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2017年4月20日 (木) 08:41時点における版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県 |
生年月日 | 1958年6月20日(66歳) |
身長 体重 |
183 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1981年 ドラフト4位 |
初出場 | 1983年8月30日 |
最終出場 | 1989年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
橋本 敬司(はしもと けいじ、1958年6月20日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手(投手)である。左投左打。
来歴・人物
熊谷農業高から富士重工に進み、主として救援投手として起用される。1981年の都市対抗に出場[1]。同年の日本選手権では、エースの向田佳元とともに活躍しチームの初優勝に貢献。準決勝では河合楽器を降し勝利投手となる。
同年のドラフト4位で巨人に指名され、翌1982年の都市対抗に出場した後に入団。1年目の1983年終盤に一軍昇格を果たし、2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。1984年にはローテーションに定着できなかったものの7試合に先発。ヤクルト戦では3勝と活躍し、「ヤクルトキラー」と呼ばれていた。ホームベースのはるか手前でワンバウンドしたり、捕手がジャンプしても取れないなどの極端な悪球も少なくなかった。球種はカーブ、フォーク。
1986年オフに岡本圭右との交換で南海に移籍。しかし制球難を克服できず1990年に現役引退。そのまま球団フロント入りし、現在は福岡ソフトバンクホークスで査定部門を担当している。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983 | 巨人 | 13 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 116 | 25.1 | 25 | 1 | 13 | 0 | 2 | 21 | 0 | 0 | 11 | 10 | 3.55 | 1.50 |
1984 | 28 | 7 | 1 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | -- | .429 | 311 | 70.2 | 47 | 9 | 54 | 1 | 2 | 54 | 1 | 0 | 39 | 33 | 4.20 | 1.43 | |
1985 | 17 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 146 | 32.0 | 49 | 3 | 22 | 3 | 0 | 27 | 0 | 0 | 18 | 18 | 5.06 | 2.22 | |
1987 | 南海 ダイエー |
16 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | -- | .000 | 134 | 33.1 | 28 | 3 | 12 | 2 | 0 | 11 | 1 | 0 | 18 | 15 | 4.05 | 1.20 |
1988 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 79 | 16.2 | 19 | 3 | 12 | 0 | 0 | 9 | 1 | 0 | 13 | 13 | 7.02 | 1.86 | |
1989 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 15 | 3.0 | 6 | 0 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 6.00 | 3.00 | |
通算:6年 | 87 | 14 | 1 | 0 | 0 | 5 | 11 | 0 | -- | .313 | 801 | 181.0 | 154 | 19 | 116 | 7 | 4 | 123 | 3 | 0 | 101 | 91 | 4.52 | 1.49 |
- 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更
記録
- 初登板:1983年8月30日、中日ドラゴンズ戦(後楽園球場) 2-3 8回より登板、2回無失点 被安打1 奪三振4 四死球2
- 初勝利:1983年9月14日、阪神タイガース戦(後楽園球場) 3x-2 9回1死より登板、2/3回無失点 被安打1 奪三振0 四死球0
- 初完投:1984年5月10日、ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場) 8-1 被安打3 奪三振4 四死球8
背番号
- 32 (1983年 - 1988年)
- 48 (1989年 -1990年途中)
- 114 (1990年途中 - 1990年)
脚注
- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年