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「北海道旧土人保護法」の版間の差分

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2017年7月29日 (土) 00:09時点における版

北海道旧土人保護法
日本国政府国章(準)
日本の法令
通称・略称 なし
法令番号 明治32年3月2日法律第27号
効力 廃止
主な内容 アイヌ保護策など
関連法令 アイヌ文化振興法
条文リンク 旧土人保護法
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北海道旧土人保護法(ほっかいどうきゅうどじんほごほう、明治32年3月2日法律第27号)は、北海道アイヌを保護する目的で制定された日本法律である。

概要

江戸時代より、江戸幕府は北海道を管轄する松前藩に対し、北海道アイヌの待遇改善を指示してきた。田沼意次の蝦夷地(北海道)開発を目的とした北方探索などで、松前藩の北海道アイヌに対する差別的待遇は明らかであったが、当時の各藩の独立性に加え、遠隔地であるために政府の影響力が弱かったため、改善には至らなかった。

明治維新後もこの状況が続いたため、明治32年(1899年)3月2日、北海道アイヌを一般の日本国民と分けること(戸籍の分離)。アイヌ戸籍にはアイヌと表記する方式がとられた。アイヌの土地所有権の制限(不動産の相続権の停止など)、アイヌ語の廃止、日本の同化政策を目的とした北海道旧土人保護法が制定された。終戦後もこの差別的な法律が存続した。アイヌ民族からはじめての国会議員 萱野茂の登場によって国会で廃止提案され、1997年(平成9年)7月1日アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(1997年(平成9年)法律第52号、アイヌ文化振興法)は国会で全会一致で可決。その施行に伴い廃止された(附則2条)。同時に、旭川市旧土人保護地処分法(1934年(昭和9年)法律第9号)も廃止された。

この法律は貧困にあえぐ「北海道旧土人」(アイヌ)に対する日本人からの保護を大義名分であったが、土地[1]医薬品[2]埋葬[3]授業料の供与[4]、供与に要する費用にはアイヌの共有財産からの収益を用いること[5]、アイヌの共有財産は北海道庁長官が管理すること[6]、自由な土地売買や永小作権設定の禁止[7]などが定められていた。この法律に基づきアイヌ民族の共有財産は北海道庁に管理が移り、公売によって日本人に売却された。高野斗志美はこれを「アイヌの財産を収奪[8]し、文化帝国主義同化政策を推進するための法的根拠として活用された」と主張した。具体的には、

  1. アイヌの土地の没収
  2. 収入源である漁業・狩猟の禁止
  3. アイヌ固有の習慣風習の禁止
  4. 日本語使用の義務
  5. 日本風氏名への改名による戸籍への編入

等々が実行に移された[9]

脚注

  1. ^ 第一条
  2. ^ 第五条
  3. ^ 第三条
  4. ^ 第七条
  5. ^ 第八条
  6. ^ 第十条
  7. ^ 第二条
  8. ^ 『北海道文学全集第11巻 アイヌ民族の魂』 1980年 立風書房 「第11巻解説」 高野斗志美 P338参照。この著作で高野は北海道旧土人保護法理由書を引用した後「武力と奸計と懐柔のあらゆる手段をつかい、松前藩=幕府時代をとおして収奪してきたアイヌ・モシリを、いまや統一となった日本帝国はみずからの領土に新しく編入していく」と記述している。
  9. ^ 常本 照樹「アイヌ民族をめぐる法の変遷―旧土人保護法から「アイヌ文化振興法」へ」 (自由学校「遊」ブックレット 2000年)

関連項目