「名張毒ぶどう酒事件」の版間の差分
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捜査当局は、清酒を出された男性とぶどう酒を飲まなかった女性3人に中毒症状が見られなかったことから、女性が飲んだぶどう酒に原因があるとして調査した結果、ぶどう酒に農薬が混入されていることが判明した。 |
捜査当局は、清酒を出された男性とぶどう酒を飲まなかった女性3人に中毒症状が見られなかったことから、女性が飲んだぶどう酒に原因があるとして調査した結果、ぶどう酒に農薬が混入されていることが判明した。 |
2017年9月4日 (月) 18:47時点における版
最高裁判所判例 | |
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事件名 | 殺人、同未遂 |
事件番号 | 昭和44(あ)2560 |
1972年(昭和47)年6月15日 | |
判例集 | 集刑第184号637頁 |
裁判要旨 | |
第一審で無罪を言い渡された被告人に対し、控訴裁判所が事実調のうえ、右無罪判決を破棄し、自ら有罪の判決を言い渡すこと、およびこの場合、右控訴審判決に対し、上訴において事実誤認等を争う途が閉ざされていることは、憲法三一条ないし四〇条またはその精神に反するものではない。 | |
第一小法廷 | |
裁判長 | 岩田誠 |
陪席裁判官 | 大隅健一郎 藤林益三 下田武三 岸盛一 |
意見 | |
多数意見 | 全会一致 |
意見 | なし |
反対意見 | なし |
参照法条 | |
憲法31条、刑訴法400条但書、刑訴法405条 |
名張毒ぶどう酒事件(なばりどくぶどうしゅじけん)とは、1961年3月28日の夜、三重県名張市の実質飛地と奈良県山添村に跨がる葛尾(くずお)地区の公民館で起きた毒物混入事件。5人が死亡し、「第二の帝銀事件」として世間から騒がれた。容疑者として逮捕・起訴された奥西勝(おくにし まさる、1926年1月14日 - 2015年10月4日[1])は死刑判決が確定していたが、冤罪であるとの主張と、支援者らによる合計9回にわたる再審請求、再審請求中は刑の執行が行われないことから、死刑判決確定後、死亡するまでの43年にわたり確定死刑囚のまま収監され続け、刑が執行されることなく89歳で獄死した[1]。
当事件を題材とした出版物、ドキュメンタリー番組、テレビドラマも多く制作されたが、そのほとんどが、当事件は冤罪であるとの立場に立ったものである。日本弁護士連合会が支援する再審事件である。
事件経過
1961年3月28日、三重県名張市葛尾の薦原地区公民館葛尾分館(現存しない)で、地区の農村生活改善クラブ(現「生活研究グループ」)「三奈の会」[2]の総会が行われ、男性12人と女性20人が出席した。この席で男性には清酒、女性にはぶどう酒が出されたが、ぶどう酒を飲んだ女性17人が急性中毒の症状を訴え、5人が亡くなった。
捜査当局は、清酒を出された男性とぶどう酒を飲まなかった女性3人に中毒症状が見られなかったことから、女性が飲んだぶどう酒に原因があるとして調査した結果、ぶどう酒に農薬が混入されていることが判明した。
その後、重要参考人として「三奈の会」会員の男性3人を聴取する。3人のうち、1人の妻と愛人が共に被害者だったことから、捜査当局は、「三角関係を一気に解消しようとした」ことが犯行の動機とみて、奥西を追及。4月2日の時点では自身の妻の犯行説を主張していたが、4月3日には農薬混入を自白したとして逮捕された(逮捕直前、奥西は警察署で記者会見に応じている)。しかし、逮捕後の取り調べ中から犯行否認に転じる。
裁判の経過
確定判決
1964年12月23日、一審の津地方裁判所(小川潤裁判長)は自白の任意性を否定しなかったが、目撃証言から導き出される犯行時刻や、証拠とされるぶどう酒の王冠の状況などと奥西の自白との間に矛盾を認め、無罪を言い渡す。奥西は釈放された。検察側は判決を不服として名古屋高等裁判所に控訴した。
1969年9月10日、二審の名古屋高等裁判所(上田孝造裁判長)は一審の判決を覆して奥西に逆転死刑判決。そして奥西は連行された。目撃証言の変遷もあって犯行可能な時間の有無が争われたが、名古屋高裁は時間はあったと判断、王冠に残った歯形の鑑定結果も充分に信頼できるとした(ただし、王冠に残った痕跡から犯人の歯型を確定するのは不可能である、とした法医学者も居た[誰?])。奥西は判決を不服として最高裁判所に上告した。
1972年6月15日、最高裁判所(岩田誠裁判長)は上告を棄却した[3]。
再審請求
1974年、1975年、1976年、1977年、1988年と5次にわたる再審請求はすべて棄却される。1980年9月、請求審で初の現場検証、1986年6月、請求審で初の証人尋問。1988年12月、名古屋高裁が再審請求を棄却。
1993年に名古屋高裁が異議申立の棄却、4月に弁護団が最高裁に特別抗告。1997年に最高裁が特別抗告の棄却、同年に第5次再審請求の棄却、1998年10月に名古屋高裁が第6次再審請求を棄却、弁護団が異議申し立て、1999年9月に名古屋高裁が異議申立の棄却、弁護団が最高裁に特別抗告、2002年4月に最高裁が特別抗告の棄却。
2002年に弁護団が名古屋高裁へ第7次再審請求。2005年2月、毒の特定で弁護側鑑定人を証人尋問、4月5日、名古屋高裁(第1刑事部・小出錞一裁判長)が再審開始を決定する。同時に死刑執行停止の仮処分が命じられた。王冠を傷つけずに開栓する方法がみつかったこと、自白で白ワインに混入したとされる農薬(ニッカリンT、有機リン系の殺虫剤、TEPP(テップ)剤の一種)が赤い液体だと判明したこと、残ったワインの成分からしても農薬の種類が自白と矛盾すること、前回の歯形の鑑定にミスがみつかったことなどが新規性のある証拠だと認めた。なお、小出錞一は2006年2月に依願退官している。
しかし、同年4月8日、検察側は、ニッカリンTは昔出されていた白い液体の物が回収されずに、事件当時は白い液体と赤い液体と混合して流通していたことなどの異議申立を行い、2006年9月に毒の特定につき弁護側鑑定人を証人尋問したが、12月26日に名古屋高裁(第2刑事部・門野博裁判長)が再審開始決定を取り消す決定を下した(死刑執行停止も取り消し)。
これに対し、弁護側が、2007年1月4日、最高裁に特別抗告したところ、最高裁は2010年4月5日付決定で、犯行に用いられた毒物に関し「科学的知見に基づき検討したとはいえず、推論過程に誤りがある疑いがある。事実解明されていない」と指摘し[4]、再審開始決定を取り消した名古屋高裁決定を審理不尽として破棄し、審理を名古屋高裁に差し戻した[5]。田原睦夫裁判官は、同最高裁決定で補足意見として、「事件から50年近くが過ぎ、7次請求の申し立てからも8年を経過していることを考えると、差し戻し審の証拠調べは必要最小限の範囲に限定し、効率よくなされるべき」と述べている[6][7]。翌日に弁護団は「第7次再審請求最高裁決定についての弁護団声明」を[8]、また同じ日に日本弁護士連合会(会長・宇都宮健児)は「名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求最高裁決定についての会長声明」で[9]、「既に重大な疑いが存在することは明らか」であるから原決定を取り消したうえで最高裁の判断で再審開始決定すべきだったと述べ、差し戻ししたことを「遺憾である」と批判した。また、日本国民救援会(会長・鈴木亜英)も、2010年4月7日付の会長声明「名張毒ぶどう酒事件第7次再審最高裁決定について」で、「『再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りる』という1975年の白鳥決定の見地からすれば、差戻しによってさらに審理を継続させることなく、自判して、再審開始決定を確定させるべきであった」と述べている[10]。
2010年3月上旬、名古屋拘置所で面会した特別面会人によれば、再審開始決定された布川事件や、再審無罪が確実視されていた足利事件などに触れた際、奥西は、「布川や足利はよかった。私も最高裁決定に非常に期待している」と述べたという[11]。
2012年5月25日、名古屋高裁(下山保男裁判長)は『捜査段階での被告人の自白に信用性が高い』と看做し、検察側の異議申立てを認めて本件の再審開始の取り消しを決定。これに対して被告人弁護側は5月30日、最高裁判所へ特別抗告を行った[12]。日本弁護士連合会(日弁連)は「新証拠によって生じた疑問が解消されていないにもかかわらず、検察官も主張しておらず、鑑定人さえ言及していない独自の推論をもって、新証拠が『犯行に用いられた薬剤がニッカリンTではあり得ないということを意味しないことが明らかである』として、再審請求を棄却した」と、この判決を非難している[13]。
2013年10月16日、最高裁判所第1小法廷(桜井龍子裁判長)は名古屋高等裁判所の再審取り消し決定を支持し、第7次再審請求にかかる特別抗告について棄却する決定を下した[14]。
2013年11月5日、弁護団が名古屋高裁へ第8次再審請求を申立。2014年5月28日、名古屋高裁刑事第1部は請求を認めない決定をした。決定理由で、弁護団が提出した証拠について「全証拠と総合考慮したとしても、確定判決に合理的な疑いを生じさせるものではない」などと指摘。「無罪を言い渡すべき明らかな証拠を新たに発見したとはいえず、再審は認められない。第7次請求と同一の証拠、同一の主張で、もともと請求権は消滅していた」と結論づけた。約半年で判断を示した理由として、「奥西死刑囚の健康状態の悪化と加齢の程度」を挙げた。2015年1月9日、第8次再審請求異議審において、同高裁刑事2部も同1部の決定を支持、検察側、弁護側との三者協議を一度も開かずに審理を終え再審請求を却下した[15]。
奥西の死
奥西は2012年6月に肺炎を患って体調が悪化、名古屋から八王子医療刑務所に移送され、人工呼吸器を装着して寝たきりの状態になっていた[16]。
2014年4月19日には、日本国内で生きている死刑囚で日本最高齢となった[17]。2015年5月15日、名古屋高裁への第9次再審請求と同日、最高裁への特別抗告を取り下げた。取り下げの理由について、弁護団は「奥西さんの病状を考え、新証拠を早期に裁判所で審理させる必要があると判断した」と説明していた。
奥西は2015年10月4日午後0時19分、かねて患っていた肺炎のため、八王子医療刑務所で死亡した[1]。奥西の死に伴い、第9次再審請求は棄却された。
2015年11月6日、奥西の妹が名古屋高裁へ第10次再審請求を申し立てた[18]。
地域の事情
事件当時の葛尾は娯楽に乏しく、総会に際して行われる宴会は数少ない楽しみの一つだったとされた。奥西が逮捕された当初は、「犯人が特定された」という安堵により、むしろ奥西の家族にも愛の手をさしのべようという呼び掛けが行われたとされた。しかし、奥西が否認に転じたことを知ると、集落ぐるみで家族への迫害が始まったとされた。こうした村八分の結果、家族が葛尾を去り市内に転居すると、これを口実に共同墓地にあった奥西の家の墓は墓地隣接の畑に一基だけ追い出されたとされた。奥西へ死刑判決が下った後に犠牲者慰霊碑が建立された。
葛尾は、事件当時、人口100人程度の集落であった。奥西が無実であった場合は、葛尾の中に真犯人がいる可能性が高いと思われたため、地域の「和」に再び波風を立てる結果になることを恐れたとの声もある。一方、小さな集落が全国区で話題になったことへの反発もあった。上記のような考えに基づいて犯人擁護がなされている[19]。
死亡した人物
年齢はいずれも事件当時の年齢。
- 30歳女性(「三奈の会」会長の妻、奥西の隣家)
- 34歳女性(奥西の妻)
- 25歳女性(前「三奈の会」会長)
- 36歳女性
- 36歳女性(奥西の愛人)
映像作品
- NNNドキュメント「裁きの重み 名張毒ブドウ酒事件の半世紀」(中京テレビ制作、2006年11月26日放送)
- クローズアップ現代「揺らぐ死刑判決 〜検証・名張毒ぶどう酒事件〜」(NHK総合テレビ、2010年4月8日放送)[1]
- 毒とひまわり~名張毒ぶどう酒事件の半世紀~(東海テレビ、2010年6月19日放送)[2] ナレーション:仲代達矢
- 約束 〜名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯〜(東海テレビ、2012年6月30日放送)[3]
- テレメンタリー2015 「悲願 ~再審の扉と証拠開示~」 (テレビ朝日、メ~テレ名古屋テレビ放送制作、2015年1月27日放送)
- ふたりの死刑囚(東海テレビ制作の映画。鎌田麗香監督作品。ナレーション:仲代達矢。2016年1月公開)- 奥西勝と袴田巌の二人を題材にしたドキュメンタリー
脚注
- ^ a b c 名張毒ブドウ酒事件の奥西死刑囚が死亡 再審請求中 朝日新聞 2015年10月4日閲覧
- ^ 加入者が三重県と奈良県の県境に跨る事、両集落とも名が“葛尾”である事からこの名があるという。2006年12月26日:名古屋高裁の名張毒ブドウ酒事件再審開始決定の取消決定要旨 松山大学・田村譲(2007年2月6日時点のアーカイブ)より
- ^ 最高裁判所第1小法廷判決 1972年6月15日 、殺人、同未遂、『殺人、同未遂』。
- ^ “名張毒ぶどう酒事件、差し戻し 奥西元被告の死刑再審請求”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2010年4月6日) 2010年4月6日閲覧。
- ^ 延与光貞 (2010年4月6日). “最高裁、再審判断を高裁に差し戻し 名張毒ブドウ酒事件”. asahi.com (朝日新聞社). オリジナルの2010年4月8日時点におけるアーカイブ。 2010年4月6日閲覧。
- ^ “名張毒ぶどう酒事件:再審の可能性…最高裁が差し戻し”. 毎日jp (毎日新聞社). (2010年4月6日). オリジナルの2010年4月9日時点におけるアーカイブ。 2010年4月6日閲覧。
- ^ “『証拠調べ最小限に』 「毒ぶどう酒」最高裁、異例の注文”. 東京新聞 TOKYO Web (中日新聞社). (2010年4月7日). オリジナルの2010年4月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ 第7次再審請求最高裁決定についての弁護団声明(10.4.6)(冤罪防止コム)
- ^ 名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求最高裁決定についての会長声明[リンク切れ](日弁連 2010年4月6日)
- ^ 名張毒ぶどう酒事件第7次再審最高裁決定について(再審えん罪事件全国連絡会。)
- ^ 伊藤一郎 (2010年4月6日). “名張毒ぶどう酒事件:84歳の奥西死刑囚「後がない」”. 毎日jp (毎日新聞社). オリジナルの2010年4月8日時点におけるアーカイブ。 2010年4月6日閲覧。
- ^ “名張毒ぶどう酒事件:弁護団が特別抗告”. 毎日jp (毎日新聞社). (2012年5月30日)[リンク切れ]
- ^ 日本弁護士連合会│Japan Federation of Bar Associations:名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求差戻し異議審決定についての会長声明 - 2012年(平成24年)5月25日 日本弁護士連合会 会長 山岸憲司
- ^ 名張毒ぶどう酒事件、再審開始認めず 産経新聞 2013年10月17日閲覧
- ^ “【名張毒ぶどう酒事件】名古屋高裁、再び再審請求認めず(1/2)”. 産経West (The Sankei Shimbun & SANKEI DIGITAL). (2015年1月9日) 2015年1月9日閲覧。
- ^ “【名張毒ぶどう酒事件】名古屋高裁、再び再審請求認めず(2/2)”. 産経West (The Sankei Shimbun & SANKEI DIGITAL). (2015年1月9日) 2015年1月9日閲覧。
- ^ ただし、再審で無罪が確定した元死刑囚も含めれば、免田事件の免田栄氏のほうが年上であった。
- ^ “名張事件で第10次再審請求 奥西元死刑囚の妹”. 中国新聞. (2015年11月6日) 2015年11月6日閲覧。
- ^ 青地『魔の時間』第5章「名張毒ぶどう酒事件」pp.189-192
- ^ 島村幸恵 (2012年10月22日). “「家政婦のミタ」がグランプリで5冠! 東京ドラマアウォード2012発表”. シネマトゥデイ. 2012年10月23日閲覧。
- ^ “仲代達矢「名張毒ぶどう酒事件」えん罪主張”. サンケイスポーツ (産経デジタル). (2013年2月16日) 2013年2月17日閲覧。
文献
- 青地晨『魔の時間 六つの冤罪事件』筑摩書房、1976年、[4]/現代教養文庫版、1980年6月、ISBN 4390110225
- 江川紹子『六人目の犠牲者 名張毒ブドウ酒殺人事件』文藝春秋、1994年4月、ISBN 4163484205/『名張毒ブドウ酒殺人事件六人目の犠牲者』新風舎、2005年7月、ISBN 4797497610(文藝春秋版の改題)
- 戒能通厚、原田純孝、広渡清吾『日本社会と法律学 歴史、現状、展望 渡辺洋三先生追悼論集』日本評論社、2009年3月、ISBN 978-4535515994(宇佐見大司「名張毒ぶどう酒事件の検討」を収録)
- 越谷仁哉『名張毒ぶどう酒事件の毒物に関しての考察』Science Research、2007年3月、ISBN 978-4883615414
- 佐藤貴美子『銀の林』新日本出版社、1998年12月、ISBN 4406026290
- 田中良彦『名張毒ブドウ酒殺人事件 曙光』鳥影社、1998年5月、ISBN 4795229899
- 矢沢昇治(編)『冤罪はいつまで続くのか』花伝社、2009年10月、ISBN 978-4763405579(野嶋真人「『名張・毒ブドウ酒事件』-再審請求に提出した科学的見解による新証拠」を収録)
- 東海テレビ取材班(編)『名張毒ぶどう酒事件死刑囚の半世紀』岩波書店、2013年2月15日、
持統院ゆきむら『検証・名張事件 無実への最終階段』「青山ライフ出版]2015年2月ISBN9784864501699
関連項目
- 日本の逆転有罪殺人事件一覧
- 村社会
- 柳川喜郎(事件当時NHK記者としてこの事件を取材した)
- 和歌山毒物カレー事件
- 袴田事件
外部リンク
- 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会 - 毒ぶどう酒事件の再審請求を求めて活動している団体で、事件の疑問点について詳しく取り上げている。
- 名張毒ぶどう酒事件 兵庫支援する会
- 名張毒ぶどう酒事件(再審えん罪事件全国連絡会)