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「江野夏平」の版間の差分

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:米国同時多発テロ直後から半年間、パレスチナ、レバノン、パキスタン、アフガニスタン等で取材。<ref>番組紹介サイト[http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/director/20011013_010.html 10月13日放送のディレクターズアイ ザ・スクープ - テレビ朝日][http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/director/20020615_010.html 6月15日放送のディレクターズアイ ザ・スクープ - テレビ朝日]</ref>
:米国同時多発テロ直後から半年間、パレスチナ、レバノン、パキスタン、アフガニスタン等で取材。<ref>番組紹介サイト[http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/director/20011013_010.html 10月13日放送のディレクターズアイ ザ・スクープ - テレビ朝日][http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/director/20020615_010.html 6月15日放送のディレクターズアイ ザ・スクープ - テレビ朝日]</ref>
;2001年
;2001年
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:{{要出典範囲|[[テルアビブ空港乱射事件]](1972年発生)の実行犯でレバノンに潜伏中であった、元日本赤軍兵士・[[岡本公三]]の独占取材を実施。潜伏先住居内でインタビューを行った。イスラエルに拘束中の拷問、薬物投与により、精神疾患を患い会話は困難とされていたが、事件発生から30年目にして、映像メディアとして初めて取材に成功した。エミー賞アジア最終選考。|date=2017年6月}}

2017年9月5日 (火) 03:27時点における版

江野 夏平(えの なつへい、7月15日 - )は、テレビ朝日に所属する日本プロデューサー

人物・略歴

  • 神奈川県川崎市出身。神奈川県立多摩高等学校早稲田大学大学院卒業。
  • テレビ朝日に入社後、報道局のディレクター及びプロデューサー、編成制作局・ドラマ班プロデューサー、報道大型番組事務局長を歴任。また、BS朝日に出向、編成制作局制作部長。
  • 専門は中東・パレスチナ情勢。NY1ビデオ・ジャーナリスト。
  • 函館大谷短期大学*「メディア論」客員教授。
  • 著書『タイタニックから戦艦大和へ』(工作舎)ほか。
  • 劇団文学座出身。

主な担当番組

レギュラー番組

単発番組

  • BS朝日開局15周年記念ドラマ「大江戸事件帖 美味でそうろう」2016年放送文化基金賞・ドラマ部門奨励賞受賞
  • 終戦特番「戦争が聞こえた~ラジオが伝えた太平洋戦争」 - 民放連・優秀賞 ギャラクシー賞・奨励賞
  • 特別番組「つながろうニッポン!」
  • 特別番組「レンズが震えた! 3・11映像の証言」
  • 特別番組「ヘールボップ彗星 モンゴル緊急生中継」
  • 特別番組「田原スペシャル・頭のないクジラ」
  • 特別番組「密着&中継!! 悲劇のタイタニック引き上げ大作戦」
  • 特別番組「20世紀最後のスクープ 今よみがえる戦艦大和」[1]

主な過去取材

1994年
大韓航空機爆破事件の主犯、元工作員の金賢姫に独占インタビューを実施。李恩恵という日本人化教育係の存在を、初めてカメラの前で証言した。北朝鮮は2002年、日朝首脳会談で初めて日本人拉致を認め謝罪。李恩恵という女性は、日本人拉致被害者、田口八重子であることが判明する。[要出典]
1998年
タイタニック号の水中探索特別番組を企画立案。RMSタイタニック財団、ディスカバリーチャンネルとの協力で、水中探索のドキュメンタリー番組を制作した。タイタニック号生存者の1人で最後の男性生存者、ミシェル・ナヴラティル(フランス)にインタビュー取材を実施[注釈 1][要出典]
1999年
テレビ朝日開局50周年企画『今よみがえる戦艦大和』を企画立案。ディレクターとして制作に参加した。RMSタイタニック財団、フランスのサルベージチーム「アクアプラス」の協力で、東シナ海の海底360mに眠る戦艦大和を発見。当時、朝日新聞全国版の第一面に掲出され話題となった。このとき撮影した戦艦大和の映像は、現在、広島県呉市にある「海事博物館」見ることができる。番組が放送されるまでの制作秘話『タイタニックから戦艦大和へ』(工作舎)を執筆。[2]
2001年
米国同時多発テロ直後から半年間、パレスチナ、レバノン、パキスタン、アフガニスタン等で取材。[3]
2001年
「ザ・スクープ」の取材で、フィリピンで発覚したボジンカ計画と呼ばれる大規模テロ未遂事件を取材。[要出典][4][出典無効]
2002年
テルアビブ空港乱射事件(1972年発生)の実行犯でレバノンに潜伏中であった、元日本赤軍兵士・岡本公三の独占取材を実施。潜伏先住居内でインタビューを行った。イスラエルに拘束中の拷問、薬物投与により、精神疾患を患い会話は困難とされていたが、事件発生から30年目にして、映像メディアとして初めて取材に成功した。エミー賞アジア最終選考。[要出典]

脚注

注釈

  1. ^ この時点では、ナヴラティルの他にウィニフレッド・クイック(en:Winnifred Quick)、リリアン・アスプランド、バーバラ・ウェスト・ダニントン(en:Barbara West)、ミルヴィナ・ディーンの4名が生存していた。

出典

外部リンク