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186|url=http://books.google.com/books?id=OLO0sRm_dsEC&printsec=frontcover&dq=john+hammond&hl=en&ei=hK6jTcHTGMTcgQfN5ZyaCg&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=2&ved=0CC4Q6AEwAQ#v=onepage&q=commodore%20vanderbilt&f=false|accessdate=2011-11-25}}</ref>。実の弟ジェイソンの他、父とエスマ・オブライエン・サーノフとの再婚により義理の妹(エスマ・)ロシータ・サーノフがいる。彼のミドル・ネームであるポールは彼の父の友人で俳優の[[ポール・ロブスン]]に敬意を表して名付けられた。若い頃の彼は母親により育てられ、父親とは年に数回会うのみであった。
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高校生の頃に[[ギター]]を演奏し始め、特に[[ジミー・リード]]のアルバム『''[[::en:Jimmy Reed at Carnegie Hall|Jimmy Reed at Carnegie Hall]]'' 』に影響を受けた。''[[::en:Antioch College|Antioch College]]'' に進学したが音楽の道に進むため1年で中退。1960年代中期までに全米を公演してまわり、[[グリニッジ・ヴィレッジ]]に住むようになった。ニューヨークで[[ジミ・ヘンドリックス]]、[[エリック・クラプトン]]、ザ・ホークス(後に[[ザ・バンド]]で知られる)、[[ドクター・ジョン]]、[[デュアン・オールマン]]など多くのエレクトリック・ブルース・ミュージシャンと共にレコーディングを行ない、友情を育んだ。
高校生の頃に[[ギター]]を演奏し始め、特に[[ジミー・リード]]のアルバム『''[[:en:Jimmy Reed at Carnegie Hall|Jimmy Reed at Carnegie Hall]]'' 』に影響を受けた。''[[:en:Antioch College|Antioch College]]'' に進学したが音楽の道に進むため1年で中退。1960年代中期までに全米を公演してまわり、[[グリニッジ・ヴィレッジ]]に住むようになった。ニューヨークで[[ジミ・ヘンドリックス]]、[[エリック・クラプトン]]、ザ・ホークス(後に[[ザ・バンド]]で知られる)、[[ドクター・ジョン]]、[[デュアン・オールマン]]など多くのエレクトリック・ブルース・ミュージシャンと共にレコーディングを行ない、友情を育んだ。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
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批評家からの称賛を得ながらも、商業的には大きな成功はしていない。にもかかわらず、根強いファンに支えられ、[[ジョン・リー・フッカー]]、[[ルーズヴェルト・サイクス]]、デュアン・オールマン、[[ロビー・ロバートソン]]、[[チャーリー・マッスルホワイト]]など彼の音楽に参加したミュージシャンからの尊敬を得ている。エリック・クラプトンとジミ・ヘンドリックスの両者が同時に1つのバンドに参加した唯一のミュージシャンであり、1960年代、ニューヨークの[[ガスライト・カフェ]]で5日間演奏した<ref>{{cite news|last=Forman|first=Bill |date=January 28, 2010|url=http://www.csindy.com/colorado/tangled-up-in-blues/Content?oid=1591758 |title=Tangled up in blues: John Hammond recalls his meetings with Clapton, Hendrix, Dylan and Waits |publisher=''[[Colorado Springs Independent]]''}}</ref>。しかし、彼らとレコーディングを行なわなかったことを彼は後悔している。少なくとも1人の起草者によりザ・バンドが広く認知されるのを助けるミュージシャンにふさわしいと提案。1965年、彼はザ・バンドの数名のメンバーとレコーディングを行ない、彼らに[[ボブ・ディラン]]を推薦し、ザ・バンドは有名となり世界ツアー公演を行なった<ref>{{cite book | last = Heylin | first = Clinton | title = Behind the Shades Revisited | publisher = HarperCollins | year = 2003 | location = New York | pages = 173–174 | isbn = 0-06-052569-X}}</ref>。1973年には、当時所属していたコロムビア・レコードの案により、ドクター・ジョン及び[[マイク・ブルームフィールド]]とのコラボレーション・アルバム『''[[三頭政治 (アルバム)|Triumvirate]]''』を発表したが、このトリオは短命に終わった<ref>{{Cite web|url=http://blues.about.com/od/artistprofile1/p/John-Hammond-Profile.htm |title=Profile & Discography for Acoustic Bluesman John Hammond |last=Gordon |first=Keith A. |publisher=About.com |accessdate=2015-04-08}}</ref>。
批評家からの称賛を得ながらも、商業的には大きな成功はしていない。にもかかわらず、根強いファンに支えられ、[[ジョン・リー・フッカー]]、[[ルーズヴェルト・サイクス]]、デュアン・オールマン、[[ロビー・ロバートソン]]、[[チャーリー・マッスルホワイト]]など彼の音楽に参加したミュージシャンからの尊敬を得ている。エリック・クラプトンとジミ・ヘンドリックスの両者が同時に1つのバンドに参加した唯一のミュージシャンであり、1960年代、ニューヨークの[[ガスライト・カフェ]]で5日間演奏した<ref>{{cite news|last=Forman|first=Bill |date=January 28, 2010|url=http://www.csindy.com/colorado/tangled-up-in-blues/Content?oid=1591758 |title=Tangled up in blues: John Hammond recalls his meetings with Clapton, Hendrix, Dylan and Waits |publisher=''[[Colorado Springs Independent]]''}}</ref>。しかし、彼らとレコーディングを行なわなかったことを彼は後悔している。少なくとも1人の起草者によりザ・バンドが広く認知されるのを助けるミュージシャンにふさわしいと提案。1965年、彼はザ・バンドの数名のメンバーとレコーディングを行ない、彼らに[[ボブ・ディラン]]を推薦し、ザ・バンドは有名となり世界ツアー公演を行なった<ref>{{cite book | last = Heylin | first = Clinton | title = Behind the Shades Revisited | publisher = HarperCollins | year = 2003 | location = New York | pages = 173–174 | isbn = 0-06-052569-X}}</ref>。1973年には、当時所属していたコロムビア・レコードの案により、ドクター・ジョン及び[[マイク・ブルームフィールド]]とのコラボレーション・アルバム『''[[三頭政治 (アルバム)|Triumvirate]]''』を発表したが、このトリオは短命に終わった<ref>{{Cite web|url=http://blues.about.com/od/artistprofile1/p/John-Hammond-Profile.htm |title=Profile & Discography for Acoustic Bluesman John Hammond |last=Gordon |first=Keith A. |publisher=About.com |accessdate=2015-04-08}}</ref>。


1990年代初頭、伝説的[[ブルース]]歌手の[[ロバート・ジョンソン]]についての1991年の[[イギリス]]のドキュメンタリー番組『''[[::en:The Search for Robert Johnson|The Search for Robert Johnson]]'' 』の司会をした。
1990年代初頭、伝説的[[ブルース]]歌手の[[ロバート・ジョンソン]]についての1991年の[[イギリス]]のドキュメンタリー番組『''[[:en:The Search for Robert Johnson|The Search for Robert Johnson]]'' 』の司会をした。


[[シンガーソングライター]]の[[トム・ウェイツ]]と長年にわたる友人であり、時々ウェイツの曲を演奏する。2001年、伝統的な[[スピリチュアル]]曲『''I know I've Been Changed'' 』以外全曲ウェイツの作曲によるアルバム『''Wicked Grin'' 』を発表。ウェイツはこのアルバムにプロデュース、ギター演奏、バック・[[コーラス (ポピュラー音楽)|コーラス]]でも参加している。
[[シンガーソングライター]]の[[トム・ウェイツ]]と長年にわたる友人であり、時々ウェイツの曲を演奏する。2001年、伝統的な[[スピリチュアル]]曲『''I know I've Been Changed'' 』以外全曲ウェイツの作曲によるアルバム『''Wicked Grin'' 』を発表。ウェイツはこのアルバムにプロデュース、ギター演奏、バック・[[コーラス (ポピュラー音楽)|コーラス]]でも参加している。


2002年、[[ロス・ロボス]]のデイヴィッド・イダルゴのプロデュースによる『''Ready for Love'' 』を発表<ref name="barnes"/>。このアルバムには[[ミック・ジャガー]]と[[キース・リチャーズ]]作曲の『''[[::en:The Spider and the Fly (song)|The Spider and the Fly]]'' 』の[[カバー]]曲も含まれている。
2002年、[[ロス・ロボス]]のデイヴィッド・イダルゴのプロデュースによる『''Ready for Love'' 』を発表<ref name="barnes"/>。このアルバムには[[ミック・ジャガー]]と[[キース・リチャーズ]]作曲の『''[[:en:The Spider and the Fly (song)|The Spider and the Fly]]'' 』の[[カバー]]曲も含まれている。


2009年、アルバム『''Rough and Tough'' 』が発表された。このアルバムは2010年のグラミー賞最優秀トラディショナル・ブルース・アルバム賞にノミネートされた<ref>{{cite web|url=http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=7466075 |author=Simon, Scott |title=John Hammond, Writing the Blues|work=Weekend Edition Saturday|publisher=NPR.org|date=February 17, 2007|format=Flash streaming audio|accessdate=February 17, 2007}}</ref>。
2009年、アルバム『''Rough and Tough'' 』が発表された。このアルバムは2010年のグラミー賞最優秀トラディショナル・ブルース・アルバム賞にノミネートされた<ref>{{cite web|url=http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=7466075 |author=Simon, Scott |title=John Hammond, Writing the Blues|work=Weekend Edition Saturday|publisher=NPR.org|date=February 17, 2007|format=Flash streaming audio|accessdate=February 17, 2007}}</ref>。
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* 1996年 - ''Found True Love'' ([[ヴァージン・レコード|ヴァージン]])
* 1996年 - ''Found True Love'' ([[ヴァージン・レコード|ヴァージン]])
* 1998年 - ''Long As I Have You'' (ポイント・ブランク/ヴァージン)
* 1998年 - ''Long As I Have You'' (ポイント・ブランク/ヴァージン)
* 2001年 - ''[[::en:Wicked Grin|Wicked Grin]]'' (ポイント・ブランク/ヴァージン)
* 2001年 - ''[[:en:Wicked Grin|Wicked Grin]]'' (ポイント・ブランク/ヴァージン)
* 2003年 - ''At The Crossroads'' (ヴァンガード)
* 2003年 - ''At The Crossroads'' (ヴァンガード)
* 2003年 - ''Ready For Love'' ([[バック・ポーチ・レコード|バック・ポーチ]])
* 2003年 - ''Ready For Love'' ([[バック・ポーチ・レコード|バック・ポーチ]])

2017年8月28日 (月) 13:00時点における版

ジョン・ポール・ハモンド(John Paul Hammond、1942年11月13日 - )は、アメリカ合衆国ブルース歌手ギタリストレコード・プロデューサージョン・ハモンドの息子であり、ジョン・ハモンド・ジュニアと表記されることもある。

生い立ち

1942年11月13日、ニューヨークでレコード・プロデューサーでタレント・スカウトのジョン・ハモンドと最初の妻で女優のジェミソン・マクブライドのもとに生まれた[1]。高名なヴァンダービルト家の祖であるコーネリアス・ヴァンダービルトの子孫[2]。実の弟ジェイソンの他、父とエスマ・オブライエン・サーノフとの再婚により義理の妹(エスマ・)ロシータ・サーノフがいる。彼のミドル・ネームであるポールは彼の父の友人で俳優のポール・ロブスンに敬意を表して名付けられた。若い頃の彼は母親により育てられ、父親とは年に数回会うのみであった。

高校生の頃にギターを演奏し始め、特にジミー・リードのアルバム『Jimmy Reed at Carnegie Hall 』に影響を受けた。Antioch College に進学したが音楽の道に進むため1年で中退。1960年代中期までに全米を公演してまわり、グリニッジ・ヴィレッジに住むようになった。ニューヨークでジミ・ヘンドリックスエリック・クラプトン、ザ・ホークス(後にザ・バンドで知られる)、ドクター・ジョンデュアン・オールマンなど多くのエレクトリック・ブルース・ミュージシャンと共にレコーディングを行ない、友情を育んだ。

経歴

彼は通常アコースティック・ギター、特にナショナル・ギター社製を愛用し、バレルハウス・スタイルの歌唱法を採っている。1962年、ヴァンガード・レコードからデビューしてから現在まで34枚のアルバムを発表。1990年代ポイント・ブランク・レコードでレコーディングするようになった。グラミー賞に4度ノミネートされ、1度受賞している。1970年のダスティン・ホフマン主演の映画『小さな巨人』の音楽を担当している。

批評家からの称賛を得ながらも、商業的には大きな成功はしていない。にもかかわらず、根強いファンに支えられ、ジョン・リー・フッカールーズヴェルト・サイクス、デュアン・オールマン、ロビー・ロバートソンチャーリー・マッスルホワイトなど彼の音楽に参加したミュージシャンからの尊敬を得ている。エリック・クラプトンとジミ・ヘンドリックスの両者が同時に1つのバンドに参加した唯一のミュージシャンであり、1960年代、ニューヨークのガスライト・カフェで5日間演奏した[3]。しかし、彼らとレコーディングを行なわなかったことを彼は後悔している。少なくとも1人の起草者によりザ・バンドが広く認知されるのを助けるミュージシャンにふさわしいと提案。1965年、彼はザ・バンドの数名のメンバーとレコーディングを行ない、彼らにボブ・ディランを推薦し、ザ・バンドは有名となり世界ツアー公演を行なった[4]。1973年には、当時所属していたコロムビア・レコードの案により、ドクター・ジョン及びマイク・ブルームフィールドとのコラボレーション・アルバム『Triumvirate』を発表したが、このトリオは短命に終わった[5]

1990年代初頭、伝説的ブルース歌手のロバート・ジョンソンについての1991年のイギリスのドキュメンタリー番組『The Search for Robert Johnson 』の司会をした。

シンガーソングライタートム・ウェイツと長年にわたる友人であり、時々ウェイツの曲を演奏する。2001年、伝統的なスピリチュアル曲『I know I've Been Changed 』以外全曲ウェイツの作曲によるアルバム『Wicked Grin 』を発表。ウェイツはこのアルバムにプロデュース、ギター演奏、バック・コーラスでも参加している。

2002年、ロス・ロボスのデイヴィッド・イダルゴのプロデュースによる『Ready for Love 』を発表[1]。このアルバムにはミック・ジャガーキース・リチャーズ作曲の『The Spider and the Fly 』のカバー曲も含まれている。

2009年、アルバム『Rough and Tough 』が発表された。このアルバムは2010年のグラミー賞最優秀トラディショナル・ブルース・アルバム賞にノミネートされた[6]

2011年、ブルース・ファウンデーションによるブルースの殿堂に殿堂入りした[7]

プライベート

1967年10月21日、ジョン・バーク・マクデヴィットの娘デイナ・マクデヴィットと結婚した[8]が、後に離婚。

1981年、マリアと再婚[9]

主なアルバム

  • 1964年 - Big City Blues (ヴァンガード)
  • 1964年 - Country Blues (ヴァンガード)
  • 1964年 - John Hammond (ヴァンガード)
  • 1965年 - So Many Roads (ヴァンガード)
  • 1967年 - I Can Tell (アトランティック)
  • 1967年 - Mirrors (ヴァンガード)
  • 1968年 - Sooner Or Later (ウォーター・ミュージック)
  • 1969年 - Southern Fried (ウォーター・ミュージック)
  • 1970年 - Source Point (コロムビア)
  • 1971年 - Little Big Man (コロムビア)
  • 1971年 - When I Need (コロムビア)
  • 1972年 - I'm Satisfied (コロムビア)
  • 1973年 - Triumvirate (コロムビア/ with マイク・ブルームフィールドドクター・ジョン)
  • 1975年 - Can't Beat The Kid (Acadia)
  • 1976年 - John Hammond Solo (ヴァンガード)
  • 1978年 - Footwork (ヴァンガード)
  • 1979年 - Hot Tracks (ヴァンガード)
  • 1980年 - Mileage (ラウンダー)
  • 1982年 - Frogs For Snakes (ラウンダー)
  • 1983年 - Hits For The Highway (Aim)
  • 1983年 - Live (ラウンダー)
  • 1984年 - Spoonful (Edsel)
  • 1988年 - Nobody But You (フライング・フィッシュ)
  • 1992年 - Got Love If You Want It (カリスマ)
  • 1993年 - You Can't Judge A Book By The Cover (ヴァンガード)
  • 1994年 - Trouble No More (ポイント・ブランク)
  • 1996年 - Found True Love (ヴァージン)
  • 1998年 - Long As I Have You (ポイント・ブランク/ヴァージン)
  • 2001年 - Wicked Grin (ポイント・ブランク/ヴァージン)
  • 2003年 - At The Crossroads (ヴァンガード)
  • 2003年 - Ready For Love (バック・ポーチ)
  • 2005年 - In Your Arms Again (バック・ポーチ)
  • 2006年 - Live In Greece (ダイナミック)
  • 2007年 - Push Comes To Shove (バック・ポーチ)
  • 2009年 - Rough & Tough (チェスキー)

脚注

  1. ^ a b “John Hammond Jr. Artist Biography”. All Music Guide. Barnesandnoble.com. http://music.barnesandnoble.com/search/artistbio.asp?CTR=64957 
  2. ^ Prial, Dunstan (2007). The Producer: John Hammond and the Soul of American Music. Macmillan. pp. 5–10, 186. http://books.google.com/books?id=OLO0sRm_dsEC&printsec=frontcover&dq=john+hammond&hl=en&ei=hK6jTcHTGMTcgQfN5ZyaCg&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=2&ved=0CC4Q6AEwAQ#v=onepage&q=commodore%20vanderbilt&f=false 2011年11月25日閲覧。 
  3. ^ Forman, Bill (January 28, 2010). “Tangled up in blues: John Hammond recalls his meetings with Clapton, Hendrix, Dylan and Waits”. Colorado Springs Independent. http://www.csindy.com/colorado/tangled-up-in-blues/Content?oid=1591758 
  4. ^ Heylin, Clinton (2003). Behind the Shades Revisited. New York: HarperCollins. pp. 173–174. ISBN 0-06-052569-X 
  5. ^ Gordon, Keith A.. “Profile & Discography for Acoustic Bluesman John Hammond”. About.com. 2015年4月8日閲覧。
  6. ^ Simon, Scott (February 17, 2007). “John Hammond, Writing the Blues” (Flash streaming audio). Weekend Edition Saturday. NPR.org. February 17, 2007閲覧。
  7. ^ Inductees. Blues Hall of Fame, 2011.
  8. ^ "Dana McDevitt Is Bride", The New York Times. October 22, 1967. (Paid subscription required要購読契約)
  9. ^ "John Hammond Jr., Artist Interview”. BarnesAndNoble.com (February 10, 2003). February 10, 2003閲覧。

外部リンク