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=== 政策・主張 ===
=== 政策・主張 ===
*選択的[[夫婦別姓]]制度を推進。男女共同参画社会基本法が施行され、社会生活のあらゆる面で[[男女同権|男女平等]]が進むことが期待されるものの、結婚の際にもっぱら女性が改正を迫られ不利益を被っているケースが多く、夫婦別姓制度の導入が必要。これまでの習慣や古い考え方から、別姓の制度化は困難が予想されるが、選択的夫婦別姓制度は、別姓を強制するものではなく理解を得やすいと考える、と述べている。 家族に関しては、家族は、違った個性を持つ男女が夫婦となってスタートするものであり、個性を認め合いながら生活を続ける中で、だんだんと「家族」としての一体感がでてくるものであり、[[国際連合|国連]]の宣言には同感。家族の問題に政府が介入するべきではない、と述べている<ref>別姓通信2000年6月</ref>。
*選択的[[夫婦別姓]]制度を推進。男女共同参画社会基本法が施行され、社会生活のあらゆる面で[[男女同権|男女平等]]が進むことが期待されるものの、結婚の際にもっぱら女性が改正を迫られ不利益を被っているケースが多く、夫婦別姓制度の導入が必要。これまでの習慣や古い考え方から、別姓の制度化は困難が予想されるが、選択的夫婦別姓制度は、別姓を強制するものではなく理解を得やすいと考える、と述べている。 家族に関しては、家族は、違った個性を持つ男女が夫婦となってスタートするものであり、個性を認め合いながら生活を続ける中で、だんだんと「家族」としての一体感がでてくるものであり、[[国際連合|国連]]の宣言には同感。家族の問題に政府が介入するべきではない、と述べている<ref>別姓通信2000年6月</ref>。
*[[2003年]]、[[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
*[[2003年]]、[[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2017年9月4日 (月) 23:43時点における版

菅野 哲雄
生年月日 (1948-10-22) 1948年10月22日(76歳)
出生地 日本の旗宮城県気仙沼市
出身校 一関工業高等専門学校
前職 気仙沼市議会議員
現職 全国連合自治体政策局長
宮城県支部連合会代表
所属政党 社会民主党
称号 準学士
公式サイト 「菅野(かんてつ)哲雄」

選挙区 比例東北ブロック宮城6区
当選回数 2回
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菅野 哲雄(かんの てつお、旧姓:小山こやま)、1948年10月22日- )は、日本政治家。元衆議院議員(2期)。ニックネームは「かんてつ」。

概要

略歴

宮城県気仙沼市生まれ。1969年一関工業高等専門学校卒業。1973年に気仙沼市役所に就職。

1985年、気仙沼市議会議員選挙に出馬し、初当選。市議を4期務める。4期目の任期途中の2000年自由民主党小野寺五典の議員辞職に伴う衆議院宮城6区補欠選挙社会民主党公認で出馬するが、民主党大石正光に敗れ落選した。同年の第42回衆議院議員総選挙に再出馬し、宮城6区では再度落選したが、重複立候補していた比例東北ブロックで復活し、当選。

2003年第43回衆議院議員総選挙では、宮城6区で小野寺五典に敗れ、比例復活もならず落選。2004年第20回参議院議員通常選挙比例区から出馬するも、またも落選した。2005年第44回衆議院議員総選挙では、宮城6区で再度小野寺に敗れたが、比例復活により4年ぶりに当選。

2009年第45回衆議院議員総選挙では、宮城6区で三度小野寺に敗れ、比例復活叶わず落選。

2010年第22回参議院議員通常選挙では、宮城県選挙区から社会民主党公認で出馬するが落選。

2012年第46回衆議院議員総選挙では、比例単独で出馬するが落選。

政策・主張

  • 選択的夫婦別姓制度を推進。男女共同参画社会基本法が施行され、社会生活のあらゆる面で男女平等が進むことが期待されるものの、結婚の際にもっぱら女性が改正を迫られ不利益を被っているケースが多く、夫婦別姓制度の導入が必要。これまでの習慣や古い考え方から、別姓の制度化は困難が予想されるが、選択的夫婦別姓制度は、別姓を強制するものではなく理解を得やすいと考える、と述べている。 家族に関しては、家族は、違った個性を持つ男女が夫婦となってスタートするものであり、個性を認め合いながら生活を続ける中で、だんだんと「家族」としての一体感がでてくるものであり、国連の宣言には同感。家族の問題に政府が介入するべきではない、と述べている[1]
  • 2003年静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[2]

脚注