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== 政治活動 ==
== 政治活動 ==
* 2002年に発覚した[[鈴木宗男事件]]の追及で共産党を代表して度々登場、一躍全国的な知名度を得る。[[衆議院]][[予算委員会]]での[[代表質問]]で使った「[[日本人とロシア人の友好の家|ムネオハウス]]」は[[流行語]]となり、[[流行語大賞]]を受賞した。この一連の疑惑追及の過程で、佐々木の元に[[外務省]]の内部文書が届くなど、佐々木を利用した[[内部告発]]が行なわれた。
* 2002年に発覚した[[鈴木宗男事件]]の追及で共産党を代表して度々登場、一躍全国的な知名度を得る。[[衆議院]][[予算委員会]]での[[代表質問]]で使った「[[日本人とロシア人の友好の家|ムネオハウス]]」は[[流行語]]となり、[[流行語大賞]]を受賞した。この一連の疑惑追及の過程で、佐々木の元に[[外務省]]の内部文書が届くなど、佐々木を利用した[[内部告発]]が行なわれた。
* [[2003年]]、[[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
* [[2003年]]、[[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
* [[2007年]]10月、衆議院予算委員会の総括質問にて[[舛添要一]][[厚生労働大臣]]に対し「[[ワーキングプア]]の[[若者]]を無くすために[[ワンコールワーカー|日雇い派遣]]や[[労働者派遣事業#日本における派遣労働者の分類|登録型派遣]]を禁止すべきだ」と述べた<ref name="しんぶん赤旗 2007年10月11日付">{{cite web
* [[2007年]]10月、衆議院予算委員会の総括質問にて[[舛添要一]][[厚生労働大臣]]に対し「[[ワーキングプア]]の[[若者]]を無くすために[[ワンコールワーカー|日雇い派遣]]や[[労働者派遣事業#日本における派遣労働者の分類|登録型派遣]]を禁止すべきだ」と述べた<ref name="しんぶん赤旗 2007年10月11日付">{{cite web
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2017年9月4日 (月) 22:00時点における版

佐々木 憲昭
ささき けんしょう
生年月日 (1945-11-11) 1945年11月11日(79歳)
出生地 日本の旗北海道岩内郡共和町
出身校 大阪市立大学大学院博士課程単位取得満期退学
前職 党政策委員長代理
党幹部会委員
党国会対策副委員長
所属政党 日本共産党
公式サイト 日本共産党前衆議院議員 佐々木憲昭オフィシャルサイト
選挙区 比例東海ブロック
当選回数 6
在任期間 1996年10月21日 - 2014年11月21日
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佐々木 憲昭(ささき けんしょう、1945年11月11日 - )は日本政治家日本共産党に所属し、衆議院議員を6期務めた。

経歴

北海道岩内郡小沢村(現共和町)で生まれる。北海道函館商業高等学校を経て小樽商科大学卒業後、大阪市立大学大学院博士課程で経営学を専攻し単位取得満期退学。党職員となり、経済政策委員会責任者などを務める。

かつては参議院議員通常選挙に立候補していたが落選(そのときは「ささき・のりあき」名義)。1993年からは衆議院議員総選挙に出馬し、1996年10月20日に行われた第41回衆議院議員総選挙にて比例東海ブロックで初当選を果たした。その後2000年2003年2005年2009年2012年に行われた衆議院議員総選挙でも当選、6回連続当選している。

2014年12月14日第47回衆議院議員総選挙には出馬せず、6期18年の議員生活を引退した[1]

政治活動

政策 

議員連盟

著書

  • 『現代エネルギー危機論』(新日本出版社、1978年)
  • 『記録米・イラン危機 - 問われる日本の選択』(連合出版、1980年)
  • 『暮らしのなかのエネルギー危機』(新日本出版社、1981年)
  • 『転換期の日本経済 - 経済危機と西側同盟』(新日本出版社、1983年)
  • 『どうみる世界と日本の経済』(新日本出版社、1986年)
  • 『おしよせる大失業 - 財界の21世紀戦略と産業空洞化』(新日本出版社、1987年)
  • 『財界支配 - 日本経団連の実相』(新日本出版社、2016年)

編著

  • 『変貌する財界 - 日本経団連の分析』(新日本出版社、2007年)

出演

脚注

関連項目

外部リンク