「ノート:幻視芸術」の版間の差分
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''このページは一度削除が検討されました。削除についての議論は「[[Wikipedia:削除依頼/ヴィジョナリーアート]]」をご覧ください。'' |
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;過去ログ |
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*2017年 「{{oldid|66454975|Visionary という英語は幻視や幻覚を意味していない|section=Visionary という英語は幻視や幻覚を意味していない}}」(重要性の低い終了案件)「{{oldid|66453897|幻視芸術という日本語が精神障害そのものを意味する事例は存在するのか?|section=幻視芸術という日本語が精神障害そのものを意味する事例は存在するのか?}}」「{{oldid|66453897|画像を変更しました|section=画像を変更しました}}」 |
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*{{oldid|67899120|「幻視芸術」も「幻想芸術」と比較すると国内では使用頻度が低い|section=「幻視芸術」も「幻想芸術」と比較すると国内では使用頻度が低い}}、{{oldid|67899120|幻視と幻想の区別が全く記載されておらず、日本語では同じ意味であるものが二つの記事に分裂している問題|section=幻視と幻想の区別が全く記載されておらず、日本語では同じ意味であるものが二つの記事に分裂している問題}}、{{oldid|67899120|ヴィジョンには視覚的にも見えるものがあります|section=ヴィジョンには視覚的にも見えるものがあります}}、{{oldid|67899120|定義とは定まった義理のためではない、コミュニケーションをするための明確な指標を模索するものである|section=定義とは定まった義理のためではない、コミュニケーションをするための明確な指標を模索するものである}}、{{oldid|67899120|定義の問題|section=定義の問題}} |
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== ヴィジョナリーアートの呼び方は定着していない == |
== ヴィジョナリーアートの呼び方は定着していない == |
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ウィリアム・ブレイクなど古いですが、 |
ウィリアム・ブレイクなど古いですが、 |
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*『聖なる鏡―アレックス・グレイの幻視的芸術』(2010年) ''Sacred Mirrors : The Visionary Art of Alex Gray'', 1990. |
*『聖なる鏡―アレックス・グレイの幻視的芸術』(2010年) ''Sacred Mirrors : The Visionary Art of Alex Gray'', 1990. |
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:*『ブレイクの世界―幻視家の予言書』(1978年) |
:*『ブレイクの世界―幻視家の予言書』(1978年) |
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:*『ジャン・コクトー―幻視の美学』(2003年) |
:*『ジャン・コクトー―幻視の美学』(2003年) |
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:*『世界美術家大全』日東書院 p.190.では、ブレイクは幻視者とありますが、ブレイクについて幻視、幻視者と言及する著作は見つけやすいでしょう。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年4月21日 (金) 06:31 (UTC) 年号を追加。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年6月26日 (月) 00:46 (UTC) |
:*『世界美術家大全』日東書院 p.190.では、ブレイクは幻視者とありますが、ブレイクについて幻視、幻視者と言及する著作は見つけやすいでしょう。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年4月21日 (金) 06:31 (UTC) |
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: 年号を追加。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年6月26日 (月) 00:46 (UTC) |
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ウィキペディアの複雑なルールには精通していませんが、口語の言葉をどう解釈するかは小さな問題ではないと思います。無数の人々が口語的に頻用し、ツイッターなどで使用し、なおかつ書物にはなっていないような言葉が多数あると思います。それはスラングやジャーゴンといったもので、例えば「ヤンキー」であるとか「オタク」とか「中二病」といったものが口語的な現象としてまずあり、あとで書物になるというケースがあると思います。そのへんの扱いは、よりルールに精通したウィキペディア利用者に訊ねたいところであります。--[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|会話]]) 2017年7月27日 (木) 16:14 (UTC) |
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== 改名 == |
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:再三案内していますが、[[Wikipedia:信頼できる情報源]]というガイドラインがあります。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年7月31日 (月) 09:27 (UTC) |
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ブレイクの幻視については1970年代より言及があるようです。 |
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*{{Cite book|和書|author=R.カスナー|translator=春山清純|chapter='''幻視芸術'''|title=ウィリアム・ブレイク|publisher=牧神社|date=1977}} |
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*{{Cite book|author=Kenneth Clark|title=Blake and '''visionary art'''|publisher=University of Glasgow Press|date=1973}} |
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*Lambert, Moira, ''The '''visionary artist''''', 1980, http://hdl.handle.net/10962/d1006113. |
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--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年8月1日 (火) 11:53 (UTC) |
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:記事に出典として用いらているすべての日本語の資料に「幻視」という共通する訳語が含まれているかと思います。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年8月11日 (金) 11:21 (UTC) |
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::だいぶ下の、Basicsur氏本人の言で「1994年に国内で開催された展覧会「現代パリの幻想画家たち」のカタログではこのヴィジョネールという言葉が幻視芸術と訳され幻想芸術との比較をふくむ論考が掲載されています」ということです。 |
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::比較をふくむのではなく、はっきりと区別しているんですね。エルヴェ・セランが幻想芸術(ファンタスティック)、幻視芸術(ヴィジョネール)と書いています。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年11月27日 (月) 11:07 (UTC) |
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== 改名 == |
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[[Wikipedia:記事名の付け方]]には、日本語での正式名称、信頼できる情報源において最も一般的といった基準があります。日本語には上の節に挙げた書籍がありますし、ヴィジョナリーアートでは英語直ですし自己出版のようなものしか見つからず信頼性が低いという理由で、[[Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきこと]]「明らかに、ページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき」におけるただちに改名ケースとして改名します。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年4月4日 (火) 07:07 (UTC) |
[[Wikipedia:記事名の付け方]]には、日本語での正式名称、信頼できる情報源において最も一般的といった基準があります。日本語には上の節に挙げた書籍がありますし、ヴィジョナリーアートでは英語直ですし自己出版のようなものしか見つからず信頼性が低いという理由で、[[Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきこと]]「明らかに、ページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき」におけるただちに改名ケースとして改名します。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年4月4日 (火) 07:07 (UTC) |
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== 2018年の新たな独自研究 == |
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== 「幻視芸術」も「幻想芸術」と比較すると国内では使用頻度が低い == |
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故意になのか、Basicsur氏は自らが提出した出典に書かれていることとは異なる見解を書くことが繰り返されていますが、今度はロングマン現代英英辞典のみに立脚しているんでしょうか。不完全な辞書のように思います。オックスフォード現代英英辞典には、「vision - To show as in a vision; to display to eye or mind. visionary - Able or accustomed to see visions」などとあり視覚的なものも指します。また、 |
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[http://visionaryrevue.com/webtext/manifesto.preface.html The First Draft of Manifesto of Visionary Art]にも、「transcends our regular modes of perception.」「Art of the Visionary attempts to show what lies beyond the boundary of our sight.」とあるので、視界sight、transcend超越・超える、perception知覚なので、「通常の知覚を超越した幻視の状態が反映されている」としていましたが、「通常の五感を超越した芸術ジャンルである」としてよくわからない味覚や聴覚を含む「五感」といった言葉に変えられたり、独自研究が入り込んでいるため元に戻します。 |
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ロングマン現代英英辞典の「未来に関するアイデア」のような意味だけをとり、それを他の「視覚的な知覚」について言及している出典がついている文章に上書きされているのではないでしょうか。これでは検証可能な文章を検証できない形へ改変していることになります。 |
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氏が半年以上前に提示された出典『現代パリの幻想画家たち』でも、「幻視画家」「幻視的光景(ヴィジョンの振り仮名)」といった訳語が繰り返されており、巌谷國士もまとめると「ヴィジョネールという言葉も幻想と訳すことができるが日本語では幻視の方が近い概念であり、ヴィジョンを得る、見えないものを見るという意味であるが、未来を予見するという意味でも用いられる」と書いており、この一番最後の意味だけを採用されているようです。未来を予見するという意味は補足的な意味に過ぎません。とりわけランデへのインタビューp152には、「それは映画のフラッシュのようにひらめきました。実際に完成しているタブローを、私は見たのです。私はいわばその幻視的場面(ヴィジョン)を模写したのです」とありますし、トマもp178「幻視的光景は、フラッシュのようなものだといえるでしょう。(略)私にとっては、それはかなり焦点のぼやけたものです。」これは、オックスフォード現代英英辞典の目や精神に映し出される to display to eye or mind というvisionの意味が近いでしょう。『現代パリの幻想画家たち』には、他にもp100「集団の無意識の奥底から汲まれた人間の絶対の幻視的光景(ヴィジョン) 略 このような芸術家の霊的体験は 略 神秘家のそれにも似る 略 肉体の目を閉じよ。」ともあり、他の文献の記述とも整合が取れます。 |
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[[特別:差分/67477835|幻視芸術(2018年2月22日16:58)]]に書かれたような「未来の世界はどうあるべきを明確にするアイディアを意味したり」といった意味こそが、ロングマン現代英英辞典の記述を発展させた他の出典に確認できない独自研究であります。『現代パリの幻想画家たち』だけ未来に関するような意味で支配的になっているということも、まったくありません。出典の検証に反する独自研究をWikipediaに投稿することはWikipediaの目的外利用です。 |
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--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2018年2月22日 (木) 17:23 (UTC) |
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幻視芸術は国語辞書にも掲載されておらず、Visionary Artの和訳を「幻視芸術」とすべきかどうか議論や同意がまだ確認されていません。Visionary Artは60年代にアメリカで使用され始めた英語であり、ある程度、対応する日本語が「幻想芸術」以外まだ存在しないため、現状ではカタカナ英語でヴィジョナリー・アートおよびビジョナリー・アートとするのが適切であると考えます。 |
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日本国内において,Visionary Art=ヴィジョナリーアートという言葉を本来の意味で使用した美術館、展覧会は現実に存在しており、それは明確に60年代以降の芸術の動向を受け継いでいるものです。今の段階でVisionary Artを「幻視芸術」という使用頻度が極めて低い言葉に和訳することには慎重になるべきだと思います。 |
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そもそもこのヴィジョナリーアートの記事は国外の芸術運動の動向を扱ったものであり、国際的に「幻視芸術」という言葉がほぼ皆無である以上、ヴィジョナリーアートという記事名に変更することを提案します。{{Unsigned2|Basicsur|2017年4月20日14:31|[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]])}} |
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:[[Wikipedia:記事名の付け方]]に従っていません。そもそも[[Wikipedia:独自研究は載せない]]が理解されていないように思います。 |
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:「[[#ヴィジョナリーアートの呼び方は定着していない]]」にありますように、幻視芸術という言葉は使われています。ですが、ヴィジョナリー・アートという言葉は文献に見つけられませんでした。 |
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:信頼できる情報源ではないので、強い根拠とはできませんが。 |
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:*「[http://kaoru-koga.jugem.jp/?eid=7 国際幻想芸術展-幻想と幻視芸術(Fantastic & Visionary art)]」フライヤーに日本語が記載されている2011年の展覧会が開催されたことがあるようです。その[http://www.elitiunine.com/node/2556 解説文]でも主が「幻視芸術」となり括弧して「ヴィジョナリーアート」とされている。これは国際的なものであり、専門家のコンセンサスと無関係とは言えないかと思います。 |
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:*「VISIONs-21世紀の幻視芸術展(Contemporary Visionary Art In The 21st Century)」という8名の画家の展覧会も2009年に開催されております。 |
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:*「[http://aokigallery.jp/new/exhibition2009/06_ozibi/index.html 幻視-屋久島]」という2009年の展覧会は、屋久島の精霊との対話を描いた4名の画家によるもので、幻視芸術を指しているものと思われます。言葉が使われているのであれば、こちらの方が日本語です。 |
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:「幻視芸術という言葉の使用頻度が極めて低い」ということを裏付ける資料などもまったく提示されておらず、「ヴィジョナリー・アート」という言葉を使った美術館・展覧会の存在は、当方による検索の上でまったく確認できません。「アウトサイダー・アート」のように、信頼できる情報源、そうでなくてもなんらかの資料にて、カタカナ語が頻用されていることが確認できないということです。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年4月21日 (金) 04:40 (UTC) |
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::アウトサイダーアートには、幻視を芸術したものが含まれるということは確認できます。以下では Visionary が、空想・ファンタジーだとは確認できず、および、ヴィジョナリー・アートというカタカナ語だけの使用は確認できません。 |
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::*『パラレル・ヴィジョン―20世紀美術とアウトサイダー・アート』 1993年10月。ISBN 978-4-473-01301-9。 |
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::上記翻訳書は、ロサンゼルス・カウンティ・ミュージアムの展覧会の著作で、1993年に世田谷美術館がアウトサイダーアートの展覧会を開いたのに合わせて翻訳された著作です。ここでは例えば章のタイトルに「幻視的美術」が使われており、そして[https://search.library.wisc.edu/catalog/999805679602121 原著]と照合すると Visionary Art の英単語が元です。 |
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::*関連して1993年の世田谷美術館での[http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8C%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%80%8D%E5%B1%95 「パラレル・ヴィジョン」展]。これは幻視の芸術が含まれ、[[草間彌生]]が含まれます。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年4月23日 (日) 08:09 (UTC) |
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:::対応する日本語が幻想芸術だともちょっと確認できません。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年5月4日 (木) 05:08 (UTC) |
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辞書を独断的に不完全だと断定することは個人にはできません。辞書を勝手に不完全だとするのは独自研究です。to display to eye or mindとありますので、オックスフォード現代英英辞典においてもMindつまり内的なものが示唆されています。そもそも芸術一般が内的世界の外的表出であり、これは古典的でかつ常識的なものです。幻視芸術家のすべてが幻覚を視覚的に見ているのではありません。そこには不安や希望や恐怖といった内的要素があります。たしかに先見の明で未来を見るといったVisionaryの口語の意味はvisionary artの中心的な本質ではなく副次的なエピソードであり、強調することは読者に混乱を与えることになります。しかしそれほど日本語の幻視と比較するとvisionaryという英語は含みが広いということに気をつけるべきです。 |
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== ヴィジョナリー アートに関する日本国内最初の論考 == |
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Visionary art is an artistic style based on a spontaneous depiction of what is seen in the altered state of consciousness, religious, meditative contemplation, trance, as well as flashbacks that arise after so-called "tripods" (psychedelic state) altered states of consciousness, characterized by a different perception and an intense process of awareness. English synonyms Visionary art: Visionary Art, Fantastic Realism, Imaginative Art, Mystical Art, Psychedelic Art. |
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One of the creators of the theory of the noosphere and the modern theory of cosmic evolution, Pierre Teilhard de Chardin, revealed the true nature and essence of art in the style of "Visionary art": "We are not people who experience spiritual experience, but spiritual beings who experience the experience of human existence." |
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全世界に向けたロシアにおける幻視芸術のイベントに ピエール・テイヤール・ド・シャルダンの言葉が引用されています。 |
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こちらの編集方針も独自研究の除去です。ご検討ください。このページにおける最も大きな独自研究は幻視を短絡的に視覚的幻覚とし、その要素を抽出して独自の幻視芸術というどこにもないジャンルをウィキペディア上に実現しようとした試みにあります。 visionaryは日本語の幻視とイコールではありません。幻想と訳しても間違いではありません。ファンタスティック リアリスムが同義語とされているのが証拠です。--[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|会話]]) 2018年2月25日 (日) 16:50 (UTC) |
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以前の定義 「幻視芸術とは、幻視で見たこと、あるいはそれを基とした芸術のこと」の問題は、第一に同義語の幻想芸術と訳した場合、意味が分からなくなることです。「幻想芸術とは、幻想で見たこと、あるいはそれを基とした芸術のこと、アウトサイダーアートの定義と同様に幻想に基づく~といったものになります。第二に、 幻視で見たケースの芸術と、それを基にしたケースの芸術の二例があげられていますが、両者の違いが読み取れないのです。基にしたほうの芸術家は幻視していないのでしょうか。幻視(Vision)と表記したとしても、Visionは思考や想像力を含む語なのであり、「基」にしたほうの画家は思考も想像力も使わないのでしょうか。ここにおける問題もvisionaryというもともとの意味が生かされていないこと、さらには芸術名称の字義と実際の活動実態が一致していないことからの混乱なのです。「幻視芸術とは、幻視で見たこと、あるいはそれを基とした芸術のこと」という表現の意図を想像すると、ここでの幻視は 特殊な幻覚を見る状態を扱っているのではないでしょうか。幻視芸術家たちは普通の人々であり、幻覚ばかりみて生きているのではありません。精神障害者は幻覚を見る、アレックス グレイも麻薬で幻覚を見た。だから幻覚、幻視こそが両者の共通点である、という編集方針は短絡的類推になります。 アウトサイダーアートはヴィジョナリーアート ミュージアムで扱われている。だからヴィジョナリーアートの活動実態はアウトサイダーも含むのだ、という編集も短絡的類推です。同姓同名を同一人物とすることと同じです。ここにおける編集の独自研究の可能性はとにかく、我々は日本において海外の活動実態を想像しなくてはならない、というハンディから来ています。さらに、お互いが頑固になり、自らの独自研究要素を自覚しようとしないときにも独自研究は発生するでしょう。 |
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欧米におけるVisionary artに関する書物は日本国内では皆無です。しかし8年前において国内最初の論考をしたサイトが存在します。「検証の上でウィキペディアにおける引用、要約が可能です。」と明記されているので、記事の再編集、改善に利用できます。 |
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Visionaryは先見の明がある、という意味がある。だから幻視芸術は未来を予言する芸術だ。というのもたしかに短絡的類推です。自分でも乱暴だな。と思いましたが、実験的にこういう編集もできてしまうのだという試みとしてとらえてもらえるとありがたいです。 |
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http://mixi.jp/view_community.pl?id=3970390&from=home_joined_community <span style="font-size:smaller">——以上の[[Wikipedia:署名|署名]]の無いコメントは、[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|ノート]]・[[特別:Contributions/Basicsur|履歴]])さんが 2017年6月24日 (土) 15:45 (UTC) に投稿したものです([[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]])による付記)。</span> |
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:そういう自己公表されたブログなどはWikipediaでは使えません。[[Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用]]をお読みください。 |
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:また、その8年前の2009年は、1993年の世田谷美術館での「パラレル・ヴィジョン」展の出版より16年も後です。その同年の翻訳書、『パラレル・ヴィジョン―20世紀美術とアウトサイダー・アート』が、私の確認したさらに古い、しっかりとした出版物となっている論考です。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年6月25日 (日) 03:13 (UTC) |
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独自研究というものを我々がどうとらえてゆくかを確認する良いきっかけになったと思います。出典と異なる編集を見つけたら、互いにチェックし合いましょう。難しいのは出典先の情報が間違っている場合です。今回のロシアのサイトに関しても全てが正しいと確信して引用しているわけではありません。幻想芸術コーディネーターのジョン・ベイナートによると、この芸術運動はまだ流動的であり、未来の研究者に任せたほうが良い、と本に書いてました。 |
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== 幻視と幻想の区別が全く記載されておらず、日本語では同じ意味であるものが二つの記事に分裂している問題 == |
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さらに五感が不適切だという指摘がありますが、シンプルさや端的な表現として、良いかなと判断しました。これは文字通り嗅覚その他を意味するのではなく、目に見えない六感に比較して一般的に普通の感覚全体をさす分かりやすい日本語だとは思います。よりベターなものがあれば換えても良いです。--[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|会話]]) 2018年2月27日 (火) 01:06 (UTC) |
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日本語の辞書において幻想と幻視の意味は同じであり、「幻想芸術」の記事と「幻視芸術」の記事が併存している事態は矛盾、および同語反復であると思います。 |
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言葉の本来の意味のほかに通常、慣習的に現実世界でどのような言葉が人々の間で交わされているかを念頭にいれて記事編集をすることを提案します。--[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|会話]]) 2017年6月25日 (日) 15:09 (UTC)<span style="font-size:smaller">——以上の[[Wikipedia:署名|署名]]の無いコメントは、[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|ノート]]・[[特別:Contributions/Basicsur|履歴]])さんが 2017年6月22日 (木) 14:52 (UTC) に投稿したものです([[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]])による付記)。</span> |
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:まず[[Wikipedia:独自研究は載せない]]を参照してください。独自研究を述べるのではなくて、そう述べている出典を探してください。 |
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:goo辞書で調べましたが、「幻視はないものが見えること」「幻想は現実にないことを描くこと」です。意味は違います。私は精神医学の文献も読んでいますが、幻視とは一般に視覚における幻覚であり、実際には存在しないけれど、本人にははっきりと見えているものです。典型的には[[草間彌生]]の作品なんかがそれに該当すると思います。上に示していますが、文献や実際の使用例でも幻覚における幻視をよく指しています。 |
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:幻想は、イメージしているだけであって、はっきりとまざまざと見えていないと思います。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年6月24日 (土) 13:02 (UTC) |
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;まずは我々の良識と常識、そして辞書が有効な出典 |
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出典はまず我々自身の脳です。空が青いという事実に出典は必要でしょうか。「幻視はないものが見えること」「幻想は現実にないことを描くこと」どちらも無いものを有ると認知することであり同じ意味です。どちらも幻なのです。ところが |
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visionary には明確な未来計画といった意味があります。fantasticにも素晴らしいという形容詞的意味があります。出典はすべて英語辞書、国語辞書で足ります。より言語に対して謙虚にのぞみたいものです。<span style="font-size:smaller">——以上の[[Wikipedia:署名|署名]]の無いコメントは、[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|ノート]]・[[特別:Contributions/Basicsur|履歴]])さんが 2017年6月24日 (土) 16:00 (UTC) に投稿したものです([[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]])による付記)。</span> |
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;幻想と幻想絵画は違うものであり幻視と幻視芸術は違うものである |
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馬鹿真面目に言葉に拘ると見えなくなるものがあります。 印象主義芸術 と印象は違うものです。どうように幻視芸術と幻視は違います。芸術とは具体的に絵の具や粘土で活動するものであり、幻視があって作品になることもあれば幻視がなくても結果的に幻視っぽい作品になることもあります。<span style="font-size:smaller">——以上の[[Wikipedia:署名|署名]]の無いコメントは、[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|ノート]]・[[特別:Contributions/Basicsur|履歴]])さんが 2017年6月24日 (土) 16:25 に投稿したものです([[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]])による付記)。</span> |
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独自研究に関する機会ができましたので、このノートの中にある、重要な独自研究の種を指摘しておきます。 |
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:Wikipedia:ノートページのガイドラインの「個人的な見解を開陳する演壇として用いられるべきではありません」をご理解ください。個人的な主張の議論を目的としたサイトではありませんので、典型的には出版された信頼できる出典を元に、そこからかけ離れた空想ではなく、忠実にどのように記述するのか議論していただきたいと思います。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年6月25日 (日) 04:14 (UTC) |
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;幻視芸術という言葉が国内で一般的であれば幻視芸術家も日本に存在するはずである('''次のBasicsur氏の返信後ですが話題が分散しているのでここに纏めさせて戴きました''') |
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日本には幻視芸術家と名のる人物は一人も居ないはずです。幻視芸術家は日本国内では誰が居るでしょうか。ゼロです。<span style="font-size:smaller">——以上の[[Wikipedia:署名|署名]]の無いコメントは、[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|ノート]]・[[特別:Contributions/Basicsur|履歴]])さんが 2017年6月24日 (土) 16:48 に投稿したものです([[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]])による付記)。</span> |
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:以下のような出版物があります。 |
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:*『パラレル・ヴィジョン―20世紀美術とアウトサイダー・アート』 1993年10月。ISBN 978-4-473-01301-9。 |
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:上記出典には既に示したところですが、Visionary artについて言及されています。これが翻訳されたときの世田谷美術館での[http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8C%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%80%8D%E5%B1%95 「パラレル・ヴィジョン」展]があります。 |
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:*そのパラレル・ヴィジョン展資料、『日本のアウトサイダー・アート パラレル・ヴィジョン―20世紀美術とアウトサイダー・アート』という展覧会資料があります。 |
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:まえがきにあたる「あいさつ」は世田谷美術館と朝日新聞社が筆者となって書かれており、ひとつの文章に「精神に障害を負う人々や霊的能力に優れた幻視者たちの作品」と書かれており、これは英文も併記されていますが、幻視者にあたると思われる部分は visionaries の単語が使われています。30-31頁に8人の作者が紹介されていますが、[[山下清]]では知的障害でしょうし、そういう風に見ていくと、ここで紹介されている「幻視者」に該当しそうなのは、水玉模様の幻覚を見たと書かれる[[草間彌生]]ですし、12ページの紹介でも幻影にさいなまされたエピソードと、続いて草間へのインタビューで、絵を描きはじめたの経緯として、こうした映像が見え始めるとスケッチブックに移しはじめたとありますから。自称ではなく、他称での幻視者の作品だと認識されているということです。24年前の資料ですね。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年6月25日 (日) 03:47 (UTC)('''ここまで、Basicsur氏の返信後ですが話題が分散しているのでここに纏めさせて戴きました''') |
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すみません。ウィキペディアをだいぶ離れていたので、返信の仕方に疎くなっていました。 |
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国内にほとんど皆無な解釈、「幻視芸術=アウトサイダー・アート」がウィキ内のみにある事態を見過ごして良いのでしょうか。 |
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巌谷 國士の「シュルレアリスムとは何か」の175ページにフランス絵画の一派が使用するヴィジョネールという概念が紹介されています。1994年に国内で開催された展覧会「現代パリの幻想画家たち」のカタログではこのヴィジョネールという言葉が幻視芸術と訳され幻想芸術との比較をふくむ論考が掲載されています。おそらくこれが「幻視芸術」という言葉が国内で公になった古い例の一つではないでしょうか。カタログの中で画商のエルヴェ・セランは幻視芸術あるいは幻視絵画の特徴を三つ出しています。 |
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:あなたの独自ルールに該当するガイドライン等はありません。 |
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:>タームの実例ではありません。 |
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:意味が分かりません。タームという言葉の意味を勝手に使っていらっしゃるので。強迫的幻視者が14回あるならこの書籍の中での重要な用語ですし、現に記事中に反映しています。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年7月31日 (月) 10:53 (UTC) |
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1 霊的な奥行き 2無時間性 3完璧な技法 |
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Visionary Artの 英語版 ウィキペディアの記述でも「霊的な」Spiritual という言葉があったと思います。幻視芸術の説明に「霊的」という言葉があっても良いのではないでしょうか。 |
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カタログにおける巌谷 國士の文章を要約すると「幻想芸術」はそもそもファンタスティック・アートの訳としては不適切としながら、1979年に出版されたミシェル・ランドンの『ヴィジョネール美術』を引用し幻想芸術と幻視芸術との違いを紹介しています。重要な資料ですが、もし『現代パリの幻想画家たち』が手に入りにくければ 資料をそちらへ送る手段もあります。 |
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ここでマーダーさんは私が言及した用語=タームについて異議を出しています。用語は百科事典、辞書の編集には欠かせないどころか、そのために存在しているもので、用語を無視しては勝手な解釈がいくらでもできます。例えば「夏休み」と「夏季休暇」は同じ用語ではありません。「独自研究」と「独自の研究」も同じ用語ではありません。それぞれの用語に特定の背景があります。「強迫的幻視者」はアウトサイダーアート世界の中の用語のようですが、ここに幻視という言葉が確認できることを理由に、独自に「幻視」と「芸術」を新たにくっつけ「幻視芸術」という用語を発明することには無理があり、「幻視する芸術」という一語があることで、「する」を独自に削除して「幻視芸術」を造語するのも個人がやってはいけないことです。さらに、国内でアウトサイダーアートはアール・ブリュットというフランス語で広く紹介されており、日本語の「幻視芸術」という用語によるアウトサイダーアートの紹介は一例も存在しません。アウトサイダーアートを幻視芸術として紹介すべきならそれはボルチモアのビジョナリー・アート・ミュージアム周辺に限ってのみ、という注釈がなければ世の中から孤立した独自研究になります。読者に混乱を与えます。さらに重大なのは口語のVisionary の意味を意図的に無視し、(以前、提示しましたがマーダーさんに削除されました。)英語を母国語としている何億の人々に認証されている英英辞書の定義を勝手に不完全であるとするのは甚だしい独自研究になりませんか?Visionaryという語を含むあらゆる英文の資料の全てをマーダーさんが誤解していることは明白であり、辞書定義を無視したマーダーさんによる記事全体が独自研究を含む恐れ、というより独自研究そのものなのです。 |
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「伝統的な美術の外側であるアウトサイダー・アートの定義と同様にして、幻視に由来するものであり、精神障害から幻視者までを含む[1][4]。または幻想芸術を指していることもある。」 |
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独自研究はいけないことですが、誰もが独自研究をする可能性があります。互いに気づき、気づかせる、と言うことが大切であり、「ああ、なるほどそうですか、間違ってましたねえ。すいません。ではどうすれば正しい記事になるのかをともに考えましょう。」という姿勢となった時にノートは生きてくるのであり、相手の独自研究を重箱のすみを突つくよう批判して欠点を拡大させることはウイキペディアの趣旨ではないと感じています。欠点は批判するものではなく長所によって互いに補うべきものです。ちなみに先日、ネイティブに会って、Visionaryの意味について尋ねましたが、やはり視覚的幻覚という意味では使わない。むしろスピルバーグやスティーブ・ジョブスのような創造的人物を評価するときに使うのがVisionaryということでした。しかしこれは英語の口語のことであって、Visionary Artという芸術用語が何を意味しているのかはまた別の話です。やはり、先日紹介したロシアのサイトに興味深い内容の記事があると感じています。これは伝聞情報なのですが、いずれ明確に理解できたら紹介したいものです。 |
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形容詞として幻視的、幻想的としたときに本来の外国語の意味が出てくるので、幻視も幻想も日本語の名詞としてはポジティブな意味がそれほどありません。説明文では的を使用し、幻視芸術という言葉においては幻視が形容詞的に使われているという含みの自覚が必要かもしれません。さらにそれらが外国語の翻訳であるという記述が必要です。 |
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口語のVisionary の意味を紹介します。ご自分の研究の発展に邪魔だという理由で独自に削除することは絶対に控えてください。ご自分の間違いに気づいたら、相手を攻撃せずに静かに内省しましょう。 |
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改善案として、伝統芸術の外にアウトサイダー・アートが位置づけられているという記述はどうしても納得できません。フォーマル、公式という意味は教育を含んでおり、教育の外がアウトサイダーであるとするほうが自然だと思います。日本の美術教育は伝統的なデッサンを重要視しており欧米の美術教育は技術よりも現代的なコンセプトを重視しています。欧米の美術教育は伝統的ではないと聞いています。 |
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アウトサイダー・アートを伝統芸術の外側にしようとするなら、日本には適合しますが欧米には合いません。欧米の美術教育はそもそも伝統芸術の外側に出ようとして展開してきたからです。考案した定義は以下のものです。 |
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Visionary |
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「幻視芸術とはフランス語のラール・ヴィジョネール および英語のヴィジョナリー・アートの和訳である。公式な美術教育の外側で展開されているアウトサイダー・アートもまた幻視的要素を含むものであり、精神障害者が造り出す芸術や幻視的能力を持った芸術家の作品まで幻視芸術と呼ぶことができる。またファンタスティック・アートの和訳としての幻想芸術を指すこともあれば、違うものとして比較されることもある。」 |
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1 Having clear idea of what the world should be like in the future.世界がどうあるべきかに関して明確なアイディアを持つこと。 |
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2 existing only in someone's mind and unlikely to ever exist in the real world.ある人の心の中のみに存在し、今までの現実世界にはあり得なかったようなもの。 |
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より良い定義についてご意見を伺いたいと思います。 |
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--[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|会話]]) 2018年3月2日 (金) 16:54 (UTC) |
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『現代パリの幻想画家たち』中の重要な幻視芸術家として ジェラール・ディマシオがいますが、彼の美術館が北海道に存在しアルファベットのVisionary Artが表看板に使用されています。さらにカタカナのヴィジョナリーアートを使用した国内最初のグループ展が2009年に銀座のギャラリー アートポイントで開催されていたことはすでに御存知だと思います。[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|会話]]) 2017年6月25日 (日) 15:09 (UTC) |
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:ぐちゃぐちゃに議論するのではなく議論しやすい形にしていただけますと助かります。どの文章表現に対して、どういう裏付けをもとに、どう表現した方がよいのか、このように絞って書かれることを望みます。あまり独自研究に脱線させてほしくはありません。その際に[[Wikipedia:信頼できる情報源]]を参照し、単なる個人ブログなどは、個人的な経験など、基本的に信頼できる情報ではないとして除外されるものと考えてください。 |
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〜故意になのか、Basicsur氏は自らが提出した出典に書かれていることとは異なる見解を書くことが繰り返されていますが、今度はロングマン現代英英辞典のみに立脚しているんでしょうか。不完全な辞書のように思います。オックスフォード現代英英辞典には、「vision - To show as in a vision; to display to eye or mind. visionary - Able or accustomed to see visions」などとあり視覚的なものも指します。また、 |
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:幻想芸術と幻視芸術との違いがないような主張から、一転して区別しだしておられますが、区別がついたなら議論を終了してください。つまり、1994年「現代パリの幻想画家たち」資料で、「ヴィジョネール」が「幻視芸術」と訳され、幻想芸術と比較されている(むしろ、どう比較されているんでしょうか)。その展示会での、重要な「幻視芸術家」として(「幻視芸術家」として認知されている?)、ジェラール・ディマシオがおり、北海道に存在しアルファベットのVisionary Artが看板に使用されている(信頼できる情報源ではない)。ヴィジョネールという概念が紹介されている(どのように?区別がされているということですけど)。「霊的」という言葉があってもよいのでは(なぜ?新たな議論の追加)。 |
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The First Draft of Manifesto of Visionary Artにも、「transcends our regular modes of perception.」「Art of the Visionary attempts to show what lies beyond the boundary of our sight.」とあるので、視界sight、transcend超越・超える、perception知覚なので、「通常の知覚を超越した幻視の状態が反映されている」としていましたが、「通常の五感を超越した芸術ジャンルである」としてよくわからない味覚や聴覚を含む「五感」といった言葉に変えられたり、独自研究が入り込んでいるため元に戻します。〜 |
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:幻視芸術、幻視的芸術などで資料に確認がとれていますね。[[Wikipedia:記事名の付け方]]と[[Wikipedia:信頼できる情報源]]を参照してください。 |
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:アウトサイダー・アートについては、資料に基づいて改定すべきであり、延々と独自研究の議論をしたくはありません。「公式な美術教育の外側」でもいいんですが。ウィキペディアは、「日本の美術教育は」といった持論や「と聞いています」という不確かな情報を反映させるものではないです。 |
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:「○○とは、何語の和約である」これは定義になってないですね。説明になっておらず、言葉の意味がわからないです。こういう書き方は一般的でないです。[[Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)]]を参照してください。 |
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:霊的な Spiritual をどう解釈されているのか分かりませんが、そちらの言うものは現在既にすべて含まれており、あなたの言うスタイルマニュアルにない「定義の仕方」、独自研究・伝聞的な「公式」などの表現の仕方に議論の焦点があります。 |
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:#霊性の領域の幻視(ウィリアム・ブレイクの様な啓示、観想の眼、通常の知覚を超越した、またはサイケデリックやシャーマニズムであり、宗教学、神学などに近いですね)アレックス・グレイからのものでしょう。 |
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:#病的な領域の幻視(精神障害、上を厳密に区別すると霊的ではない)アウトサイダー・アートとしての『パラレルヴィジョン展』 |
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:#幻想芸術と区別のない用法(俗な言葉の用法、ファンタジーですね)ただ幻視芸術を含んで区別しているようである『幻想芸術展』 |
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:確認をお願いします。 |
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:*[[Wikipedia:信頼できる情報源]]とは、出版された書籍・論文が優先され、名もなき個人のブログや個人の経験は除外されることを理解した(はい・いいえ) |
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:*幻視芸術、幻視的芸術のような「幻視」を含む訳語は信頼できる資料に登場するようだと認識できているか。(はい・いいえ) |
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:*[[Wikipedia:記事名の付け方]]において、信頼できる資料によく使われ、また日本語の正式名称が記事名としてふさわしいと理解した(はい・いいえ) |
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:*ヴィジョナリー・アートという表現は、まだ上の意味での信頼できる資料が元となっておらず、また確認できても少数派の表現だろう(はい・いいえ) |
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:*[[Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)]]にて、原語など別名が定義として説明されることは一般的でないことを確認した(はい・いいえ)--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年6月26日 (月) 02:23 (UTC) |
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これに関して、丁寧に回答します。英語のseeは「理解する」I see.も含みます。visionも思考や想像力を含むのです。オックスフォード辞典における visionaryは下のようになってます。マーダーさんはvisionで調べているのでロングマン辞典との比較になっていません。 |
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タバコはマーダーさんの日本語を何度も読んでも理解できず、こちらの日本語も理解されないことがこちらで確認できましたので、以後このページに情報提供することを当分、停止することに決めました。 |
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1Thinking about or planning the future with imagination or wisdom.‘a visionary leader’想像力や知恵によって未来を計画し思考すること。「ヴィジョナリーなリーダー」といった用法など。 |
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編集ごくろうさまです。頑張ってください。できれば幻視芸術そのものを鑑賞し体感し言葉にし、芸術鑑識の向上に役立つページになるよう期待してこの場を去ります。後はよろしくお願いします--[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|会話]]) 2017年6月26日 (月) 14:40 (UTC) |
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2Relating to or having the ability to see visions in a dream or trance, or as a supernatural apparition. 夢やトランス状態で見る視覚体験や能力、あるいはそれに関すること。超自然的な幽霊のような存在を見ること。‘visionary dreams’「ヴィジョナリーな夢」といった用法など。 |
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ロングマン辞書もオックスフォード辞書もわりと意味は重なっています。まず現実を変えていく実際的な能力、という意味と、現実にはあり得ないようなものを見聞きしたり抱いたりするということです。 日本語の幻視は視覚的幻覚、という意味に限定されており、 Visionaryが意味する範囲と異なっています。今後、幻視芸術を編集していこうとするなら、これら英語辞典の意味に沿わなくては独自研究になります。幻視芸術は日本発ではないのです。 |
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:>巌谷 國士の「シュルレアリスムとは何か」の175ページにフランス絵画の一派が使用するヴィジョネールという概念が紹介されています。 |
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:上記のBasicsur氏の主張についてです。 |
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:巌谷國士の『シュルレアリスムとは何か』は1996年の最初に出版された方を参照しましたが、幻想と訳されることがあるファンタスティックの原語の語感について奇妙なものが現れるとかそういう意味だと述べた後に、 |
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:141ページに2、3行程度で、「ヴィジョネール(幻視){{ママ}}」という、見えないものを見るという新たな傾向の芸術があると説明しているのみです。 |
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:そもそも幻視と幻想の区別がついていますし、2行程度のこの説明では他に資料がある状態では記事本文には使えないレベルだと判断します。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年6月26日 (月) 23:28 (UTC) |
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さらに、美術に関するものではありませんが、西洋思想における「ヴィジョナリー」や「アウトサイダー」という言葉に関して、より親密になれる資料として有名なコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』があります。ご存知かもしれませんが、今、改めて読むと重要なヒントが得られそうです。 |
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== 「伝統芸術」という言葉の曖昧性 == |
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「通常の知覚」を五感の二語で表現することは日本ではありふれています。マーダーさんが住んでいる国がどこかは知りませんが、日本人としては自然な表現なのです。「五感」に関しては独自研究と言い切れないものがあります。出典先が英文である場合、日本人の、特に若年層にも分かるような配慮で噛み砕いた表現や意訳が必要になります。それは出典先を曲解する趣旨ではないのです。--[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|会話]]) 2018年3月3日 (土) 16:33 (UTC) |
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「伝統芸術」が何を指すのかが曖昧なまま幻視芸術およびアウトサイダーアートの定義に用いられています。検討を提案します。<span style="font-size:smaller">——以上の[[Wikipedia:署名|署名]]の無いコメントは、[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|ノート]]・[[特別:Contributions/Basicsur|履歴]])さんが 2017年6月22日 (木) 15:14 (UTC) に投稿したものです([[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]])による付記)。</span> |
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:伝統芸術という言葉は使用されていませんが、本文では正式な訓練がなかったという文章に続きますし、[[アウトサイダー・アート]]の記事でも私が編集したのでもなく以前からそのような感じであり、定義はおかしなものではないと思われます。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年6月24日 (土) 13:02 (UTC) |
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ここまで説明してマーダーさんがいかに独自研究に浸っていたかが明らかになったと思います。独自研究を削除すべきとするなら、時間はかかりますがまず、ご自分の独自研究を改善していってはどうかと提言します。誰が独自研究をしたかは関係ありません。情報が事実と一致していないとウィキペディア利用者が困るのです。私自身の独自研究にも気づいています。勘違いしていたことが色々あります。時間がかかるので後日発表したいと思います。マーダーさんの方で先に気づいたのなら私の独自研究を公表しても構いません。対応したいと思います。--[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|会話]]) 2018年3月3日 (土) 17:10 (UTC) |
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;伝統芸術は国によって意味が違う |
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まず言うまでもない常識に照らせば、欧米の伝統芸術は具象美術であり、それを破壊したのがアメリカの抽象的現代美術です。現代美術はアメリカによってメジャーになりその外側にアウトサイダーアートがあります。 |
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伝統芸術の外側にアウトサイダーアートがあるという表現は正確ではありません。「伝統」よりも「公式」という言葉が妥当だと思います。「定義はおかしなものではないと思われます。」とありますが物凄く変です気付いてください。 |
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そのために出典を要求しないでください。常識だからです。もっと勉強してください。<span style="font-size:smaller">——以上の[[Wikipedia:署名|署名]]の無いコメントは、[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|ノート]]・[[特別:Contributions/Basicsur|履歴]])さんが 2017年6月24日 (土) 16:08 に投稿したものです([[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]])による付記)。</span> |
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:[[Wikipedia:個人攻撃はしない]]、[[Wikipedia:独自研究は載せない]]、[[Wikipedia:ノートページのガイドライン]]の「個人的な見解を開陳する演壇として用いられるべきではありません」をご理解ください。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年6月25日 (日) 04:14 (UTC) |
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:あなたは、[[特別:差分/31785970|幻視芸術(2010年4月26日08:54)]]にて、引用していますが、以下の出典にも引用記述があり同一の文章を元としているかと思います。 |
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:*{{Cite journal |author=Sylvia Thtssen|date=2003-05|title=Examining "Visionary Art" (Boundaries in Question)|url=https://erowid.org/culture/art/art_article1.shtml|journal=Erowid Extracts|volume=4|pages=18-19}} |
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:この文章では、traditional fine art system とあり、traditional 伝統ですね、formal とかではないですね。 |
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:[[アウトサイダー・アート]]でも、当方が編集したのではないですが、伝統の用語が使われていますよね。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年6月25日 (日) 05:11 (UTC) |
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::Basicsur氏は、上の方の節で当分議論を停止するという発言をされておりますので、議論は停止したものとみます。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年7月6日 (木) 05:27 (UTC) |
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ヴィジョナリーアートのページを幻視芸術と改名したことにより、ヴィジョナリー=幻視=視覚的幻覚 と短絡的に曲解する重篤な独自研究が発生したため、今後そういった独自研究を避けるためにヴィジョナリー・アートという表記を記事内に使用することにします。「ヴィジョナリーアート」という語をウィキペディア内から一掃しようとする偏った方針が今まで存在し、それが独自研究を促進させて来ました。 さらに読みにくい幻視芸術の歴史を 見出しで分割しました。--[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|会話]]) 2018年3月9日 (金) 15:36 (UTC) |
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== 定義とは定まった義理のためではない、コミュニケーションをするための明確な指標を模索するものである == |
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日本人でウィキペディアにのめりこむタイプが居るとするならdefineを定義と捉え、定まった義理と解釈する場合があると思います。なぜ定義が必要かというと人々が言葉の意味を明確にしコミュニケーションをするためであって、その目的のためにウィキの定義編集は存在すると思います。<span style="font-size:smaller">——以上の[[Wikipedia:署名|署名]]の無いコメントは、[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|ノート]]・[[特別:Contributions/Basicsur|履歴]])さんが 2017年6月24日 (土) 16:40 に投稿したものです([[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]])による付記)。</span> |
|||
== 細部を詰めるための情報交換 == |
|||
:[[Wikipedia:独自研究は載せない]]を参照してください。出典に確認のできない定義は、それは独自研究です。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年6月25日 (日) 03:47 (UTC) |
|||
::Basicsur氏は、上の方の節で当分議論を停止するという発言をされておりますので、議論は停止したものとみます。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年7月6日 (木) 05:27 (UTC) |
|||
「霊(スピリット)の表現のため「観想の眼」を開くには、瞑想は確実な方法のひとつであり」の引用に 「R.カスナー 「幻視芸術」『ウィリアム・ブレイク』 春山清純訳、牧神社、1977年。」が使われています。この著作は絶版で、入手不能であり、しかも「観想の眼」というケン・ウィルバーの用語がすでにこの1977年の著作の中で使われているとは思えません。引用するときの手作業ミスではないでしょうか?--[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|会話]]) 2018年3月28日 (水) 15:38 (UTC) |
|||
<!-- |
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[[WP:ATTACK#個人攻撃の例]]に該当する部分で、記事内容についての議論の進展が望めない節をコメントアウト([[WP:CIV]]) |
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== タバコはマーダーさんの日本語能力は完全ではない == |
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これからの成長を望みます。<span style="font-size:smaller">——以上の[[Wikipedia:署名|署名]]の無いコメントは、[[利用者:Basicsur|Basicsur]]([[利用者‐会話:Basicsur|ノート]]・[[特別:Contributions/Basicsur|履歴]])さんが 2017年6月24日 (土) 17:02 に投稿したものです([[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]])による付記)。</span> |
|||
:[[Wikipedia:個人攻撃はしない]]、[[Wikipedia:礼儀を忘れない]]といった行動規範をお忘れなく。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年6月25日 (日) 03:13 (UTC) |
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::非常に無関係なノート―ページの使い方ですので、Basicsur氏によって、この節の私の発言ごと除去されることをお願いしたいです。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年6月26日 (月) 01:23 (UTC) |
|||
:::<del>あまり揉められるようならコメント依頼への提出をお勧めします。</del><del>提出致しました。--[[利用者:遡雨祈胡|遡雨祈胡]]([[利用者‐会話:遡雨祈胡|会話]]) 2017年7月1日 (土) 23:20 (UTC)</del>大変失礼致しました。取り下げました。--[[利用者:遡雨祈胡|遡雨祈胡]]([[利用者‐会話:遡雨祈胡|会話]]) 2017年7月6日 (木) 09:00 (UTC) |
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--> |
2023年8月7日 (月) 08:53時点における最新版
この記事は2010年6月3日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。 |
このノートは2017年7月31日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
ここは記事「幻視芸術」の改善を目的とした議論用ノートページです。 |
- 過去ログ
- 2017年 「Visionary という英語は幻視や幻覚を意味していない」(重要性の低い終了案件)「幻視芸術という日本語が精神障害そのものを意味する事例は存在するのか?」「画像を変更しました」
- 「幻視芸術」も「幻想芸術」と比較すると国内では使用頻度が低い、幻視と幻想の区別が全く記載されておらず、日本語では同じ意味であるものが二つの記事に分裂している問題、ヴィジョンには視覚的にも見えるものがあります、定義とは定まった義理のためではない、コミュニケーションをするための明確な指標を模索するものである、定義の問題
ヴィジョナリーアートの呼び方は定着していない
[編集]ウィリアム・ブレイクなど古いですが、
- 『聖なる鏡―アレックス・グレイの幻視的芸術』(2010年) Sacred Mirrors : The Visionary Art of Alex Gray, 1990.
- 『ジャン・コクトー : 幻視芸術の魔術師』(1995年)
- 「幻視芸術」『ウィリアム・ブレイク』(牧神社、1977年)
といった著書があります。またヴィジョナリーアートを書名に持つ著作はありませんでした。--タバコはマーダー(会話) 2017年4月1日 (土) 17:18 (UTC)
- 上の三者は画家(ブレイクは詞でも)として知られていますが、幻視芸術ではなくても「幻視」として言及されています。
- 『ブレイクの世界―幻視家の予言書』(1978年)
- 『ジャン・コクトー―幻視の美学』(2003年)
- 『世界美術家大全』日東書院 p.190.では、ブレイクは幻視者とありますが、ブレイクについて幻視、幻視者と言及する著作は見つけやすいでしょう。--タバコはマーダー(会話) 2017年4月21日 (金) 06:31 (UTC)
- 年号を追加。--タバコはマーダー(会話) 2017年6月26日 (月) 00:46 (UTC)
ウィキペディアの複雑なルールには精通していませんが、口語の言葉をどう解釈するかは小さな問題ではないと思います。無数の人々が口語的に頻用し、ツイッターなどで使用し、なおかつ書物にはなっていないような言葉が多数あると思います。それはスラングやジャーゴンといったもので、例えば「ヤンキー」であるとか「オタク」とか「中二病」といったものが口語的な現象としてまずあり、あとで書物になるというケースがあると思います。そのへんの扱いは、よりルールに精通したウィキペディア利用者に訊ねたいところであります。--Basicsur(会話) 2017年7月27日 (木) 16:14 (UTC)
- 再三案内していますが、Wikipedia:信頼できる情報源というガイドラインがあります。--タバコはマーダー(会話) 2017年7月31日 (月) 09:27 (UTC)
ブレイクの幻視については1970年代より言及があるようです。
- R.カスナー 著、春山清純 訳「幻視芸術」『ウィリアム・ブレイク』牧神社、1977年。
- Kenneth Clark (1973). Blake and visionary art. University of Glasgow Press
- Lambert, Moira, The visionary artist, 1980, http://hdl.handle.net/10962/d1006113.
--タバコはマーダー(会話) 2017年8月1日 (火) 11:53 (UTC)
- 記事に出典として用いらているすべての日本語の資料に「幻視」という共通する訳語が含まれているかと思います。--タバコはマーダー(会話) 2017年8月11日 (金) 11:21 (UTC)
- だいぶ下の、Basicsur氏本人の言で「1994年に国内で開催された展覧会「現代パリの幻想画家たち」のカタログではこのヴィジョネールという言葉が幻視芸術と訳され幻想芸術との比較をふくむ論考が掲載されています」ということです。
- 比較をふくむのではなく、はっきりと区別しているんですね。エルヴェ・セランが幻想芸術(ファンタスティック)、幻視芸術(ヴィジョネール)と書いています。--タバコはマーダー(会話) 2017年11月27日 (月) 11:07 (UTC)
改名
[編集]Wikipedia:記事名の付け方には、日本語での正式名称、信頼できる情報源において最も一般的といった基準があります。日本語には上の節に挙げた書籍がありますし、ヴィジョナリーアートでは英語直ですし自己出版のようなものしか見つからず信頼性が低いという理由で、Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきこと「明らかに、ページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき」におけるただちに改名ケースとして改名します。--タバコはマーダー(会話) 2017年4月4日 (火) 07:07 (UTC)
2018年の新たな独自研究
[編集]故意になのか、Basicsur氏は自らが提出した出典に書かれていることとは異なる見解を書くことが繰り返されていますが、今度はロングマン現代英英辞典のみに立脚しているんでしょうか。不完全な辞書のように思います。オックスフォード現代英英辞典には、「vision - To show as in a vision; to display to eye or mind. visionary - Able or accustomed to see visions」などとあり視覚的なものも指します。また、
The First Draft of Manifesto of Visionary Artにも、「transcends our regular modes of perception.」「Art of the Visionary attempts to show what lies beyond the boundary of our sight.」とあるので、視界sight、transcend超越・超える、perception知覚なので、「通常の知覚を超越した幻視の状態が反映されている」としていましたが、「通常の五感を超越した芸術ジャンルである」としてよくわからない味覚や聴覚を含む「五感」といった言葉に変えられたり、独自研究が入り込んでいるため元に戻します。
ロングマン現代英英辞典の「未来に関するアイデア」のような意味だけをとり、それを他の「視覚的な知覚」について言及している出典がついている文章に上書きされているのではないでしょうか。これでは検証可能な文章を検証できない形へ改変していることになります。
氏が半年以上前に提示された出典『現代パリの幻想画家たち』でも、「幻視画家」「幻視的光景(ヴィジョンの振り仮名)」といった訳語が繰り返されており、巌谷國士もまとめると「ヴィジョネールという言葉も幻想と訳すことができるが日本語では幻視の方が近い概念であり、ヴィジョンを得る、見えないものを見るという意味であるが、未来を予見するという意味でも用いられる」と書いており、この一番最後の意味だけを採用されているようです。未来を予見するという意味は補足的な意味に過ぎません。とりわけランデへのインタビューp152には、「それは映画のフラッシュのようにひらめきました。実際に完成しているタブローを、私は見たのです。私はいわばその幻視的場面(ヴィジョン)を模写したのです」とありますし、トマもp178「幻視的光景は、フラッシュのようなものだといえるでしょう。(略)私にとっては、それはかなり焦点のぼやけたものです。」これは、オックスフォード現代英英辞典の目や精神に映し出される to display to eye or mind というvisionの意味が近いでしょう。『現代パリの幻想画家たち』には、他にもp100「集団の無意識の奥底から汲まれた人間の絶対の幻視的光景(ヴィジョン) 略 このような芸術家の霊的体験は 略 神秘家のそれにも似る 略 肉体の目を閉じよ。」ともあり、他の文献の記述とも整合が取れます。
幻視芸術(2018年2月22日16:58)に書かれたような「未来の世界はどうあるべきを明確にするアイディアを意味したり」といった意味こそが、ロングマン現代英英辞典の記述を発展させた他の出典に確認できない独自研究であります。『現代パリの幻想画家たち』だけ未来に関するような意味で支配的になっているということも、まったくありません。出典の検証に反する独自研究をWikipediaに投稿することはWikipediaの目的外利用です。
--タバコはマーダー(会話) 2018年2月22日 (木) 17:23 (UTC)
辞書を独断的に不完全だと断定することは個人にはできません。辞書を勝手に不完全だとするのは独自研究です。to display to eye or mindとありますので、オックスフォード現代英英辞典においてもMindつまり内的なものが示唆されています。そもそも芸術一般が内的世界の外的表出であり、これは古典的でかつ常識的なものです。幻視芸術家のすべてが幻覚を視覚的に見ているのではありません。そこには不安や希望や恐怖といった内的要素があります。たしかに先見の明で未来を見るといったVisionaryの口語の意味はvisionary artの中心的な本質ではなく副次的なエピソードであり、強調することは読者に混乱を与えることになります。しかしそれほど日本語の幻視と比較するとvisionaryという英語は含みが広いということに気をつけるべきです。
Visionary art is an artistic style based on a spontaneous depiction of what is seen in the altered state of consciousness, religious, meditative contemplation, trance, as well as flashbacks that arise after so-called "tripods" (psychedelic state) altered states of consciousness, characterized by a different perception and an intense process of awareness. English synonyms Visionary art: Visionary Art, Fantastic Realism, Imaginative Art, Mystical Art, Psychedelic Art.
One of the creators of the theory of the noosphere and the modern theory of cosmic evolution, Pierre Teilhard de Chardin, revealed the true nature and essence of art in the style of "Visionary art": "We are not people who experience spiritual experience, but spiritual beings who experience the experience of human existence."
全世界に向けたロシアにおける幻視芸術のイベントに ピエール・テイヤール・ド・シャルダンの言葉が引用されています。
こちらの編集方針も独自研究の除去です。ご検討ください。このページにおける最も大きな独自研究は幻視を短絡的に視覚的幻覚とし、その要素を抽出して独自の幻視芸術というどこにもないジャンルをウィキペディア上に実現しようとした試みにあります。 visionaryは日本語の幻視とイコールではありません。幻想と訳しても間違いではありません。ファンタスティック リアリスムが同義語とされているのが証拠です。--Basicsur(会話) 2018年2月25日 (日) 16:50 (UTC)
以前の定義 「幻視芸術とは、幻視で見たこと、あるいはそれを基とした芸術のこと」の問題は、第一に同義語の幻想芸術と訳した場合、意味が分からなくなることです。「幻想芸術とは、幻想で見たこと、あるいはそれを基とした芸術のこと、アウトサイダーアートの定義と同様に幻想に基づく~といったものになります。第二に、 幻視で見たケースの芸術と、それを基にしたケースの芸術の二例があげられていますが、両者の違いが読み取れないのです。基にしたほうの芸術家は幻視していないのでしょうか。幻視(Vision)と表記したとしても、Visionは思考や想像力を含む語なのであり、「基」にしたほうの画家は思考も想像力も使わないのでしょうか。ここにおける問題もvisionaryというもともとの意味が生かされていないこと、さらには芸術名称の字義と実際の活動実態が一致していないことからの混乱なのです。「幻視芸術とは、幻視で見たこと、あるいはそれを基とした芸術のこと」という表現の意図を想像すると、ここでの幻視は 特殊な幻覚を見る状態を扱っているのではないでしょうか。幻視芸術家たちは普通の人々であり、幻覚ばかりみて生きているのではありません。精神障害者は幻覚を見る、アレックス グレイも麻薬で幻覚を見た。だから幻覚、幻視こそが両者の共通点である、という編集方針は短絡的類推になります。 アウトサイダーアートはヴィジョナリーアート ミュージアムで扱われている。だからヴィジョナリーアートの活動実態はアウトサイダーも含むのだ、という編集も短絡的類推です。同姓同名を同一人物とすることと同じです。ここにおける編集の独自研究の可能性はとにかく、我々は日本において海外の活動実態を想像しなくてはならない、というハンディから来ています。さらに、お互いが頑固になり、自らの独自研究要素を自覚しようとしないときにも独自研究は発生するでしょう。 Visionaryは先見の明がある、という意味がある。だから幻視芸術は未来を予言する芸術だ。というのもたしかに短絡的類推です。自分でも乱暴だな。と思いましたが、実験的にこういう編集もできてしまうのだという試みとしてとらえてもらえるとありがたいです。
独自研究というものを我々がどうとらえてゆくかを確認する良いきっかけになったと思います。出典と異なる編集を見つけたら、互いにチェックし合いましょう。難しいのは出典先の情報が間違っている場合です。今回のロシアのサイトに関しても全てが正しいと確信して引用しているわけではありません。幻想芸術コーディネーターのジョン・ベイナートによると、この芸術運動はまだ流動的であり、未来の研究者に任せたほうが良い、と本に書いてました。
さらに五感が不適切だという指摘がありますが、シンプルさや端的な表現として、良いかなと判断しました。これは文字通り嗅覚その他を意味するのではなく、目に見えない六感に比較して一般的に普通の感覚全体をさす分かりやすい日本語だとは思います。よりベターなものがあれば換えても良いです。--Basicsur(会話) 2018年2月27日 (火) 01:06 (UTC)
独自研究に関する機会ができましたので、このノートの中にある、重要な独自研究の種を指摘しておきます。
国内にほとんど皆無な解釈、「幻視芸術=アウトサイダー・アート」がウィキ内のみにある事態を見過ごして良いのでしょうか。
- あなたの独自ルールに該当するガイドライン等はありません。
- >タームの実例ではありません。
- 意味が分かりません。タームという言葉の意味を勝手に使っていらっしゃるので。強迫的幻視者が14回あるならこの書籍の中での重要な用語ですし、現に記事中に反映しています。--タバコはマーダー(会話) 2017年7月31日 (月) 10:53 (UTC)
ここでマーダーさんは私が言及した用語=タームについて異議を出しています。用語は百科事典、辞書の編集には欠かせないどころか、そのために存在しているもので、用語を無視しては勝手な解釈がいくらでもできます。例えば「夏休み」と「夏季休暇」は同じ用語ではありません。「独自研究」と「独自の研究」も同じ用語ではありません。それぞれの用語に特定の背景があります。「強迫的幻視者」はアウトサイダーアート世界の中の用語のようですが、ここに幻視という言葉が確認できることを理由に、独自に「幻視」と「芸術」を新たにくっつけ「幻視芸術」という用語を発明することには無理があり、「幻視する芸術」という一語があることで、「する」を独自に削除して「幻視芸術」を造語するのも個人がやってはいけないことです。さらに、国内でアウトサイダーアートはアール・ブリュットというフランス語で広く紹介されており、日本語の「幻視芸術」という用語によるアウトサイダーアートの紹介は一例も存在しません。アウトサイダーアートを幻視芸術として紹介すべきならそれはボルチモアのビジョナリー・アート・ミュージアム周辺に限ってのみ、という注釈がなければ世の中から孤立した独自研究になります。読者に混乱を与えます。さらに重大なのは口語のVisionary の意味を意図的に無視し、(以前、提示しましたがマーダーさんに削除されました。)英語を母国語としている何億の人々に認証されている英英辞書の定義を勝手に不完全であるとするのは甚だしい独自研究になりませんか?Visionaryという語を含むあらゆる英文の資料の全てをマーダーさんが誤解していることは明白であり、辞書定義を無視したマーダーさんによる記事全体が独自研究を含む恐れ、というより独自研究そのものなのです。
独自研究はいけないことですが、誰もが独自研究をする可能性があります。互いに気づき、気づかせる、と言うことが大切であり、「ああ、なるほどそうですか、間違ってましたねえ。すいません。ではどうすれば正しい記事になるのかをともに考えましょう。」という姿勢となった時にノートは生きてくるのであり、相手の独自研究を重箱のすみを突つくよう批判して欠点を拡大させることはウイキペディアの趣旨ではないと感じています。欠点は批判するものではなく長所によって互いに補うべきものです。ちなみに先日、ネイティブに会って、Visionaryの意味について尋ねましたが、やはり視覚的幻覚という意味では使わない。むしろスピルバーグやスティーブ・ジョブスのような創造的人物を評価するときに使うのがVisionaryということでした。しかしこれは英語の口語のことであって、Visionary Artという芸術用語が何を意味しているのかはまた別の話です。やはり、先日紹介したロシアのサイトに興味深い内容の記事があると感じています。これは伝聞情報なのですが、いずれ明確に理解できたら紹介したいものです。
口語のVisionary の意味を紹介します。ご自分の研究の発展に邪魔だという理由で独自に削除することは絶対に控えてください。ご自分の間違いに気づいたら、相手を攻撃せずに静かに内省しましょう。
Visionary 1 Having clear idea of what the world should be like in the future.世界がどうあるべきかに関して明確なアイディアを持つこと。 2 existing only in someone's mind and unlikely to ever exist in the real world.ある人の心の中のみに存在し、今までの現実世界にはあり得なかったようなもの。
--Basicsur(会話) 2018年3月2日 (金) 16:54 (UTC)
〜故意になのか、Basicsur氏は自らが提出した出典に書かれていることとは異なる見解を書くことが繰り返されていますが、今度はロングマン現代英英辞典のみに立脚しているんでしょうか。不完全な辞書のように思います。オックスフォード現代英英辞典には、「vision - To show as in a vision; to display to eye or mind. visionary - Able or accustomed to see visions」などとあり視覚的なものも指します。また、 The First Draft of Manifesto of Visionary Artにも、「transcends our regular modes of perception.」「Art of the Visionary attempts to show what lies beyond the boundary of our sight.」とあるので、視界sight、transcend超越・超える、perception知覚なので、「通常の知覚を超越した幻視の状態が反映されている」としていましたが、「通常の五感を超越した芸術ジャンルである」としてよくわからない味覚や聴覚を含む「五感」といった言葉に変えられたり、独自研究が入り込んでいるため元に戻します。〜
これに関して、丁寧に回答します。英語のseeは「理解する」I see.も含みます。visionも思考や想像力を含むのです。オックスフォード辞典における visionaryは下のようになってます。マーダーさんはvisionで調べているのでロングマン辞典との比較になっていません。
1Thinking about or planning the future with imagination or wisdom.‘a visionary leader’想像力や知恵によって未来を計画し思考すること。「ヴィジョナリーなリーダー」といった用法など。
2Relating to or having the ability to see visions in a dream or trance, or as a supernatural apparition. 夢やトランス状態で見る視覚体験や能力、あるいはそれに関すること。超自然的な幽霊のような存在を見ること。‘visionary dreams’「ヴィジョナリーな夢」といった用法など。
ロングマン辞書もオックスフォード辞書もわりと意味は重なっています。まず現実を変えていく実際的な能力、という意味と、現実にはあり得ないようなものを見聞きしたり抱いたりするということです。 日本語の幻視は視覚的幻覚、という意味に限定されており、 Visionaryが意味する範囲と異なっています。今後、幻視芸術を編集していこうとするなら、これら英語辞典の意味に沿わなくては独自研究になります。幻視芸術は日本発ではないのです。
さらに、美術に関するものではありませんが、西洋思想における「ヴィジョナリー」や「アウトサイダー」という言葉に関して、より親密になれる資料として有名なコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』があります。ご存知かもしれませんが、今、改めて読むと重要なヒントが得られそうです。
「通常の知覚」を五感の二語で表現することは日本ではありふれています。マーダーさんが住んでいる国がどこかは知りませんが、日本人としては自然な表現なのです。「五感」に関しては独自研究と言い切れないものがあります。出典先が英文である場合、日本人の、特に若年層にも分かるような配慮で噛み砕いた表現や意訳が必要になります。それは出典先を曲解する趣旨ではないのです。--Basicsur(会話) 2018年3月3日 (土) 16:33 (UTC)
ここまで説明してマーダーさんがいかに独自研究に浸っていたかが明らかになったと思います。独自研究を削除すべきとするなら、時間はかかりますがまず、ご自分の独自研究を改善していってはどうかと提言します。誰が独自研究をしたかは関係ありません。情報が事実と一致していないとウィキペディア利用者が困るのです。私自身の独自研究にも気づいています。勘違いしていたことが色々あります。時間がかかるので後日発表したいと思います。マーダーさんの方で先に気づいたのなら私の独自研究を公表しても構いません。対応したいと思います。--Basicsur(会話) 2018年3月3日 (土) 17:10 (UTC)
ヴィジョナリーアートのページを幻視芸術と改名したことにより、ヴィジョナリー=幻視=視覚的幻覚 と短絡的に曲解する重篤な独自研究が発生したため、今後そういった独自研究を避けるためにヴィジョナリー・アートという表記を記事内に使用することにします。「ヴィジョナリーアート」という語をウィキペディア内から一掃しようとする偏った方針が今まで存在し、それが独自研究を促進させて来ました。 さらに読みにくい幻視芸術の歴史を 見出しで分割しました。--Basicsur(会話) 2018年3月9日 (金) 15:36 (UTC)
細部を詰めるための情報交換
[編集]「霊(スピリット)の表現のため「観想の眼」を開くには、瞑想は確実な方法のひとつであり」の引用に 「R.カスナー 「幻視芸術」『ウィリアム・ブレイク』 春山清純訳、牧神社、1977年。」が使われています。この著作は絶版で、入手不能であり、しかも「観想の眼」というケン・ウィルバーの用語がすでにこの1977年の著作の中で使われているとは思えません。引用するときの手作業ミスではないでしょうか?--Basicsur(会話) 2018年3月28日 (水) 15:38 (UTC)