「築地市場移転問題」の版間の差分
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** 2001年に「第7次東京都卸売市場整備計画」策定、築地での建て替えを断念し、移転計画を選択した。 |
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築地市場が、取り扱い数量の拡大([[2005年]]に2140[[トン]]で日本最高)により施設が手狭になったことや[[1935年]](昭和10年)開場の施設の老朽化や違法駐車増加、[[銀座]]などに近い<ref group="注">正門から銀座4丁目交差点まで1km強。</ref>築地という立地条件の良さの他目的への利用価値の観点から、道路条件や駐車スペースなど[[2012年]](平成24年)をめどに[[東京都]][[江東区]]の[[東京ガス]]の工場跡地の[[豊洲市場]]への移転が検討された。東京都は、築地市場の移転先を豊洲にすることは元々反対の立場で築地市場の再整備を始めていたが、営業しながらの再整備工事は完成まで長期間かかり、再整備工事期間中は市場の営業活動に悪影響をもたらすことなどの問題点が浮上し、当初の計画通りに工事を進めることが困難なことから賛成へと変化し、[[2001年]](平成13年)に再整備をやめて豊洲に移転することを決定した。東京都側と築地市場業界との協議機関として、新市場建設協議会が設置されており、[[2004年]](平成16年)[[7月]]、「豊洲新市場基本計画」<ref>[http://web.archive.org/web/20060208164634/http://www.shijou.metro.tokyo.jp/korekara/02/index.html 豊洲新市場の計画](2006年2月8日時点の[[インターネット |
築地市場が、取り扱い数量の拡大([[2005年]]に2140[[トン]]で日本最高)により施設が手狭になったことや[[1935年]](昭和10年)開場の施設の老朽化や違法駐車増加、[[銀座]]などに近い<ref group="注">正門から銀座4丁目交差点まで1km強。</ref>築地という立地条件の良さの他目的への利用価値の観点から、道路条件や駐車スペースなど[[2012年]](平成24年)をめどに[[東京都]][[江東区]]の[[東京ガス]]の工場跡地の[[豊洲市場]]への移転が検討された。東京都は、築地市場の移転先を豊洲にすることは元々反対の立場で築地市場の再整備を始めていたが、営業しながらの再整備工事は完成まで長期間かかり、再整備工事期間中は市場の営業活動に悪影響をもたらすことなどの問題点が浮上し、当初の計画通りに工事を進めることが困難なことから賛成へと変化し、[[2001年]](平成13年)に再整備をやめて豊洲に移転することを決定した。東京都側と築地市場業界との協議機関として、新市場建設協議会が設置されており、[[2004年]](平成16年)[[7月]]、「豊洲新市場基本計画」<ref>[http://web.archive.org/web/20060208164634/http://www.shijou.metro.tokyo.jp/korekara/02/index.html 豊洲新市場の計画](2006年2月8日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>が策定された。 |
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移転問題が浮上した際の[[東京都知事一覧|東京都知事]]であった[[石原慎太郎]]は「築地は古くて清潔でない。都民や消費者の利益を考えれば、市場を維持するわけにはいかない。ほかに適地はない」と示したこと、石原が[[2007年東京都知事選挙|2007年の都知事選挙]]に於いて三選された後の記者会見を行った際に「築地市場には大量の[[石綿|アスベスト]]が存在しており移転は必要である」と発言している<ref>{{Cite news |title= 築地市場 豊洲移転をめぐる歴代都知事の発言を振り返るnewspaper= 毎日新聞|date= 2016-8-31|agency= 毎日新聞社|url= http://mainichi.jp/articles/20160901/k00/00m/010/018000c|accessdate=2016-9-27}}</ref>。 |
移転問題が浮上した際の[[東京都知事一覧|東京都知事]]であった[[石原慎太郎]]は「築地は古くて清潔でない。都民や消費者の利益を考えれば、市場を維持するわけにはいかない。ほかに適地はない」と示したこと、石原が[[2007年東京都知事選挙|2007年の都知事選挙]]に於いて三選された後の記者会見を行った際に「築地市場には大量の[[石綿|アスベスト]]が存在しており移転は必要である」と発言している<ref>{{Cite news |title= 築地市場 豊洲移転をめぐる歴代都知事の発言を振り返るnewspaper= 毎日新聞|date= 2016-8-31|agency= 毎日新聞社|url= http://mainichi.jp/articles/20160901/k00/00m/010/018000c|accessdate=2016-9-27}}</ref>。 |
2017年9月4日 (月) 23:37時点における版
築地市場移転問題では、東京都中央卸売市場の築地市場 (中央区)から豊洲市場 (江東区)への移転に関して発生している諸問題である。豊洲問題、豊洲市場問題、豊洲市場移転問題と報じられることもある[1][2]。
経緯
築地市場は、当初、列車輸送が想定されていたためトラック駐車スペースは狭小であった。そのため、再整備なども検討されたが、最終的に豊洲市場への移転計画が決定された経緯がある。
- これまでの経緯[3]
- 1972年(昭和47年)〜1985年(昭和60年)
- 「第1次東京都卸売市場整備計画」〜「第3次東京都卸売市場整備計画」
- 大井市場(現大田市場)に一部機能移転を検討するが、業界の意見を統一できず、断念。
- 1986年(昭和61年)〜1997年(平成9年)
- 1999年(平成11年)〜2001年(平成13年)
- 築地での再整備の再検討と、移転整備の検討。
- 2001年に「第7次東京都卸売市場整備計画」策定、築地での建て替えを断念し、移転計画を選択した。
築地市場が、取り扱い数量の拡大(2005年に2140トンで日本最高)により施設が手狭になったことや1935年(昭和10年)開場の施設の老朽化や違法駐車増加、銀座などに近い[注 1]築地という立地条件の良さの他目的への利用価値の観点から、道路条件や駐車スペースなど2012年(平成24年)をめどに東京都江東区の東京ガスの工場跡地の豊洲市場への移転が検討された。東京都は、築地市場の移転先を豊洲にすることは元々反対の立場で築地市場の再整備を始めていたが、営業しながらの再整備工事は完成まで長期間かかり、再整備工事期間中は市場の営業活動に悪影響をもたらすことなどの問題点が浮上し、当初の計画通りに工事を進めることが困難なことから賛成へと変化し、2001年(平成13年)に再整備をやめて豊洲に移転することを決定した。東京都側と築地市場業界との協議機関として、新市場建設協議会が設置されており、2004年(平成16年)7月、「豊洲新市場基本計画」[4]が策定された。
移転問題が浮上した際の東京都知事であった石原慎太郎は「築地は古くて清潔でない。都民や消費者の利益を考えれば、市場を維持するわけにはいかない。ほかに適地はない」と示したこと、石原が2007年の都知事選挙に於いて三選された後の記者会見を行った際に「築地市場には大量のアスベストが存在しており移転は必要である」と発言している[5]。
移転への反対論
移転先の場所は、かつて東京ガスのガス貯蔵施設があり、それによる土壌汚染が判明している(東京ガスから東京都側にはそのことの説明が行われており、東京都庁は承知していた)。このため豊洲への移転には反対論が存在し、東京都議会においては民主党(現 民進党)などが反対している。
東京都などは、汚染された土を掘り出し浄化処理して埋め戻したことから問題はないとして移転計画を推進しているが、一方で"豊洲は汚染されている"とした移転反対運動がある。これを裏付けるように、都が2007年(平成19年)10月6日に発表した調査結果で地下水はベンゼン、シアン化合物、鉛、ヒ素が環境基準を、土壌はベンゼン、シアン化合物、ヒ素が環境基準を上回る汚染が明らかになった。これと共に東京湾の環境問題も注目され、そこで獲れる魚介類の汚染も浮き彫りになっている[6]。
なお、環境問題に関しては現在の築地市場でも、大日本帝国海軍の毒ガスや化学兵器の研究を行う「技術研究所研究部化学兵器研究室」が設けられていた時期があったことや[7]、地下には第五福竜丸によって水揚げされた、ビキニ環礁の水爆で被爆したマグロ(当時「原爆マグロ」と呼ばれた)が埋められている問題が存在している。ただし、それによる汚染を客観的に数値化した資料は存在していなかった [8]。
2009年(平成21年)7月の東京都議会選挙の結果、移転賛成派の自由民主党に代わって反対派の民主党が都議会第一党となり、移転へのハードルが上がった。同年9月には赤松広隆農林水産大臣が築地市場を訪れ、安全性が担保されない限り、卸売市場法に基づく許認可を出さない方針を表明している。民主党は豊洲移転に替わる案として、晴海地区を利用し、現在の築地市場を再整備する案を表明している。この案には民主党の他に日本共産党も賛成しており、豊洲移転推進派の自由民主党と公明党は反対している[9]。
しかしその後都議会民主党は、都が関係者と合意したことで移転賛成に転じた。2012年(平成24年)3月29日の都議会では、市場移転費用を含む新年度予算案が賛成多数で可決し、移転はほぼ確実になった。その後も工事と同時並行で協議は進み、2014年(平成26年)12月17日の新市場建設協議会において、2016年(平成28年)11月7日に豊洲市場を開場する方向で正式に決定した。
移転後の築地活用
移転後の築地市場跡地の活用方法として、招致活動を行った2016年東京オリンピックのメディアセンターとする構想を明らかにしていた[10]が、2008年(平成20年)10月31日の定例記者会見で石原都知事はこれを断念し、東京ビッグサイトにメディアセンターを設置する方針を表明した。ただし、2016年のオリンピックがリオデジャネイロに決まったことによりこの案は一旦消滅し、2020年東京オリンピック構想に引き継がれる。
また、石原都知事は2006年(平成18年)9月8日の定例記者会見において築地市場跡地に「NHKが移転する」と発言し波紋を広げたが、NHKは「そんな計画はあったようななかったような」と否定している[11]。
移転延期
2016年(平成28年)8月31日、東京都の小池百合子都知事は同年11月7日に予定されていた豊洲市場の開場を延期すると共に、築地市場の解体工事も延期すると発表した[12]。
同年9月に、豊洲市場における土壌汚染対策等に関する専門家会議が設置され、座長に平田健正(元和歌山大学副学長)が、委員に駒井武(東北大学工学部教授)、内山巖雄(医師、京都大学名誉教授)が、オブザーバーに小島敏郎(弁護士、元環境省地球環境審議官)が、それぞれ就任した[13]。2017年(平成29年)3月19日、同会議は豊洲市場につき、科学的、法的に安全であるとの評価を行った[14]。
脚注
注釈
- ^ 正門から銀座4丁目交差点まで1km強。
出典
- ^ 「豊洲市場問題」-NHK NEWS WEB
- ^ 小池百合子知事の両立構想に専門家「素人考え」 批判相次ぐ-産経ニュース
- ^ 築地市場移転決定に至る経緯(東京都中央卸売市場:行政情報)
- ^ 豊洲新市場の計画(2006年2月8日時点のアーカイブ)
- ^ “築地市場 豊洲移転をめぐる歴代都知事の発言を振り返るnewspaper= 毎日新聞”. 毎日新聞社. (2016年8月31日) 2016年9月27日閲覧。
- ^ 魚介類の油汚染(その1)江戸前穴子の油汚染
- ^ 昭和48年の「旧軍毒ガス弾等の全国調査」フォローアップ調査報告書 4.1旧軍毒ガス弾等の研究、生産および配備等の経緯 環境省 2002年11月28日
- ^ “築地市場こそ危ない! 土壌から水銀、鉛、六価クロム…問われる小池都知事の移転延期”. 産経新聞. (2017年5月3日). オリジナルの2017年5月31日時点におけるアーカイブ。 2017年6月1日閲覧。
- ^ “【築地移転】市場関係者への意向調査で各会派対立 現在地再整備案めぐり都議会特別委”. 産経新聞. (2010年10月1日). オリジナルの2010年10月20日時点におけるアーカイブ。 2010年10月10日閲覧。
- ^ 毎日新聞 2007年3月10日
- ^ 慎太郎ポロリ「築地にNHK」で大波紋 ZAKZAK 2006年9月11日
- ^ “築地市場の豊洲新市場への移転に関して” (2016年8月31日). 2016年10月4日閲覧。
- ^ 豊洲市場における土壌汚染対策等に関する専門家会議東京都
- ^ 豊洲「科学的には安全」…都の専門家会議が評価YOMIURI ONLINE2017年03月19日 22時32分