「エア・セルビア」の版間の差分
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2017年9月4日 (月) 21:26時点における版
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設立 | 1927年4月1日 | |||
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ハブ空港 | ベオグラード・ニコラ・テスラ空港 | |||
マイレージサービス | エティハド・ゲスト | |||
親会社 |
セルビア政府 エティハド航空 | |||
保有機材数 | 20 | |||
就航地 | 40 | |||
本拠地 | セルビア ベオグラード | |||
代表者 | Dane Kondic(CEO) |
エア・セルビア(セルビア語: Ер Србија / Er Srbija、英: Air Servia)は、セルビアの航空会社である。2013年10月以前はJat航空(ヤットこうくう)という社名であり、ユーゴスラビア崩壊前はユーゴスラビアの国営航空会社だった。
歴史
1927年6月17日にAeroput(アエロプット、Аеропут)として創業。第2次世界大戦による運航停止を経て1947年4月1日、「JAT Jugoslovenski aerotransport」(ユーゴスラビア航空運輸)が運航を開始、翌1948年にアエロプットの運航を引き継いだ。「JAT Yugoslav Airlines(JATユーゴスラビア航空)」を経て、2003年1月よりjat航空となった。
2013年8月1日、エティハド航空がセルビア政府の所有する株式49%を取得、5年間のマネジメント契約を締結した[2]。同年10月26日よりエア・セルビアとしての運航を開始[3]、マイレージサービスも自社の“エクストラ・フライト・クラブ”をエティハド航空の“エティハド・ゲスト”に統合した[4]。機材調達面でもエティハド航空と連携し、スケールメリットを活かしていく計画である[5]。
保有機材
- エアバスA319-100:8機
- エアバスA320-200:2機
- エアバスA320neo(10機発注中)
- エアバスA330-200:1機(ジェットエアウェイズよりリース)
- ATR 72-200:3機
- ATR 72-500:3機
- ボーイング737-300:4機
過去の機材
事件
1972年1月26日、Jat航空のJU364便、ダグラスDC-9-32型機が飛行中に爆破された事件では、客室乗務員のヴェスナ・ヴロヴィッチが、1万0160メートル(3万3000フィート)からの落下にも関わらず生還し、これはパラシュートなしでの最も高い高度から落下して生還した記録となっている[7]。
脚注
- ^ jat航空時代は“JAT”。
- ^ “エティハド航空、JAT航空の株式を取得 マネジメントへ”. フライチーム (2013年8月6日). 2013年11月23日閲覧。
- ^ “エア・セルビア、正式に運航を開始 JAT航空からリニューアル”. フライチーム (2013年10月28日). 2013年11月23日閲覧。
- ^ “Air Serbia Etihad Guest”. エア・セルビア. 2013年11月12日閲覧。
- ^ “エア・セルビア、A320neoを10機調達 エティハドとの資本アライアンスで”. フライチーム (2013年11月21日). 2013年11月23日閲覧。
- ^ Our Fleet - エア・セルビア(2016年4月3日閲覧)
- ^ “ギネスワールドレコード(英語)”. 2006年8月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月5日閲覧。