 1-74059-132-1. https://books.google.com/books?q=%22Saaremaa+became+a+Danish+possession+in+1573%22&btnG=Search+Books 
  19. ^ a b V. A. Ezhov Leningrad Oblast: a historical sketch, Lenizdat, 1986.(ロシア語)
  20. ^ Lisaevich, Irina Ignatyevna (1986). Domenico Trezzini. Lenizdat. pp. 20–26 
  21. ^ Lurie, F.M. Russian and world history in the tables: Synchronic table. – SPb.: Caravelle, 1995.
  22. ^ David Kirby (2006) A concise history of Finland. Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-53989-0
  23. ^ Tallinn transition 1941. War at Sea Archived 12 September 2009 at the Wayback Machine.. World-war.ru. Retrieved on 2011-08-14.
  24. ^ Platonov, A.V. Tragedies of the Gulf of Finland. Penguin Books, Saint Petersburg: Terra Fantastica, 2005
  25. ^ Dam. A Complex of protection measures of Saint Petersburg against Flood. Spb-projects.ru. Retrieved on 2011-08-14.
  26. ^ Ports of the Gulf of Finland. Portnews.ru (29 November 2004). Retrieved on 2011-08-14.
  27. ^ Ports. Changes in the Finnish ports. Logistics.ru. Retrieved on 2011-08-14.
  28. ^ Russian river fleet and tourism, INFOFLOT.RU. Map.infoflot.ru. Retrieved on 2011-08-14.
  29. ^ Из Петербурга в Хельсинки на пароме (From Saint Petersburg to Helsinki by ferry). prohotel.ru. 7 July 2008
  30. ^ Ferry traffic between Finland and Russia starts in April 2010. Esline.ru. Retrieved on 2011-08-14.
  31. ^ News of the week-Expert Online 2.0, expert.ru
  32. ^ Darinskii, A.V. (1982). Geography of Leningrad. Lenizdat. pp. 30–34. https://books.google.com/books?id=KuRdPAAACAAJ 
  33. ^ a b Construction of ports in the Gulf of destroying fish. News.spbland.ru. Retrieved on 2011-08-14.
  34. ^ Nord Stream. Nord Stream. Retrieved on 2011-08-14.
  35. ^ “Controversial Project Launched: Merkel and Medvedev Open Baltic Gas Pipeline”. Spiegel Online. (8 November 2011). http://www.spiegel.de/international/europe/0,1518,796611,00.html 8 November 2011閲覧。 
  36. ^ Wiesmann, Gerrit (8 November 2011). “Russia-EU gas pipeline delivers first supplies”. Financial Times. http://www.ft.com/intl/cms/s/0/51ea636e-0a14-11e1-8d46-00144feabdc0.html 8 November 2011閲覧。 
  37. ^ Nord Stream – Five Years of Successful Gas Supply to Europe”. Nord Stream (16 October 2017). 9 November 2017閲覧。
  38. ^ Underwater discoveries in the eastern Gulf of Finland. Baltic-sunken-ships.ru. Retrieved on 2011-08-14.
  39. ^ Catalog and atlas of objects on the bottom of the Baltic Sea and finds of the remains of ancient ships at the bottom of the Gulf of Finland. Baltic-sunken-ships.ru. Retrieved on 2011-08-14.
  40. ^ Hazardous Objects. Baltic-sunken-ships.ru. Retrieved on 2011-08-14.
  41. ^ Within the next two years, Saint Petersburg will be cleaned of almost 100% of wastewater” (ロシア語). RIA Novosti (20 November 2009). 2017年11月10日閲覧。
  42. ^ Clean Neva”. Greenpeace. 10 March 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月10日閲覧。
  43. ^ Frago, Charlie; Puente, Mark (2017年7月21日). “St. Pete sewage crisis ends with no charges, $326 million bill” (英語). Tampa Bay Times. http://www.tampabay.com/news/environment/water/state-ends-investigation-into-st-petersburg-sewage-crisis/2331046 2017年11月9日閲覧。 
  44. ^ a b Databases of the gulf ecology and their structure Archived 21 October 2011 at the Wayback Machine.. Retrieved on 2011-08-14.
  45. ^ Stolyarova, Galina (27 July 2010). “Russia Shamed by Ecology Record on Baltic Sea”. The Saint Petersburg Times. http://www.times.spb.ru/index.php?action_id=2&story_id=32045 27 July 2010閲覧。 
  46. ^ Radioactive draft from a window to Europe. Greenworld.org.ru. Retrieved on 2011-08-14.
  47. ^ “Territory Development Scheme of Kingiseppsky District of Leningrad Region”. Ust-Luga multimodal complex. (26 November 2011). http://ust-luga-mmc.ru/EN/news/Shema_territorialnogo_planirovaniya_Kingiseppskogo_rayona_Leningradskoy_oblasti/ 16 August 2017閲覧。 
  48. ^ “The second day of the exhibition TransRussia\TransLogistica 19”. Ust-Luga multimodal complex. (19 April 2017). http://ust-luga-mmc.ru/EN/news/Vtoroy_den_vistavki_TransRussia_TransLogistica/ 16 August 2017閲覧。 
  49. ^ “Ust-Luga multimodal complex”. Ust-Luga multimodal complex. http://ust-luga-mmc.ru/EN/about/ 16 August 2017閲覧。 
  50. ^ Chernov, Vitaly (2015年2月10日). “Ust-Luga comes to finish” (英語). PortNews. http://en.portnews.ru/comments/1906/ 2017年11月9日閲覧。 

関連項目

外部リンク