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「雪椿」の版間の差分

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== 解説 ==
== 解説 ==
*小林が長年に渡って所属していた第一プロダクションを退社独立後、個人事務所の幸子プロモーションを設立して初の第一弾シングルとして発売された。小林が『今回は[[星野哲郎]]先生に書いていただきたい。』と考えていて、自ら星野の元へ依頼に出向いて星野から『幸子のお母さんやデビュー前の新潟時代の思い出話を聞かせて。』と言われて、先生とたくさんお話をしてから歌詞に私のイメージなどをふくらませて制作していただいたと2017年5月の[[日本放送協会|NHK]][[土曜スタジオパーク]]ゲスト出演時に語っている。発売後には1987年から翌[[1988年]]の2年跨ぎのロングセラーになり、[[オリコンチャート|オリコンシングルチャート]]の100位以内には通算104週間ランクイン、累計では75万枚<ref>『精選盤 昭和の流行歌 流行歌物語』[[ユーキャン|日本音楽教育センター]]、29頁。</ref>または80万枚<ref>[http://web.archive.org/web/20041225001117/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2004/12/24/04.html 小林幸子 ド派手衣装封印で紅白大トリ]、[[スポーツニッポン|スポニチアネックス]]、2004年12月24日。([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>の大ヒットとなった。
*小林が長年に渡って所属していた第一プロダクションを退社独立後、個人事務所の幸子プロモーションを設立して初の第一弾シングルとして発売された。小林が『今回は[[星野哲郎]]先生に書いていただきたい。』と考えていて、自ら星野の元へ依頼に出向いて星野から『幸子のお母さんやデビュー前の新潟時代の思い出話を聞かせて。』と言われて、先生とたくさんお話をしてから歌詞に私のイメージなどをふくらませて制作していただいたと2017年5月の[[日本放送協会|NHK]][[土曜スタジオパーク]]ゲスト出演時に語っている。発売後には1987年から翌[[1988年]]の2年跨ぎのロングセラーになり、[[オリコンチャート|オリコンシングルチャート]]の100位以内には通算104週間ランクイン、累計では75万枚<ref>『精選盤 昭和の流行歌 流行歌物語』[[ユーキャン|日本音楽教育センター]]、29頁。</ref>または80万枚<ref>[http://web.archive.org/web/20041225001117/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2004/12/24/04.html 小林幸子 ド派手衣装封印で紅白大トリ]、[[スポーツニッポン|スポニチアネックス]]、2004年12月24日。([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>の大ヒットとなった。
*曲名の[[ユキツバキ]]は、小林の出身地である[[新潟県|越後]]の花であることや、後述の[[新潟県中越地震|中越地震]]のエピソードもあって、小林自身は同曲のことを「宝物」と話している。
*曲名の[[ユキツバキ]]は、小林の出身地である[[新潟県|越後]]の花であることや、後述の[[新潟県中越地震|中越地震]]のエピソードもあって、小林自身は同曲のことを「宝物」と話している。
*『[[NHK紅白歌合戦]]』(NHK)では、1987年([[第38回NHK紅白歌合戦|第38回]])、1988年([[第39回NHK紅白歌合戦|第39回]])、[[2004年]]([[第55回NHK紅白歌合戦|第55回]])と3回歌唱されている(そのうち、1988年は紅組トリ、2004年は大トリ)。
*『[[NHK紅白歌合戦]]』(NHK)では、1987年([[第38回NHK紅白歌合戦|第38回]])、1988年([[第39回NHK紅白歌合戦|第39回]])、[[2004年]]([[第55回NHK紅白歌合戦|第55回]])と3回歌唱されている(そのうち、1988年は紅組トリ、2004年は大トリ)。

2017年9月5日 (火) 00:01時点における版

「雪椿」
小林幸子シングル
B面 むちゃくちゃ惚れでございます
リリース
ジャンル 演歌
レーベル ワーナー・パイオニア
作詞・作曲 星野哲郎(作詞)
遠藤実(作曲)
チャート最高順位
  • 週間23位(オリコン
  • 1988年度年間29位(オリコン)
小林幸子 シングル 年表
別離
1986年
雪椿
(1987年)
不断草
1988年
テンプレートを表示

雪椿」(ゆきつばき)は、小林幸子の楽曲で、43枚目のシングル1987年6月25日に発売された。

解説

  • 小林が長年に渡って所属していた第一プロダクションを退社独立後、個人事務所の幸子プロモーションを設立して初の第一弾シングルとして発売された。小林が『今回は星野哲郎先生に書いていただきたい。』と考えていて、自ら星野の元へ依頼に出向いて星野から『幸子のお母さんやデビュー前の新潟時代の思い出話を聞かせて。』と言われて、先生とたくさんお話をしてから歌詞に私のイメージなどをふくらませて制作していただいたと2017年5月のNHK土曜スタジオパークゲスト出演時に語っている。発売後には1987年から翌1988年の2年跨ぎのロングセラーになり、オリコンシングルチャートの100位以内には通算104週間ランクイン、累計では75万枚[1]または80万枚[2]の大ヒットとなった。
  • 曲名のユキツバキは、小林の出身地である越後の花であることや、後述の中越地震のエピソードもあって、小林自身は同曲のことを「宝物」と話している。
  • NHK紅白歌合戦』(NHK)では、1987年(第38回)、1988年(第39回)、2004年第55回)と3回歌唱されている(そのうち、1988年は紅組トリ、2004年は大トリ)。
  • 2005年の『第56回NHK紅白歌合戦』の出場者選考の参考資料としてNHKが実施した『スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜』に紅組48位にランクイン。

収録曲

  1. 雪椿
  2. むちゃくちゃ惚れでございます

脚注

  1. ^ 『精選盤 昭和の流行歌 流行歌物語』日本音楽教育センター、29頁。
  2. ^ 小林幸子 ド派手衣装封印で紅白大トリスポニチアネックス、2004年12月24日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)

関連項目