「ピダハン語」の版間の差分
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30年間ピダハン族と共に過ごしたエヴェレットによれば、調査した時点で、ピダハン語話者のほとんどはピダハン語のみを話すモノリンガルであり、ポルトガル語に関してはわずかな単語を知っているだけだったという。一方、数年間のうち18ヶ月をピダハン族と過ごした人類学者マルコ・アントニオ・ゴンサルヴェス (Marco Antonio Gonçalves) は、次のように書いている。 |
30年間ピダハン族と共に過ごしたエヴェレットによれば、調査した時点で、ピダハン語話者のほとんどはピダハン語のみを話すモノリンガルであり、ポルトガル語に関してはわずかな単語を知っているだけだったという。一方、数年間のうち18ヶ月をピダハン族と過ごした人類学者マルコ・アントニオ・ゴンサルヴェス (Marco Antonio Gonçalves) は、次のように書いている。 |
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{{Quotation|ほとんどの男性はポルトガル語が分かるが、そのすべてがポルトガル語で自分自身を表現できるわけでない。女性はほとんどポルトガル語を理解せず、表現の形として用いることも決してない。男性たちは、ピダハン語やポルトガル語や[[ニェエンガトゥ語]]として知られるアマゾン共通語 (Língua geral amazônica) の語を交えて、地方の人々とのコミュニケーションをしながら、接触「言語」を発達させた<ref>[http://web.archive.org/web/20080521211035/http://www.socioambiental.org/pib/epienglish/piraha/ling.shtm Encyclopedia — Indigenous Peoples of Brazil](2008年5月21日時点の[[インターネット |
{{Quotation|ほとんどの男性はポルトガル語が分かるが、そのすべてがポルトガル語で自分自身を表現できるわけでない。女性はほとんどポルトガル語を理解せず、表現の形として用いることも決してない。男性たちは、ピダハン語やポルトガル語や[[ニェエンガトゥ語]]として知られるアマゾン共通語 (Língua geral amazônica) の語を交えて、地方の人々とのコミュニケーションをしながら、接触「言語」を発達させた<ref>[http://web.archive.org/web/20080521211035/http://www.socioambiental.org/pib/epienglish/piraha/ling.shtm Encyclopedia — Indigenous Peoples of Brazil](2008年5月21日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>}} |
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最近では、マンチェスター大学のJeanette Sakelがピダハン語話者におけるポルトガル語の使用状況を研究している。 |
最近では、マンチェスター大学のJeanette Sakelがピダハン語話者におけるポルトガル語の使用状況を研究している。 |
2017年9月5日 (火) 00:22時点における版
ピダハン語 | ||||
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xapaitíiso | ||||
発音 | IPA: [ʔàpài̯ˈtʃîːsò] | |||
話される国 | ブラジル | |||
地域 | アマゾン川 | |||
民族 | ピダハン族 | |||
話者数 | 250–380(2009年) | |||
言語系統 |
ムーラ語
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言語コード | ||||
ISO 639-3 |
myp | |||
Glottolog |
pira1253 [1] | |||
消滅危険度評価 | ||||
Vulnerable (Moseley 2010) | ||||
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ピダハン語(ピラハ語、ピラハー語、ピラハン語、葡: Língua pirarrã、英: Pirahã language)ブラジル・アマゾナス州に居住するピダハン族固有の言語である。ピダハン族は、アマゾン川の支流のひとつであるマイシ川沿いの4つの村に住んでいる。(2014年から)300年ほど前、金を求めてやってきたポルトガル人と接したことがあるのみで、外からの影響を拒んで暮してきた。1950年代に麻疹(はしか)が流行して伝道師を受け入れることになった。
ムーラ小語族[2]に属しており、現在はこの語族の唯一の言語である。ムーラ小語族の他の言語は、ポルトガル語の拡大によって、ここ数世紀の間に消滅した(近縁関係にある可能性の言語としては、現在でもマタナウイ語が存在する)。そのため、現在では孤立した言語に分類される。使用人口は250~380人と見積もられているものの[3]、言語の使用状況は活発で、ピダハン族のほとんどがモノリンガルであるため、危機に瀕する言語とは考えられていない。
日本では2012年にダニエル・エヴェレット『ピダハン — 「言語本能」を超える文化と世界観』(みすず書房) が翻訳され[4]、2014年8月16日にはNHKEテレで「地球ドラマチック」「ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民」が放送されて、知られるようになった。この番組によれば、ピダハン語の文法には、再帰が無いという言語学的に驚くべき特徴があり(別に節を設けて説明する)、また過去も未来も(文法に、過去形や未来形といったものが)無い。そのため彼らは「将来への不安も過去の後悔もなく」現在に生きているから幸福なのだという。またその言語学的特徴は、サピア=ウォーフの仮説に新たな視点を与える可能性といった、論争を呼ぶような要素が様々に含まれているといった主張がマスコミを通じて語られ、大きな注目を集めている、などといった扱いがされ、一般の間でそういった点が話題となった。
しかし以上のような説について他のほとんどの言語学者は、ピダハン語の文法にそのような特徴がありそれが既存の言語学を覆すようなものである、という前提の時点でそれを認めていない[5]。
ピダハン族の間で現地調査した言語学者が極めて少なく[6]、ブラジルの国立インディオ財団(FUNAI)が現地への立ち入りやピダハン族との接触を厳しく制限している事もあり、この言語を習得する難しさもまた論争を起こす一因となっている。
近年の論争
ピダハン語研究で有名な言語学者ダニエル・エヴェレット(以下、エヴェレット/元はキリスト教の伝道者だったが、ピダハンの人々が既に幸せだということに気づき、一人にも伝道できなかったことから宗教を捨て離婚して言語学者になった)は、20本以上に及ぶ論文と1冊の著書を著し、その中で、この言語の驚くべき特徴を紹介してきた。例えば次のようなものである。
- 現在知られている限りでは最も少ない音素体系の言語の一つであり、それと対応して、非常に幅広い異音のバリエーションが見られる。その中には、非常に珍しい [ɺ͡ɺ̼] や [t͡ʙ̥] という音もある。
- 極端に限定された節構造を持ち、「太郎は結婚したと次郎は考えていると三郎は言った」といった入れ子状の再帰的な文は作れない。
- 明暗以外に、色を表す抽象的な語が存在しない。ただし、これについてはポール・ケイらによって、異議が唱えられている[7]。
- 人称代名詞まるまる一式が、ニェエンガトゥ語(トゥピ語を基礎とする、かつて北ブラジルでリンガ・フランカであった言語)からの借用であるらしい。昔のピダハン語に関しては全く史料がないものの、形態の類似から考えると、この仮説は確度が高い。
- ピダハン語は口笛にも鼻歌にもでき、音楽として記号化もできる。ダニエル・エヴェレットの元妻で言語学者のカレン・エヴェレット(以下、カレン)は、現在の言語研究は言語の韻律にはほとんど注目しないために、その意味を多く見逃していると考えている。もしかすると子音と母音はすべて省略でき、意味は音の高低やアクセントやリズムの変化によってのみで伝えられるかもしれない。カレンによれば、母親は子供に、同じ音楽的パターンを歌って言語を教えるという[8]。
エヴェレットは、この言語に再帰が無いことは、(もしそれが正しいとすれば)チョムスキー言語学の根底を崩すものとなると主張している。この説はしかし、「エヴェレット自身がピダハン語の中に再帰を認めているではないか」と、多くの言語学者から反論を受けている。これに対しエヴェレットは、表面的には再帰的であるように見えるとする当初の発言は、ピダハン語に対する知識不足による誤った解釈であったと言っている。なお、チョムスキーを含め何人かの言語学者は、たとえピダハン語が再帰を欠くとしても、チョムスキーの理論には影響がないと論じている[3][9][10]。
音韻
現在知られている限りでは、ロトカス語やハワイ語と並んで、もっとも簡単な音韻体系の言語の一つであると言われる。音素の数は10個と非常に少なく、ロトカス語よりもひとつ少ないという見解があるが、これは [k] が /hi/ の基底であると考えた場合である。他の言語との比較から言えば、そういった考えは奇妙であると言えるが、言語学者イアン・マディスン は、ピダハン語においは [k] が通常では考えられない分布をしていることを発見した[要出典]。
また「10個の音素」説は、ピダハン語の諸々の声調について考慮していない。少なくともその内の2つは音素的であり(エヴェレットは、片方を鋭アクセント、もう片方を記号なしか重アクセントで表記)、少なくとも音素は12個まで増える。シェルダン[11]は三種の声調があると考え、高中低をそれぞれ (¹)、(²)、(³) と記す。
音素目録
ピダハン語やロトカス語のような極めて小規模で、また異音の幅が広い言語の音素目録を作成する場合には、その音韻組織の特性から、研究者によってかなり異なったものになることに注意されたい。
母音
前舌 | 後舌 | |
---|---|---|
狭 | [i] | [o] |
広 | [a] |
子音
文節音素は次の通り:
両唇 | 歯茎 | 軟口蓋 | 声門 | ||
---|---|---|---|---|---|
破裂 | 無声 | [p] | [t] | [(k)] | [ʔ] |
有声 | [b ~ m] | [ɡ ~ n] | |||
摩擦 | 無声 | [s ~ h] | [h] |
/ʔ/ は「x」で表記される。/k/ は /hi/ の異音と言われている。女性はしばしば /s/ の代わりとして /h/ を使う。
語彙
ピダハン語にはわずかに借用語があり、主にポルトガル語からである。「kóópo(コップ)」はポルトガル語「copo」から、「bikagogia(商い)」は「mercadoria(商品)」から借用されたものがある。[12]。
親族関係の語彙
エヴェレットは、ピダハン族の親族体系は、今日知られている人類の文化の中では最も単純なものであると論じている[13]。baíxi という一語が、母親にも父親にも使われる。日本語の「親」に相当するが、ピダハン語では性差で区別する語がない。また、生物学上の兄弟姉妹より離れた親族関係については考慮にない。
数詞と文法上の数
エヴェレットはかつて、「1(hói)」と「2(hoí)」は、ただ声調によって区別されるのみであるとしていたが[14]、その後の論文では、ピダハン語には数の語彙が全く無いとしている[15]。
フランクらの報告[16] には、4人のピダハン語話者に行った二つの実験が記されている。最初の実験は、10個のバッテリーを一つのテーブルに一つずつ置いてゆき、ピダハン語話者に何個あるか尋ねるというものである。この言語に「1」と「2」に相当する語があるという仮説の通りに、4人の話者はみな一様に、1個のバッテリーには「hói」、2個には「hoí」を使い、それ以上には「hoí」と「たくさん」を混ぜた語を使った。次の実験は、最初に10個のバッテリーをテーブルに置き、今度は一つずつ減らしてゆくというものであった。バッテリーが6個になった時、ひとりの話者は(「1」であると考えられていた語である)「hói」を使い、バッテリーが3個になると、4人全員が一様に「hói」を使った。フランクらは、二つの実験における彼らの行動上の差異についての解釈は試みていないが、この二つの語に関しては「『1』のような絶対的な語であるというよりは、『少し(英: few)』『より少し(英: fewer)』というような相対的・比較的な語である可能性の方が遥かに高い」と結論している。
その後、この地に学校が開校し、そこではポルトガル語と数学も教えられている。結果、このようなピダハン族の数概念に関する文化は失われることになった。国立インディオ財団によれば、この学校はブラジルの教育省が責任を負っている。
文法上では、単数・複数の違いがなく、これは代名詞においてさえも見られない。
色の語彙
ピダハン語には色彩を指す抽象語がない数少ない文化の一つであると言われている。こういった文化は、主にアマゾン盆地やニューギニアに見られ、そこでは「明るい」や「暗い」を指すを特定の語のみ存在する。エヴェレットの博士論文にあるピダハン語の小辞典には、色彩の語彙目録があるものの、その後の20年に及ぶ現地調査から、2006年の論文[17] では、これらは色そのものを指す語彙ではなく、色を描写する言い回し(例えば、赤に対して「血(のような)」という具合)であると考えを改めている。
サピア=ウォーフの仮説との関係
サピア=ウォーフの仮説では、ある人が話す言語と、その人の世界の認識の仕方には関係があると考える[18]。ピダハン族の数に関する知識とこの仮説の重大な関連性について、フランクらによる結論[19]は簡潔に言えば次のようになる。ピダハン族は目の前にあるものについては、(その数が多くても)数を大体把握できる。しかし、目の前にあるものを、数を認識してくれるよう頼む前に隠してしまうと、困難となってしまう。
正確な数量を持たない言語であっても、それはピダハン族が(沢山のものを数えた場合に、それと等しい)正確な数を必要とする仕事を的確に行うことができないことを意味するわけではない。このことは、「数を表す言葉が、正確な数量という概念を生む」というウォーフの強い主張に反証する。(中略)それよりも、大きく正確な基数を表現できる言語は、その話者に対して、それよりかは控えめな影響を与えることをピダハン族のケースは示唆している。これらの諸言語では、話者は、空間・時間・モダリティの変化を飛び越えた正確な基数の情報を記憶・比較することが出来る。(中略)このようにピダハン族は「1」の概念を(それを表す言葉がないが)理解している。さらに彼らは、ある一揃いものに「1」を足す、または引くことによって、一揃いのものの数量が変化することも理解しているように思われる。この知識の一般性は、数を表す言葉を用いて任意の基数にラベルを貼っていく能力がなければ、難しいにもかかわらず。 — Frank (2008)
ピダハン族は、この文化的ギャップが原因で、商売取引でだまされていたので、エヴェレットにごく基本的な数学的能力を付けさせてくれるよう頼んだ。8ヶ月間、エヴェレットとともに日々熱心に学んだものの、成果は得られず、ピダハン族は自分たちにはこの種のことは身に付けられないと結論し、勉強をやめた。ピダハン族には、10まで数えたり、「1 + 1」が分かる人は一人もいなかった[20]。
エヴェレットは、彼らが数を数えられないのは、二つの文化的理由と、一つの形式言語学的理由があると論じている。第一に、彼らは数を数えることのない遊動の狩猟採集民であり、それゆえ実践することもない。第二に、現在を越えて物事を概括的に述べることに対して文化的制約があり、そのことが数を排除する。第三に、何人かの研究者によれば、数の語彙や数を数えることは言語上の再帰を基礎とする[21]ものであり、ピダハン語には再帰がないので、必然的に数えることができない。換言すればそれはつまり必要性の欠如であり、それが数える能力とそれに対応する語彙の双方の欠如を説明する。エヴェレットは、ピダハン族が頭の中での認識レベルでも数えることができないとは主張してない。前述のように、現在ではこの文化は失われつつある。
他の言語に関する知識
30年間ピダハン族と共に過ごしたエヴェレットによれば、調査した時点で、ピダハン語話者のほとんどはピダハン語のみを話すモノリンガルであり、ポルトガル語に関してはわずかな単語を知っているだけだったという。一方、数年間のうち18ヶ月をピダハン族と過ごした人類学者マルコ・アントニオ・ゴンサルヴェス (Marco Antonio Gonçalves) は、次のように書いている。
最近では、マンチェスター大学のJeanette Sakelがピダハン語話者におけるポルトガル語の使用状況を研究している。
エヴェレットによれば、ピダハン族がポルトガル語を話す時には、非常に初歩的なポルトガル語の語彙をピダハン語文法を用いながら使い、またそのポルトガル語は極めて特定のトピックに限定されているため、ピダハン族はモノリンガルと言うことができた。彼らは非常に狭い領域の話題においては、極めて制約された語彙を用いてコミュニケーションがとれるので、これはゴンサルヴェスの見解と矛盾しないという。ゴンサルヴェスは、ピダハン族に教わったいくつかの話を丸ごと引用しているが、エヴェレットは、それらの話の中のポルトガル語は、語られたものを文字通り書き起こしたものではなく、ピダハン族のピジン・ポルトガル語からの自由訳であると主張している (Everett, 2009)。
現在では、上述のようにポルトガル語教育が行われている。
脚注
- ^ Hammarström, Harald; Forkel, Robert; Haspelmath, Martin et al., eds (2016). “ピダハン語”. Glottolog 2.7. Jena: Max Planck Institute for the Science of Human History
- ^ 亀井孝 編 (1992), 『言語学大辞典』 第4巻, 三省堂, p.360
- ^ a b Nevins, Andrew, David Pesetsky and Cilene Rodrigues (2009). "Piraha Exceptionality:a Reassessment", Language, 85.2, 355–404.
- ^ 原題は"DON'T SLEEP, THERE ARE SNAKES"となっていて「おやすみ」の意味だという。訳者によれば「ピダハンの人々は夜になったからといってまとまった時間熟睡してしまうわけではないらしいから、深更別れを告げるとき、油断するなよ、と警告し合うのだろう」という。
- ^ RECURSION AND HUMAN THOUGHT | Edge.org
- ^ NHK「ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民」によれば、ダニエル・エヴェレットと元妻と、前任の伝道師の3人だけだという。
- ^ Everett (2005)
- ^ John Colapinto (2007), "The Interpreter". The New Yorker, 2007-04-16
- ^ Daniel Everett (2009), "Pirahã Culture and Grammar:a Response to some criticism", Language, 85.2, 405–442.
- ^ Nevins, Andrew, David Pesetsky and Cilene Rodrigues (2009), "Evidence and Argumentation:a Reply to Everett (2009)", Language, 85.3, 671–681.
- ^ (Sheldon, 1988)
- ^ NHK「ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民」によれば、数を表す言葉がないが、自然知識に関しては非常に詳しいという。
- ^ Everett (2005)
- ^ Everett (1986)
- ^ Everett (2005)
- ^ Frank (2008)
- ^ Everett (2006)
- ^ NHK「ピダハン —謎の言語を操るアマゾンの民」によれば、実験心理学者スティーブン・ピンカーは言語と文化は関係がないと話している。
- ^ Frank (2008)
- ^ Everett, Daniel L. (2005) "Cultural Constraints on Grammar and Cognition in Pirahã". Current Anthropology, vol.46, issue 4, p.11
- ^ この「数の語彙や数を数えることは言語上の再帰を基礎とする」という前提はありていに言ってかなりあやしい。現代的な Church encoding や Mogensen–Scott encoding など(en:Church encoding、en:Mogensen–Scott encoding)を持ち出すのはさておくとしても、無限にある、数というものを、再帰的な扱いによって扱うようになったのはいわゆる「ゼロの発見」よりも後だと考えられる。非再帰的であるために、より大きい数の表現のために新しい記号の追加が必要な記数法の体系として最も著名なものはローマ数字であろうか。「言語上の再帰を基礎と」して数を扱う、よりも以前の、言語における数は以上のように歴史を顧みれば、普通に存在している。
- ^ Encyclopedia — Indigenous Peoples of Brazil(2008年5月21日時点のアーカイブ)
参考文献
- Dixon, R. M. W. and Alexandra Aikhenvald, eds., (1999) The Amazonian Languages. Cambridge University Press.
- Everett, D. L. (1992) A Língua Pirahã e a Teoria da Sintaxe:Descrição, Perspectivas e Teoria (The Pirahã Language and Syntactic Theory:Description, Perspectives and Theory). Ph.D. thesis. (in Portuguese). Editora Unicamp, 400 pages;ISBN 85-268-0082-5.
- Everett, Daniel (1986) "Piraha". In the Handbook of Amazonian Languages, vol I. Desmond C. Derbyshire and Geoffrey K. Pullum (eds). Mouton de Gruyter.
- Everett, Daniel (1988) On Metrical Constituent Structure in Piraha Phonology. Natural Language & Linguistic Theory 6:207–246
- Everett, Daniel and Keren Everett (1984) On the Relevance of Syllable Onsets to Stress Placement. Linguistic Inquiry 15:705–711
- Everett, Daniel (2005) Cultural Constraints on Grammar and Cognition in Pirahã:Another Look at the Design Features of Human Language. Current Anthropology 46:621–646
- Keren Everett (1998) Acoustic Correlates of Stress in Pirahã. The Journal of Amazonian Languages:104–162. (Published version of University of Pittsburgh M.A. thesis.)
- Nevins, Andrew, David Pesetsky and Cilene Rodrigues (2009) "Piraha Exceptionality:a Reassessment", Language, 85.2, 355–404. 2009, a response to Everett (2005).
- Everett, Daniel (2009) "Pirahã Culture and Grammar:A Response to Some Criticism", Language, 85.2, 405–442, reply to previous article.
- Nevins, Andrew, David Pesetsky and Cilene Rodrigues (2009) "Evidence and Argumentation:a Reply to Everett (2009)", Language", 85.3, 671–681. 2009, reply to previous article
- Sauerland, Uli. (2010). "Experimental Evidence for Complex Syntax in Pirahã"".
- Sheldon, Steven N. (1974) Some Morphophonemic and Tone Perturbation Rules in Mura-Pirahã. International Journal of American Linguistics, v. 40 279–282.
- Sheldon, Steven N. (1988) Os sufixos verbais Mura-Pirahã (=Mura-Pirahã verbal suffixes). SIL International, Série Lingüística Nº 9, Vol. 2:147–175 PDF.
- Thomason, Sarah G. and Daniel L. Everett (2001) Pronoun Borrowing. Proceedings of the Berkeley Linguistic Society 27. PDF.
- Michael Frank (2008) "Number as a Cognitive Technology:Evidence from Pirahã Language and Cognition". PDF.
附: 言語と再帰
エヴェレットの説に賛成するにしても反対するにしても、言語と再帰の関係についての理解が大前提となるが、国語や英語といった教科教育では言語学的なこういったことが説明されることがまず無いため、節を設けて説明する。
古典的には言語の文法について、英語の基本5文型(SV, SVC, SVO, SVOO, SVOC)といったように、有限個の類型に分類するスタイルがあった。これに対しチョムスキー以降の現代言語学では[1]、次のように、再帰が使われるようなかたちで文法を示す。
ここでは英語を例に、句構造文法とBNFでその文法のごく一部を示す(マイナス記号2つ -- の後ろはコメント)。
文 → 動詞句 -- 命令文 文 → 名詞句 動詞句 -- 平叙文 動詞句 → 動詞 名詞句 → 名詞 名詞句 → 形容詞 名詞句
この文法から、たとえば "Big furious bears ran." というような文が導出できる。ここで "big furious bears" という句は全体として名詞句であるが、「名詞句 → 形容詞 名詞句」「名詞句 → 名詞」という2つの規則により生成が再帰的に行われ、「名詞句 → 形容詞 (形容詞 名詞)」となっていることが重要である(同様に繰り返すことで、いくらでも長い「名詞句」を作ることができる、ということは明らかであろう)。
自然言語一般に「その言語において正しい文」というものは、無限にあるように思われる(それに対し、たとえば日本語で「猛烈に眠る考え緑色の無色の」は、正しい文とは普通は考えられない(言語学の用語で「非文」という))。このような無限の文は、前述のようにして、文法に再帰があることで可能になっていると現代の言語学では考える。また、そのように無限に新しく文を考えられることが、創造性などを支えているようにも思われる。
そしてチョムスキーは、ヒトには一般に、初めて見聞きした文であっても、それが正しい文か「非文」かを、何らかの文法(ここで提示したBNFといったような形で直接にではないかもしれないが)にもとづいて認識できる生得的な何かがあるという仮説を提示した(普遍文法の記事を参照。ただし、ヒトの言語について「一般的な認知能力の発現」と捉える認知言語学からは、これには批判がある)。
以上のような背景があることから、もし「再帰が無い言語がある」とすれば、それは大発見である、というような主張につながるわけである。
- ^ チョムスキー自身が何度も方向修正を繰り返したため(21世紀では、1990年代に提唱された minimalist program(en:Minimalist program)が主流である)、外部からは誤解も多いが、ほとんどの言語学者は生成文法の理論は基本的には問題ないものと考えている。