「岡田春夫 (初代)」の版間の差分
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[[兵庫県]]生まれ。[[1911年]](明治44年)[[関西大学]]法律科を卒業、[[北海タイムス]]に入社し政治部記者となる。[[美唄町|美唄町議]]、[[北海道|北海道議]]、北海道参事会員を経て、[[1928年]](昭和3年)[[普通選挙]]が日本に導入されて初の[[第16回衆議院議員総選挙|総選挙]]に[[立憲民政党]]公認で旧北海道4区から立候補したが落選<ref>[https://web.archive.org/web/20140714181228/http://go2senkyo.com/precinct/shugiin/hokkaido/19045 第16回衆議院議員選挙 北海道4区 - ザ選挙] - [http://voicejapan.org/ 株式会社VoiceJapan]が運営するサイト・[http://go2senkyo.com/ ザ選挙]内のページ(但し会員限定公開ページに変更されたため[[インターネットアーカイブ]]内のページにリンク)。</ref>。[[1930年]](昭和5年)の[[第17回衆議院議員総選挙|第17回衆議院議員選挙]]に前回の総選挙と同じく民政党公認で立候補し初当選<ref name="歴代国会議員経歴要覧343">『歴代国会議員経歴要覧』、343頁。</ref>。 |
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2017年9月5日 (火) 01:11時点における版
岡田 春夫 おかだ はるお | |
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生年月日 | 1887年3月24日 |
出生地 | 兵庫県 |
没年月日 | 1937年12月11日(50歳没) |
出身校 | 関西大学 |
所属政党 | 立憲民政党 |
親族 | 長男・岡田春夫(2代目)(衆議院議員) |
岡田 春夫(おかだ はるお、1887年(明治20年)3月24日[1] - 1937年(昭和12年)12月11日)は日本の政治家。通算3回衆議院議員選挙に当選した。
生涯
兵庫県生まれ。1911年(明治44年)関西大学法律科を卒業、北海タイムスに入社し政治部記者となる。美唄町議、北海道議、北海道参事会員を経て、1928年(昭和3年)普通選挙が日本に導入されて初の総選挙に立憲民政党公認で旧北海道4区から立候補したが落選[2]。1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員選挙に前回の総選挙と同じく民政党公認で立候補し初当選[3]。
1932年(昭和7年)の第18回衆議院議員選挙では次点だったものの[4]、4年後の第19回衆議院議員選挙では再び当選し政界に返り咲いた[3]。翌年の第20回衆議院議員選挙で3度目の当選を果たすものの[3]、同年の12月11日に50歳で没した。春夫の没後、長男の岡田穣が2代目・岡田春夫を襲名した。2代目春夫は1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員選挙に日本社会党公認で立候補し初当選し[5]、のちに衆議院副議長を務めた。外交官の岡田晃は初代・岡田春夫の次男で、2代目春夫の弟にあたる。
脚注・出典
- ^ 衆議院『第五十八回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1930年(昭和5年)、36頁。
- ^ 第16回衆議院議員選挙 北海道4区 - ザ選挙 - 株式会社VoiceJapanが運営するサイト・ザ選挙内のページ(但し会員限定公開ページに変更されたためインターネットアーカイブ内のページにリンク)。
- ^ a b c 『歴代国会議員経歴要覧』、343頁。
- ^ 第18回衆議院議員選挙 北海道4区 - ザ選挙 - 株式会社VoiceJapanが運営するサイト・ザ選挙内のページ(但し会員限定公開ページに変更されたためインターネット・アーカイブ内のページにリンク)。
- ^ 『歴代国会議員経歴要覧』、343-344頁。
参考文献
- 『議会開設百周年記念 コンピュータ編集版 歴代国会議員経歴要覧』宮川隆義編集、政治広報センター発行、1990年(平成2年)11月24日第1刷第1版、ISBN 4-88094-422-X