「アレハンドロ・ダミアン・ドミンゲス」の版間の差分
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アルゼンチン国内では、[[CAリーベル・プレート]]などでプレー。[[2001 FIFAワールドユース選手権]]では、[[ハビエル・サビオラ]]、[[アンドレス・ダレッサンドロ]]を擁したU-20代表の一員として、優勝を経験している。2004年、[[FCルビン・カザン]]へ加入。2005年と2006年には[[コパ・ラ・マンガ]]制覇に貢献し、ドミンゲス自身も2006年シーズンの[[ロシアサッカー・プレミアリーグ|ロシア・プレミアリーグ]]最優秀外国人選手賞に輝いた。2007年、当時の移籍金で最高金額となる700万ユーロで[[FCゼニト・サンクトペテルブルク]]へ移籍。ゼニトでは主に右ウイングとして活躍し、ドミンゲスの最大のハイライトは、[[UEFAカップ]]の[[バイエルン・ミュンヘン]]戦(2nd leg)で得点を挙げ、4-0と大金星を成し遂げたことだった。しかし、2009年に入ると、[[ディック・アドフォカート]]監督との確執が囁かれ、同年3月12日に古巣ルビンへ復帰することとなった。ルビンではセンターフォワード並びに攻撃的MFとしてプレーしている。夏場には6試合連続でPKによる得点を決め、得点ランキング上位を維持し、ルビン・カザンの優勝に貢献した。9月29日、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]第2節の[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル・ミラノ]]戦では[[ルシマール・ダ・シウヴァ・フェレイラ|ルシオ]]と[[ワルテル・サムエル]]を交わして角度のないところからシュートを決め、その後もきわどいFKや鋭いクロスで相手ゴールを脅かした。 |
アルゼンチン国内では、[[CAリーベル・プレート]]などでプレー。[[2001 FIFAワールドユース選手権]]では、[[ハビエル・サビオラ]]、[[アンドレス・ダレッサンドロ]]を擁したU-20代表の一員として、優勝を経験している。2004年、[[FCルビン・カザン]]へ加入。2005年と2006年には[[コパ・ラ・マンガ]]制覇に貢献し、ドミンゲス自身も2006年シーズンの[[ロシアサッカー・プレミアリーグ|ロシア・プレミアリーグ]]最優秀外国人選手賞に輝いた。2007年、当時の移籍金で最高金額となる700万ユーロで[[FCゼニト・サンクトペテルブルク]]へ移籍。ゼニトでは主に右ウイングとして活躍し、ドミンゲスの最大のハイライトは、[[UEFAカップ]]の[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]戦(2nd leg)で得点を挙げ、4-0と大金星を成し遂げたことだった。しかし、2009年に入ると、[[ディック・アドフォカート]]監督との確執が囁かれ、同年3月12日に古巣ルビンへ復帰することとなった。ルビンではセンターフォワード並びに攻撃的MFとしてプレーしている。夏場には6試合連続でPKによる得点を決め、得点ランキング上位を維持し、ルビン・カザンの優勝に貢献した。9月29日、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]第2節の[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル・ミラノ]]戦では[[ルシマール・ダ・シウヴァ・フェレイラ|ルシオ]]と[[ワルテル・サムエル]]を交わして角度のないところからシュートを決め、その後もきわどいFKや鋭いクロスで相手ゴールを脅かした。 |
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2009年12月、ルビン・カザンとの契約が終了し、またルビン・カザンがチャンピオンズリーグで敗退したため移籍を希望。[[ユヴェントスFC|ユヴェントス]]や[[ASローマ|ローマ]]などが関心を持ったが、本人の熱望した[[リーガ・エスパニョーラ]]の[[バレンシアCF|バレンシア]]へ移籍した。 |
2009年12月、ルビン・カザンとの契約が終了し、またルビン・カザンがチャンピオンズリーグで敗退したため移籍を希望。[[ユヴェントスFC|ユヴェントス]]や[[ASローマ|ローマ]]などが関心を持ったが、本人の熱望した[[リーガ・エスパニョーラ]]の[[バレンシアCF|バレンシア]]へ移籍した。 |
2017年8月29日 (火) 10:44時点における版
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オリンピアコス時代のドミンゲス (2015年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 | アレハンドロ・ダミアン・ドミンゲスAlejandro Damián Domínguez | |||||
愛称 | チョーリ | |||||
ラテン文字 | Alejandro Domínguez | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
アルゼンチン イタリア | |||||
生年月日 | 1981年6月10日(43歳) | |||||
出身地 | ラヌース | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 71kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW / MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2000-2001 | キルメス | 25 | (6) | |||
2001-2004 | リーベル・プレート | 69 | (29) | |||
2004-2007 | ルビン・カザン | 63 | (21) | |||
2007-2009 | ゼニト・サンクトペテルブルク | 46 | (7) | |||
2009-2010 | ルビン・カザン | 23 | (16) | |||
2010-2012 | バレンシア | 22 | (1) | |||
2011-2012 | → リーベル・プレート (loan) | 33 | (5) | |||
2012-2013 | ラーヨ・バジェカーノ | 33 | (5) | |||
2013-2017 | オリンピアコス | 82 | (28) | |||
代表歴 | ||||||
2003 | アルゼンチン | 1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2017年5月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アレハンドロ・ドミンゲス(Alejandro Domínguez、1981年6月10日 - )は、アルゼンチン出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。元アルゼンチン代表。
経歴
アルゼンチン国内では、CAリーベル・プレートなどでプレー。2001 FIFAワールドユース選手権では、ハビエル・サビオラ、アンドレス・ダレッサンドロを擁したU-20代表の一員として、優勝を経験している。2004年、FCルビン・カザンへ加入。2005年と2006年にはコパ・ラ・マンガ制覇に貢献し、ドミンゲス自身も2006年シーズンのロシア・プレミアリーグ最優秀外国人選手賞に輝いた。2007年、当時の移籍金で最高金額となる700万ユーロでFCゼニト・サンクトペテルブルクへ移籍。ゼニトでは主に右ウイングとして活躍し、ドミンゲスの最大のハイライトは、UEFAカップのバイエルン・ミュンヘン戦(2nd leg)で得点を挙げ、4-0と大金星を成し遂げたことだった。しかし、2009年に入ると、ディック・アドフォカート監督との確執が囁かれ、同年3月12日に古巣ルビンへ復帰することとなった。ルビンではセンターフォワード並びに攻撃的MFとしてプレーしている。夏場には6試合連続でPKによる得点を決め、得点ランキング上位を維持し、ルビン・カザンの優勝に貢献した。9月29日、UEFAチャンピオンズリーグ第2節のインテル・ミラノ戦ではルシオとワルテル・サムエルを交わして角度のないところからシュートを決め、その後もきわどいFKや鋭いクロスで相手ゴールを脅かした。
2009年12月、ルビン・カザンとの契約が終了し、またルビン・カザンがチャンピオンズリーグで敗退したため移籍を希望。ユヴェントスやローマなどが関心を持ったが、本人の熱望したリーガ・エスパニョーラのバレンシアへ移籍した。
しかしバレンシアでは怪我の影響もあってか不本意な日々を送り、2011年5月には自身のTwitterで、リーガ・エスパニョーラ優勝ではなくUEFAチャンピオンズリーグ出場を目標とするクラブに皮肉を浴びせた。
同年8月、クラブ史上初のプリメーラB・ナシオナル(2部リーグに相当)降格が決まっている古巣CAリーベル・プレートへレンタル移籍。レギュラーとして、1年での昇格に貢献する。
2012年8月、ラージョ・バジェカーノへ完全移籍。
人物
イタリア国籍も所持しており、ロシアでの生活が長かったということもあり、ロシア語が堪能である。
獲得タイトル
代表
クラブ
- FCルビン・カザン
- コパ・ラ・マンガ:2 (2005, 2006)
- ロシアサッカー・プレミアリーグ: 1 (2009)
- FCゼニト・サンクトペテルブルク
- ロシアサッカー・プレミアリーグ: 1 (2007)
- ロシア・スーパーカップ:1 (2008)
- UEFAカップ:1 (2007-08)
- UEFAスーパーカップ:1 (2008)
- オリンピアコスFC
- ギリシャ・スーパーリーグ: 2 (2013-14, 2014-15)
個人
- ロシアサッカー・プレミアリーグ最優秀外国人選手賞:1 (2006)
- ロシア年間最優秀サッカー選手賞:1 (2009)
脚注
- ^ “Alejandro Domínguez joins Olympiacos”. Olympiacos FC (2013年7月2日). 2013年7月3日閲覧。