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1960年代から1970年代初頭にかけて[[ヴォジミエシュ・ルバンスキ]]らを擁して黄金期を迎えた<ref name="ekstraklasa">{{Cite web |url=http://ekstraklasa.wp.pl/kat,77160,title,Z-kart-historii-Gornika-Zabrze,wid,8407530,wiadomosc.html?ticaid=112fd2 |title=Z kart historii Górnika Zabrze |publisher=ekstraklasa.wp.pl |date=2007年7月25日 |accessdate=2014年6月29日}}</ref>。リーグ5連覇(1963、1964、1965、1966、1967)を達成するなど14の国内タイトルを獲得し<ref name="ekstraklasa"/>、国際舞台では[[UEFAカップウィナーズカップ 1969-70]]において、ギリシャの[[オリンピアコスFC]]、スコットランドの[[グラスゴー・レンジャーズFC]]、ブルガリアの[[レフスキ・ソフィア]]、イタリアの[[ASローマ]]を下して決勝進出を果たした<ref name="ekstraklasa"/>。[[ウィーン]]で行われた決勝ではイングランドの[[マンチェスター・シティFC]]に1-2で敗れタイトル獲得を逃した<ref name="ekstraklasa"/><ref>{{Cite web |url=http://en.archive.uefa.com/competitions/ecwc/history/season=1969/intro.html|title=1969/70: City prove slick in the rain|publisher=uefa.com|accessdate=2014年6月29日}}</ref>。 |
1960年代から1970年代初頭にかけて[[ヴォジミエシュ・ルバンスキ]]らを擁して黄金期を迎えた<ref name="ekstraklasa">{{Cite web |url=http://ekstraklasa.wp.pl/kat,77160,title,Z-kart-historii-Gornika-Zabrze,wid,8407530,wiadomosc.html?ticaid=112fd2 |title=Z kart historii Górnika Zabrze |publisher=ekstraklasa.wp.pl |date=2007年7月25日 |accessdate=2014年6月29日}}</ref>。リーグ5連覇(1963、1964、1965、1966、1967)を達成するなど14の国内タイトルを獲得し<ref name="ekstraklasa"/>、国際舞台では[[UEFAカップウィナーズカップ 1969-70]]において、ギリシャの[[オリンピアコスFC]]、スコットランドの[[グラスゴー・レンジャーズFC]]、ブルガリアの[[レフスキ・ソフィア]]、イタリアの[[ASローマ]]を下して決勝進出を果たした<ref name="ekstraklasa"/>。[[ウィーン]]で行われた決勝ではイングランドの[[マンチェスター・シティFC]]に1-2で敗れタイトル獲得を逃した<ref name="ekstraklasa"/><ref>{{Cite web |url=http://en.archive.uefa.com/competitions/ecwc/history/season=1969/intro.html|title=1969/70: City prove slick in the rain|publisher=uefa.com|accessdate=2014年6月29日}}</ref>。 |
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1970年代中盤以降、エースのルバンスキの海外移籍などもあって成績が低迷、1978年の春に2部降格を余儀なくされた。しかし、1年で1部へ復帰すると1980年代には再び活気を取り戻し1985年から1988年にリーグ4連覇を達成、ヨーロッパのカップ戦にも度々参加し、[[バイエルン・ミュンヘン]]などの強豪クラブと対戦した。 |
1970年代中盤以降、エースのルバンスキの海外移籍などもあって成績が低迷、1978年の春に2部降格を余儀なくされた。しかし、1年で1部へ復帰すると1980年代には再び活気を取り戻し1985年から1988年にリーグ4連覇を達成、ヨーロッパのカップ戦にも度々参加し、[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]などの強豪クラブと対戦した。 |
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これ以降はリーグ戦でも1991年の2位、カップ戦でも1992年と2001年の2位が最高成績で、2部リーグへの降格こそ無いもののタイトルに手が届かない状態が続いている。 |
これ以降はリーグ戦でも1991年の2位、カップ戦でも1992年と2001年の2位が最高成績で、2部リーグへの降格こそ無いもののタイトルに手が届かない状態が続いている。 |
2017年8月29日 (火) 10:36時点における版
グールニク・ザブジェ | |||
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原語表記 | Górnik Zabrze Sportowa Spółka Akcyjna | ||
愛称 |
Górnicy, KSG, Torcida, Trójkolorowi (Tri-Colour) | ||
クラブカラー | 赤・白・青 | ||
創設年 | 1948年 | ||
所属リーグ | エクストラクラサ | ||
所属ディビジョン | 1部 | ||
ホームタウン | ザブジェ | ||
ホームスタジアム | エルネスト・ポール・スタジアム (英語版) | ||
収容人数 | 24,563 | ||
代表者 | マレク・パウス | ||
監督 | ヤン・ジュレク | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
グルニク・ザブジェ(ポーランド語: Górnik Zabrze、ポーランド語発音: [ˈɡurɲiɡ ˈzabʐɛ])は、ポーランドの南部、シロンスク県の都市ザブジェを本拠地とするサッカークラブである。クラブは1960年代と1980年代にかけて多くのタイトルを獲得した。1988年以降タイトルとは縁が無い。
概要
クラブはザブジェ市のKSジイェドチェニエ、KSポゴン、KSスクラ、KSコンコルディアが合併して誕生した。名称のグルニクとはポーランド語で鉱夫を意味する言葉で、ザブジェで鉱工業が盛んであったことに由来している。
1950年にシレジア地域リーグに加わり1952年にポーランド2部に昇格。1955年に1部リーグに昇格した。昇格初年度に3位、翌1957年に初のリーグ制覇を成し遂げた。1961年には初めてUEFAチャンピオンズカップに出場したが1回戦でイングランドのトッテナム・ホットスパーFCに敗れた。
1960年代から1970年代初頭にかけてヴォジミエシュ・ルバンスキらを擁して黄金期を迎えた[1]。リーグ5連覇(1963、1964、1965、1966、1967)を達成するなど14の国内タイトルを獲得し[1]、国際舞台ではUEFAカップウィナーズカップ 1969-70において、ギリシャのオリンピアコスFC、スコットランドのグラスゴー・レンジャーズFC、ブルガリアのレフスキ・ソフィア、イタリアのASローマを下して決勝進出を果たした[1]。ウィーンで行われた決勝ではイングランドのマンチェスター・シティFCに1-2で敗れタイトル獲得を逃した[1][2]。
1970年代中盤以降、エースのルバンスキの海外移籍などもあって成績が低迷、1978年の春に2部降格を余儀なくされた。しかし、1年で1部へ復帰すると1980年代には再び活気を取り戻し1985年から1988年にリーグ4連覇を達成、ヨーロッパのカップ戦にも度々参加し、バイエルン・ミュンヘンなどの強豪クラブと対戦した。
これ以降はリーグ戦でも1991年の2位、カップ戦でも1992年と2001年の2位が最高成績で、2部リーグへの降格こそ無いもののタイトルに手が届かない状態が続いている。
2007年春にドイツの保険会社アリアンツをスポンサーに獲得すると豊富な資金力で元ポーランド代表のトマシュ・ハイトを補強した。
2008-09シーズンはエクストラクラサで15位に終わり、2部に降格した。
タイトル
国内タイトル
- ポーランドリーグ:14回
- 1957, 1959, 1961, 1962-63, 1963-64, 1964-65, 1965-66, 1966-67, 1970-71, 1971-72, 1984-85, 1985-86, 1986-87, 1987-88
- ポーランドカップ:6回
- 1965, 1968, 1969, 1970, 1971, 1972
- ポーランドスーパーカップ:1回
- 1988
- ポーランドリーグカップ:1回
- 1978
国際タイトル
なし
過去の成績
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歴代監督
- アダム・ミハルスキ (1995-1996)
- ヤン・コヴァルスキ (1996)
- ヤン・ズレク (1996)
- ピオトル・コツォンブ (1996)
- ヘンリク・アポステル (1997)
- ヤン・コヴァルスキ (1997)
- ヤン・ズレク (1997-2000)
- ユゼフ・ダンコフスキ (暫定) (2000)
- マルチン・ボヒネク (2000)
- ミェチスワフ・ブロニシェフスキ (2000)
- ユゼフ・ダンコフスキ (2000-2001)
- マレク・ピオトロヴィチ (2001)
- ヴァルデマル・フォルナリク (2001)
- マレク・ピオトロヴィチ (2001)
- ヴァルデマル・フォルナリク (2002-2004)
- ヴェルネル・リチカ (2004)
- エドヴァルド・ロレンス (2004-2005)
- マレク・フレチャウォフスキ (2005)
- マレク・モティカ (2005-2006)
- リシャルト・コモルニツキ (2006)
- プシェミスワフ・ツェヘジュ (暫定) (2006)
- マレク・モティカ (2006)
- Zdzisław Podedworny (2006-2007)
- マレク・モティカ (2007)
- マレク・コストシェヴァ (2007)
- マレク・ピオトロヴィチ (2007)
- リシャルト・ヴィエチョレク (2007-2008)
- マルチン・ボヒネク (暫定) (2008)
- ヘンリク・カスペルチャク (2008-2009)
- リシャルト・コモルニツキ (2009)
- アダム・ナヴァウカ (2010-2013)
- ボグダン・ザヨンツ (暫定) (2013)
- リシャルト・ヴィエチョレク (2013-2014)
- ロベルト・ヴァシハ (2014)
- ユゼフ・ダンコフスキ (2014-2015)
- ロベルト・ヴァシハ (2015)
- レシェク・オイジンスキ (2015-2016)
- ヤン・ジュレク (2016-)
歴代所属選手
- ヴォジミエシュ・ルバンスキ 1963-1975
- イェジィ・ゴルゴン 1967-1980
- アンジェイ・シャルマッフ 1970-1975
- トマシュ・ヴァウドフ 1988-1994
- カミル・コソフスキ 1996-1999
- トマシュ・ハイト 2007-2008
- アルカディウシュ・ミリク 2011-2012
- 直川公俊 2004
脚注
- ^ a b c d “Z kart historii Górnika Zabrze”. ekstraklasa.wp.pl (2007年7月25日). 2014年6月29日閲覧。
- ^ “1969/70: City prove slick in the rain”. uefa.com. 2014年6月29日閲覧。