「揚州十日記」の版間の差分
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著作者の[[王秀楚]]は当時[[揚州]]に在住していた無名の一市民であると推定され、この著作は[[1645年]]([[順治]]2年)の清軍と明軍による揚州攻防とその後の清軍による略奪・殺戮行為を、自身の見聞を中心に描いたものである<ref name=hyk>世界大百科事典 第2版 日立ソリューションズ・クリエイト</ref>。清軍による虐待行為の描写を含んでいるため、清朝支配下では禁書となり公には刊行されなかったが、写本などの形で秘密裏に流通した。[[1808年]]([[文化 (元号)|文化]]5年 / [[嘉慶 (清)|嘉慶]]13年)以前に日本にも将来している<ref name=hyk/>。 |
著作者の[[王秀楚]]は当時[[揚州]]に在住していた無名の一市民であると推定され、この著作は[[1645年]]([[順治]]2年)の清軍と明軍による揚州攻防とその後の清軍による略奪・殺戮行為を、自身の見聞を中心に描いたものである<ref name=hyk>世界大百科事典 第2版 日立ソリューションズ・クリエイト</ref>。清軍による虐待行為の描写を含んでいるため、清朝支配下では禁書となり公には刊行されなかったが、写本などの形で秘密裏に流通した。[[1808年]]([[文化 (元号)|文化]]5年 / [[嘉慶 (清)|嘉慶]]13年)以前に日本にも将来している<ref name=hyk/>。 |
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[[1911年]]の[[辛亥革命]]以前には清朝を打倒し[[漢民族]]を復興させるという「滅満興漢」のスローガンとともにバイブルとなった<ref name=tanapropa>田中秀雄「[https://web.archive.org/web/20140311005945/http://www.jiyuushikan.org/tokushu/tokushu4_tanaka.html プロパガンダとしての南京事件](2014年3月11日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])」、(ウィリアムズ『中国の戦争宣伝の内幕』芙蓉書房、2009、p139-144.に再掲)</ref><ref>{{PDFlink|[http://petit.lib.yamaguchi-u.ac.jp/G0000006y2j2/file/26163/20160620112945/D300014000005.pdf 于海英「戊戌変法前における「民智を開く」ことを中心とした梁啓超の民権論」『東アジア研究』(山口大学)14(2016年3月)]}}、p.72。</ref>。 |
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== 内容 == |
== 内容 == |
2017年9月5日 (火) 05:09時点における版
揚州十日記(ようしゅうじゅうじつき、拼音:Yáng zhōu shí rì jì)とは、明末清初時代に王秀楚が著作した稗史(はいし、小説風の歴史書[1])で、明季稗史初編のひとつである[2]。
概要
著作者の王秀楚は当時揚州に在住していた無名の一市民であると推定され、この著作は1645年(順治2年)の清軍と明軍による揚州攻防とその後の清軍による略奪・殺戮行為を、自身の見聞を中心に描いたものである[3]。清軍による虐待行為の描写を含んでいるため、清朝支配下では禁書となり公には刊行されなかったが、写本などの形で秘密裏に流通した。1808年(文化5年 / 嘉慶13年)以前に日本にも将来している[3]。
1911年の辛亥革命以前には清朝を打倒し漢民族を復興させるという「滅満興漢」のスローガンとともにバイブルとなった[4][5]。
内容
1645年(順治2年)、清のヌルハチ第15子の予親王多鐸(ドド)の軍が、揚州で史可法指揮下の明の残軍を陥落させた。
陥落後、清軍は陰暦4月25日から5月5日まで大規模な略奪と殺戮を行い、死者数は80万となった。
寺院で火葬された遺体は約80万体となった。
原文に以下の様にある。
初二日、傳府道州縣已置官吏、執安民牌遍諭百姓、毋得驚懼。又諭各寺院僧人焚化積屍;而寺院中藏匿婦女亦復不少、亦有驚餓死者、查焚屍簿載其數、前後約計八十萬餘、其落井投河、閉戶自焚、及深入自縊者不與焉。
参考文献
- 王秀楚著、宮崎八百吉訳『揚州十日記・嘉定屠城紀略』広文館、大正12。書誌ID(NDL-OPAC):000000586412 国会図書館インターネット公開(保護期間満了)
- 『蜀碧・嘉定屠城紀略・揚州十日記』 (東洋文庫36)、平凡社、1965年 ISBN 9784582800364。
- 2003年に「ワイド版東洋文庫」として刊行(ISBN 9784256800362)。
外部リンク
- コトバンク「揚州十日記」
- 蜀碧・嘉定屠城紀略・揚州十日記 - 平凡社東洋文庫による公式サイト。