「宮田統樹」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
70行目: | 70行目: | ||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
* [http://web.archive.org/web/20030421013644/http://www.jolf.net/profile/pdf/profile_miyata.pdf 2003年当時、ニッポン放送公式サイト内で配信されたプロフィール] - インターネット・アーカイブ2003年4月21日付保存キャッシュ |
* [http://web.archive.org/web/20030421013644/http://www.jolf.net/profile/pdf/profile_miyata.pdf 2003年当時、ニッポン放送公式サイト内で配信されたプロフィール] - インターネット・アーカイブ2003年4月21日付保存キャッシュ |
||
* [http://web.archive.org/web/20130616234613/http://www.office-canon.jp/ta_web/miyata.html オフィスカノンウェブサイト内で配信されたプロフィール] - [[インターネット |
* [http://web.archive.org/web/20130616234613/http://www.office-canon.jp/ta_web/miyata.html オフィスカノンウェブサイト内で配信されたプロフィール] - [[インターネットアーカイブ]]2013年6月16日付保存キャッシュ |
||
* [http://www.1242.com/baseball/kaisetsujikkyo/ 『ニッポン放送ショウアップナイター』番組公式ウェブサイト内解説・実況プロフィール] ※宮田も明記。 |
* [http://www.1242.com/baseball/kaisetsujikkyo/ 『ニッポン放送ショウアップナイター』番組公式ウェブサイト内解説・実況プロフィール] ※宮田も明記。 |
||
2017年9月4日 (月) 21:16時点における版
みやた のぶき 宮田 統樹 | |
---|---|
プロフィール | |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1941年11月21日(83歳) |
最終学歴 | 國學院大學卒業 |
職歴 | ニッポン放送アナウンサー |
活動期間 |
1964年 - 2001年(ニッポン放送) 2001年 - (フリー) |
ジャンル | スポーツ |
出演番組・活動 | |
出演中 | ニッポン放送ショウアップナイター |
宮田 統樹(みやた のぶき、1941年11月21日[1][2] - )は、日本のアナウンサー。東京都出身[1][2]。
人物・略歴
東京都渋谷区内の生家の近所が明治神宮外苑だったということもあって「外苑の樹々のように真っ直ぐに伸びよ」という願いを込めて統樹と命名された[3]。太平洋戦争中は群馬県高崎市へ疎開、終戦後は東京都中野区へ移る[3]。
國學院高等学校(12期生)[4]、國學院大學卒業[1][2]。1964年にニッポン放送入社[2]。同期にはカメ&アンコ-(亀渕昭信・斉藤安弘)がいる。プロ野球や競馬といったスポーツ実況を主に担当。また、初期の『オールナイトニッポン』土曜日(高崎一郎降板後)を一回担当したことがある。
2001年に退社し[5]、フリーアナウンサーに転身。オフィスカノンへ所属し[5](2011年頃まで[6])、引き続きニッポン放送の契約アナウンサー[5] をはじめ、各局でスポーツ実況を担当している。70歳を超えても、現役の実況アナウンサーとして活動しており、業界内では「放送界の怪物」と呼ばれている[7]。
プロ野球中継の主な担当試合では、1990年の日本シリーズ(読売ジャイアンツ=巨人対西武ライオンズ)[5]、1996年のオールスターゲームで外野手のイチローがマウンドに上がった際の中継[5]、2009年9月4日の巨人対東京ヤクルトスワローズ戦で、延長12回表に控え捕手がいなくなった巨人が、二塁を守っていた木村拓也を10年ぶりとなる捕手に回した時の中継などがある。
ニッポン放送入社当初は巨人担当だったが、西武が誕生してからは主にパシフィック・リーグ担当となっている。契約アナウンサーとなって以降も本拠地球場・西武ドームの近くに住んでいるため西武戦を担当することが多い。2009年7月2日の西武対ロッテ戦(5時間42分のパ・リーグ史上最長試合)において終電がなくなってしまう洗川雄司に代わって途中から実況したことがあった。
1983年公開の映画作品『プロ野球を10倍楽しく見る方法』では、珍プレー好プレーシーンなどの実況として声の出演を果たしている。
活動リスト
出演番組
- プロ野球中継
- ニッポン放送ショウアップナイター(ニッポン放送。退社後も担当。主にNRN系列地方局向けの裏送り中継で実況・リポーターを担当)
- メジャーリーグ中継(ニッポン放送。1997年、ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄登板試合を実況[5]。退社後も、2007年4月11日のボストン・レッドソックス対シアトル・マリナーズ戦で、メジャーリーグ初の松坂大輔・イチローによる対決を実況した[5])
- tvkプロ野球中継 横浜ベイスターズ熱烈LIVE(tvk。2011年。タイトルが『YOKOHAMAベイスターズナイター』だった2000年代にも担当[8])
- 日曜競馬ニッポン(競馬中継。ニッポン放送[5])
- サッカー中継(ニッポン放送[5])
- アメリカンフットボール中継(ニッポン放送[5])
- 競輪中継(ニッポン放送[5])
- オールナイトニッポン(ニッポン放送在職当時)
出演映画
- プロ野球を10倍楽しく見る方法(1983年、フィルムリンク・インターナショナル、フジテレビジョン製作、東宝東和配給) - 実況アナウンサー[9] ※声の出演
脚注
- ^ a b c 『プロ野球12球団全選手百科名鑑』『12球団全選手カラー百科名鑑』シリーズ各年版に掲載された、ニッポン放送プロ野球担当アナ名簿を参照(2009年版以降は、生年月日は明記せず)。
- ^ a b c d 松本秀夫『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』ぜんにち出版、2009年、ISBN 978-4-86136-122-7 240-242ページ
- ^ a b “ニッポン放送・宮田統樹75歳「名アナウンス」の源”. 東スポWeb (2017年4月22日). 2017年4月23日閲覧。
- ^ 第4回同窓会大会の報告 - 國學院高等学校同窓会ウェブサイトより、平成16年(2004年)9月23日開催の同会告知記事。
- ^ a b c d e f g h i j k 外部リンク(オフィスカノンウェブサイト内で配信されていたプロフィール)を参照。
- ^ 2011年頃には、すでに離れていた(参考リンク:当時のオフィスカノンウェブサイト内所属タレント一覧…インターネット・アーカイブ2011年11月26日付保存キャッシュ)が、2013年当時も宮田のプロフィールページは残存していた(#外部リンク参照)。
- ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑2013』P282
- ^ 参考リンク:『YOKOHAMAベイスターズナイター』公式サイト内放送予定表(インターネット・アーカイブの保存キャッシュより)
- 2004年6月5日 - 7月20日の放送予定表(2005年3月12日付保存キャッシュ)…7月18日の横浜対広島戦実況として明記。
- 2004年7月21日 - 9月10日の放送予定表(2004年11月25日付保存キャッシュ)…7月21日の横浜対阪神戦実況として明記。
- ^ 『プロ野球を10倍楽しく見る方法』エンドロールより参照。
参考資料
- 『プロ野球12球団全選手百科名鑑』『12球団全選手カラー百科名鑑』シリーズ各年版
- 12球団全選手カラー百科名鑑2013(『廣済堂ベストムック』219号。2013年2月25日発売・発行、廣済堂出版)ISBN 9784331802212
- 各種外部リンク
関連項目
外部リンク
- 2003年当時、ニッポン放送公式サイト内で配信されたプロフィール - インターネット・アーカイブ2003年4月21日付保存キャッシュ
- オフィスカノンウェブサイト内で配信されたプロフィール - インターネットアーカイブ2013年6月16日付保存キャッシュ
- 『ニッポン放送ショウアップナイター』番組公式ウェブサイト内解説・実況プロフィール ※宮田も明記。