コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「僕のコダクローム」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:インターネットアーカイブ - log
26行目: 26行目:


== 略歴・概要 ==
== 略歴・概要 ==
題名中のコダクローム({{lang|en|Kodachrome}})は、[[コダック]]のカラー[[リバーサルフィルム]]「コダクローム」のことである(リバーサルフィルムとは、現在一般的なカラー[[ネガフィルム]]すなわち撮影したフィルムには明暗が反転した陰画があらわれ、それを反転してプリントすることが前提のフィルムとは異なり、撮影したフィルムに直接、見たままの像(陽画)があらわれ、[[スライド (写真)|スライド]]としてスクリーンに投影したりすることができるカラー写真方式のフィルムである。ポジフィルムとも言う)。本作が誕生した当時は、1961年(昭和36年)に「コダクローム」(第一世代、1936年 - 1962年)に代わって登場した「コダクロームII」(第二世代)の時代であった<ref name="TL">[http://web.archive.org/web/20110725014144/http://www.arp-geh.org/FileUpload_demo/KodaEktaSmall_Aug9_2005.pdf ''Coatings on Kodachrome and Ektachrome Films: Appendix A — Timeline for the Kodak Kodachrome Films''] {{en icon}} (キャッシュ : [[インターネットアーカイブ]]、2011年7月25日付), Lane, William S., 2012年2月9日閲覧。</ref>。同銘柄は、本作発表の翌年である1974年(昭和49年)に生産終了し、「コダクローム25」(第三世代、1974年 - 2001年)および「コダクローム64」(同、1974年 - 2009年)がとって代わった<ref name="TL" />。コダクロームは、歴史上は先に登場した外式を唯一継続したリバーサルフィルムで根強い人気があった。
題名中のコダクローム({{lang|en|Kodachrome}})は、[[コダック]]のカラー[[リバーサルフィルム]]「コダクローム」のことである(リバーサルフィルムとは、現在一般的なカラー[[ネガフィルム]]すなわち撮影したフィルムには明暗が反転した陰画があらわれ、それを反転してプリントすることが前提のフィルムとは異なり、撮影したフィルムに直接、見たままの像(陽画)があらわれ、[[スライド (写真)|スライド]]としてスクリーンに投影したりすることができるカラー写真方式のフィルムである。ポジフィルムとも言う)。本作が誕生した当時は、1961年(昭和36年)に「コダクローム」(第一世代、1936年 - 1962年)に代わって登場した「コダクロームII」(第二世代)の時代であった<ref name="TL">[http://web.archive.org/web/20110725014144/http://www.arp-geh.org/FileUpload_demo/KodaEktaSmall_Aug9_2005.pdf ''Coatings on Kodachrome and Ektachrome Films: Appendix A — Timeline for the Kodak Kodachrome Films''] {{en icon}} (キャッシュ : [[インターネットアーカイブ]]、2011年7月25日付), Lane, William S., 2012年2月9日閲覧。</ref>。同銘柄は、本作発表の翌年である1974年(昭和49年)に生産終了し、「コダクローム25」(第三世代、1974年 - 2001年)および「コダクローム64」(同、1974年 - 2009年)がとって代わった<ref name="TL" />。コダクロームは、歴史上は先に登場した外式を唯一継続したリバーサルフィルムで根強い人気があった。


週末にあたる1973年(昭和48年)5月19日、「[[Billboard Hot 100|ビルボードホット100]]」にチャートインし、5週後には9位に浮上、10位には[[トニー・オーランド&ドーン]]「[[幸せの黄色いリボン]]」([[:en:Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree|{{lang|en|''Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree''}}]])、8位には[[ジョージ・ハリスン]]「[[ギヴ・ミー・ラヴ]]」([[:en:Give Me Love (Give Me Peace on Earth)|{{lang|en|''Give Me Love (Give Me Peace on Earth)''}}]])がランキングしていた<ref>{{cite journal|date=June 16, 1973|title= Billboard Hot 100| journal=[[Billboard (magazine) |Billboard]]|volume=85|issue=42|page=88|pages=92|publisher=[[:en:Nielsen Company|Nielsen Business Media, Inc.]]|issn=0006-2510}}</ref>。本作は米国ではメジャーヒット曲になり、「ビルボードホット100」では最高位2位<ref>[[:en:Joel Whitburn|Whitburn, Joel]] (1996). ''The Billboard Book of Top 40 Hits'', 6th Edition (Billboard Publications)</ref>、同じくビルボードの「{{仮リンク|ビルボード・アダルト・コンテンポラリー部門|en|Adult Contemporary (chart)}}」でも最高位2位をそれぞれ記録した<ref>Hyatt, Wesley (1999). ''The Billboard Book of #1 Adult Contemporary Hits'' (Billboard Publications)</ref>。英国ではシングルが発売されず、「[[American Top 40|アメリカントップ40]]」の初代DJ[[ケイシー・ケイサム]]によれば、[[英国放送協会]](BBC)が商標を放送しないからだということである。
週末にあたる1973年(昭和48年)5月19日、「[[Billboard Hot 100|ビルボードホット100]]」にチャートインし、5週後には9位に浮上、10位には[[トニー・オーランド&ドーン]]「[[幸せの黄色いリボン]]」([[:en:Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree|{{lang|en|''Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree''}}]])、8位には[[ジョージ・ハリスン]]「[[ギヴ・ミー・ラヴ]]」([[:en:Give Me Love (Give Me Peace on Earth)|{{lang|en|''Give Me Love (Give Me Peace on Earth)''}}]])がランキングしていた<ref>{{cite journal|date=June 16, 1973|title= Billboard Hot 100| journal=[[Billboard (magazine) |Billboard]]|volume=85|issue=42|page=88|pages=92|publisher=[[:en:Nielsen Company|Nielsen Business Media, Inc.]]|issn=0006-2510}}</ref>。本作は米国ではメジャーヒット曲になり、「ビルボードホット100」では最高位2位<ref>[[:en:Joel Whitburn|Whitburn, Joel]] (1996). ''The Billboard Book of Top 40 Hits'', 6th Edition (Billboard Publications)</ref>、同じくビルボードの「{{仮リンク|ビルボード・アダルト・コンテンポラリー部門|en|Adult Contemporary (chart)}}」でも最高位2位をそれぞれ記録した<ref>Hyatt, Wesley (1999). ''The Billboard Book of #1 Adult Contemporary Hits'' (Billboard Publications)</ref>。英国ではシングルが発売されず、「[[American Top 40|アメリカントップ40]]」の初代DJ[[ケイシー・ケイサム]]によれば、[[英国放送協会]](BBC)が商標を放送しないからだということである。
43行目: 43行目:


{{Wikinews|愛されたカラーフィルムに終焉|date=2009年6月23日}}
{{Wikinews|愛されたカラーフィルムに終焉|date=2009年6月23日}}
2009年(平成21年)6月23日[[産経新聞]]の報道によれば、前日22日にコダックは同年内で「コダクローム」(第三世代)の製造販売を終了すると発表した<ref>[http://www.kodak.com/eknec/PageQuerier.jhtml?pq-path=2709&pq-locale=en_US&gpcid=0900688a80b4e692 Kodak Retires KODACHROME Film; Celebrates Life of Oldest Film Icon in its Portfolio] {{en icon}}, [[コダック]]、2009年6月23日付、2012年2月7日閲覧。</ref><ref name="産経">[http://web.archive.org/web/20090626121210/http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090623/biz0906230925003-n1.htm ポール・サイモンに歌われた名フィルムが退場](キャッシュ: [[インターネットアーカイブ]]、2009年6月26日付)、[[産経新聞]]、2009年6月23日付、2012年2月7日閲覧。</ref>。同紙は、「ポール・サイモンに歌われた名フィルムが退場」という題の記事で、本作に言及した<ref name="産経" />。フィルムと同じく歌詞に登場する「[[ニコン]]」(現在は法人の名になっているが、元々は35mmフィルムカメラのカメラ名ないしブランド名)も、すでに2006年(平成18年)1月、銀塩フィルム式一眼レフ写真カメラ全8機種のうち6機種の生産終了、2機種の新規開発を終了し「事実上の撤退」と報道されている<ref>[http://www.asahi.com/edu/nie/kiji/kiji/TKY200601270170.html フィルムカメラニコン撤退へ デジカメ市場消耗戦]、[[アサヒコム]]、2006年1月27日付、2012年2月8日閲覧。</ref>。ただし2014年現在、フラグシップ系列機「ニコンF6」の製造とマニュアル式普及機「ニコンFM10」の販売は継続されている<ref>対抗上かライバルのキヤノンも「EOS-1v」を継続している</ref>。
2009年(平成21年)6月23日[[産経新聞]]の報道によれば、前日22日にコダックは同年内で「コダクローム」(第三世代)の製造販売を終了すると発表した<ref>[http://www.kodak.com/eknec/PageQuerier.jhtml?pq-path=2709&pq-locale=en_US&gpcid=0900688a80b4e692 Kodak Retires KODACHROME Film; Celebrates Life of Oldest Film Icon in its Portfolio] {{en icon}}, [[コダック]]、2009年6月23日付、2012年2月7日閲覧。</ref><ref name="産経">[http://web.archive.org/web/20090626121210/http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090623/biz0906230925003-n1.htm ポール・サイモンに歌われた名フィルムが退場](キャッシュ: [[インターネットアーカイブ]]、2009年6月26日付)、[[産経新聞]]、2009年6月23日付、2012年2月7日閲覧。</ref>。同紙は、「ポール・サイモンに歌われた名フィルムが退場」という題の記事で、本作に言及した<ref name="産経" />。フィルムと同じく歌詞に登場する「[[ニコン]]」(現在は法人の名になっているが、元々は35mmフィルムカメラのカメラ名ないしブランド名)も、すでに2006年(平成18年)1月、銀塩フィルム式一眼レフ写真カメラ全8機種のうち6機種の生産終了、2機種の新規開発を終了し「事実上の撤退」と報道されている<ref>[http://www.asahi.com/edu/nie/kiji/kiji/TKY200601270170.html フィルムカメラニコン撤退へ デジカメ市場消耗戦]、[[アサヒコム]]、2006年1月27日付、2012年2月8日閲覧。</ref>。ただし2014年現在、フラグシップ系列機「ニコンF6」の製造とマニュアル式普及機「ニコンFM10」の販売は継続されている<ref>対抗上かライバルのキヤノンも「EOS-1v」を継続している</ref>。


== チャート ==
== チャート ==

2017年9月5日 (火) 02:33時点における版

「僕のコダクローム」
ポール・サイモンシングル
初出アルバム『ひとりごと
B面 君のやさしさ
リリース
規格 シングルレコード
録音 1972年後半
ジャンル ポップ・ロックアダルト・コンテンポラリー・ミュージック
レーベル アメリカ合衆国の旗 コロムビア・レコード
作詞・作曲 ポール・サイモン
プロデュース ポール・サイモン
フィル・ラモーン
チャート最高順位
ポール・サイモン シングル 年表
ダンカンの歌英語版
(1972年)
僕のコダクローム
(1973年)
母からの愛のように英語版
(1973年)
テンプレートを表示
コダクローム135フィルム。これは本作発表の翌1974年に発表された「コダクローム64」(2009年生産終了)[1]
本作の生まれた1973年に現役だった「コダクロームII」[1]。これは写真用ではなくスーパー8用フィルム。

僕のコダクローム」(ぼくのコダクローム、英語: Kodachrome)は、ポール・サイモン1973年(昭和48年)に発表したシングルレコード、およびその表題曲である。同年発売のソロアルバム『ひとりごと』に、B面曲「君のやさしさ」とともに収録されている。

略歴・概要

題名中のコダクローム(Kodachrome)は、コダックのカラーリバーサルフィルム「コダクローム」のことである(リバーサルフィルムとは、現在一般的なカラーネガフィルムすなわち撮影したフィルムには明暗が反転した陰画があらわれ、それを反転してプリントすることが前提のフィルムとは異なり、撮影したフィルムに直接、見たままの像(陽画)があらわれ、スライドとしてスクリーンに投影したりすることができるカラー写真方式のフィルムである。ポジフィルムとも言う)。本作が誕生した当時は、1961年(昭和36年)に「コダクローム」(第一世代、1936年 - 1962年)に代わって登場した「コダクロームII」(第二世代)の時代であった[1]。同銘柄は、本作発表の翌年である1974年(昭和49年)に生産終了し、「コダクローム25」(第三世代、1974年 - 2001年)および「コダクローム64」(同、1974年 - 2009年)がとって代わった[1]。コダクロームは、歴史上は先に登場した外式を唯一継続したリバーサルフィルムで根強い人気があった。

週末にあたる1973年(昭和48年)5月19日、「ビルボードホット100」にチャートインし、5週後には9位に浮上、10位にはトニー・オーランド&ドーン幸せの黄色いリボン」(Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree)、8位にはジョージ・ハリスンギヴ・ミー・ラヴ」(Give Me Love (Give Me Peace on Earth))がランキングしていた[2]。本作は米国ではメジャーヒット曲になり、「ビルボードホット100」では最高位2位[3]、同じくビルボードの「ビルボード・アダルト・コンテンポラリー部門英語版」でも最高位2位をそれぞれ記録した[4]。英国ではシングルが発売されず、「アメリカントップ40」の初代DJケイシー・ケイサムによれば、英国放送協会(BBC)が商標を放送しないからだということである。

米国のイーストマン・コダック社は、「コダクローム」がコダックの商標であるとアルバムに明記し、かつ曲のタイトルの直後には登録商標マーク®)を入れるよう求めた。1990年代末には、コダックは「コダクローム」フィルム製品の宣伝に、同曲を使用した。

オリジナル収録アルバム『ひとりごと』(1973年)における同曲の歌詞は、ライヴ盤『セントラルパーク・コンサート英語版』(サイモン&ガーファンクル、1982年)や『ライヴ・イン・セントラルパーク英語版』(ポール・サイモン、1991年)でのそれとは異なっている。前者では、...everything looks worse in black and white という部分が、後者では、...everything looks better in black and white と歌われている。シングルでは、同曲のフェイドアウトする末尾の前、インストゥルメンタルコーダの直前に、ポール・サイモンが「オーケイ」という単語を発するのが聞こえる。

演奏

マッスル・ショールズ・リズム・セクション英語版がこのセッションにおいて演奏している[5]

発展・展開

2008年(平成20年)11月に行われたインタヴューで、ポール・サイモンは、同曲を書いたときに頭のなかに浮かんでいたものは、「ゴーイング・ホーム」という仮題で呼んでいた、という。しかしながら、このタイトルではあまりに「月並みすぎる」と感じ、「コダクローム」というタイトルを思いついた。「ゴーイング・ホーム」と音韻が似通っているということと、それ以上にイノヴェーティヴなポテンシャルをはらんでいるからである。同曲の「いちばん面白いところ」として、彼は冒頭の一行を挙げている[6]。この冒頭の一行とは、When I think back on all the crap I learned in high school, it's a wonder I can think at all. というものである。Crap の一語のおかげで、いくつかのラジオ局では、同曲が放送禁止になった。

1990年代には、映画『コーンヘッズ』(監督スティーブ・バロン、1993年)、および『コップス&ロバーソン』(監督マイケル・リッチー、1994年)で、挿入歌に使用された。

2009年(平成21年)6月23日産経新聞の報道によれば、前日22日にコダックは同年内で「コダクローム」(第三世代)の製造販売を終了すると発表した[7][8]。同紙は、「ポール・サイモンに歌われた名フィルムが退場」という題の記事で、本作に言及した[8]。フィルムと同じく歌詞に登場する「ニコン」(現在は法人の名になっているが、元々は35mmフィルムカメラのカメラ名ないしブランド名)も、すでに2006年(平成18年)1月、銀塩フィルム式一眼レフ写真カメラ全8機種のうち6機種の生産終了、2機種の新規開発を終了し「事実上の撤退」と報道されている[9]。ただし2014年現在、フラグシップ系列機「ニコンF6」の製造とマニュアル式普及機「ニコンFM10」の販売は継続されている[10]

チャート

1973年チャート 最高位
ARIAチャート オーストラリアの旗 20位
カナディアン・シングル・チャート英語版 カナダの旗 1位
ダッチ・トップ40 オランダの旗 15位
全国音楽出版組合チャート フランスの旗 8位
ビルボードホット100 アメリカ合衆国の旗 2位

収録アルバム

脚注

  1. ^ a b c d Coatings on Kodachrome and Ektachrome Films: Appendix A — Timeline for the Kodak Kodachrome Films (英語) (キャッシュ : インターネットアーカイブ、2011年7月25日付), Lane, William S., 2012年2月9日閲覧。
  2. ^ “Billboard Hot 100”. Billboard (Nielsen Business Media, Inc.) 85 (42): 92. (June 16, 1973). ISSN 0006-2510. 
  3. ^ Whitburn, Joel (1996). The Billboard Book of Top 40 Hits, 6th Edition (Billboard Publications)
  4. ^ Hyatt, Wesley (1999). The Billboard Book of #1 Adult Contemporary Hits (Billboard Publications)
  5. ^ Kodachrome by Paul Simon (英語), songfacts.com, 2012年2月7日閲覧。
  6. ^ Paul Simon on "One on One" with Katherine Lanpher Thursday, November 13, at the Union Square Barnes & Noble
  7. ^ Kodak Retires KODACHROME Film; Celebrates Life of Oldest Film Icon in its Portfolio (英語), コダック、2009年6月23日付、2012年2月7日閲覧。
  8. ^ a b ポール・サイモンに歌われた名フィルムが退場(キャッシュ: インターネットアーカイブ、2009年6月26日付)、産経新聞、2009年6月23日付、2012年2月7日閲覧。
  9. ^ フィルムカメラニコン撤退へ デジカメ市場消耗戦アサヒコム、2006年1月27日付、2012年2月8日閲覧。
  10. ^ 対抗上かライバルのキヤノンも「EOS-1v」を継続している

参考文献

関連項目

外部リンク

画像外部リンク
ジャケット写真, Kodachrome (song)