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*しかし、共通使用される[[営団6000系電車|営団6000系]]より電力消費量が格段に多いことや、千代田線に於いては抵抗器からの発熱によってトンネル温度が上昇するという問題も起こった(→[[常磐緩行線#複々線化の沿革と問題]]も参照の事)。 |
*しかし、共通使用される[[営団6000系電車|営団6000系]]より電力消費量が格段に多いことや、千代田線に於いては抵抗器からの発熱によってトンネル温度が上昇するという問題も起こった(→[[常磐緩行線#複々線化の沿革と問題]]も参照の事)。 |
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*常磐緩行線と千代田線からは[[国鉄203系電車|203系]]への置き換えで1986年3月迄に運用を終了し、一部は[[奈良線]]・[[桜井線]]・[[和歌山線]]の電化開業用に[[国鉄105系電車|105系500番台]]へ改造された([[和歌山列車区新和歌山車両センター]]・[[広島運転所]])。一方で105系500番台に改造されなかった車両は、ATC機器など千代田線内乗り入れ機器を撤去させた上で常磐快速線と成田線(我孫子~成田間)に転属して使用されていたが、同線への[[JR東日本E231系電車|E231系]]への置き換えによって[[2004年]]3月を最後に全ての1000番台の使用が終了した([[松戸車両センター]])。又1編成のみ中央・総武緩行線から東西線への乗り入れ用に転属した編成も存在したが、こちらもE231系800番台への置き換えによって1200番台と共に使用を終了した([[三鷹電車区]])。直接転属の原因は1200番台と[[国鉄301系電車|301系]]の冷房改造工事に伴う車両不足であり、1988年の転属直後は「灰色9号+黄色5号」の301系等と同じカラーリングを纏っていたが、中央・総武緩行線への205系投入による誤乗防止から[[1989年]]末迄に帯色をスカイブルーに変更された。その後も三鷹電車区に残留し、引退時迄使用された。<br style="clear:both;"/> |
*常磐緩行線と千代田線からは[[国鉄203系電車|203系]]への置き換えで1986年3月迄に運用を終了し、一部は[[奈良線]]・[[桜井線]]・[[和歌山線]]の電化開業用に[[国鉄105系電車|105系500番台]]へ改造された([[和歌山列車区新和歌山車両センター]]・[[広島運転所]])。一方で105系500番台に改造されなかった車両は、ATC機器など千代田線内乗り入れ機器を撤去させた上で常磐快速線と成田線(我孫子~成田間)に転属して使用されていたが、同線への[[JR東日本E231系電車|E231系]]への置き換えによって[[2004年]]3月を最後に全ての1000番台の使用が終了した([[松戸車両センター]])。又1編成のみ中央・総武緩行線から東西線への乗り入れ用に転属した編成も存在したが、こちらもE231系800番台への置き換えによって1200番台と共に使用を終了した([[三鷹電車区]])。直接転属の原因は1200番台と[[国鉄301系電車|301系]]の冷房改造工事に伴う車両不足であり、1988年の転属直後は「灰色9号+黄色5号」の301系等と同じカラーリングを纏っていたが、中央・総武緩行線への205系投入による誤乗防止から[[1989年]]末迄に帯色をスカイブルーに変更された。その後も三鷹電車区に残留し、引退時迄使用された。<br style="clear:both;"/> |
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====1200番台==== |
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{| border=1 align=right cellpadding=4 cellspacing=0 width=330 style="margin: 0 0 1em 1em; background: #f9f9f9; border: 1px #aaa solid; border-collapse: collapse; font-size: 80%;" |
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!align="center" bgcolor="#FFFFFF" colspan="4" style="font-size:120%;"|1200番台<br>|[[画像:Jnr 103-1200.jpg|thumb|240px|none|運用終了後、拝島駅の留置線で留置される1200番台(2003年5月撮影)]] |
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!align="left" valign="top"|起動加速度 |
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|valign="top"|3.3km/h/s |
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!align="left" valign="top"|重量 |
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|valign="top"|29.1t(クハ103)<br> |
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~37.2t(クモハ102) |
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!align="left" valign="top"|保安装置 |
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|valign="top"|[[自動列車停止装置|ATS-B.P]]<br>[[自動列車制御装置|ATC-3]] |
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|} |
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[[中央・総武緩行線]]([[東京地下鉄東西線|東京メトロ東西線]]) |
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*東西線乗り入れ用のアルミ車両である[[国鉄301系電車|301系]]の後継として製造された車両で、全車が7両編成(MT比6:1(6M1T))として新製されたが、乗り入れ先であった東西線の[[営団5000系電車|5000系]]が三鷹側に制御電動車、西船橋側に制御車がそれぞれあったので、これと編成を合わせて301系と同じく新形式の'''クモハ102形'''を連結した。 |
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*基本的な部分は1000番台と同一とされ、小型のATC機器を搭載した為乗務員室の後ろに戸袋窓が有った点や蓄電池の搭載車輌などが異なる。その為、乗客用の通風器はグローブ式が採用(301系は角型で換気調節が出来る物を装備)され、台車も301系の[[空気バネ]]から[[コイルバネ]]に退化した。 |
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*制御器は301系の力行24段・ブレーキ24段から力行・ブレーキ共に40段(CS40型)に進歩した。その為、台車の差と合わせて301系との併結時には若干の不釣合いが生じていた。 |
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*[[1970年]]に1本、[[1972年]]と[[1978年]]にそれぞれ2本(計5編成35両)が製造されたが、地上型が[[1970年]]からユニット窓を採用したのに合わせ、第2編成からはユニット窓車となった。因みに、地上型は1974年以降高運転台となるが、これは採用されなかった。 |
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*[[1989年]]から集約分散式AU712形を2基搭載した形で冷房化改造が行われた。この際に編成中1両のモハ102の[[電動発電機|MG]]が冷房用電源を供給する為に強化(10kVA→190kVA(旧第5編成のみ2両にそれぞれ160kVAを搭載))に交換された。同時にクモハ102形を除く全形式の側面に[[方向幕|行先表示器]]が取り付けられ、前面方向幕も電動式に取り替え(「快速 中野」等の快速幕はこの時に導入された)ている。又同年末から中央・総武緩行線への205系投入に伴う誤乗防止の為、帯色を黄色からスカイブルーに変更した。 |
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*[[1991年]]に全車が10連化された際に0番台サハを編成内に編入し(サハ103-429・430)、また編成組み替えにより5両編成1本が出現し、予備車として301系との混結運用も見られた。それに伴って余剰車は[[常磐快速線]](松戸電車区)に転出したが、[[1993年]]に廃車となった。この内クモハ102-1201が後に[[鎌倉総合車両センター]](大船工場)で中原電車区に在籍していたクモハ103-11と連結して入れ換え車として使用されていた(但し車籍は無く機械扱い)。しかし、車体としては残存していたが、同センターの閉鎖に伴い解体されている。使用当時は黄に赤と緑のストライプと言うオリジナルの塗装、ライトと小窓が増設された前面、移設されたパンタグラフ等、独特な姿で異彩を放っていた。 |
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*[[JR東日本E231系電車|E231系800番台]]への置き換えによって1000番台や301系と共に2003年に使用を終了し、2004年に全廃、区分消滅した([[三鷹電車区]])。 |
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*塗装や車歴の詳細は[[国鉄301系電車]]の項目を参照のこと。 |
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====1500番台==== |
====1500番台==== |
2006年6月26日 (月) 13:54時点における版
国鉄103系電車(こくてつ103けいでんしゃ)は、101系の後を受けて1963年(昭和38年)から1984年(昭和59年)迄に実に21年に渡り3,447両製造された電車である。
共通事項 | | |||
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営業最高速度 | 100km/h | ||
設計最高速度 | 100km/h | ||
減速度 | 3.5km/h/s(通常) 5.0m/h/s(非常) | ||
定員 | 座席48・立席88(先頭車) 座席54・立席90(中間車) | ||
全長/全幅/全高 | 20,000mm/2,832mm/3,935mm | ||
軌間 | 1,067mm(狭軌) | ||
電気方式 | 直流1,500V | ||
モーター出力 | 110kW | ||
歯車比 | 1:6.07 | ||
制御装置 | 抵抗制御 | ||
駆動装置 | カルダン駆動方式 | ||
ブレーキ方式 | 発電ブレーキ・電磁直通ブレーキ |
概要
1958年から中央線に量産車が導入された101系は、当初は全電動車方式とし、定格速度を通勤形電車としては高めに設定してあり、電動車1両辺りの牽引力が低かった。その為乗車率100%超状態の通勤路線ではMT比1:1での使用が出来なかった。また、高速主電動機を採用している為に加速時の消費電流が多く、当時殆どの、国鉄の重通勤路線では電力供給設備の大規模な増強を行わなければならなかった。しかし、国鉄の財政状況からすると、これは不可能である上に、時間的な余裕も無かった。その為、よりランニングコストの低い「標準型通勤車両」の必要に迫られ、103系が開発されたのである。
1963年、既にカナリアイエローの101系が投入されていた山手線に試作車を投入し、営業電車での評価試験となった。その性能と経済性が証明され、1964年以降の国鉄に於ける通勤用の標準車両として大量に製造され、直流通勤形電車は基より、日本の鉄道車両としても最大の車両数を誇り、昭和40~50年代(1970~1980年代)の東京や大阪など日本の大都市圏の通勤輸送を支えてきた。
全車が普通鋼で製造された。
基本性能
基本的に、全車電動車編成での使用を前提に設計された101系に対し、MT比(電動車と付随車の比率)1:1で運用される事を前提に、主電動機をMT55形(出力110kW)の高トルク型とし、定格速度を下げて加速度を向上した経済車である。加速度は4M4Tで2.0(6M4Tでは2.2)km/h/sとなるように設定した(1000・1200・1500番台を除く)。
車体は基本的に101系を基にしている。101系からの変更点は下記の通り。
- 車輪径の拡大(860mm→910mm)に伴い床面の高さをやや上昇
- 運転台窓を天地方向にやや縮小
- 運転台下部正面中央にも外気導入口を追加
- 冷房車として製造されたTc103-178,179,213以降では廃止され(下記参照)、既存車も腐食対策から後年閉塞し、風道が撤去された。
- 正面方向幕の拡大
- 101系は基本的に行き先のみの表示だったが、103系では種別も同時に表示できるようになった。
- ドアーエンジンを変更すると共に、ドア上部にベルト連動装置を装着
- 101系では基本的に片開き用×2の構成であった為、両開き扉の2枚の扉の動きが対称にならなかったり、又搭載位置が不適切であった為動作不能になる場合があった。
- ドア閉め不完全時に不完全なドアのみを再開放するスイッチ(再開閉スイッチ)を追加
- ラッシュ時の駆け込み乗車対策として採用された。これは101系にも改造で取り付けられた。
駅間の短い山手線・大阪環状線・阪和線(各駅停車)等に最適な車両である反面、高速運転対応として弱め界磁35%として設計したものの実効が40%程度に留まった為、中央快速線・常磐快速線・京阪神緩行線・阪和線(快速)等駅間の長い路線には極めて不向きな車両であった。だが、量産効果と仕様統一を優先して投入され、快速電車等としても使用された。
機構は地下鉄東西線乗り入れ用のアルミ車両である301系に採用された他、地方電化路線用の105系や飯田線用の119系に応用された。又、一部の部品が121系にも使われている。
新造車3,447両の他、20両が72系から、36両が101系からそれぞれ編入され、総数は3,503両となっている。但し奈良線・桜井線・和歌山線の電化開業用として0・1000番台から65両が105系に改造され、また事故で廃車となった車両も数両あったので、3,503両が同時に存在したことは無い。
形式・編成
クハ103(Tc)
103系の制御車。75~91と500番台、及び線区の事情で方向転換した車両以外は、車番が奇数の車両は奇数(東海道本線上で東)向き、偶数の車両は偶数(同西)向きの先頭に連結される(製造初年度:1962年)。
モハ103(M)
クモハ102又はモハ102とユニット(※)を組む電動車で、パンタグラフと制御器を搭載する(製造初年度:1962年)。
モハ102(M')
クモハ103又はモハ103とユニットを組む電動車で、MGとCPを搭載する(製造初年度:1962年)。
クモハ103(Mc)
モハ102又はクモハ102とユニットを組む制御電動車で、モハ103に運転台を取り付けた構造を持つ。奇数向き専用。新造車は製造初期のみだった。しかし103系の性能上編成の半分以上が電動車でなければならない(※)事から、3両又は5両を組成する場合にはこの形式が必要となる関係で、今も多数が残存する(製造初年度:1965年)。
クモハ102(M'c)
モハ103又はクモハ103とユニットを組む制御電動車で、モハ102に運転台を取り付けた構造を持つ。偶数向き専用。国鉄が車種が増えることを嫌った(※)為に1200番台の5両(理由は1200番台の項を参照の事)以外に新造車は無い。しかし、短編成化時の必要性から多数のモハ102がこれに改造されている(製造初年度:1970年)。
サハ103(T)
クハ103から運転台を廃した構造を持つ付随車(製造初年度:1964年)。
サハ102(T')
サハ103から改造して登場した付随車で、新造車は無い。片町線(学研都市線)松井山手駅での分割・併合を行う為に電気連結器を取り付ける際、床下機器が干渉する関係で車両の向きが前後逆になった。その為、通常は車両の東端に取り付けられている方向幕が西端に付く。当初は番号が5000番台であったが、編成パターンの変更に伴い電気連結器が撤去され、0番台に改番されている。現在、機能面でサハ103と差は無い(改造初年度:1988年)。
※「ユニット」とはモハ及びクモハの103形と102形とで別々の機器を搭載し、2両を連結する事で1つの機構として完成する方式で、基本的に新造時からユニットを組む相手は変わらない。例えば、クモハ103-1はモハ102-74とユニットを組んで京浜東北線(浦和電車区)に登場し、常磐線(松戸電車区)→仙石線(陸前原ノ町電車区)と転属して来たが、常に2両セットで移動し、1992年に廃車される迄検査時を除いて連結が外されることは無かった。国鉄が製造した系式の大半にこの手法が取られており、JR化後に製造された車両でも特にJR東日本ではこの方式をよく利用している。
※通常3両編成は「クモハ103-モハ102-クハ103」、5両編成は「クモハ103-モハ102-モハ103-モハ102-クハ103」と組まれる。「クハ103-モハ103-クモハ102」なども組めなくは無いが、多数の形式を製造すると手間やコストが掛かり、短期間で大量に増備する必要のある通勤型電車では不利なので極力クモハ102の製造は避けられた。
- 但し、編成短縮でモハに運転台を取り付ける必要が出て来たJR西日本と九州では、例えば「クハ103-モハ103-モハ102」が有った場合、「クハ103-モハ103-クモハ102」を組成するならばモハ102に運転台を取り付けるだけで済むが、「クモハ103-モハ102-クハ103」とするならばモハ103への運転台設置に加えてクハを方向転換する改造もしなければならなくなり、却って不利になるのでクモハ102形への改造が行われている。
※4両及び6両以上の編成を組む際は、「クハ103-モハ103-モハ102-クハ103」を基本に、モハやサハを中間に挿入してMT比が1:1に近付くように編成長を調節する。但し、モハはユニットの関係で2両同時に挿入しなければならないので、6両のみ「クハ103-モハ103-モハ102-モハ103-モハ102-クハ103」の4M2T(MT比2:1)と不経済になってしまう欠点があった(上記の3両編成の場合も同様)。
常磐快速線に於けるサハ103と短い編成の関係
- JR化直後に常磐線の103系を10両から15両に増強する必要が出た為、新たに5両編成が組成されたが、この時は山手線に205系を投入し山手電車区の103系(10両貫通編成)を浦和電車区(京浜東北線)に転用し、同区の6+4編成を5両に組み直して松戸電車区に転用した為、「クハ103-モハ103-モハ102-サハ103-クハ103」という2M3Tの編成も組成された(当時の浦和電車区在籍の分割編成は4両編成が両端クハ、6両編成はクモハとサハを組み込んだ編成である)。結果的に付属編成には電動車が2両と4両の編成が混在し、片方に性能の過不足が発生する事態となった。2M3Tに改造統一する案もあったが、冷房化に当たって電源がない為、冷房が効かないので取りやめとなった。ところが更に問題が発生し、基本編成にも元千代田線直通用の8M2Tと地上線の6M4Tの編成が有り、8M2Tと4M1Tを組み合わせた場合、架線の容量がオーバーし変電所が追い付けない事になった。その為、4M1T編成は発電ブレーキのみ作動する改造を行い、実質的には両方共2M3T編成として扱われていた。更にサハを組んだ編成では基本編成(クハ103以下10両)を併結した際にモーターの無い車両が3両続く為に起動時の衝撃が大きかったので、E231系の導入が始まると真っ先に置き換えられた。この他に「クモハ103-モハ103-サハ103-サハ103-クハ103」と言う編成も組成する予定があったが、冷房電源の関係から取り止めになった。
車種分類
103系の場合、通勤形車両として大量に生産されたことから、新造車両として製造された時期等により様々な設計変更や後述する番号との重複を避ける為に行われる。その為、製造番号の車両番号を変更することにより分類分けを行うことが出来る。
900番台
1963年に山手線に先行試作車として新製された車両である。当初は1~を名乗っていたが、量産車とは引き通し線が異なり、且つ混結が出来ないことから、番号を901~に変更した。又当時の車両番号はウグイス色の地に白字で書かれていた。引き通しや台車等量産車と異なる仕様については後に量産車に合わせる改造が施されている。クハ103-901~904とモハ103・102-901・902の8両が存在し、晩年はクハが青梅・五日市線、モハが埼京線に転じ、他の量産車と共に活躍していたが、全車が老朽化によって最後迄冷房化されることなく1992年迄に廃車されている。
0番台
0番台 | | |||
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起動加速度 | 2.0km/h/s | ||
重量 | 25.8t(サハ103 1963年度車) ~40.2t(モハ102 1974年度車) | ||
保安装置 | ATS-SW.P.Ps ATC-6(1974年以降製造の一部、現・消滅) |
1964年から1984年迄長期に渡って製造された103系の基本形式である。このように長期に渡り大量に製造されたことから、投入時期などにより様々な改良が加えられている。(尚、1982年は製造無し。)
1963年~1970年製造
- 量産車として初めて登場したグループであり、最初は山手線に投入された。また試作編成には無かったサハ103形がこの時に初めて登場した。尚、同線に先行投入されていた試車は後にこの量産車に合わせた仕様に改造されている。1965年から京浜東北線に投入された編成は、当時の車両基地の構内有効長等の関係で3+7(当初2+6)の分割可能な編成で投入され、この時にクモハ103形及びMc編成の偶数向き制御車としてクハ103-500番台が登場している(但し新製されたのはこの時のみ)。
- クモハ103-1~155、モハ103-1~278、モハ102-1~433、クハ103-1~177・501~638、サハ103-1~305がこれに該当する。
- 1967年に常磐線に投入されたクハ103-617~とサハ103-226~、続いて阪和線用に製造されたクハ103-115~から、付随台車がそれ迄の踏面ブレーキのTR201からディスクブレーキのTR212に変更されている。
- 後にATC化や構内有効長制限の解消により、クモハ103やクハ103-500番台が新車(=後期車)に置き換えられると、それらの車両は他線に転属したり、常磐線の付属編成に転用された。その中で「クモハ103-モハ102-サハ103-クハ103」といった当初は想定していなかった組成も現われた。
- クモハ103-11は廃車後、クモハ102-1201と共に鎌倉総合車両センター(大船工場)で入れ換え車として使われていたが、同センターの閉鎖に伴い解体された。
- クハとクモハの前照灯は101系と同じく250Wの白熱灯1灯であったが、1975年に大井工場で事故復旧工事を施工したクハ103-544、同じく1977年に大井工場で事故復旧工事を施工したクハ103-4を始め、1979年からは本格的にシールドビーム2灯に改造される様になった。最後迄白熱灯1灯だったのは京葉線のクハ103-562である(シールドビーム2灯に改造されることなく2000年11月6日に廃車されたが、末期は中間に封じ込められて殆ど先頭に立つ機会が無かった模様)。
試作冷房車(1970年製造)
- 当時、京王帝都電鉄(→京王電鉄)の5000系等一部の私鉄に於いて通勤型電車も冷房を取り付けた車両も登場し、国鉄もその研究の為に1編成10両を山手線に試験投入した。比較検討の為車両毎に異なる冷房装置が取り付けられ、また冷房電源用のMGが後の量産冷房車とは異なりクハ103形に取り付けられている等の特徴が有ったが、1978年に量産冷房車と同じ形態に改造された。このグループは客室窓が製造工数低減のためにユニットサッシに変更された。又クハの前照灯は白熱灯1灯で、当初より運転席下の通風口が無独自のスタイルであった。
- モハ103-279~281、モハ102-434~436、クハ103-178・179、サハ103-306・307がこれに該当する。
- 全車がJR東日本に継承されたが、2005年10月迄京葉線に残留していたケヨ302編成のサハ103-307の廃車を以て消滅した。
1971年~1972年製造
- 前述の試作冷房車と同じく客室窓がユニットサッシに変更されているのが大きな特徴であり、また制御車の前照灯がそれまでの白熱灯1灯からシールドビーム2灯(いわゆるブタ鼻)に変更されていることから、俗に「1次改良車」とも言われる。このグループは試作冷房車が試験中であった事から非冷房車として製造されたため、クハは運転席下の通風口が復活している。 尚、冷房化に際しては全車がAU75型クーラーで冷房改造された訳ではなく、軽量な集約分散式WAU102型(JR西日本)やAU712型(JR東日本)でも改造された。
- モハ103-282~330、モハ102-437~486、クハ103-180~212(この内188が当初松戸区に配属されて常磐快速線に、後に習志野→京葉と転属して中央・総武緩行線→京葉線に在籍していた他は全車明石区に新製投入)、サハ103-308~323がこれに該当するが、京阪神緩行線の旧型車取り替え時期と重なった為、大部分の車両が明石電車区に、前述のクハ103-188を含む残りの車両が常磐快速線の旧形車特発編成(1971年4月20日改正で常磐線は緩行と快速の2種類の運転体系となり快速線の減車・減便を行ったが、思う様に緩行線に乗客が流入しなかったことから、快速線に一度撤退した73形を復活させた)の置き換え用として松戸電車区に新製投入された。
1973年製造
- 前述の試作冷房車の試験結果を踏まえ、1次改良車に新製時から冷房装置を搭載して製造したグループである。但し、京浜東北線に配置された車両(モハ103-373~382・モハ102-529~538)は既存の非冷房車編成に組み込まれることから、非冷房車として製造された。又、自動行先表示器の取り付けや座面拡張、蛍光灯の増設も同時に行われている。なお、冷房車となった為、クハの前面ステップ上の通風口は省略されたが、「2次改良車」とは呼ばれていない。
- モハ103-331~372・383~413・モハ102-487~528・539~569、クハ103-213~268、サハ103-324~359がこれに該当する。
- クハ103形は当初山手線・中央快速線及び大阪環状線に新製投入されたが、後述のATC化と関連して、関東配属車の多くは1年足らずの間に1974年新製の中間車と組んで京阪神緩行線(配属は高槻電車区)に転属している。
- 中央快速線に残った先頭車は後に中央・総武緩行線に転用されて津田沼(→習志野)電車区に転属し、更に一部の車両は仙石線(陸前原ノ町(→宮城野)電車区)に転属した。その内、RT235編成(クハ103-235以下4両)は205系への置き換え後も現在迄予備車として残存している。
1974年~1981年製造
- 踏切事故対策や視認性向上の為に先頭車が高運転台構造に変更され、運転室窓下にはステンレスの飾り帯が設けられる等、スタイルが一新されている。又山手線と京浜東北線のATC化の為、運転台後部にATC装置の設置スペースが設けられ、運転台後部の戸袋窓が廃止された。但し、後に中央快速線や福知山線等ATCが採用されていない線区に投入された一部の車両(797・799~844(809・816は除く)・846・848・850)はATCの設置スペースが設けられず、戸袋窓が復活している。この内811と818は1984年2月改正に伴う山手線増発用としてATC装置を取り付けて戸袋窓を埋めた上で転属している。
- このグループから北陸トンネル列車火災事故の教訓を受けて火災対策が強化され、後述の1000番台等地下鉄乗り入れ車と同じA-A基準に対応している。妻扉のガラスが網入りになり、消火器置場が1両2箇所となっている。但し前面貫通扉は設置されていない。
- モハ103-414~786・モハ102-570~899・2001~2043、クハ103-269~499・701~844・846・848・850、サハ103-360~503がこれに該当する。
- クハ103形とモハ102形の車番がそれぞれ701~、2001~と途中から飛び番号になっているが、それまでに製造されていた500・900・1000番台等との干渉を防ぐ為の措置であり、他車の様に仕様が変更されたことで番台が区分された訳ではない。
1983年~1984年製造
- 103系としての最終新製車であり、モハ103-787~793及びそれとユニットを組むモハ102-2044~2050がこれに該当する。
- この車両が増備された時には既に201系の製造が開始されていた為、以下の変更点が見受けられる。
- 屋根のゴム布張りから塗り屋根への変更
- クーラーとパンタグフの横のランボードの形状が201系と同一
- 戸袋窓支持ゴムは新製時から黒Hゴム(これ以前は白Hゴム)
- 側扉開口部周囲を完全溶接化
- これらの車両は、「205系投入直前の赤羽(→埼京)、山手線」という非常に間の悪い場所に配属された(前5ユニットが赤羽線用としてカナリヤ色で、後2ユニットが山手線用としてウグイス色でそれぞれ池袋区に配属)為、新製投入から数年で周辺の川越(但し赤羽線の延長による持ち替え)・浦和・豊田・京葉の各電車区へ配置換えとなり、さらにはJR東日本の103系全廃計画により2005年を以て全車引退し、特に最終ユニットは新製投入から20年を待たずに廃車されている。なお、川越電車区に投入された分のモハ103-790・モハ102-2047は後述の3500番台に改造されたが、この2両も2005年に廃車となっている。
910番台
列車性能向上や当時山手線などに導入が計画されていたATCに対応させる目的で、1967年に制御段数を大幅に増やした超多段式制御の試作車として製造された車両である。試作された超多段式制御器であるCS30を搭載するモハ103-911~913とユニットを組む為、引き通し線の一部を変更したモハ102-911~913が製造された。この車両を用いた試験の成果で量産型であるCS40が後述の地下鉄乗り入れ用1000番台等に取り付けられたりもしたが、制御段数が大幅に増えた事で保守に手間が掛かる事から、結局上記の地下鉄乗り入れ車に採用されただけで、山手・京浜東北線のATC対応車も従来型のCS20のままで投入されることとなった。
長らく山手線で活躍していたが、同線への205系投入に伴い、1988年にモハ103の全車とモハ102-912が電装解除されて後述のサハ103-800番台に改造され、冷房改造済みだったモハ102形の残りの車両は改番されずにユニットの相手を0番台車に変更された。
地下鉄対応車両
また、地下鉄対応車両として以下の車両が以下の路線向けに新規製造された(括弧内は対応する地下鉄路線)。
1000番台
1000番台 | | |||
---|---|---|---|
起動加速度 | 3.3km/h/s | ||
重量 | 29.1t(クハ103) ~37.2t(クモハ102) | ||
保安装置 | ATS-B.P ATC-4 |
- 全車が10両編成として新製された物であり、ATC機器を搭載した為乗務員室後ろの戸袋窓が無い。地下鉄線内での加速を稼ぐ為にMT比8:2(8M2T)としている。16編成160両が製造された。前面の運行表示板上方と車両上方側面には国鉄マーク(JNRマーク)が掲げられた(常磐快速線への転用の際に消された)。又地下鉄乗り入れ対応車(A-A基準車)である為前面に貫通路が設けられ、車両部品には不燃・難燃材料が使われている。
- 登場から千代田線乗り入れ開始迄の一時期は地上区間にて運用された。
- しかし、共通使用される営団6000系より電力消費量が格段に多いことや、千代田線に於いては抵抗器からの発熱によってトンネル温度が上昇するという問題も起こった(→常磐緩行線#複々線化の沿革と問題も参照の事)。
- 常磐緩行線と千代田線からは203系への置き換えで1986年3月迄に運用を終了し、一部は奈良線・桜井線・和歌山線の電化開業用に105系500番台へ改造された(和歌山列車区新和歌山車両センター・広島運転所)。一方で105系500番台に改造されなかった車両は、ATC機器など千代田線内乗り入れ機器を撤去させた上で常磐快速線と成田線(我孫子~成田間)に転属して使用されていたが、同線へのE231系への置き換えによって2004年3月を最後に全ての1000番台の使用が終了した(松戸車両センター)。又1編成のみ中央・総武緩行線から東西線への乗り入れ用に転属した編成も存在したが、こちらもE231系800番台への置き換えによって1200番台と共に使用を終了した(三鷹電車区)。直接転属の原因は1200番台と301系の冷房改造工事に伴う車両不足であり、1988年の転属直後は「灰色9号+黄色5号」の301系等と同じカラーリングを纏っていたが、中央・総武緩行線への205系投入による誤乗防止から1989年末迄に帯色をスカイブルーに変更された。その後も三鷹電車区に残留し、引退時迄使用された。
1500番台
1500番台 | | |||
---|---|---|---|
起動加速度 | 3.3km/h/s | ||
重量 | 34.1t(クハ103) ~42.2t(クモハ102) | ||
保安装置 | ATS-SK ATC-9 |
- 全車が6両編成として新製されたが、編成番号は3両ずつに分かれており、小倉工場に回送する際も3両ずつに分割される。9編成54両が製造されたが、後に4編成が先頭車化改造により3連化されたので現在は13編成54両となっている。尚、3両編成は元の先頭車の向きにより「クハ103-モハ103-改造クモハ102(奇数編成)」と「改造クモハ103-モハ102-クハ103(偶数編成)」の2通りの編成パターンが存在する(形式・編成を参照のこと)。唐津鉄道事業部唐津運輸センター所属。
- 既にチョッパ制御車の201系が登場していたが、国鉄の財政事情と筑肥線の列車密度の低さから電機子チョッパ制御ではなく抵抗制御の103系とされ、機器配置は他の地下鉄乗り入れ車に準じているが、保守低減の為制御器は超多段式のCS40ではなく0番台と同じCS20になっている。
- 但し、車体や内装は201系、先頭部は105系とそれぞれ同様のスタイルを採用し、出来るだけイメージアップを図っている。また、103系で唯一、新製時から戸袋窓が無い。
- 3両編成は限定運用、6両編成は303系の代走としての運用も持つ。乗り入れ先の地下鉄空港線内でのワンマン運転には対応しておらず、同線内のホームドアとの連動も出来ない。
- 3両編成は全編成が駅収受式ワンマン改造を行っている。筑前前原~西唐津間で3両編成として運転される場合(筑前前原で併結又は切り離しを行う。地下鉄空港線直通列車も含む。)はワンマン運転となる。また改造先頭車には自動幌及び電気連結器が設置されたが、ATCは設置されていない為、地下鉄空港線への乗り入れ時は必ず奇数編成+偶数編成の6両編成を組み、クモハを中間に封じ込めて運転される。
- 2003年に303系と共に全編成の唐津側先頭車(クハ103奇数番車又はクモハ103)に身障者対応型トイレの設置が行われ、103系では初のトイレ付きの車両となると共に、JR九州の電車編成のトイレ設置率100%が達成された。同時に、塗装費用を節約する為に303系に類似した塗装変更車も登場している(因みに、先述の通り小倉工場への回送が3両ずつの為、6両編成の場合編成の前後で塗装が一致しないケースがあった。)。更に2005年からは延命工事が始まっている。
- 後期に製造された為、主電動機はMT55A形のみ使用される。
改造・改修番台
103系の場合、前述したように基本的には閑散路線での使用を前提としていないが、JR移管後にその様な用途に使用する為に改造を受けた車両もある。
800番台(付随車)
910番台を電装解除した後の姿で、一部に種車の面影が残っていた。但し最終2両は前述の通りモハ102-911・913によって玉突きで捻出された0番台車である。912番のユニットを改造した801と804のみが更新工事を行い(他の4両は電装解除以前に保全工事が済んでいた)、常磐快速線に長らく残存していたが、現在は廃車・消滅している。サハ103-800とモハ103・モハ102の対照表は以下の通り。
- モハ103-912・911・913・モハ102-912・172・62→サハ103-801~806
2500番台(制御車・制御電動車・附随車)
制御車はモハ102形からの改造車で偶数向き、新設された運転台は高運転台登場後なのにも関わらず、JR西日本の方針で低運転台・シールドビームの「1次改良型」にされた。後にWAU102形で冷房改造されたが、全車が3500番台に運転台を供出した上で1997年迄に廃車されている。
制御電動車は片町線(学研都市線)関連の運用の関係で電気連結器を装備し、5000番台を名乗っていたモハ103形の改造車を電気連結器や電気空気開閉器を撤去した事により改番したものだった。1997~1998年に9両が3500番台に改造され、現在は奈良・日根野・広島に2両ずつ配置されている。但し、広島の2501と2502はWAU102形のクーラーが搭載されているため近いうちに廃車になる可能性が高い。
クモハ103-2504は地方路線用の3500・3550番台を除くと制御電動車で唯一の体質改善40N工事施工車である。これについては「3500番台の試作車」という説と「東羽衣支線用車両の老朽取り替え用」という説があるが、現在迄東羽衣支線に入線していないために前者の説が有力と見られている。
附随車は片町線の基本編成4連化に伴い不足する車両をモハ103形の改造により補ったものだったが、僅か2年で廃車になってしまった。
2550番台(制御車)
モハ103形からの改造車で奇数向き。当然のことながらパンタグラフが撤去されたが、その他は2500番台とほぼ同じ仕様になっている。2500番台の制御車と違い、2005年12月迄3両全車が現役であったが、全車が集約分散式WAU102での冷房改造車であり、321系の投入によって捻出された201系の大阪環状線・桜島線(JRゆめ咲線)入線により転属した状態の良い103系によって淘汰され、2006年3月に全廃された。そのうち2551は姫路駅で脱線救出訓練に使用され、各部を大幅に損傷した状態で網干所に回送された。
3500番台(JR東日本)
八高線八王子~高麗川間の電化開業に伴う必要編成数の確保のため、余剰となっていた京浜東北線と京葉線から転入した0番台(クハ103形は高運転台車)に半自動ドアを増設して改造した車両だった。半自動ドアは3000番台と違ってボタン式スイッチであった。八高線と川越線にて使用されたが、老朽化に伴い2003年11月から廃車が始まり、205系3000番台と209系3100番台に置き換えられて2005年3月を以て引退した。
3500番台(JR西日本)
播但線姫路~寺前間の電化開業に伴いJR西日本が改造した車両である。塗色はワインレッド(えんじ色)で、全9編成が網干総合車両所に所属している。種車は改造費を抑制するために先頭車を含むMc+M'のユニットが選ばれ、当時の他の103系に倣い体質改善工事と称されるリニューアル改造も施工されている。新設された運転台はMcの形状や提供品の関係で低運転台とされた。またワンマン運転に対応させるために一部窓の形状が異なり、側面にワンマン特有の出入口を表示するLED表示器が取り付けられている。全車ではないがパンタグラフの増設準備がなされているMcも存在している。
なお、JR西日本に於いての3500番台はクモハのみなので、JR東日本の3500番台と番号の重複は発生していなかったが、JR東日本車が2005年4月に廃車となったため、番台の重複は解消されている。2006年6月現在、全9編成のうち3507~3509の編成にはトイレ新設工事が施工されており、その他の一部編成にはトイレのスペースのみ確保された編成(3502・3504・3505)も存在する。クモハ103-3503には乗務員用の開閉装置のすぐ横にサウンドジェネレータが置かれている。また、ラッシュ時などには基本編成の2両編成にさらにもう2両を増結して4両編成で運転している。
播但線で使用されている車両は、試験走行を除けば103系で初の基本編成が2両編成という車両でもある。
3550番台
加古川線の全線電化開業に伴い電動車ユニットに運転席を取り付けた車両である。先頭部に貫通扉を取り付けた点、既に体質改善工事が終了していたため、工事済の中間車ユニットを種車に選んだ点が異なる。またJR西日本では103系で初のトイレが設置されている。窓下2灯のヘッドライトも事業用車を除くと1500番台以来である。
比較的増・解結が多い路線に配置されるが、3500番台と共に電気連結器は未装備である。
サハ102
形式の項目を参照のこと。
他形式からの改造番台
また、他形式からの改造により103系に編入された以下の車両がある。103系の場合、基本的な設計が共通する101系、ないしはそれに準じた車体を流用する形での改修・改造である。
750番台
サハ101形からの改造車である。改造に辺り、ジャンパ栓受けや幌などが変更されている。種車の関係からやや車高が低く、当初から103系として製造された車両と見分けるポイントになっていた。
751~767は101系からの改造時に冷房化改造も併せて行われた他、101系時代に冷房改造されていた車両(768~772・777~780)もある一方、最後迄非冷房の車両(773~776)もあった。なお、771と772は種車がサハ101形200番台だったため、電動発電機とコンプレッサーを撤去している。また車両により冷房装置の位置(種車の重心位置の都合による)や行先表示器の有無などの差異が見られた。JR化後も延命工事や非冷房だった車両の一部冷房化改造も施されたが、2002年のサハ103-765の廃車を以て全廃されている。ちなみに特に干渉する番号がなかったにも関わらず750番台というやや半端な番台区分となっているのは、サハ100形も改造し、それを700番台とする計画があったためである。しかしこちらは実現することはなかった。
3000番台
川越線の全線電化開業の際、主に川越駅~高麗川駅間の区間運転用として経費節減のために仙石線の103系投入で余剰になった旧性能車である72系アコモ改造車の車体と工場の予備品見直しにより捻出した103系の部品(付随台車は101系の廃車発生品、MGは冷房改造の発生品がそれぞれ用いられていた。)を組み合わせて登場した系列だった。
改造の理由の1つとして、当時埼京線が開通する際に投入予定だった山手線の103系と同じ路線を走行する関係で足回りが旧性能のままでは性能差となったので、それをなくすために施工したとされる。仙石線時代はクハ-モハ-モハ-クハの4両編成で活躍していたが、改造当初に川越線では3連で使用される事となったため、クハ103-モハ103-クモハ102の編成に変更された。なお、通常103系の3両編成では制御電動車がクモハ103形となるところだが、3000番台では改造工数の低減のためパンタグラフのないクモハ102形とされた。
上記の改造に漏れた車両(モハ72形)はそのままの姿でしばらく保留車となっていたが、1986年11月のダイヤ改正で青梅線の3両編成を4両化するため、電装解除の上103系化され(台車は当時廃車の進んでいた101系に用いられていたDT21Tが活用された)、サハ103-3000番台に編入された。そのため屋根上にパンタグラフを取り外した跡が残るなどの特徴がある。
3000番台の特徴としては、高運転台+先頭電動車+AU712クーラーの組み合わせや、クハとサハの台車が101系などの発生品であるDT21Tを装備していたことや、種車の機器配置を極力活かしたためにパンタグラフがユニットの外側に来るなど、独自の装備をしていた。
当初、サハのみが豊田電車区に配属され、主に青梅線と五日市線にて0番台クモハ編成にて活躍したが、電連取付等のためクモハ編成は両端クハ編成に置き換えられ、サハは余剰となって大宮運転区に疎開留置された。その後、1996年3月16日のダイヤ改正で八高線の八王子~高麗川間の電化開業された事により、川越線区間列車と八高線電化区間の列車が共通運用化されて両区間の運用列車が4両編成になるのに伴い、サハの全車も川越電車区(→川越車両センター)に転配された。その結果、4両編成の5本(20両)が川越電車区に配置され、八高線・川越線では209系と共通運用がされることとなった。しかしながら、これらの103系は老朽化が進んだことにより2003年11月より廃車が開始され、205系3000番台と209系3100番台に置き換えられて2005年10月迄に全車が引退し、翌11月中旬に解体も完了した。
なお、最前部の戸袋窓は元々設けられていない。これは当時の仙石線がタブレットを使用していた関係で、破損防止のために採られた対策である。仙石線時代はそこに保護板が取り付けられていたが、一部の車両は103系化時に保護板が撤去され、さながらATC車のようであった。
2000番台(制御車)
クハ100からの改造車で、主に関西本線(大和路線)で使用された。機器類のみ103系と同じものに改造されただけで、前面は101系時代と変わらず、また台車も種車のDT21T又はTR64を流用していた。非冷房のまま1992年に全廃されている。
2050番台(制御車)
クハ101からの改造車で、主に阪和線で使用された。非冷房のまま2000番台と同様に1992年に全廃されている。
- なお、103系の中には改造によって105系となったものがある。それについては105系を参照のこと。
車両塗装
101系と同様に、103系では車両塗色にラインカラーが制定されて用いられ、JR発足後の現在でも使用されている。各路線の塗装などについては国鉄時代に決められた以下の5色がある。なお塗色の号数呼称は1983年に定められた「国鉄車両関係色見本帳」に準拠している。
この書体は既に定期運用から撤退、もしくは既に当該路線用の車両配置のなくなった事により当該塗色の車両が見られなくなった路線・所属区。既に撤退した所属区に関しては撤退時の名称にて示す。
- スカイブルー(青22号)
- オレンジバーミリオン(朱色1号)
- ウグイス(黄緑6号)
- カナリアイエロー(黄5号)
- エメラルドグリーン(青緑1号)
また、民営化前後に各地域カラーが登場している。
- 筑肥線…(唐津運輸区→唐津鉄道事業部唐津運輸センター)
- 新製時はスカイブルーにアイボリーの帯を巻いたカラーリングであったが、1995年10月からシルバーと濃いグレーのツートーンにドア部分のみレッド(乗務員扉はイエロー)というカラーリングに変更された。また2004年以降は塗装簡略化のためシルバーにドア部分のみレッドという303系に準じたカラーリングの車両も登場している。
- 俗に「仙石更新」と呼ばれる特別のリニューアル改造(窓の上段下降式サッシ化、前面窓の2枚窓化、ベンチレーター撤去、ドア内側の化粧版設置などの室内各部の更新)がなされていたが、現在はほとんどが205系3100番台に置き換えられたため消滅しているが、予備車としてRT-235編成が郡山駅構内に残存している。
- 中部地区(中央西線・関西線)…スカイブルー(青22号)→「中京(JR東海)色」(白色にオレンジと緑色の帯が入っていた。)
- 岡山地区…「岡山マスカット色」(薄緑に白帯3本(うち上の1本は太い))
- 非冷房の初期型車が多かった115系を置き換えるため、関西地区での207系の投入により余剰になった車両のうち5編成4両(計20両)が転属された。2004年10月16日のダイヤ改正で全車が213系に置き換えられ、定期運用からは離脱した。先頭車2両は同年6月1日付で廃車となったが、現在3編成は塗装をそのままにして広島運転所に転属させた上で運用されている。残る1編成は引き続き岡山地区で予備車として運用されていたが、2006年3月に正式に営業運転から離脱し、同月に廃車となった。また余剰となったモハユニットは関西地区に戻り、関西本線(大和路線)で使用されている(最終配置:岡山電車区電車センター)。
- 5本中3本はユニット窓、延命N工事施工(戸袋窓埋め込み)クハ+更新N40モハユニットで、2本は4両共ユニット窓、延命N工事施工車で編成を組んでいた。
- 広島地区…「瀬戸内色」(クリーム地に青帯)
- 山陽本線(瀬野八越えができないため瀬野駅以西)・呉線・可部線で活躍している。岡山地区と同じく(但し導入は岡山地区より早い)多数残存する115系非冷房車を置き換えるために入線した。塗装は同形式に準じている(広島運転所)。
- 前面方向幕は撤去され、側面方向幕も入線初期は使用されずサボを使用していたため、サボ受けが取り付けられた。
- 最近では関西地区からの転属により少しだけだが車両数が増加している。しかし大阪環状線などから体質改善車の転入が予想されるため、現在在籍する車両の将来は決して安泰とはいえない。
- なお、戸袋窓はほとんどの車両については他線と同様に埋められているが、埋められていない車両も4両存在している。
- 播但線…ワインレッド
- 播但線姫路~寺前間の電化開業に伴い運用を開始した。側面に〔JR BANTAN103〕と書かれている(網干総合車両所)。
- 加古川線…エメラルド
- 正確には車体に印刷されたフィルムを貼付したラッピング車両であり、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのアトラクションなどに関するものが印刷されている(森ノ宮電車区)。
- ラッピングの張り替え時は、一時的に白1色になる。(一編成のみ)
JR分社後の状況
103系は元々、通勤形電車という大量輸送に特化した形態や国鉄の「標準型」とされていたため、性能・設備面では陳腐化が目立ったが、1983年7月に201系に置き換えた中央快速線、1986年3月に203系に置き換えた常磐緩行線以外、置き換えが進まなかった。
しかし、JR化前後より、JR東日本では205系・209系・E231系などの後継車両への置き換えが進み急速に廃車が進んでおり、2006年3月18日のダイヤ改正迄に全車が定期運用を離脱し、4月の常磐快速線でのさよなら運転と車両展示会を最後に営業運転を終了した。
JR東海では313系などに置き換えられて2001年に全廃されている。
逆にJR西日本ではリニューアル化や短編成化などが推進されて比較的初期車を中心に残存しているが、JR京都・神戸線への321系新製車投入による201系と205系の転配で、大阪環状線と阪和線に残存していたクハ103-7・17・18・501といった最老朽車を皮切りに、播但線と加古川線を除いた線区で使用されている車両の淘汰が全面的に始まっている。
また、JR九州で使用されている1500番台についてはしばらくの間使用される予定であるが、福岡市営地下鉄空港線への乗り入れ本数の削減により現在は余剰気味であり、今後どのような形で使用されるのかは今のところ未定である。
JR東日本
東日本旅客鉄道(JR東日本)管内では、民営化当初一大勢力を誇っていたものの、老朽化による廃車は避けられず、205系(1988年7月に山手線、1990年3月に横浜線、12月に埼京線・川越線(大宮~川越間))と209系(1998年3月に京浜東北線・根岸線)にそれぞれ置き換えられた。また2001年3月には209系500番台やE231系の投入により中央・総武緩行線からも撤退し、ほぼ同時期に同線から撤退した201系を青梅線・五日市線・京葉線へ転用したことで、この3路線からも順次撤退することになった。
さらに、2003年7月から2005年11月に掛けて山手線へのE231系500番台投入による205系の玉突き転配が実施され、南武線・八高線の八王子~高麗川間・川越線の高麗川~川越間・京葉線・武蔵野線・仙石線・鶴見線から続々と撤退することになる。なお、2002年11月には川越・八高線に車両不足が発生し、南武線から引退し大宮工場で廃車待ちとなっていた車両を6両から4両に組み直して塗装をカナリアイエローのままこの2路線へ貸し出しの上、先頭車の前面窓の左下とドア上部に「八高線・川越線」というステッカーを貼付して運転していた。
南武線からの引退は当初の予定より1年ほど遅れた2004年12月16日であったが、これは山手線の205系の転用がりんかい線のオール10両編成化による埼京線の車両増備で南武線の205系を武蔵野線に転用し、最後に先頭車化改造した205系を南武線に投入することになり、置換え完了迄の予定が大幅に変更されその間の予備として残っていたためである。末期の最終編成は平日朝のラッシュ時のみの運用に固定され、午後以降や土休日には運用されていなかった。
川越・八高線では最後迄残存していたハエ53編成が2005年10月2日の「川越線電化20周年記念号」を以て引退した。この時は八王子方先頭車のクモハ102-3003が特製のヘッドマークを、川越方先頭車のクハ103-3003が埼京線・川越線電化記念のヘッドマークをそれぞれ装着して運転していた。その後、12日には205系の1編成が故障したと同時に209系の1編成が車輪転削のために車両不足が生じたため、急遽代替扱いで運用に復帰していた。
常磐快速線と成田線の我孫子~成田間は、当初全車がE231系に置き換えられる予定だったが、E531系の投入とつくばエクスプレスの開業により計画が一部変更され、基本編成の10両編成1本(高運転台のマト7編成)と付属編成の5両編成2本(取手方が低運転台クモハのマト22・マト31編成)が2006年3月17日迄残存し、18日のダイヤ改正で実施された常磐快速線の減便に伴い定期運用を終了した。その後も残留して4月8日のさよなら運転(マト7編成使用)と9日の車両展示会を以て営業運転を終了した。
営業運転の終了後も松戸車両センターでしばらく残留していたが、5月17日にさよなら運転で使用されたマト7編成が、25日にはクモハ103-147以外のマト22編成とマト31編成がそれぞれ長野総合車両センターへ廃車回送された。なお24日にマト22・マト31編成が松戸から尾久へ回送された時には、先頭車の前面に特製の編成札が付けられていた。また、マト22編成のうちクモハ103-147のみは9日に大宮総合車両センターへ回送され、その後個人に売却された。
なお、常磐快速線には高運転台車で組成された4連の訓練車も在籍したが、営業用車両の運用離脱を待たずして1月に長野総合車両センターへ廃車回送され、4月28日の夕方頃迄に解体された。
また、京葉線の元ケヨ302編成のクハ103-713(高運転台車)も現在「部品撤去禁止 この車両は保存車両です」という貼り紙が貼付され、湘南色のモハ112・113-1506(共に2006年1月迄国府津区113系K48編成の中間車)と連結された状態で大宮総合車両センターに留置(既に廃車になっているが、所属表記が「千 ケヨ」から「宮 オオ」に変更されている。)され、実際に2006年5月27日の工場公開で展示されている。こちらは今後鉄道博物館での保存車に追加される可能性の他にも、一部では東京総合車両センターでの保存や、鉄道博物館完成後に解体などの噂が囁かれているが、まだ今後は明らかではない。
鶴見線では205系1100番台への置き換え終了後も3両1本(低運転台のT1編成)が残留していたが、車両故障で2005年12月から運用しなくなり、2006年4月26日に国府津区113系S96編成との混結で長野総合車両センターへ廃車・回送された。
現在JR東日本で車籍を持つ車両は、郡山駅に留置されている仙石線のRT-235編成のみである(但し、架線がない場所に留置されている上、交流区間内なので走行不可)が、無車籍の訓練用車両(2両編成)が東大宮操車場内にあるJRの訓練所で現役であり、103系としてはJR東日本が保有する唯一の自走可能車両である。この車両は豊田電車区に在籍していたクモハ103-100+モハ102-224(非ユニット窓)に京浜東北線で廃車になったクハ103-332(ATC車)の先頭部を接合する改造を行ったため、ATC装備の高運転台(模擬ATCとして実際に訓練に使用している)でありながら、AU712クーラー搭載の非ユニット窓となっている特徴がある。クモハは武蔵野線で使用していた車両のため運行番号窓が埋められている。車両の塗装は山手線の205系をイメージしたものである。なお、RT-235編成は今後多賀城付近の立体交差化事業での車両不足が起こることから、予備車として一時的に本線に復帰する可能性も残っているが、車両の検査期限も残り後わずかであるため、そのまま廃車になることも考えられる。
JR東日本は国鉄から103系を2,418両も継承した。当然その中には数多くの非冷房車があった。当初は新製車と同じAU75形集中式冷房機を使って冷房改造したが、非冷房車は冷房搭載を前提とした設計ではなかったため構体の補強が伴い、多額の費用と時間が掛かった。そこで1988年度からはAU712形という集約分散式冷房機を使用して冷房改造を施工することとした。但し最初に先行改造されたサハ103-128はJR東海の分散型冷房装置に類似したものが取り付けられた(FTUR-300-102形)。さらに1988年後期からはより工期・費用を削減するために小型のSC24形補助電源装置(SIV)も同時に取り付けたタイプも登場した。しかし、これらの車両は先述のように若番車が多く、更新工事も行われたが老朽化が進んでいたため7年程経って205系と209系の量産が軌道に乗ると早くも廃車されたが、2005年の置き換え末期迄持ち堪えた。最後に廃車となったのは武蔵野線で運用されていたモハ103-185・モハ102-340(共に元E15編成の2・3号車)のユニットであった。
そのため、最後迄常磐快速線と鶴見線に残存していた若番車はすべて集中式であった。ちなみにAU712形での冷房改造は113系・115系・403系などでも行われたが、こちらも103系と同様の理由で廃車が進んでいる。
なお、2004年に武蔵野線で使用されていた下記の編成のうち16両がインドネシアのPT KAIに譲渡された。
- 元E20編成…クハ103-815(1号車)-モハ103-752(4号車)-モハ102-2009(5号車)-クハ103-822(8号車)
- 元E21編成…クモハ103-105(1号車)-モハ102-231(2号車)-サハ103-246(3号車)-クハ103-597(8号車)
- 元E22編成…クハ103-359(1号車)-モハ103-654(2号車)-モハ102-810(3号車)-クハ103-384(8号車)
- 元E27編成…クモハ103-153(1号車)-モハ102-321(2号車)-サハ103-210(3号車)-クハ103-632(8号車)
これら譲渡車は全て後期製造車か車両更新工事施行車が選ばれた。その他の編成も譲渡する計画であったが、その後103系より状態が良く、ステンレス車である事から保守面で有利な東急8000系に変更されたため、103系の譲渡は16両で打ち切りとなった。現地では前面下部にオレンジ色の大型スカート(排障器)が設置され、元東急8000系や東京都交通局(都営地下鉄)6000形と共に日本のODA・政府開発援助で建設された首都ジャカルタ近郊の電化路線で有料急行用として使用されている。当初、塗装は原形を保っていたが、2006年6月現在、オレンジに窓周りが黄色のツートンに塗色変更された車両も出ている。 なお、現地でも103系と呼ばれており、塗装変更車の車番はJR東日本時代の「クハ」や「モハ」を消しただけのものをステンシルで記入している模様である。また、行先表示は都営・東急車と共に前面窓に方向板を掲出しており、使用されていない旧来の方向幕は、例えば「むさしのドリーム 東所沢」のように、現地では無意味なJR時代の表示を掲げたまま走行していることもある。この他、車内には東京・首都圏の路線図がそのまま掲出されているなど、JR時代の遺物を至るところで散見できるという(以上、PT KAI譲渡車については「鉄道ファン」2006年7月号162ページにレポートが掲載されている)。
なお、2005年8月27日の東京総合車両センターの一般公開時には、武蔵野線のE15編成、常磐線の訓練車、川越・八高線のハエ53編成が展示され、それぞれ中央線や山手線で活躍していた頃(国鉄末期→JR初期)の方向幕やヘッドマークを交換しながら公開されていた。この時には鶴見線のT1編成も参加したが、こちらは「103系体験乗車」に使用されていたため、4本が並んだ訳ではなかった。
JR東海
東海旅客鉄道(JR東海)管内では、旧国鉄時代の1977年(昭和52年)より中央本線名古屋地区で70両が使用されていた。すべてが初期に製造された車両(1965~1967年製)で、一部は冷房改造された(国鉄時代の分はAU75を搭載、JR移行後の分は分散型冷房方式)。民営化直後に211系の導入で冷房改造されなかった車両を中心に20両が廃車され、残った冷房改造済みの車両は延命工事も実施されたが、313系の導入に伴い1999年に定期運用から離脱し、2001年に全車が廃車された。現在はクモハ103-18の1両のみが美濃太田車両区で静態保存されているが、屋外に置かれているため、状態は悪い。
JR西日本
西日本旅客鉄道(JR西日本)管内には、初期~中期型の車両が多く在籍していたことから、以下の工事を行い、積極的に延命を図っている。
冷房改造
当初は国鉄時代を踏襲した集中式AU75を使用したが、途中から集約分散式WAU102を3基搭載する方法に改められた。WAU102には製造する工場により3種類の形状があり、複数の形状を搭載している車両も多く見られた。WAU102を採用した車両は近年迄森ノ宮電車区や奈良電車区にも配置されていたが、AU75に比べて性能が悪い事から廃車が進み、2006年6月現在で残存しているのは日根野電車区と広島運転所の計13両のみである。なお、1973年製以降の車両は最初から冷房付きであるので、1973年製以降のグループにWAU102クーラー車は存在しない。
窓封鎖
戸袋窓と妻面窓を封鎖し、雨水の浸入を防ぐ事で腐食を遅らせた。2006年6月現在で戸袋窓が残存しているのは12両のみである。また、JR東日本から購入した8両も封鎖している。
扉交換
腐食防止のために側扉及び貫通扉をステンレス製に交換した。現存するほぼ全車が施工済みであり、化粧板付きのものを装備する車両も存在するが、ごく少数に限られている。
スカート設置
201系などと共に取り付けられ、衝撃への耐久性を高めた。全ての先頭車が施工済みである。
座席モケット交換
イメージアップのため、座席モケットを茶系統で3-1-3の区分が入ったものに交換した。近年ではシーマンブルー1色に再交換されつつある。また優先席も青地にピクトグラムの入ったものに交換されている。現存する全車が施工済みである。また、JR東日本から購入した8両のうち中間車6両はJR西日本への転籍と同時にシーマンブルーに交換されているが、先頭車2両は現在もJR東日本仕様のままである。
延命工事
延命N40
新製から40年の使用を目指し、外板整備・機器の一部更新・配管の交換・内壁の張り替え及び窓サッシの交換(上段下降・下段固定の黒色サッシ)などを行った工事である。主に1973~1976年製の車両に施工されたが、広島運転所に所属する初期車の一部にも実施されている。
延命N
新製から30年の使用を目指し、外板整備・機器の一部更新・配管の交換及び内壁の張り替えを行った工事で、1972年迄に製造された車両の大半が該当している。
延命NA
国鉄時代の特別保全工事施工車に内壁の張り替えなど前述の延命Nと同等の工事を追加した。但し重複する部分は省略している。
延命NB
初期車が冷房改造と同時に延命N工事を受ける際に窓サッシの交換(上段下降・下段固定の黒色サッシ)を追加した。この工事を受けた車両は少数に留まり、2006年4月迄に全車が運用を離脱している。
体質改善工事
体質改善40N
後継車両の207系と遜色ない車両に仕上げるため、屋根の張り上げ化・一部外板のステンレス化・屋根上通風器の撤去・側面ルーバー形状の変更・運転台の整備・窓支持の変更(私鉄の様な銀色枠)・窓サッシの交換(下段固定・上段上昇のバス風逆T字サッシ、車端部は固定)・運行番号表示器、方向幕、前灯部分の内支持化・内壁、床の張り替え・座席クッションの更新・荷棚のパイプ化・照明へのカバー取り付け・風洞の変更を実施した。但し次第に簡略化されるようになり、2002年からは後述の30N工事に移行した。
体質改善30N
2002年からは製造後30年程度で新車に置き換える方針に改めたことで更新メニューが簡素化され、外板の整備・通風器の撤去・運転台の整備・扇風機の交換のみを行う方法(但し内装については極力40Nに準拠)に変更された。1973年以降に製造された車両のうち未更新で残っていたクハとモハが対象とされ、2005年迄にそれに該当するクハ全車とモハの大半に実施された。
前面金属支持化
Hゴムの保護と運転台への風雨浸入防止のため、前面ガラス・運行番号表示器・方向幕部分を金属板で覆った。この工事は体質改善工事対象外の先頭車のみに行われる。なお広島運転所所属車、和田岬線専属車及びクモハ103-2500番台には実施されていない。
ワンマン改造
過疎路線での使用を考慮し、広島運転所所属の3両編成、日根野車のごく一部(阪和線東羽衣支線)と3500(播但線)・3550(加古川線)番台の全車に対して行われた。
現状
以上のような改造を受けつつ、大半の車両が今も運用を続けているが、短編成化で余剰となったサハをはじめWAU102搭載車や老朽化した初期車、更にはユニット窓の1971~1972年製造車の一部までもが廃車されている。なお、廃車になった車両のクーラーやSIVは105系の30Nリニューアル工事の際に再利用されている。ちなみに105系はWAU102よりさらに性能の低い床置型クーラーを搭載しており、そのクーラーが原因で室内の一部が機械室になっている。
また、片町線(学研都市線)、東海道・山陽本線(JR京都・神戸線)、福知山線(宝塚線)は、JR東西線への入線対応や高速化のために207系に置き換えられて既に消滅している。山陽本線岡山地区もロングシートである点やトイレがない点が不評だったために213系などに置き換えられて一旦は消滅したが、2006年に入ってから日根野区の余剰車がスカイブルーのままで転属し、伯備線などで運行を再開している。
2006年時点では、JR京都・神戸・宝塚線に新型通勤形電車の321系を投入する関係で大阪環状線と桜島線(JRゆめ咲線)を201系、阪和線の一部を205系の捻出車にそれぞれ置き換えており、西日本全域で大規模な103系の転属と廃車が行われている。ただ、JR西日本では今後も暫く103系を使用する方針のため、JR東日本車の場合と異なり、置き換えと同時に編成替えや塗色変更、103系同士の置き換えも行われている。
但し、今後大阪環状線以外でサハを必要とするのは一部残留するクモハを連結する編成と日根野区の8連のみであり、後者は1編成を除いて205系に置き換えられたため、サハに関しては延命N40改造車、さらには体質改善工事車迄もが廃車されている。逆に短編成化で不足するクハに関しては、AU75を搭載する初期型でも多少は残存する模様である。実際大阪環状線に在籍していたクハ103-9・41・68・502が大和路線に転用されるなど、数年内に置き換えの対象となる可能性がある初期型でも廃車にならず他線に転用された車両もある。なお、一時期体質改善済みのサハは「先頭車に改造されて今後も使用される」,「大阪環状線には一部中間に先頭車を組み込む201系の編成が存在するためサハ103-750番台のように系列を超えて201系の中間車となる」などという予想もあったが、体質改善40N施工済みのサハ103-486が2006年2月に廃車となっており、現実化はしていない。なお後者はブレーキの違いなどから否定的な意見も多い。車庫内で両形式の余剰車同士が一時的に連結された例はあるが、写真のように屋根の形状、窓の色など、外観だけでも様々な相違点が見受けられる。また、クモハを連結する編成の中には未更新のサハを連結している編成も存在するが、置き換えが近いからか、それを40Nサハと取り替える動きも全く見せていない。
なお、JR西日本は103系の量産第1弾であるクハ103-1、クハ103-2などを保有しているが、同時に製造されたサハ103-1が2004年12月15日付けで、偶数向き500番台の第1号車であるクハ103-501が2006年2月10日付けでそれぞれ廃車となっている。ちなみに日根野区に配置されているサハ102-1はサハ103-385からの改造車である。
なお、体質改善工事を受けた車両の車体への車両番号標記は国鉄時代の丸ゴシック体からゴナに変更されている。また、リニューアル車についてはドアエンジンが戸袋下部に設置された差動式(旧形国電以来のTK4型)からドア上部設置の直動式に交換され、開閉動作がスムーズになったものもある(但し開閉に要する時間は前より遅くなった)。また、森ノ宮電車区などリニューアルの有無を問わず前面窓下又はスカートに車番が書き込まれた所もある。
福知山線脱線事故による救済編成
2005年4月25日の福知山線脱線事故により被災した207系の一部廃車及び既存車両の帯色の変更、117系のATS-P非装備による同線からの撤退などの事象が重なり、一時的に車両が不足する様になった。この頃は既に網干総合車両所の113系や宮原総合運転所の103系の余剰車が処分又は他路線へ転出してしまった後だったため、必要車両をJR東日本から購入する事になった。JR東日本からの購入車両は京葉車両センター所属の元武蔵野線車両8両(E38編成:Tc821-M684-M'840-M685-M'841-M686-M'842-Tc828)で、7月27日に回送し、8月29日に試運転を行った。現在、編成は分割されて先頭車は広島地区の山陽本線・呉線・可部線(瀬戸内色)で、中間車のうちM684-M'840、M685-M'841は関西地区の東海道本線・山陽本線(スカイブルー・現在は阪和線で使用)で、M686-M'842は大阪環状線(オレンジバーミリオン)で、それぞれ既存車に連結され使用されていた(カッコ内は組み替え後の塗色)。当初戸袋窓はそのままにされていたが、321系の増備によって現在は車両数に余裕ができたため、閉塞工事とドア部分の黒ゴム化(E38編成時代に一部白ゴムのまま残っていたドアが存在した)を施行した上で他線区に転属している。なお、前述のJR東日本から購入した8両は製造年が比較的新しいため、当分の間は廃車対象にはならずに使用される模様である。
また、E38編成の到着迄普段大阪環状線で使用されていた旧モリ17編成からサハ1両(サハ103-487)を抜いた7両編成がJR京都・神戸・宝塚線でオレンジ色のままで運用されていた。
- 元編成
- 旧広E04編成…Tc128-M479-M'635-Tc118
- 旧モリ17暫定代走編成…Tc205-M284-M'439-T350-M129-M'238-Tc206
- 購入編成…Tc821-684-M'840-M685-M'841-M686-M'842-Tc828
↓
- 転属後(太字が元E38編成)
- 新広E04編成…Tc821-M479-M'635-Tc828
- 新モリ17編成…Tc205-M284-M'439-M686-M'842-M129-M'238-Tc206
- JR京都線代走編成…Tc128-M684-M'840-T487-M685-M'841-Tc118
↓
- 転用改造
- 新広E04編成(戸袋窓閉鎖)…Tc821-M479-M'635-Tc828
- 新ヒネK802編成…Tc128-M684-M'840-T370-T415-M685-M'841-Tc118
- 新ナラ?編成 …Tc205-M686-M'842-Tc206
他の編成(E14編成が最有力だったと言われる)や国府津車両センターの113系も購入の候補に挙がっていたが、321系の製造ピッチを上げる事が可能だったため、購入する事はなかった。
JR九州
九州旅客鉄道(JR九州)管内については、地下鉄乗り入れの為に唯一の直流電化区間である筑肥線向けの車両が一部中間車を先頭車に改造した上で使用されている。現在も老朽化は進んでおらず、車齢こそ若いものの、ATOに対応しない点などから地下鉄区間への乗り入れは大幅に減少している。しかし、快速列車「ふくおかライナー」や「からつライナー」には303系ではなく103系が充当されている(VVVFインバータ制御の303系に比べて、抵抗制御で回生ブレーキを持たない103系は停止・起動を繰り返さない方が有利な為)。また筑前前原~唐津・西唐津間のワンマン列車は3両に改造されている。但し、分割運用には3両固定編成の103系が必ず使用される関係で、置き換えとはならない模様である。最近では塗装を303系にあわせた塗装変更車が登場した。
特殊用途・試験改造車両
北海道旅客鉄道(JR北海道)では元々、電化区間が札幌近郊の交流電化区間のみで、且つ札幌都市圏に於ける国鉄の輸送シェアも本州に比べ著しく低かったことや、車両自体も耐寒・耐雪構造ではないため、国鉄時代から1両も103系が配置されていなかったが、1998年8月にJR東日本の廃車体が8両程入線している。電動車はなく、クハとサハのみの編成を機関車に牽引して北海道迄運び入れている。但し、この譲渡に関する情報は公開されておらず(一般には全く知らされたことがなく、この北海道への移動自体、偶然列車を目撃した複数の者がネット上の掲示板及び一部の鉄道雑誌に投稿したため明らかになった)、これらの車両が何の目的で北海道に集められたのかも分からないが、8両すべてが鉄道総研の所有物であったらしい。
目撃情報によると、「大半の車両が窓、扉等の大幅な埋め込み、車体の延長または各部の欠き取り、クーラーの撤去、車番のRTRI-**への変更などがなされており、異様だった」とのことである。
その後は苗穂工場内に留置されていた。工場内を移動することはあったが、関係者以外には一切非公開で、使用目的も明かされず、同年末迄にすべて姿がなくなった。その後、運転席などの窓が鉄板で塞がれた状態に改造された711系3両×2本(同時期に廃車になったもの)と実験で衝突させたとの話だが、これらの車両から集められたデータが何の役に立ったのかも不明のままである。
- 参考:北海道へ渡った車両
- クハ103-396・454・481・482・719・724
- サハ103-230・417
これ以外にも103系を使っての試験がいくつかあった。
- VVVF試験(クモハ103-87):東芝府中工場にてVVVFインバータ装置へ置き換えられ、JR大船工場にて試験が行われた。またJR東海でも103系を用いたVVVF試験を行った。これとは別に東芝府中工場にクモハ103-58+クハ103-525が前面窓以外に田園風景が描かれ、クーラーはAU720に交換された状態で残されている。
- DDM試験(モハ103-502):JR東日本が開発中だったダイレクトドライブ・モーターの試験搭載車。同期電動機駆動用制御装置としてIGBT素子のVVVFインバータ化され、ACトレイン(E993系)との比較実験に用いられたが、実験の終了に伴い廃車されている。同様の試験が鉄道総研内でも行われていたが、解体された。
- AU720搭載:松戸電車区(→松戸車両センター)所属車を中心にクーラーを209系と同タイプのものに交換した。効果の程は不明だが、結局は一般車と区別なく廃車されている。またJR西日本の日根野電車区・奈良電車区・森ノ宮電車区でも同社主流の集約分散式との比較検討のためか同様の工事を施行された車両が登場したが、この試験より後に製造された321系も集約分散式で登場したことから、効果は芳しくなかった模様である。
「私鉄の103系」
同時期に首都圏や関西圏の私鉄でも大量の通勤形電車が必要となったため、103系と同様の一形式大量増備が行われた例がある。
東武鉄道に於いて1963年から1983年迄に712両が製造された4扉通勤電車である。所属する車両の総数に占める割合は103系よりもさらに高く、1990年代迄東武電車の代名詞であった。103系と比較した場合、重量・主電動機出力・製造コスト・乗り心地で勝るが、発電ブレーキを持たないという短所もある。性能は全車ほぼ同一で、車体も普通鋼製と、極限の性能を求める私鉄電車の中にあってコストダウンを意識した設計が103系と大きく共通し、「私鉄の103系」と言えば一般に8000系のことを指す。大規模リニューアルで延命した車両が存在する所も似ている。現在も702両が在籍しているが、一部は800系・850系に改番されている。今後は50000系列の投入による30000系の地上線への玉突き転配が行われるため、103系と同じく廃車が出ると予想される。既に800系・850系の改造で余剰となったサハ8900形10両が廃車になっている。
東急8000系列
東京急行電鉄に於いて1969年に登場した8000系から1975年~1991年に製造された8500系迄の4扉通勤電車グループである。すべて最大限簡略されたオールステンレス構造の車体を持ち、走行関係の機器もほぼ統一されている。車両総数は最大時で677両で、奇しくもナンバーは東武と同じ8000系である。但し103系より登場年次が6~7年遅いため、界磁チョッパ制御を採用し、電動車比率も高く、103系や東武8000系に比してかなり高性能である。しかし、5000系列への置き換えで2002年末から廃車が始まっている。
山陽電鉄3000系列
山陽電気鉄道に於いて1964年に登場した3000系とその冷房車として1972年~1985年に製造された3050系を基本とする3扉通勤電車グループである。両形式共ほぼ同じデザインだが、普通鋼製とアルミ合金製が存在する。主電動機に既存品を用いる、増結車に旧型車改造車を交える、など製造コストダウンを重視している。山陽電鉄自体の規模がそれ程大きくないため総数は100両程度だが、国鉄も交えて過当競争を続ける関西の私鉄にあって20年以上統一された形式を製造した珍しい例である。こちらは、2000系からの改造編入車を除き廃車は発生していない。
参考文献
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2004年4月号 No.745 特集:103系電車
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2005年8月号 No.764 特集:惜別 JR東日本103系
- 大熊孝夫「103系通勤形電車 誕生までのはなし」
- 交友社『鉄道ファン』2006年4月号 No.540 p83~p105
- 交友社『鉄道ファン』2006年5月号 No.541 特集:究極の標準形通勤電車103系
- 特集:究極の標準形通勤電車103系〔訂正・補遺〕
- 交友社『鉄道ファン』2006年7月号 No.543 p152~p153
外部リンク
- 103系ホームページ‐各車毎の写真、室内部品の解説
- Kishuji-Rapid-Serviceのホームページ‐大阪環状線を中心とした車両転配の解説
- CLUB103‐各車毎の写真など
- JABOTABEKの103系!‐インドネシア譲渡車のレポート
- 日根野電車区編成表
- 103系3000番台(3500番台)各車の特徴
- 京浜東北線と愉快な仲間たち