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[[TBSテレビ|TBS]][[Japan News Network|系列]]で[[1972年]]から放送された素人参加型の[[バラエティ番組]]『[[ぎんざNOW!]]』の素人コメディアン道場でデビュー。その後、[[1975年]]に[[渡辺プロダクション]]より[[ザ・ハンダース]]を結成。
[[TBSテレビ|TBS]][[Japan News Network|系列]]で[[1972年]]から放送された素人参加型の[[バラエティ番組]]『[[ぎんざNOW!]]』の素人コメディアン道場でデビュー。その後、[[1975年]]に[[渡辺プロダクション]]より[[ザ・ハンダース]]を結成。


「'''ありがとうの小林君'''」と呼ばれリーダー格の人物であったが、デビュー時のプロモーション([[東京メトロ銀座線|営団地下鉄銀座線]]全区間のルートに相当する道路を休まず歩き抜く)を[[桜金造]]がサボったという罪をかぶり、グループを脱退。脱退後は、[[テアトルド・ポッシュ]]に移り俳優に映画『[[の・ようなもの]]』で落語家役、『[[金魂卷]]』で主役の医師、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]ドラマ『[[ただいま放課後]]』で[[たのきんトリオ]]と主役の高校生4人組を演じ、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[ルックルックこんにちは]]』等に出ていたが、結婚後[[ふぐ調理師]]の免許を取得、芸能界を引退し、[[1985年]](昭和60年)より東京都・[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]でふぐ料理専門店「参虎」を開店、店主兼専任ふぐ調理師を務めた。また、50歳を過ぎてからボクシングの親父大会に出場しオヤジファイターとしても活動しており、その模様が[[2007年]][[7月13日]]に『[[イブニング・ファイブ]]』(TBS)で放送された<ref>その年の9月初代おやじファイトウエルター級チャンピオンになる[https://web.archive.org/web/20070830124244/http://www.akasakafugu.com/hitorigoto9.htm 参虎ホームページ「ふぐのうんちく」](2007年8月30日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。2010年に箱根天成園で行われたザ・ハンダースの一日限りのコンサートで、清水アキラに請われ30年ぶりにステージに立ち、この模様やおやじボクシングでの試合の様子等が、2010年10月10日放送の『[[ザ・ノンフィクション]]』(フジテレビ)「あの頃に戻れないハンダースの30年後」でこの模様が放送された。また2011年3月で25年間経営していた赤坂の店を閉め、鶴見の実家で居酒屋参虎として移転した模様も『ザ・ノンフィクション』に収録された。
「'''ありがとうの小林君'''」と呼ばれリーダー格の人物であったが、デビュー時のプロモーション([[東京メトロ銀座線|営団地下鉄銀座線]]全区間のルートに相当する道路を休まず歩き抜く)を[[桜金造]]がサボったという罪をかぶり、グループを脱退。脱退後は、[[テアトルド・ポッシュ]]に移り俳優に映画『[[の・ようなもの]]』で落語家役、『[[金魂卷]]』で主役の医師、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]ドラマ『[[ただいま放課後]]』で[[たのきんトリオ]]と主役の高校生4人組を演じ、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[ルックルックこんにちは]]』等に出ていたが、結婚後[[ふぐ調理師]]の免許を取得、芸能界を引退し、[[1985年]](昭和60年)より東京都・[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]でふぐ料理専門店「参虎」を開店、店主兼専任ふぐ調理師を務めた。また、50歳を過ぎてからボクシングの親父大会に出場しオヤジファイターとしても活動しており、その模様が[[2007年]][[7月13日]]に『[[イブニング・ファイブ]]』(TBS)で放送された<ref>その年の9月初代おやじファイトウエルター級チャンピオンになる[https://web.archive.org/web/20070830124244/http://www.akasakafugu.com/hitorigoto9.htm 参虎ホームページ「ふぐのうんちく」](2007年8月30日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。2010年に箱根天成園で行われたザ・ハンダースの一日限りのコンサートで、清水アキラに請われ30年ぶりにステージに立ち、この模様やおやじボクシングでの試合の様子等が、2010年10月10日放送の『[[ザ・ノンフィクション]]』(フジテレビ)「あの頃に戻れないハンダースの30年後」でこの模様が放送された。また2011年3月で25年間経営していた赤坂の店を閉め、鶴見の実家で居酒屋参虎として移転した模様も『ザ・ノンフィクション』に収録された。


2014年1月に末期の[[大腸癌|大腸ガン]]を宣告され、同年8月摘出手術を受ける。2015年5月8日放送の『[[爆報! THE フライデー]]』(TBS)で末期ガンであることを自ら告白し、「私の体はガンでできています。頑張って治していきます」とガン治療に意欲を見せた。その後2016年に『[[の・ようなもの のようなもの]]』(『の・ようなもの』の続編)で30年ぶりに銀幕復帰を果たしたものの、同年6月22日朝、神奈川県内の[[ホスピス]]にて逝去。享年62<ref name="hochi_20160623">{{Cite news|title=ザ・ハンダースの小林まさひろさん死去|newspaper=産経ニュース|date=2016-06-23|url=http://www.sankei.com/entertainments/news/160623/ent1606230003-n1.html|accessdate=2016-08-19}}</ref>。
2014年1月に末期の[[大腸癌|大腸ガン]]を宣告され、同年8月摘出手術を受ける。2015年5月8日放送の『[[爆報! THE フライデー]]』(TBS)で末期ガンであることを自ら告白し、「私の体はガンでできています。頑張って治していきます」とガン治療に意欲を見せた。その後2016年に『[[の・ようなもの のようなもの]]』(『の・ようなもの』の続編)で30年ぶりに銀幕復帰を果たしたものの、同年6月22日朝、神奈川県内の[[ホスピス]]にて逝去。享年62<ref name="hochi_20160623">{{Cite news|title=ザ・ハンダースの小林まさひろさん死去|newspaper=産経ニュース|date=2016-06-23|url=http://www.sankei.com/entertainments/news/160623/ent1606230003-n1.html|accessdate=2016-08-19}}</ref>。

2017年9月4日 (月) 22:59時点における版

小林 まさひろ
本名 小林 正弘[1]
生年月日 1953年9月15日
没年月日 2016年6月22日(62歳没)[1]
出身地 日本の旗 日本横浜市鶴見区
言語 日本語
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小林 まさひろ(こばやし まさひろ、1953年9月15日 - 2016年6月22日)は、日本の元お笑い芸人フグ料理料理人。またボクシングの親父大会に参戦していた(シルバー・ウエルター級チャンピオン)。本名:小林 正弘[1](読み同じ。本名が「正広」は誤報)。横浜市鶴見区出身。横浜市立平安小学校、横浜市立市場中学校桐蔭学園高等学校[2]卒業。

来歴・人物

TBS系列1972年から放送された素人参加型のバラエティ番組ぎんざNOW!』の素人コメディアン道場でデビュー。その後、1975年渡辺プロダクションよりザ・ハンダースを結成。

ありがとうの小林君」と呼ばれリーダー格の人物であったが、デビュー時のプロモーション(営団地下鉄銀座線全区間のルートに相当する道路を休まず歩き抜く)を桜金造がサボったという罪をかぶり、グループを脱退。脱退後は、テアトルド・ポッシュに移り俳優に映画『の・ようなもの』で落語家役、『金魂卷』で主役の医師、フジテレビドラマ『ただいま放課後』でたのきんトリオと主役の高校生4人組を演じ、日本テレビルックルックこんにちは』等に出ていたが、結婚後ふぐ調理師の免許を取得、芸能界を引退し、1985年(昭和60年)より東京都・赤坂でふぐ料理専門店「参虎」を開店、店主兼専任ふぐ調理師を務めた。また、50歳を過ぎてからボクシングの親父大会に出場しオヤジファイターとしても活動しており、その模様が2007年7月13日に『イブニング・ファイブ』(TBS)で放送された[3]。2010年に箱根天成園で行われたザ・ハンダースの一日限りのコンサートで、清水アキラに請われ30年ぶりにステージに立ち、この模様やおやじボクシングでの試合の様子等が、2010年10月10日放送の『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ)「あの頃に戻れないハンダースの30年後」でこの模様が放送された。また2011年3月で25年間経営していた赤坂の店を閉め、鶴見の実家で居酒屋参虎として移転した模様も『ザ・ノンフィクション』に収録された。

2014年1月に末期の大腸ガンを宣告され、同年8月摘出手術を受ける。2015年5月8日放送の『爆報! THE フライデー』(TBS)で末期ガンであることを自ら告白し、「私の体はガンでできています。頑張って治していきます」とガン治療に意欲を見せた。その後2016年に『の・ようなもの のようなもの』(『の・ようなもの』の続編)で30年ぶりに銀幕復帰を果たしたものの、同年6月22日朝、神奈川県内のホスピスにて逝去。享年62[1]

2016年8月19日放送の『爆報! THE フライデー』で、彼の闘病生活から死に至るまでのドキュメントが特集で放送され、自身の死の直前に終活を行ったことが明らかになった。「先に逝って、みんなごめんな。」と、死の直前、家族に遺した最後のメッセージも紹介され、同番組のレギュラー出演者で、『ただいま放課後』で共演したのを切っ掛けに35年以上にわたって親交があった田原俊彦が感動の涙を流した。

主な出演

テレビ番組

映画

ドラマ

関連人物

脚注

  1. ^ a b c d “ザ・ハンダースの小林まさひろさん死去”. 産経ニュース. (2016年6月23日). http://www.sankei.com/entertainments/news/160623/ent1606230003-n1.html 2016年8月19日閲覧。 
  2. ^ 同期に、硬式野球部の選手として夏の甲子園初出場初優勝に貢献し、監督として母校を強豪校に育てた土屋恵三郎がいる。
  3. ^ その年の9月初代おやじファイトウエルター級チャンピオンになる参虎ホームページ「ふぐのうんちく」(2007年8月30日時点のアーカイブ

外部リンク