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* [[1889年]]([[明治]]22年)[[12月15日]] - [[町村制]]施行により余戸村、保免村、市坪村が合併して[[伊予郡]]'''余土村'''が発足した。 |
* [[1889年]]([[明治]]22年)[[12月15日]] - [[町村制]]施行により余戸村、保免村、市坪村が合併して[[伊予郡]]'''余土村'''が発足した。 |
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* [[1897年]](明治30年)[[4月1日]] - 所属郡が温泉郡に変更した。 |
* [[1897年]](明治30年)[[4月1日]] - 所属郡が温泉郡に変更した。 |
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* [[1898年]](明治31年)2月 - [[森盲天外]]が村長として就任、1907年(明治40年)までに勇退した<ref>[https://web.archive.org/web/20131029185947/http://www.i-manabi.jp/syogai/jinbutu/html/087.htm 愛媛の偉人・賢人の紹介(森盲天外)](2013年10月29日時点の[[インターネット |
* [[1898年]](明治31年)2月 - [[森盲天外]]が村長として就任、1907年(明治40年)までに勇退した<ref>[https://web.archive.org/web/20131029185947/http://www.i-manabi.jp/syogai/jinbutu/html/087.htm 愛媛の偉人・賢人の紹介(森盲天外)](2013年10月29日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。 |
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* [[1899年]](明治32年) - 「余土村村是調査」を着手した<ref name="example">{{Cite book|editor=愛媛新聞社|title=愛媛県百科大事典|year=1985|publisher=愛媛新聞社|volume=す〜わ|page=635}}</ref>。 |
* [[1899年]](明治32年) - 「余土村村是調査」を着手した<ref name="example">{{Cite book|editor=愛媛新聞社|title=愛媛県百科大事典|year=1985|publisher=愛媛新聞社|volume=す〜わ|page=635}}</ref>。 |
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** [[1900年]](明治33年)に完成、[[1903年]](明治36年)3月に大阪府で開催された第5回内国博覧会でに資料として出品、見事一等賞となり高く評価される<ref name="example" />。 |
** [[1900年]](明治33年)に完成、[[1903年]](明治36年)3月に大阪府で開催された第5回内国博覧会でに資料として出品、見事一等賞となり高く評価される<ref name="example" />。 |
2017年9月5日 (火) 01:57時点における版
よどむら 余土村 | |
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廃止日 | 1954年10月1日 |
廃止理由 |
編入合併 松山市、余土村 → 松山市 |
現在の自治体 | 松山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 温泉郡 |
総人口 |
3,925人 (国勢調査、1950年) |
余土村役場 | |
所在地 | 愛媛県温泉郡余土村 |
ウィキプロジェクト |
余土村(よどむら)は愛媛県伊予郡のち温泉郡にあった村である。由来は「和名抄」によると伊予郡余戸(あまるべ)郷に属し、余土に訛って変わったことから誕生したといわれている[1]。
歴史
- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制施行により余戸村、保免村、市坪村が合併して伊予郡余土村が発足した。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 所属郡が温泉郡に変更した。
- 1898年(明治31年)2月 - 森盲天外が村長として就任、1907年(明治40年)までに勇退した[2]。
- 1899年(明治32年) - 「余土村村是調査」を着手した[3]。
- 1900年(明治33年) - 伊予鉄道郡中線に余戸駅として設置された[3]。
- 1909年(明治42年) - 郵便局を設置した[3]。
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 松山市に編入され廃止。