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=== 民主党国会議員 ===
=== 民主党国会議員 ===
[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]に移籍し、[[2000年]](平成12年)の[[第42回衆議院議員総選挙|総選挙]]で[[宮城県第2区|宮城2区]]から立候補し当選、[[衆議院議員]]に就任した。在任中には、[[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]に移籍し、[[2000年]](平成12年)の[[第42回衆議院議員総選挙|総選挙]]で[[宮城県第2区|宮城2区]]から立候補し当選、[[衆議院議員]]に就任した。在任中には、[[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。


[[2003年]](平成15年)11月、[[第43回衆議院議員総選挙]]に宮城2区から立候補し、再選された。しかし、翌12月、鎌田や[[今野東]]([[宮城県第1区|宮城1区]])への投票を呼び掛ける電話作戦を[[マーケティング]]会社に業務委託したとして、[[全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会]](電機連合)宮城地方協議会議長ら9人が、[[公職選挙法]]違反容疑で[[逮捕]]・[[起訴]]された。これを受け、[[2004年]](平成16年)12月24日に鎌田は議員辞職願を提出、自ら衆議院議員を辞職した。[[2005年]](平成17年)[[3月22日]]、鎌田は、宮城2区からの立候補を5年間禁止の判決を受けた。[[判決 (日本法)|判決]]後、[[2005年]](平成17年)7月の仙台市長選挙に民主党を離党し、[[無所属]]で立候補した。民主党宮城県連は自主投票を決めたが、民主党からは[[民主党代表|党代表]](当時)の[[鳩山由紀夫]]や鎌田と同期の[[国会議員]]数名が応援に駆けつけた。同31日に行われた投票の結果、新人で元[[経済産業省]]職員の[[梅原克彦]]が当選し、鎌田は6万票近い差で落選。落選後の[[2006年]](平成18年)、鎌田は「[[杜の都]]政治スクール」を設立、また、「仙台スピーチアカデミー」を設立した。[[2012年]](平成24年)12月、[[第46回衆議院議員総選挙]]に民主党公認で[[宮城県第6区|宮城6区]]から立候補したが、[[小野寺五典]]に敗れ、[[比例復活]]もならず落選。[[2014年]](平成26年)12月の[[第47回衆議院議員総選挙]]にも民主党から出馬するも、再び落選。
[[2003年]](平成15年)11月、[[第43回衆議院議員総選挙]]に宮城2区から立候補し、再選された。しかし、翌12月、鎌田や[[今野東]]([[宮城県第1区|宮城1区]])への投票を呼び掛ける電話作戦を[[マーケティング]]会社に業務委託したとして、[[全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会]](電機連合)宮城地方協議会議長ら9人が、[[公職選挙法]]違反容疑で[[逮捕]]・[[起訴]]された。これを受け、[[2004年]](平成16年)12月24日に鎌田は議員辞職願を提出、自ら衆議院議員を辞職した。[[2005年]](平成17年)[[3月22日]]、鎌田は、宮城2区からの立候補を5年間禁止の判決を受けた。[[判決 (日本法)|判決]]後、[[2005年]](平成17年)7月の仙台市長選挙に民主党を離党し、[[無所属]]で立候補した。民主党宮城県連は自主投票を決めたが、民主党からは[[民主党代表|党代表]](当時)の[[鳩山由紀夫]]や鎌田と同期の[[国会議員]]数名が応援に駆けつけた。同31日に行われた投票の結果、新人で元[[経済産業省]]職員の[[梅原克彦]]が当選し、鎌田は6万票近い差で落選。落選後の[[2006年]](平成18年)、鎌田は「[[杜の都]]政治スクール」を設立、また、「仙台スピーチアカデミー」を設立した。[[2012年]](平成24年)12月、[[第46回衆議院議員総選挙]]に民主党公認で[[宮城県第6区|宮城6区]]から立候補したが、[[小野寺五典]]に敗れ、[[比例復活]]もならず落選。[[2014年]](平成26年)12月の[[第47回衆議院議員総選挙]]にも民主党から出馬するも、再び落選。

2017年9月4日 (月) 22:44時点における版

鎌田 さゆり
かまた さゆり
生年月日 (1965-01-08) 1965年1月8日(59歳)
出生地 宮城県仙台市
出身校 東北学院大学卒業
所属政党自由民主党→)
民主党→)
民進党
公式サイト 鎌田さゆりのお喋り部屋

当選回数 1回
在任期間 1995年 - 1997年

選挙区 宮城2区
当選回数 2回
在任期間 2000年 - 2004年12月

選挙区 泉区選挙区
当選回数 1回
在任期間 2015年10月 -
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鎌田 さゆりかまた さゆり1965年(昭和40年)1月8日 ‐ )は、日本政治家宮城県議会議員(1期)。仙台市議会議員(1期)、衆議院議員(2期)を務めた。

概要

自民党時代

仙台市生まれ。宮城学院高等学校を経て、東北学院大学経済学部卒業[1]

1995年(平成7年)、仙台市議会議員選挙に当選し、1997年(平成9年)まで同市市議会議員(自由民主党会派所属)を務めた。

1998年(平成10年)、自民党仙台市連合会の推薦を受けて、第18回参議院議員通常選挙宮城県選挙区(定数2名)から立候補、期限付き地域振興券の発行など、新党平和や公明党に近い政策を訴えたが、同選挙区で3人目の自民党系候補であったこともあり、落選した。

民主党国会議員

民主党に移籍し、2000年(平成12年)の総選挙宮城2区から立候補し当選、衆議院議員に就任した。在任中には、静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[2]

2003年(平成15年)11月、第43回衆議院議員総選挙に宮城2区から立候補し、再選された。しかし、翌12月、鎌田や今野東宮城1区)への投票を呼び掛ける電話作戦をマーケティング会社に業務委託したとして、全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会(電機連合)宮城地方協議会議長ら9人が、公職選挙法違反容疑で逮捕起訴された。これを受け、2004年(平成16年)12月24日に鎌田は議員辞職願を提出、自ら衆議院議員を辞職した。2005年(平成17年)3月22日、鎌田は、宮城2区からの立候補を5年間禁止の判決を受けた。判決後、2005年(平成17年)7月の仙台市長選挙に民主党を離党し、無所属で立候補した。民主党宮城県連は自主投票を決めたが、民主党からは党代表(当時)の鳩山由紀夫や鎌田と同期の国会議員数名が応援に駆けつけた。同31日に行われた投票の結果、新人で元経済産業省職員の梅原克彦が当選し、鎌田は6万票近い差で落選。落選後の2006年(平成18年)、鎌田は「杜の都政治スクール」を設立、また、「仙台スピーチアカデミー」を設立した。2012年(平成24年)12月、第46回衆議院議員総選挙に民主党公認で宮城6区から立候補したが、小野寺五典に敗れ、比例復活もならず落選。2014年(平成26年)12月の第47回衆議院議員総選挙にも民主党から出馬するも、再び落選。

宮城県議会議員

2015年(平成27年)10月の宮城県議会議員選挙に泉区選挙区より民主党推薦無所属で立候補し第1位で当選した。

政策・主張

  • 選択的夫婦別姓制度について、2000年には、鎌田ら超党派女性国会議員50名が、夫婦別姓選択制を求めて内閣総理大臣(当時)の森喜朗に申し入れを行った。申し入れでは、「とくに若い世代では、夫婦別姓選択制を望む声が高まっています。政府には、世論を喚起するなど、夫婦別姓選択制を導入するための努力を望む」としている[3]。一方、2014年のアンケートでは、「どちらともいえない」と答えている[4]

人物

脚注

外部リンク