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「実相院 (世田谷区)」の版間の差分

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==歴史==
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==境内==
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: 1957年(昭和32年)に6間に6間半の大きさに改築された<ref>{{Cite book|和書|editor=世田谷区教育委員会|title=社寺と史跡|volume=その1|publisher=世田谷区教育委員会|series=せたがや|year=1968|ncid=BA91722103|page=20}}</ref>。
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; 多宝塔
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==文化財==
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== 参考画像 ==
== 参考画像 ==
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File:世田谷実相院正面.jpg|thumb|実相院の入口
世田谷実相院正面.jpg|実相院の入口
File:実相院(世田谷区)山門.jpg|山門
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File:実相院(世田谷区)北門.jpg|北門
実相院(世田谷区)北門.jpg|北門
File:実相院(世田谷区)本堂.jpg|本堂
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File:実相院(世田谷区)多宝塔.jpg|多宝塔
実相院(世田谷区)多宝塔.jpg|多宝塔
File:世田谷実相院鐘楼.jpg|鐘楼
世田谷実相院鐘楼.jpg|鐘楼
File:増上寺石灯籠(世田谷・実相院).jpg|増上寺石灯籠
増上寺石灯籠(世田谷・実相院).jpg|増上寺石灯籠
File:寛永寺石灯籠(世田谷・実相院).jpg|寛永寺石灯籠
寛永寺石灯籠(世田谷・実相院).jpg|寛永寺石灯籠
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世田谷百景(実相院)の碑.jpg|世田谷百景の碑
File:世田谷実相院アカマツ.jpg|アカマツ
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File:世田谷実相院アカマツ(後方から撮影).jpg|thumb|アカマツ(遠方より撮影)
世田谷実相院アカマツ(後方から撮影).jpg|アカマツ(遠方より撮影)
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世田谷実相院アカマツの塚.jpg|アカマツの根元にある古い塚
File:世田谷実相院朱印寺.jpg|朱印寺石碑
世田谷実相院朱印寺.jpg|朱印寺石碑
File:世田谷区実相院高橋是清翁之鬚墓.jpg|thumb|高橋是清翁之鬚墓
世田谷区実相院高橋是清翁之鬚墓.jpg|高橋是清翁之鬚墓
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==交通アクセス==
==交通アクセス==
* 鉄道
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** [[東急世田谷線]] [[上町駅]]下車 徒歩7分
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* バス
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==出典==
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=== 注釈 ===
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== 参考文献 ==
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== 外部リンク ==
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2024年11月10日 (日) 20:55時点における最新版

実相院
実相院(世田谷区)本堂
所在地 東京都世田谷区弦巻三丁目29番6号
位置 北緯35度38分23.3秒 東経139度38分39.2秒 / 北緯35.639806度 東経139.644222度 / 35.639806; 139.644222座標: 北緯35度38分23.3秒 東経139度38分39.2秒 / 北緯35.639806度 東経139.644222度 / 35.639806; 139.644222
山号 鶴松山[1]
宗旨 曹洞宗[1]
本尊 薬師如来[1]
創建年 不詳
開山 天永琳達大和尚[1]
開基 吉良左兵衛佐氏朝[1]
札所等 西国第十七番札所、玉川北百番、世田谷区内三十三所[2]
文化財 薬師如来坐像[3]、観音菩薩像[4]
法人番号 8010905000210 ウィキデータを編集
実相院 (世田谷区)の位置(東京都区部内)
実相院 (世田谷区)
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実相院(じっそういん)は、東京都世田谷区弦巻にある曹洞宗の寺院[5]。詳名は鶴松山実相院。世田谷吉良氏との関係が深く、開基とされる吉良氏朝の法号実相院とその夫人の法号である鶴松院から寺号がつけられている[1]。吉良氏の菩提寺である勝光院の末寺[6]

森閑とした境内は、「弦巻實相院界わい」として『せたがや百景』に指定されている[7]

歴史

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実相院は天永琳達大和尚により創建[8]。開基は吉良氏朝またはその子頼久といわれている[8][注釈 1]

1590年天正18年)主家の小田原北条氏の滅亡により、吉良家は下総に逃れたが、徳川家康の江戸入府後に吉良氏朝は世田谷に戻り、実相院で隠居したとされる[10][11]。寺名は氏朝の法名実相院殿前従四位下学翁参玄大居士より、山号は夫人の法名鶴松院快窓寿慶大姉による[12]

徳川家光より1648年慶安元年)に10石の朱印状を拝領されている[12]。ただし、1868年慶応4年)に檀家数の減少(12軒)のため朱印地を返上した。

明治初期には勝光院と合併の話が出て廃寺になる寸前に至ったが、住職はじめ檀家の努力によりもちこたえることができた[6]

明治40年代に実相院住職の佐々木義宣により旧荏原郡西部の中学卒業者で四三会が結成される[13]

1957年昭和32年)に本堂が改築される[6]

境内

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山門
1993年平成5年)に造られた[5]
本堂
1957年(昭和32年)に6間に6間半の大きさに改築された[14]
多宝塔
2011年(平成23年)に着工し、2012年(平成24年)に完成した[15]
高橋是清翁之鬚墓[5]
向井潤吉の墓[1]
吉良氏一族の墓[1]
アカマツ
樹齢約150年。世田谷名木百選に選定されている。吉良氏朝の塚と称される古い塚の上に立っている[16]

文化財

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薬師如来坐像
本堂本尊。吉良氏朝の御内仏との伝承がある。一木造。江戸時代の作。日光菩薩立像・月光菩薩立像の両脇侍と十二神将立像と共に安置されている[3]
観音菩薩
木心乾漆造。1945年昭和20年)に永井如雲により寄贈された[4]

参考画像

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交通アクセス

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出典

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注釈

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  1. ^ 新編武蔵風土記』では氏朝[9]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 右田格郎『江戸・東京歴史の散歩道』 5 渋谷区・世田谷区・中野区・杉並区、街と暮らし社〈江戸・東京文庫〉、2003年7月、61頁。ISBN 4-901317-05-9 
  2. ^ 石川靖夫『江戸・東京の三十三所』石川靖夫、2003年2月、84頁。全国書誌番号:20410078 
  3. ^ a b 東京都世田谷区立郷土資料館 編『世田谷区社寺史料』 第一集 彫刻編、世田谷区教育委員会、1982年3月、233頁。全国書誌番号:82041029 
  4. ^ a b 東京都世田谷区立郷土資料館 編『世田谷区社寺史料』 第三集 絵画・彫刻2・目録編、世田谷区教育委員会、1984年3月、151頁。全国書誌番号:84045518 
  5. ^ a b c d クロスメディア 編『一歩二歩散歩 せたがやの散歩道』世田谷区区長室広報課 企画(改訂)、世田谷区、1995年、117頁。 
  6. ^ a b c 世田谷区教育委員会 編『社寺と史跡』 その1、世田谷区教育委員会〈せたがや〉、1968年、21頁。 NCID BA91722103 
  7. ^ 世田谷区企画部都市デザイン室『せたがや百景』世田谷区企画部都市デザイン室、1991年3月、91頁。全国書誌番号:92001524 
  8. ^ a b 下山照夫 編『史料に見る江戸時代の世田谷』岩田書院、1994年12月、72-73頁。ISBN 4-900697-19-2 
  9. ^ 新編武蔵風土記 弦巻村.
  10. ^ 東京にふる里をつくる会『世田谷区の歴史』名著出版〈東京ふる里文庫〉、1979年8月、67頁。全国書誌番号:79027725 
  11. ^ 下山照夫 編『史料に見る江戸時代の世田谷』岩田書院、1994年12月、74-75頁。ISBN 4-900697-19-2 
  12. ^ a b 東京にふる里をつくる会『世田谷区の歴史』名著出版〈東京ふる里文庫〉、1979年8月、227頁。全国書誌番号:79027725 
  13. ^ 『せたかい』四十六号、下山照夫、1995年、18頁。 
  14. ^ 世田谷区教育委員会 編『社寺と史跡』 その1、世田谷区教育委員会〈せたがや〉、1968年、20頁。 NCID BA91722103 
  15. ^ 宗教法人実相院多宝塔新築工事”. 2017年7月16日閲覧。
  16. ^ 野沢・鈴木造園設計事務所『世田谷名木百選』世田谷区生活環境部みどりの課、1988年、41頁。 

参考文献

[編集]

外部リンク

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