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ステージで立ちつくして歌うスタイルの歌手が多い中、「歌って踊る」彼女のパフォーマンスはアメリカでなかなか受け入れられず{{Citation needed|date=November 2015}}、一時期は[[ミュージカル]]に活動の主軸を移した。1984年のミュージカル『''Sophisticated Ladies'' 』で賛辞を受け、1986年に[[フランス]]へ移住した。同年、ミュージカル『''Lady Day'' 』で[[ビリー・ホリデイ]]役で主演し、[[ローレンス・オリヴィエ賞]]にノミネートされ、[[レイ・チャールズ]]と共に『''Precious Thing'' 』をレコーディングした。1980年代後期および1990年代初頭、ミュージカル界からジャズ界に戻った。1990年、[[イタリア]]の[[サンレモ音楽祭]]と[[スイス]]の[[モントルー・ジャズ・フェスティバル]]で演奏し、4年後、長年尊敬し続けていた[[ホレス・シルヴァー]]と遂にコラボレーションを果たし、アルバム『''Love and Peace: A Tribute to Horace Silver'' 』をリリースした。また1996年にはサンフランシスコ・ジャズ・フェスティバルに出演した。1997年、トリビュート・アルバム『''[[ |
ステージで立ちつくして歌うスタイルの歌手が多い中、「歌って踊る」彼女のパフォーマンスはアメリカでなかなか受け入れられず{{Citation needed|date=November 2015}}、一時期は[[ミュージカル]]に活動の主軸を移した。1984年のミュージカル『''Sophisticated Ladies'' 』で賛辞を受け、1986年に[[フランス]]へ移住した。同年、ミュージカル『''Lady Day'' 』で[[ビリー・ホリデイ]]役で主演し、[[ローレンス・オリヴィエ賞]]にノミネートされ、[[レイ・チャールズ]]と共に『''Precious Thing'' 』をレコーディングした。1980年代後期および1990年代初頭、ミュージカル界からジャズ界に戻った。1990年、[[イタリア]]の[[サンレモ音楽祭]]と[[スイス]]の[[モントルー・ジャズ・フェスティバル]]で演奏し、4年後、長年尊敬し続けていた[[ホレス・シルヴァー]]と遂にコラボレーションを果たし、アルバム『''Love and Peace: A Tribute to Horace Silver'' 』をリリースした。また1996年にはサンフランシスコ・ジャズ・フェスティバルに出演した。1997年、トリビュート・アルバム『''[[:en:Dear Ella|Dear Ella]]'' 』が1998年グラミー賞ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞を受賞し、1998年のアルバム『''[[:en:Live at Yoshi's (Dee Dee Bridgewater album)|Live at Yoshi's]]'' 』もグラミー賞にノミネートされた。1998年、再度モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演した。2002年、[[クルト・ヴァイル]]の曲で構成されるアルバム『''[[:en:This Is New (Dee Dee Bridgewater album)|This Is New]]'' 』、2005年、フランスのクラシック曲で構成されるアルバム『''[[:en:J'ai Deux Amours|J'ai deux amours]]'' 』をリリースした。 |
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2007年のアルバム『''[[:en:Red Earth (Dee Dee Bridgewater album)|Red Earth]]'' 』は[[アフリカ]]の影響を受けており、[[西アフリカ]]の[[マリ共和国]]の多くのミュージシャンが参加した。2007年、再度サンフランシスコ・ジャズ・フェスティバルに出演した。2007年12月8日、[[ワシントンD.C.]]の[[ジョン・F・ケネディ・センター]]で[[テレンス・ブランチャード]]・クインテットと共に演奏した<ref>[http://www.kennedy-center.org/calendar/index.cfm?fuseaction=showEvent&event=MIJPB Kennedy Center: The Movie Music of Spike Lee and Terence Blanchard]</ref>。しばしばツアー公演を行ない、世界中でコンサートを行なっている。2009年10月16日、上海JZジャズ・フェスティバルのオープニングに出演し、[[エラ・フィッツジェラルド]]に関連する曲の他、[[デューク・エリントン]]などジャズのスタンダードを演奏した。 |
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[[ヴァーヴ・レコード]]から多数のアルバムを発表し、[[1990年代]]以降において[[ダイアン・リーヴス]]、[[カサンドラ・ウィルソン]]、[[ダイアナ・クラール]]らと共に最も成功したジャズ歌手の一人と考えられている。 |
2017年8月28日 (月) 12:34時点における版
ディー・ディー・ブリッジウォーター | |
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基本情報 | |
出生名 | デニス・アイリーン・ギャレット |
生誕 | 1950年5月27日(74歳) |
出身地 | アメリカ合衆国テネシー州メンフィス |
ジャンル | ジャズ, R&B |
職業 | 歌手 |
ディー・ディー・ブリッジウォーター (Dee Dee Bridgewater,1950年5月27日 - )は、アメリカ・テネシー州メンフィス出身のジャズ歌手・俳優。本名はデニス・アイリーン・ギャレット (Denise Eileen Garrett)。現在、国際連合食糧農業機関(FAO)の大使をつとめている。
経歴
出生名「デニス・アイリーン・ギャレット」としてテネシー州メンフィスで生まれ、ミシガン州フリントのカトリックの家庭で育った。父マシュウ・ギャレットがジャズ・トランペッターで、マナサス高等学校の教師をしていたため、早くからジャズを歌い始めた。16歳の時、ミシガン州のクラブでロック&リズム・アンド・ブルース・トリオに歌手として参加した。18歳の時、ミシガン州立大学に進学し、その後イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で学んだ。1969年、自身のジャズバンドと共にソヴィエト連邦へツアー公演を行なった。
翌年、トランペット奏者のセシル・ブリッジウォーターと出会い、結婚後ニューヨークに転居して彼女はホレス・シルヴァーのバンドで演奏した。1970年代初頭、彼女はサド・ジョーンズ/メル・ルイス・ジャズ・オーケストラにリード・ヴォーカルとして加入した[1]。これによりジャズでのキャリアをスタートさせ、ソニー・ロリンズ、ディジー・ガレスピー、デクスター・ゴードン、マックス・ローチ、ローランド・カークといった著名なジャズ・ミュージシャンと共演した。1973年、モントレー・ジャズ・フェスティバルに出演した。1974年、1枚目のアルバム『Afro Blue 』をリリースし、ブロードウェイ・ミュージカル『ザ・ウィズ』に出演した。良い魔女グリンダ役を演じ、1975年、トニー賞助演女優賞を受賞し、1976年、『ザ・ウィズ』はグラミー賞ミュージカル・ショー・アルバム賞を受賞した。
ステージで立ちつくして歌うスタイルの歌手が多い中、「歌って踊る」彼女のパフォーマンスはアメリカでなかなか受け入れられず[要出典]、一時期はミュージカルに活動の主軸を移した。1984年のミュージカル『Sophisticated Ladies 』で賛辞を受け、1986年にフランスへ移住した。同年、ミュージカル『Lady Day 』でビリー・ホリデイ役で主演し、ローレンス・オリヴィエ賞にノミネートされ、レイ・チャールズと共に『Precious Thing 』をレコーディングした。1980年代後期および1990年代初頭、ミュージカル界からジャズ界に戻った。1990年、イタリアのサンレモ音楽祭とスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルで演奏し、4年後、長年尊敬し続けていたホレス・シルヴァーと遂にコラボレーションを果たし、アルバム『Love and Peace: A Tribute to Horace Silver 』をリリースした。また1996年にはサンフランシスコ・ジャズ・フェスティバルに出演した。1997年、トリビュート・アルバム『Dear Ella 』が1998年グラミー賞ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞を受賞し、1998年のアルバム『Live at Yoshi's 』もグラミー賞にノミネートされた。1998年、再度モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演した。2002年、クルト・ヴァイルの曲で構成されるアルバム『This Is New 』、2005年、フランスのクラシック曲で構成されるアルバム『J'ai deux amours 』をリリースした。
2007年のアルバム『Red Earth 』はアフリカの影響を受けており、西アフリカのマリ共和国の多くのミュージシャンが参加した。2007年、再度サンフランシスコ・ジャズ・フェスティバルに出演した。2007年12月8日、ワシントンD.C.のジョン・F・ケネディ・センターでテレンス・ブランチャード・クインテットと共に演奏した[2]。しばしばツアー公演を行ない、世界中でコンサートを行なっている。2009年10月16日、上海JZジャズ・フェスティバルのオープニングに出演し、エラ・フィッツジェラルドに関連する曲の他、デューク・エリントンなどジャズのスタンダードを演奏した。
ヴァーヴ・レコードから多数のアルバムを発表し、1990年代以降においてダイアン・リーヴス、カサンドラ・ウィルソン、ダイアナ・クラールらと共に最も成功したジャズ歌手の一人と考えられている。
家族
最初の夫であるトランペット奏者セシル・ブリッジウォーターとの間に長女、二度目の夫との間に二女、現在の夫との間に長男がいる。二女のチャイナ・モーゼス(China Moses、1978年生まれ)もフランスや米国を中心に活躍するジャズ歌手である。
ディスコグラフィ
- Afro Blue (1974)
- Dee Dee Bridgewater (1976)
- Just Family (1978)
- Bad for Me (1979)
- Live in Paris (1986)
- Victim of Love (1990)
- In Montreux (1992)
- Keeping Tradition (1993)
- Love and Peace: A Tribute to Horace Silver (1995)
- Prelude to a Kiss: The Duke Ellington Album (1996)
- 「ディア・エラ」 Dear Ella (1997)
- Live at Yoshi's (2000)
- This is New (2002)
- J'ai Deux Amours (2005)
- Red Earth (2007)
- Eleanora Fagan (1915 - 1959): To Billie with Love from Dee Dee Bridgewater (2010)
- Midnight Sun (2011、ベストアルバム)
受賞歴
- トニー賞 - 1975年 『ザ・ウィズ』 最優秀助演女優賞(グリンダ役)
- グラミー賞
- 1976年 ベスト・ミュージカル・アルバム賞(『ウィズ』、キャストの1人として)
- 1998年 ベスト・ジャズヴォーカル・アルバム賞("Dear Ella")
- 1998年 ベスト・ジャズヴォーカル伴奏編曲賞("Cotton Tail"、編曲者の Slide Hampton が対象)
- 2011年 ベスト・ジャズヴォーカル・アルバム賞("To Billie with Love")
脚注
- ^ Larkin, Colin. The Guinness Encyclopedia of Popular Music, Guinness, page 547, (1995) - ISBN 1-56159-176-9
- ^ Kennedy Center: The Movie Music of Spike Lee and Terence Blanchard