「支那の夜 (曲)」の版間の差分
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[[朝鮮戦争]]の戦場で盛んに歌われ、朝鮮戦争を舞台にした映画「零号作戦」音楽監督の[[ヴィクター・ヤング]]が、劇中アン・ブライス、[[ロバート・ミッチャム]]に「ゴールデン・ムーン」というタイトルで歌わせている。 |
[[朝鮮戦争]]の戦場で盛んに歌われ、朝鮮戦争を舞台にした映画「零号作戦」音楽監督の[[ヴィクター・ヤング]]が、劇中アン・ブライス、[[ロバート・ミッチャム]]に「ゴールデン・ムーン」というタイトルで歌わせている。 |
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[[アメリカ合衆国]]のレコード会社からも、カバー曲が作られ、[[1963年]](昭和38年)には、[[坂本九]]が『[[上を向いて歩こう]]』に続くアメリカ進出第二弾レコードとしてこの曲を吹き込み、[[Billboard Hot 100]]で最高58位を記録した。坂本の歌唱版は長年日本では発売されていなかったが、[[2004年]](平成16年)春に[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]の倉庫でマスターテープが発見され、同年[[8月4日]]発売の『坂本九 メモリアル・ベスト』の[[ボーナス・トラック]]として日本発売された<ref>[http://web.archive.org/web/20041009193207/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2004/07/27/02.html 九ちゃん追悼作品に幻の全米ヒット曲]、[[スポーツニッポン|スポニチアネックス]]、2004年7月27日。([[インターネット |
[[アメリカ合衆国]]のレコード会社からも、カバー曲が作られ、[[1963年]](昭和38年)には、[[坂本九]]が『[[上を向いて歩こう]]』に続くアメリカ進出第二弾レコードとしてこの曲を吹き込み、[[Billboard Hot 100]]で最高58位を記録した。坂本の歌唱版は長年日本では発売されていなかったが、[[2004年]](平成16年)春に[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]の倉庫でマスターテープが発見され、同年[[8月4日]]発売の『坂本九 メモリアル・ベスト』の[[ボーナス・トラック]]として日本発売された<ref>[http://web.archive.org/web/20041009193207/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2004/07/27/02.html 九ちゃん追悼作品に幻の全米ヒット曲]、[[スポーツニッポン|スポニチアネックス]]、2004年7月27日。([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>。 |
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世界的にヒットし、多数のカバーが外国で作られた「支那の夜」であったが、終戦後、著作権がアメリカに接収されたことにより、作者の西條八十と竹岡信幸は[[1961年]](昭和36年)になるまで、権利料を得ることが出来なかった<ref>「西條八十全集第9巻」433P</ref>。 |
世界的にヒットし、多数のカバーが外国で作られた「支那の夜」であったが、終戦後、著作権がアメリカに接収されたことにより、作者の西條八十と竹岡信幸は[[1961年]](昭和36年)になるまで、権利料を得ることが出来なかった<ref>「西條八十全集第9巻」433P</ref>。 |
2017年9月5日 (火) 02:33時点における版
本作の詞・曲は著作権の保護期間中のため、日本国著作権法第32条および米国著作権法第107条によりフェアユースと認められる形式の引用を除き、ウィキペディアへの掲載は著作権侵害となります。また、演奏などの著作隣接権についても注意ください。 歌詞全文はTemplate:歌ネットやTemplate:Genius songを使用した外部リンクにより合法的な参照が可能です。 |
「支那の夜」(しなのよる)は、日本映画『支那の夜』の主題歌。作詞:西條八十、作曲:竹岡信幸、編曲:奥山貞吉、初生歌手は:渡辺はま子。
戦時中
松平晃の歌った「上海航路」とのカップリングで1938年(昭和13年)12月に発売された。当初は全く売れなかったが、半年ぐらい経った頃から売れ出し、1年後には戦線の将兵の間でも大流行した。1940年(昭和15年)には李香蘭・長谷川一夫の主演で映画化(『支那の夜』)された。
山本五十六はこの歌が好きで、聯合艦隊旗艦の長門では、軍楽隊によって演奏されたこともある[1]。
外国での流行
アジア
1940年(昭和15年)前後、ベトナム[2]、タイ王国[3]、インドネシア[4]、台湾[5]など、当時日本の占領地だったアジアでは、この歌が広く流行しており、そのため各国で映画が上映された。
ビルマ首相バー・モウは、この歌を「日本人の誰よりも上手く」唄ったという[6]。
中国
中華民国上海市では、1942年(昭和17年)秋以降流行し、現地の人気歌手・姚莉によって、北京語のカバー曲(タイトル「春的夢」、作詞: 陳歌辛)が作られた。
その影響で、1943年(昭和18年)2月、映画『支那の夜』がリバイバル上映された際には、約2万人の中国人観客を動員、「主題歌を観客が和して歌う」という現象が起きている[7]。
戦後は中国の懐メロとして親しまれ、中国・台湾・香港・マレーシアなどの中華圏では、「春的夢」「春之夢」「中国之夜」といったタイトルで、現代でもカバー曲が作られている。
アメリカ合衆国
太平洋戦争中、海外放送に使われ、これを聞いたアメリカ兵は「China Nights」(チャイナ・ナイト)と呼んで愛唱。終戦後、競ってレコードを求めた[8]。
朝鮮戦争の戦場で盛んに歌われ、朝鮮戦争を舞台にした映画「零号作戦」音楽監督のヴィクター・ヤングが、劇中アン・ブライス、ロバート・ミッチャムに「ゴールデン・ムーン」というタイトルで歌わせている。
アメリカ合衆国のレコード会社からも、カバー曲が作られ、1963年(昭和38年)には、坂本九が『上を向いて歩こう』に続くアメリカ進出第二弾レコードとしてこの曲を吹き込み、Billboard Hot 100で最高58位を記録した。坂本の歌唱版は長年日本では発売されていなかったが、2004年(平成16年)春に東芝EMIの倉庫でマスターテープが発見され、同年8月4日発売の『坂本九 メモリアル・ベスト』のボーナス・トラックとして日本発売された[9]。
世界的にヒットし、多数のカバーが外国で作られた「支那の夜」であったが、終戦後、著作権がアメリカに接収されたことにより、作者の西條八十と竹岡信幸は1961年(昭和36年)になるまで、権利料を得ることが出来なかった[10]。
戦後
戦後しばらくは「支那」という言葉が問題になり、再吹き込み盤のレコードを製作することが出来なかった。そのため、同じ作曲者・作詞者・歌手に藤山一郎を加えたアンサーソング「東京の夜」が作られている。
1952年(昭和27年)になると、コロムビアは再吹き込み盤を企画するが、渡辺はま子はビクターに移籍しており、山口淑子は「支那」という言葉を問題にして拒否。翌年、胡美芳の歌唱で戦後再発売盤と同じ番号のレコードを発売した。
1980年代前半より、駐日本国中華人民共和国大使館の抗議によって再び「支那」が問題となり、現在民放のテレビやラジオでは、ほとんど放送されない歌になっている[11]。
時折放送されることはあり、21世紀には『女たちの中国』(2008年)での映画『支那の夜』紹介シーン、渡辺はま子の生涯をテレビドラマ化した『戦場のメロディ』(2009年)で劇中歌として流されたほか、2014年(平成26年)に山口淑子が死没すると、NHK総合テレビジョン『クローズアップ現代』にて、「支那の夜」が映画と共に放送された。
主なカバー
「支那の夜」はさまざまな国で、タイトルを変えてカバーが作られている。国籍が異なる歌手がいるのは、レコード会社を国の基準にしているためである。
- 日本
- 渡辺はま子
- 山口淑子
- 胡美芳
- 美空ひばり
- 都はるみ
- コロムビア・オーケストラ
- フランキー堺とシティ・スリッカーズ
- キャロル・バラー(TRULY LULU)
- アメリカ(タイトルCHINA NIGHT)
- カル・ジェイダー
- ソニー・ジェームス
- マーティン・デニー
- 坂本九
- ナンシー梅木
- Jack Burger
- イギリス(タイトルCHINA NIGHT)
- 中国
- 香港
- 崔萍(春的夢)
- 江玲(春的夢)
- 蓓蕾 Billie Tam(春的夢)
- 汪明荃(春的夢)
- 馮素波(中国之夜)
- 伍木蘭(売剩蔗)広東語
- 鄭君綿(輸完又嚟賭過)広東語
- 呂紅(春来冬去)広東語
- 麗莎(春来冬去)広東語
- 林志美(愛的微波)広東語
他、香港映画「四姉妹」(昭和41年)で、劇中歌として広東語で使われている。
- 台湾
- 鳳飛飛(春的夢)
- 林淑蓉(春之夢)
- 蔡幸娟(春之夢)
- 千百惠(春之夢)
- 白冰冰(中国之夜)台湾語
- 張蓉蓉(敬相思)台湾語
- 龍千玉(美麗的故郷)台湾語
- 朝鮮
- 宋今姫
- インドネシア
- ワルジーナ(Sh na no Yoru)
- タイ
- ルンルディー・ペーンポンサイ
- ソンディ・ソッサイ
- シンガポール
- 方靜(相思夢)福建語
- 黄清元(春的夢)
- マレーシア
脚注
- ^ 「山本五十六(上)」阿川弘之著 新潮文庫刊[要ページ番号]
- ^ 「日本映画」昭和16年10月号 98P
- ^ 「音楽之友」昭和17年4月号 35P 「南方共栄圏の音楽工作 座談会」
- ^ 「映画旬報」昭和18年11月11日号 「インドネシアと映画」
- ^ 「映画旬報」昭和17年5月1日号 41P 「台湾映画界の印象」
- ^ 「大東亜会議の真実」深田佑介著 PHP新書刊 254P
- ^ 「映画旬報」昭和18年6月1日号 20,21P 中国人の鑑識眼
- ^ 「SP盤復刻による懐かしのメロディ 渡辺はま子」
- ^ 九ちゃん追悼作品に幻の全米ヒット曲、スポニチアネックス、2004年7月27日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
- ^ 「西條八十全集第9巻」433P
- ^ 『放送禁止歌』森達也著 光文社刊 [要ページ番号]
- ^ 大戦中と戦後の上海で2度吹き込み
- ^ 経美国太平洋微音公司より発売
- ^ a b 台湾人歌手